こんなの知らない

セフレドみの洒落てるラブホ見学会


「最近のラブホって、すごいんだって」
 飲み屋を出るやいなや、三ツ谷はぽとりと呟いた。
 はて、自分達はなんの話をしていたんだっけ。くるりと頭を回してみるが、直近で交わした会話は、たらふく食った・しこたま飲んだ・ああいい気分の三つくらい。セックスをする仲なのは否定しないが、今日はそういう雰囲気ではなかったと思う。ラブホテル、という単語が出てくる話題になんて、触れもしなかった。
「はあ?」
「だから、最近のラブホ」
 なぜか、三ツ谷の唇はツンと尖っていた。声色と表情は横柄、そのくせ背中はぎゅっと丸まっている。今測ったら、身長差二十センチになってしまいそう。いや、そういえば今日、背が縮んだと嘆いていたっけ。そんな三ツ谷とは違って、自分はそこそこ伸びている。姿勢を抜きにしたって、二十センチくらいは差がついているか。ということは、今測ったら三十センチ? それはさすがに、盛り過ぎか。
 三ツ谷の旋毛を眺めていると、どうも突き回したくなってくる。酔っぱらった頭に、自制心はろくにない。欲に従って、右手は形の良い頭に伸びて行った。
「俺、誘われてる? そんなに行きたいの」
「べぇっつにい」
「じゃあなんで、いきなりラブホがどうとか言い出したんだよ」
 触れた頭頂部は、ふかりと柔らかい。ブリーチを繰り返している分、ケアは丁寧にしてるらしい。職業柄、自分の見てくれにも気を遣っているのだろう。指に絡む感触が、なかなかに気持ちが良い。堪能するように、くるりと丸く撫でた。
「だぁってさあ」
「ほら、言ってみ……っと、」
 それからこめかみを擽っていると、ガラリ、飲み屋の扉が開いた。いつまでもここに立っていては、邪魔になる。名残惜しくも指を解き、そいつの肩を抱くようにして入り口の前から退かせた。
「ルナが」
「ルナ?」
 すると、何故か三ツ谷の口から妹の名前がまろび出る。
 なるほど、わかった。話が、読めた。
 きっと、自分の妹がラブホを使うところを見てしまったのだろう。もしくは、使ったという話を聞いたとか。なんにせよ、歳の離れた妹が風営法の適用される施設を使った事実にショックを受けているに違いない。
 あの子も、ラブホに入れる年頃になったんだな。慕われてこそいるものの、身内というほど近しくない自分には、その程度の関心がせいぜい。三ツ谷の傷心を推し量ることはできない。鬱憤を抱えていたのなら、飲みながら話してくれれば良かったものを。いや、三ツ谷のことだ、大衆居酒屋なんて誰に聞かれているかわからないところで妹の成長を語りたがるとは思えない。
 そうとなれば、このあとの行先は絞られてくる。
「あー、どうする、個室あるとこ行く? 俺ん家で飲み直すのでもいいし」
 肩を抱いたまま問いかければ、赤く染まった顔に見上げられる。あれ、お前今日、そんなに飲んでたっけ。肌が白い割に、いくら飲んでも顔色一つ変えないのが、俺の知る三ツ谷隆という男。なのに、今、すぐそばにある顔は、赤らんでいる。
「……どらけん」
「お、おう」
「た、のみが、あるんだ」
「エ、あーウン。俺に、できること、なら……?」
 もにょもにょと、唇が緩慢に動いた。発せられる声も、拙くて、歯切れが悪い。細い眉の間には、皺もできていた。けれど、頬と目元は赤らんだまま。
 こいつ、一体何を言うつもりだ。妹がラブホに行ったと知った傷心中の三ツ谷が、俺に頼むこと、とは。ぐるりと頭を働かせてみたところで、納得のいく結論には辿り着けない。
 気付くと、肩を抱く手に力が入っていた。強張った指先は、勝手に三ツ谷の肩口に沈む。じわり、じんわり、じゅわじゅわり、シャツ越しに三ツ谷の火照った体温が伝ってくる。いや、これは俺の体温が上がってきているのだろうか。だって、やたらと心臓が喧しい。額や首筋、背中になんかも汗が伝う感触がする。
「今度、女子会ができるラブホに、連れてって欲しい」
 いや、なんて?
 咄嗟に焦点を定め直せば、三ツ谷の神妙な顔色が見える。何度瞬きをしてみたところで、その大真面目な顔つきは変わらなかった。

 候補のラブホチェーンを調べれば、ちょうど最寄りに空室があるらしかった。
 三ツ谷のいう女子会とやらは、おそらく最上階だとか、必要以上に広い部屋―― ハイクラスのホテルなんかじゃスイートと呼ばれるような―― でやるものだろう。言ってしまえば、要予約。
 けれど、それは真に女子会をするのならば、という話だ。
「待って待って待ってストップ、今日じゃなくてもいいんだってば!」
「あんだよ、お前が言い出したんじゃん」
「そうだけど!」
 運の良いことに、もとい、都合の良いことに、最上位クラスの部屋が、まんまと空いていた。
「あっ、あぁあっ、なんだよその高そうな部屋……!」
「こういうとこでするんだろ、女子会って」
「なんで空いてんだよおッ」
「ド平日だからだろ」
「ジョシダイセーは平日の夜に女子会するって言ってたのに」
「夏休み前だし、テストとか忙しいんじゃねえの」
「あ、なるほど……いやいやいやいや待て待て待て待て!」
「グ」
 ここに入った途端、三ツ谷は饒舌になった。早口に捲し立てだした、ともいう。そのせいで、俺に引っ付く手にも、力が入っていた。ゆとりのあるシャツを着ているとはいえ、引っ張られるとどうしたって首は絞まる。三ツ谷、苦しい、俺の一挙一動を見守ってないで、ちょっとそっち見て遊んできな。そこはかとない息苦しさを覚えながら、フロント横のカウンターを指差した。
「あのなあ、どんなとこか確かめに来たんだろ。ソコのアメニティバイキングでも見てくれば」
「ぇア」
 二十センチばかり低いところにある頭は、ぎくりと震えながらカウンターを見やる。三秒数えたところで、やっと背中から三ツ谷の気配が離れた。ちらりと視線を送れば、何故か抜き足差し足で俺の示したコーナーににじり寄る猫背が見える。丸くなった背中は、呆然とその辺りを見下ろして、それからおずおずと個包装のパウチを摘み上げた。
「ここ、ほんとに、ラブホ?」
「何言ってんだお前」
「だって、いつも行くとこ、こんなサービスない……」
「あー」
 思えば、三ツ谷のこの手のコンセプトホテルに入ったのは、初めてかもしれない。いつも価格と清潔感といかに他の客とすれ違わないかに重点を置きすぎて、シンプルなところばかり使っていた。そんな場所しか知らない男が、ラブホで女子会ができると聞いたら、目玉を引ん剥いてもおかしくないか。遊びがてら、一回二回くらい、こういうところにも来ておけば良かったろうか。
 鍵を受け取りつつ、もう一度三ツ谷を見やれば、ちゃっかり炭酸の入浴剤と各種粉末飲料を手に取っていた。今は、ずらりと並んだ貸出用シャンプーの棚を眺めている。斜め後ろの角度でも、ぽかんと口が開いているのがわかった。
「シャンプーも選びたい放題だ」
「感動するとこそこ?」
「だって、こういうとこの備え付けシャンプーって、髪ギシギシになるじゃん」
「……牛乳石鹸で全身洗ってるやつがよく言う」
「う、うるせーな、いいだろ、あれはあれで好きなんだから」
「ほら、ぼちぼち部屋行くぞ」
 それとなく急がせれば、三ツ谷は並んでいるボトルではなく、個包装のパウチを手に取った。淡いピンク色のデザインは、花の匂いを彷彿とさせる。それ、使うのかよ。目線だけで訴えると、「これ、マナが使ってるやつ」と返された。ああ、使ったことあんのね。そんで悪くない使い心地だって知ってんのね。お前、そういうとこあるよな。
 ぽつぽつと話しながら乗ったエレベーターには、ふかふかの絨毯が敷き詰められている。行先を選ぶパネルだって、真新しく見えた。上っていくのに合わせて不穏な音はしないし、ヒトの臭いがこびりついてもいない。
 ここ、本当にラブホ? 傍らにいる三ツ谷は、さっきと同じことを呟いた。
「うわッ」
「あ? 今度はなに」
 そうこうしているうちに、エレベーターは最上階に辿り着く。扉が開いた途端、三ツ谷の肩は大きく揺れた。
「このフロア、部屋が一個しかない」
「そりゃそういう部屋とったからな」
「廊下もふわふわ、掃除もちゃんとしてる……」
「見るとこそこかよ」
「こんなの俺の知ってるラブホじゃない」
「悪かったな、普段、質素なとこばっか選んで」
「エ、や、それが悪いってことじゃ!」
 相変わらずの忍び足で歩く三ツ谷を余所に、シックな扉に鍵を通した。敷居を跨げば、部屋の雰囲気に合わせた重厚感のある精算機と対面する。これはちょっと想定外。てっきり、精算機はフツーのデザインだと思ったのに。こういうところも凝れるんだな。感心しながらもう一つの扉に手を掛けた。
「うわ、すげえ」
「え、なにどんな、……ウワッ!」
 踏み入った部屋は、パネルで確かめた以上に豪勢だった。テレビもソファも、夜景が臨める窓までも馬鹿でかい。当然、部屋の奥に置いてあるベッドもキングサイズ。何の気なしに覗いた小部屋は、煌びやかなパウダールームになっている。繋がっている風呂場はガラス張りで、湯を溜めるのにも時間がかかりそうだった。
「なあ、やっぱここラブホじゃないってえ……」
「さっき精算機見たろ」
「見たけど」
「そんなに不安なら、テキトーな引き出し開けてみろよ。バイブとか入ってんだろ」
「こんな部屋にバイブなんて……うわ、ある、アナルパールまである」
「ハードなもん入ってんなァ?」
 肩越しに振り返ると、三ツ谷は颯爽と次の引き出しを開けている。ココには玩具、ここにはゴム、ここは冷蔵庫で水はご自由にお飲みください、あ、テレビのリモコンできてた、ピンクローターとそのリモコンもでてきた。いちいち声に出すのは、相槌が欲しいからか、独り言を言っていないと落ち着かないからか。……両方なのかもしれない。
 引き出しの確認を終えると、三ツ谷はソファに近付いた。表面を撫で、乗っているクッションを両面触って確かめる。すんすんと匂いまで嗅いでいた。それからカーテンを撫で、窓の外をちらりと見やり、クローゼットにかかっているガウンを握る。
「……とりあえず」
「んー?」
「不潔っぽくなくて、安心した」
「女子会なんて謳ってるとこぁどこもこんなもんだよ」
「そういうもん?」
「そういうもん」
 ラブホ探索を続ける三ツ谷を余所に、つま先をベッドの方に向けた。毛足の長い絨毯を踏みつけて、どすんと腰を下ろす。軋む音は、一切しない。わざと揺らしてみても、勢いよく背中から倒れ込んでみても、びくともしなかった。このベッド、良いな。寝心地の良さ目的で、この手のホテルを選ぶのも、良いかもしれない。
 ぽいっと靴を脱ぎ捨てて、キングサイズの上に乗り上げた。自分の図体でも、ゆったりとしている。もう一人寝転がっても、窮屈にはなりそうにない。これだけ立派なベッドなら、壊れる心配をせずに激しくできそう。いや、あえて寝バックとかで、ゆっくりじんわりするのも悪くないか。
 ごろりと寝返りを打ちながら、とことこベッドに近寄ってくる三ツ谷を見つめた。
「どう、ベッドは」
「最高」
「ア、俺これくらいの硬さ好きかも」
「そりゃよかった。……で?」
「うん?」
「どうすんの」
「どうって」
 当然のように三ツ谷も俺の隣に寝転がる。互いの間には充分なスペースがあるのに、背後に窮屈さは感じられなかった。ゆったりと寝られるのは、良い。しいて難点をあげるとすれば、意識しないと密着できないということだろうか。まあ、まぐわうための施設なのだから、あえてそうしようと思わなくったって、体は勝手に寄り添い合うか。
 ラブホということを半ば忘れつつある片割れに、そぉっとにじり寄った。
「今日、このあと」
 ついでに肩腕を伸ばし、腰を捉える。わざと指一本ずつ纏わせると、寝転がっている肩がぴくぴくぴくっと健気に震えた。思わせぶりに丸く撫でれば、ようやくここがそういうホテルということを思い出したらしい。涼やかな目元に、再び赤色が差す。すっきりした首元では、喉仏がこくりと上下していた。
「三時間、あるんだけど」
 どおする?
 最後のフレーズを吐息多めに囁くと、蚊の鳴くような声で「する」とだけ返された。

 熱欲に任せてまずは一回、勢いを携えてさらに一回。休憩がてらゆっくりたっぷり愛しあって、最後にうつ伏せの三ツ谷に覆いかぶさってもう一回まぐわうと、三時間はあっという間に過ぎ去ってしまった。さて、慌てて出るか、諦めて泊まってしまうか。節約好きの三ツ谷を思えば前者だが、すっかり蕩けた甘え顔を世間に晒すのは気が引ける。折角の機会だ、泊まっていくのも悪くはないだろう。
 身を清めるという大義名分を抱え、風呂場でも存分に噴かせたところで、俗世は朝を迎えたのだった。