「ん、ぅう……」
 微睡んでいた意識が浮上した。
 なんとなく瞼を開けると、ぼんやりと電気が点いている。明るさを極限まで落とした暗さ。しまった、電気をつけたまま寝てしまった。俺の電気代。エアコンといった暖房器具を一日中点けっぱなしにするのよりはマシと思うべきか、小さな積み重ねがあの明細書になるのだから気を付けようと思うべきか。
 ああ、やらかした。
 そう思いながら、寝返りを打った。
 ベッドシーツが体に擦れる。湿ったそれが、皮膚に纏わりついてくる感触。あれ、普段はもっとさらりとしているはずなのに。ついに漏らした? そんな馬鹿な。それでも、皮膚に触れる布地の感触が不快であることにかわりはない。落ち着かなくて、今度は逆側に寝返りを打ってみた。
「……は」
 ぼったりと、寝起きらしい掠れた声が零れ落ちた。
 体を包む寝具は、相変わらずじっとりとした湿り気を帯びている。さらに言えば、体中、どこもかしこも汗でべたついている。鼻孔を掠める匂いに、噎せ返りそうになるほど。
 というか、昨日、自分はいつ服を脱いだんだ。夜中に水を取りに行ったときは、寝間着のスエットをちゃんと着込んでいたと思うのだが。いつの間に、脱いだ。上も、下も、下着も。一枚たりとも、身につけてはいない。布団を被っている肩から、足先に至るまで、ダイレクトにシーツの感触がする。
 いや、そんなことよりも。
 そんなことも気がかりではあるが、比べ物にならない、衝撃が横たわっている。
「きた、さん?」
 ――覚醒した視界の先には、確かに、愛した人が寝息を立てていた。
 ずきり、頭が痛む。まさかこれも夢? 違う、現実だ。夢独特の、ふわふわとした感触は一切ない。これが夢だと言うのなら、自分は何を信じればいいのだ。
 体を起こせば、いっそう目は冴える。汗ばんだ体の不快さも、如実に感じられた。恐る恐る見下ろしたシーツは皺だらけ。よくわからない染みもあちこちにできている。布団の下、足元のほうでぐしゃぐしゃになっているタオルケットを確かめるのが怖い。あれもあれで、どろどろになっていそう。
 なにより、俺の隣で寝ているこの人だ。
 なぜまだ居る。あの熱烈な行為は、夢ではなかったというのか。そりゃあ、俺の都合に合わせてくれないな、とか、やけに生々しいな、とか、思うところはあったけれど。
 現実だった……?
 待て待て、俺が今、見ているコレが、現実じゃない可能性だってある。あの人に焦がれすぎて、ついに幻覚を見るようになったとか。イマジナリー・ボーイフレンド? ああ、いや、これはないわ、ない。俺みたいな超合金メンタルが幻覚なんて。
 ……見て、しまっているのだろうか。こういう場合、どうしたらいい。病院か。何科に行こう、脳神経のほうか、ああ、精神科か。心療内科でも良いのかもしれない。
「ン、ぅ……」
「ッ!?」
 明後日に飛びかけた意識が、一瞬にして引き戻された。抱えそうになっていた頭が、ぐるりと回る。隣に横たわっている、その人に、向く。
 ぴり、と神経を研ぎ澄ませて、鼻に抜けるような呻きに注意を払った。
 起きる、か。どうだろう。
 食い入るように見つめていれば、否が応ともその人のカラダに目線が行ってしまう。全身はくったりと弛緩している。上半身のあちらこちらには鬱血痕。寝顔からも疲れは見て取れる。目元はすっかり赤くなっているし、唇もなんだか腫れぼったい。なによりも、一糸纏わぬその姿から立ち上る、壮絶な色気。
「ぅ、すう……、」
 突然布団がめくれて、寒かったのだろう。寝息を立てながら、きゅうと体が丸くなる。角度が変わったからか、ツンと立った乳首がよく見えた。
 ゴクリ、気付くと唾を飲み下していた。今、何時だ。肩越しに振り返って、ヘッドボードにあるデジタル時計に視線を向ける。
 まだ午前五時前。アラームが鳴るのはいつも七時で、家を出るのは大体八時過ぎ。三時間。使える時間を頭にインプットしたところで、再び視線をその人に戻す。
 おそる、おそる。腕を伸ばした。
「すぅー……、ん、んん……、ん、すぅ」
「……」
 手始めに肩に触れる。寝ているからか、その表面は温かい。汗を掻いたあとで、べったりとしているのは自分と同じ。
 続いて腕、肘、手首と降りていく。俺より一回り小さな手は、なんだか乾燥しているようだった。滑らかさがまるで違う。かさかさとしていて、放っておいたら粉を吹いてしまいそう。しかも指先は深爪ときた。ささくれも多い。手が命の自分とすれば、信じられない有様。……けれど、その無頓着さは、かえってこの人らしい。
「ん、んぅ……」
「ぅ」
 ふと、寝息が途切れた。目覚めるか。触れていた手が、バッとその人から離れた。ドッドッと心臓は大きく脈打つ。
 見下ろしている先で、丸くなった背中がゆったりと伸びた。が、それも束の間、触れる空気の冷たさに、もぞもぞも身じろぎをする。眠りが浅くなっている。と、いうか、起きる寸前なのかもしれない。
 あれ、起きたらどうなるんやろ。
 ぽこりと浮かんだ疑問に、ヒュッと肝が縮んだ。俺も全裸、この人も全裸。ついでに、北さんは事後の倦怠感を全身で抱えている。
 なにより、夢と思っていたアレが現実だとすれば、相当な無体を働いたことになる。まずい。
 あの設定が真実だとすれば、この人は俺よりもずっと若いはず。タイムスリップ? なんてファンタジーだ。秘密裏にタイムマシンが発明されていたというのか。ありえない。が、この人がココにいるのも事実。
 かといって、万が一、タイムスリップ等ではなく、現代の北さんがすっとぼけているとしたら、なおのこと質が悪い。
 どうやってこの家に侵入したのだ。住所は教えていても、鍵は実家の連中にすら見せたことがない。ピッキングなんて巧妙なことをこの人ができるとも思えないし。
 つか、今のこの人をあんなふうに犯したとなっては、俺がまずい。いくら超合金メンタルでも、最強の矛である正論パンチで、ばっきばきに粉砕されてしまう。
 あかん、どないしよ。「両手を上げろ」の姿勢のまま、良案も浮かばずに凍り付く。
「んー、んぅ」
「ぅおッ」
「ん、ふぅ、すぅー……」
 そんな俺を余所に、その人はころんと寝返りを打つ。ちょうど俺に触れるか触れないか。それだけの距離のところに、うつ伏せになった。背中が、こちらを向く。くっきりと張り出た肩甲骨に、背骨に沿ってできた真っ直ぐな溝。バレーを離れて痩せだした体は、骨と皮、とまではいかないが、比較的ほっそりとしている。
「って、起きへんのかーい」
 ぽそ、とツッコミを入れてみると、返事は寝息でかえってきた。うつ伏せでもこれだけ寝入れるなんて。そりゃあ顔は横を向いているけれど、この姿勢は息苦しい印象がある。自分としては、苦しいから好きじゃない。マスクをつけたときのように、妙に息がしにくくなってしまうから。けれど、その類の圧迫感もこの人にとっては気にするものではないらしい。すよすよと、穏やかな寝息を立てている。
 かく、と、ハンズアップしていた腕から力が抜けた。緊張して損をした。この人が起きたときのことを考えれば、肩に力は入ってしまうけれど、少なくとも今から体を強張らせておく必要はない。脱力ついでに深いため息も吐き出した。
 どうしたものか。
 何が起きてしまったのか。
 大人になってしまった脳みそは、イレギュラーな展開に付いていけず、痛みを訴え始める。子どもの頃だったら、これは痛みじゃなく熱として現れていたことだろう。難しいことを考えられなくて、熱暴走。いっそのこと、今日もオーバーヒートできるのなら、そうなりたかった。
 もうわからん、こんなん知らん。どうせえと。いや、どうにもならん。ならんわ、アホ。
 そうバッサリと切り捨てられたら楽だったのに。一応、常識を手に入れた脳みそは、その人の背中を見下ろしながらぐるぐると思考を巡らせる。
 一、これは夢なのか現実なのか。
 二、なぜ、そのへんの女ではなく愛おしいこの人が隣に寝ているのか。
 三、そもそもこの人は、いつの時代の人であるのか。二通りの可能性を見出しているが、それ以外、というパターンも想定されうる。
 四、……この人は、昨晩の無体を覚えているのか。
 そして、五、覚えている場合、俺は一体どうされてしまうのか。
 パッと思いつくので計五つ。細かいところにも視点を当てれば、もっとたくさんの疑問が浮かんでくるのかもしれない。ひとまず、俺の脳みそのキャパシティが許すのは、大項目五つまで。それ以上を考えるのは、もうしばらく先で良い。
 はあ。本日二度目となるため息を吐き出してから、曝け出された背中に目線を向けた。
「……」
 肌は、白い。日に焼ける部分ではないから、この色がこの人の素肌の色なのだろう。傷は一つもないし、キスマークだって残っていない。どうやら、背中に痕は残さなかったらしい。
 正直言えば、わざわざ背中を向かせるだけの時間と余裕がなかった。正面から抱き合うのに必死で、後背位なんて、していられなかったのだ。
「えろかった、なあ……」
 しみじみとした呟きが漏れる。つい言葉にしてしまうくらい、あの痴態はすさまじかった。
 結局、この人がトんだ後も貪ってしまったし、途中意識が戻ってきて、泣かれたような気もする。が、そのまま強行、もう気持ちいい以外の何物もわからなくなったあたりで、俺の意識も途切れている。
 この人は、最後どうなっていただろう。もはや覚えていない。中途半端に意識が残っている状態で、俺だけが潰れた、なんてことになっていなきゃ良いけど。
 本当に、気持ちが良かった。
 ほんの数時間前まで味わっていた感触に、ずん、と腰が重くなる。目の奥のほう、頭と首の境目辺りがぼんやりとしてきた。あの快感を、また。ナカのふわふわに柔らかいのに、俺に吸い付いて追い詰めてくる、あの熱がほしい。
 駆られるままに、腕はその人の腰にかかった布団を退ける。
「ワ」
 必然的に、その人の下肢も曝け出された。上を向いた平らな尻。すっと入った割れ目の下のほう。……ねっとりとした白濁がこびりついていた。尻たぶを鷲掴めば、ごぽり、ぽっかりと開いた後孔からさらに精液が溢れてくる。
 俺、こんな出したん?
 暴力的な光景に頭が揺れる一方で、精通したばかりの中学生染みた自身の精力に眩暈がする。
 元来、俺はそれほど性欲が強くない。強くない、といのは言い方がよくないな。性欲へのこだわりは薄い、というのがきっと正しい。決まったタイミングでセックスをしなければ気が済まないような質ではないのだ。案外、別のことで発散できてしまい、欲求不満を抱えることなんて滅多にない。おかげで、この人と別れてからも、まあソコソコで生きてこられた。
 だが、これである。
 わしわしと尻を揉みながら、親指を縁に引っ掛けた。すると、また、どろり。白濁が伝い落ちてくる。
「っ、」
 気付くと、もう一方の手は、熱を持ち始めた自身に伸びていた。これだけ吐き出しておいて、たった数時間の休憩を挟んだらもう元気になるなんて。お前は一体どこにその持久力を隠していた。久々の北さんだったから本気を出してしまった? こんな本気、持ち主の俺も知らなかったというのに。
 輪にした指で数回扱けば、すっかり腹につくくらいにまで反り返る。覚えていないくらいに射精したあととは、とてもじゃないが思えない。
 俺、絶倫やったんか。頭の悪いことが思考を掠める。そういえば、片割れは性欲が強すぎて彼女に泣かれフラれたことがあるはず。そこまでヤるなんて、頭ン中お花畑かと笑い飛ばしていたが……、笑ってなどいられなかった。俺も結局、アレと同じ。癪だが、根底は、同じ。
 どう、するか。
 悩みながらも扱いていれば、切っ先からカウパーが滲み始める。蕩けたナカに入りたいと、脈を打ち始める。
 アホか、ここでこの人に突っ込んだら、俺ほんまにただの鬼畜やん。寝てるんやぞ。ここは起こさんようにして、そっと体を清めてやる。ついでにぐしょぐしょのベッドシーツだとかも取り換えて、すきっとしたところに横たわらせる。最後に、この人に通じる言い訳を必死に考えるのが、今できるベストだ。
 そうに決まっている。
「……」
 の、だが。
 俺の理性は、ヤりたいと叫ぶ感情を、いなしきれない。
 散々セックスに浸った体が動き出す。一旦、その人の尻から手を離し、膝立ちになった。
 指先についた精液を確かめて、一つ、ため息。……空気を吐き出しきると、堪らない欲が腹の底を渦巻き出した。したい、やりたい。その欲望のまま、うつ伏せになった肢体を跨ぐ。
 ゆっくりと前傾していきながら、そっと、切っ先を濡れた秘部に押し当てた。
「ンぅっ……」
「ふは、とろとろ」
「んっ、んん、ぁ」
 溢れた精液にもう熱はない。せいぜい、この人の体温を吸った程度。昂った己には冷たいくらい。
 しかし、その程度で竦むような俺ではない。滑るそこをぬっとりと掻い潜って、縁に亀頭を押し当てた。たちまち、ぷちゅぅ、と吸い付いてくる。さらには、熱を求めるようにヒクヒクと震えだす。
 入れたい。今すぐに入れて、思う存分に腰を打ち付けたい。
 だが、この人が目覚める寸前までたっぷりと焦らして、起きた瞬間に達するように責め立てたい気もする。
 この人には、なんだってやってみたい。後で怒られることになろうとも、いずれできなくなる可能性があるなら、やってしまいたい。
 さあ、どうしよう。何をしよう。
「ん、ふ」
「ぁぅ……、ぁ、ァあっ」
 意地悪く吸い付いてくる縁を弾くように切っ先をずらすと、切なげな喘ぎが聞こえてきた。尻を寄せてクチを見やれば、物欲し気に後孔がぱくぱくと開閉している。そんなにも、コレが離れるのが嫌だったのか。今度は、わざと孔を外して、尻の割れ目に沿って熱棒を擦りつけた。
「んっ、んん、ンゥう」
 ……これも嫌らしい。高いトーンの呻きをあげながらゆらゆらとその人は腰をくねらせる。横に、縦に、前後に、艶めかしく細い腰が揺れる。と、つん、割れ目からずれて陰茎が、縁に引っかかった。
「ぁ、あぁぅ……」
 あ、声色が変わった。試しに擦りつける動きを止めてみると、腰は上手く縁に切っ先が掠るように揺れ始めた、ぷちゅ、ぢゅぷ、吸い付いては離れ、またやらしく吸い付いて。こちらとしては、甘すぎて、じれったい刺激だが、向こうにとっては気持ちが良いらしい。呻いてばかりだった喘ぎが、熱っぽく蕩けだす。
 それでいて、目が覚めているふうではないのが不思議だ。頭は眠っているのに、体は俺を求めているなんて。
「ぁぁう、ぁ、」
「やーらし、そんな欲しいん?」
「ひ、んぁあっ、ア、ぁあっ」
 問いかけたところで、真っ当な返事がやってくることはない。わかっていても、つい、声を掛けてしまう。この人が、欲しくて堪らないだろう逸物を、ぐぷり、押し付けてしまう。
 ぐずぐずになった喘ぎを聞きながら、ぐずぐずに蕩けたナカを、割り開く。貪ってから、ろくに時間も経っていないおかげで、ほとんど抵抗なく、後孔は怒張を飲み込んでいった。剥き出しの亀頭はもちろん、張り出た雁首さえ難なく飲み込む。
 割り入った中は、昨晩に負けず劣らず熱かった。
 少し休んだおかげか、締め付けがわずかに強くなっている。締め付けることすらできなくなるくらい善がり狂って喘いでいたのと比べてだが。アレを思うと、コレが普通なのだろう。いや、普通でもないか、普通なら、そもそもこんなふうに俺を飲み込めるわけがない。
 あっという間に陰茎の半分まで入ってしまった。圧迫感に苦しむ声はしない。むしろ、その圧にすら善がっている。それなら、もっと圧をかけさせてもらってもいいだろうか? 腰を押し進めつつ、うつ伏せの体に覆いかぶさった。胸部に、その人の背中が触れる。両手もそれぞれを重ねるようにして掴まえた。
 ちゅ、迫った旋毛に一つキスを落として、肩口に顔を埋める。すん、息を吸い込めば、汗が混じった欲の匂いがした。
 ぐずぐずと、自身がその人の奥へと埋まっていく。
「んっ ぁあぅンッ、んん……」
「っは、ん」
「ぁ、ぅ……? ン……」
 この体勢、ええなあ。北さんのえっちな声、めっちゃ近くで聞ける。びく、びく、と震えるのも直接伝ってくるし、匂いだって強く感じられる。
 ぴったりと密着して、心臓の音や呼吸の音を逃すことなく拾えて。堪らなく、イイ。
「ぅン……、っは、ぁ?」
「ん、もう、ちょい」
「っぁ、えっなんなんコレ、ァっ、あ」
「ん? あらら、起きても、たッ」
「ヒぎゅっ!?」
 すると、ただの喘ぎではない、なんらかの意志を持った声が響く。ちら、と目線だけ持ち上げれば、真っ赤になった目が見えた。先ほどまでの、閉じていたソレではない。腫れていて、気怠そうではあるが、ちゃんと開いている。
 何をされているか、起きたばかりの頭はまだ理解できていない。たっぷりと犯されたのもあって、余計に頭が回らないのかも。……悪いが、そんなこの人に一から十まで説明してやれるほど、俺は親切でもない。まあ、するだけして羞恥に染まるこの人は見てみたい気もするけれど。話している間に、完全なる理性を取り戻されても困る。
 とりあえず、俺に潰されながら、気持ちくなりましょう。
 そんな念を込めて、グッと腰を叩きつけた。根元まで、ずっぷりと埋まる。その人の直腸に入り込む。
 切っ先に関しては、ごっちゅんと結腸の口を抉った。
「ぁっうそ、ァッ、あひ、あっ……、ぃヴ」
「あかん、動きます、動きたい」
「や、やめ、ぁっ、あ゛!?」
 目一杯の力でその人の手を握りながら、入れたばかりの腰を引く。ずろろろ、と、きつく纏わりついてくるのを強引にはがすような感触。この擦れるのも良い。
 けれど。
 間髪おかずに奥まで貫けば、大きく体を震わせながら熱を締め付けてくれた。これもまた、良い。
 ばちゅん、ばちゅん、と散々ナカに出した精液を潤滑剤にして、挿入出を繰り返す。そのペースも、繰り返しているうちに、速くなってきた。濡れる音ばかりだったところに、皮膚同士がぶつかる音も響き出す。
 ひっきりなしに上がる嬌声に、上がった息、甘イキしたことを知らせる震えが、余すことなくこちらに伝ってくる。
「あ、ぅ、ぁっあっ」
「ぁあ~。やば、きもちええ」
「ひグッも、もぉや、やめ、ア゛ッ」
「なんで、やめるとか、言わんといてくださぃ、よ」
「や、やぁああ」
 こっちの息も大分上がってきた。引いていた汗もすっかりぶり返してしまっている。エアコンをつけていない室内は寒いはずなのに、もうこんなにも、暑くて、熱い。
 叩きつける度に中はうねり、腰を引こうとすれば締め付けをきつくする。少しでも動きを緩めれば、もっとと下敷きにした腰は揺れる。
 しかし、俺の顔のそばにある口は随分と素直じゃないことを言う。体はこんなにも欲に正直なのに「やめろ」やら「いや」やら、目元を涙でしとどに濡らしながら主張してくる。そんな顔で抵抗されたら、こっちが悪いような気になるじゃないか。
 そりゃあ、寝込みを襲った時点で、九割九分俺が悪いのだが。
 でも、北さんだって、寝ぼけながら俺がほしいって腰揺らしてたやんか。せっかく入れてもらったのに、この状態で止めたら、あんたもキツイやろ。なんでそんなこと言うんですか。……訳を聞こうにも、このまま激しく揺さぶっていては、答えられえないか。
 仕方なしに、抜き差しのペースをがくんと落とした。たちまち、物足りないと腰がくねる。ぎゅうぎゅうと俺を締め付けてくる。ちょっと、あんたの言うとおりにした途端、コレ? まあええわ、話、聞かせてくださいよ。
 あやすように、諫めるように、唾液の乗った唇を啄んだ。
「ん、ちゅ」
「んぁ、あ゛っやあっ……」
「ちゅうすんの、いや?」
「いや、やない、ァんちゅ……、けどッひ」
「うん、む」
「んんンっ、ぁヒ、ァッ、あ゛ぅっ、やっ、ぃややあ」
 ちゅっ、ちゅっ、と何度もバードキスをしてみるが、口を離せば結局「いや」と言われてしまう。キスをするのは構わない。でも、激しいピストン運動はやめてほしい、ということか。おそらく、北さんの理性としては、そう言いたいのだろう。
 はぁ、と一呼吸吐き出してから、ちゅっ、再び唇を啄んだ。
「いや、言うても、な」
「ぁ、ひっぁっあぁっ」
「北さんの腰も、動いてますよ」
「ぅぁっ、あ、え…‥?」
「俺もね、ずぽずぽしてますけど、北さんももっともっとお~て、ゆらゆらしてはる」
「ぅ、え、うそ、ぁっあ゛ッ、ひゃ」
「もうほら、素直になりましょ、きもちよく、なりましょ?」
「ヒぎっ」
 ぐちゅんっ、と奥まではめ込んだ状態で数秒動きを止めれば、案の定、北さんの腰は艶めかしく揺れた。奥だって、ちゅぷちゅぷ亀頭に吸い付いてくる。侑がほしい、もっと気持ちよくなりたい。頭のどの部分がそういう指示を出しているのかはわからないが、少なくとも、この人の下肢は、完全に俺から与えられる快楽に溺れている。したい、やりたい、その欲に突き動かされた俺と、そう変わらない。
 俺に指摘されて、やっと気付いてくれたらしい。真っ赤な顔の、その瞳に、さっと羞恥が乗った。信じられない。だが、確かに自分で動いている。それをまざまざと味わってしまう。はく、濡れた唇が、空気を食んだ。ぼたり、大粒の涙が零れ落ちる。
 教えないほうが、良かったのかもしれない。ああ、でもこんな羞恥と愕然でいっぱいの顔を見るのも、悪くない、なんて。俺も大概、性格が悪い。
 か細く喘ぎを漏らす口をぱっくりと塞いでから、改めて手をしっかりと繋いだ。いきますよ。視線を伝える。だが、この期に及んで北さんは首を横に振った。いやや、ほとんど吐息だけで、訴えてくる。
 この強情。
 早く、熱に溺れてしまえ。
 ヒュッと息を吸い込んで、勢いよく肉棒を引き抜いた。
「あヒッ!?」
「ほ、らッ、きもちええ、やろ、」
「ぁッあ、あ゛ぎゅッ、やっあ゛」
「まだそんなこと、」
「アッ、あひ、ぅん、ンぁあ゛ッ」
 激しいピストンを再開すれば、すぐに甘ったるい喘ぎが響き出す。
 あわせて、その人の腰が浮いた。尻を突き出すような恰好。決して、俺がそうさせたわけではない。このほうが気持ちいいと、その人の体から動いたのだ。
 ほら、天邪鬼なことを言うのは、そろそろ止めにしましょうよ。
 気持ち良いやろ、嫌やないやろ。そう囁きながら腰を振りたくるも、蕩けた声の合間から「いや」が消えることはない。しぶといな。舌打ちをどうにか飲み込むと、押し潰していた体はがくがくと震えだす。ナカのうねりも、いっそう俺を搾り取るものに成り代わり始めた。
 もうそろそろか。
「っれ、るぅ」
「ん?」
 ふと、耳に馴染まない声がした。腰を打ち付ける動きはそのまま、北さんの唇に目を落とす。忙しなく喘いだり、息を吸い込んだりしたせいで、口の周りについた唾液は泡を作っていた。かすかに鼻水も垂れている。瞳からはもうずっと涙が零れているし、汗だって相当かいていることだ。はは、きったない顔。めっちゃ、そそる。
 無性にキスをしたくなって、わなわなと震えるそこに、唇を寄せた。
「もぉ、……っこわ、れ、る」
 唇が触れる瞬間、酷く、情けのない声がした。
「~~ッぁああァあ」
 かと思えば。
 押しつぶしていた体が、びくんと大きく跳ねた。同時に、入口から最奥まで、ぎちぎちと陰茎を締め付けられる。柔らかい腸壁がぴったりと皮に纏わりついて、ぐにゅぐにゅと扱くように蠢く。
「ッく、」
 また中に出してしまう。今更なことを過らせながら、そのまま深部で熱は弾けた。キツイ締め付けの中、どくどく、と何度目かわからない精を吐きつけた。
 密着しているせいで、心臓の音がよく聞こえる。自分の心音も早いが、伝ってくるその人の心音も逸っていた。繋いでいた手に、さらに力を込めて、その人の体を閉じ込める。
 長い、長いため息を吐いて、どうにか自身を引きずり出す。その擦れる感触すら障ったのか、痙攣のような震えに合わせてか細い喘ぎが聞こえた。
 深呼吸をすること三回、ぢゅぼっと萎えた陰茎を引き抜いたところで、ようやく体を起こした。
「ぁ、ぁー、ぁう、ぅぶ、う」
「……へ」
 膝立ちになると、ぐったりとしたその人の痴態がよく見える。何度も叩きつけたせいで、ほんのりと赤くなった尻。その中央から溢れる白濁。
 ――そして、局部の下あたり、ぐっしょりと濡れたシーツ。
「あ、っとぉ……?」
 白いとはいえ、下に敷いているベッドパッドが透けているから、部分的に濡れているのがよくわかる。
 漏らし、た?
 起きたばかりの頃に浮かんだ言葉が再び過るが、それにしても尿のあの匂いはしない。それ以前に、もし小便を漏らしたのなら、ベッドシーツは黄色くなっているはず。
 ひくり、頬が引き攣った。
 見下ろしている肢体は、未だにびくびくと震えている。息だって、当然乱れたまま。思い返せば、昨晩の時点で、この人は精液らしい精液はもう吐き出せなくなっていた。
「しお、ふい、た」
 言葉にした瞬間、うつ伏せの体がひくんと震えた。
 潮、噴いた。北さんが潮噴いた。
 俺に寝バックでガンガンに突かれて、イッたかと思ったらうつ伏せのまま潮を噴いた。軽く腰を浮かせていたときに噴いたのか、がっくりと今のように力が抜けてから噴いたものなのか、タイミングまではわからない。あんなに密着していたのに。女の子イキしたのに隠れて、気付くことができなかった。
 悔しいような、そこまで淫らに狂わせられて嬉しいような。
「ふ、」
 つい、笑いが込み上げてきた。
「ひ、ッぐ、」
「エッ」
 しかし、その笑いは一秒と続かなかった。
「ぅ、うぐ、っふ、く……、う」
「えっ、……えっ!?」
「あ、ぁあ」
「ぉぉおわ、えっ、マッ」
 聞こえてきた嗚咽に、事後のまろい余韻が消し飛ばされる。
 待ってくれ、泣かすつもりはなかった。語弊があるな、事後に泣かすつもりは、なかった。泣き顔は泣き顔で見たいけれど、どうせなら真っ最中にガン泣きしてほしい。さっきみたいに、後ろをガンガン突かれながら、顔をぐしゃぐしゃにしてくれるのは大歓迎。だが、終わった後、余韻に浸る間もなく泣かれるとなれば話は別。
 やりすぎた? でも北さんも気持ちが良さそうだったし。気持ち良い、の、限度を超えたのか。過ぎる快感は毒でしかない。かつて、まだ付き合っていた頃、何かの拍子に散々貪った後、掠れた声で言ってきたのを思い出す。
『頭、狂うかと思ったわ』
 その当時はなんて殺し文句、と思ったものだが、ああ、くそ、やらかした。
 ヒュッと肝を縮めながら、肩を掴んで泣きじゃくる体をひっくり返す。
「すっ、すんませッ」
「ひんッ」
「ッ」
 すると、また、北さんの体が震える。ぴくんと腰を浮かすようにして戦慄く。あわせて、緩く勃起していた切っ先から、ぷしゅ、透明な液体が零れた。
「……ア」
「あ、あーはは、また、ぴゅ、って」
「~~っぁあぁあああ」
「ごっ、ごめんな、アッすんませんっ! そんな、泣く、泣くんやめてえ!」
 咄嗟に肩を掴んで抱き起こすが、もはや何をされても気持ちが良いのだろう。びくびくと体を震わせながら、股を濡らしていく。もう、馬鹿になってしまっているのだろう。
 壊れるか。なるほど、これは確かに壊れている。もしかすると、あの主張をしている段階から、ぐしゅぐしゅと潮を噴いていたのかもしれない。
 すけべな体やなあ。労わりつつも、疚しさを抱えてしまうのを許してほしい。
「やらいうたのにぃい」
「んんん、そうっすね、言うてましたねッめっちゃ言うてた、ごめんなさい!?」
「んッ、ぁ、んぐぅッ」
 ぎゅっと抱きしめて背中を擦ってみるが、痙攣染みた震えは止まらない。いっそ触らないほうがこの人の体のためになる気がしてきたが、この状態で放置するのもなんだか嫌だ。
 早く落ち着いてくれないだろうか。あからさまな泣き声を聞いているというのに、この人の体の有様なせいで、またもや自身に熱が周りそう。
 ぴったりと抱きしめている手前、勃起なんてしたら、いっそうこの人は混乱して体を跳ね上げてしまうのではあるまいか。もう一回。……怒られる、では済まなそうだ。完全に縁を切られたら困る。
「っは、ぁ、ぁう……、ん」
 呼吸を整えながら、最近のチームのプレーに想いを馳せる。
 今や世界で最も美しいフォームと言われる左の大エース。その名を世界に轟かせた八面六臂の活躍で猛進する小さな巨人。高校から始めたと言うのに、トントン拍子で全日本にまで登りつめてきたシンデレラボーイたるブロッカー。……現時点でのコンビネーションでは俺のほうが精度が高いから、ということでピンチサーバーに収まっている、耽々と正セッターの座を狙う容赦のない後輩。そんな面々による現在の赤き龍神。前回大会では入賞こそすれども、メダルには届かなかった。ホームでやっと、その成績。次のパリで、あのメダルを手にするには。必要な要素は。速さは俺たちの武器となっているが、それだけで勝てるほど甘くもない。
 とん、とん、と背中を叩きながら、どうにか自分の意識を正面にいるその人から逸らした。
「す、ん……」
 とん、とん。泣き声が落ち着いてきても、もうしばらく、その背中を叩き続ける。盗み見るように横顔を見やれば、いっそう目を真っ赤にしたその人は、見事なまでに気を失っていた。泣き疲れたのか、犯され疲れたのか、何でもいいからとにかく現実から逃れたくなったのか。
 ずっしりと体にもたれかかってくる重さを受けとめながら、今日いちばんのため息を吐き出した。まったく、まだ早朝だというのに。
 ああ、焦った。
 ちらり、もう一度その人の顔を見やる。確かに、ここにいる。俺の腕の中にいる。まだ洗練され切っていない顔立ち、敏感で、受けとめられる快感の上限は記憶の中のあの人よりずっと低い、この人。夢のようだが、俺と付き合い始めた頃の、北さんが、いる。
 一体、何が起きているのだろう。
 軽いため息を吐き出してから、風呂場に行くべく弛緩した体を抱き上げた。

◇◆◇◆

 うわまっず。
 そう思いつつも、毎朝淹れてしまうインスタントコーヒー。せめて個包装になっているペーパードリップのものを買えば良いとわかってはいるのだが、いつもこの溶かすだけのインスタントを飲んでしまう。そもそも、昔はコーヒーを飲む習慣なんてなかったのに。一時、実業団でプレーしていた頃、挨拶回りやらなにやらにつれまわれているうちに、舌がこの苦さを覚えてしまった。
 それからというもの、家で飲む水分といえば、水か、このくそ不味いコーヒーに落ち着いている。そりゃあ、あの人と付き合っていた頃は緑茶も飲んだものだけれど。別れてから、お茶には縁遠くなってしまった。
 はあ。別れてから、か。
 最後の一口を飲み込んで、買い置きしていたバナナを引っ掴む。皮を剥いたソレをもそりと噛み締めながら、寝室のほうを見やった。
 体は清めた。運よく新品の下着があったからそれを履かせて、でかいのを承知でスエットも着せておいた。気を失ったままのその人をソファに寝かせ、次はベッドの片付け。案の定、丸まっていたタオルケットもドロドロになっていたため、布団本体以外はすべて洗濯機に放り込んだ。布団だけは、カバーを取り換えるしかできなかったが、あの中の綿にまで被害が出ていたらどうしたらいいのだろう。干して済めばいいのだが。まあ、今後のことはさておき、清潔になった寝床にあの人の体を横たわらせた。
 それが大体、七時のこと。
 あれから一時間近く経つが、あの人が目覚める様子はない。
 皮だけになったバナナをぽいとゴミ箱に放り投げ、重たい脚を寝室に向ける。まだ、起きないのだろうか。そろそろ行かないと時間がまずい。だが、眠ったままのあの人に何の声もかけずに行くのも不安。
 ……こんなことなら、朝っぱらから盛るんじゃなかった。自己嫌悪しようにも手遅れだ。やってしまったことは、どうやったって変えられないのだから。
 どうしよう、いっそのこと今日は休んでしまおうか。……プロが、それでいいのだろうか。やらなければならないことは、山のようにある。ボールに触る時間は、できるだけ、削りたくない。
「はー……」
 今日だけで何度目かわからないため息を吐きながら、寝室の扉を開けた。
「あ」
「っ」
 カーテンを閉め切ったままの寝室に、人影が浮かんでいる。上体を起こした姿。北さん、起きたんか。良かった。
 ほっと胸をなでおろしつつも、俺の声を聞いた瞬間に跳ねた肩に、不穏が走る。まだ、体に響くのだろうか。それとも、単純に怖がらせたからか。あんなことをした後だ、いくら北さんでもビビったっておかしくはない。
 まずは、そう、謝ろう。やらかしたのは俺。あの人の制止を無視して、強引にコトを進めたのも、俺。身なりを綺麗に整えたからって、許されることじゃない。むしろ、後処理くらい、やって当然だ。あっちの体に負荷をかけたのは、こちらなのだから。
 どくどくと、緊張で心臓が騒ぐ。落ち着け、そこまで震える場面ではない。試合中の強心臓が聞いてあきれる。とん、とんと自分の胸を二、三度叩いてから、ゆっくりとベッドへと歩み寄った。
「あー。の、昨日は」
「ぅ」
 すとん、ベッドの端に腰を下ろすと、再び北さんの肩が跳ねた。やはり、俺の声に反応している。感じるからやめてほしい、と言われたら、どうしよう。筆談でもするか。なにかメモ帳などの紙、あったろうか。待て、スマホで事足りるか。
 思考を巡らせながらも、ひとまず唇を引き結んだ。何かするにしても、この人の考えを聞いてからだ。咎めるような目つきにならないよう気を付けながら、じ、と、上体を起こしたその人を見やる。
「ぁ、と」
 小さく、その人が声を零した。随分と掠れてしまっている。嗄れて、いる。あれだけ泣き叫ばせたのだ、声が出るだけ良いほう。まったく、無体を働くにも、程度というものがあるだろう?
 泣きすぎたせいで、瞼はすっかり腫れている。目を開けているだけで痛々しいくらい。タオル、持ってくれば良かった。水で濡らして、冷やしたやつ。それを瞼の上に乗せるだけでも、少しは楽になるだろうに。……今からでも遅くないか、取ってくるか。
 思い立つと同時に、腰を浮かせた。
「ぁ、まっ」
「え?」
「うッ」
「……タオル、取ってこよかと思ったんです。目ぇ、真っ赤やから」
 伸びてきた手にやんわりと触れながら答えると、控えめに指先を握り返された。きゅ。その、微かな力が籠められると共に、その人とやっと視線が合う。今にも潤んで、蕩けてしまいそうな目。凛とした装いは、今は鳴りを潜め、熟れた熱を抱え込んでいる。
 正直、あまり見つめ合っていたくはない、な。収まった欲が掻き立てられそうで、落ち着かない。
 怯えられないよう、ただの呼吸に交えて熱され出した空気を吐き出し、浮かせた腰をベッドに戻した。さすがに、握られた手を振り払ってまで、立ち去ることはできない。……とはいえ、時間が迫ってきているのも、事実。
 ぽや、と呆けているその人を見つめながら、ふにゃり、頬を緩ませた。
「とりあえず、休んでてください。俺、仕事行かなあかんから、……夜、ちゃんと、整理しましょ」
 努めて優しく話しかけると、指先からするりと力が抜ける。わかった、という意味か、それとも、単に掴んでいるのが疲れただけなのか。どちらにせよ、俺の話を聞いて手を離してくれたことにかわりはない。
 掴まれていた手をそのまま北さんの頭に伸ばし、ぽすん、洗いたての髪を撫でた。寝ていたからドライヤーはかけられなかったけれど、代わりにタオルでしっかりと水気はとっておいた。それでも、どうしても湿り気は残っている。寝ているし、なんて理由をつけず、ちゃんと乾かしてやれば良かったかな。次は気を付けよう。次が、あればの話だが。
「飯は一応冷蔵庫に突っ込んどきました。食えそうなら食ってください。あっちが居間と、台所。風呂場とか便所もそっちのほうにあるんで、まあ良いように」
「……わか、た」
「ふっふ、いいこ」
 もう一度頭を撫でてから、そっと額に唇を寄せた。ひくん、とやはり体が震えるが、拒否されないのを良いことに、ふにりと口付ける。
 夜半と違って、今の、俺の使っているシャンプーの匂いがする。俺と、同じ匂い。じんわりと、胸が温かくなってくる。
 この人が隣にいるだけで、こうも世界は違って見えるのか。
 こっそりと自嘲してから、名残惜しくもその人から唇を離した。
「じゃあ、行ってきます。……どこにも、行かんでくださいね」