ちいこいとし

龍宮寺が目を離したすきに三ツ谷がたかしくんになっていた話


 ふわふわになったフェイスタオルに、ふかふかのバスタオル、それともふもふのタオルケット。そのタオル地の塊の隣には、互いのシャツやステテコ、下着に靴下なんかの山もできていた。
「……三ツ谷?」
 おやつの時間にはまだ早い、そんな休日の昼下がり。もう乾いたっぽい、と言って三ツ谷がその洗濯物を取り込んでいたのは、ほんの十五分前のこと。三ツ谷が洗濯物をやっつけるなら、俺は風呂掃除でもしようかな。そう思って、せっせと風呂釜を磨いて戻ってきたのに、なぜか取り込まれた洗濯物は山になったまま。畳まれるのを、今か今かと待っていた。
 はて、三ツ谷はどこへ行ったのだろう。廊下を兼ねた台所にはいなかった。開けっ放しになっている寝室の方にも、気配はない。日差しが降り注ぐベランダにも、当然姿はなかった。もしかして、どこかに出かけた? まさか。コレ終わったらスーパーね、今日は味噌と油と米買うからドラケンも付いて来いよ。そんなことを言っていたのは、三ツ谷の方だ。俺を置いて、一人買い物に行くとは思えない。
 じゃあどこへ。
「仕事の呼び出しか……?」
 考えられることと言えばそれくらい。ワーカホリックのきらいがあるあいつは、新規の依頼の気配を察知すると、休みだろうとアトリエへ駆けて行く。
 でも、だったら、風呂掃除している俺に声を掛けてくれてもいいだろうに。そんな暇もないくらい、とびっきり良い案件が舞い込んできたのだろうか。
 がりがりと頭を掻いてみるが、三ツ谷がいないことに変わりはない。ひとまず、あいつの置いて行った洗濯物を畳もうと、のそり、ラグの上に膝をついた。
「ン」
「あ?」
 すっかりそのタイミングで、タオルの山が崩れた。ぐるんと丸まっているタオルケットが、なぜか持ち上がる。
 三ツ谷、いたの? いや、どう見たって、それは三ツ谷の大きさではない。じゃあ、今、タオルケットの下でもそもそ動いている塊はなんだ。犬か猫でも入り込んだとでもいうのか。ここは、三階だってのに?
 ぎくりと肩を強張らせているうちに、タオル地の端から、ぬっと細い腕がはみ出した。ふっくらと柔らかそうなソレは、ぱちんぺちんとラグを叩く。
「っぷぁ」
「へ」
 そうしてタオルケットが退けられると、小さな、あまりにも小さな、―― 三ツ谷隆によく似た子供が現われた。
「……」
 ひょっこりと顔を出した小さな生き物は、ぽけっと口を開けたまま、肩で息をしている。丸みを帯びた頬は、右も左もぽっと火照っていて、じんわりと汗をかいていた。顔周りの髪は、その汗のせいかしっとりと束を作っており、くるんとあちらこちらに向かって跳ねている。
「……え、っと」
「ぅ?」
 この子供は、なんだ。三ツ谷はどこだ。この、ちいこい生き物はなんなんだ。なあ、三ツ谷、どこ行ったの。
 頭は混乱の一途を辿るが、かろうじて残っている理性が目の前の幼児を怖がらせるなと指令を送ってくる。三ツ谷に似た面構えで泣かれてもみろ、俺の心は木っ端微塵に砕け散る。砕けた上で、子供のあやし方もわからずに狼狽える姿まで想像できてしまった。それだけは、なんとしても避けねばならない。
 泣くなよ、泣いてくれるなよ、あわよくばにっこりと笑ったところを見せて欲しい。けれど、とりあえずのところは泣かないでくれさえすればいい。
 ごくんと唾を飲みながら、タオルケットから現れた子供の前で、努めて小さく正座をした。
「どっ……どこから、来たの」
「んっ、しょ」
「は?」
 尋ねた傍から、幼児は俺の膝に手を乗っけた。とにかく丸くて、指も短い。広島あたりの銘菓と似ている。グーに握ったら、クリームパンともいい勝負。
 ……現実逃避している場合じゃない。口を半開きにしている間にも、その子供は俺の上に乗り上げてきているのだから。
 乗り上げて、きているだって?
「えッ、なに、ハ!?」
「うん?」
「いや、うんじゃなく……! って、ね、えーと」
「うん」
「だから、あの、あのね」
「んふふ」
「んふふでもなくって……」
「う?」
「か、可愛い顔するね、きみ」
「んへへ」
「んへへかあ……」
 なぜか、どうしてか、なんということか、幼児は俺の膝の上に乗っていた。一度、俺と向き合う状態でぽすんと尻を付けた後、くふくふ楽しそうにしながら半回転。にんまりと緩んだ笑みを浮かべながら、俺に背を預ける座り姿勢に落ち着いた。どうして、落ち着くんだ。俺、この子供と面識あったっけ? ないよ、ない。今日初めて会った。なのに、その幼児はそれが当然と言わんばかりに俺の上で寛いでいる。
「ええ……」
 ぱたぱた揺れる脚も、腕と負けず劣らず細く短く、丸みを帯びていた。体型に見合った小さな両足は、これまた小さな靴下を履いている。黄色い布に、目と、鼻と、ほっぺを締める赤い丸。そのキャラクターは、確かに見覚えがあった。
「……くつした」
「うん?」
「ピカチュウなんだね」
「うん!」
「好き?」
「うん? ん~……ふふ、ぴかちゅうだよ、ふふふ」
 会話は、どうも噛み合わない。ただ、なんとなく良いコトを聞かれたというのは、わかったのだろう。膝の上にいる子供は、楽しそうに足首をぴこぴこ動かし始める。その上、子供特有の高い声で、ピカピカピッピカ歌い出した。なんの歌だ。少なくとも、俺の知っているポケットなモンスターの曲にはない。ぴかぴかぴっぴかぷーぷぷぷーぷりん、ぷーりん。だんだん、違うポケモンになってきている気がする。いるよな、プリンってポケモン。いなかったっけ。デジモンだっけ。
 半ば呆然としながら幼児を見下ろしていると、視線に気付いたのかそいつはひょいをこちらを見上げる。こてんと後ろに首が倒れ、細い髪の頭が俺の腹部にぶつかった。ぱっちりと開いているのに、目尻が垂れているせいで眠たそうにも見える。俺の、大好きなあいつと、よく似た目。ちょこんと小さな鼻と、これまた小さくて薄い唇も、あいつと似ていた。違うのは、ふっくらと丸い頬と、髪色だろうか。ああでも、初めて会った日の三ツ谷は、こんな髪色をしていた。
「……なあ、お前さあ」
「う?」
 この洗濯物は、三ツ谷が畳んでいるはずだった。けれど、当の三ツ谷は、いつの間にかどこかへ行ってしまって、ここにはいない。
 本当に、いないのだろうか。
「もしかして、三ツ谷?」
 そんなわけあるか。頭の一部分は、閃いた可能性を全否定する。けれど、ほとんど大部分は、どう考えたってこの子供は三ツ谷だと言っていた。だって、あまりにも似ている。三ツ谷にも似ているし、三ツ谷の妹たちにも、よく似ている。
 ぷうーと歌っている頬を、そっと両手で包み込んだ。触れた肌は、どこまでも柔らかい。いつだったか、三ツ谷が買ってきた桃のよう。丸くて、柔くて、細心の注意を払わないと潰してしまいそうだ。じわりと滲んできた緊張が指先に伝わって、ぶにゅ、幼児の柔い頬がほのかにひしゃげた。
「みつやじゃないよ」
「え」
 ツンと尖った唇が、もにょもにょと動く。
 三ツ谷じゃ、ない。こんなに似ているのに、三ツ谷じゃないって言うの、お前。俺は三ツ谷だと思うんだけどな。……自分も大概、疲れているのだろうか。暑さでやられてしまったのかもしれない。それか、実は風呂掃除をしていたら足を滑らせて、頭を強打し、夢を見ている真っ最中だとか。
 夢、にしては、腕の中にある体温は生々しすぎる。
―― たかはねえ、たかしくんなの」
 聞こえて来た声にそっと手を離すと、ツンと尖っていた唇が平坦に戻った。潰れ気味だった頬も、丸さを取り戻す。垂れ気味の目は、俺を見上げたまま「なあに」といった様子でぱちぱちと瞬きをした。
 三ツ谷じゃない。でも、この子供は「たかしくん」というらしい。
「たかし、くん……」
「そお」
「たかしくん、かあ」
「うん。ふふ」
「そぉ、っかあ」
「ぅ、あ、わあっ!」
 幼児の放った声を反芻しながら、改めて小さな体をきゅっと抱きしめてみる。伝わってくる体温は、自分がよく知っているソレよりも、高いように思えた。これだけ体温が高かったら、汗もかくだろう。そぉっと頭に鼻先を近づけると、角のない、無垢な香りがする。汗のにおいではあるけれど、嫌なにおいではない。すん、もう一度鼻を鳴らしながら、瞼を閉じた。
「たかしくんかあ……」
「んふふ、なぁに、ふふ、ぅわ!」
 腕の中に体温を閉じ込めたまま、ゆっくりと体を倒す。ごろんと仰向けになれば、きゃらきゃらと上機嫌に笑う声が聞こえて来た。薄く目をあければ、俺の上に寝そべりながら破顔している幼児が見える。
 たかしくん。きみ、たかしくんって、言うんだね。
 昨日の金曜ロードショーでやってたアニメに、こんな台詞あったなあ。まあ、言っていたのはメイちゃんだから、構図を思うとたかしくんが言ってくれた方がよりそれらしくなるのだから。
「そっかあ」
「んふふなに、ぃひひ、ぅふ、んふふ!」
 いたずらに脇腹を擽れば、俺の上に寝転がったまま幼児は体を捩った。
 これは俺の見ている夢なのか、紛れもない現実なのか。正直、判断できそうにない。ただ、それでも一つ、はっきりしていることがある。
 小さい三ツ谷が、今、俺の腕の中にいる。とびきり可愛い見てくれをした三ツ谷が、今、この瞬間、俺の腕の中に、いる。
 こんなの、堪能しないと損だ。大人に戻る方法とか、これからどうやって生きていくとか、小難しいのを考えるのはあと。今は、このちいこい三ツ谷を満喫する。きっと、それがいい。
 洗濯物を畳むのは後回しにして、俺の腹の上できゃっきゃとはしゃぐ体を、努めて丁寧に撫で回した。

 目を覚ますと、ちょうど向こうも、起きたところだったらしい。
「……へへ、ごめん。なんか気持ちよくって、寝ちまってたみたい」
 三ツ谷は、はにかむように笑った。いひひ、なんて笑い声が、頭の中にぼんやりと響く。小さい三ツ谷、可愛かったな。でも、今こうやって照れくさそうにする三ツ谷も、愛おしい。
 いよいよ、同居じゃなく、同棲する頃合いなのかもしれない。のろのろと起き上がる三ツ谷を眺めながら、指輪でも買ってこようかとこっそり思案した。