優しくしたい

 初めての夜は、失敗に終わった。
 それも可愛い失敗じゃない。ちょっと痛がらせたとか、変なとこ抉ったとか、その程度だったらどれほど良かったことか。一応、流血沙汰を覚悟していないわけではなかった。し、それは倉持も同じだったらしく、無理な行為に痛みはつきものと思ってくれていたらしい。その上で、ダメだった。だめ、だったのだ。
 濁点のついた声。潤滑剤に交じる赤。どこもかしこも真っ白くなって、いっそ青白くって、涙こそ見せなかったけど泣いたって仕方なかったろうと思う。
 失敗した。大、失敗、した。
 思い返すたびいつも思う。どうして止まってやらなかったんだろうって。痛いなんて、見るからに明らかだった。か細い呼吸に、かたかたと体を震える体。まるで無理強いしているみたい。みたいなんてもんじゃないか。強姦と、そう変わらなかったのかもしれない。
 ただ、倉持が一切抵抗しなかったというだけで。
 せめて一言。「やだ」って言ってくれたら。「痛い」って、言ってくれたら。倉持のせいにしてんなよ、言われなくても止めてやるのが恋人としての誠意だろ。異常なまでの脂汗にも、ぎゅうと縮めた手足の指先にも、切れるまで噛み締めた唇にも、気付いていたってのに。なにやってんだ、馬鹿だろ。本当に、馬鹿だ。
 止まれなかった。止められなかった。
 何度も、謝った。
 謝るなと、叱られた。お前だけがしたかったわけじゃない。そりゃ俺もお前も初めてだったんだから、多少の失敗くらいするだろ。謝るくらいなら、次はもっと上手くしてみせろってんだ。いつもの甲高い笑い声が、血の気の失せた顔から発せられたのを、今でも鮮明に思い出せる。

「みゆき」

 訝しげな声がした。はっと我に返ると、向かい合う形で膝の上に座っている倉持が、気怠くこちらを見つめていた。顔色は、決して、よろしくない。つーか白い。相変わらず白い。初夜の大失態よりはましだけど、血の気が引いた顔をしている。
 そんな顔してまで、しなくてもいいのだけれど。この台詞を言えるようになるのに、一体何年かかるだろうか。それくらい、セックスできるのならしたいと思う。健全な男子高校生の性欲舐めんなよ。中には薄い奴もいるだろうし、毎晩自慰に耽るくらい濃い奴もいるだろう。それを思えば、俺はきっと普通の範疇。
「ごめん、」
「他のこと」
「うん」
「考えてんな」
「……ごめんな」
 とはいえ、倉持のことを考えていたわけだけれど。目の前のことに集中しろってことだろ、わかってるよ。
 額に唇を寄せて、ゆっくり、背中を支えながらそっと体を倒した。対面座位から、あっというまの正常位。ぎくりと体を強張らせたのも、ひゅっと息を呑んだのも、手に取るようにわかる。
「っ、」
「悪ぃ、痛かったか」
「へ、き」
「辛かったら、すぐ言えよ」
「ん」
 小さく縦に首が動いたのを確かめて、ずるりと腰を引いた。内壁を擦って、捲り上げるかのように引きずり出す。スキン越しの熱さに、意識が呑まれてしまいそう。欲に流されてしまいたい。でも、そのとき苦しむのは倉持だ。二人でしてるのに、一人しか気持ちよくなれないだなんて、あんまりだ。だったらテキトーに自慰してるほうが断然良い。
 雁首まで抜け出たところで深呼吸。緊張は解けていないけれど、完全に凍り付いているわけじゃない。額に張り付いた前髪を払ってやると、固く瞑られていた目が微かに開いた。おそるおそる、といったところか。中途半端に抜いたまま動きを止めた俺を窺うように黒目が顔を出す。物語るのは、「くるしい」の四文字。やっぱり、苦しい、よな。
「ど、した」
「ううん、なんでも」
 掠れた声に、胸が苦しくなった。苦しいのは倉持のほう。俺の感じる苦しさとは比にならないものを味わっているだろうに。痛いでも苦しいでも辛いでもなんでもいい、駄々を捏ねる子供みたいに泣きじゃくってくれたら、止めてやれたのだろうか。優しく、真摯に、倉持を抱けたのだろうか。
 考えるくらいなら、実行しろってな。潤滑剤でぐずぐずに濡れた縁に、そっと指を当てた。濡れて滑っても、痛いものは痛い。そりゃそうだ、本来は排泄するためにしか使わないんだから。摂理に逆らって捻じ込んだら、痛いに決まっている。
 これでもかと広がって、俺を逸物を咥えこむ。おいしそうに咥えて、なんて冗談、吐けるもんか。むしろ真っ赤に充血していて、痛々しいばかりだろ。どこを見たって、倉持の体は「痛い」と悲鳴をあげている。泣き喚かれなくたって、明らかだ。
 優しく、しなくては。丁寧に絆さなくては。右左の判別もつかなくなって、ただひたすらに快感に溺れてもらえるように尽くしてやりたい。俺の手で、悦楽に沈めてしまいたい。できることなら、一緒に波にのまれたいかな。さて、一体いつになることやら。
 そんでもって、今、できることって何だ。痛いくせに意地になって口を閉ざす倉持を、俺はどう絆そうか。急所を食まれた状態じゃ、上手く頭は回らない。それどころか、考えようと躍起になるほど神経が擦り切れていく。理性吹き飛ばしたら元も子もねえぞ。
 ああ、まったく、どうしてくれよう。
「みゆき」
 拙い、音がした。
 かと思えば、耳のあたりから髪に指を通される。震える指先が、ひたりと頭に当たった。震えているのは指先だけじゃない。俺に伸びている腕全体もだ。重力に逆らって伸ばしているからか、消耗した状態で上に伸ばしたからか、あるいはまだ埋まっている緊張で震えているのか。もしかしたら全部かもしれない。全部、違うのかもしれない。
 伸ばされた片一方の手首を包んで、そっと首を傾げた。
「ん?」
「こっち、」
 ぐっと、引き寄せられる感触。倒れ込むことはないけれど引き抜いたものはじりじりと入ってしまう。圧迫感が増したのか、傍にある倉持の顔が、わずかに顰められた。そのくせ、引き寄せる力を弱めようとはしない。これじゃあ、まるで。
「はは、なに、ちゅーしてくれんの」
 キスを、強請られているみたいだ。この期に及んでキスをされてしまったら、消耗しつつある理性が一気に切れてしまいそう。ずぶずぶと熱塊は中に埋まっていくし、潰れたカエルみたいに脚は開いていくし、窺うような、縋るような目を向けてくるし。
 茶化さないと、俺の余裕が吹き飛んでしまう。堪らないったら、もう。
「そのつもり、だけど」
「へっ」
 裏返ると同時に、間抜けに開いた口。そこを目がけ、薄っぺらい唇がかぱりと開いた。
 ぱくり、かぷり。擬音をつけるのならばこんなところか。目を見開くと同時に、噛みつかれた。甘噛みされたのに近いかもしれない。下手に舌を捻じ込むことはせず、何度か角度を掛けて食むだけ。下品な音は鳴らない。むしろ鳴らしようがない。稚拙な、キスやら口付けやらと言うよりは、まさに、ちゅう。
 迎え撃つだなんて、考えもしなかった。人間、予期せぬ事態に陥るとまず頭が真っ白になるんだな。理性が飛ぶ以前の問題だった。まさにされるがまま。マグロも良いところ。寝そべったままじゃないから、表現としてはきっと正しくはないのだろうけど。
 呆けているうちに、するりと倉持が離れた。気が済んだのか、はてまた腕が疲れたのか。わずかに浮いていた頭と腕が、ぼすんとベッドに落ちていった。投げ出されたようなそれは、糸の切れた操り人形のようにくったりとしている。
 相も、変わらず。顔は、白い。青白い。
 ――心臓が、脈打った。
「いっかいしか、」
「う、えぁ、」
「いわねえから、……よく聞けよ」
「は、ぃ」
 まずい。苦しそうな外見をしていることに変わりはない。それどころか、無理に力を使ったせいで余計に消耗して見える始末。なのに口調は強気だなんて。呂律は回っていない癖に、言葉のたくましさにくらりと頭が揺れる。
 まずい。
「気、つかうな」
「ッ何言ってんだよ、」
「好きにしろ」
「くらもち、」
 その辺に、しとこうぜ。意地になって言ってくれないけど、お前、本当は苦しんだろ。辛いんだろ。初めてしたときの激痛が過って怖いんだろ。失態を塗り替えようと何度も行為に及んではきたけれど、第一印象ってそう簡単に覆せないよな。まだ上手くできなくて、むしろその都度痛い思いさせている。
 それでも、愛しいこいつは、仕方ねえなってセックスに応じてくれるんだ。一朝一夕で上手くなるわけないだろ。一晩で劇的に上手くなりやがったら浮気疑うからな。誰が浮気するかよ、倉持一人で、手一杯だってのに、他に目を向けられるもんか。
「好きにしていい、から」
 脱力した腕が、鈍く動く。無理、しなくていいよ。重くて怠いんならそのまま投げ出して良い。どうしても触れたいんなら俺がエスコートするから。息切れした体に鞭打ってんじゃないよ。
 気遣いたい。優しくしたい。思いはするけど、どれも声になってくれやしない。
「んな顔してんな、ばーか」
 真夏だというのに、頬に触れた指先は冷たい。こんなに、してるんだ。あの、倉持を、俺はこんなに虐げている。無体を働いている。
「んな、顔、って」
「おれは、」
「うん?」
「その困り顔より、ヨクジョーした顔が見てえの」
 のに、さあ。
 こんな、ときまで、気遣ってくるだなんて。煽ってるように聞こえるかもしれないけれど、これは違う。倉持を気遣えないのに、強引に自分の欲を追いかけられもしない俺を思ってのことだろう。
 はは、それこそ、こっちの台詞だよ。気、遣ってんな。俺のこと考える余裕あるんなら、自分の体大事にしてくれよ。虐げている本人が言うことじゃないって? そんなの俺がいちばんわかってる。それでもあえて言いたい。
「こっちの、台詞だよ……」
「あ、ッぅ、」
 奥まで埋めると、喘ぎとは程遠い声が漏れた。こんなの呻きだ。色気もなにも、あったもんじゃない。
 なのに、ざわり。痺れが背骨を駆け上ってくる。
「ごめん」
「っ」
「ごめ、ん」

「~~ッ」

 息遣いに、切なくなる。
 なのに、どうしようもなく、欲情している。

***

 ぴたりとした、ボクサーパンツ。着ているシャツは、珍しく細身のもの。アンダーシャツといい勝負かと聞かれると、完全敗北になってしまうけれど、体の線が浮き出ていることに代わりはない。さらに湯上がりのほんのりと赤らんだ肌に、ぱたぱたと毛先から垂れる水滴。ほとんど肩に掛けたタオルに吸われていくけれど、やけに襟首の広いシャツのせいで、鎖骨の上にも粒が乗る。
 静かに距離を詰めた。こつりと、肩がぶつかる。そこでようやく気付いたと、倉持は顔を上げた。しっとりと、目線が絡む。三白眼は、瞬きを一つ、二つ。恐る恐る、腰に腕を回した。
「なんだよ」
「あのさ、」
 わかりやすいお誘い。腰を抱くなんて、あからさますぎたかな。そう思わなくもないけれど、触れてしまった手を離す気にはなれない。しっとりとしているようで、さらりとした肌触り。ちょうど当たった腰骨を手の平で丸く撫でると、きょとんとした目がすぐに呆れた色へ変わっていった。
「シたいんだ、けど」
「こんなとこで盛んなよ」
「悪い。でもなんか、……ざわっときた」
「しらねーよ」
 倉持からしたらいい迷惑なんだろう。なんせここは風呂場の脱衣所。共有の、風呂場の、脱衣所。いつ誰が来るかもわからない。そんな場所で欲情するなよ、馬鹿野郎。わざわざ倉持に言われなくたって、よおくわかっている。
 でも、背骨を、情が走ってしまったんだ。
 しばらく慌ただしかったせいでご無沙汰だったからかもしれない。野球するので精一杯だったからかも。自分でいくらか抜いてはいたけど、満足度はまるで違う。――たとえ、倉持に痛い思いをさせていたとしても、だ。
 倉持とセックスをしたのなんて片手で事足りる。ほぼ童貞も同然で、場数も踏んでいない上に、男同士。簡単に気持ちよく成れるとは思っていなかったけど、ああも、呻かれると、な。ついセックスを避けてしまっていたのはそのせいもあるのだろう。痛い思いさせてまで、俺が欲を追いかける必要はあるのか。それを倉持に聞いてしまったら、「好きでされんのなら構わねえよ」って男前な返事をくれるんだろうな。けど、それに甘えていいものか。どうせなら、二人で気持ちよくなりたいじゃん。独りよがりをしたいわけじゃない。
 と、あれこれ考えたところで、溜まるものは、溜まる。シたい。正直めちゃくちゃしたい。痛いとか苦しいとか、そんなん全部無視して犯してしまいたいとすら思う。
 いちばんは、二人で気持ちよくなりたい。それが無理でもセックスはしたい。本当に、自分勝手だ。
 きゅ、と腰を抱いたまま、困ったように頭を掻く倉持を見下ろした。すぐそばに、旋毛。ふわりと香ってくるのはシャンプーの香り。嗅いだことのない匂いだ、新しいの買ったのかな。いや、カミソリ買いに行ったとき試供品貰ったとか言っていたような気がする。女じゃあるまいしってそのときは笑ったし、倉持もなんで俺がとげんなりしていた。でも、結局使ったんだ。ふうん。へえ。
 もすりと濡髪に顎を乗せると、倉持の肩がぴくんと震えた。あれ、そんなおかしいことしたかな。
「みゆき、」
「なに」
「……お前何日抜いてねえの」
「えー、昨日は抜いてない」
「一昨日は」
「抜いた」
「一日抜かねえだけでコレかよ……」
「は、どういう、」
 ことだよ。そこまで発する前に、感触に気付いた。
 顎を乗せようとしたときに、体の向きは変えた。それに、ただ腰を抱いていたときよりも密着度は増した。現に、倉持と触れている面積は増えているし、布一枚越しに湯上がりの火照った体温を感じられる。それくらい、くっついている。くっついて、いる。
 つまるところ、膨らんだ、ソコを、倉持に押し付けてしまっていた。
「ぅ、」
「わ、は、おいなにでかくして」
「だ、って意識しッ」
 慌てたように口を開くと、シャンプーの甘めの匂いが鼻孔を掠める。普段とは違う倉持の匂い。でも、こんな匂いを纏っている倉持は、誰も知らない。今ここに居る、俺しか知らない。たったそれだけで優越感に浸れるなんて、自分も簡単にできている。
 こくりと唾を飲み込んで、内心落ち着けと言い聞かす。深呼吸したいところだけど、ここで息を吸いこんだら倉持の匂いにまたくらりと理性を揺るがされるに決まっている。じゃあ一度離れたらいいじゃないかって? やだよ、久々に倉持の体温感じてるんだぜ。離れたくなんかない。
 落ち着く兆しは、当然見えてこない。
「~~わかった」
「わかったって、」
「スるんだろ」
 低い声がした。掠れたのほうが相応しいかも。これだけくっついているから響いてきた声。喉からどうにか零した音は、ぴりぴりと理性の糸を引っ掻いてくる。何をしても、俺は倉持に振り回される運命にあるらしい。腰を渦巻く痺れが増していく。どくどくと心臓が血液を送り出して、風呂上りということを抜きにしても体が熱くなってくる。
 うそ、まじ、いいの。そもそも倉持ここがどこだかわかってるの。俺よりずっと冷静だろうから、そんなの言われなくてもわかっているか。にもかかわらず、スると、乗ってくれるだなんて。ふざけんな、ここをどこだと思っていると一発顔面を叩かれることも予想していたから、ありがたい限りだ。ええ、どうしよう。まじ。マジで。困る。困るくらい嬉しい。
 だが、ここでがっつくのも、いかがなものか。俺だって、ちょっとくらい余裕はある素振りを見せたい。カッコつけさせてよ。数えきれないくらいみっともないところは見せておいて、イマサラ感拭えないって? それはそれ、これはこれ。男のプライド、全て捨てているわけじゃない。
「く、倉持は、いいの」
「声裏返ってんぞ」
「うるせー。……今日、えっちしていいの」
「ヒャハ、えっちとか!」
「笑うなよ」
 こちとら気遣おうと必死なんだよ、お前ならわかるだろ。察したうえで人の揚げ足取ってたいたらどうしてくれよう。倉持なら平気でやりそうだ。どう報いてやろうか。ぎゅっと下唇を噛み締めると、からからと笑いながら倉持は続けた。
「だって、平気でセックスって言いそうな面してんじゃん」
「……可愛いじゃん、えっちって、言い方のほうが」
「ヤってることは可愛げもクソもねえけどな」
 まったくもってその通りです。俺はそれなり以上に気持ちいいけれど、倉持は明らかに痛い思いをしている。「えっち」なんて可愛い響きで誤魔化せないくらいに、辛い目に遭わせている。確かにえっちって言い方は良くないな。響きとしてはわりと好きなんだけど、次からセックスって言おうかなあ。えっちしよって、そっと縋ったときに倉持が「仕方ねえなあ」って顔してくれるの好きだったんだけど、致し方ない。
 なんて考えておいて、一週間もしたら忘れてえっちしよって擦り寄る自分が見える。ため息だって、つきたくなるよ。
「……へたくそでごめん」
 どうにかため息を飲み込むと、代わりに情けなさ過ぎる声色が零れ落ちた。どうにか呂律が回った、拙い響き。本当に、倉持にはみっともないところばかり見せてしまっている。これで俺が抱く側じゃなかったら、完全に男の矜持消え去っていただろうなあ。
 はは、は、は、
――へたくそじゃねーだろ」
 は? 
「下手くそとか、そういうんじゃねえだろ」
「はあ?」
「お互い慣れてねーだけ」
「そういう、もん?」
「そういうもんだろ」
 倉持の頭から顎を浮かすと、振り返るように首をひねって俺のことを見上げてくる。上目遣いはしてくれない。俺一個人の趣味としては、あざとく見上げられるのも可愛いんだろうけど、こうやって真っ直ぐ見つめてくれるのも嬉しいんだよなあ。目線が合うのは、良い。すごく良い。できれば最中も目を合わせていたいけれど、苦しんでるところを見られたくないと倉持は顔を隠してしまう。どんな顔でも受け止めるんだけどなあ。いや、実際に辛そうなところを見たら心折れるかもしれないけど。あれ、そういう俺の心情察して顔隠してたらどうしよう。えええもっと惚れるじゃん。
 意識を明後日に投げていると、すぐ下から吹き出す音がした。なんつー顔してんだよ、俺がそばにいるんだから俺だけ見てれば良いだろうが。そんな副音声が聞こえてきそう。咄嗟に焦点を倉持に戻すと、くんと、距離が縮んだところだった。
 へ。焦点が、定められない。眼鏡をかけていなくて見えないから、ではない。近すぎて、ピントを合わせられないのだ。え、待てよ。待てって、なんか、すごく、近い。
「んっ!」
「う!?」
 軽いリップ音。を、立てたかと思うと、焦点を定めやすい位置にまで倉持が退いて行った。唇の表面には、しっとりとした重みが残る。下からされたのに、重さを感じるのも不思議な話だが、唇に何かが乗った感触が残っているのだ。キスの重み。倉持のくれるキスだから残る、重み。
 きゅんと、胸が悲鳴を上げたのは、気のせいじゃない。
「んで?」
「んで、って」
「どこでヤんの」
「そんなの、部屋、だろ」
「へえ」
 好戦的な笑みを張り付けている倉持は、俺の片腕の中でくるりと向きを変える。ちょうど対面する形。倉持の恥部すぐ上あたりに苦しいくらいに膨らんだものが擦れる。気持ちいい、もっと擦りつけてしまいたい。けど、どうせなら布越しじゃなく直接素肌に触れたいな。もっと敏感な部分を触れ合わせても良い。
 それを、世の中ではセックスというんだった。
 せっくす、したいなあ。そのためにはまず移動しなくては。こんな、いつ、誰に見つかるかわからない場所で致すわけにはいかない。同室の奴がいなければ、俺か倉持の部屋。どっちも無理なら寮の隅にある空き部屋。主将特権様様で、鍵は俺が管理している。インフルエンザとか流行ったときの隔離部屋なんだけど、俺が入学してからその用途に使われたことはない。どんだけ俺たち健康なんだよってな。
 くるりと、頭の中で道筋を描いた。いっそ真っ直ぐに空き部屋向かってしまおうか。確実だし、鍵は開けっ放しだし、良いんじゃねえか。そうしよう。
 かちり。ジグソーパズルの一ピースを嵌めるように決めた、――まさにそのときだった。
「コレ」
「ッ、」
「部屋までもつワケ?」
「もつも、なに、も……、すぐそこだろ」
「へぇえ」
「あ、ちょ、揉む、」
 するりと、倉持の手が入り込んできた。布越し、だったら、どれほど良かったことだろう。起用にも、下着のゴムからするりと差し入れ、すっかり大きくなったソコをやんわりと握ってくるときた。指先が、根元を摘まむ。滑らかな手の平が、竿を撫でる。じわじわと、追い詰められているのは、確か。堪らないと言わんばかりに、ねっとりとした液体が零れだした。
「揉むなってば!?」
「イキそ?」
 ひゃは、と楽しそうに笑う倉持が愛おしくも恨めしい。ちょっとの刺激でイキそうなくらいに切羽詰ってるから誘ったんだよ、シたいですって告白したんだよわかってくれよ。ああだから倉持はわかっててやっているのか、そうだった。
 何度目かわからない生唾を飲み込んで、せめてもの反撃にと、両手で腰を抱き寄せた。
「……誰か来たらどーすんだよ」
「どうせ俺らが最後だって。監督だって今日はもう帰ってたし、テスト近いからどいつもこいつも軽い自主練しかしてねえし」
「そういう問題かよ」
 やけに滑らかで、自信ありげな発言に、それが正しいように思えてくる。一理ある。遅くに風呂を使う監督は試験間近ということもあって今日は自宅に帰った。そんで俺たち生徒も試験が近ければ自主練に使う時間を試験勉強に使う奴が増える。どこかの馬鹿もようやくこの時期の時間の使い方を覚えたらしい。赤点回避、せいぜい頑張れよ。
 イコール、俺たちも勉強はしなければならない。けれど、まったく余裕がないわけでもない。今晩多少サボっても、取り返せるだけの時間はある。し、普段の点数と今回の試験範囲を鑑みても、切羽詰っている状況ではない。
 どちらかというと、シモのほうが、切羽詰っている。
「シちゃう、よ」
「再三誘ってんだ、さっさと襲って来い」
「じゃあ先に、謝っとく」
「あ?」
「たぶん、……止まれない」
 痛いと言ったところで止まらないし、明日にまで痛みを引き摺ることになろうとも続けるだろう。それでも倉持は良いの。練習が軽い分、思いっきりやっちゃうよ。気持ちよくなっては欲しいけど、がっつきはじめて俺の理性が吹き飛ぶのがきっと先。
 止まれない。止まってやれない。ぐ、さらに腰を引き寄せると、すぐそばにある倉持の顔がふと緩んだ。いたずらな笑みはもうない。やわらかくて、甘えたくなる、花が咲いたみたいな、笑み。
「ばかか」
「あ、のなあ! 俺はお前を思って、」
「前も言った」
 倉持の空いていた腕が、俺の首に回った。それから、背伸びをしたのか、ぐんと顔の距離が近付く。また、キスしてくれるのかな。その期待は裏切られることなく、ふにゅりと唇を歪ませてくれた。先ほどみたいに音はならなかったけれど、触れるだけで蕩けるような甘さが伝ってくる。舌なんて使わなくても、俺の腰を砕くには十分な破壊力。ああ、もう、暴走しそう。する、今日は絶対にする。
 ごめん。もう一度、謝っておこうかと、薄く口を開いた。

「俺は、お前の困った顔じゃなく、欲情した顔が見てえの」

 が、言葉を発したのは、倉持のほうが先だった。開きっぱなしの口は、「ごめん」の三音を出しそびれる。
「だーからがつがつ求めてりゃいーんだよ」
 ひゃっは。言っていることと顔が一致してねえよ。まろい顔して過激なコト言いやがって。
 ふつふつと欲が滾ってくる。そんなこと言われたら、言われたものなら、手加減しようと必死になる意味ないじゃんか。
「選んで」
「あ?」
 そうして出てきたのは、思いのほか、静かなものだった。
 まあ、言う内容は、静かでもなんでもないんだけど。
「部屋まで戻っていつもみたいにするか、」
 倉持に振り回されてばかりは悔しい。でも振り回されながら甘やかしてもらえるのは心地が良い。惚れた弱みとは、まさにこのことか。
「この体勢のまま、――乱暴されるか」

 惚れたのなら、果てしなく優しくもしてみたいんだけど、さあ。