聞いてない!
若干、侑北を含みます。
呼び鈴を鳴らされた。
誰だよ。出迎えるべく立ち上がるも、来客の予定はなかったことを思い出す。じゃあ、宅配か。いや、最近通販を使った覚えはないし、実家から何かを送るなんて連絡も来ていない。ということは新聞の勧誘か、宗教の勧誘か。……やめだやめ、出迎えるのはやめ。このまま居留守を決め込もう。
浮かせたばかりの腰を再びベッドに戻した。
しかし、再び、ベルが鳴る。
いや、いないんだって。一回鳴らして出なかったんだから、大人しく帰れよ。なんとしてでも家主を捕まえたいって? まさかNで始まってKで終わる放送局じゃねえだろうな。残念でした、腹立たしくもあるけど、俺はちゃんと契約結んでますー。受信料ならちゃあんと給与用の振込口座から引き落とされてますー。ということで、お前の目的はもうこの家にはない。帰れ帰れ。
はんっとため息にも似た呼気を吐き出したところで、さらに、ピンポーン、三度目のチャイムが鳴った。
しつこくない? 相手にされないってわかれよ。どうしてくれよう。四回目を慣らされる前に、ヘッドホンでもつけようか。そしたら、不快にも思えるこの音を聞かずに済む。良いかも。そうしよ。ヘッドホン、ヘッドホン。
室内を見渡しながら、スマホのホールドを解除した。つるりと指を滑らせて、音楽再生アプリを立ち上げる。何を聞こうかな、気分は、んん、1オクかな。ジャケットが並んだ画面をもう一度撫で、聞きたいアルバムを探し出す。
――ぴん、ぽーん。
だから、しつけえよ。結局、四回目も聞き届けてしまった。やだやだ、もうこれは俺が出るまで頑として帰らないパターンだ。でも、絶対に屈してなんかやらないから。
自慢の長い腕を伸ばして、目当てのヘッドホンを掴んだ。
「ん?」
と、右手が、震える。
ヘッドホンを引き寄せつつも、手元に視線を落とした。俺の右手にすっぽりと収まる電子端末には、アルバム楽曲一覧がずらり。ただ、画面上部に、別のものも映っていた。よく使う会話アプリの通知だ。送り主は、宮治。そして、メッセージ本文は、ひらがなだけで、合わせて五文字。
『どああけて』
「おまえかよ」
はあ、今度こそ正真正銘のため息を吐いて、重たい腰を持ち上げた。掴んだばかりのヘッドホンは、仕方なくベッドに放り投げる。
今日、来るって言ってたっけ? いや、言ってない。ていうか聞いてない。そもそも、あいつ、今日試合あるんじゃなかった? あ、でも午後イチだっけ、だから夕飯には間に合うかも、て、言ってた気がする。そんで、行けそうだったら連絡する、って。え、連絡来た? 来てねえよ。便所行くとき以外、ずっとスマホ持ってたけど、メッセージも電話も来てない。受信漏れ? そんな馬鹿な、だったら見ていた動画も再生できなくなるはず。それがなかったのだから、あいつは連絡なんてしていない。するっつったじゃん。
「ほんとに留守だったらどーすんだよ……」
つい、声が漏れた。日の当たらないキッチンに、その音がぼたりと落ちる。部屋と一続きになっているおかげで、極端に暑くはないが、まあ涼しいかと言われると微妙なところ。ガスコンロを使おうものなら、たちまち灼熱地獄と化す。IHに改修してくれたらいいのに。今度大家のオバチャンに会ったら言ってみようかな。
さあ、玄関まであと数歩。そこまで近づいたところで、催促のように五度目のチャイムが鳴り響いた。いらねえよ。既読ついたんだから察しろ。留守なら留守って言うし。チッ、無意識に舌を打ってしまう。
――ぴんぽーぴんぴぴぴぴぴーんぽーん。
なにその連打。どうやったらそんな小刻みに呼び鈴慣らせんの、お前の指どうなってんの。現在進行形で連打が続くそれに、殺意を通り越して疑問が過る。いや、まだ、ムカつく度合いのほうが強いかな。うるさい。夜中じゃないとしても、近所迷惑であることは間違いなし。うるせえよ。ねえちょっと。おい、うるせえ。
未だ騒ぎ立てる鈴の音に怒りをたぎらせながら、乱雑に鍵を開けた。がっちゃん、その錠が外れる音は、そいつにも聞こえたのだろう。一瞬にして、喧しかったベルが鳴りを潜める。
……この家の扉は、外開き。右手で開けて、左手を伸ばし、自分とおおよそ同じ高さにある顔面を鷲掴みにする。腹立たしいが、あいつは比較的顔が小さいほう。そして俺は、バレーボールも余裕で片手で掴めるくらいに手も大きければ指も長い。万力を思わせる圧迫感は与えられなくても、俺の苛立ちを煽ったということは伝わるはず。
よし。
キッとドアの向こうを睨みつけながら、玄関扉を押し開ける。同時に、左腕を目当てのところへ突き出した。
喰らえッ。
――ぼす、ん。
だが、腕はそいつの顔面には届かなかった。
「へ」
左手が、何かに引っかかる。
硬くはない。ついでに、感触は「ぼすん」だったが、実際に響いたのは「がさり」という音。
「なに、は?」
そして、もう一つ。見えるはずの顔が、どこにもない。あんなにうるさくチャイム鳴らしといて、どこに行った。いや、居ると言えば居るんだけど。けど、その、そう、見えない。ちょっと眠そうな目も、男性ホルモン迸りすぎだろって感じの凛々しい眉も、やたらと肉厚で獰猛さと艶めかしさの両方を孕んだ唇も、見えやしない。つか、上半身がまるっと、見えない。
見えないのだ。その男が抱えている、馬鹿でかい物体のせいで。
「はぁあ?」
「よお」
「よおじゃねえよ、なにこれ」
「ん、もらった」
「もらったぁああ?」
「いや、あっ、ファンからとか、そういうんちゃうで」
「当たり前だ、こんなんもらうバレー選手がどこにいる」
「……案外おんねんで、及川くんとか」
「だれ」
「及川徹。最近、侑がギャンギャン言うとる」
「あーあれだ、顔面偏差値オバケセッター」
「それ」
「ってそんなこたどうでもいんだよ。なに、コレ」
「花束」
「ハァアア? 見りゃわかるっての」
そう、馬鹿でかい、花束だ。
色とりどり、と表現にするには、あまりにも色味が偏っている。だが、紫と白でまとめられたそれは、まさに上品。下手に赤い薔薇百本を持ってこられるよりずっといい。……それはそれで面白いかもな、治が深紅の薔薇の花束持ってるとか、ちょっとしたコントが始まりそうじゃん。処分に困るから、本当に持ってきてはほしくないけど。
「つか、なあ、中入れて」
「なんで」
「こんなん持って廊下立っとったら邪魔やんか」
「ならなんでそんなん持ってきたんだよ」
「せやから貰ったんやって」
「誰に」
「花屋に」
「はぁあああ?」
お前は一体何を言っているんだ。煽るように首を傾げると、そいつはぐいぐいと家の中へと押し入ってくる。もとい、巨大な花束が押し寄せてくる。
「わっ、うわっ、ギャッ!?」
よた、と後退ると、かかとがスニーカーを踏みつけた。サンダルをつっかけただけの体がぐわんと揺らぐ。とはいえ、俺の体幹は今も健在。そのまま軽くふらついた程度で体勢を立て直した。
おかげで、もすりと、ドでかい花束を胸で受け止める羽目になったが。
「……あのさあ、まじでこれどうしたわけよ」
「貰った」
「花屋にね。その経緯を聞いてんの、俺は」
「ああ」
ああ、じゃねえよ。本当に貰ったとして、こんな生花どうしたらいいのさ。俺が花を生ける人間に見える? お前、俺のこのナカナカに散乱した部屋の有様、わかってんだろ。
至近距離でみずみずしい花々を眺めつつ、その花の背景になりつつある治にも意識を向けた。
「駅前に、改装閉店する蕎麦屋があって」
「蕎麦屋? 花屋じゃなく?」
「しばらくここの蕎麦食われへんのかて見てたら、隣にある花屋のお嬢ちゃんに話しかけられて」
「……うん」
これは本当の話だろうか。お前みたいなガタイの良い男に、女の子が、それもフラワーショップで働いている子が話しかけるだろうか。明らかに客層とかけ離れている。仕事帰りを狙うなら、上質な暮らしを好む自尊心高そうなOLじゃね?
猜疑心に任せて詰め寄りたくなってくるが、そうすると事実だったときが面倒臭い。ふぅん、角名は俺んこと信じてくれへんのか、ふぅん。そうぼやいて、拗ねられる。具体的に言うと、一か月くらい連絡がつかなくなる。曰く、自分と相手の距離を測り直すのに、それくらいの時間を要するとのこと。面倒だろ? プッツーンとブチ切れて「北さんのアホォーッ!」と叫んで家出して、三日と経たずに「すんませんでしたゆるじでぐだざい」と頭を下げに行く片割れのなんと楽なコト。まあね、あれはあれで厄介らしいけど。俺は当事者じゃないから知ったこっちゃない。
さておき、花束に圧迫されているのも疲れてきた。治の話に耳を傾けつつも、サンダルを脱ぎ捨て、フローリングに足を乗せた。
「売れ残り? いや、ちゃうな、ええと、二つ花束作ったんやけど、二つ分の代金で一個しか引き取らんかった? とか、そんな客がおって、こっちが残ってもうたんやって」
「ふぅん、で、ソレ持って帰ってくれって言われたと」
「……お兄さん、シュッとしとるし、花束、様んなるわぁ、て」
「押し付けられたのね、オーケーわかった。かっこいいって言われてちょっと調子乗ったわけだ」
「や、話、聞いとったら、その花束詐称したん侑らしくて、つかそもそも侑やと思て俺に話しかけ」
「やばい、面白い気配がする、ねえ北さんに連絡して良い?」
治が最後まで言い切るより早く、右手の中にある電子端末を操作した。そういうことは先に言えよ。確かに、あの人の家の最寄り駅もあそこだ。あのバカが何かをしでかして、しばらくして通りがかった治がとばっちりを食らう。高校の頃からのよくあるケース。そして、十中八九、ネタになる。滑らかに「北信介」の三文字を呼び出して、たたたっと文字を入力した。
「してもええけど、それより先に、ん」
「ん?」
先に、て言ったって、もうメッセージ送っちゃったじゃん。とはいえ、あの人が秒でメッセージを確認することはない。まして、あの男と一緒にいるのなら、一時間経っても返事を寄越すことはないだろう。緊急の時は電話で。北さんに連絡するときは、正直電話がいちばん早い。
ふ、とスマホの画面から視線を上げると、もそもそと治は靴を脱いでいだ。腕の中にある花束が、ざわざわと揺れる。それとなく後ろに下がれば、そのスペースを埋めるかのように、治は中へと入ってきた。きゅ、と品の良い色合いの花束を抱えたまま、真っ直ぐに、俺を見つめてくる。
え、なんで俺、ガン見されてんの。
「……なに」
「ん」
ん、とは。眉間に皺を寄せれば、それとほぼ同時に治は花束を差し出してきた。とす、と、再びその花々が胸に当たる。セロハンと、柔らかそうな包み紙に囲まれたソレが、ふわり、匂い立った。
「受け取って」
「何を」
「これを」
「なんで」
「なんでて」
「花束なんて、明らかに俺の柄じゃないじゃん、わかるっしょ」
「がらじゃない?」
俺の言葉のうち、真ん中だけ切り取ってそいつは繰り返した。ついでに、こてんと首を傾げてくる。人によってはあざといと言う仕草。これで落ちたアラサー女は数知れず。まあ、俺には効果ないけどね。そんなんされたって、なにぶりっ子してんだ、自分のガタイ考えろ、ゾワッとするだろ、しか出てこない。出てこないったら出てこない。
「……ならこれ、どしたらええの?」
「いや、どうするもなにも……、そもそもどういうつもりで引き取ってきたわけ?」
「そんなん、」
ちら、とそいつの目線は花束の中身を向く。
しかし、それもほんの一瞬で、すぐにおっとりとした瞳が俺を射抜いた。
ぅ、やば。さっさと目、逸らさないと。こういう穏やかなブラウンを携えているときに限って、こいつは俺の胎を穿つようなことを言うんだ。腸をじんわりと炙って、俺のことを一飲みにする。まったく、呑み込んでいるのは、こっちだってのに。
違う、違う違う、今はこいつに抱かれてなんかいない。服はちゃんと着ているし、どこも乱れてはいない。立っているのは玄関であって、ベッドに横たわっているわけでもない。ビビるな、萎縮するな、怯んだら負けだ。あっという間に牙を突き立てられる。
こっそり唾を飲み下しつつ、右手はスマホを握り込んだ。左腕は自分の体の後ろに隠し、受け取って堪るかの意思表示、もとい、受け取ってしまわぬよう自制する。
誰が受け取るか。俺に花? 花束? どういう思考回路をもってしたら、俺に渡そうという発想になるんだ。花屋の店員にそそのかされたって? 恋人に渡してみては、とかって。あほらし、ふつーに考えたらわかるじゃん、男が、俺が、花なんか貰って喜ぶわけないって。
――ふわ、り。治の唇が緩んだ。
「すなに、渡そと思て」
じん、と、甘ったるい響きで脳髄が侵された。
「色も、ええやん、これ」
すなっぽい。畳み掛けるように、治はまろい音で俺の名前を呼んでくる。やめろやめろ、角名なんて、ただの苗字だ。特別なものではない。ないったらないんだ。ベッドの上で、りんたろ、と呼ぶのとはわけが違う。
だから、たっぷりの愛おしさを込めんじゃねえよ。なんで、よりにもよって、いま、……今、その声を使うんだよ!?
ふつ、と足首のあたりから、痺れが上ってくる。あっという間にその痺れは腰に達し、背骨の、脊椎一つ一つに染み入ってきた。ぞくりとした感覚で体が満ちてしまえば、もう手遅れ。どうやったって、こいつの言葉からは逃れられない。
「もらってや」
「ぅ」
とろん、とした響きがしたかと思うと、差し出されていた花束はいっそう強く胸へと押し当てられた。綺麗な縁を描いていた包装紙がぐしゃりとひしゃげる。中に閉じ込められている花々も、その圧で歪んで、変な方向を向いてしまった。ああ、もったい、ない。……こんなふうなことを考えるのだって、自分らしくない。それこそ、俺っぽくない。なのに、隠していた左腕はうろうろと体の前面へと向かいだす。スマホを握っていた右手も、それとなく、花束を抱えるように動いてしまう。
俺がほんのりと下唇を噛み締める頃には、治の手は花束から離れていた。けれど、その塊が床に落ちることはない。しっかりと、俺の腕の中に収まってしまっている。
「……、」
自分らしからぬ行動に、羞恥が込み上げきた。それもこれも、花束なんて気障ったらしいものを持ち帰ってきた治のせい。いや、注文しといて一つしか持って帰らなかった侑のせい? なんにせよ、貰い受けることを決めたのは治だし、それをさらに受け取ったのは、俺。はは、大の男が花束抱えてやりあうなんて、どんなネタだよ。笑える。笑ってしまいたい。けたけたと気が済むまで笑い飛ばせたら、こんな羞恥を抱えずに済んだろうか。
ぐ、と腕を力ませると、セロハンの包装がかさりと鳴った。
「ありがと」
と、正面から角のない声が降ってくる。
ありが、と? 渡した男が言う台詞じゃなくない? どちらかと言えば、貰ったこっちが言うべき言葉。正直、俺は言いたくないけれど。だって、押し付けられたわけだし。じゃあ、治が「ありがとう」というのも、あながち間違いではない?
あぁああ、クソッ、わけわかんなくなってきた。
そもそも、そもそもだ! 連絡も寄越さずに、突然やってきた男に、どうしてここまで振り回されなければならなんだ。
羞恥と動揺と微かな幸福感が混ぜこぜになって、自棄になりそう。こうなったら、文句の一つでもぶつけてやらなければ気が済まない。例えば、そう、こんなん持ってくるなら、なおのこと早めに連絡を寄越せ、とか。
ひゅっと息を吸い込みながら、がばりと顔を上げた。
「ッ」
あ、れ。
なんか、あの、おさむさんや。
きょりが、いささかちかすぎやしませんか。
「ん、」
「ンっ!」
じんわりと、唇が沈んだ。肉厚な唇を押し当てられたから、余計にそう思うのかもしれない。性急に舌か絡むことはなく、それ以前に唇を割り開かれることすらない、キス。上は上、下は下でぴったりと重なって、ただただ治の体温が唇越しに伝ってくる。なんで、ばっくりと食らいつくようなキスをしないんだよ。どうしてこのタイミングで優しいだけのキスをしてくるんだよ。なんで、どうして。なぜ、なにゆえ。
「っは、ぁ……?」
キスしたときと同じようにゆっくりと唇を離したそいつは、文字通り眼前というにふさわしい距離で、ふ、唇を綻ばせた。なに、笑ってんだよ。今日のお前、いちいち狡いんだけど。俺をどうしようってんだよ。もっと惚れさせようって? ふざけんな、これ以上惚れたら。惚れて、しまったら。
愛おしさで、窒息してしまう。
「――な、様ンなるやろ?」
花束と、俺。
「~~ッ大変恰好良ぉ御座いましたッ!」
咄嗟に口から吐き出てきたのは、まあ可愛げのない言葉だった。さらには悪態も投げつけてやろうと舌を回したものの、「ふははっ」と破顔した治を見た途端、ころっと毒気を抜かれてしまう。
なんだよもう。今晩は覚えておけよ。恨み言のようにぼそぼそ呟けば、余裕綽々の表情で「楽しみにしとる」と返ってくる。くそっ、明日の朝飯ぜってー作ってやらねえからな!
絶対に作ってなんかやらねえんだからな!!