カッコ
初夜明けのカッコつけたい堅とそれがお見通しな隆の話
シャワーの音で、目が覚めた。
外からは、スズメの鳴く声もする。ちゅんちゅん元気に囀っているのを思うに、世間は既に朝を迎えているらしい。けれど、この部屋のカーテンは閉まったまま。明るい白色の天井も、ぼんやりとしたグレーに見えた。
「んん」
呻きながら、べちりと顔を覆う。表面は滲んだ皮脂でベタついていた。ずるずると手を滑らせれば、イガイガと生えた髭に行き当たる。面を、洗ってこなくては。しかし、シャワーの音はまだ続いている。ぼんやり見やった隣は、案の定空っぽになっていた。
確かめるように、あいつが寝転がっていた辺りを撫でてみる。ほのかにあたたかいのは、あいつの体温が残っているから、ではなく、寝ていた自分の体温のせいだろう。
とすとす、ばすん、何度かシーツの上を叩いてから、のそりと体を起こした。
「ヤッた、よな」
―― 昨日、三ツ谷とヤッた。セックスをした。
自分より一回りは小さい体を組み敷いて、余すことなくその体を貪った。
夢や幻ではない。間違いなく、現実だ。その証拠と言わんばかりに、ベッド横のゴミ箱には丸められたティッシュが残っている。床には、ゴムの空き箱が落ちていた。ちょっとひしゃげているのが、昨晩の緊張を思い出させてきて、なんだか気恥ずかしい。
「んんん」
情事の名残が視界に入るたび、胸は落ち着かなくなっていく。脳裏には、熱に酔ったあいつの姿が蘇ってきた。痛くはないと、言っていた。その代わり、苦しいとは言われた。大きいとか太いとか、もうおなかいっぱいだ、とか。小ぶりな唇から零れた音を思い出せば出すほど、顔がだらしなく緩んでいく。伸びた鼻の下を口元ごと覆って、ばたん、ベッドに戻った。
「かわいかったな」
昨日の三ツ谷は、可愛かったし、綺麗だったし、なんといっても色っぽかった。こんなことを馬鹿正直に口にしたら、どすんと鳩尾に拳を叩きつけられてしまいそう。ケツを蹴っ飛ばされる可能性もある。頭突きまでは、さすがのあいつも許してくれると思いたい。
ベッドの上でのたうち回りながらも、頭の中は三ツ谷のことでいっぱいになっていく。どうせなら、起きて一番にあいつの顔を見たかった。どうしてシャワーへ行く前に、俺を起こしてくれなかったのだろう。あんなことをした後だ、体は相当怠いはず。一言声をかけてくれたらなあ、風呂に入る手伝いだって、喜んでしたってのに。
恥ずかしかった? まあ、それは、あるか。昨日も終始、恥ずかしそうだった。何度「見るな」と言われたことか。見たけど。めちゃくちゃ、見た。見るに決まってるだろ、愛しい男の乱れる様だぞ、どうして見ずにいられよう。欲望に身を任せて付けた鬱血痕は、一体何個あることやら。どれも結構キツく吸ったから、数日は痕が残るはず。今は、ちょうど赤黒くなっているところかも。
それらを数えに、今すぐ風呂場に行ってしまおうか。シャワーが引っかかるとか、床を濡らすとか、構わずにバァンと扉を開けて、湯水で火照った体を抱きしめてやりたい。ああいや、抱きしめたら、数えられないな。なら、俺もシャワーを浴びたかった、という言い訳にしよう。顔を洗いたいのは、本当のことなのだし。
もぞもぞ打っていた寝返りをやめ、のそりと起き上がった。
「……」
シャワーの音が、一旦止む。かといって、カラカラと引き戸が開く音はしない。三秒経っても、五秒経っても、十秒経っても、無音のまま。まさか倒れた? いや、倒れたのなら、もっと派手な音が鳴り響いているはず。
胡坐を掻きながらぼぉっと耳を澄ましていれば、再びシャワーの音がし始めた。頭か体を洗っていただけらしい。
ほぉ、と息を吐いて、乱れたままの髪を掻き上げた。それからがりがりと頭を掻き、グレーの天井に向かってもう一度ほぉっと息を吐く。
体内の空気を押し出しているうちに、胃の中も空っぽになっていることに気付かされた。今のところ鳴ってはいないが、いたずらしにいった途端に鳴ってしまったらカッコがつかない。
風呂場で手を出すのは、止め。
朝飯が、先。
うんと頷いてから、床に落ちている下着とスエットの下を拾い上げた。手早く身につけつつ、布団を一度ばさりと捲る。丸まったタオルケットのことも、持ち上げた。しかし、寝巻のランニングシャツが見つからない。どこに放ったんだっけ。念のためベッドの下を覗き込んでみるものの、それらしい布は見つからない。
「あっれぇ……?」
首を捻りながら、カーテンを引き開けた。差し込んでくる日差しは、まだ柔らかい。ついでに窓も開けると、朝の爽やかな風が吹き込んできた。初夏の風が心地いい。上裸でもちょうどいいくらい。なら、まあ、別にいいか。出かけるわけでもないのだし。
うん、もう一度頷いたところで、つま先を冷蔵庫の方に向けた。
冷蔵庫がデカくて困ることはない。そう教えてくれたのは三ツ谷。その言葉をその通りに信じたがために、我が家の冷蔵庫はやたらと大きい。いちばん上が観音開きで、冷蔵の引き出し、冷凍の分厚い引き出し、それから野菜室と重なっている。
然程自炊もできないのに、こんな大きな冷蔵庫を買う意味があったろうか。そう思ったのは、一人暮らしを始めて一週間する頃まで。引っ越し祝いだなんだと託けてやってくる三ツ谷のおかげで、冷蔵庫の腹の中はみるみるうちにいっぱいになっていった。冷凍食品はより取り見取り、野菜室にはビールとチューハイとサワーの缶が詰まっている。
昨日も、三ツ谷がせっせと買い物袋の中身を詰め替えていた。ぱかりと扉を開ければ、残り少なくなった牛乳パックの隣に、未開封のソレが立てられている。卵パックも補充されているし、四連パックのハーフベーコンも入っていた。豆腐に納豆、めかぶパックと油揚げ、キムチのボトル。ボウルに入っているのは、昨日三ツ谷が刻んでくれたキャベツだろう。
「んん」
ひとまず食パンの袋を取り出しながら、じぃと卵パックを睨んだ。
朝飯を、どうしよう。炊いた米はないから、納豆とめかぶ、キムチは却下。トーストを焼いて、ベーコンを焼いて、目玉焼きも作って、千切りキャベツと一緒に出したら、たぶん朝飯らしい朝飯が出来上がる。
「んん、ん」
わかってはいるが、つい、眉間に皺を寄せてしまった。
作れなくはない。パンはトースターに任せればいいし、ベーコンを焼くのも弱火か中火でやればいい。目玉焼きも、何度か作ったことはある。卵を割るのだって、もう慣れた。できないことは、ない。一人だったら、時間あるしな、と思って作り始めていたことだろう。
でも今日は、三ツ谷がいる。
三ツ谷に、食わせてもいい朝飯を、自分はこさえられるだろうか。それも、初夜明けだ。初めてセックスした翌朝に食べるもの、失敗は、したくない。
あいつが風呂から出てくるまでの間に、ひょひょいと作って並べられれば、きっと一〇〇点。とはいえ、自分が花丸を貰える手際の良さをしているかというと、否。食パンが炭になってしまわないようトースターと睨み合いはするだろうし、卵やベーコンが焦げないようフライパンにガン飛ばすのも間違いない。そうまでして失敗したら、凹む。そりゃあ、三ツ谷のことだ、ちょっとくらい焦げてたって「へへ」て笑った程度で食べてくれるだろう。でも、どうせなら、最中同様、カッコよくこなしたい。
「んんんん」
低く呻きながら、卵パックに手を伸ばした。指先が、プラスチックの縁を摘む。うっすらと入ったキリトリ線に従って、ツツツと封を開けていった。
「―― なにつくるとこ?」
「ッ!」
ぎくり、肩が上がる。合わせて、ぶちん、卵パックの封が、中途半端なところで途切れてしまった。
「お、はよ」
「おはよ」
プラ製の帯を摘んだまま、ぎぎぎと肩越しに振り返る。
すぐそばに、濡れた毛先があった。肩にかかっているタオルに、ぽたりと雫が垂れる。前髪はすっかり後ろに撫でつけられていて、つるんとした額がよく見えた。水気を纏った頬は、健康的な艶と色気を放っている。眦の辺りは、ほんのりと赤らんでいた。風呂上りだからか、昨日の、名残か。
魅入っている俺を余所に、ふんわりと色づいた唇ははくはく動いた。
「あれやろーよ、ラピュタパン」
「らぴゅ、え?」
「知らない? トーストに目玉焼き乗っけるやつ。昨日とろけるチーズも買ってきたし」
生白い腕が、ひょいと冷蔵庫に伸びる。爪の切り揃えられている指先が、チルド室を開けた。中には確かに、買った覚えのないチーズのパックが入っている。三ツ谷の手は、七枚入りと書いてあるそれと、ベーコンを一パックを掴んだ。それから、俺が中途半端に開けた卵パックを捻じ開け、器用に片手で二つを取り出す。
「キャベツも出しといて」
「あ、ウン」
「お汁はインスタントでいーよね」
するりと俺の横を通り過ぎた三ツ谷は、小さな台所の前に立つ。慣れた手つきで、狭苦しい作業スペースに、それらをキュッと並べていった。さらに、あちこちの引き出しも開け始める。このキッチンのどこに菜箸があって、ボウルをしまっていて、フライパンを収納しているか、三ツ谷はよおく知っている。なんたって、それらを買い揃えたのは三ツ谷だから。
我が物顔で必要な器具も取り出した三ツ谷は、鼻歌でも始めそうなくらい上機嫌に、フライパンを火にかけた。
「とりあえずパンはトースターかけて。あと、テキトーな皿にキャベツ盛ってちょーだい」
「う、あの、」
「あれ、もしかして、結構腹減ってる? なにがいいかな……あ、冷凍のクロワッサンあるよ」
「いや、そうじゃ、なく、って」
「うん?」
三ツ谷は、俺を一瞥した程度で、フライパンに油を落とす。柄を掴んでいる腕は、特別怠そうには見えなかった。
ただ、その腕は、肩にかかったタオルの下から伸びている。纏っている服の襟ぐりはとにかく広く、二つの鎖骨がすっかり覗いていた。布地は、どこもかしこもゆとりがある。もとい、隙だらけである。腕を動かす度に、脇からチラチラと胸が覗いた。その度に、昨日付けた鬱血痕と、ツンと尖った突起が見えてしまう。
鼻が膨らみそうになって、咄嗟に視線を下げた。……すると今度は、日に焼けていない脚が目に入る。素足だ。生足、だ。太腿の中頃から下が、惜しげなく、晒されてしまっている。
「それさあ、……俺のシャツ、じゃん」
「ん? ああうん、借りてる」
「そお、すか」
「だめだった?」
ちら、と、三ツ谷の視線が俺に流れて来た。けれどそれも、一瞬のこと。すぐに目線は熱されたフライパンに戻り、ベーコンを投入していた。すぐに肉の焼ける香りと、じゅわじゅわ脂の跳ねる音が始まる。さらに三ツ谷は、卵二つも割り落とした。美味そうな匂いが、台所を満たしていく。くぅ、胃の辺りが、か細く鳴いた。
だめじゃない。
だめなわけが、ない。
だめなんてそんなこと、少しも思っちゃあいない。
だが、それはそれとして、だ。俺の着古したランニングシャツ、たった一枚を着ただけの姿は、目に毒でしか、なかった。
「―― スケベすぎんだろ」
無意識のうちに、本音がまろび出る。
あっ、しまった。そう思った時にはもう遅い。
フライ返しを手に取った三ツ谷の真ん丸に開いた目が、こちらを捉えていた。長さのある睫毛が、ぱちぱちと上下する。
格好を、付けたかった。この男にとって、誰よりもカッコいい男でありたいがために、昨日はとにかく丁寧に、極力流暢に三ツ谷を抱いた。ゴムを取り出すタイミングで多少力んだくらいで、まあまあスマートにできたと思う。
なのに、今ときたら。
なんとか取り繕おうと、息を吸った。けれど、上手い言葉が出てこない。舌はただただ空回りして、唇は魚のように開閉だけを繰り返す。
「じゃあ、」
そんな俺を見て、三ツ谷くつりと笑った。手元では、フライパンの火をそっと弱める。それから流れるように腕が伸びてきて、俺が抱えたままの食パンの袋を、颯爽と奪い取った。残っていた二枚が、どちらもトースターの網の上に乗せられる。整った指先は大きくタイマーを捻り、それらしい目盛りに合わせ直した。
台所のあちこちから、美味そうな音がする。その音を鳴らしている当人は、別の意味で、美味そうな見てくれをしているときた。
こんなの、やっぱり、スケベすぎるだろ。
ごくんと生唾を飲み込めば、三ツ谷はとろんと破顔した。
「食べたら続き、しよっか」
昨日、手加減してたろ。やめろよな、そんな気遣いしなくたって、俺の体は壊れたりしねーから。鉄パイプとか、コンクリートブロックでブン殴られても無事だったくらいだぜ、俺。
心底愉快そうに言ってのけたそいつに、ぐうと喉から呻き声が立つ。ついでに腹も、ぐぅううと鳴らしてしまった。