恋輪

ドラみつ小説アンソロジー『Really into you』寄稿作


 その男との出会いは、正しく春だった。
 いや、厳密には春ではない。十一月じゃあ、どう考えたって秋だ。なんなら冬に足を突っ込んでる。……それでも、自分にとっては、春。
 なんせ、アレがオレの初恋なんだから。
「ンッ、……は、ぁ」
 初恋って、響きがイイよね。実際はただの憧れとか、あるいはほろ苦い経験だったとしても、初恋って名前を与えられただけで綺麗な思い出かのように思えてしまう。実際、世間の大多数にとっての初恋観って、そんなところじゃないだろうか。
 なのに自分ときたら、実るわけでもないのにその想いを引きずっている。ずるずる、ぐずぐず、この歳になるまで拗らせることになろうとは。少年だった頃の自分は、考えもしなかったろう。
「ぅあっ、」
「っふ、」
「ぁ、……ん、ぅ」
 まったく、なにやってんだろうな、オレ。
 後悔にも近い雑念は、つぽんと熱を引き抜かれるのに合わせて霧散していった。浮いていた腰は、その男の手が離れた途端、ベッドに落っこちる。ふるふる揺れるだけだった自身は、あっけなく潰れた。じゅわりと走った悦で、体のあちこちが歪に震えてしまう。
 突っ伏した枕からは、自分の匂いはしない。そりゃそうだ、ここはそいつのベッドなんだから。勝手に垂れてきた鼻を啜ると、どうやったって男の匂いが鼻孔をくすぐった。おかげで、疼きは増す一方。暴かれたばかりの縁が、ぴくぴく打ち震えている。
 もっと、シたい。
 欲を携えながら、どうにか後ろを振り返った。
「なあ」
「ん、どした?」
「……おわり?」
 視線の先では、膝立ちのそいつが淡々とゴムを外していた。膨れた液だまりは、あっという間にティッシュに包まれてしまう。小さくなった丸は、ちょっと離れたところにあるゴミ箱に放り込まれた。
 空になった手は、次の一包に伸びるだろうか。伸びてほしい。ビッと封を切って、雄々しいナニに被せてくれたらいい。なんなら、ナマでも、良いくらい。……念じたところで、男はもう一回をほのめかしてはくれなかった。それどころか、緩く息を吐きながら、オレの横に寝転がってくる。
 つい、口が尖った。
「シないの」
「シねーよ。明日も仕事だろ?」
「ドラケンは休みじゃん」
「オレはな。でも、三ツ谷は仕事じゃん」
「そうだけど……。もう一回、だめ?」
「だめ。三回もシたら、オマエくたくたで朝起きれなくなるぞ」
「ンなこと、」
 ない、と喉元まで込み上げてきたが、声にする前に呑み込んだ。三回目を強請った翌朝、突発的に有休を使ったこともあるし、醜態を晒すのを承知で出勤したこともある。蘇ってきた苦い記憶に、むぐり、唇を噛んだ。
 ケチ。負け惜しみのように吐いてから、もぞもぞと寝返りを打った。すっかり背中を向けると、吐息で笑う音が聞こえる。笑うんじゃねえ。見えないのを良いことに目一杯顔を顰めると、……ぺたり、背中に体温がくっついた。
「っ」
「続きは、」
 触れたところが、じゅわりと痺れる。心臓はとくとくと逸りだした。回される腕に、つい期待してしまう。このまま不埒に弄ってくれたら、どれほど気持ち良くなれるだろう。顰めたはずの顔が、とろとろと緩んでいく。
「また、今度な」
 やだよ、今が良い。浮かんだ我儘は、ぎゅっと目を瞑って思考の海に押しやった。大丈夫、ドラケンが「また今度」と言ったんだ、ちゃんと次はある。
 ―― 毎月、第三水曜日は、セックスをする日。
 初恋を拗らせた末、オレはこの男と月に一回、体を重ねている。好きと言ったわけでも、言われたわけでもない。じゃあなぜセックスするに至ったのかというと、……酔った勢いの玉突き事故としか、言いようがない。抱き着いたら、こめかみにキスされて、口が良いって強請ったら、あれよあれよという間に抱かれていた。あまりの手際の良さに、冗談と逃げることすらできなかったっけ。しかも、凄まじく体の相性が良かったもので、今の今までずるずると爛れた関係を続けている。
 いい加減、やめないとなあ。思いはすれども、抱かれる快感は捨てがたい。なにより、焦がれた相手とセックスできるんだ。やめられるわけなんて、ない。
「ん、また、来月ね」
 そして今日も、憧憬と情欲を拗らせたまま、この男と春を交えたのだった。

 たかが一か月、されど一か月。前回の第三水曜日より、随分と日も長くなった。
「ぅ」
 事務所を出た瞬間に北風に凍える、ということも少なくなってきたと思う。終電間際まで粘らないのなら、上着だってなくていいかもしれない。
「ぶ、……ッグシュッ!」
 なのに、口からはくしゃみが飛び出してきた。
「あら、三ツ谷さん風邪ですか?」
「ンン……、ああ、お疲れ様です」
 後ろから聞こえてきた同僚の声に、ぱっと鼻を隠した。まずい、鼻を垂らした姿を見られてしまう。スンスンと啜りつつ、肩に掛けている鞄を漁った。ティッシュ、ティッシュ。かまないと、やばい。
 しかし、指先はそれらしいビニールにぶつからない。三回ばかりハンカチの端に触れたところで、焦りが滲んできた。
 アレッ、もしかして、忘れた? それか使い切ったか。どうしよう、いっそハンカチでかんでしまおうか。しかし、布でかむのは、なんだか、嫌だ。それでも、背に腹は代えられない。鞄の中に入れた指先で、仕方なくハンカチを握った。
「良かったら」
「ぅえ」
 ふと、視界にソフトパックのティッシュが入り込む。ぱ、目線を持ち上げると、マスクをした同僚が差し出しているのが見えた。ふよふよと、南風に煽られて取り出し口の白が揺れている。自然と、手は伸びていた。
「どうも、助かります」
「なんにもです」
 指の腹が、やけに滑らかな薄紙に触れる。彼女特有の不思議な言い回しを聞きながら、ありがたくソレを引き抜いた。鼻先に触れるティッシュは、タダで配られるティッシュとは比べ物にならないくらいに柔らかい。これなら、一日に何度鼻をかんだって、赤くならずに済みそう。こそこそと鼻をかみながら同僚を盗み見ると、向こうもまたそっぽを向くようにして鼻をかんでいた。……このティッシュを使っても、鼻は赤くなるらしい。
「大変そうっすね、花粉症」
 使ったティッシュを小さく丸めつつ、もう一度鞄を漁った。確か、内ポケットにコンビニ袋があったはず。指を滑り込ませて、三角に折りたたんだビニールを取り出した。そういえば、彼女はゴミをどうするんだろう。それとなく盗み見ると、ポリ袋を広げているところだった。
 大きいティッシュに、ポリ袋。荷物まで増えて、本当に大変そうだ。滲んでいた焦りは、いつの間にか同情に移り変わっていた。
 すぐに彼女はこちらの視線に気付く。しょぼしょぼとした目が、胡乱げにオレを捉えた。とはいえ、訝しんで見せたのは一秒そこら。赤く染まった目元に、何故か意地の悪い色が重なる。
「……三ツ谷さんも花粉症かもしれませんよ」
「え、いや、まさか」
「突然来ますから、花粉」
「やめてくださいって」
 朗らかな口調ではあるが、言っていることはさっぱり朗らかじゃない。三日月を描いた目には、確かに鬱屈が漂っていた。すん。マスクの下にある鼻が、小さく啜られる音がする。
 つられて、こっちもスン、鼻を啜ってしまった。むずむず、する。鼻をかみたい。でもティッシュはない。いっそう笑みを深くした彼女は、しまったばかりのティッシュを再び取り出した。心を、読まないでくれ、ありがたいけど。
「花粉、きたんじゃないですかあ?」
「ッ」
 頬が引き攣った。やめろやめろ。念じたところで、鼻のむず痒さは止んではくれない。
 違う、違うんだ。これは、あくびが移るのと同じ現象。それか、どこかで誰かがオレの噂をしているか。そうだ、そうに決まってる。
「ぅ、ぁ、は、」
 後ずさりつつ、空気を細切れに吸い込んだ。ティッシュ、使っていいですよ。ニヤリとした笑みの後ろから、副音声が聞こえてくる。悔し紛れに、お高いティッシュを三枚ばかり引き抜いた。ふわりと柔らかな薄紙を、ぐっと口元に引き寄せる。
「へァっ、」
 空気を、大きく吸い込んだ。
―― 三ツ谷!」
「ッ」
 その瞬間、車道の方から声がした。当然、同僚のものではない。もっと低くて、耳に馴染む音をしている。
 あ、ぁ、返事、しなきゃ。でも、くしゃみは喉を過ぎている。我慢、しきれ、ない。どうにか息を止めてみるが、迫りくるむず痒さを飲み下すことは、できなかった。
「ぷチ……ッ!」
「あら」
 なんだ、今の音。自分の口から出てきたとは、正直思い難い。まるで小動物の鳴き声。そんな鳴き声の動物、いませんよ。脳内にいる千冬が生温かい笑みを浮かべる。じゃあ、なんて表現すればいいんだ。助けを求めるように同僚を見やると、「またかわいいこと」と返ってきた。
 そうね、かわいい。確かに、可愛い音が出たと、我ながら思う。でも、この歳の野郎がするくしゃみと思うと、ない。気持ち悪い気すらする。
「三ツ谷ぁ?」
「う」
 重ねて呼ばれてしまうと、振り向かざるをえない。仕方なく、のろのろと車道の方に目を向けた。まだ鼻と口はティッシュで隠したまま。それでも、目は合った。バイクに跨っている男の目が、ぱち、ぱちり、瞬く。
「すっごいカワイイくしゃみしたじゃん」
「うるせえッ!」
 瞠られていた目は、すぐにからかうような色を孕んだ。煽られているとわかると、羞恥で顔がカッカと火照り出す。むしゃくしゃしてきた。我慢しようと思ったのに、茶化されるなんて癪。じっとりとしたティッシュをこれでもかと握り込んだ。あっという間に硬く、小さくなったそれ。荒い手付きで、ゴミ袋に捻じ込んだ。
「どしたの、風邪?」
「ちがう」
「じゃあ、……花粉?」
「花粉でもないっ!」
「花粉ですよお、きっと花粉症ですってえ」
「~~ッ川上さん!?」
「今度いい耳鼻科紹介しますねぇ」
 挟み込まれる茶々に勢いよく振り返ると、まあ爽やかな調子で「お疲れ様です」と浴びせられる。そのくせ、顔つきは爽やかとは言い難い。颯爽と去っていく彼女を睨んでいると、また鼻がムズムズしてきた。啜ると、スンを通り越して、ズッなんて音がする。
「どうする」
「……なにが」
 バイクのエンジン音の上に、軽やかな声が乗る。ジト目を向けると、にんまりと笑ったドラケンが見えた。そっけなく返した自分の唇は、ツンと尖っている。それが可笑しいのだろう。ヘルメットを差し出しながら、男の喉はくつくつと鳴っていた。
「今から行ける耳鼻科、探す?」
「……いーよ、ちょっと鼻ムズっただけだし」
「ほんとかよ。らしくないくしゃみまでしちゃってさあ」
「それはそれ、ほんとに大丈夫だからッ」
 受け取ったソレをずぼっと被り、タンデムにドスンと腰を下ろす。小恥ずかしさで苛々しながら、後ろのバーと、ドラケンの腰元を握った。
 肩越しに振り返ってくるそいつは、相変わらず愉快そうににやけている。こっち、見るな。前、向け。そんで、はやく、行けよ。ムッと唇を歪めたまま、顎で進行方向を指した。
「ふ、」
 一つ分の吐息に、笑みが乗る。笑うなってば。そう言おうかと思って、ぐ、一旦飲み込んだ。だって、目線の先にある横顔は、もう意地悪な色をしていない。
「りょーかい。オレん家でいい?」
 続いて聞こえてきた声にも、角はなかった。加えて、ちょっと、甘ったるい。なんたって今日は、第三水曜日。その日の中でも、夜にだけ聞かせてくれる声に近付いている。
 ちょろいな、オレも。この声を聞くと、どんな鬱憤も蕩けてどこかに行ってしまう。
「ぅん」
 こっくりと頷いたところで、やっと男は前を向いた。エンジンの音がじわりと膨れて、穏やかにバイクが走り出す。
 今日は、セックスを、する日。胸の内側が、くすぐったくなってくる。また、くしゃみが出てきそう。唇を波打たせながら誤魔化して、夜への期待に意識を集めた。

 男の体の厄介なトコロは、丁寧に準備をしないとならないところ。
 いくら帰宅と同時に抱いて貰いたくても、それは叶わない。もしこの体が女だったなら、玄関を潜ると同時に暴いて貰えたのだろうか。いや、あの家で育ったドラケンのことだ、即ハメなんてするとは思えない。どんなに興奮していても、無言で風呂に放り込むに決まってる。せいぜい、気が向いた時に一緒に入って洗いっこを許される程度。……男の体でも、それは、たまにする。
 じゃあ、男でも、女でも、変わりはないか。なんなら、この体が女だったら、あえて抱いてくれなかった可能性だってある。
「はぁ、」
 ぽこぽこと徒労なたらればを浮かべつつ、ため息を吐いた。湯上りで、その吐息は熱を持っている。後ろを、たっぷりと解したせいもあるだろう。気持ちいところは避けて指を動かしたのだが、かえってじれったさが募ってしまった。こうなると、もう抱かれたくて仕方がない。ベッドの上で組み敷かれて、存分にあの男で満たされたい。
 滲み出る情欲そのまま、風呂場の扉を開けた。大ぶりなスエットの裾を引きずりながら、明るい居室に踏み入る。
「おまたせ」
 声を掛けると、ベッドに腰掛けていたドラケンが顔をあげた。雑誌を読んでいたらしい。胡坐の上に、バイク雑誌が広げられている。なんの特集載ってるのかな。覗き込もうかと思ったが、それより早く雑誌は閉じられてしまった。流暢な動きで、週刊誌みたいな冊子がローテーブルに放られる。
「ちゃんとあったまった?」
「だから、風邪じゃねえって」
「だとしても、まだ夜は冷えるんだから」
「……口うるさい園長先生みたい」
「そこで母親って言わないのが三ツ谷って感じする」
「だってうちの母親、口うるさくねえもん」
「ああ、ルナも言ってたワ。お兄ちゃんの方がずっと細かいって」
「あいつ……」
 脳裏に夜遊びを覚えだした妹の顔が過る。あいつの歳を思えば、オレよりずっと健全。それでも、アレコレ心配してしまう。だって、女の子だ。どこの馬の骨かもわからん奴の餌食になってほしくない。そんな兄と姉のやりとりを間近で見ているからか、マナは極端に夜遅く帰ってくることはない。まあ、それもいつまで続けてくれることやら。
 はあ。今度のため息には、先程のような熱は乗らなかった。折角準備したのに、兄貴のスイッチが入ってしまう。もう、萎えちゃったじゃん。薄れ始めた欲を取り戻すべく、わざと肩がぶつかる位置に腰を下ろした。ちょっと高い位置にある肩は、もたれかかるのにはちょうどいい。擦り寄るようにして、こて、頭を預けた。
「ふ、」
「ン」
 すぐに、男の手が伸びてくる。ドラケンの、妙に色気のある匂いを感じながら瞼を閉じた。間もなく、唇に指の皮膚が擦れる。凹凸のある親指が、荒れ気味の下唇に引っかかった。撫でる手付きに意識を向けると、ぞくぞくと背骨に痺れが走る。胸に熱が籠り始めて、はふ、唇の隙間から濡れた息を吐き出した。……我が事ながら、ちょろすぎる。キスをほのめかされただけで、すぐに欲情できてしまうとは。
 早く、口付けて欲しい。続きを煽ろうと、爪先に吸い付いた。
「っ」
 たちまち辺りが陰る。目を瞑っていても、その男が迫ってきているのがわかった。こつんと額がぶつかり、柔く鼻先が擦れる。明け渡すかのように指先は顎へと滑り、……やがて唇に熱が重なった。一回、二回、三回と押し当てるのは、たぶんドラケンの癖。三回目までは、口を開けたって深く口付けてはくれない。逆に、四回目以降はどんなに引き結んでいても強引に暴かれる。無駄な抵抗をやめたのは、何度目の逢瀬のことだったろう。記憶を遡りながら、そぉっと唇を割り開いた。
 ぬるり、舌が入ってくる。自分のソレより、ずっと長く、かつ厚みのある粘膜が口内を犯し始めた。
「んっ、ァ……、ふ」
「ン」
 気付くと、両耳を塞がれるように頭を包まれていた。口内で鳴る水音が、脳みそに響く。ちゅぷ、くちゅ、ぬと、ぴちゅ、……聞き入っていると理性もすり減って来た。力が抜けて、座っているのもあやしくなってくる。
 ベッドが、軋んだ。背中が倒れる。とふ、っと横たわると、シーツからも男の匂いが香った。月に一度、三回目の水曜日にもたらされるオレの春。鼓動を逸らせながら、縋るようにスエット地に指を引っ掻けた。
「ぁ」
 リップ音を立てながら、一旦ドラケンが体を起こす。存外厚みのあるソコは、薄く唾液を纏って艶めいていた。切れ長の瞳の奥には、確かに熱が燻ぶっている。見上げているだけで、腹の奥が切なくなった。無意識のうちに内腿を擦り合わせてしまう。貸してもらったスエットは、言うまでもなくオーバーサイズ。大ぶりな布の下で、欲に染まった身体を捩らせた。
 はやく、早く、速く。強請るように視線を送ると、ドラケンが小さく舌なめずりをする。無骨な印象のある手の平はようやくスエットの下に潜り込んだ。
「ァ」
「あっつ、」
 火照った肌に、手の平が触れる。するする捲り上げられて、あっという間に腹も胸も露わになった。ナカは空っぽのはずなのに、下腹はぴくぴくと震えている。胸の天辺では、存在を主張するように乳首が膨れていた。
「ねぇ」
「うん」
「ッあ……、ンぅ」
 皆まで言わなくても伝わるのは、長い付き合いの良いところ。一言で媚びると、ドラケンの指先はぷっくりと腫れた先っぽに伸びてきた。微かな窪みに、爪先がかかる。もう一方は親指と人差し指とで抓まれた。引っかかれるのも、好き。捏ねられるのも、大好き。男にしては大きい突起から、じゅわりと悦が広がっていった。
「ふっ、ン」
「声、出せって」
「……でも、好きだろ、こういう漏らすみたいな喘ぎ声」
「そんなことないけど」
「あるよ、ァ、んっ……」
 本人に自覚がなかろうが、耐えきれずに零れてしまう声、というのにドラケンは弱い。自分が屈服させたなんて征服欲が満たされるのかもしれない。もしくは、あからさまな喘ぎ声を日常的に聞いていた弊害か。どっちかなあ、どっちでもありそう。なんにせよ、あんあん声をあげたくないこっちとしては、都合がいい。いくら抱かれる側とはいえ、男としての矜持を手放したわけじゃあないからね。
 唇をほんのり内側に巻き込んで、溢れそうな声を鼻に向かわせる。いつだったか、失敗して子犬が甘えるような声が出たこともあったっけ。あの日は、びっくりするくらい優しく蕩けさせられた。……やっぱり、ドラケンは控えめな嬌声の方が、好きなんだ。間違ってはいない。
「ん、……ン」
「……」
 上ずった声を飲んでいると、じっとりとした視線が降ってくる。声出せって言ったのに。見上げた先の顔にはそう書いてあった。やだよ、オマエ、こっちの方が興奮気味に犯してくれるもん。丁寧さは控えめで、ちょっと粗暴なあの暴き方。オレ、結構好きなんだから。
 思惑通り、ドラケンの手付きは荒くなり始める。左側の突起が、くちりと潰された。細やかな痛みは自動的に快感に置き換わる。悦で満ちた吐息を零していると、男の指先はウエストのゴムに引っかかった。サイズが大きすぎるのもあって、下腹が露わになってもゴムが伸びきる様子はない。下生えが覗く頃になって、ようやく引っ張られている感触がした。
「んッ」
 ふるん、と、半端に勃起した自身が顔を出す。期待で膨らんでいるソコは、空気に触れただけでびくびくと感じ入っていた。打ち震えるのに合わせて、先っぽからは我慢汁が滲み出ている。足を引き抜いてしまうと、電気を落としていない室内で、その情けない様はよく見えた。
「ノーパンかよ」
「……履いたって、すぐ脱ぐし」
「ぐずぐずになってシミつくってるトコ、好きなんだけど」
「知ってる。すけべ」
「そお? オレの手で濡れさせたって思ったら、気分いいじゃん」
「ぁ、ンっ、んん」
 ドラケンの手が、きゅうとソレを握り込んだ。何度か揉むようにあやされたあと、その手はゆっくりと上下し始める。直接的な刺激に意識を引っ張られるが、乳首だってカリカリ虐められている真っ最中。それぞれの快感の回路が、火花を散らせながら繋がった。同時に捏ねられると相乗効果で理性が焼き切れそうになるし、片方に刺激が偏っても両方とも擦られているのと変わらない悦が襲ってくる。
 あ、ぁ、ア。気持ちが、イイ。だんだん唇を引き結ぶだけの余裕もすり減って来た。気を抜くと、ぽっかりと穴を開けてしまう。どうにか閉じようと体を力ませると、なぜか後孔にまで力が入ってキュンと縁が疼いた。腹の奥が、切ない。深いところの粘膜も、この男の手指で虐められたい。あわよくば、貫かれたい。欲望の泡がはじける度、声を堪える気力が削げていった。
 ア、アッ、あ。唇の隙間から、声が溢れていく。か細い喘ぎから始まった母音は、ボリュームを増し始めた。敏感なトコロを責め立てられて、上からも下からもトロトロと涎が零れる。甘ったるい声は、部屋の壁や天井にぶつかって我が身に返って来た。
 ドラケンと、セックス、してる。今月も、正しく春の最中に居られている。
 なんて、幸せなんだろう。これが仮初じゃなかったら、もっと幸せになれたろうに。せめて、今、与えてもらえる愛欲だけでも搾り取らせてもらわないと。縋るように、男の方に腕を伸ばした。
「アっ、」
 指先が、ドラケンの肩を掠める。恥部に向いていた視線が、ちらりとこちらを向いた。切れ長の目には、たっぷりの熱が浮かんでいる。その温度が伝ってきて、背中に電流が走った。だって、憧れの雄が、誰でもない自分に欲情してくれているんだ。愉悦に歓喜が混ざって、むずり、体が疼いた。
「ぅ」
 擽ったさが、するりと頭の方に上ってくる。
「っ?」
 違和感に息を詰めてみたものの、そのもどかしさは顔の中央に寄り集まった。
「ッ……!」
 鼻の奥が、無性に、擽ったい。
 あ、やばい、これは――
「~~っぶ、シュッ!」
 気付くと同時に、ソレは勢いよく放たれた。
 全身が、快感とはまったく異なる由来でビクンと震える。幸いなのは、ドラケンの方に吐き出さず、どうにか二の腕で押さえ込めたことだろうか。
 いや、最悪は、最悪なのだけれど。
「……」
「…………」
 体を弄っていた手が、ぴたりと止まった。ぷすり、頭の辺りに視線が突き刺さる。
 顔を背けていて良かった、くしゃみの勢いで目を瞑ったままでいて、良かった。今、目が合っていたら、ありとあらゆるマイナス感情で消えたくなっていたことだろう。
 とはいえ、いつまでもそうしているわけにもいかない。恐る恐る瞼を持ち上げた。顔面は背けたまま、目線だけを、そぉっと覆いかぶさってきている奴に向ける。
 ……あったはずの色香は、きれいさっぱりなくなっていた。
「あー、っと」
「……ッス」
「花粉?」
「ち、がう、もん」
「じゃあ風邪だ」
「風邪でもッ……、ないよ」
「なら、なんで今日そんなくしゃみすんだよ」
「知らねえッて、ぅ、ム」
 話している傍から、鼻がくすぐったくなってしまった。咄嗟に口を押さえるが、堪えることはできない。変に我慢したせいで、ムヂッなんて無様な音が響いた。夕方の御可愛らしいのと、どっちがマシだろう。鼻水が出てきた分、こっちの方が酷いかもしれない。ああ、もう。もう!
 なんでセックスしようってときに、―― くしゃみなんか出るかなあ!
 忌々しさに、自身の鼻を雑に擦った。
「うぅヴウ!」
「あーあー、擦るな擦るな」
 目一杯顔を顰めていると、ドラケンはオレの上から退いてしまった。目線で追いかけると、ベッドの縁に腰掛けつつ、長い腕をローテーブルに伸ばしている。淫水を纏った指先は、箱ティッシュをがしりと掴んだ。
「ほら」
「……ン」
 ムッとしたまま、差し出されたティッシュを抓む。ちょいちょいと取り出した二枚は、夕方に触ったものよりごわごわとしていた。そりゃそうだ、ローションティッシュなんて高価なものじゃない。チープなデザインなあたり、店の販促品として仕入れたものなのだろう。ぶ、鼻水をかむと、あからさまに擦れる感触がする。鼻、赤くなりそう。いや、既に擦ってしまったから、とっくに赤くなっているか?
 鼻紙を丸めつつ、さらにもう二枚引き抜いた。変に唾の付いた口の周りや手の平を拭う。顰めた顔はそのまま、のそりと自分も起き上がり、ゴミ箱に汚れた丸を放った。……しかし、ハズレ。円筒の手前に、ぼたりと落ちる。
「あらら」
「……」
 気付くと、唇が尖っていた。横から見ても、膨れっ面に見えたらしい。小さくため息を吐いてから、ドラケンが静かに立ち上がる。三歩ばかり進んだところで、ひょいとゴミ屑を拾い上げた。すぐにぽとり、ゴミ箱の底にぶつかる音がする。
「三ツ谷ぁ」
 屈んでいた体が、真っ直ぐに伸びる。一八五センチの高さから、男の視線が降って来た。やっぱり、その瞳に熱はない。厚みのある唇には、曖昧な笑みが浮かんだ。
 嫌な、予感がする。その口が開くより先に、舌を動かしていた。
「やだ」
「まだ何も言ってねえんだけど」
「想像付く。やだ。する」
「……でもさあ、風邪にしろ花粉にしろ」
「やだって言ってんじゃん!」
 ムキになって声を荒げると、男の顔に苦笑が浮かんだ。再び三歩で戻ってきて、しかし、ベッドには座らずオレの正面に座り込んだ。下から向けられる視線は、憎たらしいほど柔らかく、優しい。
「体、辛くねえ?」
「……最後までしない方が辛いよ。こんなん生殺しじゃん」
「ああ、まあそれはな」
「ンっ」
 ドラケンの人差し指が、スエットの裾から覗いているナニに触れる。ちょうど鈴口の真上で、緩く指を動かされるだけで甘い悦が下腹に広がった。視線を下ろすと、先っぽは溢れた我慢汁で熟れて見える。放っておいたって、萎えることはないだろう。
 細く息を吐き出した。俯いたまま、視線だけをそっと動かす。睫毛を持ち上げ切ったところで、相変わらず穏やかな顔をしているドラケンを捉えた。
「シて、よ」
 なにより、今日シなかったら、次はいつになる? 来月の、第三水曜日まで待てと言うのか。あんまりだ。もうこの体は、ドラケンに抱かれないと満足できないっていうのに。良いよな、オマエは。相手はオレじゃなくても良いんだろうから。次の第三水曜日まで待たなくったって、別の奴を抱けば良いんだから。
 ドラケンは、そんな不誠実な奴じゃない。わかってる。それでも、欲を溜め込んだ頭は、偏った方向に思考を走らせる。なんでもいいから、抱いてよ。オレのこと、犯してよ。お願いだからさあ。
 縋る言葉が、次々と浮かんで来る。なんなら、喉元・舌の付け根までは込み上げてきた。けれど、声にはならない。舌先を離れる前に、どうにかゴクンと飲み込んだ。
 言えないよ。ドラケンの、いかにも「困った」って顔、見たら。
「……我儘言った。終わり、終わりね、ウン」
 陰茎に触れている手を、極力静かに退けた。離れる瞬間にまで、カウパーは雫を垂らす。どうして? まるでそう言っているかのよう。
 もじりと内腿を擦り合わせてから、よろりと立ち上がった。さっさとふて寝したいところだが、抜かないことには寝付けそうにない。脱がされたスエットの下を拾い上げつつ、ドラケンから逃げるようにフローリングに足を滑らせた。
「ごめん、便所だけ貸し、」
「三ツ谷」
「っ」
 と、ダボついた裾を抓まれる。無視、しても良かった。それくらい、軽い力だ。なんなら、オレを呼ぶ声だって、小さかった。気付かないフリも、できないことはなかったろう。
 しかし、ぴたりと足は止まってしまった。条件反射のように、首はドラケンの方を振り返っている。見えた男の顔には、今も困惑が浮かんでいた。
「オレさあ」
「な、……に」
 やっぱり続きをする気になった、という顔には見えない。こんな有様のオレを引き留めてまで、言いたいコト、とは。思考を巡らせてみるが、半端に膨れているブツのせいで、上手く思考を巡らすことができない。わずかに前屈みになった姿勢のまま、内股になった足を擦り合わせた。
「遠慮、してたんだよね」
「何の、話だよ」
「三ツ谷に、もうシないって言われた時、ちゃんと手放せるように身構えてたって話」
「ぁえ?」
「なのに、最近ずーっとオマエ、シたいばっかじゃん?」
「……よ、よくばりで、ごめん」
「ああいや、謝ってほしいとかじゃなく」
 ドラケンの口調は、穏やかだ。煽る色も、燻ぶる欲も纏ってはいない。しかし、裾を掴んでいた手はするりと腹側に回される。くんっと引き寄せられると、熱を携えた自身の体はくらりとよろめいた。たたらを踏んで堪えるも、代わりにドラケンの左腕まで伸びてくる。太腿のすぐ横にやってきた頭は、こてんとオレを見上げる角度に傾いた。ドラケンの、上目遣い。貴重なものを見ているのでは。きゅんと勝手に胸が高鳴り、いっそう体は前屈みになってしまう。
「ど、どらけん、あの」
「ここまで欲しがられると、手放しがたくなるっつーか」
「エ」
「愛おしくってヤバい。……もうさあ、期待してもいい?」
「きたい、て、……ハ、ぁ、ゥ」
 するんと手の平の片方が滑った。スエット地を過ぎ、太腿の皮膚を撫でられる。
 期待、って、なんだ。セックスする気になったってこと? それは、オレの期待であって、ドラケンの指す期待とは、たぶん違う。にもかかわらず、脚を撫でる手はするすると付け根の方に移動し始めた。指先が裾を潜り、関節の窪みを掠める。そのまま中央に向かってくれるのかと思ったが、それらの五指は下腹に辿り着いた。臍の、すぐ下。運動不足も重なって、柔くなってきた腹筋にじゅわりと沈み込む。
「三ツ谷」
 おかしい。鼓膜に届く声は、さっぱり欲情なんかしていない。オレを見上げる目付きだって、平坦なままだ。なのに、指先だけが不埒。指が沈んだ奥にあるのは、ハラワタだ。それも、男根を埋めてもらう部分。ここまで入っている、と、前に伝えたことがある。そうだ、ドラケンのソレは、ここまで入る。呼び起こされた快感の記憶に、ぴくりと下腹が引き攣った。
 畳み掛けるように、腹に圧がかかる。痛くはない。苦しくもない。恐ろしいほど正確に、この身の性感だけを掻き立てられた。
「ぁ、どら、けっ、」
 だめ、待って、すとっぷ。
 制止の言葉を掛けるより早く、キュッと睾丸がせり上がった。
「~~ッぁ」
 がくんと、膝が折れた。少し離れたところに、ぴゅるりと白濁が飛ぶ。間もなく緊張が解け、ぷつんと糸が切れるように全身が弛緩した。ドラケンの腕が回されていなかったら、どすんと尻もちをついていたかもしれない。……それ以前に、この男に腕を回されなかったら、こんな風に達することもなかったのだが。
 なに、すんだよ。今度こそ悪態を吐きつけようと、低い位置にある顔を睨んだ。
 睨もうと、した。
―― 付き合おっか」
「は」
「できたら一生の伴侶になってほしい」
「え」
「どお?」
「ぁ、ぅ、っハ、」
 両目は鋭くしそびれる。どころか、真ん丸に見開いてしまった。ヘの字を描くはずの唇は、わなりと震えて隙間を作る。あぐ、むぐ、顎が空気を食むように動いた。
 シチュエーションって大事だよね。ムードガン無視されると萎える。大事だって言うんなら、雰囲気作るところから努力してくれなくちゃ。なぜか脳裏に、交際相手への愚痴を吐く妹の姿が浮かんだ。そうだね、確かに、一理ある。その時打った相槌は、雑ではあるが、嘘でもなかった。大事なこと―― それこそ、プロポーズだとか―― を伝えるのなら、然るべきタイミングで言うのが望ましい。間違いなく、そう思っていた。
 じゃあ、自分は目の前の男に萎えたのかというと、否。拗らせた恋心は、馬鹿みたいに喜んでいた。
 うん。いいよ。喜んで。応じる言葉を言おうと、空気の塊を吸い込んだ。
「~~ィ、っぶシュッ!」
 ―― なぜ、そうなる。
 火照った意識が、瞬時に冷めた。
「……」
「……ふ、」
「わらうなよ!」
「いや、ふふ、無理。いやあ、マジで花粉なんじゃね?」
「そんなことないッ」
「そうかな?」
「そう、そうったらそう!」
「はいはい、そういうことにしよ。でさあ」
「うぇ」
「どうする?」
 どうするもなにも、答えなんか決まっている。依然として胸に残るムズ痒さに意識を取られつつ、スンッと鼻を啜った。今は、擽ったくはない。くしゃみは、今度こそ、出てこないだろう。
 よし。意を決して、口を開く。
 その男との関係は、その夜、正しく春に成った。