白旗ぱたぱた
仰け反ったそこに、噛みつきそうになった午前一時のこと。どうにか衝動を抑え込んで、出張ったソコに唇を当出るだけに留めた。あくまで当てるだけ。口づけるだけ。ぎゅううと押し当てて、圧迫なんてしてはいけない。なんたって、ここはノドなのだから。
けれど、その形を確かめることくらいは許してほしい。押し当てた唇で、ツ、となぞる。唇の薄皮越しに伝ってくるのは脈拍だろうか。それとも、急所に口づけられているが故の震えだろうか。逸った頭じゃ、どっちであるか判断できない。
代わりと言ってはなんだが、ちゅう、今度は吸い付いてみた。たちまち、抱いている腰がひくんと震える。怯えさせてしまったろうか、でもお願いです、逃げないでください。もうちょっと、俺の腕の中にいてください。
そう念じながら対面して座る北さんを引き寄せた。
「ん、ぁ」
「嫌、です?」
「ンっ……、な、にが」
「こういうに、喉に、ちゅーされるん」
「嫌やない、けど」
「けど?」
「……落ちつかへん」
「やっぱり?」
「やっぱりて……、ならしなや」
「あー、はは……すんません」
言葉の上では謝りながら、もう一度喉仏に吸い付いた。話を聞けと軽く頭を叩かれようと、やめろと肩を押されようと、触れていたくて仕方がない。もう何年か前だったなら、あかん、怒られる、嫌われる、なんてビビったんやろうけど、今はなあ。ほんまに嫌がってるふうでもないから、ええかな、と、この人につい甘えてしまう。
軟骨らしい出っ張りに、ふにゅふにゅと唇を押し当てた。それから、舌先で突いてみてる。あ、また腰が震えた。これもしかしてよがってる? ちょっと気持ちいいとか言います? ……そんなん聞いたら、くすぐったいだけやと頭を小突かれるんやろな。少しだけ、照れた顔して。そんな顔する北さんも見たいなあ。見たい。もうこの人のありとあらゆる顔を見たい。
じりじりと込み上げる欲のままに、曝け出された喉仏に甘く噛み付いた。
「ヴ」
「ん、」
わ、苦しかった、かな。小さく唸ったから、きっと苦しかったのだと思う。すんません。
と、いうか、だ。そもそも、首に触れられることを好む人が、一体どれだけこの世にいるだろう。なんたって急所だ。ココを押さえつけたり、ぎゅっと絞め続ければ、簡単に人は息絶える。この部位は、そういう、場所だ。いくら危害を与えられないと分かっていても、凪いだ心地でいられるわけがない。少なくとも、自分はそう。もし触ろうと腕を伸ばされたら、その腕叩き落として胸倉を掴み返してしまうことだろう。この人相手でも、きっとそう。さすがに腕を払いのけることはしないかもしれないが、触れられるまで終始緊張して体が強ばるのが目に見える。
にもかかわらず。自分はこの人の喉に触れ続けているのだから、性質が悪い。性格が悪い、ともいうのかもしれない。片割れが俺を指して「人格ポンコツ」と言うのは、こういうところのせいなのだろう。
「おい、侑」
「もう、ちょっと」
「ぅ、わッ、……ッア!?」
ぺたりと唇と喉に付けたまま、ベッドに体を押し倒す。体勢が変わったんだ、角度だって、そりゃあ変わる。どこに当たったかまではわからないけれど、それなりに気持ちいいところに当たったみたいだ。痛いくらいに締め付けてきてるから、それなり、なんてもんじゃなく、堪らなくヨかったのかも、しれないが。もし痛かったら、ぎろりと真っ直ぐに射抜かれていただろうし。
声を出すたび震えるソコが愛おしくて、今度は食むように口づけた。先程の甘噛みよりは強い。かといって、歯型が付くような強さでもない。動物系のノンフィクションで、肉食獣の親子がやってるやつ。噛みつく練習とか、手加減を覚えるとか、単に構って欲しいとか、奴らのソレにはいろんな理由があるらしい、アレ。まあ、今、俺がやっている理由は、一つしかないのだが。
「あ、つむ、なあッ……」
「そんなに嫌です?」
「いや、つか……」
べろりと這わせた舌ごしに、喉の震えが伝って来た。声を出すたびに、びりびりと震える喉。喉なんだから当たり前なのだけれど、こうやってその振動を味わう機会なんてほとんどない。むしろ皆無だ。耳鼻科とか内科の医者にならない限り、ないんとちゃう?
それにしても、あの北さんがこうも無防備に喉に触れさせてくれるだなんて。不埒な手指を幾度となく目線で牽制されたあの頃の自分が見たら、羨ましいと地団駄を踏むに決まってる。どうやったらそんなことしても白白とした目線を向けられずに済むのか、なにをやったらやらしいことをしても「しゃーないな」と大目に見てもらえるのか。がくがくと肩を揺さぶるようにして尋ねてくる様も目に浮かぶ。そんなん、時間かけてこの人のカラダに教えてくしかないに決まっとる。俺はそうした。何年もかけて「これは悪いことちゃうよ」「愛おしいからこそするんですよ」て、長期計画のもと刷り込ませて、ここまで辿り着いたのだ。我儘言うてガツガツ腰振ってるだけやったら、この人、落とせへんからな。頭の片隅に浮かんだ若かりし頃の自分に忠告を終えると、しゅるしゅるそいつは意識から遠ざかっていった。よし、これでやっと目の前のこの人にだけ集中できる。
存分に、愛を注ぐことができる。
かぷり、また喉にやんわりと噛み付いた。半ば諦めもあるのか、抵抗する気配は大分弱くなっている。頭を小突かれもしなければ、肩を押されることもない。そ、と背中にしがみつかれるだけ。
まったくもう、この人は。
「かあわい」
「なにあほなこと……」
「ふふふ、めっちゃかわええもん。あ、なんなら背中に爪立てても良いですよお」
「できるかそんなん」
「ええー男の勲章やんかあ、授けてくださいよ」
「体が資本の奴にはただの傷でしかないわ、微妙な違和感で調子落とされたら堪らんし」
「たかがひっかき傷でコンデション落とす男とちゃいますよ?」
「よく言うわ、バレーに関しちゃ繊細極まりない癖に、ァ」
話半分に、ちゅぅっと、皮膚の薄いそこに吸い付いた。キツく吸い上げたのもあって、白い肌にぽつんと紅い花が咲く。まるで所有痕。つけたばかりのキスマークに唇を落とせば、今度はンッと声を裏返しながら北さんは喉を反らせた。……こんなふうに、他人に急所を曝け出せるのは、一種の才能だと思う。あーあー、お願いですから、俺以外の奴にこんなことしたらあかんよ。約束ですからね。
そんなこと、万が一にもありえない。だって北さん、俺の事めちゃめちゃ愛してくれとるし。俺もこの人手放すなんて想像できないし。そう思うと、じわじわと嬉しくなってくる。頼りにしているし、いつの間にか頼りにされるようにもなったとは気付いていたけれど、改めて嬉しさがあふれてくる。あーもう、ほんと、俺北さんこと好きになってよかったわ。こんなにも信用して、されるのが心地いい人は、そうそうおらんて。
そう、喉仏に口付けつつ、現を抜かしていた。
だから、その人の両手をあまり意識していなかった。背中からするりと離れて、わざわざ俺の耳を掠めながら髪に指を通して、ふわりと優しく頭を包んでくれたってのに。さっぱり、気を留めて、いなかった。
我ながら、なんて間抜けなんだ。
「じれったいんやけど」
じん、と額に響くウィスパーボイス。咄嗟に顔を上げると、北さんがして薄く微笑んでいた 。
受け身を装っているかと思えば仕組んでくる。主導権を握れたと錯覚させて、その実手綱は握られている。ああもう、この人に敵う気がしない。いつだって、余裕を消し飛ばされる。弱いところを、晒しそうになる。なかなかカッコつけさせてくれない。
ちょっと、悔しい。
「そッ、れは、」
飛び出た声は、見事に裏返ってしまった。本当に、この人にかき乱されっぱなし。コートに立っているときは、いくらでも取り繕えるというのに。ぐだぐだと空回りして、自分にキレることもほとんどしなくなったというのに。
ああ、いやだいやだ、顔に血が集まってくる。体温も、さぞ高くなっていることだろう。
満月、とは言わないけれど、確か外にはさんさんと月明かりが降り注いでいた。電気を消した代わりにカーテンを開けた室内には、しんしんと月光が降り注いでいる。この赤面は、果たして隠せているのだろうか。
……北さんの笑みが濃くなった。してやったり、そんないたずらが成功したような顔、いつ覚えたんですか。茶化してしまいたいけれど、カッカと熱を持つ顔で言っても、格好がつかない。
どうにかこの真っ赤になっているだろう顔面を誤魔化せないものか。うらうらと、目が泳ぐ。けれど、名案は思いつかない。それどころか、視界の隅にチラチラと映り込む北さんは、至極楽しそうに頬を緩める始末。
気休めに、とりあえずと口を開いた。
「あーっと、つま、り?」
「つまり、な」
くしゃり、北さんの指先がくすぐるように波打つ。さっきまで喉に吸い付かれてひくひくしていた人と同一人物? 疑いたくもあるが、紛れもなくこのきたさんも、あのかわええ北さんも、俺の大好きな人。
ごくり、唾を飲み込むと、掠れ気味な声に鼓膜が震えた。
「好きなように、腰、振っても、……ええよ?」
「~~ッ随分と余裕でございますね!?」
「へったくそな敬語はええから、ほら」
「ぅぐ」
きゅ、と締められるだけで崖っぷちに追い詰められた心地になる。まだ達するところまで至っていないというのに、本当にこの人の一挙一動に振り回されっぱなしだ。どうにかしてその余裕を崩したいものだが、今日に限っては俺の理性がぶっ飛ばない限り無理な気がする。
そんな真似をすれば、俺も、この人も、明日悲惨な目に遭うのは目に見えているのだけれど。だから、極力、性急でかつ本能のままに欲をぶつけるセックスはしたくない。翌日がオフで、軽い走り込みもできないくらいの大雨・大風という予報が出ているときは無茶もするけれど、そんなの稀だ。記憶の中じゃ、一度しかない。しかも、その一度のあと、北さんに「もうしばらくはええわ……」とげっそりした顔で言われてしまった。とても、堪えた。というわけで、できるだけ、互いの理性がブチ切れるセックスはしないようにしている。心がけている。
じゃあ、今日はどうしようか。激しくしろと言われたから、イコールで無理無茶無謀をしろという話にはならない。適度に、を前置詞の如く置かなければならないのだ。
ごくりと唾を飲み込んで、そっと口を開いた。まずは、確認。そう、確認だ。
「……明日、足腰立たなくなったら、とか」
「俺は明日、休みやからな」
「……俺も、オフ、ですけど、」
「ふぅん、で?」
「けっ、……ケダモノになってまう、かも?」
「ケダモノて、今のお前に野生なんて残ってへんやろ」
「そんなん言うて、後悔するの北さんですよおー」
「んっ」
ゆっくりと腰の動きを再開する。入れたまましばらく戯れていたおかげもあって、ナカはすっかり俺の形に馴染んでいる。まとわりついてくる粘膜は心地良いし、痛いくらいの締付けもなく、かといって物足りない緩さでもない。まさに良い塩梅。誂えてもらったかのよう。
「っふ、ァ、……ひ」
「ぉ、わッ、み、耳元で喘ぐのやめません?」
「いや?」
「いや、つか、……煽られそう、で」
「そらええわ、煽らせて」
「ぅむっ!」
相変わらずのハスキーが届くやいなや、ぷちゅっと唇を塞がれた。北さんから、キス。えっ、レアや、レア。こんなこと、滅多にない。うわ、どうしよ、嬉しい。
込み上げてきた愛おしさ諸共舌を捩じ込めば、きゅんっと体が締まった。
「んッ」
「ぅっグ、……いきなりしめんの、やめてくださいよ」
「……しゃーないやん」
「なにがですかあ」
「したかってん」
「なにを?」
ほんの数ミリで唇が触れてしまう。そんな距離で問いかけた。声はあまり乗せていない。内緒話、そんな声量。それで十分に、届く距離。
ぼやけてしまいそうなくらいに近い、その人のまあるい目を、じ、見下ろした。
と、唇に、吐息。
――きす。
「喉やなく、こっちに、」
して、ほしくて。
そこまで言い切る前に、はくはく動く唇を塞ぎ込んだ。たっぷりと感触を味わってから、そろり、舌を入れ込む。前歯の先を掠めてから奥へ進めば、くにゅりと向こうの熱が絡んできた。あわせて、頭を抱えるようにしていたその人の手が俺の耳元まで降りてくる。おそらく、他意はない。けれど、耳を塞がれたような格好になったせいで、やけに、口内の水音が大きく聞こえだす。くちゅり、ぴちゃり、ああもう仕返したろ。そう思うと同時に、そっと北さんの耳も塞いでやった。
「ん、」
「……ふ」
「ゥん……、ン、む……?」
「…………」
「ッ、……? ぅ……、厶、」
「んっ」
「~~ッ!」
「うおッ」
「っは、は、はあっ」
「……ふ、ふふ、北さん顔真っ赤」
「そのまま返したるわ……」
む、とした顔を見せつつも、繋がっているそこはきゅうきゅうと俺にしがみついてくる。耳塞いでちゅーするの、ええかもな。ふ、と一つ笑ってからリップ音のするキスを落とすと、さらにその人は仏頂面を表に出してきた。感じてしまったのが悔しいと見える。大丈夫ですよ、あんただけじゃなく、俺もちゃんと気持ち良かったんで。
「つづき」
「はぁい」
「もう焦らすんやめてや」
「ええ、どないしよ」
「……もう突っ込んで何十分経つと思ってんねん、いい加減くるしい」
「くるしい、だけ?」
ぐ、と腰を揺すると、凛としていた瞳の縁がじんわりと滲む。声の感覚からは余裕そうに思えるが、体は案外切羽詰まっているのかも。
この状態のこの人を、散々に貪れたら。ちらっと不埒な妄想が過るがぐっと腹の底に押し込んだ。ゆっくり、ゆっくりすると決めたんだ。激しく揺さぶるだけがセックスじゃない。ゆっくり、ゆっくり、と。この人を、蕩けさせたい。
「あつむ」
……自信なくなってきた。
「なあ、」
こっちが先に、蕩けてしまいそう。
もっと、はげしく、して。
完敗だ。
愛おしい人からの懇願ともなれば、白旗を振るしかない。いや、この場合、振るのは腰なのだけれど。