五
ドラケンの、夜遊び癖は今も続いている。
今晩も、見知らぬ綺麗な男と歩いていた。向かう先は、当然ホテル。休憩利用なのか、宿泊利用なのかは知らない。だって、俺はあんな風に誘ってもらった試しがないから。
「……なんで俺じゃだめなんだよ」
自室のベッドに寝転がりながら、ほうとため息を吐いた。
ごろんと寝返りを打つと、タオルケットと毛布が中途半端についてくる。足元だけ巻き込みそびれて、右の素足が空気に触れた。ひやりとした感触に、すぐさま足を引っ込める。ぎゅ、と、ベッドの上で小さくなった。
『無理だから』
あいつのことを考えていると、すぐにその台詞が蘇る。
声を掛けた日も、言われた。そのあとも、何度か日曜日に殴り込んでみているが、勝率はゼロ。いくら誘っても、ドラケンは俺に手を出してくれない。売り言葉に買い言葉で迫られることはあっても、それ止まり。うっかり唇がぶつかることも、不意に鼻先が擦れることも、思わせぶりに頬やこめかみを撫でられることも、なかった。
どうして自分は無理なんだろう。何度も見かけたあいつの遊び相手と、そこまで自分はかけ離れているだろうか。いや、そんなことはない。むしろ、自分と近い見目の奴が多いくらいだ。イヌピーが言っていたことだって、あながち嘘じゃあない。……なのに、いつだって「無理」と跳ねのけられてしまう。
先月のタレ目は抱いたくせに。その前の色白も抱いたくせに。なんで、俺は、無理なんだ。
「くそ」
呻いたところで、今晩も相手にされなかった―― 声すら掛けていないから、なれなかったというのが正しい―― 事実は覆らない。不貞腐れながら、布団を頭まで被った。
あーあー、今日はどんなセックスをしているんだろう。まあ、イイって噂だしね、めちゃくちゃ優しくて、気持ちよくなれるんだろうね、きっと。
嫉妬を滾らせながらも、ぎゅうと瞼を閉じた。妄想を捏ねくり回して、あいつに覆いかぶさられるところを浮かべてみる。一度だけ見た、熱っぽい瞳。あの目をしながら、自分を組み敷いてくれたら、どれだけ満たされることだろう。
骨ばった手が伸びてくるところまで描いたところで、意識はとろりと沈んでいった。
たまにはラーメン食いに来い。
突然、河田兄弟から連絡が来た。あまりにも久々すぎて、メッセージアプリの操作を間違えたのかと思ったほど。
一体何年ぶりだろう。記憶を遡ったところで、だいぶ前ということしか思い出せなかった。ぼーっとしているうちに、ぽこんぽこんと鬼の面のスタンプが付け足される。笑顔の方にも、怒り顔の方にも、なぜか双悪のロゴが入っていた。なんだ、これ。ぺちりと指を押し付けると、ラーメン双悪スタンプ、という画面に切り替わる。自作したらしい。
ラーメン屋しながら、こんなこともしてんのかよ。ぼんやりと画面を見下ろしてから、今日の予定を頭に並べた。
それが、つい、今朝のこと。
「ちーす」
「いらっしゃぃ……、わあ」
暖簾を潜ったのは午後の二時頃、ランチ営業も終わる頃合いだった。
入って早々に、ソウヤの方と目が合う。丁度カウンターテーブルを片付けているところだった。布巾片手に、かっ開かれている目で俺を射抜いてくる。
「……なンだよ、その顔」
「いや、まさか今日の今日で来ると思わなくて」
「丁度、目黒で打ち合わせがあってさ」
空いているカウンター席に掛けつつ、そっと店内を見渡す。自分の他に、客は二人だけ。テーブル席にいる彼らは、どちらもとび職の装いをしていた。ナホヤと話し込んでいるのを見るに、常連なのだろう。あ、財布を取り出した。会計をするところらしい。
なんだか、迷惑な時間に来てしまった気も、しなくはない。
差し出されたおしぼりを広げつつ、壁に貼られたメニューを目で追った。
「つーか、今からでも注文大丈夫?」
「俺らも休憩がてらになっちゃうけど、それで良ければ」
「それは全然。何にしよ……」
「人気は白豚骨のスマイリーと、黒豚骨のアングリーだよ」
「あー、辛いのってどっちだっけ、スマイリー?」
「そう。年々辛くなってるから、前に食べたのとは味違うかも」
「それ看板メニューとしてどうなの?」
「うーん、まあ好きな人は好きだからさ」
数年前来た時食べたのは、確かスマイリー。じゃあ今度はアングリー、とも思ったが、味が変わっているとなるとどちらを頼んでも物珍しいことに変わりはない。いっそ、あえて定番にしてみようか。壁には雑な筆文字で「しょうゆ」「みそ」などと貼られている。
「……ん?」
その、一番端に、ラーメン屋らしくない一筆を見つけた。
「モーニングやってます、って、なに」
「え、この時間に出せるのないんだけど」
「ああいや、食うのは黒豚骨で頼みたいんだけど」
「ん、オッケー」
厨房の中に戻ったソウヤは慣れた手つきで麺を茹で始める。どんぶりには早速スープが注がれていた。前に食べなかった黒い汁、見目と違って口当たりまろやかなのは聞いている。
それはそれとして、モーニングの謎は解けていない。俺の見間違いじゃないよな。今一度振り返って、壁面を確かめた。確かに、視線の先には「モーニングやってます」と貼られている。
「朝食営業もやってんの」
「ああ、そういうこと? 結構前からやってるよ、三、四年くらい前からかなあ」
「……ラーメン屋で朝食って、何出すの。やっぱラーメン?」
「麺もあるし、中華粥もやってる」
「へえ」
手を動かしながらも、ソウヤはこちらの声に答えてくれた。朝からラーメンというのはピンとこないが、中華粥と聞くと朝食感がする。女性人気もありそうだが、実際のところはどうなのだろうか。
「そうそう、この間、三ツ谷の妹来たよ」
「え、どっち。ルナ?」
「上の方じゃないかなあ。彼氏ときてくれた」
「ア、ソウ」
突然放り込まれた話題に、片言になってしまう。実家を出て随分と経つ、ルナだってもうすぐハタチになるのだ。朝帰りくらい、まあ、するだろう。俺はしていた。でも女子って、そういうのどうなんだ。危なくない奴なのか。アングリーが見た印象だとどうだった。モーニングへの疑問以上に、聞きたいことが込み上げてくる。
うるさいお兄ちゃんって、言われそうだ。喉元にまでやって来たソレを、水と一緒に流し込んだ。
「今朝はドラケンも来たし」
「へ、ェッ!?」
飲んだ水を、噴き出すかと思った。
どうにか飲み下して、カウンターの向こうを見上げる。ソウヤの視線は、手元に向かったままだった。豚骨スープの濃厚な香りが漂ってくる。きゅうと腹は鳴るくせに、胸の辺りは変に苦しかった。
立て続けに爆弾を落としておきながら、そいつの顔は何一つ変わらない。手際よく盛り付けも終え、ドンッとどんぶりを差し出してきた。
「はい、アングリー一丁」
「あ、ハイ、アリガトウゴザイマス」
「なんで敬語……?」
お前が爆弾発言を繰り返すからだよ。言い返す気力もないまま、震えそうな手でどんぶりを受け取った。覗き込むと、爆弾と呼ぶに相応しい黒々としたスープが満ちている。啜ろうとした瞬間、爆発しそう。もとい、その瞬間に次の爆弾発言を放り込まれそう。もう、これ以上、話題をブッ込まれることはないよな、ないと言ってくれ。ちらりと上目遣いでソウヤを見てみるも、食べないのと首を傾げられて終わってしまった。
へえ、ドラケンも来るんだね。そう言ってしまえば、この話題は終わる。きっと次の話に移ってくれる。わかっていても、なかなか口は動かなかった。割り箸を掴むので、精一杯。やっぱり片言でイタダキマスと呟いて、パキンと割った。あ、失敗した。どうも最近、割り箸を綺麗に真ん中で割れない。
「あれ、三ツ谷じゃん。何営業時間外に来てんだコラ」
「あ」
と、どっかりと隣に気配が座る。箸先をスープにつけながら目を向けると、バンダナを取り払ったナホヤがいた。向こうの壁には、外にかかっていたはずの暖簾が立てかけてある。丁度今、下げてきたところらしい。……俺、これから食うところだけど。良いのかな、まあダメだったら、問答無用で追い出されているか。良いということにしよう。
今スマイリーに乗っかれば、違和感なく話を逸らせる。こっそりと胸を撫でおろした。
「ごめん、すぐ来れそうなの、今日しかなくて」
「お前のアトリエどこだっけ、結構遠いん?」
「ちょっとね。まあ、バイク出せば、そこまでかからねえんだけど」
「おう、出せや」
「……はは、うん。これからはもうちょっと頻繁に来ようと思う」
垂れそうな髪を耳に掛ける。箸の割れ方は歪でも、食うのになんら支障はない。黒い水面から、ついと麺を掬い上げた。口を尖らせて、湯気の立つソレに息を吹きかける。もうイイかな、イイよね。あぐりとソレを口に連れて行った。
「でさあ、お前」
「んー?」
ラーメンとなれば、音を立てて啜るもの。ズルルッと啜ってから、視線を横に向ける。豚骨スープではあるけれど、そこまでの重たさはない。疲弊しきった後の胃でも、これなら入りそうだ。
むぐむぐと噛み締めていると、なぜかナホヤがニヤリと笑った。まさか、これから辛みが襲ってくるとか言う?
「―― ドラケンにちょっかい出してるって、マジ?」
「ングッ……!」
麺を吹きださなかったこと、褒めてほしい。噎せそうなのをどうにか堪えて、水で麺を流しこんだ。それでも息苦しさは変わらない。縋るように目線をソウヤに向ければ、はいはいとコップに水を足してくれた。ガラスに満ちたところで、再び口元に引き寄せる。並々と注がれた水を、まるで仕事終わりのビールのように、ぐびぐびと飲み干した。
「ッは、なん、なに!?」
「お、その顔、マジなヤツじゃん」
慌てふためく俺を見て、ナホヤは笑ったまま悪い顔をする。なんなら指まで差してきた。人を指差すんじゃありません。ぺちんと叩き落とすと、今度は両手の人差し指を俺に向けてきた。とにかく、からかいたいらしい。
それにしたって、どうしてこいつが知っている。俺がドラケンに絡んでいることを、なぜ知っているんだ。そういえばさっき、ソウヤが今朝ドラケンが来たとかなんとか言っていたっけ。……河田兄弟から、俺に連絡が来たのも、今朝だ。
「誰、から……、聞いたんだよ」
「ドラケンに決まってんだろ」
「……」
今日来るのは、止めておけば良かった。今日頑張らないで、大人しく来月の目黒での打ち合わせの時にすれば、良かった。
溢れてくる後悔を飲み込むべく、ズゾゾッと音を立てながら麺を啜った。癪だが美味い。クソ美味い。
「正しくは、ドラケンが連れて来た人が言ってた、だけどね」
「三ツ谷つったのはあいつなんだから、ドラケンが言ったようなもんだろ」
「そう?」
俺がむしゃくしゃしている間にも、話はコロコロと転がっていく。ちゅるんと麺の先まで啜ってから、キッとナホヤを睨んだ。しかし、向こうは何食わぬ顔でソウヤから賄と思しき炒飯を受け取っている。続けて出てきた椀には、卵スープらしき液体が入っていた。
「……ドラケンって、よく来んの」
ぼそりと、尋ねた。途端、河田兄弟は目を合わせてみせる。それから、何を言うでもなく、ソウヤが厨房からカウンターへと回って来た。ナホヤとは反対隣りに腰を下ろし、自分が作った賄の皿を置く。椀の中には、やっぱり卵スープが入っていた。
あれ、俺、挟まれた? ハッと気付くと同時に、二人は口を開いた。
「月曜の朝はよく来るぜ」
「綺麗な人連れてね」
「前は女のが多かったけど、最近は男連れてる日のが多い」
「いかにもヤッてきましたーって格好で、最初はびっくりしたなあ」
「わかる。あのドラケンがついに女遊びかあ! って思った」
「そしたら今度男の人連れてくるしさあ……」
「なんにせよ、連れの方は大体常連になるから、風紀の乱れも許してやってんだよ、俺ら」
「なんなら、朝食営業の宣伝してくれるしね」
「悔しいけど、あいつの歴代のセフレにウチのモーニングは支えられている」
「それは言い過ぎ」
ストップ、情報量が多い。
びたりと手の平をナホヤの方に向けてみるが、ニヤニヤとした顔のまま「音ぇあげてんじゃねえぞ、現代人」と返されてしまった。現代人は現代人でも、俺は機械が得意じゃない方の現代人なんだ、目まぐるしく情報を与えられても困る。……パソコンやスマホの画面越しに浴びせられたんだったら、多少は言い訳できたのに。ここは現実だ。ステレオで聞かされる情報、全てをきっちり脳みそは記憶してしまう。
ドラケンって、ヤッたあと双悪に来てるんだ。二人の口振りから察するに、双悪モーニングが始まった頃から来ているらしい。なるほど、じゃあ少なくとも三、四年前からは、こういう生活をしていたと。夜遊びを、していた、と。
掬い上げた麺が、箸先から滑り落ちていく。落ち着くのを待っていると、挟まっているのはたった一本になってしまった。わ、虚しい。ちゅるん、その一本ばかりを口に運んだ。
ステレオの河田スピーカーは、なおも喋り続ける。
「で、今朝は連れてきた美人に「最近本命できたろ」って詰め寄られててよお」
「そうそう。誰だろうと一人三回までしか相手しないくせに、あの眼鏡とは三回以上シてるとかって」
「心当たりねえって最初は頑張ってたんだけどな」
「あれこれ指摘されてるうちにね」
ふぅん、ドラケン、本命いるんだ。眼鏡か、眼鏡ね。覚えた。今度は、俺もつけてみよう。
……いや、もう、つけている。昼間だったらまだしも、夜に人を探そうと思ったら、眼鏡をかけた方がよく見える。うっかり見逃したくないから、ドラケンに会いに行くときは眼鏡をかけるようになっていた。
でも、記憶を遡った限り、あいつが腰を抱いた奴に、眼鏡の男はいない。
出鱈目か?
浮かんできた胡乱をそのまま顔に乗せ、ナホヤを見やった。笑顔の糸目が、なんだか生温かく感じる。薄気味悪くて、逆側を向いた。すると今度は、ソウヤの鋭い眼光に、一抹の哀れみが映って見える。
「『あ、三ツ谷か』」
二人の声に混じって、あの男の声が聞こえた気がした。
「え、と」
持ち上げたはずのチャーシューが、ぼちゃっと黒いスープに落っこちる。気を取り直して、分厚く切られたソレを箸で摘んだ。はぐりと噛みついて、柔らかな肉と、わずかに纏ったスープを味わう。何度も何度も噛みしめて、ただの破片になるまで奥歯で砕いた。噛みすぎると、かえって飲み込みにくくなる。萎れた肉だったものを、水でどうにか飲み下した。
「……なに、なんで、俺」
「なんでって、ドラケンにちょっかいかけてんだろお前」
「月一くらいで会ってるって、ドラケン言ってたよ」
「それ聞いた相手がなあ、ほら本命いるんじゃねえかって騒ぎだして」
「いっそ楽しそうだったよね。ついに本命ができたのかって」
「行きずりの相手してる場合じゃねえだろって説教までされてな」
挟み撃ちって、喧嘩じゃなくても有効なんだな。両側から浴びせられる情報量で、溺れそうになってきた。ぽんぽんと話が進んでいくせいで、尋ねる暇もない。なあ、頼む、ちょっと待ってくれ。話を一度、整理させてくれ。でないと、俺の脳みその許容量を超えてしまいそう。
「つーわけで、実際どうなんだよ、なあ三ツ谷、ええ?」
頭を困惑でいっぱいにしているうちに、肩を小突かれた。緩んでいたのか、手から割り箸がすり抜ける。一本は器の中に、もう一本はカウンターテーブルの上に転がった。
「ちょっかい、かけてるのは、まあ、そう」
「おっ」
面白い話を聞いた。そう言わんばかりの、喜色満面の声がする。
「月一くらいで、会っては、いる」
「おぉ」
逆側からは、感嘆の声が挙がる。ぎ、ぎぎ、と首を向けると、普段のキレた顔付きに、確かに感心が乗っかっていた。
「でも、」
でも、だ。
ぽつりと零してから、視線を下げた。ラーメンの黒いスープに、ぼんやりと自分の影が映る。鏡ではないから、鮮明には映らない。ぼやっと頭の形に影が出来て見える程度。ぼやけていて、曖昧。
「抱かれたことは、ない、から、本命とかそういう目では、」
自分は、見られていない。
好きな男が、夜な夜な男を抱いている。だから、自分もその恩恵にあやかれないかと声を掛けているが、いつも飯を食って解散。手を出されたことなんてない。何度も抱いてる? 違う、何度も飯食いに行ってるだけ。
噂ってやつは、こうやって大袈裟になっていくんだな。他人の噂だったら、ふぅんの一言で流せるけれど、自分のとなるとそうもいかない。いや、自分と、あの男に関する噂だから、スルーできないのかもしれない。
のろのろと、箸の一本一本を掴み直す。
左隣にいるナホヤが、息を吸う気配がした。
「……ちょっかいって、そっち?」
「エ」
「てっきり、三ツ谷の事だから、ドラケンの遊び癖をなんとかしようとしてるんだと」
右隣のソウヤからは、やけに気遣わし気な声を放たれる。
瞬きをしてみた。俯いていた顔を、そっと持ち上げる。まずは左を向いて、ゲンナリとしたナホヤを捉える。次に右を向いて、同情に近い感情を乗せたソウヤを眺めた。
なるほど、この二人と、俺の間で、思い違いが起きていたらしい。あくまで俺は、ドラケンの悪癖を更生しようと「ちょっかいをかけていた」と思われていた。が、その実、俺はドラケンの悪癖のまま抱いてほしくて「ちょっかいをかけていた」。なんたるすれ違い。
「~~ッ俺、恥掻き損じゃん!」
とんだ暴露をしてしまった。こっちにとっても災難だが、河田兄弟にとっても災難だろう。何が楽しくて、昔馴染みが昔馴染みに抱かれたいと思っているという話を聞かされなくちゃならないんだ。聞かされたところで、気まずいだけだろうに。……もしかして、この気まずさのせいで、ドラケンは俺を抱いてくれないのか? ああいや、これは別に考えよう。今考えだしたら、とりとめがなくなってしまう。
正しく持っていたはずの箸は、気付くとギュッと握り込んでいた。
「最悪ッ、あぁあ忘れろ! 頼むから!」
「忘れたくても忘れらんねぇワッ、なんだお前、ドラケンに抱かれてえとか正気かよッ」
「残念ながら正気だよ!」
「あいつ経験人数何人だと思ってんだ、病気持っててもおかしかねえぞ!」
「ドラケンがその辺キッチリしてねえわけねえだろ!」
「してッ、そうだなぁオイ!」
「もぉおお何が本命だよ、俺ぁ月一で抱いてって言う度フラれてんだよクソッ!」
作った握りこぶしでテーブルを叩く。ドンッという鈍い音に合わせて、空になっていたお冷のコップがガタンと倒れた。あ、ソウヤの声がするが、布巾を持ってくるには至らない。代わりに水のピッチャーを持ってくる。転がったコップを起こし、とくとくと水を注いでくれた。息を切らしながら視線を送ると、スッと透明が満ちたソレを差し出される。
「三ツ谷の性癖は、一旦置いといてさ」
発せられた声は、静かだ。喧嘩腰のスマイリーとは大違い。一瞬にして、冷や水を掛けられた気分になった。ぴたりと口を噤むと、オレと一緒に騒いでいたナホヤもスンと大人しくなる。
「相手、ドラケンでしょ?」
「はぃ……」
「本命って言うの、あながち嘘でもないと思うよ」
「え」
「絶対三ツ谷、ドラケンのタイプじゃん。ね」
「ん? あー、まあ、ウン、それは、一理あんだよなあ」
ソウヤからナホヤに飛んでも、否定の言葉はやってこない。
ンなわけねぇだろうがボケ、テメェの目は節穴か。スマイリー節でそう浴びせられた方が、正直しっくりくる。しかし、いくら待っても、「そうなんだよなあ」と変にしみじみした声しか聞こえてこなかった。
下手な慰めは、よしてほしい。そう思う一方で、縋るような思いで、二人を見てしまったのも、事実。
俺を挟んでアイコンタクトを取った二人は、どちらともなく喋り始めた。
「……身長は一七〇センチくらい」
「あと、垂れ目」
「みんな睫毛も長いよね」
「おう。それに、声がなんか……」
「雰囲気ある声してる」
「ハスキーボイスって言えば良いのか、あれ?」
「たぶんそう。それから、……色白」
「いや、不摂生だろ、ありゃ」
「え、夜更かししてるからあの顔色なんだと思ってた」
「それを不摂生って言うんだよ」
次々と降ってくる言葉に、首が左右を行き来する。襟の付いた服が多くて、昔はオーバーサイズな上着を着てくる奴が多かったけれど、近頃は綺麗目なコートが増えてきたとか。大口開けて笑う奴を相手にしていると、ドラケンも口元を緩ませることが多くて、箸の持ち方が綺麗な奴だとさらに機嫌は良くなるらしい。
やっぱり、情報量が、多い。機械越しじゃないから、すんなり覚えられるかと思ったが、キャパが苦しくなってきた。なんだか、首が熱い。頬も熱い。目元も、熱い。
「すとっぷ、」
それ以上は、もう、いい。か細く漏らした声は、正しく河田兄弟のどちらにも届いたらしい。
「ドラケンが連れてくる人、―― 三ツ谷みたいな人ばっかだよ」
トドメは、アングリーに刺された。
皆まで言われなくとも、それだけ浴びせられれば馬鹿でも鈍感でもわかる。自分と似た系統の奴を選んでいる、というのは察していた。けれど、まさかそこまで自分の特徴を持ち合わせた相手を選んでいるなんて。ありえないだろ、と叫びたいところだが、あいにくこの二人は、ドラケンの夜遊びの相手を、何年も見てきている。説得力が、段違い。
一思いに、お冷を煽った。冷水が体の真ん中に入り込む。多少は火照った顔も冷えたろうか。手の甲を頬に当ててみるが、まだそこはカッカと熱を持っていた。
あいつの、好みは、わかった。よくわかった。
それならば、だ。
「なんで俺、相手にされねえの?」
「俺らに聞くな、本人に言え」
絞り出した渾身の疑問は、スマイリーに一蹴されて保留になった。
日曜日の二十二時半。キャッチに無理やり渡された広告を、コンビニのゴミ箱に捻じ込んだ。
河田兄弟に発破を掛けられてから、これが三回目の日曜日。先々週は、あの男を見つけられなかった。先週は、見つけたと思ったらキャッチに纏わりつかれて見失った。
今度こそ、なんとか、どうにかあいつを捕まえたい。そう希った今日は、三度目の正直、というやつだった。
「よぉ」
「お前も懲りねぇな……」
前に見かけたときより、ちょっと早いけれど、確かにドラケンはいた。髪を下ろして、綺麗目のコートを羽織って、手慰みのようにスマホを操作している。呆れた声をするくせに、無視することはない。燻ぶらせていた性欲を瞬き一つで覆い隠して、俺のことを見下ろしてきた。コートのポケットに、一旦手がしまわれ、スマホを置いてまた出てくる。
試しに、腕を伸ばしてみた。叩き落とされる様子はない。するりと躱されることも、なさそうだ。恐る恐る、指先でちょんと袖を抓んだ。……三秒ばかり待っても、振り払われることはない。これくらいの接触は、許してくれるらしい。
「どらけん」
「ダメ」
「抱いて」
「ダメだったらダメ」
「なんで」
「無理だから」
「……」
しかし、俺の誘いには応えてもらえない。淡々と言い放つと同時に、ドラケンは壁から背中を離した。ただの吐息に近いため息を吐きながら、今日はどうする、なんて尋ねてくる。抱いてって言ってるじゃん。欲を出して、男の右手、小指だけをそっと握った。
「飯も酒もいい、いかない」
「じゃあ解散?」
「だから、抱いてってば」
「ダメだって」
「なんで」
「無理だって言ってんだろ」
「いつもそれじゃん、他に言い訳ねえのかよ」
「ないね」
手は、振りほどかれない。それどころか、ひそひそと会話をしながら、残りの指で俺の手の甲は撫でられた。うっすらと爪先が引っかかる感触がする、擽っているつもりなのかもしれない。口振りは、そっけないくせに、手付きは妙に優しい。指の付け根を擦られているうちに、じゅわりと熱が集まって来た。着実に、手が熱くなっていく。う、なんか、手汗、やばい、かも。
男の爪先が、薬指の付け根を、ガリッ、引っ掻いた。
「ッ」
耐えかねて、ぱっ、手を離す。火照っていた表面が、冷えた空気に晒された。じっとりと湿った表面が、たちまちさらりと冷えていく。
「逆にさあ」
「ぇ」
ホッとしたのも、束の間。なぜかドラケンの右手が、こちらに伸びてきた。その指先は、俺の顎に引っかかる。くんっと持ち上げられると同時に、頭は勝手に斜め上を向かされた。
ドラケンから、触れてきたの、いつぶりだ。頑なに触れてこなかった男の手指が、今は確かに触れている。あ、ぁ、親指が、唇のすぐ下に置かれた。指の腹、というには先端に近いところが、下唇を掠める。
キス、でも、されてしまいそう。
真っ直ぐに見下ろされる視線を受け止めると、心臓が大きく跳ねた。
「なんでそんな、俺にこだわるの」
「す、きだか、ら」
「ふうん?」
「ほんとに、好きなんだって、ば」
男が唇を撫でる手は、止まない。けれど、喋るのに支障が出るほどではなかった。しいて気がかりがあるとすれば、息が当たってしまうことくらい。息を荒げて引かれたくなくて、つい、声のトーンを下げてしまった。久々に触れられた緊張もあって、発した声は、どこかしら震えている。
情けないったら、もう。自信がしゅるしゅると萎れていき、視線も下がってしまう。顎にかかる、大きな手が、視界に入り込んだ。
「―― おれにだまって、」
ふと、ドラケンの唇が動いた気がした。
「ぇ」
「……いや、なんでもない」
咄嗟に目線を戻すも、ほとんど同時に顎に触れていた体温が離れてしまった。ひらりと毛先を躍らせながら、男はブーツの踵を鳴らす。行く先は、ホテル街、とは、逆方向。
……もしかして、と期待したのだけれど、ただの気まぐれだったらしい。
触れられていた下唇を、今度は自分の指で撫でてみる。ここに、硬くなった指の皮膚が、触れてたんだな。気まぐれであれ、久しぶりに触れてくれたことに違いはない。一歩前進、とは言い難いが、まあ、ちょっとだけ進展したと思うことにしよう。
離れ始めた男の背中に、トトトっと駆け寄った。
「キスされるかと思った」
「しねーよ」
「してもいいよ」
「しないって」
「なんで」
「無理だから」
「……ねえ、何が無理。この顔とか、体とか、そんなに好きじゃない?」
隣に並んで早々に、鎌をかけた。イヌピーにだって、河田兄弟にだって「三ツ谷はドラケンの好みだ」とお墨付きを受けている。それに、嘘はないだろう。しかし、毎度拒否されているのもあって、完全に信じきれない自分もいる。
実際のところさ、どうなんだよ、お前。いい加減、俺を相手にしない、本当の理由、教えろよ。
お得意の上目遣いで、キッ、ねめつけた。
……その瞬間、男の足が止まる。うっかり一歩、先に出てしまった。咄嗟に振り返ると、びゅっ、北風が吹き抜ける。手持ちのコートは、冬物ではない。襟を立てれば、多少はマシになるだろうか。肩を怒らせながらコートの前を合わせた。まるで自分を、抱きしめるみたいに。
「―― 好きだよ」
馴染んだ低音が、鼓膜に届く。続けて、ふわり、ムスクが香った。バイク屋をしている時には、一切嗅いだことのない匂い。けれど、日曜日の夜になると、ドラケンが纏っている匂い。
「好きだよ、三ツ谷のこと」
今度は、耳のすぐ真横で声がする。熱を孕んだ吐息だって、そこにかかった。
鼻先が、男の肩に擦れる。交差するように持ってきていた両腕は、そいつと自分との胴体に挟まれていた。腰の辺りに男の手がやんわりと触れているのだって、気のせいじゃあない。
あれ、俺、今、ドラケンに抱きしめられて、る。
「でも、無理」
そのままの距離で、聞き馴染んだ言葉を囁かれた。かといって、淡々とした響きではない。冷たい言葉のはずなのに、どこか甘くて、頭に染み込んできた。
「無理なんだよ、三ツ谷は」
重ねるようにして、穏やかな音を繰り返される。耳の奥が、じんと熱くて仕方なかった。心を浮つかせたらいいのか、沈ませたらいいのかわからない。
「どう、ぃう、」
縋るように見上げると、解かれたままの髪が風で靡いた。さらりと泳ぐ黒髪の向こうに、曖昧な笑みが乗る。よく見ると厚みのある唇は、やっぱり穏やかに「今日は帰ろっか」と紡いだ。