突然飲むぞと言い出すのは大抵一虎。対照的に、念入りな日程調整からやってくれるのは千冬の方。
 今回は千冬が音頭を取ったおかげで、出席率は良いと聞いていた。案の定、いつもの飲み屋の扉を開けると、馴染みの騒ぎ声が飛んで来る。飛んで来るほど、騒いでいる。
 ヤー、騒がしくしてスンマセンね。目が合った店主に一つ会釈をすると構わないと苦笑を返された。
 この調子だと、素面なのは今から参加する自分達ぐらいのもんだろう。幹事ということで、千冬がセーブ出来ていればいいのだが。
「あ、ふたりともやっときたんすね! まってまひたよお」
「ぐだっぐだじゃねえか」
「うーわー」
 期待は秒で消し飛んだ。
 こちらを振り返った千冬の顔は見事に真っ赤。呂律も怪しい。隣にいるタケミっちもだらしなく緩んだ顔を露わにしながら手を振ってきた。
 顔を顰めたイヌピーは目が合った酔っ払いコンビの手を潜って、酒のグラスを水のそれと入れ替える。このまま飲まれたら吐かれる。そう確信している手付きだ。実際、イヌピーは何度も吐かれたことがあるし、介抱している。今日こそ、吐かれて堪るか。げんなりとした表情からは、世知辛い決心が漂ってくる。
 よれよれの二人を任せて、ざっと辺りを見渡した。どいつもこいつも酔ってはいるがひとまず潰れてはいない。比較的素面なのは誰だろうか。酔っ払いの支離滅裂な話を聞かせられるよりかは、ある程度の意思疎通を図りたい。
「だぁからテメーはいい加減妥協しろッ」
「やだよ、もっといい部屋隠してんだろ」
「隠してねーワ、全開示だっつの!」
「お」
 おもむろに、奥からドスの聞いた声が飛んでくる。酔いに任せたものではない。素で、そういう声なのだ。
 声に引かれるまま目線を向ければ、ひたすらに箸を動かしているパーと誰かの胸倉を掴んでいるペーがいた。喧嘩か? じゃれ合いか? どっちでもいい、あの輪に混ざろう。
 ビールだけ頼んでから、出来上がった連中の間を通り抜けていく。二、三人蹴っ飛ばしたが、あの酩酊ぶりを思うと、オレに蹴られたなど気付きはしないだろう。
「よう」
「お、遅かったなドラケン」
「常連と話し込んじまって」
 どっかりとパーの隣に腰を下ろしながら声をかけた。相変わらず恰幅の良いそいつは、頼むより先につまみの皿をこちらに寄せてくる。まだビール届いてねえんだけど。でも食うだろ。食うけど。軽口を叩き合いながら、ふかふかの出汁巻を抓んで口に放り込んだ。
 あわせて、ぎゃあぎゃあと言い合っている奴らに目を向ける。今日のぺーは誰に噛みついているのやら。ガタイのいい二人の向こうにいるせいで、輪郭すら見えやしない。咀嚼を続けながら、どうにか覗き込もうと体を傾けた。
「……三ツ谷?」
「ん? おー、ワー、ドラケンじゃーん」
 そして、やっと見える、淡い色味の髪。伸びた前髪は、女児用と思しき兎のピンで留められている。妹の? まさか、もう中学とか高校に行ってる歳だ。そんないかにもガキっぽいもの、使っているとは思えない。
「なにそのピン」
「昔マナが使ってたやつ。可愛いだろ」
「オマエがつけてなかったらな」
「えーネコちゃんピンつけたいって? 仕方ねーなー」
「言ってねーワ」
「その垂れた一房、邪魔じゃね?」
「邪魔じゃねっつの、おいこっち来んな!」
 ドヤ顔で取り出されたピンの先には白い猫。……いや、違う、アレは猫じゃない。なんだあれ、鳥か?
 こちらの話は聞かない、言っていることと持っている物も一致しない。さてはこいつ、涼しい顔をしておきながら相当酔っていやがる。
 ずりずりと膝をつきながら近寄ってきた三ツ谷は、くふくふと上機嫌な笑みを浮かべている。さっと、先ほどまで三ツ谷に絡んでいた、もとい絡まれていたぺーを見やると、やっと解放されたと言わんばかりに息を吐いていた。
 失敗した、この輪に入るんじゃなかった。
 そうこうしているうちに三ツ谷の腕が伸びてくる。指先が髪に触れる。まずい。
 咄嗟に、そいつの緩んだ顔を突っぱねた。そのまま腕を伸ばしてしまえば、リーチの差もあって三ツ谷の手は届かない。せめてもの抵抗にぱたぱた腕を動かしているが、その動きもなんだか覚束なかった。
「なんでコイツこんな酔ってんだよ」
「ペーやんとゼロ次会したからじゃね?」
「オメーらの目玉は節穴かぁ? フリに決まってんだろ、フリに。久々にドラケンに会えてテンション狂ったんだよソイツ」
「ッンン」
 突っぱねていた体が、びくんと震えた。合わせて、すとんと両腕が下がる。視線を向けると、膝立ちだったはずの三ツ谷は畳の上に正座をしていた。下げた両手は、ちょこんと脚の上に乗っている。
 じり、と、額越しに熱が伝ってきた。
「三ツ谷」
「ッス」
「……そんなにオレに会いたかった?」
「会いっ、たいっ、て、いうか、……三年ぶりに声聞いたらテンション馬鹿んなった」
「……酔ってんなァ」
「あーあーごめん忘れて、忘れろ。クソ、一気に醒めた……」
 目を泳がせながら、三ツ谷はぱたぱたと自分の顔を手で仰ぐ。涼しげだった顔から一変、頬やら耳やらはすっかり赤くなっていた。
 三年ぶり。三年ぶりの、三ツ谷。言葉にされると、こちらにも実感がわいてくる。改めて手を伸ばして、わし、と形の良い頭を掴んだ。撫でた、とも言う。ゆったりと手を滑らせて、こめかみへ。指を髪の下に潜らせながら、とん、と、居るはずの龍を突いた。
 そこで、もう一本、ピンがついていることに気付く。耳の裏辺り。俯いた時に、髪が垂れてこないよう、ここも留めていたのだろう。感触から察するに、これは、おそらく、猫。
 に、と口角を持ち上げた。その瞬間、三ツ谷の体がギシリと強張る。
「で、このピン、なに?」
「……さっきも言ったろ、マナが昔使ってたやつ。わざわざピン買うの面倒で、ここしばらく使ってる」
 頬を引き攣らせながら、三ツ谷はそれとなく首を曲げる。オレの手から逃れたいのだろう。だったら、手を叩き落とすくらいすれば良いものを。赤面ぶりを思うに、頭が回っていないのかもしれない。
 ふーん。へーえ。
「可愛いじゃん」
「やめてくれ……」
「オマエがつけてるからだろーなー、こんな可愛いの」
「可愛くねえよ、成人男性がつけるもんじゃねえだろどう考えたって」
「んなことねーよ、可愛いって」
「さっきは可愛くねえって言ってたろうが!」
「前言撤回。可愛い」
「女子高生並に可愛い連呼すんな!?」
 ゲシュタルト崩壊するわ。そう言い放った三ツ谷は顔を覆いながら蹲ってしまった。ソレ、土下座っぽく見えるからやめたほう良いぜ。思うだけで言葉にはせず、ぽんぽんと柔らかな髪を撫でてやる。
「ドラケン、ビールきたぞ」
「おーサンキュ」
 そのうちに、頼んでいた酒がやってくる。撫でる手をあえて止めずに受け取って、手渡してくれたパーとグラスをぶつけ合う。続けてぺーとも。ガチン、と、硝子同士がぶつかる音が鳴る。
「やべえ寝そう」
「は?」
 じゃあ、蹲ってるこいつとも、と思ったところで、がばりと三ツ谷は体を起こした。先ほどまでの羞恥は微塵も残っていない。代わりに、曝け出された額に畳の痕がついていた。ピンで前髪を留めているから、よく見える。
「まだ八時だぜ?」
「そうなんだけど、最近ちょっと寝不足気味でさ」
「ちょっとじゃねぇだろ、よく来たよなァ、今日」
「オレぁてっきり、今日来ねえからぺーやんとゼロ次会したんだと思ってたぜ」
 額に線が刻まれたまま、三ツ谷は大きくあくびをする。目尻から涙が滲んだ。
 コイツの調子がおかしいのは、酒のせいというより寝不足のせいなのか。呆れた顔をする二人は「だから言っただろうが」と三ツ谷を小突いている。この三人には、なんらかの共通認識があるらしい。
「寝不足ってどうしたんだよ。時差ボケとか?」
「あー違う違う、帰ってきたの先月だし」
「は、言えよ」
「ごめんって。いやあ、こっち来てからめちゃくちゃ仕事立て込んでてさあ、余裕なくって。でも、家は探さないとだからパーちんに電話したら、」
 今日、飲み会があると知った。千冬が丁寧に調整したおかげで、参加率も非常に良いと聞いた。となれば、慣れないアプリを使って「帰国しました」と連絡するより、会ってしまったほうが早い。なにより、楽。そう判断して、ここに来た、と。
 鈍い動きをしながら三ツ谷は座っていたところからお猪口を持ってくる。卓上には空のグラスがずらりと並んでいた。寝不足の程度はわからないが、自覚がある状態でそれだけ飲んだら酔いも回るに決まっている。いくら酒に強いとはいえ、体調考えろよ。
 結局、他二人と似たような呆れた目をしてしまう。三ツ谷も目線に気付いたのだろう。はは、と乾いた笑い声が返ってきた。
「ほら、飲まねえとやってらんない時ってあるじゃん」
「わからなくもねーけど……」
 差し出されたお猪口に、軽くグラスを寄せる。と、こつんと、微かにぶつかった感触がした。この一、二分で、早くも白い泡はすり減り始めている。喉越しの良さが失せる前にと、ぐっと煽った。
「今それやるか?」
「仕事だけじゃなく家探しも上手くいかないんだぜ? 飲むっきゃないだろ」
「まだその話引っ張んのかよ!」
 隣では、再びペーと三ツ谷の言い合いが始まる。ここでパーに言い寄るのではなく、ペーを相手にするのが三ツ谷らしい。こいつのことだ、いつかアトリエを探したときのように、あれこれ条件をつけているのだろう。その上、即入居できるところとなると、詳細を把握しているペーと直接とやり合ったほうが、確かに早い。
 あっという間に空になったグラスを置いて、箸を手に取った。
「コレうめぇぞ」
「おー……、てか、三ツ谷から連絡あったんなら言えよ」
「オレのせいみたいに言うなよ。三ツ谷が言うなっつったんだ」
「はぁ?」
「家決まるまでは、帰ってきたこと知られたくない……、あれ独立するまでは、だった、か」
「ん? あいつ今どこに住んでんの、ウィークリーとか?」
「いや、えーっと、あれ、どこっつってたかな……」
 それとなくパーに尋ねてみるものの、返事はどれも曖昧だ。これから契約しようとしているのなら、どこに住んでいるかくらいわかっているものだと思ったのだが。……いや、とりあえず住所は実家で、実際は別のところに住んでいるということか?
 炒められた肉を口に放り込んで、今なお言い合う三ツ谷らに目を向けた。額の痕はだいぶ薄くなっている。おかげで、前髪にいる兎が目立って見えた。
 あの兎があるということは、実家には顔を出したのだろう。だが、思春期の妹が二人もいる家に住んでいるとは思えない。三ツ谷の性格を考えると、実家は選ばないだろう。職場に近いウィークリーマンションを借りるか、ホテル住まいか。最近は、ビジネスホテルの長期滞在プランも充実していると聞く。
 あとは、そうだな、節約しようとして職場に住み着いている可能性もなくはない。まったく、声を掛けてくれれば、泊めてやったのに。
 眺めている顔には、酔いの下に疲れが透けて見えた。
「もうほんっとにさあ、これ以上職場に居座れねえんだって!」
「知ったこっちゃねえよ、妥協しろや!」
「嫌だ!」
 ああ、嫌な予感は当たるものだ。職場な、職場に住んでんのな、オマエ。耳に入ってきた言い合いから言葉を拾うと、隣のパーがソレだと言わんばかりに手を叩いていた。
「……そんな厄介なのか、三ツ谷の条件って」
「うーん、そうでもねえと思う」
「そうでもなくねんだよッ、間取りが良くても家賃がダメ、家賃が良くても建築構造がダメ、どれもクリアしたと思ったらスーパーが遠いからナシ、斜め裏に寺があるから嫌だ、どれか妥協しろや!」
「どれも外せないんだって、なんとかなんねえ?」
「今すぐはならねえ、あと一か月待て」
「その一か月がさあ……、長ぇ」
「待てやコラッ」
 ドンッとぺーがテーブルを叩いたせいで、空になったグラスが揺れる。硝子のぶつかる不穏な音が響いた。
 コレ、下げちまったほうが良いな。繰り広げられる会話と関係のないことを考えていると、二杯目のビールがやってくる。ちょうどいい、ついでに持っていってもらおう。
 空のグラスは店員に渡し、半端に残った料理はパーが率先して「オレが食う」と言うので、そこに集める。そうやって、あらかたテーブルがすっきりしたところで、テーブル二つ挟んだところにいるイヌピーと目が合った。
 ドラケンも世話を焼く側なんじゃん。
 うるせえな、この面子で三ツ谷が酔っぱらってんだから仕方ねえだろうが。
 アイコンタクト一つでここまで言いたいことが伝わる・伝わってくるようになるなんて、店を始めた頃は想像もしなかった。仕事をしている最中なら便利なもんだが、こういうときに目で会話できてしまうのは、なんだか癪だ。つい、眉間に皺が寄ってしまう。
「せめてあと半年早けりゃなあ」
 そんな睨み合いは、パーのやたらとしみじみとした言葉でうやむやになった。つ、と視線を向ければ、既に集めたはずの料理はほとんどなくなっている。
「良い部屋あったの?」
「……おい、パーちん、そこはよお、」
 半年前だったら、三ツ谷の条件にあうところがあったのだろうか。ぺーにも心当たりがあるらしく、苦い顔を浮かべた。まるで、パーのそれが、失言だったかのよう。
 そんなにまずい内容なのだろうか。三ツ谷の言う条件に、完全に合致する部屋が、半年前にならあっただけだろう? ビールを口にしながら、もったいぶるなと続きを待つ。
―― ドラケンじゃなく、三ツ谷に紹介できたのになあ」
「ッオレの家かよ!」
 噎せるかと思った。強引に飲み下したせいで、変に喉が痛む。振り払うように声を荒げてみたが、じんじんとした痺れはすぐには消えてくれない。
 半年前。確かに、その頃引っ越しをした。パーのところで、契約した物件だ。とはいえ、三ツ谷のように慌ただしく頼んだわけではない。一、二年ほど前から、こういうところが空いたら教えてくれと言ってあったのだ。時間にゆとりさえあれば、パーのところは悪くない、むしろ、好条件なところを紹介してくれることで有名。それに乗っかって、見つけて、引っ越した。それだけなのだ。
 だから、間違っても、三ツ谷にじりじりと迫られる所以はない。
 数分前の、女児用のピンを手にしていたときとは異なる気迫を携えて、三ツ谷はにじり寄ってくる。こっち、来んな。先ほど同様に言ってやりたいところだが、あまりの切実な表情に突っぱねるのを躊躇してしまう。
「……バス・トイレ別」
 ぼそり、無表情になった三ツ谷が、呟いた。
「浴室乾燥機付き」
 淡々と吐き出される単語につられて、住んでおよそ半年の我が家を思い浮かべる。バス・トイレ。別だ。浴室乾燥機。そういえばそんなスイッチがついている。こくんと頷くと、さらに三ツ谷は迫ってきた。
「駐車スペース有り、玄関はおおむね三畳程度」
「バイクあっからな、どっちも、そう」
 自分が今乗っているのは大型バイク。よくあるバイク用の駐車スペースでは心もとない。それで探していたのが駐車場付きの物件。それから、バイク用品を置く、という兼ね合いで、玄関は広いところを考えていた。おかげで、便利に住めている。
 三ツ谷の口は止まらない。薄い唇から、早口気味に捲し立てられる。
「コンロ二口、調理台広め、収納スペース豊富で食洗器も設置可能」
「あー、……広ぇのは、確か。食洗器は置いてねえけど」
「で、2DKもしくは1LDKの間取り」
「あの間取りってナニ?」
「1LDK」
「家賃は」
 途中、ぺーに振ってみたものの、三ツ谷の矛先はオレから一分もずれない。それどころか、ぎゅ、と胸倉を掴まれてしまった。弱弱しい力を思うと、縋りつかれると言い換えても良いのかもしれない。
 静かにそいつを見下ろしながら、毎月引き落とされている家賃を口にした。共益費込みで、この額。
 途端、三ツ谷の口が、わなわなと震える。
「どらけん」
「んだよ」
「今すぐ引っ越す予定ない?」
 ある、と、言うわけあるか。
「ねえよ」
「だよなあ~」
 ぱっと胸元から離れた三ツ谷は、その場で胡坐を掻いた。頬杖を突きながら、自分だってそんなところに住んでいたら絶対に引っ越さないと唸っている。
 良いところを紹介してもらったとは思っていたが、三ツ谷が住みたい条件にここまで合致するとは。ぺーのあの顔は、そういうことか。なんなら、顔の渋さから察するに、三ツ谷がかろうじて妥協しうる点すらクリアしている可能性もある。
 やはり、この輪に入ったのは、間違いだったろうか。
「一か月ねぇ……」
 ぽそ、と零れた声は、誰の耳にも入らなかったらしい。三ツ谷は再びぺーに絡み出すし、無理だ・待てとぺーは言い返している。
 候補の家が空くのは一か月先。今は職場に住んでいるような状態で、これ以上居座るのは難しい。寝不足になっているのも、忙しいせいというより、落ち着かないところで寝ているからかもしれない。実家を頼る気もなく、今から別の仮住まいを探す余裕もなさそうだ。
 一か月、ね。
 もう一度、声には出さずに繰り返した。
「三ツ谷、」
「んん?」
 振り返ったそいつは、もう逼迫した雰囲気を纏っていない。少し疲れていて、適度に酔いが回っている、機嫌が良くも悪くもない顔。
―― ウチくるか」
「は」
 その顔が、呆気にとられた。
 最初から、こう言えば良かったのか。自分の中で納得がいく。
 声を掛けてくれれば? 三ツ谷の性格をよく思い出してみろ。誰かの負担になるようなことは避ける質だ。自分だけで完結するなら、それに越したことはない。何かを頼まれることは多く、引き受けることもほとんどだが、逆に三ツ谷から言い出すことは稀。さっきの「引っ越す予定ない?」だって、素面だったら言わなかったろう。
「一人泊めるくらいなんてことねーし、職場に泊まるよりはずっと良いだろ」
 ついでに、帰国したとすぐに言わなかったことへの意趣返しもしたかった。あれこれ理由をつけて、一人で頑張るのも良いけど、やりすぎは良くないだろ。頼れよ。こういうことを言うと、同僚たるイヌピーには「オマエが言う?」という顔をされるがそれはそれ。
 決めた、よろしく頼む、と三ツ谷が言うまで、引いてやらねえ。口説き落としてやる。
「や、悪いって」
「なんでオマエはドラケン相手になった途端謙虚になってんだ、オレにもしろ」
「オレとペーやんの仲じゃん」
「ハァアアア?」
 早速、三ツ谷は遠慮した物言いをする。酒が入っても、結局はこれだ。冗談で済ませられる範囲で煽りはするが、本気で踏み入っては来ない。ぺーに遠慮がないのは、付き合い云々というより、住まいがかかっているからだろう。でなきゃ、ここまで頑なにはなるまい。
 だとしても、オレとオマエの仲、という言葉を使われるのは少し癪だ。なんだよ、オレにも使えよ。逆に使ってやろうか。こめかみを軽く叩きながら言ったら、効きそうだ。具体的に何に効くのかは定かじゃないが。
 ひとまず、話を逸らしたそうにする三ツ谷を、じ、っと見つめた。自分の目付きじゃ、睨んでいるのと相違ない。だが、コイツのことだ、ビビりはしないだろう。
 思った通り、しばらく目線を泳がせてから、しおらしく口を開いた。
「あのさ……、マジで言ってる?」
「おー」
「一か月だぜ、一か月。一週間じゃなく」
「わかってるって」
「結構、長いと思うんだけど」
 そうだろうか。お互い働いているし、ずっと家にいるわけではない。顔を合わせるのは、朝と夜の数時間。誰かがそばにいると寝られない、という繊細さがないのは知っている。なにより、成人してから、やたらと月日が巡るのが早い。一か月? 長いもんか、すぐだろ、すぐ。
 とはいえ、こんな説明じゃ良しとしないだろう。
 一か月、三ツ谷が居ようと構わない。そう、伝えたほうが、良い。
「オマエなら良いっつってんの」
「ぅ」
「それこそ、―― オレと三ツ谷の仲だろ」
 閃いたばかりの言い回しをすれば、あからさまに三ツ谷はたじろいだ。こめかみを指差しはしなかったが、この言い方で意識しないほどコイツは鈍くない。
 三ツ谷の唇が波打つ。言い返す言葉を探しているのだろう。だが、開くには至らない。代わりに、目尻がほんのりと赤らむ。
 へえ、照れてんのか? 可愛いじゃん。その兎に見合ってるぜ。
 とは、言わず、もっともらしいことを並べていく。
「ああ、金のこと気にしてる? 家賃とか光熱費とか」
「そりゃ、する、だろ、ふつーに」
「別にいらねーよ。たった一か月分くらい、……つって、納得する質じゃねえよな、オマエ」
 現実問題として、考えなければならないのが金の話。がめつくはなりたくないが、生活するには不可欠なのも事実。なにより、こういう「ちゃんと考えている」という姿勢で、三ツ谷が揺らぐことを期待している。
「そーだなー……」
「ほら、金絡むと面倒だろ? 良いって、住むとこくらい、どうにかするし」
 そういうのは、どうにかの目途が立ってから言え。そう思ったのはオレだけではなかったらしく、恨み言を言うようにペーが吐いていた。おかげで、三ツ谷はぎくりと肩を震わせる。
 金をとる気はない。金の切れ目がなんとやらとは言うくらいだ、安くてもとるべきなのだろう。それでも、コイツから貰う気にはなれない。ならば、代わりに何をしてもらおう。オレが不得手で、三ツ谷が得意とすることが良い。
 掃除。掃除するほど物がねえから却下。
 愛機のメンテ。これはオレがやりたくてやってるからナシ。
 諸々の買い出し? 日用品は最近補充したし、他に入用の物は思いつかない。ああ、服を見繕ってもらうのはアリか。秋冬物、そろそろ買い替えたい。だが、それだけってのも、どうだろう。
 この他に、日々、必要になるものなんて、食い物しかない。
 ……コイツって、裁縫のほかに、料理もできるんだったか? いつだったか、できると言っていた、覚えがある。
「飯、」
「は」
 気付くと、口を開いていた。
「そうだ、飯作ってくんね。下手ではねえだろ、確か」
「人並みだと思うけど、いや、待てって、なんで話進んでんの」
「それでも気が済まねえんなら、食費ごと任すワ」
「ああ、それなら、……それ、な、ら? いや、ゥン、えぇ?」
 頷くまで、もう一押し。食費ごとと言ったのが良かったのだろう。
 こっちとしては、毎食作ってもらおうとは思っていない。都合がつくときに、作ってくれたらそれで十分。とはいえ、それを言ったら、割に合わないと抵抗されてしまう。なので、それを告げずに、もう一押しする。
「オレは自分じゃない誰かが作った飯が食いたい、オマエは一か月分の宿を探してる。良いじゃん、これで」
「え、ええ……、まじ?」
「不満か?」
「いや、だって、都合、良すぎ」
「裏はねえぞ」
 ないこたないが、少なくとも三ツ谷の不利益になることはない。むしろ、一週間くらい経ってから、もっとなんか言え・させろ・ただ住まわせんなと喚かれそうだ。
「どーする」
 返事を煽るように、肩を組んだ。オレが腕を回して引き寄せただけだから、抱くと言った方が正しいかもしれない。掴んだ肩は、記憶にあるソレよりなんだか頼りなかった。厚みがないというか、骨の感触がするというか。
 ほど近いところにある三ツ谷の目は、見開かれたまま。口ははくはくと開閉を繰り返している。良いって言え。よろしくって、言え。
 ぎゅ、と鼻先を抓みたくなる衝動を堪えて、その顔を見下ろした。
「……ほんとに、いいの?」
 当然だろ。自然と口角は吊り上がった。ニッと笑った自分の顔が、三ツ谷の黒目に映り込む。
「決まりな。来いよ、オレん家」
「ッス」
 そこでようやくこめかみを小突くと、照れ隠しを思わせるそっけない声が返ってきた。

 これが、オレと三ツ谷が同居するに至った経緯である。