昨日、非処女になりました。

 昨日、非処女になりました。

 缶コーヒーを傾けながら、彼は何でもないことのように言った。上着のポケットから取り出したスマートフォンは、いつもと変わらぬシンプルなシリコンカバー。首に提げているイヤホンを耳に嵌めながら、無言で指を滑らせるのもいつも通り。会話が聞こえるよう、片方だけしかつけないのも、いつものこと。
 どこまでも普通で、どこまでも通常運転。
 ただ、言い放った言葉だけが、異質を放っていた。
「えっ? えっ!?」
 あんなに短いフレーズなのに、頭はさっぱり理解しようとしない。文節で区切って、それでも足りないと単語で区切って、更には一音一音でも区切って、脳内でリプレイをかける。しかし、まるで入ってこない。意味がわからない。まるで頭が回らない。
 あれくらいの一文、ちょちょいのちょいで処理できるはずなのに、まるでだめ。理解することを拒絶しているかのよう。実際、拒絶しているのかもしれない。
 だって、認めたくない。事実として受け止めたくない。
 エイプリルフールはまだ一か月以上も先だよ。そもそも、エイプリルフールは幸せになる嘘しか吐いちゃいけないんだよ。そんなん知るかよ、お前だって質の悪い嘘吐いてらったろ。顔色一つ変えずに言い返してくる彼が目に見えるから、声にすることはできないんだけど。俺の嘘は良いんだよ、皆が幸せになるための嘘だもん。適度に事実を混ぜ込んであたかも信憑性があるかのように思わせる、素敵な、嘘。誰も不幸にならないんだから、嘘吐いたっていいじゃん。嘘だとわかったときに絶望を味わうかもしれないって? それはそのとき考えればいいんだよ。
 残酷な事実を突きつけるより、幾ばくかでも救いがあった方がいい。だからこそ、質が悪いと言われようとも適度な嘘を吐く。でもね。ね。君が今言ったそれは、誰も幸せにならないよ。少なくとも俺は幸せになれない。不幸まっしぐら。きっと意味を完全に噛み砕けたら、絶望してしまうかもしれない。そんなことを、君は言ったんだ。
 嘘か真かはさておき、俺の心をえげつない角度で削られているのは、確か。
 はくはくと金魚の如く口を開閉していると、ふと、彼がスマホから顔をあげた。ぱちりと目が合って、一秒、二秒。
 泣きぼくろのある目が、きゅうっと細められた。一つ、瞬きをするたび、段階的に彼の表情が変わっていく。いつもどおりの、どこにでもいそうな男子学生の顔から、十代と思しき危うさが全面に映る。ほう、と息を吐いたとたんに、俺の知らない経験を果たしたかの気怠さが滲む。ゆっくりと三日月を描いた唇に、赤みの強い舌が這う。
 信じたくはない、けれど。まさか、もしかして、本当に。じわじわと、心臓が締め付けられていく。それも茨みたいな、刺のついた縄で。ぎりぎりと圧迫されて、苦しさが増していく。しまった、呼吸もしづらくなってきた。このままショック死してしまうのではなかろうか。そんな、心地。
 スマートフォンの先が、色っぽく歪められた口元を覆い隠した。止めを、刺される。刺されてしまう。
「非処女です」
「ぉっ……」
 そんな、楽しそうに言うことかな。
 彼はどこからどう見ても男。そりゃあ草食系の穏やか和やか癒し系の風貌をしているけれど、男だ。にもかかわらず、非処女。多数決の原理による世論通りなら、地球上に立っている雄の人間にとって「処女」が普通。しかし彼は非処女という。普通から逸脱するのが楽しいって? まさか、そんなことあるもんか。突拍子もないことを言ってのけたり、強かな顔をして一矢どころか二矢・三矢と報いてきたりする質ではあるが、ごくごく普通を愛していたはず。常識の範囲内で、ボケるのを楽しむタイプだったと思ったんだけど。
 ああでも、目の前でたっぷりの色気を放っている彼を見ていると、全部俺の勝手な妄想だったかの気になってくる。
 昨日、非処女になりました、それが事実であるかのように思えてくるのだ。っていうか、事実なのかな。本当の、真実だったら。真の出来事であったのなら。
 えっ、どうしよう、頭の中でぐるぐると思考が渦を描く。車酔いしたときみたいな、揺れを伴った気持ち悪さ。
 咄嗟に、自分の口を覆った。
「うぇええ!!?」
「うそだよ」
 俺もう完全に脈ナシじゃん。地道にアプローチかけてたのに、あわよくば爽やか君のハジメテを頂戴したかったのに、どこの馬の骨ともつかない野郎に奪われてしまっただなんて。今からでも間に合うかな。セカンドバージンは俺がもらえるかな。誰だか知らない赤の他人と穴兄弟になるのはごめんだけど、この際致し方ない。
 しかし、彼はどう思うだろう。心底好きな相手に捧げた処女だったなら、俺のすることはすべて当て馬の野暮だ。かっこいい及川さんが、クズで底辺の間男になってしまう。どこぞの野郎と穴兄弟になるより、こっちのほうが嫌だな。目の前にいる彼には、好印象でありたい。好い男でいたい。
 ならば、手は出せない。
 なんてこった、昨日非処女になった。それも嘘だなんて。俺もう明日から何を希望に生きて行けばいいの。
 ……いや。いやいやいやいや。待て。今、彼は何と言った。昨日、非処女になりました。それは発端。非処女です。それは絶望の淵に追いやる悪魔のささやき。色気ありすぎてもう脳みそ爆破しそうだった。悪魔のささやき、恐るべし。
 そこじゃあ、ない。問題は、そのあとだ。
『うそだよ』
 キンと鼓膜に響く余韻。幻聴ではないはず。確かに、その色めいた唇で、うそと言った。うそ。そう、嘘。
 混乱を極めた脳みそが、アレコレ彼に向けた質問を浮かべてくる。
「オッ、……あっ、え?」
 しかし、意味を持った言葉を発することはできなかった。零れるのは、驚きで満ち溢れた感嘆詞ばかり。非処女というのは、嘘。じゃあ、君はまだ処女なの。バックバージン、誰にも捧げずに貞淑を守っているということであってる?
 さーっと、風が吹き抜けた。頭を覆っていた不快感が晴れていく。
 うそ、うそだよ。うそ。カチコチ、時計の秒針とほぼ同じペースで言葉を噛み砕いていく。嘘。そうか、ウソだったのか。いやまあ、分かってたけどね。でもほら、吐いて良いウソと悪いウソってあるじゃんか。君は今、間違いなく吐いちゃいけない嘘を吐いたんだよ。ああもうびっくりした、本当にびっくりした。きゅっと肝が冷えた延長でか、まだお腹が痛いような気がする。
 まったくもう、スガワラ君てばお茶目なんだからー、ほんとお願いだから、二度とそういう嘘つかないでよ。お願い。お願いします。烏野の元主将君と浮気したとか、おっかない顔した元エース君に貞操捧げたとか、そういうのもナシね。やめてね。いくら図太い俺の精神もごりっごりに削れちゃうから。
 ふうと胸を撫でおろすと、彼の唇がぷっと綻んだ。ちょっと、俺ほんとにびっくりしたんだから――
「でも、非童貞だから」
「ぉぁぇええぁあおえ!!?」
「これはほんとな」
「うっそ、え、エッ、えぁああやばい吐きそう」
「ウワ便所すぐそこなんだからそこで吐けよ」
「うぉおおっぷ……」
「おい、だから便所そっちだって」
 頑なにトイレ誘導する君の白々しさが好きです。もうちょっと構ってくれたっていいじゃんか。かといって、あれこれ手を焼いてくれるスガワラ君も違和感あるけど。彼が手を焼くのは後輩くらい、同級生にまで気を回してくれるほど優しくない。代わりに、ばしーんと背中叩いて支えてくれるけど。あの笑顔、ほんっと羨ましかったなあ。ゴォッと風が吹き抜けるかの爽やかさ。爽やか君てあだ名、我ながら的を得てたと思う。
 それより、ほんとに胸くそ悪い。ケーキビュッフェに連れていかれて吐きそうなくらいケーキを食わされたときに匹敵する。元カノと行ったと思う? ざぁんね~ん、マッキーと国見ちゃんと一緒に行ったんです~、不貞はしていませ~ん。だから、吐くほど食わされたんだけど。マッキーはまだしも、国見ちゃんまで悪乗りしてくると思わないじゃん。あれは辛かった。松っつんとか岩ちゃんが話聞いて、二人ともそこまで甘いの得意じゃないのに「何で呼ばなかったんだよ」って言ってたくらいだし。ああもう思い出したら余計に胸焼けしてきた。
「うぇっ……」
「うわあ、お前そんなにメンタル貧弱だったっけ?」
「スガワラ君のせいだからね」
「童貞じゃねえのは事実だから。残念でしたー」
「~~うっそだぁ、」
 信じたくない。信じて堪るか。っていうかソレほんとなの。高校のときあんだけバレー漬けの生活しておいて、彼女は作ってたってこと? 嘘でしょ、俺だってそりゃ彼女の一人や二人や三人や四人――浮気はしてないんだからね、俺何気に誠実なんだから――いいたけどさあ、エッチまで行った子なんて一人も、アレ一人もいない。……どうしよう我が身のことながら空しくなってきた。
 俺童貞なんだけど。それを言ったらスガワラ君は一体どんな顔をするだろう。嘘だろ、って笑うかな。マジかよってドン引きされるかな。ちゃらいだ軽いだ軟派だ言われるけど、付き合った子とはぴゅあっぴゅあなお付き合いしてたんだからね。手は繋いだし、求められたらハグもしたし、今だなって思ったらキスもした。触れるだけじゃなく、舌を絡めるような濃厚なやつも。
 でも、家に呼ぶとか、相手の子の家行くとかには至らなかった。部活忙しかったんだから仕方ないじゃん。そんで、部活とあたしどっちが大事なの、なあんてナンセンスな二択迫られて破局。ほら、結構納得できる流れでしょ。だから俺童貞なの。岩ちゃん辺りに言うとひーひー笑われるけど。笑い転げた末になんて言ったと思う。「おめーのただのバレーバカな筋肉ゴリラじゃねえか」だよ。岩ちゃんに言われたくないよね。ブーメラン的に岩ちゃんにも突き刺さってる台詞だった。間違いなく、あれは岩ちゃんを形容するにふさわしかった。
 にもかかわらず、松っつんとマッキーは頷いていたっけ。岩ちゃんもじゃん、って俺がいくら喚いても、「お前は筋肉ゴリラだ」「セッターの癖にあの破壊力」「俺よりパワーあんだろ」「毎回ポテチの袋開けるのヘマるしな」「サーブ以外の力加減も身につけてクダサァイ」。この扱いはなんなんだろう、俺拗ねても怒られないよね。
 さておき、俺の話より、今は隣にいる彼の話だ。
「元カノ、てこと?」
「まあ」
「いつから付き合ってた、子ですか」
「なんで敬語なんだよ。んーっと……、高三の、受験終わってから?」
「どこで知り合ったのさ!?」
「予備校だよ。元から仲良くて、そんでお互いの受験終わって~、まあ何となく?」
「何となくで女の子と付き合っちゃうんだ! へえ!! ふうん!!」
「なんでムキになってんの」
「ムキになってなんかいませんし!」
 明らかにムキになってるけど、分かってるけど、これでムキにならずにいられる方が無理な話だよ。吐きそうなのも忘れてスガワラ君に迫ると、うわっとあからさまに顔を顰められた。
「近いって、」
「今は、その子となんかないの!」
「ねえよ」
「ほんとにぃ?」
「去年別れたからほんと」
「……去年って、」
「……お前が隣の学部って発覚したころな」
「ワァ! すっごい偶然だね!」
「ほぼほぼお前のせいで別れる羽目になったんだからな……」
「ほら、俺かっこいいから」
 この流れから察するに、彼女が俺に惚れちゃって「好きな人ができたの」って語尾にハート付きで言われて別れたらしい。そこまで仲の良くない知り合いに言いがかりをつけられたことがあるから、予想できる。男も案外嫉妬深いもんだよね。男の嫉妬程醜いものもないってのに、女々しくあーだこーだと言いがかりつけてきちゃってさ。場合によっては暴力に訴えてくるから恐ろしいよね。易々と殴られる玉じゃないし、ちょちょいと避けるだけでほぼ返り討ちにできちゃうけど。
 原因は棚に上げるとして、この調子だとスガワラ君と元カノは完全に終わった関係にあると思って間違いない。非童貞であるのは残念極まりないが、ちょっと安心した。本音を言えば、前も後ろも清廉潔白、何をするにも俺がハジメテってのが良かった。ついでに、俺の童貞卒業と彼の処女卒業が同時にできれば最高。
 ……もしかして、もしかしなくても。これならできる、かもしれない。非童貞だけど、処女って言ってたし。俺は童貞。悲しくて空しくて、ハタチ超えた今になって童貞っていう現実から目を背けて来たけれど、一抹の希望が見えてきた。あっ、どうしよう、記憶の中の岩ちゃんが「このゲスが」って貶してくる。すごい顔して睨んでくる。こっわ。
「そーだな」
「えっ」
 ぽつりと、スガワラ君の声がした。ちゃんと人の話は聞けクソ及川、なんて岩ちゃんの声が聞こえてくる。俺の頭の中に、岩ちゃん住んでるんじゃないかな。人生の半分どころか、八割方を一緒に過ごしてきたのだから、生霊的な何かがとりついていてもおかしくない。憑かれるのならスガワラ君が良いけど、そこまで強く俺のこと想ってくれているかな。けろっとした顔をしてからかってくるあたり、さっぱり意識されていないのは確か。 あーあー、岩ちゃんに言われなくても聞くっての。聞くに決まってるじゃん。一言一句、余すことなく記憶することはさすがに不可能だけれど、キーフレーズを覚えておくくらいは容易い。ましてスガワラ君の言葉だ。努めて覚えておこうという気にはなれる。
 一抹の悔恨が残った春高予選のあと、おおよそ二年ぶりに再会した爽やか君。相変わらず爽やかで、人当たりが良くて、真面目で、――強か。こんな人だったんだ。こんな人だから、飛雄とうまくやれたのかな。
 躊躇いもなく吐き出される毒は岩ちゃんよりはまろやかだけどグサリと突き刺さってくるし、見た目にそぐわぬ味覚の持ち主でマッキーとは別の意味泣かされかけたし、使っているのは真顔じゃなく満面の笑みなのに松っつんさながらの威圧放ってくるし。
 なんで飛雄と上手く先輩後輩できたのさ意味わかんない! とか、思っていたのはいつの日のことだったか。すっかり遠い昔のように思える。数えてみれば、数か月なもんかもしれないけれど、体感はもっとずっと長いのだ。
 どこまでも、どこまでも、彼の隣は心地よかった。こりゃあ確かに飛雄も懐くわ。懐くはずだよ。なんせ、俺が絆されちゃったくらいだからね。飛雄が彼を慕うのにも、納得がいく。
 そんな、今の俺にとって、大事なヒトの言葉だよ。聞き逃すわけないじゃん。ぱちんと目をあわせると、ふっと彼は頬を緩めた。今まで被ってきた色気の仮面がばきりと割れる。その下から覗かせたのは、やけに、穏やかな顔。いつもの顔といえばそうなのだけれど、三割増して柔らかい。
 待って、その顔。なんか、すごくお腹に来る。胸に響く。
 頭に、ぴったりと、張り付く。

「お前はかっこいいよ」

 俺の顔、今、燃えてない?
「は、……えっ? え、ええッ!?」
「責任とれよ、」
「なん、えっ、エァアッ!?」
 どうしよう、なんだかまた吐きそうになってきた。いや、吐かないけど。満たされすぎて、胸がいっぱいになって、いっそ苦しくなることってあるじゃん。ない? ないか。そっか、ないんだ。
 じゃないよ、そんな俺の自己完結はどうでもいいんだって。
 さっき迫ったせいで、スガワラ君は依然として至近距離にいる。目と鼻の先。うわあ、肌理まで見えてきそう。さすがにそれは無理かな。でもただでさえ大きな瞳が一層大きく見えるのは確かだよ。
 ごくり、唾を飲み込んだ。飲み込んだのと一緒に、果てしない動揺も飲み込めたら良かったのに。世の中、それほど上手くはできていない。
「『孝支君、好きな人できたでしょ』」
 だぶって聞こえたのは、気のせいかな。片方はスガワラ君自身の声。もう片方は、誰ともつかない、女性の声。気のせいだと、思う。気のせいだよ、きっと。
 ぐっと迫った体勢は、今思うと流行りの壁ドンってやつだ。壁についているのは片一方の腕だけだけど、壁に寄りかかったスガワラ君を逃がすまいと囲っているかのよう。違う、そんなつもりはなくて、ほんとになかったんだって。偶然。偶然なんだ。だから、ほら、脳内に居座るソコ三人、にやにやしないでよもう!?
「そう、元カノに言わせた責任、とってくれよ」
「まままって、待って頭が、おい、おいつかなっ」
 ねえ、さっきかっこいいって言ってくれたけど、あれこそ絶対嘘でしょ。俺今最高にかっこ悪い自信あるもん。イケメンが壁ドンしたってかっこつかないことだってあるんだ、へえ、及川さん一つ賢くなったよ。
 違う、そうじゃない。もう目の前のびしばしに可愛い顔見てたら意味わかんない方向に思考が走る。動揺なんてもんじゃない。今までコツコツと積み上げてきた俺の世界観大崩落みたいな、コペルニクス的転回みたいな。
 ――もう、彼の前じゃ一切を取り繕えない。
「すきです、つきあってください」
「ホァッ」
「言ってくれんの待ってらったんだけど、なあかなか言わねんだもん」
 くつくつと笑いながら、傍にいる彼はコーヒーに口づけた。ほろ苦い香りが、ふわりと漂う。彼がいつも纏っている匂いと、少し、似ているかもしれない。
「~~すがわらっ、くん、」
「おう」
 裏返った声は、見事なまでにかっこわるい。情けないとも言う。彼の前でくらい、かっこつけたかったのに。男前でいたかったのに。奇声を上げて、吐きたいとのたまっている時点で、イマサラ以外の何物でもない。でも、夢を持つくらいいいだろう。
 ほら、なんならこれから汚名返上すればいいのだ。決して汚名挽回してはならない。悪化させてどうする。そんな腑抜けたところ含めて好きと言ってくれたとしても、メリハリというものは必要だろう? ぱりっとかっこよく、頼りになるところも見せたいものだ。
 彼の名を呼ぶ声は、すっかり裏返った。次だ、せめて次の台詞はスマートに言おう。口の中が乾いて、上手く舌が回らない。けれど、それを理由に妥協したくはない。はくり、一度カラカラの吐息を出してから、くんっと喉を力ませた。
「俺モッ、す、」
 ハイ、裏返りました。結局こうなる。肝心なところで決まらないってサイアクじゃん。バレーだったなら、大事な場面でも地面を踏みしめて立ち向かえるのに。これが童貞力ってやつ? そんなのいらない。早々に捨て置きたい。
 肩を震わせ始めたスガワラ君から、一度目を背ける。ついでに瞼も閉じて深呼吸。落ち着け。重要と赤の太字で書かれそうな二文字くらいは、涼やかな声色で伝えたい。
 息を吸って、そして吐いて。それだけじゃ喜べなくなって。どこかで聞いた歌詞。なんの曲だったっけ。昔付き合っていた子が好きだったから覚えていたのかな。
 息を吸って、そして吐いて。
――おれも、すがわらくんが、すき、です。」
 どうにか絞り出した声は、やけに拙い発音をしていた。おいかわとおるくん、ごさいのこくはく。ハジメテのおつかいと良い勝負の企画になると思うんだけどどうかな。
 じっと、目鼻の先にいる彼を見つめると、――あろうことか、うらりと視線を泳がせた。稚拙で色気もへったくれもありやしないと思ったが、存外良い線をいっていたということか。
 いつの間にか分泌されてきていた唾液を飲み下した。ごくり、あからさまな音が、彼に聞こえていませんよに。
「おう……、なんかいざ言われると照れるな」
 まじまじと見つめているうちに、ほんのりと目元が色づいてくる。頬の高い位置が赤くなって、うにゃり、もにゃり、唇が波打っていく。あらら、スガワラ君てば、こういう純真そうなのが好みだったの。なら、かっこつけ及川さんの路線に突っ込む必要、本当にないかもしれないってことだよね。
 どうしよう、カッコつけたい。でも彼に可愛がってもらえるなら、このままもありかな。
 ぐるぐると、頭の中がいらぬことを考え始める。好きと言われた。付き合ってと言われた。対して俺は、好きと返事をしただけ。そうだ、付き合って、そっちの返事もしなくては。
 ヒュッと短く、空気を吸い込んだ。

「だ、だからッ、」

 俺の童貞も貰ってください。

 口が滑った。俺は馬鹿か。
 頬を朱に染めながら真ん丸に目を見開いた彼は、三秒おいて盛大に噴きだした。