スパークリング・レモン

 すっきりとしたものが飲みたかった。くどいものを食べたとか、走り回って喉が渇いているとか、そういうわけではない。なんとなく、爽快感のあるものが欲しかった。
 コンビニで見かけた、シンプルなペットボトルに目が留まったのも、なんとなく。もっともらしい理由なんて、なかった。
 寮の門をくぐったところで、ビニール袋からそのボトルを取り出した。スナック菓子の入った袋を手首に提げて、鼻歌交じりにキャップを捻る。
「おわ、」
 思った以上に大きな音がした。それから、すんっと鼻孔を掠める柑橘の香り。蓋を開けたままにしておけば、液体から次々と空気が浮かび、弾ける音がする。これは早めに飲まないとならないな。自室に着くより早く、ボトルに口をつけた。
 口内に広がる痺れにも似た感触。今まで飲んだどれよりも強いかもしれない。喉を通り抜ける寸前まで空気の粒が弾けて、舌を、上顎を、頬の裏を刺激する。うっすらとしたレモンの酸味が、爽やかさを後押しした。アタリだな。初めて買った割に、これは美味い。今度コンビニに行ったら、また買おう。
 ゆるりと口の端を持ち上げて、さらに一口煽った。
「あ、ンだよお前コンビニ行ってきたのかよ」
 ボトルから口を離せば、風呂上りらしき倉持の姿が視界に入った。いつものつんつんとした髪の毛は、水分を含んでぺったりと垂れている。耳にかかった毛先から、ぽたりと雫が落ちた。
「なんか買うもんでもあった?」
「カップ麺欲しかったんだよ」
「ざーんねーん。ポテチしか買ってねえや」
「クソが」
 軽口を叩きながらさらに一口。少々飲むペースが速い気もするが、ぱちぱちとした口当たりが堪らないんだ。
 分かりやすく顔を顰めた倉持に意地の悪い笑みを向ければ、一瞬で距離を詰められた。まずい、蹴られる。いや、正面を蹴るということはないか。それならなんだ、プロレス技か。立ったままできる技って何があるんだろうな。
 そこまで考えながら、零して堪るかとボトルに蓋をした。
「ンのやろ……、って何飲んでたんだ?」
「ッゲホ、ぐるじ」
 目敏いな。人の胸倉を乱暴に掴みつつ、俺の手元に目が留まったらしい。いつもならがくがくと揺さぶられるところだが、見慣れぬボトルが気になるのだろう、息苦しいのは一瞬で、すぐに襟から両手が離れる。
 ぴちゃりと髪からはねた水が頬に当たった。
「っはぁ……」
「で、ナニソレ」
「気になったから買ってみた。飲む?」
 頬を拭いつつ、首を傾げた倉持にボトルを差し出す。ふーんと言いつつボトルを手にとった倉持は、迷うことなくキャップを捻った。今更間接キスだなんだと騒ぐ性質じゃないしな。回し飲みやおかずの奪い合いは日常茶飯事。気にしてたらココで生活できねえって。
 水色のキャップが捻られると、ボトルに閉じ込められていた空気が勢いよく抜ける音がした。やっぱり抜けるの早いな。さっさと飲まねえと、ただのレモン水になっちまう。
「炭酸……?」
「うん。スッキリしてて結構好みー」
「……」
 ぎゅっと、倉持の眉間に皺が寄った。飲まないなら蓋閉めてくんねえかな。
 倉持が呟いた通り、俺が買ったのは炭酸水だ。だがファンタやコーラといった炭酸飲料とも異なる。一切の甘さがないのだ。レモン水が炭酸になった感じ。甘ったるくなくて、炭酸も強くて、すっきりとした喉越し。下手な清涼飲料水を買うよりはずっと美味い、と思う。
 じいっと、倉持はボトルを見つめたまま固まった。ボトルというよりは、口から見える水面だろうか。ぱちぱち、しゅわしゅわ、小さな気泡が浮かんでは弾けて消えていく。飲む気配は、ない。あれ、お前、炭酸苦手だったっけ。でもこの前ファンタ飲んでたよな。降谷が間違えてオレンジ買ってきて、ため息吐いた純さんが倉持に渡してたはず。ラッキー!とか言って飲んでた。うん、飲んでた。
 と、あ、飲む。
 俺が思考を巡らせているうちに、倉持はボトルに口づけていた。目がわずかに伏せられて、ボトルを傾けていく。透明な液体が、ボトルの曲線に沿って移動した。ついでに、ぱたり、今度は襟足から落ちた水滴が、コンクリートに丸い跡を残した。
 一口。流し込んだところで、倉持はボトルから口を離した。下唇に、うっすらと水の膜ができる。流石にそこにまで、気泡はついていない。
「炭酸強いかも、けど、なんか良くねえ?」
「ん、」
 俺への返事だったのか、それとも栓をしたボトルを返すという意味だったのか。くぐもった声を出す倉持からボトルを受け取ると、涼やかな三白眼と目があった。そこまで好みではなかったろうか。そういえばこいつ、カレーとかハンバーグとか、あとオムライスだっけ、お子様ランチかよって食い物好きだったな。甘くないから、一口で充分とか、あー言いそう。
 ――同時に、倉持の頬が膨れる。
「へ、」
 だが、ぷくりと膨れた頬は、すぐに平らになった。代わりに、喉仏が上下する。飲み込んだ、のか。え、今更かよ。下唇をボトルの縁に当てたまま眺めていれば、口を引き結んだまま、倉持の眉間に深い皺が刻まれた。
「~~っげほっ!」
「うわ、なにどうした!?」
「っるせ、ふっ……、ゲッホ」
 なんで咳き込んでんの。変なとこに入ったとでも。頬に溜めてから飲み込むなんて真似するからだろ。
 前かがみになって咳き込む背中に手をあてた。喉と胸を押さえて噎せる様はいかにも苦しそうだが、たった一口でこんなに噎せていると思うと笑えてくる。
「はは、大丈夫かよ」
「ぐふっ、ぇっほ……」
「変な飲み方すっから~」
「だぁら、ぅるせって、ケホッ」
 とんとんと一定リズムで背中を叩いていれば、徐々に倉持の息も落ち着いてくる。肩にかけていたタオルがぐるぐると捻じれて、シャツに濡れた跡できてしまったが、それは俺のせいじゃない。
「ぁああ!」
「収まった?」
「ぐぅ……、かはっ、あぁあクッソ」
「噎せすぎじゃね? 炭酸苦手ならまだしもよォ」
「……悪ィ、かよ」
 一見落ち着いてはいるが、まだ不快感は残っているらしい。胸をさすりながら、恨めしそうにこちらを睨んでくる。内側で起こったのに外側撫でたって効果あんのかよ、と思ったこともあるが、苦しい時に背中さすられるとなんか落ち着くよな。あれなんでなんだろ。
 さておき、じっとりとこちらを睨んでくる倉持に、目が点になる。悪ィかよ、って、どういうことだ。たった一口でこんなに噎せて情けなかったなこの野郎、って?いや、それとも、……え、それはねーだろ、だってお前ファンタ飲んでたじゃん。
「えっ?」
「えっじゃねえ、ポテチ奪うぞ」
「やだ。エッ、嘘だろ。お前フツーにファンタとかコーラとか飲んでるじゃん」
「……貰ったら、飲むしかね、ぅげっほ」
「まだ噎せんのかよ」
 再び背中に手を伸ばすも、今度はたどり着く前に払い落とされる。折角好意でやってやろうってのに。
 小さな咳を零す倉持を見つめつつ、先ほど告げられた言葉を反芻する。「貰ったら、飲むしかない」ってやつだ。貰ったらって、それこそ純さんからだろ。んで、飲むしかない、は先輩から受け取ったものを無碍にできない体育会系縦社会の闇かな。別に気にせず拒否ればいいじゃん、って思うけど。
 そこじゃないな。考えるべきはそこではない。わざわざ頭を働かせずとも分かる。浅く呼吸を繰り返す倉持に、腹の底から、込み上げるもの。
「ック、」
「あ?」
「っくくく、っはは、あっはははは! お前その面で炭酸苦手なのかよ!」
「笑ってンじゃねぇええ!」
「っはー、これを笑うなって方が無理ぶっは……!」
「~~ッ御幸テメエ覚悟しやがれ!」
 ヘッドロックしようと首に伸ばされた腕を躱し、真っ赤になる倉持を見れば、一層笑いが込み上げてくる。怒ってる分、向かってくるのも単調だ。避けやすくて、こりゃあ良いや。
「ナニ、じゃあ今まで頑張って飲んでたワケ?」
「そこまで強くなきゃ飲めるわ!」
 目を三角にして、倉持は俺の持つボトルを指さした。確かに、これの炭酸は強い。まさに炭酸水。大人なら、酒を割ったりするのに使うんだろうなってくらいじゅわっとする。けど、これ一口であれだけ噎せるのも相当だろ。貰った炭酸飲料を不自然なく飲み下すため、こいつはどれほど苦労をしていたのだろう。ばれないように、チビチビ飲んでたとかかな。ああ、そうかも。こいつ飲み物の持ち良いし。
 だめだ、悪人面したこいつが、小さい口で舐めるように炭酸飲料飲んでたと思うと笑いが止まらない。
「はははははっ」
「だからっ、笑うなっての……!」
「ちなみに、さ」
 もう取っ組みかかっては来ない。今の気が動転した状態じゃ、躱される一方だと悟ったのだろう。その代わりに唇をぎゅうっと噛み締めてこちらを睨んでくる。憤りと羞恥で真っ赤になった顔じゃまったく迫力ねえけどな。チーター様を手なずけた気分だ。服従させるとも言うかもしれない。
 いやあ、面白い弱みを握れた。にやにやとした笑みを隠さずに、倉持に問いかけた。
「何が駄目なの?」
「なにって、なんだよ」
「炭酸のさ。甘すぎんのはダメだけど、俺炭酸平気だからサ」
「禿げろ眼鏡」
「眼鏡は禿げるモンじゃありませーん」
「割れろ!」
 ムキになって食いかかってくるのが、これまた笑いを助長させる。いくら悪態を吐き付けられたところで痛くもなんともない。どうすれば俺に一泡噴かせられるものか。怒りで煮立った頭で考えているのだろうが、名案は浮かんでいないに違いない。
 なあ?と続きを促せば、苦虫を噛み潰すどころか磨り潰してぺっと吐き出さんばかりの顔をされた。ワァコワイ。嘘、まるで怖くない。
 般若を背負ってから告げる気にはならないが、これは俺にとって単純な疑問でもある。強炭酸と言うにふさわしい水を平気で飲み干せる自分にとっては、炭酸飲料が苦手という奴の気がしれない。そりゃあ、甘ったるいのは苦手だ。でも、それは味覚の問題だろ。炭酸の弾ける爽快感の何が嫌なのか、俺にはさっぱり分からない。
「……その、」
「うん」
「びりびりするだろ」
「それがイイんじゃん」
「お前はイイかもしんねえけど、俺はヤなんだよ。喉がじゅわっと……痺れるのとか、空気がグワッと来る感じとか」
「えースカッとしねえ?」
「しねえつってンだろ。お前は好きでも、俺は嫌いなの、それで良いだろ!」
 言い切るとともにポテチ目がけて伸びてきた腕を躱した。舌打ちが聞こえたが、気にすることもない。
 倉持の理由は、俺にとっては理由になっていない。だってそれ、俺がこういう飲み物好きな理由だもん。この小さな泡が弾ける感触が楽しいのになあ。何度となく繰り返した動作で蓋をあけ、くぴっと一口飲んだ。開けてすぐに比べたら、若干痺れの和らいだレモン水。栓を開けて十分と経っていない。それでもこれだけ抜けてしまう。なんで炭酸っていつまでもしゅわしゅわしててくれねえんだろうな。そういうものだと言われたらそれまでだけど。
 ボトルから口を離さずに倉持へ目線を送ると、信じられないと顔一面に浮かべていた。イイ顔してくれんじゃん。お前は嫌いでも俺は好きなんだから、そんな目で見るなよ。
「あぁあ胸くそ悪ぃ!」
「そらどーも」
 わざとらしい足音を立てた倉持は、蟹股で歩きながら俺の隣を通り抜けた。五号室はそっちだもんな。ほんの数メートルすら離れていない、目鼻の先。
 横目で見送りながら、炭酸水を流し込んだ。
 しゅわしゅわ、ぱちぱち、口に入れたそばから、体温で気泡が消えていく。こくりと飲み下せば、わずかに胃に存在感。けれど、煩わしくも苦しくもない。倉持は、この弾ける痺れと、腹に溜まる感触が苦手という。ふうん、さらに一口、口に含んだ。
 ――あ、そうだ。一瞬過った考えのまま、倉持に手を伸ばした。数歩離れていたけど、腕を伸ばせば届く距離。自分よりも低い位置にある骨ばった肩を、肉刺だらけの手で、半ば掴むように叩いた。
「ンっだよ、まだなんかあんのか、」
 わずかにこちらに引けば、素直に振り向いてくれる。柄は決して良くないけれど。
売られた喧嘩は高価買取いたしますヤんのかコラァ。副音声に噴きださないよう気を付けて、静かに腰を折った。肩を叩いた手は、いつの間にか、倉持の顎を捉えている。ほっそりとして、小さい顎。片手ですっぽりと包めてしまう大きさ。こいつ、結構小顔なんだよなあ。
「へ、なンッ……!?」
 ぺとりと、唇が重なった。歯を食いしばられたらどうしようかとも思ったが、何か言いかけのところを塞いだからその心配は杞憂で終わってくれる。あー、良かった。
 薄い皮膚の張ったソコを、自分の唇を押し当てながら割り開く。ちょっと、圧力かけ気味。じゃないと、零れちまうだろ。自分のものと比べて、コイツの唇は薄いんだし。大口開けて笑うくせに、不機嫌になると、ちょんと小さく尖る口。小さく開いたソコで、俺の一口、ちゃんと受け止められるかねえ。
 とろりと流し込んでいけば、口内の粘膜が、細やかな泡でしゅわしゅわと震えた。体温でぬるくなったせいで、大分炭酸は抜けている。倉持がボトルから直接飲んだときよりは、ずっと痺れないはず。
「ん~」
「っくぅ……、ン、んくっ」
 二回ばかり、倉持の喉が上下した。見えてはないけど、顎を掴んでいるからはっきりと分かる。最後の水滴を舌で押し込むと、もう一度喉が震えた。もうほとんど炭酸の爽快感はない。一抹の、レモンの酸味が響くだけ。
「ん! どう、まだじゅわっとする?」
「っは、はぁっ……、ハァアア!?」
「うわ、んな叫ぶなよ」
「叫ぶわ! おま、おまえいま、い、ま」
 すべてを流し込んでからパッと離れると、数歩よろめいた倉持はなぜだか顔を赤くしていた。いや、さっきから怒りで赤くなってたか。
 ただ、わなわなと震えているのは怒りのせいとは思えない。怒ったからというよりは、わたわたする、慌てる、混乱する、……そうだ、動揺しているせいに見える。そんな心を乱すような真似をしただろうのか。筋の浮いた手が、ぱたんと薄い唇を覆った。ん、唇?
 あ。
「ア、」
「ば、ばっかじゃねーの!」
「いやいやいや、だって、えっ、」
 手の平に隔てられつつも、倉持の声ははっきりと耳に届く。笑いはうつるというけれど、動揺やら照れもうつるもんだな。顔が熱くなってくる。喉の奥が鈍い痺れを発する。肺が潰れそうなくらい苦しい。
 俺、何してんの。もはや笑うしかない。それ以外に、この場を乗り切る方法が分からない。流すか、誤魔化すか、開き直って茶化すか。こいつも真っ赤になって震えているんだ、茶化してしまった方が後世の笑い話になっていいかもしれない。
「はは、はっはっはっはっは、ア~」
「今更照れンな……!」
「そういう倉持だって真っ赤だぜ。もしかしてファーストキスだったか、そ~りゃあ悪いことし」
「ッ!」
 はい、失敗しました。茶化したんだから、そこはうるせえって悪態ぶつけるとか、こっちの台詞だ童貞って言い返すとかしろよ。口を覆う手に力が入っていく。指の形に沿って、わずかに頬が歪んだ。
 あからさまに図星って顔しやがって。その手の下で、唇は何を描いているんだ。不機嫌か、嫌悪か、それとも目の色その通りの羞恥か、気が動転しきって緩んでいるのか。目は口ほどに物を言うって諺はあるけど、それってつまり口が一番喋るってことだろ。口は禍の元なんて諺もあるくらいだもんな。
 その手、どけて、全部顔見せろよ。カッと押し寄せてきた衝動に任せて、大きく一歩、倉持に迫った。右手から、ボトルがすり抜ける。
「っ近ぇよ、なんだよいきなり!?」
「やばい、」
「聞けや!」
 からんとペットボトルがコンクリートを転がる。あわせて水が零れだす音。しゅわしゅわと細かい泡が弾ける音もする。ただ、それはボトルからじゃない。足の先から伝って来た痺れが、腹を通って、肺を掠める。背骨を駆け上ってくる泡は、あっという間に頭に辿り着いた。しゅわりしゅわしゅわ、ぱちぱち、じゅわり。
 倉持と目があえば、一層響きは大きくなった。
 
「俺、お前のこと好きかも」

 ぱちんと弾けるとともに、涼風が吹き抜けた。初めは遠くから、徐々に近付いて、また彼方へ吹き抜けていく。草木が揺れて、風の音を鳴らす。背後のボトルは、もう鳴りを潜めていた。
 吊り気味の目が、ぱちんと瞬きをする。一回、二回と重ねられる度、自分の中で泡が弾けていった。中に閉じ込めらた、みずみずしい感情が次から次へと零れだす。
「っは、」
「うん、好き。かもなんかじゃなく、好き」
「ちょ、おいヤメロ、」
「つれないこと言うなよ?」
 俺の口を塞ごうと、両手が伸びてくる。おかげで、間抜けに半開きになった唇が良く見える。しれっとその両手を絡め取って、指一本一本を絡めるように繋いでしまえばこっちのもの。もう、照れた顔を隠すことも、踵を返して五号室に逃げ帰ることもできない。させてやんない。
 にんまり笑いかけると、一度薄い唇が引き結ばれ、ゆったりと波打った。嫌がってない、この状況を把握しきれていないながらに、どこか嬉しさを滲ませている。ぎゅっと手を握ったまま、顔を近付けると、分かりやすく肩が上下した。
「そうだ、さっき茶化したけどさ」
「おい、離れ、」
「ファーストキス、俺もだった!」
「……ハァ?」
 こういうとき、眼鏡って邪魔だな。こつんと額を重ねることすらできない。せいぜい鼻先をぶつける程度。ついでに、近すぎてクラクラする。困ったもんだ。一度離れて仕切り直しだなんて、格好悪いことしたくもないんだけどな。
 どうにかピントを合わせていれば、ふっと倉持の眉間から皺が消えた。それから、きゅうっと目が細められる。あ、笑われる。独特の、甲高い笑い声が、きっと寮中に響き渡る。そうしたら、誰かに見られてしまう。緩み切ったこいつの顔が、俺以外に晒される。それは、なんだかもったいない。
 薄い唇から、吐息が漏れた。
 ――だが、それ以上は許さない。唇をはむようにして、ふにゅりと重ね合わせた。握っていた手から力を抜くと、するりと倉持の手は離れてしまう。しかし、悲観する間もなく、その手は俺の背に回った。もちろん自分の腕だって、約十センチ小さな体を掻き抱くように回ったのだけれど。ああ、九センチだっけ。約ってつけたから許せよな。
 しゅわりとした泡の感覚も、みずみずしいレモンの香りもしない。それでも爽やかだったのは、きっと――


はじけるような、恋のせい!