下戸の悪癖

下戸の堅に絡まれている隆の話


 実のところドラケンは、あまり酒に強くない。
「みつや……?」
 むしろ、弱いと言えよう。酒と名の付くものを飲み始めれば、たちまち肌は赤く色付くし、滑舌なんてあっという間に甘くなる。ビール一杯飲み終えた頃には、すっかりおねむで微睡んでいることも少なくない。
「なあ、みつやあ」
 それくらい、ドラケンは酒に弱い。滅法、弱い。本人も自覚しているし、昔馴染みにも周知の事実。
 かといって、からかおうものなら酔っ払って加減のできない拳が飛んでくる。結果として、ドラケンはすぐにべろべろになっても仕方がない・触らぬ神に何とやらという扱いになって、今に至っている。
「……なに、呼んだ?」
「ん!」
「いや、そんな顔されても」
 今日だって、普段のドラケンでいられたのは三十分そこらのこと。
 ちょっと席を外した隙に、べろんべろんのでろっでろに成り果てていた。顔はポッと赤らんでいるし、俺を見つめる瞳はとろんと潤んでいる。ふっくらとした唇をむにゃむにゃ波打たせながら、そいつはぼすぼすと座布団を叩いていた。ココに来い、早く来い、良いから来い。普段の仏頂面からは考えられないくらい、その顔は雄弁に駄々を捏ねている。おかしいな、ついさっきまでは、まだ俺のよく知るドラケンのままだったのに。
 自分があいつの隣を離れていたのなんて、三分そこら。たった一八〇秒でこれほど酔いが回るとは、一体何があったんだ。一気飲みでもした? まさか、自分の酒の弱さをわかっているこいつが、そんな暴挙をしでかすわけがない。
「んん!」
「あーはいはい今行くって」
 ぐるぐる考えたところで、ドラケンの酔いが醒めることはない。寝て起きない限り、無理。仮に、そうしても、酷い二日酔いで頭を抱えていることがほとんど。ついでに言うと、酔っ払っている時の記憶はほとんどないらしい。覚えていることなんて「なんとなく気分が良かった」というくらい。なのに、飲むのを止めないのだから、不思議なものだ。
 そんなに、良い気分になっているのだろうか。ばすん、ぼすん、目一杯の力で座布団を叩いている様からは、どうも上機嫌には見えない。ああバカ、埃が立っているじゃないか。折角、おひさまに当ててふかっとさせたっていうのに、平たく潰れてしまう。
 台所から持ってきた焼きおにぎりの皿をパーちんに預け、仕方がなくドラケンの隣に腰を下ろした。
「ほら、これで満足?」
「……ふふ」
「ふふって」
「ん~、ふふ、ふ」
 合わせて、振り回されていた手を軽く叩くと、なぜかドラケンはだらしのない笑みを浮かべた。叩かれた、もとい、構われたのが、大層嬉しいらしい。緩んだ顔付きのまま、そいつはドッと俺に肩をぶつけて来た。くふくふ笑いながら、こちらの首筋に額を埋めてくる。擦り寄せるたびにドラケンの前髪が擦れて、ちょっとくすぐったかった。
「なに、そんな構って欲しかったの?」
「ぅん」
「……あ、そ」
「うん。ふふ、んふふ」
 すっかり機嫌の良くなったドラケンは、腕まで俺に纏わりつかせてくる。きゅ、ぎゅ、腕を回しながら、いい塩梅の位置を探していた。
 試しに、飲みかけの缶に手を伸ばした。日によっては、この程度の身じろぎでも、ドラケンはごねる。けれど、今日は大丈夫な日らしい。もぞもぞ動く俺に文句を吐くことなく、自分のポジションを探していた。
「んー……」
 あ、飲み切っちゃった。次の缶開けようかな。缶の縁に口付けたまま、視線を持ち上げると、何を言うでもなくペーやんが冷えた缶を差し出してくれた。
「サンキュ」
「おう。ドラケンは?」
「バカ、これ以上飲めねえだろ、コイツ」
「そこまで酔っちまったんなら、いくら飲んでも一緒だろ」
「一緒じゃねえよ、ドラケンの肝臓は繊細なんだから」
「……昔刺されたのが効いてんのかなァ」
「……いつも言ってるけど、ペーやんが責任感じることじゃねえからな、ソレ」
「わ、わーってるって」
 ちょっと前のめりになりつつ釘を刺すと、ペーやんはわかりやすく目線を泳がせる。もう十年は経っているのに、かの八月三日のことは忘れがたいらしい。
 ちらりと渦中にいた男を見やると、……なぜか俺の背後に移動してきていた。近い。なんなら、熱い。
 気付くと、ドラケンの長い腕は、俺の胸の前でクロスしていた。両脚にいたっては、腰にがしりと絡みついている。昔、母ちゃんをマナに取られた、と拗ねたルナに、こんな抱き着き方をされたっけ。あの可愛らしい大きさとは、比べ物にならないぐらい、背後の男はデカいのだが。
「なに、あっついんだけど」
「ふふ」
「だから、ふふじゃねえって」
 んふふ、くふ。耳のすぐそばで、笑い声が聞こえてくる。耳たぶには、ドラケンが笑う度に吐息がぶつかる。正直、擽ったい。気を抜くと、肩が震えてしまいそう。けれど、反応したら最後、味を占めたこの男に「ふぅーっ」と息を吹きかけられてしまうだろう。そんなことをされたら、自分は情けない悲鳴を上げてしまうに決まっている。そんなの嫌だ。この場には後輩だっているのだ。あまりみっともない姿、晒したくはない。
 ム、と、わざと唇を真一文字に引き結んだ。
「ふふ、……ン、ちゅ」
「ぅ」
 俺の細やかな抵抗など気にも留めず、ドラケンは首筋に擦り寄ってくる。最早、擦り寄るではなく、吸い付くだ。この男の、存外厚みのある唇が、むに、むにゅり、何度も首筋に押し付けられている。時折チュッというリップ音も鳴っていた。もしかしたら、薄く痕がついているかもしれない。それは、ちょっと、とても、かなり、困る。
「こら、それヤメロ」
「ん」
「やめろってば」
「ンン」
 やんわりと、ドラケンの額に手を当てた。押し退けようと、そっと力を込める。
 しかし、そいつはびくともしなかった。俺が嫌がっていると、察する気配すらない。それどころか、肩と首の境目の辺りをキツく吸い上げてきた。ああ、今のは絶対に、痕になっている。寝て起きたら消えるような、可愛らしい痕じゃない。キスマークと呼ぶに、相応しいソレだ。明日も仕事だってのに、誰かに見られたらどうしよう。襟のある服を着さえすれば、隠れてしまう位置というのが、唯一の救いだろうか。
 受け取ったばかりで、開けられていないビールの缶を握りつつ、グ、もう一度ドラケンの額を押した。
「おい、いい加減に」
「ン」
「ぇ」
 ふと、目が合う。
 文字通り、眼前にあるソレと、視線が重なった。向こうはちょっぴり顔を上げて、俺は振り返るように首を捻っている。必然的に、鼻先がぶつかってしまった。
 近い。抱き着かれているのだ、近いに決まっている。
 暑い。だから、この筋肉の塊みたいな男に抱きしめられているのだ、暑苦しいのも、当然のこと。
 まず、い。ぎゅうぎゅうに俺の体を抱きしめているその男は、満足そうに瞼を閉じた。
「ッ!」
「む」
 ぷちゅ、り。唇と唇が、ぶつかる。表面がほんのりと擦れて、一拍したあと、柔らかさを押し付けられた。
 固まっているうちに、男の舌先がちょんちょんとこちらの結び目をノックする。開けてよ、入れてよ。そう言われているかのようだった。実際、この男はそれを望んでいるのだろう。
 どう、しよう。嫌だと拒否したら、きっとドラケンはごねるだろう。なんで、どうして。この距離感のまま、駄々を捏ねられるのが目に見えている。
 かといって、口を開けてしまったら、俺はあの肉厚な舌に口内を犯されることになる。それも、人前で。
 そもそも、旧友たちが揃っているこの場でキスしているのもいかがなものか。そっと視線だけを横に流せば、ドラケンの反対隣にいたイヌピーが、これでもかと顔を顰めているのが見えた。見えて、しまった。見なきゃ良かった。静かに視線を戻して、むぐむぐ俺を甘噛みしている男を見やる。近すぎてピンぼけているのに、やたらと幸せそうなのが、手に取るようにわかった。
「ん、」
「ぅ」
「んん、ンふ、ふふ」
「ッン」
「ん~」
「ム、ぁ……っエ」
 やがて、体がゆっくりと倒れて行く。俺の体を抱えたまま、ドラケンが体を傾けたらしい。咄嗟に抵抗しようにも、両手足を使って拘束されているせいで、身じろぎするのが精いっぱい。
 あれよあれよという間に、体はごとりと床に転がった。後頭部は、カーペットとフローリングの間に着地する。中途半端な凹凸が、どうも、落ち着かなかった。
―― みつや、」
「へ、……いや、ちょっと、おいバカッ!」
 いや、落ち着かないなんて考えている場合じゃない。
 いつの間にか俺に覆いかぶさっていたドラケンは、さも当然のように、俺のシャツに手を掛けた。ベルトは緩めてくれぬまま、ズッと裾を引き出される。汗ばんだ腹の皮膚が、空気に触れてひやりとした。
 けれど、それも一瞬のこと。カッカと熱を持った両手が、露わになったところを覆うように触れてくる。薄い腹をひと撫で、臍の周りでくるんと円を描いて、両の五指は鳩尾の方へ上ってきた。上に向かえば向かうほど、シャツの捲れも大きくなっていく。
 おい、バカ、バカッ、どこまで捲る気だ。もし女が相手だったら、大事故になっているぞ。俺が男で良かったなあ! ……そういう問題じゃない。
 そいつの指先は、もう胸元にまで迫ってきていた。
「~~ッドラケン、いい加減に」
 しろ。
 最後まで発するより早く、爪先が突起を掠めた。
 チリっと伝わる痺れに、息を呑んでしまう。肩も、上下したのかもしれない。少なくとも、全身が強張ったのは確かだ。
 見上げた先にいる男は、にんまりと笑みを深める。逆光になっているからか、その笑みには、いつにもまして不穏に見えた。加えて、妖艶さまで携えている。
 そんな顔をして、ナニをする気だ。尋ねようにも己の唇はわなりと震えるだけ。じっとりと距離を詰めてくるドラケンのことを、咎めることも、突っぱねることも、できなかった。
「ッ」
 精々できることと言えば、アと口を開けるそいつを見守るくらい。ついさっき、引っ掻かれたばかりの、ツンと尖った突起に近付いてくる様を、ただただ眺めていた。
 そして、ついに、あの舌がべろりと覗く。
―― っあ」
 粘膜で舐れた瞬間、甘い痺れが体に流れる。口からは、上ずった音がまろび出た。
「……すぅ、」
 けれど、悦が降って来たのは、その一瞬のみ。すぐに、その男の体重がのしかかって来た。まるで、重たい綿の布団で簀巻にされているかのよう。
「んん、ふふ……ン」
「は?」
 半ば動転したまま視線を向ければ、そいつは人の乳首を口に含んだまま、あどけない表情を浮かべていた。聞こえてくる呼吸は浅い。それは、酒を飲んだせいだろう。
 なんにせよ、その男が寝息を立てていることに違いはない。
「寝るのかよッ!」
 カッと天井に向かって吐き捨てた。だが、ドラケンが起きる様子はない。ぷうぷう穏やかに眠り続けている。そりゃそうだ、こいつは酒に強くない。ビール一杯で、おねむになってしまう男なのだ。
 だからといって、俺の乳首を咥えたまま寝るのはどうなんだ。どうせなら、もっと執拗にしゃぶってくれたら良かったのに。……そんな期待をしていた自分の浅ましさに、羞恥が込み上げてくる。拘束されている片腕をずぼりと引き抜いて、ばちん、カッカと熱を放つ顔を覆った。
「あ、結局ドラケン寝たん?」
「今日も三ツ谷吸われてたなァ」
「今回こそはおっぱじめるかと思ったぜ」
「……なんでもいいから、コイツのこと退かしてくれ」
「バカ言え、下手に起こして暴れられたら、俺らの頭ガイ骨、カンボツしちまうだろうが」
「そうそう、俺らの安寧のためにもそのまま犠牲になっといてくれや」
 離れたところから、パーとペーの暢気な声がする。指の隙間から睨みつけるが、ぺーの手から缶ビールは離れないし、パーは焼きおにぎりと鶏皮の串を置いてはくれない。
 薄情者。低く吐き捨てると、今度は見えない位置にいる一虎の、「とか言って、満更じゃあねえくせに」とからかうような声がした。
 ―― ドラケンは酒に弱い。滅法、弱い。本人も自覚しているし、昔馴染みにも周知の事実。
 かといって、からかおうものなら酔っ払って加減のできない拳が飛んでくる。結果として、べろべろになったドラケンに絡まれる奴―― 十中八九、俺なのだが―― を犠牲にするのが、この面子で飲む時のお決まりになっていた。
「くそ……」
 口先からは、ちゃちな悪態が零れ落ちる。
 そのくせ、役得と思っている自分もいるから、この先もドラケンの酒癖を直してやる日はやってこないのだろう。