額
ゆっくりがいい。
いざ布団に押し倒そうかというタイミングで、倉持はそう言った。いつもと違って怠そうだな、というのは分かっていたから、本当はする予定がなかったのだけど。そもそも、今五号室に来たのだって、借りていた授業のノートを返したかったからだし。
にもかかわらず、ああ、するんだなあって、そんな空気になっていた。たぶん沢村が金丸の部屋へ突撃しに行かなかったら、こんなことにはならなかったと思う。でなきゃ、倉持が空いたベッドに腰掛けてぼんやりしていなければ。……いや、責任転嫁はやめておこう。結局したいと思ったのは俺なわけだし。
「っはぁ、ぁ、……ふ、」
「……辛いなら、バックでするけど」
「イ、い、このままが、良い」
そして普段する時よりもたっぷりの時間を使って解して、やけに甘えたな倉持の意図を察して対面座位で至っている。いつもと入る角度が違うからか、ちょっと不思議な感じ。気持ちいいには気持ちいいんだけど、向きが変わるだけで結構違うモンなんだな。
熱っぽい息を吐いてきゅっと倉持が抱き付いてくる。本当に、珍しい。何かヤなことでもあったのかな。教室ではなんともなかった。部活のときも、全部を見ていたわけではないけれど、いつも通りだった気がする。はて、なんだろう。情緒不安定なメンタルでもないし。分からない。野球が絡まないと鈍感な俺には、さっぱりだ。
「ぅぁ、あっ……、ひ」
「だいじょぶ?」
「ん、」
ベッドに腰掛けた俺の上で、ひくひくと震えながらも倉持が腰を揺らす。振る、というほど激しくない。ゆっくりと言い出したのは倉持なのだし、当然と言えば当然か。比較的緩慢な動きに合わせて突き上げたり、円を描くように擦ったり、手持無沙汰な両手で腰を撫でたり。そんな些細な刺激ですらひどく感じいるのだから、どうしたものか。
おかしい、よなあ。あまりにも、余裕がなさすぎる。というか、俺にばかり余裕があるという状況に慣れていなくて、落ち着かないのだ。健気な姿にぶっちりと理性の糸を切らしてしまえばいいのかもしれないが、それじゃ「ゆっくり」はできない。好きな相手の要望すら呑んでやれないなんて、男が廃る。
「倉持、」
「ぁ?」
「なぁーんか、あったの」
「……べつ、にゥっ!?」
つれないことを言う口をがぶりと噛んだ。嘘つきめ、何かあっただろうってコトくらい気付くっての。深く舌を捻じ込むことはせず、すぐに口を離せば、薄っぺらなそれが物足りないと打ち震えた。おいおい、人が折角セーブしてやってんのに、誘うなよ。
諫めるように鼻先を食むと、そっちじゃないと言わんばかりに両耳を掴まれた。包む、といった方が良いかも。手の平が耳を覆って、指先が髪に通される。じっとりと濡れた目元は、涙でなのか、汗でなのか。どっちでもいいか、色っぽいし。綺麗だし。
「くちに、しろよ」
「そしたら喋れないじゃん」
「それッ、で、……良いんだよ」
「俺は聞きたいな、どうしても言いたくないなら無理強いはしないけど」
「……」
「何かあったんだろ。でも、その何かが分かるほど、俺の勘はよくない」
「ひゃっは、ほんと野球以外はだめだな」
拗ねた顔になるけど、その程度の醜態晒したところでもう恥ずかしくもなんともない。もっと恥ずかしいところ見せてるし、見てるし。情けない愚痴だって、両手両足の指合わせたって数えきれないくらい零してるし。
そんな俺を見て気が緩んだのか、ふにゃりと倉持の顔も歪んだ。どこか張りつめていた緊張感が解けたような、下らねえことで悩んでたわって開き直ったような、そんな気楽さが滲みだす。相変わらず何が何だか分からないけれど、少しでも肩の力が抜けたのならいいかなあ。
でも、どうせなら何があったかまで聞きたいんだけど。じいっと見つめていれば、むちゅっと子供じみたキスをされた。唇を押し付けるだけの、幼稚なキス。しかし、啄むような可憐なものではない。互いの唇がぐにゅりと歪むような、プレスされてるかのキス。顔を固定されているものだから、抵抗の余地はない。ほんとはあるけど、抵抗したら倉持泣きそうだからしない。
「そうじゃねえだろ」
「いーよ、気遣ってくれたんなら、ァ、それで、いい」
「気になるんだって」
「気にしてろ」
「ずーっと気にしてろって?」
そりゃあ生殺しもいいとこだ。責め立てたいのを我慢して、代わりに奥目がけて突き上げれば鼻にかかった声がした。曇った音は宙に浮いて、そこら中に響くより先に落ちて消えていく。元から高めの声だけど、こうして快感に喘ぐ声はもっとトーンが高くなる。喉を引き絞って堪えたって、いろんなところに顔を押し付けて抑えたって、その声を完全に殺すことはできない。俺はどんな声でも好きだし、倉持がそうしてヨがってくれるのが兎にも角にも嬉しい。けど、まあ男ってことを考えれば、倉持自身は嫌だろう。現にほら、今もまた「やっちまった」って顔をしてる。
器から零れても注ぎたされる愛おしさをそのままに、するりと腰を抱いていた手を滑らせた。背中を通って、肩甲骨を掠めて、肩に触れるより先に項に辿り着く。これでもう、逃がさない。さあ、何があったのか、言ってくれないか。じぃっと、倉持の目を見つめた。
の、だが。残念なことに、ぱたんと瞼を閉じられてしまう。おい、それは卑怯なん、
「――俺だけ、見てろよ」
……じゃ、ないの、かよ。
「つーか、見ててほしいん、です、けど」
「なッ、にソレ」
あと、なんで今敬語になったの。素っ頓狂な声をあげたまま口を開け呆けていれば、下ろされていた瞼は存外早く開いた。映るのは、艶やかな色と、一抹の羞恥。恥じより色情のが多いって、さすが潔い男だ。欲に忠実、惚れ直しそう。
「ぃやなら、べつに」
「見ます見てます、っつーかもうすでに俺倉持でいっぱいいっぱいなんだけど」
「ほンっと、かよ」
俺の上に座っているせいもあり、今の目線はほぼ同じ高さ。覗き込まなくても、しっかりとその目を捉えられる。台詞の通りなら、疑いが滲んでいる筈だけど、悦びの方がずっと多い。俺って信用されてんだなあ、煽るようなこと言ってばっかなのに、素直に信じてくれる。
どうしようもなく嬉しくて、昂って、両腕でぎゅうっと倉持を引き寄せた。
「ほんとだよ」
口づける瞬間にだめ押しのように付け足した。触れるだけじゃない、押し付け合うだけでもない、唇を割り開いて敏感な粘膜を触れ合わせる接吻。上顎を擦られるのが好きなこいつは、ちろっと舌の先で擽られただけでナカを締め付けてくる。かーわいい。俺の頭を捉えた指先がぴくぴくと痙攣するのも堪らない。
もっと感じたいなあ。どうしたらいいかなあ。
そんなことを思っているうちに、自然と、上体が倒れた。前に、ではない。後ろにだ。倉持を抱きしめたまま、つながったまま、あたかもこいつに押し倒されたかのように、背中を倒した。指先が、力む。体勢が、変わる。
きゅん、あ、また締まった。
「ぷは、ァ、やぁ……、ぬけちゃぅ」
「抜けねえって、俺のでかいし」
「っはげろ、しょうわるめがね」
言う通り若干抜けはしたが、大した問題はない。そもそも、何度やってもキツイそこは俺の熱を食んで離さない。そう簡単に抜けないって。
するりと両手で腰を掴み直し、鈍く揺すれば、倉持はしがみ付きながら鳴きだした。泣いてない、いや、ちょっと涙は出てるけど、これは鳴いたに違いない。ひぅ、だの、ひゃぁ、だの、裏返った声が脳髄に響く。
「んで、何があったってんだよ」
「ひぁ、ぁんっ、」
「あぁ、喋れねえか」
「ァ、っはぁ……、ぁ~」
ぴたりと揺する手を止めれば、襲い掛かる快感も止まったのか、倉持は息を整え始めた。いつかされたように、とん、とんと背中を叩いてやると、安心したように全体重を預けてくる。
「ぉ、まえ、さ」
「うん、あ、起きれる?」
「ン、へー、き。……はぁ、お前さあ、まえがみ、教室だと下げてんじゃん」
でもそれもほんの僅かな時間だけだった。くんっと俺の胸に手をついて、倉持は体を起き上がらせる。若干抜けたのもまた元通り。おお、騎乗位じゃん。ぴんと反りかえった倉持のナニがよく見え、……ねえな。眼鏡が欲しい。ばしばしと放ったあたりを探れば、一足早く倉持がそれを見つけてくれた。ここでも勘の良さを発揮しやがって、女房役と言われる俺だけど、お前の方がいい嫁になる気がする。
手渡された眼鏡をかければ、暗がりながら倉持の肢体がよく見えた。絶景、などと漏らそうものなら、別の話題に変えられてしまうかな。突き上げて鳴かせたい衝動を抑えつつ、それとなく会話のボールを投げ返した。
「ああ、まあ。上げる必要ねえし」
「んで……、今日、練習終わったあと、クラスの女子に話しかけられてたろ」
「え? あー……、あぁ!」
そういえば、そんなこともあったか。委員会があったとかで野球部の練習終了時刻まで学校に残っていた災難な女子。けたけたと笑う姿が夏川に似てる。それだけで、ちょっと印象に残ってたという、下心も後ろめたさも一切ない相手だ。何話したっけな、ほんとどうでもいい、下らねえことだった気がする。
『へえ、雰囲気変わるね』
こんな感じ、なんで雰囲気変わるなんて言われたんだ。ええと、うんと。
『オールバックじゃん、へえ雰囲気変わるね』
そう、これだ。オールバックってほどかっちりしたわけじゃねえんだけど、教室じゃ前髪を垂らしているわけだし、そいつにとってはオールバックに見えたんだろう。なにより、帽子を被り直そうと、一度持ち上げたタイミングだった。
『かぁっこいいじゃ~ん、普段からそうしてればいいのに』
『そしたら、余計俺、かっこよくなっちゃうよ?』
『うっわ、そういうこと言うから残念なんだよ』
あけすけな物言いが少し鳴みたいだったな。軽い言葉の応酬をして限りじゃ、黄色い声をあげる女子とは別の生き物に見えた。
倉持の言う、「クラスの女子に話しかけられてたろ」とは、きっと、これ。一通り思い出して焦点を倉持に戻せば、一つため息を吐かれた。
「……お前が世間一般でイケメンって言われてんのはいいけど、」
「うん、」
「そーゆー、かっこいいとこ、あんま晒してんな」
わあ、倉持、ちゃんと俺のことイケメンって見なしてくれてたんだ。それにかっこいいって思ってくれてたんだ。へえ。へえ?
「エッ!?」
あれだけ胸倉掴んだり、茶化すついでにごすりと蹴ってきたり、ちょっとした自慢に躊躇いのない顰め面を向けてきたりとしていたから、そんな風に思われてただなんて驚きだ。びっくりした。えっ、うそ、青天の霹靂。残念とか、惜しいとか、そういうことも言われてきただけに、ぐるりと動揺が駆け巡る。調子に乗るとかいう理由で言ってくれなかったんだろうけど、何でこういうときに限って素直に言っちゃうんだよ。頭に血がのぼってくる。
恥ずかしい。嬉しい。困る。昂る。わけわかんねえ。
混乱を極めていれば、ぐにゅりと角度が変わった。たぶん、倉持が動いたんだと思う。けど、どういうことだ。すぐに意識は戻るが、眼前に現れた壁に一瞬怯んだ。あれ、なに、これ。そのまま壁は近づいて、くしゃりと前髪の生え際を押さえた。指、だ。倉持の両手だ。冷たい指先は、そのまま俺の髪をかきあげる。丸い頭蓋骨の形に沿って、覆われていた額が露わに。
ひやり、冬の冷たい空気が皮膚を掠めた。
「俺だけのお前が、いなくなりそうで、やだ」
ふにゅり、額に、柔らかな感触。
三秒と経たずにそのぬくもりは離れていく。そして、気恥ずかしそうな、三白眼。俯くようにして起き上がったせいで、普段逆立てられている倉持の前髪は、ぱさりと額を覆った。ワックスもヘアジャムもつけていないのだろう。風呂あがってんだから、そりゃそうだ。それでも、毎日繰り返しつけられた癖は、簡単に消えるものじゃない。そういう整髪剤をつけていなくたって、倉持の額は晒されていることが多い。圧倒的。それこそ、風呂に入っているか、こういうことをしているときにしか、前髪を下した姿は見られない。
「……俺以外に、そういうこと言うなよ」
「てめぇ以外に言う相手いねーよ」
「つーか、それさ」
ちらりとこちらを盗み見る動作は、初めて見たわけじゃない。後ろめたいこととか、はずいなってこととかがあったとき、よくしてる。倉持から行為を誘ってくるときなんかに、よくされる。
ただ、いつもと違う姿だと。
「お前もだからな」
「ハ、なんでだよ」
腹筋の力でぐっと上体を起こせば、またもや角度が変わったのか、ぴくりと内腿が震えた。いつもなら、感じちゃった、なんてからかっているところ。だが今日はしない。そっちより、したいことがある。
片手は腰に残したまま、もう片方の手を倉持の頭に乗せた。見慣れない、前髪を垂らした額。撫でつけると、普段のしっとりとした肌触りではなく、さらりと髪の感触がした。
「倉持も、そうやって前髪おろしてるとこ、無防備に晒すなよ」
「俺はいつもとそう変わんねえだろ」
「変わるって」
すごく変わる。同じ動作をしてもまったく異なる衝撃を与えてくるのだから。まさに俺の実体験に基づいての結論だ。間違ってるなんて言わせない。一回、二回とそこを撫でて、つんと尖ってきた唇に笑みを零した。
「そうしてると、すごく優しそうで、盗られそうで、……怖いからさ」
馬鹿じゃねえのと言われた気がした。馬鹿でいいよ、お互い様だよ。愛して、愛されてんなら馬鹿だっていいじゃんか。
夜は、更けていく。青臭い怯えと、子供じみた傲慢さを食べながら、とっぷり、更けていく。