秘密の話

 知ろうと思って知ってしまったことじゃない。それはほんの偶然の産物。断じて。誓っても良い。
 それは、テスト勉強と称して、隣のクラスに顔を出したときのこと。銀の机はぐるりと向きを変えて侑の机にくっついていた。背が高い、という理由で後ろの席をあてがわれることはよくあるが、こいつらの場合は銀が侑の手綱を握ってくれという担任の下心が透けて見える。残念だったね、センセー。銀は侑の言葉でころころ転がされて熱血に猪突猛進しちゃうタイプだよ。そもそも、侑と銀を同じクラスにした時点で間違いでしょ。せめて、俺にしときゃ良かったのに。
 おーすと軽い声を掛けながら、閑散とした教室に足を踏み入れた。つま先は真っ直ぐに侑の隣の席に。ガッコンとわざと雑に机をぶつけてやれば、案の定侑の机は大きく揺れた。
「何すんねん、字ィガッタガタなるやろ」
「そうでなくても字ガタガタじゃん。そのノート」
「そんなことありませぇ~ん、な、銀!」
「……独特な字やと思う!」
「下手なフォローほど心に来るものないよネ」
「汚いって罵ってええんやで」
「ヴぇっ!?」
 本当にこの男は真面目だな。真面目一直線。その一直線の勢いでバレーもするし勉強もする。だから、俺からしたら少し要領が悪いなと思うところがあったりなかったり。その素直さが銀の良さでもあるから、下手に指摘して天邪鬼にならないでほしいと思う。
 軽く息を吐きながら数学の教科書と参考書、ノートを取り出した。ちなみに、侑と銀は古典に必死になっている。テスト範囲、丁度源氏物語なんだから、図書室行って漫画版の読んでくりゃ良いのに。それに、どこを古典の教師は何処を出題するか、割とはっきり言ってくれる。だから対策は後回しでも楽勝。
 うんうんと昔の言葉を見下ろして呻く二人を一瞥して、ぱらっと数学の教科書を開いた。
「ん? そういや治はどうしたん?」
「ああ、」
「どうせ購買やろ」
「残念、ハミマ行った」
「ほんま? ハミチキ買うてもらお」
「俺は頼んどいた、先払いで」
「えっ、俺まで食いたなってまうやん」
 即座に古典のノートから目を離した侑は机上のスマホを手に取った。メッセージアプリを起動して滑らかに親指を動かしている。
 と、侑の顔ががばりと持ち上がった。
「早いわアホ!」
「頼むんが遅すぎるんじゃボケ」
 その視線の先にいるのは、髪の色と前髪の分け目以外九割九分同じ顔をした男。指先に引っかかっているコンビニ袋からは、揚げ物の香ばしい匂いが漂ってきていた。
「ん」
「さーんきゅー」
「銀も食うか」
「え、あんの?」
「百八十円くれたらな」
「やるやる! って、細かいのないわ、ん、二百円」
「えー俺釣りない」
「二十円くらいええわ、今度飴ちゃんかなんかくれたら」
「あ、塩キャラメルある」
「お、それでええよ」
「うぇーい」
 ごそごそと机を寄せながらも、治は買ってきたハミチキを配りだす。先払いしていた俺と、何故か銀にも。妙に気が利く奴だから、銀の分も買うたろとでも思ったのだろう。これが侑との違いだ。いくらDNAが同じであっても、治は何かと、特に食い物に関しては気が利く。それ以前に食い意地が張っているという面もあるのだが、対価さえもらえればおつかいくらいなんのその。これが、侑との、最大の違いだ。大事なところである。テストに宮ツインズという科目があったら、頻出に違いない。
「おい」
「あ?」
「俺のは」
「あるわけないやろ」
「ハァアア、そんナカに二つ入っとるんはあがってんねんッ!」
「二つとも俺のじゃコソ泥ブタ、昨日俺の油淋鶏を奪い取った罪は重い」
「ぼんやり味噌汁飲んでる方が悪いんやろ」
「人の皿から掻っ攫った時点でお前が悪いのは一目瞭然やろ」
 ハンッと鼻で笑った治はバリっとさっそく一個目のハミチキに手を付けた。対する侑はもう一個を奪おうと斜め前に手を出すがひょいひょいと治は躱す。いくら腕が長いと言っても、机を合わせた斜め向かいじゃ部も悪かろう。
 あーあーと呆れながら、矛先がこちらに向く前に紙製の袋を破いた。銀も侑の性格はよくわかっている。俺より一足先にがぶりと齧りついていた。
「寄越せや!!」
「……五百五十円」
「三倍やん、そこはキリ良く五百円やろッ」
「なら五百円」
「だぁれが払うか、定価の百八十円以上払う気ないからな!」
「……なあ、侑、お前今日財布忘れたて言うてへんかった?」
「残念だったねえ、二個とも治の胃袋にボッシュートでーす」
 銀のハッとした声と俺の棒読みが重なった瞬間、颯爽と一個目を完食した治は軽やかに二個目の封を切った。あ! という喧しい声は間違いなく侑のもの。机を両手で叩きながら立ち上がったがために、侑のうすっぺらい缶のペンケースがぱこっと開いた。この程度の振動で開くって、そろそろ買い替えたほう良いんじゃないの。ハミチキとはまるで異なることを浮かべながら、シャーペンと消しゴム、赤ペンの三つしか入っていない缶ペンに視線が向いた。
 待て、三つじゃ、ない。
 ――その内側には、黄色い付箋がぺたんと貼り付けてあった。
 筆箱が開いたのにもすぐ気付いたのだろう。侑はタンッと閉めながら、一口でも治からハミチキをブン盗ろうと足掻いている。この長い腕の被害に遭ってなるものか。ずずずっと椅子を思いっきり引き、残りのハミチキを咀嚼する。俺の斜め前にいる銀も窓際を向きながら、むぐむぐと頬張っていた。やっぱこれが正解だよね。
 こっそり、ため息を突く。
 自分が優れているのは体幹。それから要領の良さ。ついでにミドルブロッカーをやっているおかげか、反射神経と言うか、一瞬の物を捉えることが、割と、得意。
 要するに、侑の缶ペンの内側に貼られた付箋の文字も、読み取れてしまったのだ。
『侑へ 飯をちゃんと食って寝ろ 北』
 どういうこと? いや、侑、何したの。
 ……考えるまでもない、いつだったか、こじれた風邪を引いているにも関わらず部活をしようとしてあの人に強制的に帰宅させられた日に貰ったのだろう。独りで部室に戻ったところで見つけたとかかも。
 何故、こんなにも具体的にわかるかって? そりゃ、俺もあの人からその手の気遣いをされたことがあるからだ。俺の場合は入学して間もない頃。バレーをするためだけに他県の稲荷崎に入って寮生活をして、無性に家が恋しくなったとき、偶然隣に座ったあの人にゴールデンウィークは自主練期間だと聞かされたのだ。嘘でしょ、強豪校がそんなわけない。そう思えども、あの人は真っ直ぐな目をして毎年そうらしいから今年もそうやろ、と。
『一旦実家帰ってもええんちゃう、お前やったら連休の半分くらい休んでも、大丈夫やろ』
 会ってたった半月。真っ当に話したのなんてこれが初めて。でも、妙にその先輩の言葉には説得力があって、一連の言葉に含まれていた「大丈夫」に無性に安堵したのを、今でもよく覚えている。
 さらっと続けられた、体幹鈍らんよう柔軟はサボんなよ、というのにヴッとはしたが、この人の言葉に救われたのは確か。その人の言うとおり、四月中にがっつり基礎を叩き込まれたというのもあって連休は自主練で、俺は軽い荷物を持って一度実家に帰ったのだ。母親の飯を食べて、脚を伸ばせる風呂に入って、たっぷり一時間柔軟をしてから久々のベッドで寝て。たった二泊なのにとてつもなく休めた。自主練に復帰しても、そこまで鈍ったどころか、キレがよくなったなと褒められたほど。
 ……双子に最初に絡まれたのは、その自主練期間だったな。二日もサボっといてキレッキレてどういうことやねんッ、秘密特訓でもしたんか教えろや! と。当時は髪の色がどちらも黒かったからどちらに噛みつかれたのか、未だにわかっていない。わかっていないことは、当人たちには内緒である。
 なお、根拠はこれだけではない。あの人の気遣いは多岐にわたる。補習を受ける羽目になった赤木さんと尾白さんのために、復習用に使っているとかいう参考書並みにわかりやすいノートのコピーを無償で渡していたり、夏合宿中、双子乱闘の説教で夕飯が遅くなり、満足に白飯を食えなかった治を風呂上りにちょいちょいと呼びよせ小ぶりなおにぎりを三つばかり与えていたり。
 一年の面倒だってよく見てる。三年になって、ベンチメンバーになったにも関わらず、ユニフォームを貰えなかった一年の面倒をよく見ている。レシーブ一つとっても、適切すぎるアドバイス。サーブフォームの変な癖だって、しれっと直るよう指摘してやっている。
 侑にとっては、さぞ特別に思えただろう、北さんからの「飴」。それは、どの部員にも平等に渡されていることを、きっと周囲に関心のないこいつは知らない。自分だけが、特別と思っているのかも。
 ハミチキを食べ終え、小さく包装紙を畳んでいれば、ガッツポーズを決める治――おそらく二個ともハミチキを胃袋に収めたのだろう――がっくりと項垂れつつも、鬼! 外道! 人でなし! と喚く侑が見えた。人でなしはおめーだよ。どうやったらその情緒育つんだろうね。
 まあ、あの付箋をとっておく程度に、北さんからの「飴」はかなり効いたのだろう。侑の情操教育のためにも、他の部員にも平等に接してるよあの人、というのは黙っておいてやろう。
 なんなら、そのまま北さんを特別視して、なんでこんな面倒を看てもらえたのか必死に考えて、ソコソコの人間性を手に入れてもらえたら万々歳。
 治の手元にある空のレジ袋をゴミ袋にさせてもらって、未だ恨み言を呟き続ける侑をスルーしずらりとならぶ数式を殴るべくシャーペンを掴んだ。