正気の水面下
(なんやろ、これ)
揺れる視界の中、ふと、意識が浮上した。
しかし、ぼんやりと意識が戻った、というだけではっきりと辺りを見渡すには至っていない。四方を取り囲むのはピンボケした世界。曇りガラス越しに眺めているかのよう、とも言う。ああ、暗がりからサンサンと日差しが降り注ぐ屋外に出たときの感じにも近いかもしれない。
あとは、ええと。そう、寝起き直後。
相変わらず視界はゆらゆらと揺れる。揺さぶられている? いや、揺れるであっている。何かしらの意志を持って、俺の体が、のろのろと動いて、揺れている。
俺、何してるんやろ。
(つか、あっつ)
はあ、と唇から吐息が漏れた。すぐに浅く吸い込み直して、また湿った息が零れ落ちる。熱でもあるのだろうか。厄介な風邪をひいたとき、こういう呼吸になった覚えがある。
けれど、風邪の兆候はなかったはず。どこぞのポンコツと違って、ぶっ倒れる寸前まで稼働し続けるほど鈍くもない。寝起きのせいで、酷く感じているのだろうか。風邪を引いたとき、自分がいちばんしんどいなと思うのは目覚めたとき。忘れていた喉の痛みだとか、鼻の苦しさがいっぺんに襲ってくる。
あー、風邪か。風邪引いてもうたんか。酷ないとええなあ。部活行けへんの、嫌やし。
「はあっ、」
再び、やけに濡れた息が落ちた。
それに、違和感。風邪で具合が悪くなっているのなら、布団にどっふりと倒れ込んでいるか、椅子にぐったりと体を預けているはず。だが、今の体勢はどちらでもない。膝立ちになって、ぐらぐらと揺れている。まったく支えがないというわけではなく、とりあえず両手はぺとりと何かに触れていた。これは、なんだ。座椅子の背もたれ? それよりは軟らかくない。しっとりと、手の平に吸い付いて来る。
――ごちゅり、不穏な水音が聞こえた。
(せや、飲みに連れてかれて、)
ぽつりぽつりと、靄がかかった思考から記憶を手繰り寄せる。
あのポンコツが帰省してきたのに合わせて、飲みに繰り出した。盆前で、アラン君もこっち帰って来とったから声かけて。アラン君の奢りやって、と釣り上げた銀と角名もいて。そしたら、アラン君は赤木サンにヘルプして。大耳サンにも声かけたらしいけど、都合悪いて断られたらしくて。酔いが回った脳みそ五歳児ブタがぴーぴー喚きながら北さん呼びつけて。自分と同じ顔がでれっでれに緩むのを気色悪いなと眺めて。
(で、えぇ……、なんやったっけ)
そんなこんなでどんちゃん騒ぎ。いっそ潰してまえと片割れは北さんに轟沈させられ、げらげらと赤木サンが腹を抱えて笑っていた。それを当然のように角名は連写。アホ面をピックアップして銀に見せていた。かと思えば、ポンコツが目を覚まし、「きたさあああん」と甘ったれた声を吐き出しながら、北さんに抱き付いた。……この先は地獄絵図だ。思い出すのはやめておこう。
あれこれ考えているうちに、意識は現実に近付いていく。曇っていた視界も、クリアになってきた。頭のてっぺんから足の先まで、びびびっと感覚が冴えていく。額から汗が伝い落ちた。滑らかなシーツを両膝が擦る。風邪を思わせる熱さは失せ、代わりにずんぐりと腹の底に熱が渦巻いた。
(うん?)
ぬづり、腰を打ち付けた。
あわせて、きゅううと局部が粘膜に包まれる。
うっそお、俺、どこで女引っ掛けたんやろ。そう思いながら腰を引くと、いやよ・だめよ・抜かないでと言わんばかりに粘膜が纏わりついてきた。腰だけ高くあげた格好は、いかにも「犯されています」と語っているかのよう。俺、ちゃんと同意取ったんやろか。無理やりやったらまずいなあ。
つか俺、ゴムつけとる? なんかやけに生々しい感触するんやけど。そっと視線を真下に向け、ずずずと這い出てきたナニを見やる。
「あかん」
「っぇ?」
「つけてへん」
ぬち、雁首が縁に引っかかった。赤く熟れたソコには、スキンに包まれていないグロテスクな塊が突き刺さっている。しまった。やってしまった。さすがにこの一発で孕むことはない? どうだろう、万が一もある。中出ししなければセーフなんて幻想は最初から持ち合わせていない。
ぎくりと体が強張り、張り出た腰骨を掴む手に力が入った。
「ん?」
二度目の違和感が走る。腰骨は思ったほど張り出ていない。ここが腰骨、という感触はする。だが、これはあまりにも寸胴すぎやしないか。なんとまあメリハリのない体だ。種々様々な需要があるのだから、少女を思わせる平坦な体を好む野郎もいるだろう。だがそれはそれ。俺としては、おっぱいは大きいほうがいいし、きゅっとくびれた腰も堪らんなと思う。そこに肉付きの良い尻・太腿が待ち構えていたらサイコーだ。
少なくとも、こんな寸胴、好みじゃない。真っ平らな尻にも興味はない。
なのに、だ。ぱちゅんぱちゅんと腰を打ち付ける動きを止めることはできない。
「ふ、」
「ッんぁ!?」
そして、三度目の、違和感。鼓膜を震わす声が、思ったトーンより低かった。ハスキーとも異なる。男声を、無理やりひっくり返したような喘ぎ声。
というか、俺、ドコに突っ込んでるん。両手を腰から尻のほうに滑らせて、弾力の低い尻を鷲掴みにする。自然と、その肉は外へと寄った。やだ、やら、だめ、やら組み敷いたソイツは泣き言を吐くが、とりあえずスルー。割り開かれていっそう露わになった結合部を、まじまじと見やる。
ケツの穴が見えへん。いや、見える。見えとるけど。フツー女とバックでヤってたら、きゅっとした尻穴が見えるやん。けど、見えへんねん。見えるのは、ばっくりと俺のナニ咥え込んだ粘膜の、縁。
「はぁあああ?」
「ぁ、あっ、ヤダ拡げん、なッ!?」
強引に拡げたまま腰を引いていけば、赤黒い半身がずるずると抜けていく。さっき見たとおり、コンドームはつけていない。ぐずぐずと埋め込んでも引っかかるような感触はしないから、やっている最中にとれたというわけでもないらしい。
つまり、だ。
酔っぱらった勢いで、どこぞの野郎を引っ掛けて、あろうことか生でアナルセックスに及んでいる、と。
文字に起こすと萎えてしまいそう。だが、ねっとりと絡みつく粘膜は酷く気持ちが良い。ギリギリと痛いくらいに締め付けてくる固さでもなければ、がばがばに緩いわけでもない。それどころか、自分に誂えられたかのような塩梅で纏わりついてくる。この相手が名器なのか、それとも自分との相性が良いからか。
ごくりと唾を飲み込んだ。何度も揺さぶっていた動作は、自然と止まる。
つ、視線を秘部から腰へと移した。どうせ一晩限りの相手だ、イマサラ顔なんか見る必要もあるまい。そんな考えも過るが、これだけ気持ちの良いセックスが今晩限りというのももったいなく思えてしまう。熱に浮かされた興味に従って、視線は腰から背中、肩甲骨、肩へと上っていく。
当然だが、見えるのは感覚通りのくびれのない体。決して貧相ではない。逆三角形の筋骨隆々には程遠いが、引き締まっていて無駄な肉はほとんどない。身長は自分と同じか、それよりも大きいのかも。脚を折っているから定かじゃないか、背中の大きさから察するに小柄じゃないのは確かだ。背骨に沿ってできた、綺麗な凹凸。浮き出た肩甲骨にもいびつさはなない。あ、うなじ、キレイ。女ほどの華奢さはないが、汗で濡れた襟足が張り付いているのは色っぽい。
「……?」
顔は、真っ白な枕に押し付けられていて、伺い見ることはできなかった。しかし、この後頭部には、見覚えがある。遠い記憶ではない。むしろ、ごく最近の、記憶。なんなら、昨晩見た覚え。
改めて、組み敷いた全身を、見下ろした。
誰、と聞けるほど、もう寝ぼけてはない。
「は、ァ」
「ッ、」
途切れ途切れに吐き出される声に、ど、と汗が噴き出した。いや、心臓が委縮した音かも。
嘘やろ。過った瞬間、俺に虐げられている男は身じろぎをする。達したわけでもないのに、律動が止まったせいだろう。こっちを振り返ってほしくないのなら、がつがつと責め立ててしまえばいい。ぎりぎりで保っている怒張を、一思いに穿ってしまえばいい。そうすればきっと、襲い掛かる快感にこいつはどっふりと枕に沈む。顔を見ずに済む。
理解はしていても、体は思うようには動かない。
体をひくひくと震わせながら、その頭が、顔が、目が。――俺を射抜いた。
「ぉさ、む……?」
あかん。
けたたましい警鐘が脳みその中に鳴り響いた。ぱちんと視線が交わったまま、逸らすこともできずに凍り付く。完全なるフリーズ。自然発火ならぬ自然冷却、それも瞬間冷凍。噴き出た汗で、全身が冷えていくのが嫌でもわかった。
そのくせ、中途半端に埋まっているソレは熱を孕んでいる。萎えるどころか、張りつめる一方。ぎゅるぎゅると血が集まって、熟れたフチを押し広げる。
息を吸い込んだ。喉もとでつっかえて、変に噎せてしまう。落ち着け、落ち着け。突拍子もない現場に鉢合わせるのは、ポンコツな片割れのおかげで慣れているはずだろう? そりゃあまあ、こういう情に塗れたやらかしはしたことないけど。気を取り直して深呼吸をし、どうにかこうにか体に空気を取り込んだ。より正確に、状況を把握しなければ。落ち着かなければ。言い聞かせるものの、動揺は加速し、頭はぐわんぐわんと痛みを伴いながら揺れてしまう。
ああ待て、この頭痛は二日酔いの頭痛ではなかろうか。的外れではないと思う。今のところ吐くほどの痛みではないが、このまま揺れていたら……。万が一もありえなくはない。
水、飲みたい。一口で良いから。
そいつと目を合わせたまま、ハ、と短く息を吐き出した。
「どしたの」
「……あー、」
「なに、きもちわるくなった?」
おまえ、けっこう飲んでたもんね、食いながらだたけど。飽きれたとそいつは嘆息を吐く。それから、ンと鼻にかかる喘ぎを零しながら、長い腕をヘッドボードに伸ばした。震える指先が、ペットボトルを掴む。あ、水。ラベルを見るに、流行りの透明清涼飲料水ではない。本当の、水。
ん、とそいつは掴んだばかりのボトルを俺に差し出した。薄いプラスチックの壁の中で、たぷんと透明が揺れる。
「ほら、水。飲んだらちょっとは良いんじゃない」
いたって平然と、そいつは言う。少し掠れているものの、聞き慣れた声色とほぼ同じ。正直、俺のナニを咥えこんでいるとは思えない調子だ。
「ちょっと、おさむ?」
「お、おう」
「この体勢きついからさ、飲むなら早く」
「お、う」
「……返事するなら受け取れっての」
「ん、」
「聞いてねえだろ」
聞いとるわ。聞いとるけど、体が思うように動かないんですう。
ただ、じっとりと、そいつの顔を見つめることしかできない。怠そうな瞼とか、泣いたのか赤くなった眦とか。唇もやけに血色が良い。艶やかに見えるのは、おそらく唾液が垂れたせい。どことなく息も上がっているだろうか。
なんか、えっろいな。色っぽい。艶っぽい。ふ、ふ、と吐息を漏らすそこを塞いだら、どんな反応してくれるんやろ。
カチンと凍り付いていた体がゆっくりと動き出す。手始めに、ペットボトルを差し出してくる手首を突かんだ。ぐるりと指が周って、少し余る。別にこいつの腕が細いわけじゃない。ひとえに俺の手がでかいから。は、とそいつの体が震え、ボトルが指からすり抜けた。落ちたボトルは、ぺちんとそいつの腰にぶつかってからベッドに着地。蓋が閉まっていて良かった、開いていたらシーツがぐしょぐしょになっていただろうし。
「治? 吐きそうなんじゃないの、」
「まあ、大丈夫と、思う」
「なら良いけ、……ゥアぁあッ!?」
言葉を遮るようにして腕を引き、組み敷いていた体を反転させた。強引にひっくり返したため、ずるんと後ろから抜けてしまう。その感覚に遊ばれたのか、そいつの口から悲鳴のような嬌声があがった。あ、今の声、ええな。もう一回聞きたい。はくはくと金魚のように口を開閉させるそいつを見下ろしながら、今度は投げ出された両脚の、腿の裏を掴んだ。ぐ、と胸のほうに倒しながら脚を開かせれば、自然とその腰は持ち上がる。おぉ、M字開脚、なんて呟くと、カッとその顔が真っ赤に染まった。
「あ、んま、見ないでくんない」
「なんで?」
「なんで、って、見たって面白いもんじゃないし」
もそもそと言いながら、そいつの手は所在なさげに胸元できゅっと握られる。見て欲しくないと言うのなら、その両手で局部を隠すこともできるだろうに。ひっくり返ったカエルのような姿勢のまま、うらうらと視線を泳がすばかり。
ちら、と視線を下ろした。そこにあるのは男の象徴。勃起してはいるものの、完勃ちとまではいかない。緩く首を擡げて、切っ先から透明な液体をこぽこぽと漏らしている。ひっきりなしに漏れるカウパーは竿を伝い、睾丸を濡らし、ついさっきまで俺が埋まっていた秘部をも湿らす。赤く熟れた後孔は、正直性器の一種にしか見えない。ぽっかりと開いた穴に、ぬらりと淫靡に光る縁。しばらく見つめていれば、きゅっと蜜孔が窄まった。自然に閉じた、というよりは、意図的に閉じたといった様子。
「なあ」
「あんま見るなってば」
「はずかしい?」
「なんの羞恥プレイって感じ」
「……おもろいで」
「なにが」
「見てて。さっきまでぽっかり開いてたのに、今きゅって力んだやろ」
「……それの何が面しンッ!」
「はは、ひくひくしとる」
またもや言葉を遮り、窄まったソコに自身の切っ先を当てた。途端、物欲しげにアナルが吸い付いて来る。このまま押し当てれば、いとも簡単に埋まってしまうのだろう。静かに押し付ける力を強めれば、ほら、美味そうに俺の怒張を飲み込んでくれる。亀頭も雁首も過ぎて、づぷ、ぬぷ、と陰茎はそいつのナカへの入っていった。
あと少し、あとちょっと。そここまで腰を押し当てたら全部入る。根元まで入り切る。と、いうところで、圧が増した。これ以上は無理とナカがうねり、そいつもぱさぱさと毛先を揺らしながら首を振る。でも、ほんまにあとちょっと。なあ、これどうにか入れられへん?
上体を倒して距離を詰め、窺うようにそいつの顔を覗き込む。
「っちょ、お、治!?」
「んー?」
「なに、すんの。つかもう入んないって、俺くるし、」
「んー……」
その言葉は事実だろう。見下ろした顔の眉間には皺が刻まれているし、眉はハの字を描いている。なにより、締め付けがキツくなった。今でこそ痛くはないが、さらに捻じ込んだら……。うわ、痛そ。
けど、馴染んだら、大変な天国を見られるのではないか。なあ、見たいやろ、天国。極楽。絶景。絶景はちょっと違うか。でもそんなイメージの、快感に溺れたいと思わへん? 俺は思う。
こつ、と額を重ねてからしっとりと濡れた唇に自分のソレを重ねた。上唇は上唇、下唇は下唇と触れる。柔らかな感触を満喫したところで一旦離れると、は、と間の抜けた声が漏れた。こいつのびっくりした顔、いつぶりに見たろう。年単位で拝んでいなかったのは確かだ。まさか高校の同級生とこんなキスすると思わなかった。顔にまざまざと書いてある。でもしたなってん。しゃーないやろ。
ふ、と吐息で笑ってから、ちゅぷ、と半開きになっている唇の下側を食んだ。二回ばかり甘噛みをしてから、ちろっと上唇を舐める。一つ息を吸い込んで、とろり、蕩けだした口内に舌を捻じ込んだ。向こうの舌も、控えめに絡んでくる。吸って吸われて弄り舐られ。
手を添えている太腿が、ピクピクと痙攣をはじめた。あわせて、ナカが蠢いた。締め付けながらも、奥へと誘っているかのよう。そっと腰を推し進めれば、僅かな抵抗を伴いつつも、わずかばかり残っていた自身が埋まっていく。
きもち、ええ、なあ。
「ぅ」
「ん?」
「あ」
息継ぎに唇を離すと、半開きの口から音が漏れた。待て、やだ、すとっぷ。そんな意味は込められていない。本当に、ただの音だ。
と、そいつの声に聞き入っているうちに、こつんとナカで切っ先がぶつかった。ここがいちばん深いところらしい。しかし、もう数ミリは残っている。陰毛に覆われてわかりにくいかもしれないが、俺の腰はまだそいつの秘部に触れていない。もうちょい、もうちょい。ぉ、ア、と声を零し続ける口を塞いで、半ば強引に熱棒を突き刺した。
ご、ちゅん。
そんな感触がした。音が、聞こえたような、気がした。
おし、これで、全部。
「ぜんぶ、入ったで、」
ありがと。
そう、唇を動かした。
「ァ、」
だが、しかし。
「~~ッァあぁあ!?」
――劈く悲鳴に、かき消された。
言うならば電撃。蜜壺に浸かった怒張が、きゅうううと締め付けられた。
あかん。下肢がずんぐり重たなってきた。捻じ込んでいる陰茎が、びくびくと震えるのが嫌でもわかる。咄嗟に、腰を引いた。
「うぉおっ!?」
しかし、それは叶わない。ぐんと腰にそいつの脚が纏わりつき、俺を逃がすかと引き寄せる。どこにそんな力が残っていたのか。お前、さっき奥はヤダ言うてたよな、なのにいざ突っ込まれたらコレ? どないやねん。俺としては役得やけど、お前そんなチョロくてええの。つか、このままやとほんまにあかん、あかんねん。中にぶちまけてしまう。クソッ、力で現役バレーボール選手に敵うと思うなや。
チッと舌打ちしてから、そいつの体を引き剥がすべく、身体を離した。
たちまち、飛び込んでくる、男の顔。快楽と多幸感に溺れた、――酷く淫靡な、角名の、顔。
「っヴ」
負けた。三文字が脳裏を過る。それと同時に、最奥で欲が弾けた。どく、どぷ、溜め込んだ精子が粘膜にぶつかる。その感触すらイイのか、角名の顔がいっそう恍惚に歪む。中出しされてヨがるなんて、そんなビッチとは知らんかった。いつからそんな性癖抱えとったん。まさか高校の頃からとか言う? それやったら、とんでもない役者やな。アカデミー賞も狙えるて。知らんけど。
「す、すな?」
「ぁ、あー……、ぅ」
「だ、だいじょぶ、か?」
「ん、……ぉ、さむ?」
「お、おう」
「ンンッ」
ひとまずずるりと萎んだそいつを引き抜いた。その感触すら、今の角名には毒なのだろう。鼻にかかった喘ぎを漏らす。
恐る恐る視線を落とせば、最初に見た時よりも充血して真っ赤になった縁が、ぽっかりとこれまた大きく穴を開けていた。その直径は、間違いなく自分の勃起時のソレと一致する。えげつな、と思う一方で、ぞくぞくと欲が掻き立てられそうにもなる。待て待て、落ち着け。そもそも何で俺は角名とセックスしてんねん。しかも生で。俺に至っては途中まで意識なかったし。なんたる失態。末代まで笑われる。酔いつぶれて先輩に無体を働こうとしたポンコツのこともバカにできない。
どないしよ。はあ、とため息を吐いてから、再び角名の顔に視線を戻した。
と、俺に絡みついている脚が、わずかに力む。まるで、引き寄せようとしているみたい。まさか、そんなわけ、
「ね、もっかい」
「は」
「もういっかい」
「なに、言うて」
「したい」
「角名ぁ、」
「……はした、なくて、ごめん。でも、したい」
「ぅええ、正気か?」
「正気じゃないかもね。……お願い、」
からだ、火ぃついちゃった。
えっちしよ。
口先だけは、あたかもアバズレ。けれど、顔も体も、どこもかしこも真っ赤にしている。達した直後というのもあるだろう。だが、本当にそれだけかと言われると、どうだろう。羞恥も混ざっているように見える。
一回で満足するつもりだった。でも、満足できなくて、火照ってしまって、どうしよう。あ、ビッチを気取ればもう一回くらいしてくれないかな。治案外、優しいし。あと欲には素直だし。作り過ぎちゃった、食べてくれない? に絶対弱いしコイツ。似たような感じで、どうにか、やれないかな。ムリ? おねがい。神様。ねえ神様仏様。……なんていう角名の思考が見える。
俺を何やと思てんねん。
はあああ、と一際深くため息を吐いた。纏わりついている脚がひくんと震える。沈黙を続けていれば、おずおずと脚が離れて行った。やっぱだめ、だめだったか。あぁあ恥ずかしいことした。穴があったら入りたい。空気を伝って副音声の電波が流れてくる。
視界の端に、三角座りをする角名がうつった。
「角名、」
「やっぱいい、忘れて、嘘、冗談」
「ええよ」
「……今なんつった、え、正気?」
「正気じゃあ、ないんやろな。……けどまあ、ええんちゃう? 正気やない同士」
まったく、こいつのことも、笑えない。チョロいのはどっちだ。相手は男、元同級生、言ってしまえば友達。そんな相手と気付いたらセックスしていて、我に返ってなお、誘われたからともう一回セックスしようとしているなんて。いや、そもそもまだ我に返っていないのかもしれない。だったら、まあ、ええか。ええことにしよ。やめやめ、ぐずぐず考えてたって気持ちよくはなれへんし。目一杯気持ちよくなってすっきりしてから、そのあとのことは考えよ。
「えっち、しよか?」
言い放った途端、角名の耳がカッと染まった。追いかけるようにして、頬も染まっていく。さっきも十分赤いと思ったが、まだ上があったらしい。茹蛸みたい。そう笑ってやったら、拗ねるだろうか。真っ赤になりつつむっと唇を尖らせたら、うはは、ほんまに蛸やんか。
畳みかけるようにニッと口角を釣り上げれば、角名は奇声をあげながら体をベッドに沈ませていった。
***
「で?」
やたらと広い湯船に浸かりながら、頭を洗う角名に声を掛けた。泡だらけの髪をしたそいつが、流し目気味に俺を見やる。ついさっきまで蕩け切っていたとは思えないくらい、平坦な色。読めないというか、食えないというか、ほんまにベッドの上のアレと同一人物かと疑いそうになる。
けれど、そいつの首には赤い痕が浮かんでいる。俺がつけた、キスマーク。首のほかにも、鎖骨に一つ、胸に一つ、ずずいと下って太腿の内側に三つばかりついているはず。あわせて六ケ所、吸い付いた感触は、確かに覚えている。特に、左の太腿、それも付け根に限りなく近いトコロの鬱血痕は、中出ししたモノを掻き出しがてらつけてやった。その瞬間のこいつのうっとりとした顔と言ったら……、当分オカズに困らないやろな。
向けられた目線を絡めとって、じぃっと見つめていれば、角名は泡を纏った髪から指を抜いた。ふいっと視線が離れ、シャワーヘッドを掴む。カランを捻ると同時に流れ出す湯。手の泡を流しがてら湯温を確認すると、ざざざと頭からそれを被った。白が流れ、皮膚を伝う。ぬめりが洗い落とされていく。
今、あの背中に指を這わせたら、どんな反応をするだろう。ぶっきらぼうに「なに」と返してくるか、情事の最中のごとく裏返った悲鳴をあげるのか。快感の名残で身を捩らせるのも悪くない。ま、うっぜえて顔されんのがせいぜいやろな。角名やし。
「で、って?」
キュッと水がせき止められる音がした。それから、たっぷり全身を濯いだ角名が、ふらりと湯船に向かってくる。前を隠すなんてことはしない。自分と同じ物がついた、野郎の体。身長だけならこいつのほうがある。そんな相手を、俺は組み敷いていた。なんて血迷いごとを。そう思う自分もいれば、「なんやこいつえっろいな」と舐めるように角名の四肢を眺める自分もいる。わけがわからない。
眺めていたつま先が、とぷん、薄水色の湯に浸かった。
「どっちから誘ったん」
「なにを」
「ナニを」
一人分のスペースを空けて、角名の体が湯船に沈んでいく。深さの都合、浸かるのは鳩尾のあたりまで。おかげでぷっくりと膨れた乳首がよく見える。右ばかり舐っていたせいで、左よりも赤くなっている。バランス悪いな、左抓ったろか。吸い付くたび喘いでナカをきゅうきゅう震わせていたのを思うと、良い嬌声が浴室に響くことだろう。
むくりと欲が首を擡げた。しかし、半身が勃つ気配はない。それもそのはず、あのあと三回もやったのだ。次があるなら四回目。できないこともないだろうが、突っ込める固さにするには大変な時間がかかるに違いない。風呂場でやるのは諦めよう、そうしよう。
ゆら、り。水面から角名の両膝が浮かんできた。濡れた髪の毛を、傷一つない指先が後ろに撫でつける。赤らんだ頬は風呂に入っているせい、でも紅を乗せたかのような目元は情事の名残。諦めようと思ったそばから、やっぱしてみたいなと過ってしまう。また今度があるとも限らないし、どうせなら。湯船の中で、じり、左手の指が波打った。
と、角名の目線がこちらを向いた。その瞳に、艶やかさはない。よく知った目付き。何かを悟ったような、単に気怠いような、学生の頃、毎日見ていたそれ。
ああ、今度どころか、さっきの続きもできそうにない。歩くように近付けていた左手を、そっと自分のほうに戻した。
同時に、角名の薄っぺらい唇が開く。
「覚えてないの」
「覚えてへんから聞いてんねん」
「いやほら……、察してよ」
「察して間違うてたら俺とんだピエロやん」
それくらいははっきりさせておきたい。一夜の過ちとして済ますにせよ、なかったこととしてしまうにせよ、自分の失態を反省するくらいさせてほしい。なにより、俺から誘ったのだとしたら、なぜそういう発想になったのか、それから角名から誘われたのだとしたら、なぜその誘いに乗ったのか。原因を明らかにしておかねば。でないと、二度三度と同じことをしでかしてしまう。そのとき舞い上がるのは誰か。……侑だ、あいつ絶対これ見よがしに俺のコト煽ってきよる。人のコト散々ポンコツやらろくでなしやら言うといて自分もやないかい! て、高らかに笑うあいつが見える。この年になってまで、あいつと殴り合いの喧嘩はしたくない。しんどいし。
かったるそうな目を見つめ返していると、角名の眉間にむぎゅっと皺ができた。あわせて目が細められる。極めつけは歪んだ唇。うわ、不細工。口を滑らせたらうるせーよと水鉄砲を放ってきそう。思考と舌が直結しないよう細心の注意を払いつつ、はよ言えと首をかしげてやった。
「……俺からだよ」
一拍、二拍おいてから、吐き捨てるようにそいつは言う。
角名、から。角名から誘ってきた。体の中でもごもごと反芻する。じゃあ俺が考えるべき問いは「なぜ角名の誘いに乗ったのか」だ。俺のことだ、酔いが回ってちんこ突っ込んでええのならとろくに考えもせずに押し倒した可能性も否めない。酒飲むときは気ぃつけなあかんな。
そうしている間にも角名はずぶずぶと腰をずらし、無理やり体を湯船に沈めていく。曲げていた膝も伸ばして、ついには肩まで浸かってしまう。薄く色づいた湯の奥に、投げ出された脚が見えた。つるんとした、その足。陰毛の具合を思うと、そもそも体毛が薄いのかもしれない。だがそれにしたって、つるっつる。高校の頃は、こうじゃなかった。なのに、今は。
剃っているのだろうか。なんのために? ……こうやって、誰かに抱かれる、から? それとも別の誰かに求められて、剃ったとか、整える習慣がついた、とか?
「もう一つ教えてほしいんやけど」
「んだよ」
「処女ちゃうよな」
「おいデリカシー。……まあ、ハジメテではないけど」
「なら、なんで俺としたん」
「さっき一つって言ったじゃん」
「せやかて気になってもうたから。俺やなくても、他に都合の良い奴、おるんちゃうの」
そいつ呼びつけてヤッたほうが、何かと楽だったのではないか。まして、こんなふうに詮索されることもなかったはず。
見下ろしていると、さらに角名は湯船に沈んでいく。おい、溺れる気か。咄嗟に左手を伸ばすと、口まで水面に沈めたところで動きを止めた。ぽこぽこと、小さな気泡が浮かぶ。気怠そうな目は閉じられて、濡れた睫毛が際立って見えた。
角名。呼びかけた声が、ぼんやり、湿った空気に溶けていく。
寝たわけではあるまい。だから溺れてしまう心配はない。けれど、あまりにもその姿勢を続けられるのも心臓に悪い。無理やりにでも起こしてしまおうか。中途半端に開いていた左手を、ぐ、握り込んだ。
すると、重たそうにそいつの瞼が持ち上げられる。同時に、ゆらり、ざばり、上半身があがりでた。腰の位置が前にあったせいで、俺の斜め前方に背中が現れる。すらっとした、その背中。そういえば、背中にはキスマーク、つけへんかったな。肌に乗る水滴に、ごくり、唾を飲み下した。
「……それこそ察してほしいんですケド」
湯気の立つ浴室に、もごもごと歯切れの悪い声が落とされる。
ついでに、そいつの右耳もよく見えた。髪をかき上げているおかげで、耳殻の形がくっきりと視界に入る。丸いというよりは面長、みみたぶは薄くて、ピアスが映えそう。でも、ちょっと引っ掛けただけで千切れてしまいそうな気もする。から、貫通はしないでほしい。
ところで、その肌色にしては赤みが強いの、どう解釈したらええ?
「お、れに、抱かれたかった、て?」
まさか、と思いつつも口走ってしまう。
空気が震えた瞬間、角名の肩も、ひくんと震えた。振動は、水面を伝ってこちらにもやってくる。まじか。え、ほんまに。嘘やろ。
はく、と空気を飲み込むと、角名は早口気味に吐き捨てる。
「皆まで言うなよポンコツ」
「誰がポンコツや」
「お前だよお前、宮治。っはーやっぱDNAは一緒かあ!」
「おい、あのろくでなしと一緒にすんな」
「一緒だよ一緒、さっきだってデリカシーないこと言うしさあ!」
「そんなん言うたかて、お前ガラス細工みたいに扱われたらそれはそれで不貞腐れるやろ、さっきみたいに!」
「あったり前だろ、俺はそんなに脆くないし壊れもしないし、つーか最後のアレほんっとなに、なんであんなに丁寧に抱いたの最初の乱暴さどこいったんだよ!」
「ッ角名がもうイキたないて言うからやっさしくしたんやろが!?」
「そこはろくでなし貫けよこのポンコツうっかり期待しちまったじゃん!?」
「ハァアア期待てなんやねん」
「うるせえこっちの話!」
「言いかけて止めんなボケ、つか文句あるんやったら湯水やのうて俺に面と向かって言え!」
「ぅ、わッちょっと、」
売り言葉に買い言葉。早口に加えてボリュームも増していく。ここがラブホで良かった。と、思うべきなのか。
それはさておき、いつまでもちゃぷちゃぷ波打つ水面に向かって吐き捨てるそいつが信じられない。矛先が目の前にいるのだ、わざわざそっぽを向かずに、直接言うたらええのに。というか、俺はそうしたい。
グーの形になっていた左手を開き、そいつの肩を掴んだ。今、何の仕事をしているかは知らないが、デスクワークに溺れてはいないだろう。なんたって、凝っている感触はしない。きっと、肩の柔らかさは今も健在なのだ。たぶん、強引にこちらを振り向かせても、ごきりと変な音が鳴ることはない。
響くのは、ざば、という、水面が揺れる音だけ。ほら、しなやかに、そいつはこちらを振り向いて見せた。
「は」
さぞ、憎たらしい顔をしているのだろう。そう思った。
「な、んやねん、その、顔」
「ほんとむかつく」
「いや、ムカつくて顔してへんぞ」
しかし、その予想は大きく外れる。やたらと広い浴槽の中央にすとんと腰を下ろしたそいつ。の、膝立ちになった俺を見上げてくる、顔つき。そこには憤りは浮かんでいない。かといって、感情的でないかというとそうでもない。同じくらいの強い感情は浮かんでいる。ただ、ベクトルが真逆なのだ。
「な、んで」
掠れた声が漏れた。いかにもギョッとしている。せやかて、こいつのこんな顔見たら、誰だってこんな声になると思うわ。
くしゃり、さらに角名の顔が悲壮で歪んだ。
「なんで泣いてんねん」
「まだ泣いてねーよ」
「泣いてるようなもんやろ」
たっぷりの涙の膜。それを作った目尻を撫でれば、たちまち一粒流れて行った。ほら、泣いた。淡々と言ってやれば、滔々と突っぱねられる。人為的なものはカウントしません、と。
ずっ、今度は鼻水を啜る音がした。いやもう、本当に泣いているのとなんら変わらない。まるで俺が虐めているみたいじゃないか。いや、これは俺が虐めているからこんなことになっているのか。ちゃうねん、別に虐めようとしたんやなくて、言いたいことあるんやったら面と向かって言ってほしいなと思ただけで。
……何を言っても言い訳にしかならんわ。ごちゃごちゃ考えるの、やめよ。
「治さあ、途中からは覚えてるんでしょ」
「お、おう」
「ならなんで引かないの」
「引く?」
「ケツにちんこ捻じ込まれてあんあん喘いでんだよ、気持ち悪いとか思わないわけ?」
「……き、気持ちええなあとは思たけど」
「アーハイハイ、お前はそういう奴だったよ、忘れてた俺がバカだった」
「なあ、それ俺んこともバカにしてるやろ」
してるに決まっているだろ。そんな顔をした角名は上目遣いで俺を眺めた後、つつ、と視線を落としていく。胸、腹、と来たところで、ふいっ、わかりやすくそっぽを向いた。なんで、とは思わない。こっちは膝立ち、向こうは胡坐。目のやり場に困った、と。明らかだ。俺だって目の前に野郎の打つが合ったら目を背ける。しかも、少し前までソレで喘がされていたとなればなおさら。
おずおずと角名の隣に浸かると、たぷんと水面が揺れる。その揺れが落ち着いたところで、ようやく角名の視線が戻ってきた。さっと羞恥が線で残っている。羞恥、か。もっとすごいことをしたのだが、女心はよくわからない。いや女ちゃうわ。ここで女扱いしてもうたら、施しようがないくらいにこいつ拗ねるし。
「さっきさ、治言ったよね、俺に抱かれたかったからか、って」
「おん」
「大体合ってるけど満点ではない。十点満点だと八点くらい」
「なんやと」
ふと、現代文の授業が浮かぶ。本旨はあっているけれど、理由が書ききれていないがために減点される、アレ。おおまかに読み取れているのであれば丸で良いだろうにと思っていたが、そうか、こういうところで効いてくるのか。けれど、あそこまで正確に考えを読み取れるのもコミュニケーションをとるうえでどうなのだろう。完全に思考を読まれたら、逆に恐ろしくはないか。
ああ、でもまあ、こいつの考えてることは一から十まで読み取れるように、なりたいかもしれない。いつでも気怠く構えているようで、感情豊かなこいつの、思考回路。知りたいと思う。だって知れたら、こんなふうに不意に泣かせることもないやろ。
別に角名が泣いたところで困ること、ある? 人間味の薄い自分が問いかけてくる。困るコト、確かにないかも。いやある。あるわ。さっきこいつの泣きそうな顔見たとき、俺めっちゃ焦ったやん。焦るということは、困るということ。あれ、何で俺、さっき焦ったんやろ。虐めている気分になったからだろうか。理由としては、どうも腑に落ちない。
「――好きだから、お前に抱かれたかったんだよ」
ほら、満点じゃないでしょ。角名はそう続けるが、どうにも言葉が入ってこない。脳みそにまでたどり着かない。どうにか送りこめたとしても、言葉を受け付けてくれない。
拒絶反応? いや、違う。
「すき?」
「そ、好き」
「誰を」
「おまえをだよ」
「……?」
単に、頭が働いていないがために、理解できずにいるのだ。
すき。そう、好き。誰を。おまえをだよ。たった今交わした会話をどうにか脳内に響かせる。リピート設定にして、ぐるぐると繰り返し鳴らす。それでもまだ、わからずにいる。
すき。ぽつりと呟けば、正面からため息が返ってきた。
「だぁから、俺は治のことが好きで、まあでもノンケだし望みないよなーって思ってたんだけど、こう、……酒の勢いに負けて強請っちゃったっていうか」
そういうことか。いやどういうことやねん。
角名の言葉もろくに頭に入ってきやしない。なんたって、「すき」というひらがな二文字すら噛み砕けないのだ。当然と言えば当然のコト。
これほどまでに頭が働かなくなるのは、いつぶりだろう。インフルエンザにかかって四十度の高熱が出たときだって、もっと冴えていた気がする。少なくともおかんにプリンをせびる程度には、頭は動いていた。
「すき?」
そして再び、同じ綴りを投げかけてしまう。
「えっ、またそこからやり直し?」
「誰を」
「……おまえだよ、みやおさむ」
これで最後だ、そんな副音声が聞こえた。となれば、あとは自力で解読するしかあるまい。
ごく、口内に溜まった唾を飲み込んで、食い気味に角名を見やった。すき。好きと言った。誰をと尋ねたら、お前を、みやおさむをと答えられた。みやおさむを、すき。宮治が好き。
角名は、俺のことが、好き。へえありがとう、俺もお前のこと嫌いやないで。てちゃうねん、そういう好きじゃない。なんたってこいつは、俺に「抱かれたい」と思うような好意を持っているのだ。
辞書的にいう、恋愛感情。それもプラトニックなんて澄んだものではない、情欲を伴った好意。
ぞっと、した。
「嘘やろ」
「っはーそーですよね、そーいう反応がフツーですよね、知ってましたぁー」
「っおい、なに拗ねてんねん」
「拗ねてねーし」
「拗ねとるやん」
「ほんとに拗ねてないってば、どっちかっていうと開き直ってる」
「すな」
「あんだよ」
「気は確かか」
「はは、狂ってたら楽だったのかなとはよく思う」
皮肉な顔をして言い切ると、角名はざばりと湯船から立ち上がった。日に焼けていない肌。かといって不健康な白さではない。火照っているのを差し引いても、健康的な範疇。ただそこに、点々と、自分が残した痕がある。倒錯的。この場合は非現実的、というのが正しいか。
俺、こいつを抱いたんやな。改めて、とすん、胸に突き刺さる。
ぞくり、再び背中に痺れが走った。
「あかん」
「あーもーいいよそんな気にしなくて。別に実らせようなんて思ってないし、そもそも昨日のことだって」
「ちゃうねん」
かっくりと俯く俺を置いて、角名は湯船から足をも上げる。一人分の体積を手放した湯水が、とぷん、たぷん、肩の下で揺れた。その揺れに合わせて、思考がかくん、こくんと左右に傾く。
角名を抱いた。それ自体に嫌悪感はない。最初からなかった。だって気持ちが良かったし。こいつを組み敷いたときの、満たされる感触も悪くなかったし。男だからとか、アブノーマルなプレイをしているとか、そういう方面への抵抗はない。快楽さえ得られればいいなんて、なんて人でなし。誰かに指摘されるまでもない、自分だってそう思う。
だが、角名は、ただ気持ちいいからなんて理由で抱かれたわけではないという。俺への好意ありきで、酒の力を借り抱かれるに至ったと。そうまでして抱かれたいと思うくらいに、俺に焦がれていた、と。
その好意を踏まえて、かの行為を振り返り、なお、不快感は、ゼロ。
それどころか。
「うれしい」
「……はぁあ? 同情だったら」
「ちゃうねん、ほんまに。よおわからんけど、お前にそういうふうに好きて言われるの、」
うれ、しい。
水面を揺らして角名のほうを向けば、さっぱりとした長身があんぐりと口を開けていた。わざとらしくその身を隠すようなことはしない。別に見られたってなんともないから。言えてる。今のお前を見たところで、どうしようもなく欲情はしない。かえって変に恥ずかしがられなくて良かった。そんな真似をされたら、壁に押し付けて続きを始めてしまっていたことだろう。
白色の灯りで晒される体を頭のてっぺんからつま先に至るまでを眺める。穴が開くほど見ても、飽きそうにない。正直、いつまででも眺めていられる。じゃあ、触れられるとしたら? 熱に浮かされていない、素面の状態でその体を抱きすくめることは。
さぷりと浴槽からあがり、手始めに角名の腕に触れた。
ひゅっと息を呑む音がする。嫌? 問いかけるようにして首を傾げると、頷くことも、首を振ることもせずに、角名の顔がふつふつと赤らんでいく。冷めたり、火照ったり、忙しないな。火照る原因作ったの、ほぼ俺なんやけど。
ふ、一つ吐息で笑ってから、掴んだ腕を、引き寄せた。ととん、素足がタイルを踏む。皮膚についた水滴が跳ね、一瞬ひやりと冷たさが走った。けれど、吸い付いてきた素肌に、冷たさは払拭される。触れる感触が心地いい。トコトコ駆ける心音も、か細く聞こえる呼吸も、どうしたらいいかわからずに浮いている両腕も、悪くない。むしろ、良い。
世間は、この感情をなんと言い表すのだろう。あいつとは違うと言い聞かせて、ああはならんと決心して、ここまで生きてきた。だが、その他大勢から見たら俺は、まだ人間じゃないのかも。自分の感情一つ、まともに表現できやしないのだから。
「俺、バイやったんやな」
「ソレ、この体勢でしみじみ言うこと?」
「……角名やから、のがええ?」
「あーあーあーそういうのもいいから!」
ようやく我に返ったのか、べちん、肩を押された。もちろん、その程度でふらつくような俺じゃない。角名からしたらびくともしない、といったところ。触れている肌も、ふつふつと熱を孕んできた。本当に、俺のことが好きらしい。かわええなこいつ。可愛い。
あ。可愛いの三文字が浮かんだところで、別の言葉も閃いた。なんと言い表すのだろう。そう思った感情の正体。辞書で引ける単語に変換できた。
ぐにゃりと口元緩ませながら、抱きしめる力を少しだけ緩めた。たちまち、角名が俺との間に隙間を作る。それでも、体温が空気を伝って感じられる距離。かつ、ごつんと額をぶつけられるような、距離。
「すーな」
「ぅわ、なに」
額だけにとどまらず、鼻先もぶつかった。非常に近い距離だが、どうにか目は合わせられる。じ、と気怠さを失って慌てふためく瞳を眺められる。
きすしたい。
吐息だけで、囁いた。
「……おきはたしかですか」
「残念ながら確かやねん」
「ほんと、あの……、っ期待させるようなことはやめてほし」
「角名のコト、――愛しくて堪らんから」
キス、したいんやけど。
唇の表面、薄皮一枚が触れている状態で聞くことではない気もするが、棚にあげておくことにする。それよりなにより、お前のことが「愛おしい」て変換できたこと、褒めてほしいわ。
返事の代わりに、瞼が閉じた。間違いない、良いよの合図。
ちゅっと一度唇を押し付けてから、飯を食うときのように口を開いた。
(美味、)
食むようにした口付けに、腹が満たされる心地がした。