アザラシランナウェイ

 太宰府に行きたい。
 ……いつ行きます?
 そんな唐突な会話にももう慣れた。高校の頃からの付き合いになるこの人は、ある日突然どこそこに行きたいと言うのだ。その大半は温泉。正直、湯に浸かるコトの何が楽しいか、よくわからない自分は、大抵「いってらっしゃい」と見送っていた。もちろん、それに向こうも不満はない。ドコソコに行きたい、に繋がる言葉は、いつだって「ドコソコに行ってくる」だったから。一人で行くことが前提なのだ。まあ、俺が温泉に興味ないことは知っているし、絶対に一緒に行きたい、とも思っていないからなんだろう。
 人は、それをドライと言う。
 でも、これが俺たちの距離感だ。正しい距離感。適切な距離感。
 俺と、北さんの、ただの先輩・後輩と言うには近すぎて、恋人と呼ぶにはそれらしいコトは一切していない、距離感。
 ――だから、今回も、いつものように「いってらっしゃい」と言うつもりだったんだ。
「そういや俺、今度の土日北九州でホームなんすよ」
「遠いな」
「遠いすか?」
「遠いやろ、北九州て山口のほうやろ」
「でも福岡県内やん」
「県内なら近いて、どういう感覚しとるん……?」
 太宰府天満宮があるのは福岡市。では、ないんだったっけ。太宰府市? いけない、地元以外の地名には疎いのだ。口走ったら最後、北さんに呆れかえった顔をされるに違いない。名所の場所くらい知っておけ、一般教養として、と。これでも、ホームゲームをやる辺りの地名は覚えてきたんですよ。だから、福岡市より、北九州市の方が詳しい自信がある。案内できるほどかと聞かれると若干の不安もあるが。
 ところで、どうして俺は、土日の試合予定を口走ってしまったのだろう。
「で、月曜は」
「オフやろ」
「はい。なんで、まあ、別で帰るってのもできないこともないというか」
「俺、月曜仕事やけど」
「あ」
 そりゃそうだ。北さんは土日祝日休み・完全週休二日制・福利厚生超ホワイト企業に勤めている。代わりに、仕事量が鬼のようという噂もあるが、そこはさすがの北さん。きっちり定時の十八時には区切りをつけて颯爽と帰ってくる。優秀が過ぎる。
 ごろりと絨毯の上で寝返りを打った。ンなとこに寝転んどったら、毛塗れになるで。台所にいる北さんから声が飛んでくる。ついでに、にゃーんという甘えた鳴き声も。
 ……この家には、猫がいる。本拠地の駐車場に住み着いていたサバトラの猫。そいつは、俺が練習に行くたびに体育館の駐車場でゴロゴロと日向ぼっこをしていた。おそらく地域猫なのだろう。怪我をしたのか、耳には切れ目が入っている。ソレが不妊・去勢治療済の証と知ったのは、いざ飼うようになってからだ。駐車場で遊ぶなんて、いつか轢かれるのではあるまいか。そんなことをことを思いながら――この話を片割れにするたび、いつの間にそんな情緒を見につけたんだと驚かれる――、ちょこちょことそのサバトラを構っていたらやたらと懐かれた。凛とした目付きに心当たりがあったから、そいつの呼び名は「キタサン」。メスだと知ったのは、名前をつけてからしばらく経ってからだったと思う。
 それからなんやかんやあって、本当の「北さん」に「キタサン」が拾われていって、今は「きぃ」と呼ばれている。冬毛というのもあっては、今は随分ともっふり。これが夏になるとシュッとほっそりするのだから面白い。
「有給使ってもええけど、きぃのことどうするん」
「またサムんとこ預けたらええんやないすか」
「飲食店やん」
「兼実家ですし、きぃもオカンには懐いてるんでだいじょーぶですって」
 なー、きぃ。そう甘めの声を出せば、すぐににゃっと返ってくる。その素直さに頬が緩むのは大目に見てほしい。猫がこんなにも癒される存在だったなんて。どっちかと言うと自分は犬派だったのに、すっかり猫派に寝返ってしまった。
 ちょいちょいと手招きをすると、北さんの足元からとことことやってくる。そして、ちょうど仰向けになった俺の上に、ずしん。ヴッ、なんて呻きをあげてみるが大した重さではない。練習中、木兎君と翔陽君ダブルで圧し掛かられたときに比べれば羽のよう。羽、っつか、毛玉か。
 撫でるか? と言わんばかりに首を傾げたソイツに指を伸ばせばゴロゴロと喉を鳴らしてくれる。ほらもう可愛い。俺が何かと北さん家に入り浸るようになったのは、コイツの存在も大きいかもしれない。寮じゃ、ペット飼えへんし。でも、北さんとこなら、北さんにも会えるし、きぃにも会えるし。
「で、太宰府でしたっけ」
「おん」
「どすか、一緒に」
「……そういう名跡に興味あったん?」
「や、前サムがウメガエモチ? だかの食べ比べが良かった言うてたんで」
「ああ」
 納得がいった。ぎゅっと布巾を絞る音と共に、そんな声が聞こえてくる。結局呆れられてしまった。でも、あいつがウマいて言うてたんですよ。伸びたラーメンですら美味そうに食っていたあの男は、飲食店を始めるようになってから、ちゃんと美味い・不味いの判別をするようになった。ウメガエモチ、あれはウマい。しかも、店によって味がちゃう。楽しい。ドヤ顔で言っていたのは記憶に新しい。そんな話を聞いたら、言って見たくなるじゃないか。北さんも行くというし。
「行きません?」
「……月曜、有給取れたらな」
「取れるやろ~、北さんとこなら」
「まあな」
「あ、試合も観に来てくださいよ、土曜、ファルコンとなんで」
「でも、北九州やろ?」
「はい」
「遠いやん」
「近いですって、おんなじ福岡県内」
 ねっ。アラン君と会うのも、久々でしょ。
 猫を抱えたままゆらゆらと揺れていれば、視界の中ににゅっと北さんが入り込んできた。俺の頭のわきにしゃがみ込んだらしい。一回り、俺より小さい手をきぃに伸ばすと、ふっと胸の上の重さは消えていった。ああぁ俺の毛玉があ。と思いつつも、にゃごにゃご幸せそうに北さんの膝の上に乗ったソイツを見ると何も言えなくなってしまう。
「……土曜は、試合観て」
「はい!」
「日曜は、まあ、俺は適当に時間潰して」
「二日目も観に来てくれるんやったら、席取りますよ」
「ええよ、観光したいし」
「えぇ~」
「で、月曜、太宰府」
「お」
 この人が口にしたということは、もう有給を取ったようなもの。そもそも、取れないようなことを言わないあたり、外せない仕事がないのはわかっている。よしよし。北さんに観てもらえるのは、久々だ。最近、遠征ばかりだったし。いや、北九州も遠征ではあるのだが、北海道やら東北やら関東から、とにかく東日本に行ってばかり。西側でやるのは、おおよそ一か月ぶりだ。関西やったらなあ、北さんもほいほい観に来てくれるんやけど、そうもいかんのがVやし。あちこちで試合すんのが、面白くもあるし。
 きぃ、おにいちゃんのとこ戻ってきてぇ。なんて意図も込めて起き上がれば、すっかりそのタイミングで北さんが顔を上げた。
「……いっしょ、に、行こか」
「~~っハイ!」
 堪らず声を張ってしまう。その瞬間、ボッと尻尾を膨らましたきぃは北さんの膝の上から飛び退いてしまった。あ、すまん。

 昨日はどこ行ったんすか?
 マリンワールド海の中道。アザラシのショー見てきた。
 ……それ、海遊館でも見れますよね。
 なんて、会話をしたのは、また別の話。