極楽浄土の旅と聞いて
あの、男は。手加減という言葉を存じていないのだろう。それくらい、こちらの体を顧みないセックスをする。そりゃあ、俺だって男だ。壊れ物のように扱って欲しいとは思わない。むしろ、そんな扱いをされようものなら、悍ましさでしばらくあの男と距離をとることだろう。もしくは、悪い物でも食べたのか、だからなんでもかんでも口に入れるのはやめろと、あれほど言ったのにと叱るか。……まあ、そんな叱り方ができるほど、あいつの食生活に口は出していないが。だって、言ったところで変わるものじゃない。あの男曰く、この時期、この曜日、この時間帯、とあいつなりに決まっているルーチンがあるらしい。旬に旬の物を食わずしてどうする。小一時間熱弁された日には、「もう好きにしなよ」と返すしかなった。
さておき、だ。そんな食欲旺盛さと並ぶくらいに、あいつの性欲も底知れない。ついでに、とにかく即物的。性急に責め立てられて、気付いたら突っ込まれている。まるで質より量。……一応、あの男の沽券のために補足すると、別にセックスが下手というわけではない。俺のイイトコロをわかって責めてくるし、初めてシたときや、その後の一、ニ回を除けば、痛いと思たったことなどない。どの程度を「普通の上手さ」と設定するかは悩ましいところだが、とりあえずは「上手い方」であると言えるだろう。
そんな、少なくともそこそこ上手いオトコに、際限なくガツガツと体を求められてもみろ。頭が狂ったっておかしくない。実際、狂うかと思った。……あくまで、思った、だ。あろうことか、発狂する前にあの刺激に順応してしまったのだ。まったく、人間の体というのは実によくできている。いっそのこと、色狂いにでもなってしまえば、あいつを振り回すことができたのだろうか。
「つーくらい、あいつ激しいんですよ。毎回毎回。何年たっても」
「元気やなあ」
「いい加減、盛りも過ぎて良い頃だと思いません?」
「そんなんいうても、性欲なんて個人差あるんやから」
「じゃあ侑はどうなんすか」
「あいつは、」
こっちのオトコと同じ遺伝子なのだから、似通っているところもあるのでは? そりゃあ、高校を卒業してからは生活スタイルが異なるから、それによる差異は生じているのだろうけれど。少なくとも、高校の頃まではほとんど似たようなものだった。オカズの方向性は違えども、自慰する頻度は大体一緒。重なって阿鼻叫喚になったなんて馬鹿話も聞いた。
すっかり泡の溶けてしまった麦酒を煽る。キン、と冷えていて、しっかりと炭酸が残っていた一口目程の美味さはないが、アルコールに罪はない。さくっと飲み干して、次のを頼んでしまおう。ビアグラスに口をつけたまま、手書きと思しきメニューに視線を向けた。
と、目ざとく気付いた北さんが、俺が読めるようメニューをくるりと回転させる。歯に衣着せぬ正論のせいで忘れそうになるが、気遣いの鬼でもあるんだよなあ、この人。些細な体調不良にもすぐ気付くし。散々中に出されてあんまり腹の調子が良くないのとか、すぐ気付く。……あれは、自分も体験したことあるってことだよな。うわあ、北さんもあいつに中出しされることあるんだあ。生でしようものなら正座させて説教してきそうなのに。
「むしろ、俺がなんも言わんかったら平気で二、三か月そのまま過ごすわ」
「えっ待って、なんの話」
「何て、こっちのセックス事情」
「……いや、いやいやいやいや、そんな、えっ嘘でしょう? 何か月も放置とかあるんですか」
「しょっちゅう」
「うっそだあ!」
「嘘言うてどうすんねん。なんやろ……あいつ、俺に言われてやっと欲情する、みたいなトコあんねんけど、」
「え、ええ……そんな、えぇえ」
甘ったるい酒をちびちびと飲みながら、その人はふと遠くを見た。あれはあれで困る。高校時代、恐ろしくて仕方がなかったアーモンドアイは、雄弁にそう語っていた。
残り数口となったビールを飲みほしてから、もう一度正面に座る北さんを見やった。真顔で冗談を言う人ではあるけれど、その顔つきから察するに、おそらく事実。紛うことなき、真実。しかも、副音声で「だからか一回あたりがとにかく長くてしつこい」と聞こえてくる。そういえばいつだったか、そんなことを言っていた気がする。自分のことを、ガラス細工でも扱うような繊細さで抱いてくる、と。
正直、それだけ溜め込んだら、我慢明けの一発目はえげつなく、そして激しくされそうなものだけれど。治と一か月空けたときは酷い目に遭った。お前、自慰すらしなかったのかよ。息も絶え絶えに吐き捨てたら、あいつなんて言ったと思う?
『オナニーとセックスは別物やろ』
ケロッと言ってのけた横っ面を引っ叩こうとして、腕が持ち上がらなかったの、今もよく覚えている。
そりゃあ、俺も男なわけだから。わからなくもないのだ。一人で慰めるのと、愛しい相手に触れるのとじゃ、まるで満足感が違う。一か月ぶりの逢瀬ともなれば、アドレナリンがドバドバ出てたって不思議じゃない。……正直、俺自身も平気でいる自信はない。絶対乱れる。乱れまくって、はしたないところを存分に晒して、しばらくあのオトコに引っ付いて離れなくなる様が見える。
逆に北さんは困らないのだろうか。何か月も放置されたら。この人が前だけじゃ物足りなくなっているコト、俺は知っている。焦らしに焦らされたのなら、いくら北さんでも散々な乱れっぷりを見せるのでは? ……あとでこの人のカレシに探りでも入れてみようか。いや、こんなこと聞いたら怒られそうだ。やっぱりやめとこ。
通りすがりの店員にビールとつまみの追加を頼んでから、とりあえずと今ある茶豆を摘まんだ。きゅ、とわずかに指で押せば、つるりと口の中に入ってくる。鞘には粒が見えるくらいに塩が振られていて、一見塩辛そうだが、これがまぁ旨いのだ。
対して北さんは、綺麗な箸遣いで出し巻き卵を口に運ぶ。薄い唇がかぱりと開いて、中の赤が垣間見えた。それも束の間、たちまち大根おろしを乗せた卵がはくりと呑まれる。品の良い一口。大口開けて何かを頬張る、もとい咥えるのなんて想像がつかない。フェラとか絶対したことないデショ。でも侑、好きだと思うんだよな、口淫。支配欲掻き立てられるからって理由で。
「そっち、って」
「ん?」
気付くと声をかけていた。
「……アー、その、いつもゆっくりする、って、言ってたじゃないですか」
「ああ」
「どうなんです」
「どう、て?」
「その、」
けれど、かけておいて早々に口ごもってしまう。それを、この人に聞いていいものかと、躊躇ってしまう。ここまで聞いたのだから、一思いに聞いてしまえばいいものを。どうせ飲み屋だ、酒の席だ。下世話な猥談の一つで済まされるに決まっている。それでも、言い淀んでしまうのは、……この人に聞く云々別として、誰かにソレを問うてしまう自分が羞恥に苛まれるから、なのだろう。
ゆっくりと卵を咀嚼しながら、北さんは小首を傾げている。この人のことだ、真面目に聞けば、それ相応に応えてくれる。茶化されることは、ない。
ごくり、いつの間にか口内に滲んできていた唾液を飲みくだし、意を決して口を開いた。
「――スローセックスって、気持ち良いモンなんですか」
早口には、ならなかったと思う。かといって、聞き取りにくい滑舌でもなかった。暖簾で区切られた隣のテーブルに届くような大ボリュームでもない。適度に、北さんの耳に届く声量。しいて難点をあげるとすれば、若干声が震えたことくらい。
言ってしまった。尋ねて、しまった。ド、ドと心臓が逸りだす。なんてことをこの人に聞いているんだと、顔には血が集まり始めていた。ああ、暖房もっと効かせてくれてもいいのにな、と思っていたはずなのに、今は暑くて熱くて仕方がない。
きゅ、と言い放った唇を噛み締めると、こくん、北さんの喉が上下した。口の中には、おそらくもう食べ物は入っていない。喋れる状態になっている。ほら、その証拠に。小さな口が、静かに、開いた。
「人それぞれやろ。そういうモンが好きな人もいれば、……かえって嫌やいう人もおるんちゃう?」
「そういう玉虫色な答えじゃなくッ、……北さんと、しては、どうなんですか」
「俺と、しては、」
「はい」
ふむ、と口を閉じてから、その人は箸を置いた。ついでに目も伏せる。完全に閉じたわけではなく、視線を下に向けただけ。空になった指は、するりと茶豆のカゴに伸びて、三つの凸がある鞘を摘んだ。ぱきゅ、一つ指先で押し出したかと思うと、北さんは鞘を咥える。やんわりと噛むようにして豆を取り出したらしかった。すぐに口から取り出された鞘は、ひしゃげた形のままカラ入れに放り込まれる。
さらにもう一つ、二つ。はぐらかされている気にもなるが、おそらく、茶豆を食いながらこの人は考えている。自分が味わう、スローセックスの心地を。
ぷきゅ、計五つ目の鞘の中身を口に入れたところで、やっとその人の睫毛が上を向いた。
視線が、ぶつかる。
「――死ぬほどええよ」
「ッ、」
ぞわり、肌が粟立った。……悍ましさを感じたわけではないから、粟立つなんてマイナスを彷彿させる表現はふさわしくないか。けれど、細かな泡に包まれるような感触に陥ったのは事実。
理性の塊にしか見えないこの人がハマるなんて。どれほど気持ちがいいものなのか。肌に纏わりつく痺れが引いていくと、代わりと言わんばかりに体の芯から興味が滲み出てくる。
「ふっふ、」
「うっ、わ。その笑い方、侑そっくり」
「そか? まあ、そんなんええわ、お前もやってみたらええやん」
「は? その笑い方?」
「そっちやなくて」
そこで一度言葉を止めた北さんは、ぺろりと塩のついた指先を舐めた。少なくとも、俺の知るこの人はおしぼりで指先を拭く質だったように思う。笑い方だけでなく、こういう微妙な所作すらも影響を受けているのだろうか。さっきの豆の食べ方も、アレに感化されている気がしてきた。
「ゆっくりしたセックス」
「へ」
「気になるんやろ。なら、俺の感想聞くより、実際やったほうが手っ取り早いんちゃう?」
「……俺の話聞いてました? あいつがスローセックスなんてできるわけ」
「ない、て、決めつけられんの」
その根拠は。じ、とこちらを見つめてくる眼差しに、ついたじろいでしまう。根拠ならある、普段のあいつの行いだ。いつまで経っても激しく腰を打ち付けてくる、あの男が、スローセックスに耽るなんて。なんだかんだ、あいつに流されて雑に揺さぶられるのにハマってる俺が、ひたすらに焦らされて溶かされるなんて。とてもじゃないが、考えられない。ありえない。無理だ。絶対に、ない。仮に、スローセックスすると取り付けても、結局はパンパンと腰を振るに決まってる。
生々しくその光景が目に浮かぶ。
……なのに、だ。
「で、できますか、ね」
一抹の可能性に、賭けてみたくなってしまう。
「できるやろ。アレができてソレにできへんこと、そうないと思う」
「~~っあぁあもう、北さんに言われたらほんとにできそうな気になるじゃないですか!」
「冗談でできるて言うてへんわ」
「ならっ」
息を大きく吸い込んだ。肺が膨れる。たちまち、脈打つ心臓の音が聞こえてきた。それも、耳のそばで鳴っているようなボリュームで。滞りなく血が流れて、全身に熱が行き渡っている。もはや暑いを通り越してしまった。ここが暑いのか寒いのかも定かじゃない。体はガタガタ、頭はふわふわ、前後左右も曖昧になってくる。そのくせ、意識は真っ直ぐに北さんに向いているときた。一体どういう道理の集中力だ、これは。
じ、と北さんを見つめつつ、吸い込んだ息を一旦喉元で堰き止めた。そのままの呼気に声を乗せたら、とんでもない声量になってしまう。バレーを辞めてしばらく、いくらか肺活量は落ちているだろうが、そこそこ健全な成人男性なのは確か。騒音を撒き散らしたくもないし、不要な注目を浴びたくもない。
ンッ、と咳払いで確認してから、堰き止めていた言葉を舌に預けた。
「ちなみに、……コツは?」
「ええ、考えたことないわ」
「そこをなんとか!」
「思いつかへんし」
「お願いします!」
「せやから」
「このとおり!!」
「コツなんて」
「北さんッ!」
ない、ん、やけど、なあ。途切れ途切れに吐き出すその人に縋らずにはいられない。半ば項垂れながらもパチンと両手を合わせれば、どこからともなくため息が聞こえてきた。だめ? だめか。そうだよね、だって相手は北さんだもん。ないと言われたらそれ以上はないのだ。きっと。
「参考にはならんと思うけど……」
「!」
ぽつり、零された言葉にいきおいよく顔を上げる。そこには、よろよろと視線を彷徨わせる北さん。あんたが戸惑うなんて、珍しいこともあるもんですね。……なんて口走れば、その人は何も語ってくれなくなってしまう。
よし、内心で拳を握ったところで、その人が続きを話し出すのを待った。
そのときの俺は、たいそう酔っ払っていたのだろう。でなきゃあんな懇願、するわけない。ほとんど惚気のようなスローセックス講座なんて、誰が聞くか。……大真面目に話を聞いて、参考にしようと躍起になっていたのは、間違いなく自分なのだけれど。
「うわ、なんすかこの酔っ払い」
「すまん、飲ませてもうた。そのとおり飲むからつい」
「……どんだけ飲ましたんすか、こいつがこんだけ酔いどれるて、そうありませんよ」
「いやあ、ええ飲みっぷりやったわ」
気付くと、心地のいい声が耳に響いた。ずっと喋らせていたものとは異なる、穏やかなハスキー。呆けながら、のろのろと視線を動かすと、確かに声の持ち主である愛おしい男が立っていた。あれ、なんでいるの。俺、呼んでないけど。
「おさむ?」
「帰んで、酔っ払い」
「よってねーし」
「どの口が」
「このくち~!」
「……いやほんますんません、こんななるまで付き合わせて」
「気にしなや、それに飲ませたの俺や言うたやろ」
おい、そっぽを向くな、こっちを向け。北さんのほうを向く首を強引にこちらに向けたくなるが、あの位置まで腕を伸ばすのも億劫。酔ってなかったら、こんな距離、なんてことないのに。仕方無しに、そいつの袖口を指先で引っ掛けた。
「なあ」
「ンやねん、べろべろなりよって……。あ、北さん、送ってくんで勝手に帰らんでくださいよ」
「ええよ、俺そんな酔うてへんし」
「あんたが良くてもツムが喧しいんで」
「……ああ、なら、甘えよかな」
だからそっち向くな。俺を放置して話を進めるな。袖を引く手に力を込めると、ぱっとその手を振り払うと同時にぽすんと頭を撫でられた。バレーボールを掴めるほどの大きな手のひらが、わしわしと髪を乱してくる。ばかやめろ、髪ぐしゃぐしゃになる。止めさせようと両手を伸ばそうにも、じゃれる程度の抵抗しかできない。……結果として、おざなりに頭を撫でられ続けられてしまう。
ガキ扱いしやがって。と、唇を尖らせれば、向かいに座る北さんの口元が僅かに緩んだ。なににやけてるんすか、俺そんな面白いことしてます? してませんよ。ちょっと酔ってるかなってぐらい。面白みなどない。ごく普通。つまらないより。の、はず。なのになんでそんな、まるで親戚の子どもをひたすらにかわいがる叔父叔母のような顔をしているのだ。
「んんんもうやめろよ!」
「帰るで」
「……」
「すーな」
無遠慮に人の頭を掻きまわしていた手が、ふと優しさを含む。ぽん、ぽん、と二回ばかり指先が上下したかと思えば、目にかかっていた一房を、つい、と指で払われた。視界が開ける。わずかに屈んで、俺の顔を覗き込んでくる、重たそうな瞼。ぼんやりしているようで、意外と小難しいことを考えている瞳。目が合うと、じんわりと心臓から何かが蕩け落ちた。
「ん」
こっくりと頷いて、ぐ、と脚に力を込める。忘れずにスマホは握ったものの、やけに柔らかな感触がした。間違えておしぼりでも掴んだのか。緩慢な動きで手元を確かめてみるものの、手の中には間違いなくリンゴのマークの電子端末が収まっている。なぜ、こんなにも不思議な感触がするのだろう。先に出た治を追いかけるようによろよろ足を動かせば、なんということか、床板までもにょもにょと柔らかい。これが液状化現象? あれって、室内でも起きるもん? うわ、今度は傾き始めた。真っ直ぐ歩きたいのに、通路の壁に向かって体が進む。壁に、ぶつか、る。
「うお……?」
「……ひさっびさに他人の千鳥足見たわ」
もす、と肩が壁に沈みだしたところで、治がこちらを振り返った。いや、もっと早くからこっちを見ていたのかもしれない。ただ、俺が見られているということに気付けなかっただけで。おかしい。自分の感じている世界の全てが狂っている。
首を傾げれば、ガンッと派手な音が響いた。何の音だ。数秒経ってから、じわりと側頭部に広がる痺れ。あ、俺の頭がぶつかった音か。すごい音したな。自分だからこれほど大きく聞こえたのだろうか。……そうでもないな、数歩先にいたはずの治がギョッとしながらすぐそばまで戻ってきているから。
「おれ」
「あーもう、痛いやろ今の、えっぐい音したで」
「すげー」
「たんこぶできてへん? ほら、肩貸せ」
「酔ってる?」
「……やっと気付いたんですかあー」
「やっときづきましたあ」
ホホゥホゥホゥ、なんて鳥の鳴き声らしき声を吐き出せば、盛大なため息が返ってくる。ごめんってば、自覚できたんだから許してよ。北さんの話聞いてたら、なんか盛り上がっちゃったんだもん。
治に支えられながら店を出て、車の後部座席に放り込まれ、強引にシートベルトを締められたところで静かに車は走り出した。俺が万が一吐きそうになったときを想定してか、隣には北さん。俺と同じくらいは飲んでいたはずなのに、横顔はしれっとしている。赤くもなっていない。酒臭くはなっているのかもしれないが、パッと見ただけじゃ、とても飲み屋帰りには見えないだろう。繁華街を抜け、住宅地に入り出し、そのうちに見知らぬ道を進みだす。一軒家よりも、四角い建物。垣根より無機質な塀。外を見るつもりで横のガラスを見やれば、口を半開きにした間抜け顔がよく見えた。みっともない顔、とても見れたもんじゃない。視線を背けながら、ぱたん、瞼を閉じた。静かな車内、穏やかな運転、ほのかに香ってくる、治のにおい。
あ、寝そう。
ちら、と過ると同時に、意識はこっくりと落ちていった。
***
「ん……?」
ぼんやりと、瞼が開いた。薄暗い室内、常夜灯こそついているものの、部屋の中を見渡すには不十分な灯りだ。俺、寝るときは真っ暗で寝たい派なんだけどな。どうせならこの細やかな灯りも消してしまいたい。だが、スイッチのあるところまで向かうのも億劫。
横になったまま、もう一度瞼を閉じた。すう、と息を吸い込めば、ふわりと体から力が抜けていく。落ち着く、香りがするせい。自分の部屋のベッドとは違う、不思議な匂い。なんだろう、これ。最近嗅いだような覚えもあるのだけれど。すう、再び息を吸いながら、閉じたばかりの瞼を持ち上げた。
と、視界に、先ほどはなかった光が入り込む。白い、灯り。扉のほうから、光の筋のように浮かぶ。
「まぶ、し」
ぎゅ、眉間に皺が寄った。
「……起きたん?」
「んん……、」
「水は」
「の、む」
「なら起き」
「ん」
言われるがままに体を起こすと、ずんぐりとした重たさが頭に乗る。人間の頭って、なんでこんなに重いんだろう。いや、そういう物理的な重さのせいじゃないか。この重さは知っている、飲みすぎたせいだ。酒に、溺れたせい。響くような痛みじゃないだけマシ。
ああ、クソ、あの人につられて飲み過ぎた。やらかした。二度とこんな飲み方するものか。人生で何十回とした誓いを改めて胸に刻みながら、差し出されたペットボトルを受け取る。プラスチックのキャップを捻れば、パキキキと小気味のいい音が部屋に響いた。
「……あー」
「吐くんなら便所いけや」
「いや、平気。そこまでじゃない」
少しずつ口に含んでは、冷水を体に取り込んでいく。喉を通り抜けるのが心地いい。水とはなぜこんなにも美味いのだろう。癒される。さすが人体のほとんど多くを構成する物質なだけある。関係ないか。
ゆっくりと呼吸をしながら水を染み渡らせていると、隣に腰かけた治は頭を拭きながらスマホを操作しだす。タオル越しに香ってくるのは、治の使うシャンプーの匂い。これがあるのは、俺の家じゃない。……こいつ、しれっと持ち帰りやがったな。まあ、人の車で眠りこけてしまった俺も悪いのだが。毎度思うが、この男、どうやって俺をこの部屋まで運んできているのだろう。それなりに力があるのは知っているが、自分とほとんど似たような体格の成人男性だ、大変な手間をかけさせているに違いない。かといって、俵抱えをして軽々とこの身を運ぶ様も浮かんでしまうから、素直に「ありがとう」とは言えないのだけれど。
「……、」
何の気なしに、治の手元を見やった。必然的にスマホの画面が視界に入る。水色の背景、そこに浮かぶ二色の吹き出し。画面のてっぺんには漢字三文字が浮かんでいた。なに話してるんだろ、そのままぼんやりと見つめていると、焦点は水色の吹き出しに定まっていく。そこに映っているのは、俺が言いたくても言えない「ありがとう」という言葉。送ってくれて、ありがとう。あいつにどやされずにすんだ、助かったわ。律儀なあの人は、家に帰ったタイミングで、お礼のメッセージを送ってきたらしかった。
あいつに、ね。俺たちと違って、あの二人は同棲している。ただの同居だったはずなのに、気付いたら同棲になっていた。そう、北さんは言う。ガキっぽい性格に見えるけど、あの人の彼氏はそれなりに強かで、狡猾。綿密な計画のもと、同棲にまでたどり着かせたのだろう。……いや、どうかな、対北さんになると、こっちがびっくりするようなポンコツもやらかすし。ことあるごとに、めそめそ治の家やら俺の家やらに押し掛けてきてたし。もちろん、俺らは悪逆非道だから、淡々と北さんに連絡して帰らせていた。鬼と言われようと、悪魔とののしられようと、こっちからしたらただの痴話喧嘩。犬も食わないとなれば、さすがの治でも食指は立たない。はよ帰れ、そんでフラれてこい。散々吐きつけてやったのに、結局上手くいってるんだもん、未来はわからないもんだ。
こくり、水を飲みながら、あの二人が脳裏に浮かぶ。というか、飲み屋で聞いた、あの人とあの男の、惚気話。思い出すだけで、胸焼けがしてくる。酔っぱらっていたとはいえ、よくもまあ、あの話を聞いていられたものだ。
こくり、また一口含みながら、隣に座る男を見やった。すると、視線に気付いたのか、すぐに治は顔をあげる。ぱち、と、薄暗い中で視線が絡む。
じく、じく。
胸中で、熱が、燻ぶりだす。
「ね、おさ」
む。最後の一音を作ろうと上下の唇を重ね合わせた。
だが、音になる前に、ト、胸を押された。そのほんの微かな力で、身体はベッドに倒れていく。あ、俺、水持ったまま? 一瞬掠めた心配は、治の逆の手に収まったペットボトルらしき影を見つけたことで霧散する。手際の良いことで。そういう、妙に根回しができるところ、ちょっとムカつく。同じくらい、かっこいいな、とも、思う。
こんな優しい男がさ、がつがつと体を求めてくるていうのも、悪くは、ない。
でも。滲み始めた熱が欲に移ろい始めると、背中がベッドに沈み込んだ。
「なに」
「はよ寝ろ」
「……しないの」
「……お前吐くやろ」
「んん、たぶん、もう大丈夫」
「たぶんならしない」
「しよ」
「しない言うてるやろ」
「ほんと、平気だってば」
「あのなあ、」
ふ、と端末の灯りを落として、治は息を吐いた。しないものはしない。お前は寝る。で、俺も寝る。するとしても、明日。言外に治の思考が伝わってくる。
だが、それはそれ。したいものは、したい。だって、そういう気分になってしまったから。酔いもいくらか冷めてきた。若干の体の重さはあるが、吐くほどのものではない。自分の経験からも、この程度なら大丈夫だと胸を張って言える。そりゃあ、喉奥をガツガツ犯されたら別だけど、下から突き上げられる分には平気。何度お前に揺さぶられていると思っている、半規管もすっかりお前仕様にできあがっているんだ。舐めてもらっては困る。あ、ホントに舐めるのは止めてね。お前、俺の舐めた後、きまって自分のも舐めさせたがるから。そしたらイラマコースじゃん。それはムリ。
いつもより幾ばくか重たい気がする腕を擡げ、諫めるような顔つきをした治の胸倉を掴んだ。あ、今、眉間に皺作った。勘がそう語る。でも、構ってはいられない。
なぜ?
言ったろ、もうセックスしたい頭になっちまったんだよ、こっちは。
勢いをつけて、半ば治を引っ張るように、ベッドから体を持ち上げた。
「うッ、ぉ、わ」
「……キス、されるかと思った?」
「……酒臭ぁーては、思おたな」
「かわいくな」
「俺に可愛さ求めてどうすんねん」
「言えてる」
たちまちにして、狭まる距離。唇なんて、ほとんど触れているよう。ただキスまではしていないから、お互い喋るのに支障はない。
かといって、キス、しないのかというと。
「……ん」
「ぅ」
してしまう、の、だが。
ふにゅ、と唇を沈めては離れ、少し沈む深度を増やしながら、また唇を重ね合わせる。ふにふにと、感触を味わうキス。酒臭いって言っておきながら、キスはするんだ。そんな揚げ足は放り投げて、弾力のあるソコをひたすらに貪っていく。もうこれ以上強くは交われないところまできたら、ちろりと舌を覗かせて、つ、割れ目を撫でた。肉厚なそいつの舌に触れたい。ねえ、早く出して。もう一度、ぐず、と唇に触れると、のったりと求めていた熱が現れた。きゅぷ、と吸い付くと、後頭部に手を添えられる。
ねえ、セックスしたくなってきた? ここまでしておいて、オアズケなんてやめてよね。
たっぷり熱を蕩けさせたところで、そっと唇を離せば、互いの欲を孕んだ唾液が糸を紡ぐ。半透明で、脆い、糸。視界の端に糸を捉えたかと思えば、すぐにぷっつりと途切れて、互いの唇にぽたりと垂れた。
「しよ」
「……けど」
「大丈夫だって」
「一回お前、ん、吐かしたこと、あるし」
「それ何年前、……の、話だよ」
「あれ、ほんまにビビったんやって……」
ちゅ、ぷちゅ、と言葉の合間にも唇は触れあう。もはや、行為に至るまで秒読み。これで俺が素面だったのなら、もう押し倒されて衣服をひん剥かれていたことだろう。だってあの治だよ。しないわけがない。
それでも、珍しくこいつが躊躇しているのは、かつて泥酔した状態でまぐわって、惨事になったことがあるから、らしい。そんなこともあった。確かにあった。あんなに酔っぱらってふわふわ心地よかったのに、たちまちにしてどん底に叩きつけられたっけ。懐かしい。良いこと教えてやるよ、アレはさ、お前がイラマしてきたせいでゲロったんだよ。ぼんやりと記憶にいる治の顔面蒼白があまりにも切実かつ壮絶だったから、お前のせいじゃなく、俺のせいってことにしてるだけ。
「っはァ……、ねえ、だったら、さあ、」
ちゅ。治の唇に吸い付いた。そのまま舌をだしたいところだけれど、ぷかり、一つ、思案が浮かび上がってきた。今こそ、チャンスではないか。お互い、セックスはしたくなっている。けれど、俺の微妙な酔い加減を気にして、もとい、吐瀉物を撒かれるのを嫌がって、治はするのを躊躇っている。いつもみたいに、セックスしたら、俺が吐く、と、思っている。
じゃあ、いつもと違うセックスをしたら?
普段のような、身体に目一杯負荷をかけて、肌と肌が激しくぶつかるセックス、ではない、セックスをしたら。
努めて時間をかけて、治から唇を離した。表面が濡れていたせいもあって、離れる寸前まで、弾力がついてくる。もったりと唇の薄い皮膚が離れていく。
唇の代わりに重なった目線は、どちらのものも、たっぷりの熱と欲と、それから愛が籠っていた。
「――ゆっくり、シてみない?」
治の頭によく響くよう、それこそ「ゆっくり」と、言葉を音にした。聞こえなかった、なんてことはないはず。治の重たそうな瞼が、わずかに持ち上がったから、間違いない。ちゃんと聞こえた。俺は、言った。言ってやった。
ゆっくりとした、セックスを、したいと。
「……」
「…………、」
「……‥…っ、」
近い距離のまま、沈黙が続く。いっそ唇を奪ってくれたらいいのに、ほんの一、二センチの空間を作ったまま、治はぴたりと動きを止めた。
ごくり、つい、唾を飲み込んでしまう。言ってやった。そんな達成感は、瞬く間に崩れ落ちていった。やはり、言わないほうが良かったのでは。スローセックスしたい、そんな願望が気味の悪いものに思えてくる。でも、北さんはやってるわけだし。男同士でも、まったくナイものでも、ない、はず。大丈夫、大丈夫だ。きっと、大丈夫。何度も自分に言い聞かせるが、きりきりと心臓は締め付けられる一方。
文字通り眼前にある治の目が、ぱち、ぱち、瞬いた。その瞳に、まざまざと、文字が映し出される。
『ゆっくり、とは』
ギリッ、と、一際強く、心臓が悲鳴をあげた。
同時に自分の腹の中に鬱々としたものが渦巻き出す。しまった、失敗した。こいつの脳みそに「ゆっくり」などという概念は最初からなかったのだ。よく考えてもみろ、こいつだぞ。手加減を知らない男だ。とてもじゃないが、スローセックスにこだわりがあるとは思えないし、まるで理解を示さなかったとてもおかしくはない。
こいつとそんなゆったり・穏やかにセックスすることなんて、最初から不可能だったのだ。結局、北さんの惚気を聞くだけに終わった、惨めな独り相撲。舞い上がった自分が恥ずかしい。ああもうやだやだ、なんで気付かなかったんだろう。酒のせい? でももうだいぶ醒めている。なら、酔ったときの感情の名残に騙された? これじゃあ、酒のせいにしているのと何も変わらない。突き詰めれば、自分が悪いのだ。自業自得。
そばにある治の顔は、何度目かの瞬きをする。その瞳にはもう大量の疑問符は浮かんでいない。理解するに至ったのか、それとも理解することを放棄したのか。……もうどうだっていい。
気付かれない程度に下唇を噛んでから、静かに、掴んでいた胸倉を離した。寄り添い合っていた互いの体がふっと離れ、変に浮いた重心がベッドに戻る。
腰に体重が乗った感触を覚えたところで、さらに全身から力を抜いた。必然的に、上体は倒れる。ほんの十数秒前に寝転がされた、堅めのベッドに沈み込む。
密やかな灯りに照らされた天井は、どんよりと灰色に曇って見えた。
「やっぱいい」
ぽつりと言い放ってから、緩慢な動きで寝返りを打った。脚も伸ばして、うつ伏せに。枕に顔を突っ伏せば、たちまち治の匂いに包まれた。くそっ、くそっ、なんでこいつ自分の家につれてきたんだよ、ムラムラするだろ。やりたい、セックスしたい。うつ伏せになったのは失敗だった。できないと突きつけられたってのに、欲は掻き毟られていく。
酔っぱらいは相手にしない。その治の態度は、変わらないだろう。なんたって、「ゆっくりセックスがしたい」なんて考えもしなかったことを言われたのだから。そこまで酔ってへん? ハァ? どうみても酔っぱらいの戯言やんか。そう思っているに違いない。あまりにも生々しくその呆れ顔を想像できるせいで、枕から顔を上げられない。今、治の顔、見たくない。見たら色んな後悔と羞恥で発火する。ごうごうと燃えて、アパート全焼も夢じゃない。
もうやだ、このまま寝てしまいたい。鼻につく香りのせいで落ち着かないけれど、瞼も閉じて、じっとしていれば、もしかしたら。
ぐり、と、より強く枕に顔を押し付けた。息がしにくい。苦しい。酸欠になって、そのまま意識を飛ばしてしまうのもアリ? 見えないのを良いことに、いっそう強く、唇を噛み締めた。
する、と。
「なあ」
ふ、空気が口元に入りこんだ。自分の顔の、すぐ横が沈んだ気配。おかげで、顔の片側の頬も、こめかみも、空気に触れてしまう。隠したくて仕方のない目の、片一方すら、露わになってしまった。
なに。むき出しにされた目をキッと動かせば、骨ばった大きな手と、――思いのほか、近いところにある治の顔が見えた。
「どゆこと」
「は」
「は、やなくて」
「いや、……どうって、」
「ゆっくりてなに」
「……説明しなきゃだめ?」
「……してくれへんと、俺わからんままなんやけど」
おしえて。突っ伏す俺を覗き込むようにして、治は淡々と吐き出す。さらなる羞恥プレイをお望みですか、今お前が強いていること、ボケの解説をさせるようなモンだけど。
黙り込んでみても、治は悪気を一切感じさせない顔をして俺を見下ろしてくる。ゆっくりって、なに。もう一度、治の唇がそう動いた。わからないなりに、理解しようと歩み寄って来てくれていることを喜べばいいのか、かえって質が悪いと頭を抱えればいいのか、さっぱりだ。
茶化すか、素直に応えるか。……後者は柄じゃない、俺のキャラでいけば、選ぶべきは間違いなく前者。だけど、前者を選んだら、ゆっくりと行為に浸る機会を逃してしまうかも。と、なると、後者? どうしろってんだ。
「すな」
「ぅ」
「すーな」
「ぅう」
「おしえて」
「ぅぅう」
「おしえて、な」
すな。角の取れた、やけにまろい声が鼓膜を震わした。狡い、お前にそんな声出されたら、仕方ないなって折れるしかないじゃん。
仕方なしに、半分顔が埋もれたまま、おずおずと口を開いた。
「あつむと」
「ツム?」
「北さん、て。すごいゆっくり、時間かけて、丁寧に丁寧に、…セックスするんだって」
「……ふぅん?」
「こう、入れないまま何時間も触り合って、キスとか、ギュッてするとか、でもその……後ろとかは、いじんないで、ずーっと過ごして、で、やっと入れる、てなってもガツガツ腰振ることなんかないらしくて」
「…………」
「焦らされすぎて、わけわかんなくなんのかな、気付いたらイっちゃうらしいんだけど、その、それが……」
それが、めちゃくちゃ、しぬほどきもちがいい、って、さっき聞いたから。
尻すぼみになりながらもどうにか説明を試みる。上手く説明できている自信はないが、治からのクエスチョンは飛んでこないからとりあえず伝わっていることにしよう。……これで伝わっていなかったらどうしてくれよう、それのどこがええの、なんて言われたら、凹んでしまう。イキ方まで説明したほうが良いのだろうか、一切前に触れていないのに、とろとろと精液があふれ出てくるとか、一瞬の絶頂じゃなくて、気持ちの良い時間が長く続くとか。突っ込まれている側の感想だから、言ったところでどこまで治に響くことやら。
とにかく、興味が出てしまったのだ。そんな気持ちいいなら、やってみたい、と。しかも、あの二人だよ。あの二人が堪らないってなるセックスだよ。バレーにすべてをささげた男と。性的なコトとは一切合切無縁ですって顔した北さんがだよ。気になるじゃん。どんなもんなのかなって思うじゃん。
ゆっくりセックス、してみたくなるじゃん。まして、いつだって激しく体を重ねているんだから。
「それは、あー……」
「ゥ」
無感情な治の声が降ってくる。どっちだ、これは。わかったのか、わからなかったのか。興味を持ったのか、持たなかったのか。答えを確かめるのが恐ろしくなってきて、ぎゅ、と、固く目を瞑った。
「その、」
「っ」
「‥…ツムとしたい、てことなら怒るけど」
ばち、り。
あれほど固く閉ざしたはずの瞼はいとも簡単に開け放たれた。燻ぶっていたはずの羞恥もどこへやら。更地と称して問題がないくらいにまっさらな心象が広がった。
おい、お前、今、なんつった。
眉間に皺が寄るのが否応にもわかる。こめかみには青筋だって浮かんでいるかも。だが、気にしていられるか。そもそもこの暗がりだ、多少顔を顰めたところで、不細工に歪んだところなど鮮明に見えることはない。
「~~ッんなわけねーだろ! 的外れにもほどが」
ある。
吐き捨てながら勢いよく振り返った。ぐる、と寝返りを打つように。うつ伏せになっていた体は横向きに、下を向いていた膝は勢い余って百八十度回転。
ぐに、鼻の先がぶつかった。先ほどよりも、もっと、近いところに、治の顔。薄暗い中でも、造型を感じ取られるくらいの距離。じんわりと、熱が、伝ってくる。
熱?
「治さあ」
「……なん」
「今、顔真っ赤でしょ」
「……ッあんま、見んな」
「見るって、こんなSSR」
引き寄せられるままに指先を治の頬に添えると、案の定、熱を持っていた。なんだ、さっきの的外れな発言は、照れ隠しか。じゃあ、俺のあの拙い説明で理解してくれたということ? それはそれで、なんだか気恥ずかしい。こっちの顔まで、熱くなってきそう。さすがにアパート全焼を狙える熱さにはならないだろうけど、ね。
もう一方の手も治に伸ばして、ぺったりとその顔を両手で包む。じんわり、じっとり、その皮膚が持つ熱が伝ってくる。両手で触れているおかげで、瞬きをするのも、眉間や鼻に皺を寄せるのも、悔しそうに唇を噛み締めるのも、よくわかる。視覚情報として鮮明に記憶できないのは残念だが、こうやって感触として治の表情を覚えるのも、なんだか楽しいや。
ふ、吐息だけで笑いながら、静かに歯を突き立てている唇に親指を這わせた。折角色っぽい形してるんだから、そんなことしないの。あと、どうせ噛むなら自分のじゃなく俺の噛んでくれない? そんな下心を秘めながら、やわやわと、下唇を刺激していく。
「ね、治」
「ん」
「……してみない、ゆっくり」
「ゆっくり」
「うん、ゆっくり、セックス」
「……アレの真似事、つーのは癪やけど」
ゆっくりな、ゆっくり。そう、ゆっくり。
目線でそう交わせば、無性に笑いが込み上げてくる。
「はは、酔っぱらいは相手にしないんじゃなかったのかよ」
「言うほど酔ってへんねやろ」
その言葉、信じるからな。ぼそぼそと言い放つと同日に、治の口がかぱりと開いた。親指を飲まれる間に、唇から指先を避難させる。
と、がぶ、り。
噛みつくようなキス。どこがゆっくりだよ、いつもと変わんなくない? 角度を変えながら、何度か甘噛みするように唇を重ね合わせてくる。むちゅ、ちゅぷ、唾液が唇に乗って水音を立てた。ねえ、ゆっくりは、ゆっくるするんじゃなかったの。わずかな息継ぎの時間じゃ、治を諫めることはできやしない。それでも、まあセックスできるならいいか、と思う自分もいる。スローセックスじゃなく、最終的にいつものやり方になったとしても、気持ちが良いのなら。こいつに、愛してもらえるのならば。
ぷちゅ、溢れた唾液ごと口を塞がれた。ぽっかりと口を開いていたのもあって、すぐにそいつは俺の舌を吸ってくる。ほら、いつもと同じ。変わらない。いいよ、それでも。なんか可愛くなってきたし。さっきお前に可愛さなんて求めてない、って話したけど、割と可愛いなって思うトコもある。こういう、すぐに無我夢中になるとことかね。
「ん、っはあ」
「ハ」
「ぁ、んゥ……」
仕方ないな、なんて、治の頭を抱えるみたいに腕を回せば、一度にんまりと笑みを濃くしてから、また口付けられた。
次はどうするの。普段通りだったら、無遠慮に俺の口の中貪ってくるよね。対抗して俺もガンガン治の口内荒らしに行くから、二人とも異様に唾液が溢れてくる。ぷは、と口を離した途端、とろりと顎に伝うのもしょっちゅう。さて、今日はどこから責めてくれんの。先攻は譲ってやるよ。キスを受けとめながら、掻き乱されるのを待つ。
「ン……、ぅ?」
……あれ。ちらりと、過る違和感。あれほど鳴っていたリップ音が、聞こえなくなってきた。というか、やたらとキスが長い。終わりが見えない。息継ぎがてら離れても、下品な音はしなかった。アレ。再び、違和感。こいつ、こういうキスするタイプだった? 一回の口付けている時間も長くなってきて、頭がクラクラしだす。ちょっと、酸欠。息が上がる。
へえ、こんなしつこいキスできるんだ、治も。
呆けながらも感心していると、熱を名残惜しむように口を離した治が、一旦体を起こした。え、止めちゃうの。濡れた唇が、暖房の入っていない冷たい空気に触れる。ひやり、その冷たさが、妙に切ない。もう少し、キス、続けようよ。そんな思いも込めて、腕を伸ばそうとするが、かくん、とその腕はベッドに落下してしまう。力が、入らない。
腕だけじゃあ、ない。全身から、くったりと力が抜けている。思いのほか、アルコールは回っていたのか。あるいは、酸欠が効いているのか。それとも、キス、だけで、ここまで蕩けさせられた、ということか。
ぞくり、欲が首を擡げだす。あわせて、もじ、と内腿を擦り合わせた。
「……脱がしてええ?」
「う、ん」
低く掠れ始めた声に、また興奮が背筋を駆け抜ける。その痺れに合わせて首を振れば、治の指先は俺のベルトに掛かった。かち、かち、というわずかな金属音を経て、前が寛ぐ感触。まだ一枚残っているが、苦しさがまるで違う。するりとスキニーを脱がされると、汗ばんだ脚に鳥肌が立った。寒い。でも、暑い。触って、欲しい。ぴったりと内腿がくっつく。
「なにもじもじしてん」
「なんとなく?」
「ほおん?」
「……ね、こっちは脱がしてくんないの」
俺は、脱がしてほしい。下着も、脱がしてほしい。きゅ、内腿を擦り合わせる度に、ソコには空気がこもる。蒸れるような感触。酔ってるせいで勃起はしてないけど、先走りは零れているのだろう。汗もあって、貼り付くのが気持ち悪い。しかも、今日履いているのは派手な原色。明るかったら、こいつは意地の悪い顔をして染みを指摘してきたことだろう。暗くて良かった。……ような、虐めてほしかった、ような。
とにかく、脱がせてほしい。自分で脱いでもいいけど、できれば、治の手で。じ、と、俺の股の間に座る治を見やった。
「……ゆっくり、したいんやろ」
「え?」
ぽつり、治の声がしたと思ったら右脚を取られる。ひざ裏と足首、いや足を掴んで、顔を寄せてきた。え、何してんの、俺、風呂入ってないよ。そんな足って、きたなくない? こっちの動揺を知ってか知らずか、治は顔を近付けるのを止めてはくれない。吐息が、足先に、かかる。
ヒッ。
叫ぼうと思った瞬間、足先にキスを落とされた。
「へッ!?」
続けて、爪に吸い付くみたいなキスをされる。さすがに指を咥えはしないが、……もしかして、風呂上がりだったらされてたのかもしれない。親指をぱっくりと咥えて、ねっとりと舌を這わせて、くる。されてたに違いない、妙な確信が込み上げてくる。
何故か。簡単だ。
キスしてる治の顔が、あまりにも、真剣なモノであったから。
情けない悲鳴をあげた口が、あんぐりと開いたまま閉じやしない。そんな諺あったな。人間、驚きすぎたときは先人故人の言うとおりになるんだね。ついでに、衝撃的過ぎて身動きが取れない。凍り付いてしまったかのよう。体のどこもかしこも熱いから、フリーズという言葉は使いたくない。どちらかというと、……熱暴走からの急停止? それもしっくりこないな、暴走するような荒々しさはないのだし。
さておき、治は足の甲にも口付けを落としてくる。一回、二回、そして三回。血管をなぞるように、筋を撫でるように、唇で触れたまま、くるぶしまで上ってくる。ぽこりと浮き出た骨に気付いたのか、一旦唇を離してから、かぷり、甘く噛みつかれた。その口付けも徐々に溶けていって、ちゅ、むちゅ、と吸い付くようなモノへと変容する。
皮膚を引っ張られて、舐められて、性感帯じゃないはずなのに気持ちよくなってくる。声、出そう。まずい。
重たい腕を引寄せて、ぺったりと両手で口を覆った。と、自分の、やけに熱い吐息が手の平にぶつかる。これは、その、興奮しすぎてはいないか。脳みその、かろうじて冷静な部分が首を傾げる。粘膜を擦り合わせているわけでもないのに、こんなに欲情している、とは。
なんで?
俺が知りたい。
いっそうの混乱を極める俺に、治は気付いていないのだろう。そのままの鈍いペースで、足を撫でてくる。唇はじんわりとふくらはぎを上ってきた。辿り着いた膝にもキス。触れるだけのを何度かしてから、吸い付く口付けを一つ。皮膚が厚いのもあって痕はつかないけれど、この吸い付き方はキスマークつけるときと一緒。
「ん……?」
「ぁ、う」
これまたゆっくりと口を離した治が、おもむろに顔を上げた。伏せられていた睫毛が、こちらを向く。俺の食い入るような視線に、やっと気付いてくれたらしい。
「……嫌やった?」
「いやじゃ、ない、」
「そ。……よかった」
と、肩に足をかけられる。ぐっと脚が開いた。じっとりとした下着が、露わになる。待ってよ、そこはパンツ脱がしてからじゃない、なんでこのまま? いや、いつもはこうするときにはとっくに脱いでいるから、……手順がもうわからない。ゆっくりってなに。わかんない。
どうするのが正解なの。セックスに正解も不正解もないって? そんなことはわかってる。でも、混乱しすぎてやばいんだ。俺の頭が、働いてくれない。治の行動、一つ一つに掻き乱されている。ああもう、助けて。誰でもいいから、えっと、北さんとか。……だめだ、あの人を呼ぼうものなら、俺以外のオトコの名前を呼ぶなやと、治に叱られてしまう。
「ひっ」
必死に巡らせていた思考を遮るように、太腿を擦られた。薄皮一枚だけに触れるみたいな、曖昧で、微かな撫で方。ああ、ああ、なんてじれったいんだろう。お前、こんな焦らし方できたのかよ、初めて知った。何年も付き合ってたってのに、まだ知らないことがあったなんて。
背筋に快感が抜けて、腰を浮かせてしまう。と、ピ、無機質な音が響いた。
「え」
開きっぱなしになっていた口から、間抜けな音が零れた。それとほぼ同時に、ぼんやりと暖色の光が灯る。常夜灯よりは白に近く、白熱灯よりはずっとオレンジ色の、光。そう、光。
いっそのこと、目が眩むほどの強烈な明るさになってくれたら良かったのに。
「よし」
「ッおいふざけんなよ、なんで今になって電気点けるわけ!?」
「そら見えるほうが勝手がいいからに」
「見えなくても俺の体のどこにナニがあるかなんてわかるだろ!」
「まあな」
「~~そのドヤ顔、すげえムカつく」
「ありがとお」
「褒めてねぇよぉおわヤダおい、ァッ脚ひろげン……」
ぐ、と治が俺の脚を抱えなおす。強引に股を広げられる感覚に、またゾクゾクと体が震えてしまう。ぬと、と、中心に濡れた感触が響いた。
「ッ」
咄嗟に視線が治から自身に移してしまう。ちょうど、濡れたと神経が喘いだ部分。……くっきりと、下着には滲みができていた。明るくなったせいでよくわかる。ふつり、顔に血が集まってきた。
「ふっ、顔真っ赤やん」
「うる、さいな、こんな予定じゃなかったんだよ、なんで上手いんだよ!?」
「やればできる子やねん、俺」
「……本音は?」
「はよちんこハメてぱこぱこしたい」
「台無しじゃん」
はあ、ところどころ垣間見える「いつもの治」に安堵しながら、熱くなった空気を吐き出した。ハメたい。パコパコしたい。頭の悪そうな語彙は、本来治が持っていたものじゃない。俺がこいつを煽ろうと、エロ漫画染みた単語を使ってきたせい。変な影響を与えてしまったな。だが、様になる言葉を吐かれるよりはずっといい。ひたすらに雄々しくて獰猛な言葉で責められたら、俺絶対股開いて強請っちゃうもん。
我慢、してんだろうな。そっと自由な左脚を、治の股間に置いた。その瞬間、びく、と治の肩が震える。足裏には、すっかり硬くなったソレ。デニム生地に阻まれて、酷く窮屈そう。
「すごいね、お前。俺の脚撫でただけでこんなになるんだ」
「そういう煽りやめえや、いつもみたくしたなる」
「あー……」
それはそれで、構わない。と、言ったら、怒るだろうか。ゆっくり言い出したのお前やろ、てげんなりされるのかも。
治が早く俺に突っ込んで腰をぶつけたいように、俺も早く治に突っ込まれてガンガン喘ぎたい。じれったさが募ってきて、もう一思いにブチ犯されたいような、そうでもないような。
……正直に言おう、さっさとヤリたい。
「あのさ、もう、」
ゆっくりじゃなくて、いつもみたいにしてもいいよ。そこまで言うのは躊躇われたので、代わりに、下着のゴムに指をひっかけた。つるりと脱ぎ捨て、欲情をしてヒクついている後孔を晒したい。ココにソレ、ハメて。いっぱい気持ちよくして、と強請りたい。
その一心で、腰からゴムをずらした。
「あ、まだ脱がんといて」
「へ、いやも、ゥ!?」
とん、と。布越しに治の指が触れた。まだ柔らかさのある竿をなぞって、むっちりと膨らんだ袋を突かれ、そして、物欲しげに震える、クチに、辿り着く。指先は、円を描くように、窪みを撫でてきた。
「な、なに」
「んー」
「いや、答えろよ」
雑な返しに、荒い追い打ちをするが、そいつはどこ吹く風。じ、と、治の視線は俺の股間に突き刺さり、相変わらず指先がふにふにと尻穴のあたりを撫でる。敏感過ぎるトコロに、布が、擦れる。
じくり、追い詰められる。
じわり、その証拠が滲む。
じとり。……それでも治の視線は動かない。
「や、やだこれ、じれったい」
「んー……」
「だから、んー、じゃな、ァ、あ、ちょっと」
もどかしい、もう布越しでもいいから指を突き刺してくれないか。不埒な思考を読んだかのように、ぐぬ、と、指先が布地を押し上げた。入れられることに慣れた窪みは、布諸共、そこを飲み込まんと拡がる。
けれど、どうしようもない違和感。微かにめり込む感触は「気持ちが良い」ものではあるのだろうけれど、「気持ちがいい」と声に出すほどの刺激でもない。ぞわり。どちらかというと、下着の布地が引っ張られて、前が圧迫されるほうがまずい。食い込む。後ろをめちゃくちゃに虐めてほしいのに、オトコの自分ばかり追い詰められていく。
治の指は、淡々と下着越しに口を弄る。
「あんま入らへんな」
「そりゃ、ね、」
「の、わりにヨさそうに見える」
「……気のせいだよ」
「ふぅん」
あ、抜けた。曖昧な相槌と共に、治の指は離れていった。けれど、布地はまだナカの粘膜に貼り付いている。気持ち悪い、脱ぎたい。
今度こそ。下着をずりさげようと改めて手に力を込めた。
「ヒ!?」
のに。
再び、それは阻まれる。下着の裾から入り込んだ指、というか、手によって。
「今度はなに!?」
「そりゃ直接」
「いい加減、脱ぎたいんだけど」
「……もうちょいこのまましよ」
「ンッ」
ぷつ、と布地が後孔から剥がされる。その細やかな刺激に浸りかけるも、すぐに余韻は直接的な刺激に塗りつぶされた。治の、中指と薬指。きっちりと切りそろえられた爪先で、カリッ、縁を引っ掻かれた。皺のある部分をわざとらしくつついて、また引っ掻いて、指の腹で伸ばすように押し伸ばして。
「ッァもっ、なかも」
「なかも?」
「な、ナカ、も、さわって」
「……触る? それだけでええの」
「ぁン」
ぷちゅ、と、ようやく指がナカに入り込む。それでも、一センチかそこら。根元までずっぽりハメてはくれない。し、浅いところをやんわりと撫でるだけで、俺がシてほしくて堪らない、抉るような触れ方もしてくれない。二本の指で、ぐっぱりと入口を拡げられたい。もう少し奥まったところにある、前立腺を挟むように扱いてほしい。早く、指じゃ届かない深さにある、オンナノコになれるアソコをいっぱい突いてくれたらいいのに。俺のココ、もう治じゃないと気持ちよくなれないんだ、血が巡りすぎて怖いくらいに膨張したソレを咥え込みたくて仕方がない。治だって好きでしょ、俺のやらしい孔のこと。ぎゅぅうと締め付けられながら、ぢゅぽぢゅぽ吸い付かれるの、好きでしょ。
変に腰が浮いてしまう。ヒュッと後孔に空気が触れた。ああ、絶対パンツ伸びてる。伸ばされてる。治の手が入るくらいだもん、広がりまくりだよ、クソが。
「もッ」
「ん」
「もう、やだ、入れてよ」
「入れとるやんか」
「指じゃなく!」
「ええやん、折角やし、たまにはこういうのも。つかお前がゆっくりて、」
「~~とりあえず、パンツ脱がせろよ、伸びる!」
「あ、そっちか。すまん」
「ぁう」
指が抜けるだけの感触にすら感じ入ってしまうのが悔しい。ズッと鼻を啜れば、肩に担がれていた脚がベッドに下ろされた。のろのろと、欲情しきった体に叱咤を打って、湿った下着を脱ぎ捨てる。ふる、と、かすかに芯を持った自身が揺れた。すっかり濡れそぼって、淫靡に艶めいている。やらし。そう思うと同時に、治は「えっろ」と呟いていた。
治がしやすいように、ぐ、膝裏に手を添えた。大胆に股を開きながら、腰を浮かせる。羞恥を煽る格好ではあるけれど、気持ちよくなれるのもわかっているから、ついやってしまう。暗かろうと、明るかろうと、関係なく、ココにいれてと曝け出してしまう。
ねえ、早く、いれてよ、ねえ。
「おお……」
「な、に」
「ぱくぱくしとる」
「……はぁ?」
「ここ、」
「わ」
ひたり、指が後孔に乗る。欲しいのは指じゃない。そう思えども、反射的にそこに吸い付いてしまう。おかげで、ひくひくと痙攣しているのが、手に取るようにわかってしまう。ちゅうちゅうと、物欲しげに指を強請る。指をとおして、愛おしい熱を求める。
にんまりと、治は笑みを深くした。
そのうちに、意地の悪い指が離れる。ああ、やっと、やっとだ。もう、いつもの性急さが恋しい。毎回こんなことをされたら、頭が狂ってしまう。よくもまあ、あの人はこんなことを続けられるものだ。いや、理性の塊みたいなあの人だからできることなのか。
息を切らしながら、刺激を待つ。待っているだけでも、焦れでソコは熟れていく。かぱ、とローションの蓋の開く音が聞こえた。その音にすらも、期待を煽られる。コレを垂らされて、雑に指で奥まで広げられたら、治のが入ってくる。
さあ、早く。
はやく。
「ん、ぁ」
とろ、と、冷えたそれが会陰に垂れた。すぐに伝って、ローションはひくつくアナルへ。追いかけるようにして治の指も降ってくる。
ねっとりと、口を撫でるように指の腹が這う。そして、つぷ、り。
「あッ……」
しかし、ここでもまた、――焦らされる。一本の指で、くちゅくちゅと浅く弄られるだけ。そんな浅いところ、もう解れきっているというのに。
「おいこら」
「……」
「なににやけてんの」
「前戯から喘ぐて、……珍しい、な、て」
「……ッ」
「あ、きゅって」
「やめて、言わないで、お願いシマス」
ふい、とそっぽを向きながら投げやりに言えば、視界の端で治は肩を震わせていた。ふ、ふ、と吐息だけで笑う声もする。腹が立つ。治にゆっくりと解されて喘いでしまった自分に腹が立つ。突っ込まれて前後不覚になってないときから喘いでいたら、最後にはすっかり嗄れてしまうというのに。
でもさあ、声、出ちゃったんだもん。入り口撫でられるの、気持ちよかったんだもん。もう調子が狂いっぱなし。
「ねえ、ほんとにもう!」
「ん、奥入れるな」
「っ、ッ……」
「……我慢しなや、声聞かして」
「やだ、っ……、ふ」
唇を噛み締めると、治の指が増える。一本で縁ばかり虐めてきたはずの指は、あっという間に三本に。指先が粘膜をくぱ、と広げたかと思えば、すんと緩む。しばらく腸壁を撫でてくれたかと思うと、奥のほうで、ぐぱ、と指が開く。ナカと、クチと、交互に拡げられていく。
「っ、ッぅ、……っ!
「すーなー」
「やめ、っおい、その、ソレやめ」
「んん~?」
ああ、こいつ楽しんでやがる。悦に浸った治の笑顔が、魔王に見えてきた。最悪だ、こいつに楽しみを与えてしまった。いや、治が楽しいのはいいんだけど、この楽しさに味を占めて次もこうしようと言ってくるのが怖い。まずい。だめだろそんなん。このペースが毎回とかだめ、ゼッタイ。酔っぱらってふわふわしてる状態でコレだけ気持ちいいのだ。素面だったら、とっくにトんでしまってるいることだろう。
「……~~っんァっ!」
「ふ、ふふ、」
「笑ってんじゃねえ」
「そら笑うわ、めっちゃかわええもん」
ああ楽しい、と言わんばかりに前立腺を撫でられた。痛いくらいに引っ掻かれたいのに、挟むようにして抉られたいのに。感触はあわまりにも淡くて物足りない。せつせつと、追い詰められていく。余裕と、理性とが、擦り減っていく。
「ぉ、さむッ、ほんともう、焦らすの、やめて」
「けど気持ちええやろ」
「頭おかしくなりそうなんだって……」
半ば泣きながら懇願すれば、ふう、と治は息を吐いた。それから、つぷ、と指が抜ける。たちまち襲ってくるのは空虚。入口八割、少し深いところ二割でしか弄られてないのに、腹のいちばん奥深いトコロが疼く。抉られたいと、切なくなる。
自分の指が、するりと伸びた。散々弄ばれた縁に触れると、否が応とも体が跳ねてしまう。そのまま自慰に耽りたくなるのをぐっと堪えて、指先を引っ掛けた。
そして、ぐ、ぱ、と。
「ね……」
その男にされたように、淫らに蜜壺を拡げて見せた。
「治の、はやく、いれて」
お前好きでしょ。こういう誘い方。どこまでもはしたなくて、だらしがなくて、品のない煽り。物欲しげにうねるナカを見せつけて、早く捻じ込んでくれと喚く粘膜を曝け出す。空気に触れているだけでじんじんするソコ。すとんと治の視線が落とされると、期待のボルテージが瞬く間にあがっていく。
治のそれは、すっかり大きく膨らんで、パツン、とテントを作っていた。入れたいでしょ。えっちな孔に、ぐぽんっとハメて、ばちゅばちゅ腰振りたいでしょ。振って良いから。明日腰が痛くなるって? そんなんもうどうだっていいよ。これ以上ゆっくりされたら、ふわふわした快感に引き摺られて、向こうしばらくは棒と穴のことしか考えられなくなってしまう。
さあ。
かちゃ、とベルトを緩める音がした。
「はやくっ」
「ん、」
前を寛げ、下着ごとずるんとずりさげて、……中から出てきたのはグロテスクな逸物。すっかり反り返っていて、これまででいちばんに膨張しているのではないだろうか。充血しすぎて、いっそ痛そう。ドクドクと脈打つソレは、間違いなく凶暴な熱を持っている。そんな怒張をナカに入れてもらえると思ったら。
とっぷりと、柔らかな自身から涎が垂れた。
治の指で、ず、ず、と二回ばかり擦り上げられたソレが、期待で戦慄く後孔にあてがわれる。ぷちゅり、水音が鳴った。蕩けて捲れそうな縁に切っ先が触れ、拡げていた指の爪にも熱が当たる。
入ってくる。入ってくる。はいって、く、る。
「ぁあ、」
「すなあ」
「ぁ?」
「ほしい?」
「ほ、しっ」
「ナカ、入れてほしい?」
「いれてほし……、ほンともッ、むりだからあ!」
はやくいれてよ。
M字開脚で固定した格好のまま腰を揺らす。その張り出た雁首をはしたない孔に押し込んで。指じゃ届かないところまで蹂躙して、たくさん穿って。 ちゅぷちゅぷと後孔が治に吸い付く。
にんまり。治はとびっきり凶悪に蕩けた笑みを浮かべた。
「――だあ~め」
うそでしょ。
そう思うや否や、ずるんっと治の切っ先が縁から外れた。引っ掛けるように動いたせいでびくんと体が跳ねてしまう。なんで、入れるとこじゃん。ていうか、かえってお前は苦しくないの。苦しいデショ。そんだけバッキバキにしといて、まだいける? バカなの? バカだろ!
「~~ひィっぁああ」
と、ヌブ、と指が沈み込んできた。一度に三本。いや、指先だけなら、三本四本飲み込まされていたから、なんてことはない。ちんこを捻じ込んでもらえると期待で満ちていたのもあって、難なく受け止められる。骨ばっていて、長い、それ。大好きで仕方がない、治の、指。悔しいが、気持ち良い。
軽く曲げた関節に前立腺を押されつつ、腸壁を、さり、さり、と撫でられた。欲しかったのではない刺激。けれど、熟れ切った自分には毒。どうせなら、しっかりと前立腺を責め立ててくれればいいのに、それはしてくれないときた。目一杯喘いで強請って、やっと触ってくれたかと思うと、すぐに違うところへ指が行ってしまう。そっちに行かないでよ、もっと触って、擦って、引っ掻いて。必死にナカをくねらせるが、今度は諫めるようにぴたりと指は動きを止めてしまう。
「やっ、やぁあ、やだあ」
「イヤやないやろ、こんなどろっどろにして」
「もおィキたぃ、やなの、これじゃ」
「イケへん?」
「おねがい、おねがぃらからぁッ、おさ、……おさ、むのちんぽっ」
「いや、俺のも爆発しそうなんやけどな」
「じゃあ!」
いれろよ、なんでいれねーんだよ、そこはいれろよ。気まぐれに俺の太腿やら会陰にさりさり撫でつけてこないでさあ。
必死に睨み付けてみるものの、涙と鼻水と涎でぐちょぐちょの顔じゃあ迫力もなにもあったもんじゃない。ほら、今こいつ、俺のこと鼻で笑った。絶対「ブッサ……」て思ったよ、そんで興奮してるよ。腹立たしいったら。
脳内にいくつもの罵詈雑言は浮かぶが、口から出てくるのは喘ぎ声ばかり。
「ゆっ、」
「ん~?」
「ゆっくり、て言ったじゃん!」
「おう、せやからゆっくりしとるやろ」
「こンらのっ、」
スローセックスじゃない。ただの焦らしプレイだ。このバカ。遅漏。絶倫。まったく、どれだけ俺の羞恥を煽ったら気が済むんだ。こんなセックスで愛を感じるだって? 馬鹿言え。
俺が興味を持ったスローセックスは絶対にこんなんじゃない。断言する。だって、あの北さんがこんな羞恥プレイを許容して「愛されてる」て言うと思う? 絶対ない、確かにマジになった侑はしつこそうだけど、間違いなくこういうんじゃない。
「ぁ、あァ、ッひ」
指の動きが早くなってきた。前立腺を弄ってくれる時間が長くなる。くったりとしていた自身が、かろうじて首を持ち上げた。腹の内側から込み上げてくる感触。ソレを後押しするように、治の指がナカに圧をかけてくる。
じわじわと、理性が焼き切れていく。一本、二本と、と糸が朽ちて、残るは紙縒りのような、一本に。
だらしなく折り曲げていた両脚が跳ねた。
イ、く、
「――っ、は、ァ、え?」
だが、来ると思われた絶頂は襲ってこなかった。あと一歩、紙一枚分足りない。どうして。息が詰まったまま、上手く呼吸できない。時間を止められてしまったかのよう。ぴたりとやんだ刺激に、堰き止められる快感。寸止め、された。誰に? そんなの決まってる。
おろおろと視線をよろめかせると、治の両手が、俺のひざ裏を掴んだのが見えた。片一方の手、指先はぬるりと艶を持っている。あれ、その指、さっきまで、俺のこと、気持ちよくしてくれていたのに。なんでそこにある。
「先に一人でイクなんて、さみしいことしなや」
「なん、ぇ、え、ァ」
ぽかんと拡がったそこに、熱があてがわれた。
どっと汗が滲んてくる。今、こいつは何をしている。やたらと色気づいた顔をしているのはわかる。欲が滲んだ、雄臭い顔。蕩けた蜜壺には、待ち望んだ熱、が。
く、ぶ。めり込んで、きた。
「ぁ」
縁が吸い付いていた切っ先はすぐに沈み込み、エラの張った部分がクチを拡げてくる。
「あ」
づぷ、ぬぶ、と漲ったソレは押し入ってくる。非常にゆったり、もったりとした速度で、奥に進んでいく。
「ア」
ちゅう、と奥の壁が切っ先に吸い付いた。これ以上の行き場はないと、俺の体が熱を諫める。
「ア、」
しかし、治のそれはまだ根元まで入っていない。もう無理、そう脳裏を掠めようと、お構いないしに腰に圧がかかってきた。咄嗟に過ったのは恐怖。快感の海の中から救い上げた、一匙の恐れ。怖い。震える指先が、治の肩を掴んだ。
「ん?」
「や、だめ、むり」
「んー、でももうちょい、な」
「むり、むりぃ」
「んん、無理、かあ」
「ぅん、はぃンない」
「でもな、すなならできるんちゃうかな」
「え」
「だから」
こういうとき、狡いいなと思う。
その男は、さっきまでの凶悪な笑みをパッと消した。代わりに現れたのは、果てしなく柔らかく、優しく、穏やかに、――とろんと綻んだ顔だった。
「もうちょい、な?」
ぐぽ、り。押し広げられた。圧がせり上がってきた。堰き止められていた快感を、押し出すように。
これは、まずい。
まず、い。
「~~~~ッッ!!?」
狂う。
全身に襲い掛かってきた暴力的な快感に、一瞬にして、身も心も決壊した。
***
「あ、起きた」
「ぁ?」
まだ意識はぼんやりとしている。寝起きなのだから当然と言えば当然。だが、治の喋り口調がやけにはっきりとしているのが気になった。大体、こいつが目覚めるのは俺と同じくらい。なんとなく目覚めたものの、お互いがぼんやりと目を合わせたまま十数分ベッドの上で過ごすのが、最近の常。最初は甲斐性を見せたかったのか、先に起きて朝飯を作ってくれたりもしたけれど、ここしばらくはずっとこう。しばらくぼんやりとしてから、「おはよう」の一声もなくのっそりとベッドから出ていく。仕方なしに追いかけると、目覚め切らないぼんやりとした顔のまま、冷蔵庫の中身と睨めっこしている治が見える。そんな感じ。
だからとにかく、こんなふうに覚醒しきった治の声を、寝起きに聞くのは久々だった。
「カラダ、つらない?」
「からだ……」
つらい、とは。ああ辛いか。どうも治の言葉をスッと理解できない。頭がまだ寝ているのだろう。布団を被っているせいか、身体もふんわりと温かい。目を閉じたら、数秒で寝られるに違いない。でもここで寝たら、こいつムッとするだろうな。聞いとるんか、て鼻摘まんできそう。そういう拗ねた顔、可愛いんだよなあ。十代の頃みたい自家中毒的に自分の調子に振り回されるようなことはなくなったから、すっかり拝まなくなってしまった。身内の次に、こいつの色んな顔を知っている自信がある。
「ん、ん……」
呻きながら、もすりと枕に顔を突っ伏した。ワンテンポ遅れて、身体の方もうつ伏せになる。辛いところ。苦しいところ。痛い、ところ。……あれ、俺、昨日、治とそんなヤバいプレイしたっけ。ひたすらに蕩けさせられたような気がすることしか、思い出せ……。
「ッ、」
ハッと、一部分に熱が集まってきた。いや、集まっていた熱に気付いた、というのがきっと正しい。じくじくと染みるような熱は、身体の中心に座り込んで寛いでいる。シッシッと追い払う程度じゃ、いなくなってくれることはない。まるで根を張ったみたいにそこに居て、俺の体を蝕んでくる。
「お、おい、だいじょぶか」
「あっちょと、ま」
待って。布団から手の平だけを出して、ぴ、と治に付き出した。途端、治の動きが止まる。びくんと体を震わした俺を気にして、布団越しに腰をさすろうとしていた手が、止まる。
なぜこういうときはちゃんと「待て」ができるのに、ああいうときは「待て」をしてくれないのか。自分勝手な「きもちええやろ」を振りかざして、タイムアウトすら与えてくれない。そりゃあ確かに気持ちいいけど、気持ちいいの全てを許容できるほど人体は上手くできていない。薬と一緒。過度に摂れば毒になる。
ふつふつと、記憶が呼び起こされると共に、理不尽への苛立ちが込み上げてくる。
端的に、言おう。
腹が、やばい。
「触んな」
「ぅ」
「フリじゃねえぞ、いいか、触んな」
枕に吸わせる格好になったため、あまりドスは効いていないが、治を牽制するには十分だったらしい。完全に治の身動きが止まる。布擦れの音さえしない。
おそらくこいつは、「やらかした」という自覚があるのだろう。それにすら気付いていなかったら、遠慮なく俺の腰をさすってきていたことだ。わかっているならいい。こっちだっていくらでも対処できる。だが、この「やらかした」という罪悪感を煽り過ぎてはいけない。過度に煽ると、「やらかした」ことに開き直ってしまうから。
『けど、角名も泣きながら気持ちい気持ちいて喘いで俺にしがみついてきたやろ。』
何度そう言われた事か。同じ轍は踏まない。踏んで堪るか。
どうにか治を遠ざけないと。そう思考を巡らせている最中も、じくじくと腹は痛む。熱を孕み、欲を滲ませ、気を緩ませたら最後、トんでしまいそうな悦を誘ってくる。なんだこれ。翌朝も、情事の尾を引きずることはあったが、ここまで残ることはなかった。だのに、今日に限って。
うつ伏せは、まずい。腹に圧をかけたらだめだ。このままでいたら、理性を投げ出して再びこいつに熱を求めてしまいかねない。
ごくり、唾を飲み込んで、横向きになるように、寝返りを打った。
「うぇ」
と、隣から聞こえる間抜けな声。あんだよ、起きないことに不満があるってか。あれだけ貪ったんだから、起きれなくても仕方ないだろ。頭の奥でチリチリと燃える欲を必死で沈めながら、じろりと治を見やった。
……は、なにその、顔。
「なん、つー顔、してんねん」
「いや、お前も酷い顔してる、けど」
あんぐり。口を開けてた、呆けた、顔。寝起きで重たい上に、泣きじゃくったせいでヒリヒリする目に、その間抜け面が映った。しかもただの間抜け面じゃない。……真っ赤に染まった、顔。予想しなかったえっちのお誘いに混乱している顔に似ているが、いつまでたっても瞳の奥に欲が滾ってくることはない。あたかも人畜無害。純朴な好青年。笑えるね、昨日、散々俺のコト追い立てて、イカせまくったってのにさ。
そんな気の抜けた顔をした治は、わなわなと震えるようにして、唇を動かした。
「すなあ」
「んだよ」
「あんな、昨日、したやんか」
「……なにを」
「その、ゆっくり? セックス、す」
「もう」
「へ」
「もうしないから。絶対しない、お前がなんと言おうと、二度とあんな焦れったいやり方はッ」
「~~あぁあ良かったあぁあ!」
「……は?」
寝そべったまま胡乱な目を治に向ければ、叫んだ調子のままそいつはベッドに顔を突っ伏した。まだ叫んでいるらしく、布団ごしにあぁあああの振動が伝ってくる。ちょっとねえ、それ止めて。その微妙な音すら体に響くから。あとできればもっと遠くに行って。せめてその体三つ分後ろに下がって。お前の匂いが鼻につくんだよ。ていうか、治のベッドに寝転がってるて時点で俺結構やばいの、わかる、わかって、ねえ。
俺の細やかなかつ重大な混乱を知ってか知らずか、ひとしきり叫びきった治はぱっと顔を上げた。相変わらずの間抜け面。先ほどよりも、安堵が混じっているから、情けなさが増している。なんだか、デジャヴ。どこかでこういう緩んだ顔を見た。だが、治が浮かべていた記憶はどうにも。ええと、どこで見たんだっけ。
あ、そうだ。いつだったか、北さんに愚痴った日の帰り際に見たんじゃん。あの人のカレシの、「きたさぁん!」って、ぐずっぐずに蕩けた顔。
さすがは双子、高校を卒業してから別の人生を歩んでいても、ほぼ同じ表情を浮かべられるだけのDNAを持ち合わせているらしい。
「あんなんしてたら俺、」
体に纏わりつく感覚から逃げたくて明後日に意識を飛ばしていると、上機嫌な治の声が聞こえた。拗ねられたらいやだしな、一応、こいつの言葉はちゃんと聞いておくか。ぐっと意識の根元を捕まえて、自分のほうに引き寄せた。
じわり、腹の内側に広がる熱は、とりあえず、気が付かない、フリ。
「お前のこと」
犯し潰して、殺してまうもん。
――最悪だ、そんな台詞、聞きたくなかった。
赤面した情けない顔して、そんな凶悪なことを言う奴がいるか。ヒッと悲鳴をあげなかった俺のことを、誰でも良い、褒めてほしい。