スーパー・F・マーケット
スーパーのタイムセールについて行ったら、大人の隆と遭遇した中1堅の話
自動ドアを潜った途端、軽快な音楽が聞こえて来た。外とは打って変わって、店の中はよく冷えている。心地よさにほっとため息を吐いていると、足元を子供が通り抜けていった。その手には、知育菓子のパッケージが握られている。えっ、万引き? 咄嗟に振り返れば、今度は大きなレジ袋を二つ下げた女性がバタバタと駆けて行った。コラッ・待ちなさい・危ないでしょ。説教らしき声が、閉じかけている自動ドアの隙間から飛んで来る。会計は、一応されていると思って、良いのだろうか。きっと、良いのだろう。
なぜかドキドキと心臓を逸らせながら、そぉっと店内に視線を戻した。すぐ近くにあるのは、積み重ねられた買い物カゴ。掲示板のような什器には、写真と数字だらけのチラシが貼ってある。
三ツ谷は、その広告を、これでもかというくらい真剣な顔をして睨んでいた。
「……みつや」
「ちょっと待って」
「ッはい」
意を決して声を掛けたものの、手の平を向けられてしまう。肩の辺りからは、話しかけるなというオーラが立ち上っていた。特服のボタン付けをしている時だって、手芸部の作品づくりでミシンを触っている時だって、これほどピリついてはいなかったというのに。
俺は、とんでもないところに連れて来られたのではないだろうか。
さらに鼓動を加速させながら、もう一度店の中を見渡した。
「……うわあ」
すぐそばにあるのは野菜売り場。緑色を中心に、鮮やかな青果が行儀よく並んでいる。それを物色する人の頭は、思ったよりもたくさんあった。
びくびくしながら見やったレジの群れには、倣うようにして人の行列ができている。行列、だ。けれど、横入りする無作法者は、ひとまずいない。野菜と同じで、人も行儀が良いらしい。
自分のような不良が、こんな平和に賑わっているところにいて良いのだろうか。
いや、ダメということはないはずだ。だって、同じ不良の三ツ谷は、毎週ここで買い物をしているという。けど、三ツ谷って、不良ながら善良なとこあるからな。
「ん、よし」
パッと三ツ谷を見やれば、向こうも俺の方を振り返ったところだった。その表情に、先程までの鋭さはない。よく見慣れた、冷静で、大人びていて、ちょっとカッコつけたがりの顔付きをしている。
「……米と味噌、ですっけ」
「うん、そう。あと今日、ローストンカツのタイムセールするみたい」
「ローストンカツ」
「あ、さすがにタイムセール品取ってきてっては言わねえから」
「ウン、ハイ」
「どしたの? なんかさっきから、ちょいちょいカタコトなってっけど」
「……だぁって、さあ」
―― 龍宮寺堅・十三歳。スーパーマーケットという場所にきたのは、これが初めてのことだった。
「こんな風な混み方だと、思わなくって」
「そう? 夕方はまあこんなモンだよ」
「俺の知ってる人混みじゃない」
「どの人混みと比べてんだよ。センター街とスーパーが一緒なワケねーじゃん」
「そうだけどさあ」
そこはかとなく緊張し続ける俺を余所に、三ツ谷はひょいと買い物カゴを持ち上げた。グレーのそれは、すぐにカートに乗せられる。そして、なぜか押し手を俺の方に向けてきた。まさか、俺に押して歩けっていうのか。今日初めて、スーパーに踏み入ったっていうのに。そんなハードルの高いことを、スーパー初心者の俺にさせるというのか。
どぎまぎしながらカートの取っ手に触れた。自分にとっては低い位置にあるそれを、きゅ、酷く弱い力で握りしめる。縋るような気持ちで三ツ谷を見やると、一つ頷いて歩き始めてしまった。
「えっなに、みつや」
「なに?」
「俺が押すの、これ」
「うん。ただついて歩くだけじゃ手持無沙汰だろ」
「……そうかも」
「とりあえず、タイムセール始まるまでは俺についてきてくれたらいいよ。ええと、まずは」
「あ、わ、待てってば」
颯爽と野菜売り場に向かっていく三ツ谷を慌てて追いかける。合わせて、ショッピングカートの車輪がカラカラと音を立てた。骨組みだけのソレは、ほんの軽い力でもぐんぐん進む。えいっと手を離したら、突き当たりまで転がっていきそうだ。無性に遊びたくなる気持ちをぐっと堪え、物色し始める三ツ谷の隣に並んだ。
カゴの中には、テンポよく食べ物が放り込まれていく。ナスに、トマトに、キュウリに、ピーマン。ピーマンも、買うんだ。不意に表情が削げ落ちてしまい、ふすっと三ツ谷に笑われてしまう。こういう顔、ルナちゃんもするらしい。マナちゃんは、まだ好き嫌いがはっきりしていないからしないとか、なんとか。
もやしも入って、しめじも入って、景色が真っ白の要冷ケースに変わったところで、豆腐と納豆。あ、と声をあげたかと思うと、半額シールの貼られた厚揚げもカゴの中に入れられた。
手元にメモがあるわけでもないのに、三ツ谷は流暢に商品を選んでいく。俺には、とてもできそうにない。わかめの袋を掴むそいつの背中を、尊敬の念を込めながら見つめた。
「……すげえな」
「なんだよさっきから」
「すげえんだもん」
「だから、何がだよ。あ、そこの味噌とって。二つ」
「え、どれ」
指差された方をパッと見やれば、什器一杯に味噌の器が積み重ねられていた。傍らには、今日のお買い得品と書かれたポップが垂れている。
念のため上から下、左から右と視線を走らせ、「そこの味噌」が一種類だけであるのを確かめた。この味噌が、二つ。やっぱりドキドキとしながら一つ、二つとパックを引っ掴む。大きさの割に、ずっしりとした重みがあった。二つもあったら、一・五キロくらいにはなりそう。こっそり見下ろしたラベルには、七五〇グラムと書いてあった。俺の感覚は、なかなか正しかったらしい。
こっそり息を吐きつつ、野菜が潰れない位置に味噌を置いた。
「あ!」
「ッなに、俺間違えた!?」
「タイムセール始まる、って、え、間違えるってなに?」
途端、三ツ谷の肩が跳ねる。つられて、こっちの肩も激しく飛び跳ねた。
一拍遅れて、店内にうるさいくらいのアナウンスが流れているのに気付く。天井のどこかにあるスピーカーから、早口でまくし立てるような声が降ってきていた。
ぽかんとしているうちに、一人二人、三人と通路を足早に進んでいくのも見える。三ツ谷もそれに気付いたらしい。顔付きに、入り口でチラシを物色していた時の鋭さが戻ってくる。
「俺、先に惣菜コーナー行くからさ」
「え、ど、どこ、俺も」
「ドラケンは、米と小麦粉よろしく。米はこの列の端、小麦粉は二つ向こう側の列の真ん中ね」
「へッ」
「頼んだ!」
「いや、ちょっと、おい」
三ツ谷ッ。叫びかけた声が小声になったのは、ココがスーパーという意識が働いたからだろうか。
スーパー熟練者・三ツ谷は、スーパー初心者・俺を置いて、たったかと駆けて行ってしまった。取り残された焦燥感で、カララッと数歩分カートを押してしまう。けれど、ふっと三ツ谷はどこかの棚の間を曲がってしまい、その姿は見えなくなった。
初めて立ち入ったスーパーマーケットで、ひとりぼっち。焦燥感は、じわじわと悲壮感に塗り替えられていく。
買い物の荷物持ちを、二つ返事で引き受けたのは、間違いだったろうか。だが、特売品が多くて手が足りないとほとほと困った顔をしていた三ツ谷に「ふーんがんばれよ」と言えようか。言えるもんか。
「こめ」
あと、小麦粉。ぎくしゃくとした動きで、カートの向きを反転させた。言い渡されたからには、引き受けたからには、全うしなくては。
半ば狼狽えたまま、三ツ谷が教えてくれた通りに、カートを押していった。
「こめ、こめは、……エッ」
そろそろと近付いた売り場には、様々な袋が積んである。味噌と違って、積んであるのは一種類じゃあなかった。
どれを、買えば良いのだ。頭の中に、大量の疑問符が浮かぶ。一番安いのにすれば良いのか。それだと量が少なくなる。かといって、一番大きな袋をえいやっとカートに乗せて良いものか。
二キロ、三キロ、五キロに十キロ。米の袋を見下ろしていると、眩暈がしてきた。カートがあって良かった。この取っ手を掴んでいなかったら、膝をついていたかもしれない。
ぎゅ、頭をリセットしたくて、一旦目を瞑った。それから、ぎゅ、カートの取っ手を、いくらか強い力で握りしめる。下手に選んで「それじゃない」と言われるより、三ツ谷にちゃんと確かめた方がいい。片方のつま先を、ぎゅ、三ツ谷がいそうな方に向けた。
「―― なぁにぼーっとしてンの」
ふと、背後から耳に馴染んだ声がする。
ハッと瞼を開けると、積み重なった米の袋たちが見えた。俺を散々惑わせた米袋だ。……そう思いたいのに、どうも違和感がある。今まで見ていた米の袋と、まったく違うものに見えてしまった。じゃあ、具体的に何が変なのか。説明したいところだが、上手く言語化もできない。
「コシヒカリ、十キロって言ったろ」
続けて、同じ声色が鼓膜を震わせた。
反射的に振り返るが、その人影はするりと俺の背後を過ぎていく。慌ただしく逆側に首を向けて、ようやく声の主と思しきリネンシャツ姿が見えた。
はて、三ツ谷は、こんなシャツを着ていたろうか。確かに襟のあるシャツは着ていた。だが、その上にカーディガンを羽織っていたはず。夏用の、ざっくりとした編み目のカーディガンだ。暑くなって脱いだのだろうか。だとしたら、そのカーディガンは一体どこへ。
呆けたまま見下ろしていると、そいつの腕は淡々と売り場で一番大きな袋を抱え上げた。力むのに合わせて、日に焼けていない肌に血管が浮かぶ。
はて、三ツ谷は、こんなにも白かった、っけ。
ぐるりと見渡した店内は、それまでと同じにも、まったく違うものにも見えた。
「ったくもー、全然追い付いてこねえんだもん。迷子になったのかと思った」
どすんとカートの下に米を載せたそいつは、ゆったりと体を持ち上げる。一旦真っ直ぐになった腰に男は両手を当てる。ぐ、ぐ、逸らすようにして筋を伸ばす動作は、正直、中学生らしくない。もっと大人になってから、歳をとってからするものに思えた。そういえば、力仕事をしたあとの正道さんが、よくやっていたはず。
なぜこいつが、―― 三ツ谷らしき男が、そんな動作をするんだろう。
「ほら、行くよ」
「え、あの、エッ」
ようやく見えた顔つきは、確かに三ツ谷のものだった。この男は三ツ谷だ。自信を持って言える。断言、できる。
しかし、自分のよく知ったる三ツ谷隆の風貌をしているかというと、否。本来の年齢の倍は歳を取っているように見える。人の年齢を見てくれで判断するのは難しい。身に染みてわかってはいるが、それでも、目の前にいる三ツ谷が、俺と同じ十三歳には見えなかった。
「み、つや?」
「あれッ、ドラケン、髪、えっなんで金髪?」
「なんでって、ずっと俺はブリーチしてんだけど……」
「いやいや、黒かったじゃん。何年か前に黒染めしてさ、ずっともう黒くって」
度重なる困惑が移ったのか、年嵩の多い見てくれの三ツ谷も動揺し始める。甘さのある垂れた目は瞠られ、小ぶりな唇はぽかんと丸く開いた。筋肉こそついているものの、生白い腕はわなわなと持ち上がる。その先にある指が、俺の片側だけ垂らしている前髪をツと掬った。
かと思うと、その人差し指は俺の頬に触れる。指の腹でひと無で。手を返して、緩く曲げた関節でもうひと撫で。わなり、ほど近いところにある唇が、何かを呟いた。
「……が、良い」
「なに、なんて言っ……っぶ!」
すると今度は、骨ばった指でむぢりと顔を掴まれた。挟まれた頬は必然的に潰れ、唇は変に突き出てしまう。
不格好な顔になったのは明らか。通りがかった小さい子どもが、俺の方を指差した気配がした。けれど、眼前にいる男は至って真剣な顔付きをしている。鬼気迫る表情と言ってもいい。それこそ、チラシを睨んでいた顔と、そっくり。
「肌ツヤが、いい」
「らに、ハ?」
「なんで若返ってんの」
「そんらころ、ンッ、……言われて、も、ゥ」
目付きを鋭くさせた三ツ谷は、一旦俺の頬を解放した。しかし、すぐにぺたりと頬の片側を包み、目尻を撫で、輪郭を確かめてくる。キメが細かい、皺がない、髭が薄い。ぼそぼそと付け足される言葉には、羨むような響きが含まれていた。
「……そういう三ツ谷は、」
「うん?」
「老け……大人になったね」
「老けたって言いかけたろお前、この野郎」
「だって、なんかココにさあ」
「うわッほうれい線をなぞるな!」
ぺたぺたと顔を触ってくる仕返しに、そっと小鼻から口元までにできた影を撫でた。途端、三ツ谷はぴゃっと後退る。それから、あからさまにムッと唇を尖らせて、むにむにと自身の頬肉を押し上げ出した。
なんだか、俺のよく知る三ツ谷より、表情豊かだ。あいつは、拗ねたり不貞腐れたりしても、滅多に顔に出さないのに。初めて出会った時こそ落ち着かない様子だったけれど、普段の三ツ谷は澄ました顔をしていることが多い。涼しげな顔付きか、鋭い表情か。だからこそ、屈託なく笑った顔は印象に残る。
俺の、よく知っている三ツ谷は、どこに行ってしまったのだろう。困惑で薄れていた悲壮感が、じわり、じわりと戻ってくる。
「……みつやは」
「うん、なに?」
「や、あんたじゃなく、その、トンカツ買いに行ったみつやは……?」
「えっと、トンカツ用豚ロースなら取って来たけど」
「トンカツヨウブタロース?」
「そう。今日カツ煮の予定なんだよね」
だからほら。玉ねぎも買ったし、卵も買った。付け足された言葉を追いかけて自分が押していたカートを見ると、夏野菜の群れも二つの味噌も見当たらない。代わりに、ネットに入った玉ねぎと卵、冷凍の刻みネギとブロッコリー、立派な厚さの豚ロース、それに、―― 星のマークが入ったビールが一パック、入っていた。
改めて、この三ツ谷は俺の知る三ツ谷ではないと、突きつけられた心地になる。ぐるり、二キロ、三キロ、五キロに十キロ。米の種類に目の当たりにした時と同等の眩暈が襲ってくる。
とはいえ、目を瞑って、開き直してみても、傍らにいる三ツ谷は大人びた三ツ谷のまま。何かを考えるような素振りをしてから、生白い手はカートの持ち手を捉えた。
「あ」
「念のため確認。ドラケンはドラケンなんだよね」
「……そうだけど」
「なら、とりあえず帰ろ。ここで立ち話してても、埒明かねえし」
「エ、帰るって」
流暢に俺からカートを奪った三ツ谷は、淡々とレジの方へ向かっていく。どのレジも、列は短い。いつの間に解消されたのだろう。おろおろと三ツ谷を追いかけながら目に入った窓の外は、すっかり夜に染まっていた。夏の夕方の健全な明るさは、どこにもない。
「決まってんだろ」
にんまりと言ってのけた三ツ谷の横顔には、窓の外とよく似た、夜を彷彿とさせる艶が滲んでいた。
「俺と、ドラケンの家に、だよ」
この三ツ谷と、この三ツ谷が知る俺は、どういう関係なのだろう。不埒に勘ぐってしまって、心臓がドキドキと逸ってしまった。