その拳を躱すのに、然程苦労はなかった。
 ガキの頃から喧嘩に明け暮れ、東卍時代には化け物と称されることも少なくない。解散したところで、オレが無敵たるアイツを見捨てられるわけもなくて、それからもう何年か不良として過ごしてたっけ。……まあそれも、結局上手くいかなくて、今はカタギとして暮らしている。
 というわけで、決して、かつてのような喧嘩の売り買いはしていないし、派手な抗争に首を突っ込んでもいない。
 にも拘わらず、どうして自分は、―― 不良連中に囲まれているんだ?
「ッと」
 浮かんだ疑問は、振り下ろされた鉄パイプによって霧散する。おい、武器まで持ち出すのかよ。こっちは丸腰だぜ。苛烈に舌打ちをした男の腹に、ひとまず膝を叩き込む。鉄パイプの転がる金属音と、空気の塊が吐き出される音とを聞きながら、ぐるりと辺りを見渡した。合わせて、四人。年頃は成人してるか、してないか。要は、自分と同年代だ。
「おたくら、どちらサン? 会ったことあるっけ?」
「うるせえッ! 金の辮髪に龍の刺青、テメェが元東京卍會の龍宮寺堅だっつーこたァ、上がってんだよ!」
「……オレ、もう引退して随分経つんだけど」
 ど真ん中にいる男は、顔を真っ赤にして、すっかり激情。オレから程近いところにいる男も、鉄パイプを片手に青筋を浮かべていた。
 だが、皆が皆そうということでもない。端にいる黄色のシャツの男は、イキッた激を放っているが、ありゃあ虚勢だ。ビビってる。緑のラインが入ったジャージ男に至っては、オレに膝を叩き込まれたのもあって、すっかり及び腰になっていた。
 烏合の衆たあ、このことかね。
 たらたらと定時制高校に通っているおかげで、最近難しい言葉も覚えてきた。同僚に「中卒にその例え通じると思ってんのか?」と凄まれたのは記憶に新しい。それから「あってんのかどうかもわかんねえぞ、オレぁ」とも。
 あ、待てよ、ここで暴れたらガッコーどうなんの? 停学? 夜間でもそういう制度、あんのかな。あるか、ガッコーだし。卒業まで、予定通りであればあと一年弱。ここまできたら、真っ当に卒業したい。
 とはいえ、背中を向けるのも性に合わない。一人ノした程度で逃げてくれりゃあ楽なのになあ。
「オレ達ぁ、佐野万次郎に借りがあンだよ」
「あ?」
 思考がぐるぐると絡まりだしたところで、真っ赤な顔の男が吐き捨てた。
 明後日に飛ばしていた意識を、一旦引き寄せる。ついでに焦点を連中に合わせ直すと、どいつもこいつも頷きながらオレのことを睨んでいた。
 なるほど、そういう。
「そーいうことなら他当たってくんね? オレぁもう……」
 あいつとは、決別したんだ。
 ―― 正しくは、決別させられた、か。
 思い出すと、今でも呼吸が苦しくなる。痛みがないだけマシなのだろうか。あいつへの憧憬は、かの一件で軽蔑になりかけた。あいつは、仲間を大事に出来る奴だ、きっと何か理由があったに違いない。自分に言い聞かせて、どうにか納得させた。納得したことにした。
 だからさあ、こんなふうに蒸し返さないでくれ。
 キロリ、と、一番近くにいる男を睨め付けた。
「……?」
 そこでふと、違和感。
 なぜかそいつは、オレの睨みで一ミリも震えなかった。大抵の奴は、一瞬でもたじろぐというのに。それどころか、余裕の笑みを携えてすらいる。まさかこの三下連中、オレをどうにかする算段があるのか?
 ンなわけ、ない。
「ッ、」
 首を振った途端、―― 背後から殺気に襲われた。
 咄嗟に振り返ると、何かを振りかぶった男。ンなわけなくなかったワ。しかもテメエ、やけに近くにいるじゃねえか。ゲ、よりにもよって、コンクリートブロックなんか構えやがって。とんでもねえもん持ってきたなあ、オイ。頭の中のとびきり冷めた部分が、淡々と状況を捉えていった。
 重々しい塊が、やけにスローに迫ってくる。このトロさなら、躱すのも容易い。……と、思ったのだが、なぜかこちらの体も鈍くしか動かない。ああ、アレか、窮地に陥って時間感覚がバグるやつ。
 ち、と舌打ちだけして、避けようのない衝撃を覚悟した。
「~~ッ誰に手ェ出してんだ、あ゛ぁッ!?」
 途端、男の横っ面が歪む。
 おおよそ頬骨の上に、何者かの靴がめり込んでいた。
 目を瞠ると同時に、スローだったはずの世界が滑らかに動き出す。鮮やかな蹴りを食らったそいつは、わずかに体を浮かせた後、コンクリートブロックと一緒に地面へと沈んでいった。それで終わっては貰えず回し蹴りを繰りだした足にメキッと踏みつけられている。トドメと言わんばかりの流れに、うっかり手を叩きかけた。
 そこにあるのは、シンプルなスリッポン。金属が仕込んであるようには見えない。が、その男の意識を飛ばすには、十分だったらしい。
 それも、そのはず。
 なんせ、その蹴りを繰りだしたのはオレが喧嘩を教えた男。
 一通りの感覚が元に戻ったところで、自然と口が開いた。
「三ツ谷ぁ?」
 放った音は、思った以上に腑抜けている。対照的に、視界に現れた男の顔はどこか焦燥しているように見えた。踏みつけていた男を容赦なく壁際へと蹴飛ばし、およそ三歩でオレとの距離を詰めてくる。
「っドラケン、怪我は!」
「ない」
「よかった……」
 一見すると胸倉でも掴んできそうな勢いに見えたが、ぺたりとオレの胴体に触れる手付きはまあ柔らかい。その手は流れるように背中に向かい、腕を擦った。持ち上がった視線は丁寧に頭部を確かめてくる。
 ……そんな必死になんなくったって。本当に怪我してねえってば。してたとしても、オマエには隠さねえから。
 ほっと息を吐いている三ツ谷の肩には、おおぶりなトートバッグがかかっている。膨らんでいるが、そこまで重たくはなさそうだ。ああ、そういえばすぐ向こうの通りに、デカい手芸屋あったな。生地とかたくさんあると、いつだか三ツ谷も言っていた。
 となると、コイツは買い物帰り。ふむと頷いて、喧嘩を売ってきた連中を見やる。とてもじゃないが、綺麗な身なりはしていない。暴れたら、こっちも土埃に塗れてしまいそう。この手荷物だって、汚れてしまうだろう。
 首を捻りながら、三ツ谷に視線を戻した。
「なんで乗り込んできたン?」
「オマエッ、誰に助けられたと思ってんだよ!?」
「え? あー、それはありがとう。助かった。ケド、ンな荷物抱えて飛び出してこなくても」
「……いいか、通りすがりにダチが物騒な連中に囲まれてて、それどころかコンクリで殴りかかられてたら、オマエどうする?」
「オレも混ぜてもらう」
「言い方……。でもまあ、そういうこと」
 少なくとも、黙って見過ごすことはできない。肩を竦めた三ツ谷は、曖昧な笑みを浮かべている。表情のせいだろうか、あるいは今の襟足の長い髪型のせいかもしれない、どうも人畜無害な優男にしか見えなかった。でもなあ、まさに今、一人蹴り倒したところなんだよなあ。
 つい、視線が三ツ谷の背後に向かった。おや、這いつくばっていた男がいない。つつ、視線を動かすと、そいつが何かを掴んでいるのが見えた。今度は鉄パイプか。あの蹴り食らっといて、まだかかってこようと思えるとは。案外、胆力あるじゃん。別のことに使えばいいのに。
「三ツ谷、」
「ぅえ」
 感心と呆れの両方を抱きつつ、オレより一回りは細い腕を引っ張った。ど、と鎖骨から胸部に体重がかかる。はふ、なんて息がかかって、ちょっとくすぐったい。口元を緩ませながら、引っ張った勢いに任せて、大きく一歩、後ろへ退いた。
 たちまち、三ツ谷の頭があった位置を鉄パイプが通過する。風を切る音がしたから、三ツ谷も気付いたのだろう。腕の中にある体から、ピリッとした空気が立ち上った。
 ……この感じ、懐かしい。昔はこうやって、よく喧嘩を買っていたっけ。
 小さく喉で笑いながら、その男の顔面に靴底を叩き込んだ。
「なんでオマエって昔っから頭狙われるんだろうな」
「なあ、遠回しに小さいって言ってる?」
「言ってないって。まあ、丁度良さそうなところに頭あるな、とは思うけど」
「小さいって言ってるようなもんだろ、それ」
 白目を剥きながら男は倒れる。立ち上がってくる気配はない。まずは一人。
 三ツ谷の腕を解くと、当然のようにそいつは鞄を路地の隅に置いた。え、汚れるだろ。そう思って三ツ谷を見やるも、きょとと首を傾げるだけ。何事もなかったかのようにオレの隣に戻ってくる。
「いーの、アレ」
「なにが?」
「汚れねえ?」
「んん、濡れてるわけじゃねえし、中身ビニールに入ってるし、……それにほら」
 オレに向いていた三ツ谷の視線が、おもむろにチンピラに流れる。一見すると甘ったるく見える垂れ目が、品定めを始めた。瞬きする度、目を上下左右に動かす度、長い睫毛が思わせぶりに揺れる。妙な色気を感じるのは気のせいだろうか。
 なんつーか、こいつ、静かに相手を煽るの上手いよな。薄い色味の口角が、わずかに持ち上がる。それに合わせて連中が息を飲む気配がした。なんか、オレが凄んだ時よりビビってねえ? 自信無くすワー。
「すぐだろ、この程度」
 低く、少し掠れた声が、ぽたりと落ちた。
「……言えてる」
 つられて声を潜めながら頷く。
 と、たじろいでいた奴らの顔に、血色が戻って来た。そりゃあもう真っ赤。このまま頭に血液巡らせていたら、血管が切れるのではないか。あまりにもわかりやすい激情っぷりに、笑いが込み上げてくる。
 ク。堪え切れずに喉で笑えば、隣の三ツ谷も、ふ、吐息で笑った。
「~~ッ舐めてンのか!」
「舐めてねーワ、事実だ、」
 怒りの矛先は、まず三ツ谷に向いたらしい。真ん中にいた男が、大きく腕を振りかぶる。おかげで、胴体、がら空き。喧嘩素人かよ。そんなんじゃ、懐許したも同然だぜ。
 見分しているうちに、三ツ谷は男の懐に潜り込んでいた。
「ろッ!」
 鈍い、音がする。男の振りかざしていた拳は、ついぞ三ツ谷に触れることはなかった。
 真っ先に顎に頭突きとは、カタギのやることじゃない。盛大に噴き出していると、よろめいた男の鳩尾に三ツ谷は膝を叩き込む。再起不能は間違いないだろう。その証拠に、男の口の端からは白い泡が零れていた。
「初手頭突きかよ」
「ほら、これがいちばん早いし」
「気を付けろよー、頭なんだから」
「いやー、鉄パイプでもコンクリでも無事だった石頭だからさあ」
「慢心すんなって言ってんだよ」
「えっ、ドラケン難しい言葉使うじゃん」
「……ふつーだ、フツー」
 さて、残り三人。茫然としているのを思うと、逃げ散らかしてくれるだろうか。ほのかに期待してみるも、三人が三人とも、自棄を起こしたらしい。喧しい叫び声を上げながら迫ってくる。よくもまあ、と呆れそうになったが、連中の後ろから、ちらほらと別のチンピラが沸き出した。まだ仲間はいたらしい。
 それでも、オレと三ツ谷の相手には、到底なりえない。
 テンポよく蹴散らしていけば、……あっという間に黄色のシャツの男だけになっていた。
「さて、オニーサン」
「ひっ」
「なんの目的で絡んできたワケ?」
 地べたにへたり込んだそいつの前に、三ツ谷はガラ悪くしゃがみ込む。
 立っているオレからはその表情は見えないが、冷え冷えとした顔をしているのは間違いないだろう。なんせ、チンピラの顔色が青を通り越して土気色になっている。今に漏らしてもおかしくない。
 マジで汚れるぞ。そんな意図をもって、三ツ谷の体を強引に立たせた。
「東卍に借りがあるらしいぜ、こいつら」
「……マジ? 全然見覚えねえんだけど」
「まあデカくなってからの喧嘩じゃなあ。オレも把握しきれてねえとこあるし」
「ドラケンでわかんねえんなら、オレは余計だよ」
 話しているうちに、男の服がじんわりと濡れていく。ほら、みろ。
 丁度、サイレンの音も聞こえてきた。路地の外に目を向ければ、遠巻きだが野次馬がいるのも見える。潮時だ。ぼちぼちずらからなくては。
「いくか」
「ウッス」
 ひょいと三ツ谷が鞄を拾い上げるのを待って、野次馬の少ない方へと足を向ける。思ったよりサイレンが近い。三ツ谷はまだしも、オレは職質くらいされるかもしれない。せめて、育った街のそばだったらなあ。この辺りは、たぶん所轄が違う。どうにか、なんとか、躱したいところだが、どうだろう。
 サイレンの音に耳をそばだてながら、表通りの様子を窺う。走ればきっと、逆に目立つ。かといって、足元が汚れた状態でのろのろ歩くのも、人目悪い。とりあえず、三ツ谷だけでも先に帰そうか。
 ちら、と、肩越しに振り返った。
「なあ」
「ねえ、ドラケン」
 途端、声が重なる。同時に目も合わさって、お互いぱちりと瞬いた。視線で、どっちが先に話すか牽制しあう。声にすればいいのに。わかっていても、コイツといると言葉にするのを不精してしまう。だって、言わなくても汲んでくれるから。
 先、喋って。そんなつもりで、むぐり、唇を波打たせれば、三ツ谷の薄い色のソコが困ったように微笑む。仕方ないなあなんて副音声が聞こえてきそうだった。
「こっち」
「え?」
「いいから」
 小さく袖を引かれる。数歩ばかりオレを引っ張ったあと、三ツ谷はするすると裏路地を進み始めた。どこに行くつもりだろう。背後を気にしながらも、その背中を追いかける。細い道ばかり通っているせいか、方向感覚がおかしくなりそう。けれど、三ツ谷の足に迷いはない。
 そうして、五分もしないうちに、洒落た外観のビルに辿り着いた。決して高層ではない。五階か六階がいいところ。
 招かれるままに乗ったエレベーターは、三ツ谷の手によって六の数字に光を灯した。ほのかな、浮遊感。ごうんと機体が低く唸る。途中の階にひっかかることなく、最上階に辿り着いた。
 降りれば、小綺麗な廊下に税理士事務所の掲示が貼られている。いや、もう一軒あるな。こっちは、……司法書士と行政書士の事務所。突如出現したお堅さに、つい身構えてしまう。
「ドラケン、こっち」
「あ?」
「そっちは別のとこだから」
「……おう」
 はっと振り返ると、三ツ谷はエレベーターの傍にある階段に足をかけていた。ちょいちょいとオレに向かって手招きをしている。ここが最上階というわけではないらしい。
 落ち着かない空間に背を向けて、足音を潜めるようにしながら三ツ谷のあとをついていく。非常階段よりは綺麗に塗られたそこを上り、踊り場で折り返してさらに上へ。
 そうして見えたのは、屋上に繋がる扉。それから、洒落た扉がもう一つ。
「なに、ここ」
「アトリエ」
「え」
「の、予定」
 慣れた手つきで三ツ谷は鍵を開ける。恐る恐るその扉を潜ると、綺麗な玄関に迎えられた。わずかばかりの廊下の先には、広々とした部屋がある。天井が斜めなのは、ココが屋根裏にあたるからなのだろうか。
 靴は脱いでね、スリッパはないけど掃除してるから。その都度ぽろぽろと三ツ谷が説明してくれるが、聞いた傍からその声は抜けていく。
 踏み入れた空間には、広い作業デスクと、対になる椅子。棚は一つだけで、立派なミシンと、大量の布、布、布、あと紙。
「すげえ」
「そお? まだ借りたばっかで、全然だけど」
「こんなイイとこ、……パーんとこで?」
「ううん、このビルのオーナー、知り合いでさ。屋根裏だから埋まらねえって言ってたの聞いて、飛びついちゃった」
「結構するんじゃねえの?」
「あはは。お高いんでしょう、って? 知り合い価格で負けてもらったんだ。それに、デザイン関係でイロイロ手伝わされるのも決まってる」
 インターンと思えば頑張れるよ。
 はにかみながら言った三ツ谷は、衝立で区切られたところに向かう。とろとろとついて行けば、給湯スペースになっていた。屋根裏なのに、水道も、ガスも通っている。いや、コンロはIHだから、オール電化か? 手を洗う姿を眺めながら、もう一度三ツ谷の城を見渡した。
「すげえ……」
「照れるからそろそろやめて。手ぇ洗う?」
「洗う」
 ぱっと顔を向けると、場所を空けるように三ツ谷が流れ落ちる水から手を引く。
 すかさず両手を流水に突っ込むと、キンと冷たさに包まれた。水が冷たいというより、手が熱くなっていたのだろう。頭に血が上っていたのは、チンピラ連中だけじゃなかったらしい。ただ体を動かしただけじゃ得られない高揚に気付かされる。久々の喧嘩、まだ、この体に流れる血は騒いでいた。
「……」
 水を浴びて、徐々に指先は冷えていく。しかし、体の芯は、ぼおっと熱い。静かになると、ばくばくと脈打つ心臓の音も気になった。
 あの場を離れてから、そこそこ時間が経つ。なのに、騒がしい。正直、暴れ足りない。カタギになったつもりだが、自分の不良性がこんなにも色濃く残っているなんて、知らなかったな。ちょっと喧嘩しただけで、コレならば、現役退いたなんて、言わなくても良かった気がする。
 ゆっくりと吐き出したため息は、依然として熱を孕んでいた。冷たいけど、熱い。血の気は多いまま。
「……あー」
 それとなく見下ろした我が身は、―― 確かに兆していた。ゆったりとしたシルエットのおかげで、あからさまに膨れては見えない。それでも、十分自覚できる程度に勃っている。
 放って、おくか、どうにか、するか。落ちる水を眺めながら思考を巡らすが、熱が籠っているせいもあって、欲を発散させたい気持ちの方が強い。
 ……大人しく、便所借りるか。
「あー、三ツ谷ぁ」
「エ!」
 顔を、上げた。
 その瞬間、三ツ谷の肩が大きく跳ねる。その先にある手は、水気を払おうとしたのか、中途半端な高さで浮いていた。つつつ、と視線を向ければ、どちらの手の甲も濡れている。オレの視線に気付いたのか、ぴく、ひく、とその指先が震えた。
 なんだろう。三ツ谷の様子が違う。見るからに挙動不審、というわけではない。ただ、なんとなく、違和感がある。
 疑問符を脳裏に浮かべながら、もう一度三ツ谷の顔を見やった。
「な、に……」
「あー、っと」
 色白の肌は、火照って見える。オレだって高揚が抜けないのだ、コイツが同じように昂っていても不思議じゃない。いつもより瞳孔が開き気味なのも、興奮が残っているせい。
 全部、何もかも、久方ぶりに暴れたから。
 ……本当に、それだけか?
「ど、どらけん……?」
 水を止めて、一歩三ツ谷に近付く。合わせるように、その足は後ずさった。ならばもう一歩。距離を詰めると、よたよたと三ツ谷の体は壁際へと逃げていく。背中は、壁。あと、小窓。向かって左側には小さなコンロがあって、右側には衝立。こういうのを袋小路というんだっけ? それは路地に使う言葉か。じゃあ、屋内にある隅のことは、なんて言うんだろう。
 ぐるぐるとしょうもない思考を巡らせながら、三ツ谷を壁際に追い込む。濡れたままの手を、そいつのこめかみ、すぐ横に突き立てると、再び三ツ谷は肩を震わした。そいつの浮いていた両手は、いつの間にか、キュと握り込まれている。でも、頑なではない。触ったら、すぐに解けそう。自然と、もう一方の手が伸びた。
 けれど、触れたのは、ほんの一瞬。しかも掠めるだけ。するりと手首の下を通り抜けて、指先で腹に触れた。ちょうど、鳩尾の辺り。きゅうと押すと、薄い布越しに引き締まった肉の感触がする。つ、つつ、づづ、づ。触れたばかりの布に引っかかりながら、指は下へと降りていく。視線も、首の向きも、三ツ谷の下腹へと向かっていった。
「ぁっ」
 そして、ぺたり。
 下腹より、さらに下。緩く膨れたトコロに辿り着く。
「……勃ってんね」
「だって!」
「久々にあんな喧嘩したもんな」
「ぅ、うう、……ごめん、抜いてくる」
「エ、なんで謝ンの」
「は?」
 一度顔の方に視線を戻すと、すっかり紅潮した肌が見えた。髪で隠れて見えないが、耳も真っ赤に染まっていることだろう。息も、浅くなっている。ふ、ふ、と吐き出されるソレが、無性に可愛らしく思えてきた。
 喧嘩して、勃っちまうとか、昔もあった。しかし、あの時は、こんな反応しなかったな。ゲッと顔を顰めて、気付いたら姿を眩ませている。三ツ谷には、そういうところがあった。当時も、強引に迫ったらこういう顔をしてくれたのだろうか。だとしたら、もったいないことをした。
 壁についていた手を離し、縮こまった三ツ谷の手、片方を借りる。掴んだ手首は、オレに負けず劣らず熱かった。その熱を、引き寄せながら、開かせて、ぺたり。こちらの中心に押し当てる。
「ぁえ」
「オレも、ほら」
「ぃ、う」
「こんな、だし」
 この部屋には、オレと三ツ谷、二人きり。なのに、内緒話みたいに声を小さくしてしまう。
 オレのナニのことは三ツ谷に任せて、パツンと張ったテントに手を伸ばした。三ツ谷のソコをいたずらに擽ると、仕返しのように滾ったオレの物をを柔く包んでくる。息まで潜めてしまったおかげで、布を擦る音が聞こえた。す、ず、さり、がり。微かな刺激を与えれば、その分、じれったい感触が返ってくる。
 互いの、熱が、体積を増していく。
「なにこの、状況」
「なんだろね」
「ドラケンが迫ってきたんじゃん……」
「はは、つい」
「ついって」
 子供の戯れよりも拙い触れ合いをしていれば、三ツ谷の唇が尖り始めた。小ぶりながらに、ツンとしたソレ。衝動的に、かぶりつきたくなる。いや、なんでだよ。勃起しちまうのは興奮の名残に出来るけど、キスしたいのは違うだろ。
 熱を出したいという本能に混じりだした、食欲染みた欲求を飲み込んで、三ツ谷のそれを握り込んだ。服の上からでも、形がわかるくらいに膨れている。苦しそう。実際、寛げたくて仕方ないのだろう。オレと違って、細身の服を着ているから、余計にそう。壁とオレに挟まれたまま、三ツ谷は腰を捩らせる。
「じゃあ……」
「じゃあ?」
 艶めかしさを携えた動きはそのまま、尖っていた唇が動く。零れた声がか細かったのもあって、気付くと顔を寄せていた。鼻先が擦れる。熱っぽい視線が、意思に関係なく絡んだ。
―― 抜きっこでも、スる?」
 ほんとオマエ、静かに煽るの上手いよな。
 蠱惑的な誘いに、乗っからずにはいられなかった。

◇◇◇

 立ったまま、向き合ったまま、ほとんど何も言わずにズボンを引き下げた。オレは大体太腿のあたりまで、三ツ谷の方は、ベルトを外しただけで膝のところまでずり落ちている。お互い、シャツが汚れないよう緩く捲り上げたから、反り返った二本がよく見えた。
 嫌悪感は、ほとんどない。いや、まったくない、と言ったほうが正しい。三ツ谷のソレが、綺麗な色をしているからだろうか。清潔感、という意味でも、不快さはなかった。むしろ、ゾクゾクと欲を煽られる。
 それらを見下ろしながら、ぺたりと重ね合わせた。たちまち、三ツ谷の口から湿った吐息が漏れる。そういう一つ一つの反応にも、頭がクラクラと揺さぶられた。
 大きさは、それぞれの身丈相応。オレの方がちょっと赤黒くて、三ツ谷のは意外とエラが張っている。こういうチンコ、女は好きなんじゃないだろうか。そっと手を添えれば、それだけで先っぽからとろぉっとカウパーが滲んできた。まだ、握っても、扱いてもいない。指を添わせただけ。しかし、引っ切り無しに鈴口から透明な液体が溢れ始める。
 濡れやすいんだ。へえ。
 カリ首に中指を当てながら、くるり、親指で先っぽを擦る。
「っは、ァ」
「もしかして、限界近かったりする?」
「ンッ、なんで……」
「とろとろじゃん」
「んん、ぅ、……やっぱオレ、カウパー多い?」
「どうだろ、他人のちんぽ、こんなまじまじ見ることないし」
「っ、じゃあ、まじまじ見るなよ」
「今逃したら、もう見る機会なさそうじゃん」
「なくて、いィ、だろぉ」
 ぼそぼそと喋っている間も、三ツ谷のソレからは我慢汁が滲み続ける。指先で馴染ませてみるが、乾くどころか濡れる一方。試しに親指を離してみると、にちゃっという水音が鳴った。濡れそぼった亀頭は、擦り続けたのもあって真っ赤に充血している。ちょっと、グロテスクさが増した。まあ、血管が浮き出ている自分のと比べたら、随分と可愛げがあるのだが。
「っ」
 ふと、耳元で息を吸う音がする。こっそりと盗み見ると、視線を下に向けたまま、ムッと唇を尖らせていた。だから、その口。かぶりつきたくなるから止めろって。……ああいや、言ってねえわ。言わずに、確か飲み込んだ。
 もし塞いだら、どんな反応するだろう。漏れる息は熱っぽいから、ナカはぐずぐずに熱いのは間違いない。ズリ合わせている下と同じように、熱を分け合えたら、気持ち良さそう。熱に浮かされた思考に流され、少しずつ顔を寄せていく。
「……ウ、」
 しかし、辿り着く前に、びくんと体が揺れる。重ねている陰茎、丁度裏筋のトコロが、擦れた。
 咄嗟に下を向けば、三ツ谷の両手がまとめて二本の性器を包んでいる。片方は竿を扱くように動いているが、もう片方は、敏感なソコが重なるように握られていた。
 くりゅ、ぐにゅ、弱い部分が柔く擦れる。力加減を、よくわかっている手付きだ。あんまり弱いとただただじれったい。かといって、強く擦り過ぎると痛みになる。まさしく快感だけが生まれる強さで、くにくにとソコが重なっていた。
「ふ、んっ……、きもちぃ?」
「お、まえ、いきなり裏筋はさあ……」
「だめ? オレ、結構好きなんだけど」
「嫌いな男いねえだろ」
「はは、確かに」
 オレが嘆息を吐いたのが、さぞ愉快だったらしい。目が合うと、甘ったるく目尻が下がった。もともと垂れているけど。普段より、なんというか、だらしなさがある。妄りがましいと表現しても、良いのかも。
 この野郎。ふつり、腹の底で、負けん気の強い性分が滾り出す。
 片腕を、三ツ谷の頭の横についた。ふわふわと浮きそうな足元を、それとなく確かめる。まだ、自分には、余裕がある。然程、切羽詰まってはいない。大丈夫。半ば言い聞かせながら、先っぽに添えていた手をついと滑らせた。二つの亀頭、まとめて掴むのは難しくない。ぬるぬると蜜を零す先っぽが隠れてしまうのは惜しいが、三ツ谷を追い立てたくて仕方なかった。
「っぅ、ン!」
 ずりゅん、と。手の平を亀頭に擦りつける。それとなく角度を付ければ、指の付け根の凹凸している部分が三ツ谷の切っ先に擦れた。磨くように擦ったり、捏ね繰り回すように揉んでみたり、自分のソレも緩く擦りながら目の前の男を責め立てる。もちろん、自分勝手と思われたくないから、三ツ谷の機微はちゃんと窺った。……うん、効いてる。くりゅくりゅと擦れるのに合わせて、呼吸を上ずらせている。
 たまに漏れる、鼻に抜けるような高い喘ぎが、妙に耳に貼り付いた。その音をもっと聞きたくて、手に灯る欲が増していく。
「ンッ、ふ、ぅ……」
「声、出せば?」
「……そっち、こそっ」
「ん゛」
 静かに促してみるが、至近距離から睨み返された。それどころ、肉棒を扱く手付きが大胆になっていく。三ツ谷のそれは、すっかり濡れそぼっているが、オレのはそこまででもない。だからか、三ツ谷の指は竿を揉みしだくように動いた。もしかして、オナるときも、こうやってる? そう思うくらい、三ツ谷の動きは器用で、手慣れているふうだった。
 まずい、腰、揺れる。思ったところで、欲に傾いた身体は我慢してはくれない。カクッと突くように前後してしまった。
「あ」
「んっ、ぅ」
「ふ、ンッ、ぅ」
 からかわれるかも。
 という予感は、杞憂で終わる。壁に背を預けた三ツ谷もまた、へこへこと腰を揺らし始めていた。お互いの熱を握って、好き勝手弄り回しながら妄りがましく腰を振っている。
 何やってんだろうな。頭の隅に残った、かろうじて冷静な部分が嘲笑する。けれど、それを恥じるだけの理性はもうない。射精したら戻って来るかも。だとしても、二人揃ってみっともない姿を晒しているのだ、からかう気にはならないだろう。
「ん」
「ふ」
 手の動き、体を揺するソレは続けたまま、幾何か三ツ谷の方に体重を預けた。必然的に手を動きが窮屈になるが、互いの腹で挟まれるおかげで、絞めつけに似た圧がかかる。
 熱い。気持ち良い。ヌルヌルする。やっぱり熱い。水音がエロくてヤバイ。
 とにかく、気持ち、良い。
「……っ」
「ン」
 鼻先が、擦れた。汗ばんだ額もぶつかる。近すぎて、三ツ谷の瞳しか見えなくなった。熱をたっぷりと孕んだ目。甘ったるく垂れた眦には、うっすらと涙も滲んでいる。
 吸い込まれそう。
 そう思う頃には、―― 唇が重なっていた。
「ッぅ」
 舌が絡む。ほとんど同時に、手の平がねっとりと濡れた。捏ねる動きを和らげると、指の股に粘着いた液体が絡んでいるのがわかる。
 ぷちゅっと音を立てたのは、唇の方か、下の方か。名残惜しくも顔を離すと、三ツ谷の唇はぽってりと赤らんでいた。両目もまだ、蕩けている。
 あ、可愛い。手の中で、くたっとしだしているのも含めて、愛おしくなってくる。込み上げてくる衝動のまま、再び唇にかぶりついた。合わせて、滑る手は芯を失った三ツ谷の陰茎を扱き出す。
「ぁ、オレっ、ンンッ……、イッたっ、イッたからっ!」
「うん」
「うんじゃな、ァ、あっ」
 響く水音が心地よくて、ちゅ、むちゅっと口付けては離すのを繰り返した。離れたタイミングで三ツ谷に抗議されるものの、声色はすっかり濡れている。半ば強引に手淫を続けたのもあって、あっという間に三ツ谷のペニスは熱を取り戻した。し、早々に次の精を吐き出している。やり返すだけの余力も、ないらしい。オレのに触れている手は、もはや添えているだけになっていた。この程度でヘタるなよ。オマエはもっとデキる子だろ。次は頑張れるように、覚えて、ほら。
「うん」
「だ、からぁっ……」
 ぴゅる、と、精液が手の平にぶつかる。三度目の射精だろうか。それか、二度目の残滓かもしれない。
 ずるずると壁伝いに沈んでいく三ツ谷を追いかけた。その間も、にゅくにゅくと亀頭を責める動きは止めてやらない。開きっぱなしになった唇からは、あ、あ、と引っ切り無しに喘ぎが溢れ始めた。
「みつやぁ」
「ぅ、あっ、ぁンっ……、ウ」
「オレ、まだだからさあ」
「ぅ……?」
 ついに三ツ谷の尻は床につく。脚を割り開こうかと思ったが、膝に引っかかっているズボンが、邪魔。三ツ谷が蕩けているのを良いことに、ぽいと足から引き抜いた。たちまち、その両脚はだらしなく投げ出される。ぱか、と開いた脚の間で、真っ赤に充血した陰茎が幼気に揺れていた。
「もうちょっと、付き合って」
 その急所を、今すぐにでも責め立てたい。だが、それじゃあ、言質は取れない。溢れ返りそうな欲をどうにか抑え込んで、代わりにチュッと触れるだけのキスを落とした。
 熱に浮かされた三ツ谷の顔、その唇が、ひくんと震える。ああ、塞ぎたい。ぱっくりと食らって、ナカを蹂躙したい。抑えた傍から湧き出てくる欲に、飲まれてしまいそう。なあ、早く、三ツ谷。
 いいよって、言って。
「ちょっと、だけ、だかンな……、ぁ、っア、あっ!」
 ほとんど、覆いかぶさるようにして、互いの急所を重ね合わせた。