二
ん、と差し出された缶を開けると、ふわりと麦の香りがした。発泡酒ではない、正しく麦酒の匂い。縁に口を付ければ、すぐにアルコールの甘さもやってくる。強めの炭酸が小気味よく弾け、喉越しはまあ心地良かった。おかげで、あっという間に缶は軽くなってしまう。
「ぷは!」
理性を総動員して口を離し、その勢いのまま缶の底でテーブルを叩いた。ガンッと、思いのほか大きな音が響く。テーブルを挟んだ正面で胡坐を掻いている男は、こちらを見ながら目を丸くしていた。どうしてそんな意外そうな顔をするんだろう。脳内に疑問符が浮かぶ。……そういえば、こいつとサシで飲んだこと、ほとんどないな。大体、仲間内での飲み会だ。そういう場所での自分と言えば、どうやったって介抱役に周りがち。今みたいに、煽るような飲み方、滅多にしない。だからか。オマエ、そんな飲み方するんだな、という顔をされるのにも納得がいく。
今更ながら、ちょっと恥ずかしくなってきた。できれば、こいつに醜態は晒したくない。気を付けよう。まして、ドラケンは素面。明日も仕事だから、と麦酒の代わりに赤いラベルの炭酸水を飲んでいた。一応、「家主が飲まないのに、飲めるかよ」と、主張はした。しかし、「飲めよ、その方が口も軽くなるだろ」という甘言に流され、飲むに至っている。
「で?」
「ん?」
「何があったんだよ」
「ウ……」
「ま、言いたくないなら、それでも良いけど」
三ツ谷とサシで飲むの、新鮮だし。そう付け足したドラケンは、口元を穏やかに緩ませながら炭酸水のボトルを煽った。おかげで、喉仏が曝け出される。しっかりと太い首に浮かぶ筋。飲み下すのに合わせて上下するソレは、どう眺めても色気を纏っていた。
頬杖をつきながら、その様をまじまじと見つめてしまう。不埒に歪みかけた口元は、そっと指で隠しておいた。良い男、だよなあ。この体躯に、あの面倒見の良さ。きっと、引く手数多。あの実家を出る時も、泣いて引き留めようとしたコがいたって聞いた。
放っておけるわけねーよな。こんな色男のこと。
「なに?」
「え」
「すげー見るじゃん」
「ん、んん……、カッコいいなあと思って」
「ふ、突然なに、褒めてもなんも出ねーぞ」
「別にそんなんじゃないし、なんか、ぶわーっとそう思っただけ」
「ほんとかよ、もう一本飲む?」
「あはは、出るモンあるんじゃん」
くつくつと笑いながら、そいつは部屋の隅にある冷蔵庫へ膝立ちで移動する。ワンルームだが、手狭な印象はない。それくらい、ドラケンの家は物が少なかった。洗練されている、と言えば良いのだろうか。ぐるりと見渡したところで、存在感があるのは、今寄り掛かっているベッドと、一人用の冷蔵庫、それにぎゅうぎゅうに写真を貼り付けたコルクボードくらい。小さなラックこそあれ、オレの部屋のように雑然とした棚なんてものはない。こういう部屋をさらっと作れるの、カッコいいよな。あちこちにぶち撒ける習性がある自分じゃ、とてもできない。
ちび、と小さく麦酒を啜っていると、振り返ったそいつと目が合った。右手には酒のアルミ缶。左手にはあたりめの袋を持っていた。あんな雑な褒め方でつまみも出してくれるのかよ。
「そういやさ」
「んー?」
「フツーに座ってるけど、大丈夫なの、ケツ」
差し出された缶ビールを受け取ると、ドラケンはあたりめの袋をバリっと開く。骨ばった指先は、早速その中身を取り出して、口に運んだ。
あれ、ドラケンって夕飯食ったのか。店で済ませたのなら良いのだが、道中のあの口振りじゃ、ちゃんと食ったのか疑わしい。まさか、炭酸水とするめで済ます気か? 冷蔵庫の中身次第にはなるけれど、腹に程よく溜まるもの作るよ、オレ。思いはするものの、酒でふわふわとし始めたからか、言葉にするには至らない。
「……けつ、」
「そ、ケツ」
「座布団あるから割と平気。つーか、バイクに比べたらどこも天国なんだよなあ」
「ンッ……、ふふ、ふふふふ、さっきのオマエ、ひっどかったよなあ」
「うるせー」
「降りようとしてあんな転ぶとか」
「うるせーうるせー、かっ飛ばしやがったせいで振動ヤバかったンだよ」
「はは、ごめんなー」
「誠意ゼロじゃん」
はあ、とため息を吐いてから、もそりと姿勢を変えた。といっても、正座の具合を少し動かしただけ。
じんわりと、臀部は熱を持っている。これでもマシになった方だ。バイクに揺すられているときは、本当にどうしようかと思った。びりびりびりびり、痺れっぱなし。腰を浮かすわけにもいかないから、耐えるしかなくて、結果、駐車場に着くと同時に車体から転がり落ちた。唯一の救いがあったとすれば、疚しい方向に煽られなかったことくらい。
もし、あの場で誘いを断れていたら、臀部の痛みはここまで悪化しなかったろう。そして今頃、自宅で愛用している玩具に慰めてもらっていたに違いない。あんあん喘いでさ、好きなとこ小突いてさ。……いや、やめよう、そういう妄想はダメだ。ここは人の家。しかも、酒が入っている。うっかり、ディルドオナニーしたいと口走ってはいけない。
「……」
それは、それとして、だ。
思い出した鬱憤を、ぶちまけてしまいたい自分もいる。なんせ、この男、聞いてくれると言ったのだ。確かに、言った。なんなら今も「言うならどうぞ」という顔をしてくれている。
問題は、どう話すかだ。オブラートに包まず話せれば、楽なんだろう。でも、それじゃあ「ディルドオナニーしたいです」というも同義。そこまで具体的にぶちまけたいわけじゃない。ぐるぐると丁度いい言葉を探してみるが、どうも見つからない。う、うう、と呻いているうちに、頬杖をしていた手から顎がずり落ちた。腕を伝うようにして、ずるずると顔はテーブルの天板に向き合う。ごつん、ついには額がぶつかった。
「そんな言いにくい?」
「言いにくい、……まあ、そうだね。そのまま言ったら、ドン引かれると思ってる」
「あー、―― ペニバンつけたカノジョにスパンキングされたとか?」
「ぅげッホ……、ッ、~~はぁ!? そこまでえげつなくねえから!」
いや、そこまでえげつないか、えげつないかも、しれない、ような、気もする。
咄嗟に声を荒げてしまったが、正面にいる男は平然とした顔であたりめを噛んでいる。待て、まさかお前、その面でさっきの台詞を吐いたのか。確かに、声色も涼やかだった。にやにやとした笑いを伴うような、いたずらな調子には聞こえなかったし。
口を半開きにして呆気に取られている間も、そいつはむぐむぐと長さのあるソレを噛んでいる。徐々に口の中に収まっていき、全て飲み込んだというところで、次の一本を指でつまむ。短く切り揃えられた爪先から、ずるり、あたりめが覗いた。取り出されたそれは、自然な動きで宙を進む。
あれ、なんか、先っぽ、こっち向いてない?
「ムぐっ!?」
「食えば」
オレがハッとするやいなや、あたりめが口に突っ込まれた。喉奥まで一気に突っ込まれたわけではない。歯を掠めるくらいまで。ぱくり、と反射的に口を閉じると、つまんでいた指先はすぐに離れた。吐き出すわけにもいかず、仕方なしにむぐむぐと噛み締める。……美味いな、これ。程良い塩気と烏賊の旨味が口内に広がった。
「ん、む、……っのさ」
「ん?」
「オレ、女に犯されてそうに見える?」
「全然」
「……ならなんでああいうこと言うかな、すげー噎せたんだけど」
「んん、なんつーか、ケツが痛くて痔じゃないってなると、他に思いつかんかった」
「ああ、そういうこと……」
与えられたあたりめをきちんと飲み込んでから、もう一本、と袋に手を伸ばす。と、何が面白かったのか、またドラケンがオレの口元にあたりめを差し出してきた。はいはい、これを食えばいいのね。ばくッ、今度は噛みつくように口を閉じると、跳ねるように手が退いて行った。噛みながら正面を見やる。すんと凪いだ表情のそいつと視線が絡んだ。
睨み合いを始めて、一秒、二秒。お互いもごもごと口だけ動かしている様はシュールだな、と思ったところで三秒、四秒。どちらともなく口元が綻んで、七秒過ぎる頃には、ほとんど同時に笑い出していた。
「正直、ドラケンさ、どこまで気付いてる?」
「なにをだよ」
「惚けなくていいから」
「ん? んん~」
酔いが回ってきたせいだろうか、引かれる云々考えていたのが、馬鹿らしくなってくる。苛烈なことをしれっと言われたせいもるかもしれない。
この男が、煽ろうという意図ではなく、ああ言ったのだ。程度はあるにせよ、察していたっておかしくない。あからさまに事後という素振りはしていなかったつもりだが、見抜かれたかな。そもそも、こいつは風俗店で育ったんだった、そういう機微に敏感でも不思議じゃない。
ほら、言えよ、どこまで察してくれてるかに合わせて、オレも吐き出す範囲、決めるから。小首を傾げて続きを煽ると、ふいと一度視線を逸らされた。けれど、ほんの一瞬。すぐに戻ってきて、存外厚みのある唇が開く。
「あの通りさ、ラブホあるじゃん」
「あるね」
「んで、オマエ乗せた時、そういうとこのシャンプーの匂いしたし」
「……うん」
「バイク降りた時の千鳥足が、予定外の責め方されたヘルス嬢に似てた」
「……ぅん、んんん」
「なにより、さっきからオレを見る目が妙にエロい」
「あ~、オッケーわかったもういい」
「いきなり、カレシ、って聞いて、変にビビられるのもなーと思ったからああ言った」
「もういいってばッ」
缶の底でテーブルを叩きながら抗議するも、男はどこ吹く風。なんなら、言い足りなさそうな表情をしている。惚けなくていい、なんて言わなきゃ良かった。そこまで覚られているなんて、誰も思わないだろう? 込み上げてきた羞恥もあって、カッカと顔がほてってくる。握りしめた缶を煽るが、二口で空になってしまった。八つ当たりのつもりでバキバキッと潰し、先ほど渡された方の缶を掴む。側面はひやりとしていて、微かに汗をかいていた。プルタブを開けずに頬にくっつけると、欲しかった冷たさが伝わってくる。赤らんだのも、引いてくれないだろうか。鏡がないから、確かめようがない。
「で、実際のとこどーなの」
「……」
それでも、ドラケンがオレをからかってくる様子はない。笑い話として扱われるのと、こういう風にちゃんと聞かれるの、自分はどちらが話しやすいのだろう。話しやすさを求めるなら、間違いなく前者だ。どうせネタになるのなら、そういうハナシとしてオチをつける。綺麗に笑えるだろ、ってなるように。けど、自分の腹の中で渦巻く鬱憤をどうにかしようというのなら、適切なのは後者。言ってしまった、という後悔が生じたとしても、誰かに聞いてもらうことで気が晴れることは少なくない。
缶を頬から離しつつ、仕方なく舌を動かした。
「……男引っかけて、抱かれてた」
「カレシ?」
「ちがうよ、セフレってわけでもない。行きずり」
「へえ」
プルタブに指を引っかけると、間もなくプシュッと炭酸の抜ける音がする。溢れてくる泡を啜るようにして、一口、二口。イッキという程でもないくらいに飲み下したところで、息を吐いた。
ちらりと男を盗み見るが、相変わらず表情の変化はない。不快も仰天も嘲笑もだ。いつもの、ドラケンの顔。しいて言えば、少し甘い。自分が身内と判定した奴にだけ見せる気安さを纏っている。
ああ、もう、全部話してしまいそう。むしろ、この男の態度を見ていると、洗いざらい吐き出すのが正しいかのように思えてくる。
再び麦酒を口に含んで、アルコールによる浮遊感がやってくるのを待つ。全て話すなんて、素面じゃできない。そんなオレに対して、こいつが素面というのは癪だけれど、酒を出して貰えただけ良いことにしよう。これから話すこと、全部酔っぱらっていたせいにしてしまえ。
「どらけん、」
「んー?」
「そこまで察してるんなら。……全部聞いてもらうワ、いいよな」
「おー吐け吐け、そういう話は聞き慣れてる」
やっとそいつはニッと笑って見せた。それでも嘲る気配はない。聞き慣れてる? そりゃあのコたちも、こんな風に聞いてくれるんなら話したくもなる。なんだよもう、本当に、良い男だな。
ゆっくりと深呼吸をしてから、よし、と口を開いた。
「オレね、ケツ掘られるのが好きなの」
「うん」
「それは野郎でもいいし、それこそペニバンつけた女の子でもいいから、ゲイってわけじゃないと思う」
「思う?」
「うん。恋愛しようと思って抱かれてるわけじゃないから、そこはわかんない」
あくまで、自分がしたいのはセックス。それも、自分の尻を弄り回されるタイプのもの。尻を弄ってくれと頼んで拒否られない相手を選んでいたら、野郎がほとんどだったというだけ。
ええと、どうしてこんな体になったんだっけ。確か、そう、かつて付き合った女性に前立腺を開発されたからだ。彼女が地元で就職する、と西の方に帰らなければ、まだ交際していたかもしれない。……遠距離を理由に別れたのだ、どちらにせよ、そう長く続かなかったか。
ちびちびと麦酒を飲み進めながらドラケンの様子を窺う。やはり、顔つきは、変わらない。適度に挟まれる相槌に、緩く向けられる目線。促されている気分になってきて、くるくると舌は動いていった。
「で、月イチくらいで、相手ひっかけてんだけどさ」
「そんなもんなんだ、頻度って」
「なに、もっとヤッてると思った?」
「正直」
「そこまでじゃないよ。すげー誰かに掘られたくなるのが月に一回くらいってだけ。普段はディルドで慰めてる」
「ふは、弄ってはいるんだ」
「そりゃね。もうそっち弄らないとオナニーになんないし」
あーあ、結局ディルドオナニーしてますって言っちゃった。それとなく頭を掠めるが、ドラケンの顔は相変わらず。行きずりの野郎共、少しは見習ってくれないかな。リップサービスの「ディルド使ってるからすぐ挿れていいよ」という強請りに、下卑た笑いを浮かべる男は少なくない。単に、オレがそういう男ばかり引き当てるだけ? なんだかなあ。
「話逸れた、オレの頻度はどうでもいいんだよ」
「ふぅん?」
「とにかくさあ、……ここしばらく、ずっとハズレなの!」
「アー、下手クソ続きってこと?」
「そう!」
今日何度目かになる、ガンッという缶の音が響いた。合わせて缶の飲み口から飛沫が跳ねる。これがジョッキだったら、水面が大袈裟に揺れていたことだろう。
「どいつもこいつも、パンパンパンパン、た~だ腰振ったくってきやがって。こちとらケツ叩かれて感じるシュミはしてねんだよ!」
「ん、ふふ」
勢いに任せて声を荒げると、ようやく男の顔が緩んだ。それでも、こちらを馬鹿にする色はない。本当にこの手の愚痴を聞きなれているのだろう、そういうことね、とどこか納得した表情を浮かべてすらいる。そんな話ばかり聞いて、ストレス溜まらないのかな。こいつ、良い男なんて評価には収まらない。できた男と称するのが、相応しい気がしてきた。
うっすら過った疑問をよそに、啖呵を切った口は止まることなく動き続ける。
「でもさあ、雰囲気とか、一応大事にしたいじゃん。だから喘ぐフリしてやるわけよ、マグロにならずに。そしたらあの野郎どうしたと思う?」
「ンン?」
「調子に乗りやがってさあ、バッツンバッツンすっげえ強さで腰打ち付けて来やがったの! 痛いんだよクソがッ、テメェが思うより直腸は繊細に出来てるんです!」
「そもそも突っ込むとこじゃないしな」
「入れられて気持ちよくなれるんだから突っ込むとこだろ」
「そういうもん?」
「そういうものです」
「ちょいちょい敬語使うなよ、笑えてくる」
くつくつと喉で笑いながら、そいつは炭酸水を口に含む。肯定もしないが否定もしない。返ってくるのは、こちらが欲しい相槌と、話を促す合いの手ばかり。こいつの性分として、好き嫌いははっきりしているはずだが、嫌悪感は一切見えない。こんなことなら、もっと早くに愚痴を聞いてもらうんだった。……聞いてもらってどうする。吐き出してすっきりはしても、イイ相手と巡り合わなければ何も意味はない。
イイ相手。一体、どこに転がっているのだろう。声を掛ける場所を変えるべきか? けれど、一回限りの相手を探すだけなら、あのバーは都合が良い。他のところで声を掛けて、本気になられても困る。なんせ自分はセックスしたいだけであって、パートナーを見つけたいわけではないのだから。いや、体の相性が良くて、何回も抱かれる関係になればパートナーみたいなものか? 脳内のメリーゴーランドがぐるぐると行きずり・セフレ・パートナーの三語を回っていく。
なんだか本当に酔って来たな。でなきゃ、頭の中にこんなファンシーなものが浮かぶわけがない。実はこの麦酒、アルコール度数高いとか言う? さっと缶の側面に視線を下ろすが、見慣れた数字にパーセントが添えらえている。単に自分が疲れているだけらしい。
「オマエよくそれで痔にならずに済んでるな」
「え? ああ、うーん、頻度上げたらまずいと思うよ」
「やっぱり?」
「こんなに下手くそ続きじゃね。次は上手い人に当たらないかなあ」
「上手い人ねえ」
「うん。せめて丁寧な人がいい……」
「ふぅん?」
いっそ、無遠慮に腰を叩きつけてこないなら、とまで思ってしまう。激しく揺さぶられるだけで善がれるなんて幻想だ。そりゃあ、前もってしつこく解されて、待ちに待った激しさだったら気持ちが良いかもしれない。だいぶ前だけど、あったな、そんなこと。散々焦らされてから、縁が捲れそうになるまで激しくされたっけ。あれは良かったし、トんだ覚えもある。
さておき、ただ腰を振りたくるしか脳がない奴はもう嫌だ。早く、と煽ってしまう自分を律して、丁寧にしてくれそうな人を探そう。そうしよう。……それで短小だったら、また悪態を吐きそうだ。結局欲深い自分にため息を吐いてしまう。
「じゃあさあ」
「んー?」
のんびりとした声に顔を上げると、そいつはがじりとつまみを噛んだところだった。視線が重なると、なぜかそいつの片眉だけ持ち上がる。軽く喉が上下してから、唇は緩やかな弧を描いた。
ぞ、わり。背筋を、痺れが走った。
ここで、感じたくはないな、という種類の、痺れが、だ。
「―― オレとかどお」
「は?」
何、言ってんの。ぽつりと続けてみるものの、男の表情は崩れない。本当に、表情がなかなか変わらない奴だ。そんなんだから、わかりにくいとか、とっつきにくいって言われるんだよ。新規の客、ちゃんと捉まえてるんだろうな。ツテで頼ってくるお得意サマがいるから十分って思ってる? 商売する気あんのか。
はくん、息を呑むと、ゆっくりとドラケンは首を傾げて見せる。
「どお?」
「……素面で、言っていい冗談じゃないよ、ソレ。真に受けてやろうか」
「上手いかはわかんねーけど、丁寧な方だと思うよ」
「アピってくんじゃねえ」
「あーんな目、向けてくんだからさ、オレにでも欲情はできるんだろ」
「で、き……」
ない、と、断言できない自分が恨めしい。
じっと見つめられていると、確かに腹の奥は燻ぶってくる。合わせて、勝手に頭は、目の前の男を大真面目に値踏みし始めた。
体格・良し。声・良し。顔・見知った顔だから良いか悪いか判断に困る。首筋・一〇〇点。手指・一二〇点。ナニ・……記憶の萎えてるアレは、まあ、ウン、すごい、花丸。
イイ、男なん、だよなあ。
こくりと口内に溜まった唾を飲み下すと、いっそうそいつの笑みは深くなった。じんじんする臀部の熱が、別の物にとって代わりそう。しかもここはドラケンの家。こいつの、テリトリーの中。いざ押し倒されたら、自分は抵抗できないのでは。……ちがうな、抵抗、しなさそう、だ。
ぎゅっと麦酒缶を握りしめた。その表面は、かろうじてまだ冷たい。おかげで、混乱した理性がハッとする。流されるな、たぶんこれは、そう、酔っ払いだと思ってからかってきているだけ。あと、久々に人から誘われて、クラクラしているだけ。期待してんじゃねえ。首を振って、どうにか邪念を追い払う。
「いや、いや、ナイ。ナイって」
「ほんとに?」
「わ」
にもかかわらず、そいつときたら、思わせぶりに手を触れてくる。左手だけ連れていかれて、きゅ、と指を組まされた。ついさっき、一二〇点を付けたそれらは、控えめな力で絡みついてくる。軽く手首を捻りさえすれば、その手は振りほどけるだろう。けれど、伝ってくる体温が妙に心地よくて、なかなか動作に踏み切れない。
一旦首を縦に戻したドラケンは、こてん、今度は逆側に傾げて見せた。
「だめ?」
「ぁ」
だめじゃない。と、喉元まで、込み上げてきた。あとはもう、音を舌に乗せるだけ。そしたら、どうなる? 貪って、もらえる? こいつが申告してきたとおりに、丁寧に責め立ててもらえるのか?
きゅん、確かに、腹の奥が震えた。
「ッやめろよ、ほんとにえっちしたくなっちゃうじゃん……」
そう呻きながらも、左手ではぎゅっと男の手を握り返している。オレは一体どうしたいんだろう。自分で自分がわからない。前後不覚になるまで蕩けさせてほしいと思う一方で、コレはダチに頼むことじゃないと理性が情欲を捻じ伏せている。ゴロゴロと、脳内ではマウントの取り合いだ。
おそらく、酷く情けない顔をしているのだろう。真っ赤になってたっておかしくない。飲みの席じゃあへらっと白い顔をしている自分が、ドラケンにとってはさぞ珍しかろう。案の定、そいつの目はわずかに見開かれる。うう、その黒い目で、まじまじと眺めてこないでほしい。不埒な思考が優勢になってしまいそう。
「なっちゃっていーよ」
「え」
おもむろに、ドラケンは腰を浮かせる。しかし、手は繋いだまま。大きくはない座卓だ、三秒そこらで、そいつはオレの隣に来てしまう。座布団のない床にどっかりと胡坐を掻いた。それでもやっぱり、手は、離れない。逃がさないとでも、言われているかのようだった。
「ほ、ほんとにする、の」
「ん? ちょっとだけな、明日早いし」
「あ、そう、へえ」
納得しかけた途端、体が後ろのベッドに乗り上がった。天井から降ってくる灯りが眩しい。う、と目を細めると、その視界の中央にするりとドラケンが入り込む。
オレ、押し倒された? 逆光で影になった男を眺めつつ、あんぐりと口を開けてしまう。なんだこいつ、手際良いな。オレがどうこう言えたことではないが、こいつ、遊び慣れているのか。……まさか。ドラケンの浮いた話なんて聞いたことない。
明後日に思考が走らせていると、ヒュッと下半身が冷たくなる。ついでに、体をひっくり返された。ひりつく臀部が、空気に冷やされる。あ、ちょっと、楽かも。いや、違う、なぜ尻を剥き出しにされているんだ。この男、押し倒すだけじゃなく、服引ん剥くのも上手いのかよ。経験人数何人だこの野郎。
「うーわ、マジで真っ赤じゃん」
「あぁあ見るなよ!?」
「いったそー」
「痛いよ、痛いってば、触るなよ!?」
「フリ?」
「じゃねぇんだよ、ぅ、ァ」
そっと、男の指先が臀部に触れる。つ、と赤くなった部分をなぞられて、背筋に嫌な電流が走った。まずい。痛いのに、疼く。尻たぶを横に開かれたくなってくる。そのまま、柔らかくなっている秘部に指を突き立ててほしい。できれば、焦らすみたいにゆっくり暴いてほしい。アルコールの浮遊感と、柔らかな布団の感触とに包まれながら、確かに頭は熱欲に流されていく。
かろうじて残った理性でもって、どうにか肩越しに男を振り返った。正気か、オマエ。本当に良いのか。体を預けて、良いのか。ここまでされたら、本気にするぞ。それこそ、真に受けてやる。勃たなかったら、ただじゃおかねえ。
そんな笑えるほど繊細な不安は、向けられた甘い笑みによって、瞬く間に霧散した。
「痛くはしないから、安心しろよ」