まさゆめ

不埒なはつゆめを見た隆と不埒なはつゆめを見た堅の翌日の話


 三ツ谷がおかしい。
「い、らっしゃ、イ」
 扉を開けて一番に、そう思った。どうも、様子がおかしいと。
「おう、悪いな新年早々」
「だ、だいじょうぶ! どうせ、課題とかもあって、ココ籠ってた、シ」
「……そお」
「ウン」
 普段の落ち着いた口調はどこへやら。今日の三ツ谷は、やけに息継ぎをするし、舌を噛むし、それに語尾が裏返りがち。家族関係の急用でもできたのだろうか。いや、それならば、約束の時間が来る前に連絡を寄越すはず。
 じゃあ、三ツ谷は一体、どうしたというのだ。
「あが、って、ドーゾ」
 指の先までピンと伸びた手が、アトリエの中の方を指す。ちら、とそちらの方へ目を向ければ、傍らから安堵のため息が聞こえてきた。なんだ、その嘆息は。パッと視線を戻すと、三ツ谷の肩がびくんと跳ねる。今一度見やった顔の上では、小ぶりな唇がツンと尖っていた。
 なんだよお。そんな幻聴が、どこからともなく聞こえてくる。
 あんまりこっち見んなよお。とろんと垂れた眦には、そう書いてあった。
 三ツ谷に、そんな顔を向けられる覚えはない。けれど、現実、向けられてしまっている。
「……オジャマ、シマス」
「ん」
 やっと思いで頷いて、ブーツを脱ぐべく玄関に腰を下ろした。
 再び、頭上から安堵のため息が聞こえてくる。あからさまな吐き方ではない。おそらく、三ツ谷自身は、悟られないようこっそり吐いたつもりなのだろう。だが、ここは手狭な玄関だ。どんな内緒話だって聞こえてしまいそうなくらい、狭い。胸を撫でおろすだけの動作すら、背中越しに手に取るようにわかってしまった。
 俺は、三ツ谷に何をしでかしたのだろう。わざと、もたくたと靴ひもを解きながら、思考を巡らせる。しかし、尤もらしい答えには辿り着けない。心当たりは、さっぱりなかった。
 俺は三ツ谷に、何もしていない。していない、はずだ。
「……」
 脱いだブーツを揃えてから、のっそりと立ち上がった。三ツ谷は一足先にアトリエの居室へと向かっている。その背中をじぃと見つめながら、悶々とする胸をぐるりと撫でた。
 少なくとも、現実の三ツ谷には、何もしていない。
 夢の中のあいつには、無体を働いてしまったのだけれど。
「……はぁ、」
 今朝見たばかりの夢が、ぶわりと呼び起こされる。頭いっぱいに広がった光景は、不埒と不健全に満ちていた。まったく、どうして自分は三ツ谷とセックスする夢を見てしまったのだろう。それも、初夢で見るだなんて。現実になったらどうしてくれよう。いいや、夢は夢だ。初夢だからといって、正夢になるとは限らない。むしろ、ならないことの方が多かろう。
 脳裏には、依然として素っ裸の三ツ谷が佇んでいる。うっそりとした笑みで、蠱惑的に腰を振って見せる三ツ谷。……馬鹿野郎、ありえない、三ツ谷だぞ。そんな真似、あいつがするもんか。
「ドラケン?」
「今行く!」
 わざと大きく返事をして、くだらない妄想を振り払った。
 ここが一階なのを良いことに、どすどすと大股で居室へと向かう。開け放たれたままの扉を潜ると、惚けた顔の三ツ谷と目が合った。その腕には、黒い布地が掛かっている。もう片方の手にあるハンガーには、同じ色合いの背広が掛けられていた。
 俺は、スーツを取りに来た。成人式用の、三ツ谷に仕立てて貰ったスーツを、引き取りに来たのだ。不埒な妄想に思考を奪われている場合ではない。
 そぉっと息を吐きながら、一歩、三ツ谷の方へ近づいた。
「それ?」
「あッ、うん……」
 か細く鳴いた三ツ谷は、おずおずとその布地をこちらに差し出してくる。黒色ながら上品な光沢感のある布が、しゃなりと揺れた。
「えぇと、大丈夫、だと、は、思うんだケド、一応、着てみる……?」
 相変わらず、三ツ谷の口調はたどたどしい。あまりの拙さに、こっちまで緊張してしまいそう。……しまいそう、の域は、とっくに過ぎている。いつの間にかこっちの体も強張っていた。肩なんて、すっかり怒ってしまっている。
 己のみっともなさを誤魔化すように、ぐるんと右肩を回した。
「あぁ、ウン。そうしよ、かな」
「ん、うん。ドウゾ」
「どう、も」
 このまま目を合わせていては、跳ねのけたはずの夢幻すらも舞い戻ってきてしまいそう。努めて自然を装って、視線をスーツの布地へと落とした。
 仕立てて貰ったのは、スリーピースのスーツだ。滑らかな触り心地で、ハタチのガキが着るには少々品が良すぎる。育ての親に見られたら、ひとしきり笑った後「馬子にも衣裳だな」と言われる気がしてならない。だが、以前試着した時、三ツ谷は太鼓判を押してくれた。曰く「ドラケンだから、このデザインが映えるのだ」と。
 ひとまず、着よう。着てみよう。一旦受け取ったスーツを作業台に置いて、のろりと着ていたコートを脱いだ。
「ぁ」
 その下に羽織っていたカーディガンも、ぽいと脱ぎ捨てた。ボトムスは手早く履き替えて、一つ迷ってから、Uネックのシャツから頭を抜く。前と変わりなければ、俺が着られるサイズのワイシャツもこのアトリエには置いてあるはずだ。ちら、と三ツ谷を一瞥すると、唇をワワワと震わしてからハンガーラックの方へ走っていった。両腕が、垂れさがる布地たちをを忙しなくかき分ける。間もなく一枚を引き抜くと、今度はナンバ歩きでこちらへ戻ってきた。
「ド、ゾ」
「……うん」
 いっそのこと、指摘してやった方が良いのだろうか。
 何硬くなってんだよ。そう言って、バシンと肩を叩いてしまいたい。それでいつもの三ツ谷に戻ればいいけれど、逆に悪化して小さく縮こまってしまいそうな気もする。
 はて、さて、いやはやまったく、どうしたものか。落ち着かない気分のまま、受け取ったワイシャツを羽織った。ボタンを留めるのもなあなあに、ベスト、ジャケットと重ねていく。
「……」
「…………」
 依然として、体の片側には、三ツ谷の視線が刺さってきていた。ぷちゅん、ぷしゅん、とぶつかるソレは、明らかに熱を帯びている。温度センサーを置いたら、視線が爆ぜるたびに真っ赤な線が見えるのではないだろうか。
 今日の三ツ谷は、本当にどうしたんだ。もはや、今この瞬間が、夢なのでは。頬の内側をぎゅむりと噛むと、じんわりとした痛みが広がった。感覚がある以上、これは確かに現実らしい。
 そわそわとした心地で指先をシャツのボタンに添えた。合わせて、ツツツと視線を三ツ谷に向かわせる。
「ぅえ」
 目を合わせるのは、実に容易かった。
「あのさ、三ツ谷。すげー、コッチ見るけど、俺なんか、……した?」
「ヴ」
 静かに問いかけると、三ツ谷の肩はすっかり持ち上がる。上がりすぎて、首が埋まって見えた。胸の辺りで構えられた二つの拳は小さく握ったり開いたりを繰り返す。唇は半開き、両目は転がり落ちそうなくらい見開かれた状態で固まっていた。
 緊張は、移るものだとばかり思っていた。だが、過度な動揺を目の当たりにすると、かえって人間、冷静になれるらしい。体に纏わりついていた力みが、すんと凪いでいった。指先は、シャツのボタンをくんと留める。下から数えた方が早く、かといって一番下ではない中途半端な位置。そのたった一か所だけを留めたところで、ひたりと三ツ谷に向き直った。
「みつや」
「ぅ、あの、その……って、こら、ちゃっ、ちゃんと前、閉めろ、ヨ」
「うん?」
「しめろ、て、ば」
「……ウン」
 たどたどしく呻きながら、三ツ谷の震える腕が伸びてくる。応えるように距離を縮めてやれば、整えられた指先が未だ留められていないボタンに掛かった。小ぶりな丸が、一つ、二つとボタンの穴を潜っていく。下から上へ、ボタンを留めるのに合わせて、三ツ谷の頭は擡げられていく。髪の合間からは、真っ赤に染まった耳が覗いた。寒さに晒されたわけでもないのに、ツンとした鼻先も色づいている。赤味を帯びているのは、それだけじゃない。目元も、頬も、化粧でもしたかのようにポッと染まっていた。
 この顔には、見覚えが、ある。
「なあ、三ツ谷」
「ぁんだ、よ、ォ……?」
 丁寧に三ツ谷の顔を両手で掬った。小顔だからか、俺の手が大きいからか、その頬はすっぽりと収まってしまう。赤らんだ肌を、悠々と包み込むことができた。
「あ、あの、ど、どらけん」
「マジで三ツ谷さあ、今日、なんでそんな顔してんの」
「そんな、かおって、なんだよ」
 この顔には、この表情には、見覚えが、ある。
 あの夢の中で、三ツ谷が浮かべていた顔付きだ。すっかり蕩けて、恍惚手前。ちょうど口付けされた頃合いの、熱に浮かされた見てくれ。
―― 俺に、抱かれたいって、かお」
「えっ」
 はくん。告げると同時に、三ツ谷の小ぶりな唇が空気を食んだ。
「あ、あのッ、ぅ……」
 やがて、薄いソコが嬌声に似た音を零し始める。顔のあちこちに咲いていた赤色は、すっかり全体を覆ってしまった。手の平で触れている肌は、カッカと熱を放ち始める。大きく見開かれた瞳には、じゅわりと涙が滲み、わかりやすく潤んだ。
「ぅ、あ、その」
 これは、つまり、どういうことだ? 考えるまでもない、図星なのだ。ならば、目の前にあるこれは、据え膳とやらになるのだろうか。反射的に生唾を飲み込むと、三ツ谷も同じように喉仏を上下させていた。
 もしかすると、三ツ谷にとっても、俺は据え膳に見えているのかもしれない。
「ドラケン、が」
 心臓が、ばくばくと騒ぎ立てはじめる。勢いよく巡る血液は、多様な意味の熱を体に運んだ。当然、疚しさだって指先に巡る。人差し指は、三ツ谷の耳介を思わせぶりに擽った。なにすんだよ。平生のそいつなら、パシンと俺の手を叩き落としていたことだろう。けれど、今日の三ツ谷は様子がおかしい。普段の冷静さは影もなく、熱に浮かされた顔で甘い呻きを鳴らすばかり。
「許して、くれるン、な、ら」
 ―― その先、だって。
 夢で見たとの同じ音が、わんっと鼓膜を震わす。
 そりゃあ、こっちの台詞だよ。吐き捨てるより早く、三ツ谷の唇にかぶりついた。