Crafty as a FOX

 ぎし、り。ぎし、ぎ、ぎし。
 一歩間違えれば不快にもとれる音が鳴り響く。音源は、自分たちが乗っているベッドの、基礎となるフレームから。
 とりあえず寝られればいいと安物を買ったのが運の尽き。と、いうわけではない。安物のわりに、軋みの少ないものを選んだ。勢いをつけてベッドに飛び込んではじめて、いくらか木の軋む音がする程度。普通に使ったのなら、こんなにふうに耳障りな音は鳴らない。
 じゃあなぜこんなに軋んでいるのかと、いうとだ。
「ぁ、あぅ……ンッ」
 平均並みの体格の成人男性と、その平均を大きく上回るこれまた成人男性が、遠慮なしにまぐわっているせい、である。
 部屋に響くのは、ベッドが軋む音だけじゃない。互いの乱れた息遣いに、身悶えるその人の体がシーツを這う布擦れ。極めつけは、ぱちゅ、ぷちゅ、という卑猥に染まった音。肌と肌がぶつかるだけの乾いた音ではないのは、念には念をと、たっぷりのローションをぶちまけたから。怒張を抜き差しするたびに空気を含み、ぐしゅり・ごぷり、体液と混ざりながら泡を作る。
「ぁ、つむ、も、」
「ん、俺も、そろそろ……」
 おもむろに、その人の腕がこちらに伸びてきた。深爪気味の指先が、肩を通り過ぎて背中に触れる。爪を立てられることはない。せいぜい、指の腹でぎゅうと押される程度。うっすら赤くはなるものの、ほんの数十分で消えてしまう。いっそのこと引っ掻いてくれたらいいのに。そしたらあんた、俺の背中見るたび、気恥ずかしそうに目を泳がせるでしょ。やってもうた、て。大事な体に、傷つけてもうた、て。ええねん、そんなん。あんたにつけられるのなら大歓迎。それに、あんたにつけられた引っ掻き傷でバレーの調子が落ちることはない。逆に上がったりして。愛しいあの人が、今日も待ってる、て、思えて。
 こつ、と額を重ねれば、必然的に鼻の先もぶつかった。文字通りの眼前にある瞳は、すっかり熱に浮かされて蕩け切っている。半開きになった唇からは、とろとろと喘ぎが零れる一方。ハジメテこういうことをしたときは、とにかく声を出さないようにと歯を食いしばっていたけれど、いつの間にか素直に喘いでくれるようになった。今じゃ、語尾にハートがついているのでは、と思うこともあるくらい。
 えっちになったなあ。
 嬌声を漏らす唇をほんのりと噛むと、あ、と舌が手前にやってくる。すぐに絡めとって、喘ぎを漏らす口を塞げば、いっそう抱き付いてくる力が増したような気がした。緩急つけながら、角度を変えながら、ちゅ、ぢゅ、と唇を貪っていると、向こうの口の端から唾液が漏れてくる。飲み込む余裕は、もうないらしい。
 それは、こっちも、同じなのだけれど。
「ふッ、」
「ヒぐッ!?」
 口付けたまま、一際強く、腰を打ち付けた。強引に、奥まで怒張を押し込んでやる。ぐち、と切っ先が秘部の最奥を抉った。
 突然の衝撃に、真下から引き攣った声が響く。何度も夜を過ごしてきたとはいえ、結腸を責められるのにはまだ慣れてきっていない。快感よりも、痛みのほうが強いのだろう。それでも、何度か腰を穿てば、引き絞ったような声が甘く蕩けていく。一度真一文字に引き結ばれた唇は、ぽっかりと口を開けた。だらしなく垂れたベロは淫靡な艶を纏っている。達するまで、あとどれくらい? いや、この顔を見るにもうほとんどイってしまっているのかも。達してはいるものの、意識がトぶ寸前。強烈かつ暴力的な快感にもみくちゃにされているところ。
「……えっろ」
 ぽつりと漏れた声は、その人の耳には届いていないだろう。だって聞こえていたら、「誰のせいや」と冷ややかな視線を向けてくるはず。もしくは、息も絶え絶えに「だれのせいや、」と真っ赤になりながら言い返してくるか。
 ひっきりなしに聞こえてくる喘ぎ声ごと飲み込むように、唇を重ね合わせた。それから、抜ける寸前まで腰を引く。いやいやと言わんばかりに締め付けがきつくなろうと、構わずに引き抜いた。かろうじて張り出た雁首がひっかかっている。このまま引き抜いて、この人の腹に白濁をぶちまけるか、それとも一気に奥まで貫いて敏感な粘膜に欲を吐き出すか。
 ちら、と思考を巡らせたところで、がしり、今度は脚が巻き付いてきた。まるで、子どもにしがみ付かれているみたい。いやや、離れたくないと、駄々を捏ねられているみたい。そんな可愛い駄々、見せつけられたら、甘やかしたくなるに決まっている。
 一瞬離れた唇に、ふ、と吐息をふきかけてから、――一思いに情欲の塊を突き立てた。
「~~ッ!」
「っあー……、はあ」
 俺の体で潰された四肢が、びくびくと痙攣する。そのわりに腹がべったりと濡れる感触はない。後ろだけで達してくれたらしい。つか、この人が真っ当に射精するをの最後に見たのは、いつだったろう。漏らすみたいなのはよく見る。けど、「射」とつくにふさわしい吐き出し方は、……もう随分見ていない。
 息を整えながら北さんを見下ろせば、普段の凛とした姿とはかけ離れた蕩けた表情を浮かべている。ぱた、ぽと、と俺に絡んでいた手足もベッドに落ち、完全に脱力しきっていた。もう一回、する体力なんて残っていないのは明らか。抜かなくては。そんで、どっぷりと注いだ精を掻き出さなくては。じゃないと、入ったままの欲が再び首を擡げてしまう。
 あ、あかん、もう勃ちそう。
「……また、するん?」
「ヴ、あー、っと、」
「ん、しても、ええけど、ちょおまち、きゅぅけい……」
「いやしてもええて、北さんもう限界でしょ?」
「おん。せやからまぐろでかんべんな」
 まぐろて。あんた頭働いてないやろ。そう指摘したところで、頭の回っていないこの人に小首を傾げられて終わるのが目に見えている。
 とりあえず、抜こう。そんで風呂か便所で抜いてこよう。この人とするセックスは好きだが、無理を強いたいわけじゃない。
 第一、俺の気が済むまで付き合わせたら、この人が狂ってしまう。それも色狂い。かつて、たまたま俺の虫の居所が悪かったというだけでこの人を散々貪ったことがあるが、そのあとのこの人は目も当てられなかった。や、ガン見したけど。色気振り撒きすぎてほんまにもうどうしようかと思った。とにかくもうあかんかった。翌日、翌々日は快感の名残で服が肌を擦るだけで身を捩っていたし、俺が触れるだけで、なんなら声を掛けるだけで、びくびくと甘イキする始末。日常生活すらままならない有様。顔を真っ赤にしながら、「あつむ、せっくすしたい」と強請られたときは昇天するかと思った。で、えっちして、やりすぎて、また北さんの感度が上がって、我慢してみるけれどやっぱり耐えられなくて、しこたますけべなコトして。どうやってあのスパイラルから脱したのだろう。あ、あれか、俺が海外遠征に出て物理的に会えなくなったからか。いやあ、帰国後一発目の北さん、スゴかったなあ。声聞かせてて囁いたらすぐにめろめろなって喘いでくれはったし、すぐイクし、潮噴いてくれたし。そういえば、素直に喘ぐようになったの、あれからかも。
 記憶を掘り起こしながらゆっくりと息を吐き出して、重い体を起こした。あわせて、半勃ちのソレをずるりと北さんの中から引き抜く。
「んぅッ」
「……」
 鼻にかかった声が鼓膜を震わした。ぞくりと腰に痺れが走る。したい。ぽっかりと穴の開いたソコに、再び捻じ込んでしまいたい。脚は今も大きく開いたまま。ひっくり返したカエルのような恰好をしているせいで、少し腰も浮いている。ひくつく後孔も、よく見えた。もとの肌が白い分、粘膜の鮮やかかつ淫靡な赤がやけに目に焼き付いてくる。視覚の暴力だ。柔らかな太腿もいけない。現役の頃より痩せてほっそりとした腰もよろしくない。視線を上らせていった先には、ぷっくりと腫れた乳首があるし、くっきりと浮き出た鎖骨はやけに色っぽい。男の象徴たる凹凸を描く喉仏にだって、噛みつきたくて仕方がない。
 なにより、その、顔。熱に浮かされて、ぽやっとしたその顔がチラつくたび、欲が煽られてしまう。
「あつむ、もうええよ、しても」
「……あー、っと」
「ん?」
 気怠さを携えながら、その人はわずかに首を傾げた。たったそれだけの動作にもクラクラする。これ以上、真正面から向き合っていたら、あっという間にこちらの理性は擦り切れてしまう。
 真正面から、向き合って、いたら?
 ふと、不埒な考えが過った。いや、もしかしたら名案かも。
 うらり、一度視線を彷徨わせてから、そっと北さんを見やった。シーツに沈んだまま、ぽやっとその人は俺を見上げてきている。蕩けた瞳を、携えて。火照った体を曝け出して。まったく、見ていられない。他の男の前で、そんなんしたらあきませんよ。俺の前だけにしてくださいね。
「したいは、したいんですけど、ね」
「おん」
「その」
「なんやねん、珍しいな、お前が言い淀むなんて」
 そりゃあ躊躇いもする。今までしたことがないことを提案しようとしているのだから。もしあんたに拒否されたらと思うと、肝が冷える。
 でも、思えばこれまで「そう」しないできたのも不思議なものだ。体への負担を考えたら、そっちのほうが楽だったろうに。
 こくり、唾を飲み込んで、噤んだ口を再び開いた。
「後ろから、してみようかと思うんです」
 けど、どうでしょう。
 これまでずっと、正面から抱き合ってきた。だって、フツーのセックスはそういうものだと思っていたから。正面から抱き合って、口付け合いながらするものだ、と。なんなら、座りながらしたこともない。いつだって北さんは背中をベッドに預けているし、俺はいつだってその上に覆いかぶさっていた。どんなに我を失おうとも、その体位。無我夢中で貪っても、獣染みた格好でのセックスには陥らなかったことを誇ればいいのか、それともバカの一つ覚えにしがみ付いていたと嘆けばいいのか。
 少なくとも、前からするより、後ろからしたほうが体の負担は軽い。どうしてはじめてするとき思いつかなかったのだろう。今更ながら思う。最初から真っ向きって押し倒して、無理に腰を浮かせて行為に及んで。尻穴も痛いが、腰も痛い。あんなに浮かせなければならないとは、男同士のセックスも難儀なものだ。そんなことをぼやいた北さんに「ほーん」とテキトーな相槌を送った自分を蹴飛ばしてやりたい。あのとき、じゃあ後ろからしてみます? と提案しておけば、正常位で密着してひたすらに熱に浮かされる以外のセックスを覚えられたのかもしれないのに。
 やったことがないことをやってみたいと思うのは、人の性。少なくとも俺はそういう性質だ。尻を高く突き上げなければならない分、羞恥はあるのかもしれないけれど、それこそイマサラな羞恥だ。M字開脚して、自分で拡げながら誘ってきたこと、あったでしょう? それを思えば、どうということはない。はず。
 どうでしょう。後ろから。後背位。バック。あんたのトロ顔見られないのはもったいないけど、見れない分いくらか理性も保つ気がするんです。
「どうでしょ」
 ゆるりと立てられたその人の脚の間に座り込んで、伺うように首をかしげて見せた。
「うしろ……?」
「そ。ほら、北さん疲れてはるし、でも、俺まだしたいし、それやったら北さんがいくらかでも楽な」
「あかん」
「ほうがええと、……んえ?」
 あれ、なんか言われた? ちょうどこっちが喋っている最中に挟み込まれたため、上手く聞き取れなかった。唇は動いていたから、なにか喋ったのだと思うのだが。
 ほけ、と口を半開きにしながら聞き返せば、北さんはのろのろとベッドに預けていた体を起こした。ぺたんと座ると、当然乱れた秘部は見えなくなる。まあ、ふにゃりと垂れたナニは見えるのだけれど。
「後ろはいやや」
「えっ」
「バックてことやろ? いややそんなん」
「な、なんでえ? 前からするよりずっと楽やと思いますよ、腰とか、足とか、バックのほうが楽って言うし。……あ、そう脚! 股関節ばかんなるて言うてたやないですか!」
「もうばかになってもうたからええわ」
 そういう問題? 確かに、毎回あんなふうに押し潰していたら、ばかになっても仕方がない気がする。たまに脚開いたまま閉じられなくなっていることあるし。いや、あれは、身体に火がついたせいで閉じられなくなっているんだったか。
「第一、」
 ぽつり、その人が呟いた。独り言で済ます予定だったのかもしれない。それくらいに小さい声。先ほどのように、俺が喋っている最中に差し込まれたのなら、聞き逃していたことだろう。けれど、今回は聞き漏らすことなく、ちゃんと耳に届いた。
 わずかに俯いた北さんの頬に、そっと、右手の指先を当てた。汗が引いたところだからか、ひやりとしている。
「……何か、理由でもあるんですか」
 バックでやってみたい。と、思うのは事実。
 けれど、無理強いをしてまでしたいわけではない。どうしても嫌というのなら、やりたくないというのなら、俺は「やらない」を選ぶ。……あくまで、どうしても嫌という場合は、の話だ。なんだか気恥ずかしいから、くらいの理由だったら全力で縋って強請って跪いてゴネにゴネて了解を貰うつもりでいる。
 じ、と北さんを見つめると、ふいっと視線を逸らされた。珍し、北さんから視線逸らすなんて。ほんのりと目尻のあたりが色づいているのは、情事の名残だけではあるまい。そんな恥ずかしい理由があるのか。聞き出したい。ああ、でも塩梅は考えなくては。この人には際限なく甘やかされたいが、見放されたくもない。
 こっち、見て。そんで、教えてください。ちゃんとした理由やったら、無理に、とは言いませんから。そんで今日のところは、えっち続行はしませんから。
 ね?
 そんな思いを込めて、つ、触れていた頬を、撫でた。
 ―と、同時に。視線が返ってくる。気恥ずかしさを孕んだ、少しずつ悦の温度が下がり出した瞳が、こちらを向く。
 薄い唇が、微かに開いた。

「かお、見えへんの、嫌やねん……」