ほら雪だって
たった一日、ほんの一分、一秒過ぎただけで、すでに過去のものとなり、次のイベントに向けてコーナーをくむ。まったく、日本の小売り会は忙しないものだ。あれほどポッキーアンドプリッツの日と騒ぎ立てて、そのへんの女子生徒の身の丈に匹敵するポップまで用意していたのに、十一月十二日現在、そのあとかたはどこにもない。
もとから安く売っていたわけでもなく、かといってその日用に特別なパッケージが発売されていたわけでもない。売場が元のお菓子コーナーに戻って、118円だの、158円だのといったなんの変哲もない値段表示になっただけ。
あえて、昨日買うことはしなかった菓子を、気まぐれではあるが手に取った。甘いものは得意じゃない、から、サラダ味と書かれた緑の箱。ブラックペッパーだとかなんとかいって、物足りない辛さを口にするよりいい。近所のコンビニ。見慣れた店員。強風と共に初雪が降ってしまったことからも明らかだが、そろそろ手袋を出さなければなるまい。温める気休めにでも、肉まんを買っていこうか。ぱちりと目が合ったところで、緑の箱をレジに出した。
「あと肉まん一つ」
「かしこまりましたー」
気だるい返事の直後、手に消毒のアルコールをかけているのを見た。薄手の手袋もしていただろうか。今月に入ってから幾度もしたであろう動作に合わせて視線を動かせば蒸し器に辿りつく。ぱかりと開いたガラス戸から、湯気が立った。
「っあー、さんむっ!」
「あ」
「あらららら、スガワラ君じゃん」
「……どーも」
そういえば、こいつの家近いんだった。今更なことが頭に浮かぶ。夏休み前だったか、後だったか、予期せぬ形で明らかになった。ついでにいらぬことまでわかったのだが、無かったことにしたい気が大きいため、即座に消し去った。
「ア、すみませーん肉まんもう一つと、あんまん二つ追加でー」
「なに勝手に追加してくれてんの」
「いいじゃん、お金は俺だすよ」
「それはそれでなんかムカツク」
「いーからいーから、じゃ、お願いします~」
さも当然のようにそいつは俺の隣に立ち、長財布からお札をとりだす。こんにちは野口さん、いや、こんばんはか。
高校生の財力はたかが知れてる。奢ってもらうことはありがたい。そりゃそうだ。だが、それほど仲の良くない奴に、しかも唐突に奢られるのどうかと言われると、癪だ、の一言に尽きる。とはいえ、店員は事務的に残り三つも包装し始めている。ここで断るのは、迷惑な気がする。
くるりと頭は回って、計算を一つ。コンビニから出たら、二百三十円投げ付けて、それで袋の中身をかっさらって帰ろう。
会計しやすいように、もとい距離を取りたくて一歩半右にずれると、同じ歩幅移動してくる。この野郎。十センチほどの身長差で、肩と腕とがぶつかる。こっちはジャージ、向こうはカーディガン。どうせならもっと寒い時期で、お互いコートを着ている状態だったら良かったのに。――そしたら、妙な体温を感じなくて済んだのに。
予定よりもずっと大きな袋にそれらは詰め込まれて、長財布を持つ手とは逆の手に渡る。ありやとーざいあしたー、気だるい声をスルーしてそいつは出口に進んでいく。待てというのもなんだか嫌で、無言で後ろについた。
「ん」
「え?」
「金、俺の分」
「……なんかさ、スガワラ君って俺と話すときよく単語になんない?」
「悪い?」
「んんん、拙い感じがちょーかわいい」
「きも」
「ひどっ!」
きわめて冷淡に返しているのだが、なんともないのかけらけらと笑っている。口から出てくる息は白く、気温の低さとテンションの高さが非常に不一致。夏場は夏場で、必要以上に鬱陶しいのかもしれないが。
押し付けたところで受け取る気配はなくて、仕方なしにカーディガンのポケットに無理やり突っ込んだ。途端に奇声があがったが構うものか。早く帰ろう、寒いし、寒いし、寒いし。理由を付けて、今度はそいつの手元にあるビニール袋から緑の箱と、肉まんを取り出した。
「待って待って、たぶんそれあんまん」
「……どれ」
「……素直に教えたら、すぐ帰っちゃうでしょ?」
「俺はすぐに帰りたい」
「奇遇だね、俺もソッコー帰んないと姉さんにぶちのめされる」
「帰れば」
「でも折角スガワラ君と会えたんだよ、もったいないじゃん」
姉がいるんだ、とかその辺は流す。うっかり聞き返してしまったものなら、そこから俺を足止めすべく、めくるめく日常をコミカルに語ってくるに違いない。早く帰りたい者同士、いつまでもここに留まる意味はない。ついでに肉まんだのあんまんだのを買ったのだ、冷める前に食べたいところ。
「ってか、どうせ途中まで道一緒だよね」
「それがどうした」
「敵意むき出しなの止めてってば」
「お前と仲良くしたところで俺に何のメリットがあんだよ」
「スガワラ君は友好関係をメリットデメリットで決めちゃうの」
ああ言えば、こう言う。揚げ足を取って何が楽しいのか。いや、この場合は引き止めるための方便か。一つ、ため息を吐けば真っ白いそれが浮かんだ。既に日は暮れ、半分の白い月が浮いている。駄々を捏ねるより、話を聞き流しながら帰路に着いた方がましに思えてきた。人質は、気まぐれに買ったプリッツと肉まん。仕方がない、か。手に取ったそれらを、ひとまず袋に戻した。
「……ソッコー帰んないと、まずいんだろ」
「うん、だから帰ろう」
「途中までな」
「あはは、何なら俺ん家来ちゃう?」
「ヤダ」
「遠慮しなくていいのに」
「どうせ友だちと帰れば怒られないで済むとか、そんなこと考えてんだろ」
「エッ、ソンナコトナイヨ!」
「メリットデメリットはどっちだよ」
家の方に体を向ければ、上機嫌になったそいつが隣に並ぶ。袋に放り込んだのか、長財布を掴んでいた手は空いていた。ヤな予感。もう一歩か、二歩か、距離を取りたい。
――そう思ったところで右手に冷えが走った。
「ひゃっけっ!」
「わぁ、スガワラ君の手あったかーい」
「んで、……こんな冷たいんだよ」
「冷え症? ってわけじゃないとは思うけど、昔っから手冷たいんだよね」
「こんだけ冷たいと怪我もすんだろ」
「したねえ、しょっちゅう突き指してた」
ぎゅう、と握られるとその分体温が奪われていく。冷えが、右手を伝って全身に流れていくかのようだ。一つ震えてからマフラーに顔を埋める。それから恨めしさを目一杯込めて隣を睨んでは見るが、手を離す様子はない。というか、何男同士で手を繋ぐ羽目になってんだ。
「離さないからね」
「そりゃお前はぬくくていいかもしんねえけどな」
「まあ、それもあるけど。だって、離したらそれこそソッコー帰っちゃいそうじゃん」
「肉まんとプリッツもらうまでは帰んねーよ」
「うっそ、じゃあ渡さなかったら家まで来てくれんの!?」
「やだよ」
「えー、来てよ」
「やだ、帰って布団に飛び込みたい」
「……俺ん家の布団はどうでしょう」
「無理」
「エッ、俺があっためてあげるオプション付くのに!?」
「だから無理」
野郎が野郎にあっためられて喜ぶものか。これ以上話しても面倒な方に転がるだけだ。繋がれた手を極力意識の外に放り出して、帰ってからしなければならないあれやこれを模索する。まずは近々あるマーク模試の勉強をしなくてはならない。壊滅的とは言わないが、部活に時間を割いている分、容量良くこなさないとやってられない。数学だ英語だといったあたりは、授業の演習で理解が追い付いているから良いとして、問題は日本史と生物だ。暗記は意外と厄介なもので、定期テスト程度の範囲なら短期決戦できても、教科書一冊分となると難しいどころの問題ではない。
「ねー、俺の話も聞いてよー」
「はいはい」
「絶対聞いてないやつじゃん」
「うん」
「ほんと扱い雑」
「そーだなー」
「もう、なあんで」
「知らね」
「好きなのに」
「あっそ」
「告白までスルー?」
「それ何回目の告白だよ」
「んん、余裕で二桁いってるね。三桁行く前にイイ返事欲しいんだけど」
「何度も言ってんだろ、お断りだって」
「はじめの頃の初心なスガワラ君は何処!」
「慣れってすごいな」
文句を言いながら、繋いだ手を大きく振ってくる。その勢いのまま離してくれたらいいのに。見覚えのあるT字路が見えてきた。この願望が叶うのも近い。
問いかけられることがなくなったのを良い事に、宙に向かって、丸く息を吐きだした。月明り程度の夜道じゃよく見えないが、きっと白い。何故か、右手が強く、握りしめられた。
「ねえ」
「なんだよ」
「なにが嫌?」
「なにがって、」
「その嫌を消し飛ばすくらいに、好きを降らせる自信あったんだけど」
「……そーゆーのって相思相愛がベースなんじゃねえの」
「それがベスト、でもベターまでそうとは限らない」
「つまり?」
「付き合ってから好きになることもある」
「流されただけじゃん」
「流されたっていいじゃん」
T字路に到着、俺は左、こいつは右。離せという意味も込めて見上げれば、苦笑を返された。今欲しいのは、それじゃない。袋の中身の肉まんと、緑の箱、それから右手を離してもらうこと。この三つだ。
無言の圧力をかけていれば、困ったなと一つ呟いてから手を離された。ひやりと、手の平が外気に触れる。握られたときはあれほど冷たいと思ったものだが、案外防寒にはなっていたらしい。がさがさと袋をあさる音がして、差し出された二つ。何も言わずに受け取ると、ほんのりと肉まんの熱が素手に広がった。
「ねえ」
「まだなんかあんのかよ」
「ありすぎてどこから手を付けていいのかさっぱり」
「さっさと帰んないとオネーサンにぶちのめされるぞ」
「しかも甥っ子にごねられるかな」
「なら早く帰れって」
「帰りたくないなあ」
「いや帰れって」
「スガワラ君」
「やだ」
「ねえ、スガワラ君」
「やだって、」
俯くより早く、こつりと額が重なった。ばかだ、話しこんでないで、人質を預かった時点で帰れば良かったのに。
強かで、巧妙で、狡賢くて、答えること全て計算通り、なんて奴。でもそれはつまり、ポジティブな結論からネガティブな結論まで導き出しているからできるのだろう。ついでに、ここ数か月の付き合いで知ってしまったこいつの性格を察するに、最悪のパターンを常に気に留めてる。なんだかんだ、こいつと話すのが楽しくて、離れるのが惜しかった。それを認めて、その旨を伝えたら、きっと流されてくれたものと、こいつは解釈する。俺の意志なんて、無いものにされる。流されたとて、俺の判断に代わりはないのに。
だからと言ってはなんだけど、俺はいつも流されたと思われない選択肢を探している。おかげで幾度となく告白を断る羽目になっているのだけれど。
「ここまで迫って、なんで流されてくんないの」
「流されるもんじゃ、ないだろ」
「流されてもいいものだってあるんだよ」
「だからといって、流されたくはない」
「強情」
「それに」
「あれ、続きあるの」
至近距離の目がそぅっと見開かれる。いつもこいつから振られた言葉を返すばかりだったから、もの珍しいのだろう。丸くなった目をしっかりと見返すと、いつだかに感じた気恥ずかしさが込み上げてくる。喧しい、黙れ、心臓に命令したところで、言うことは聞かない。指導力不足か、謀反を起こされたのか。それほどの統制力が合ったなら、とうにこいつに渡す適切な言葉を思いついていることだ。
マフラーからかろうじて口元が出ている。ゼロに近い距離だというのに、こいつの目には俺の顔がすっかり写っている。人間の視界は、認識できないだけで随分と広いらしい。きっと、自分の目にも、こいつの顏の全体が写っているはず。男のくせに端正で、キレイとかいう言葉が似合ってしまう、憎たらしくも、ほんの少しだけ、愛おしさもある顔が。
ああ、やだやだ。初恋は実らないものとかいうジンクスが事実であればいいのに。そうしたら、こいつは初恋とやらをぶり返したところで、叶いはしない。俺が不整脈を起こすことだって、なくなる。いや、それはそれで困るか。こっちが抱いてしまった感情の行く先が消えてしまう。前言撤回、そんなジンクス、ジンクスのままでいてくれて良かった。なんて。
ほんの数ミリ、唇を動かせば、瞳の先の自分も、唇を震わせた。
「恋は落ちるものだろ、……落としてみろよ、色男」
どうせお前は俺よりずっと頭が良いんだ。流した、じゃなく、落した、と思える返事が来る問いを投げかけてこい。
――投げかける前に、唇を奪ってきたのは感心しない。