1200mmのいきもの

2023.5.4無配。大人ドみの元に現れた子供ドの話


 目が覚めると、ドラケンがいた。
 それはいいのだ。同じ家で暮らしているし、同じベッドで寝ることだって多い。ここ半年は、起きて一番にドラケンの寝顔を見る日と、起きて一番に「遅刻するぞ」と俺を覗き込んでくる顔を見る日の繰り返し。だから、「目が覚めるとドラケンがいた」というのは、自分にとっては日常の景色である。
 ―― その男が、成人男性の見てくれをしてさえいればの話だが。
「んん?」
 横向きの視界には、か細い寝息を立てるそいつがいる。だが、頭の形も、肌の様子も、普段見慣れているのより随分と幼く見えた。黒い髪だって、染め直した黒色よりはずっとナチュラル。栗色と表現するのがそれらしい。のろりと腕を伸ばして撫でると、指先に柔らかさが絡んだ。そぉっと指先を滑らせると、ふっくらとした頬に行き当たる。どこも、かしこも柔らかい。むずりと込み上げてくる衝動で生え際に鼻を寄せると、幼児特有の甘い匂いがした。
「うん……」
 わかった、これは、夢だ。
 夢の中で夢だとわかる夢を、なんというんだったっけ。とにかく、これは夢に違いない。でなきゃ、隣に寝転がっていた男が、急に子供の姿になるもんか。
 腕の中に閉じ込めた体温は、ぽかぽかとあたたかい。現実の自分は、きっと筋肉質なあの男にぎゅうっと抱きしめられているのだろう。広々寝られるようにと大きなベッドを買ったのに、いつだってドラケンは俺に引っ付いてくる。可愛い男である。一八五センチと思うと可愛くない気もしてくるが、そこは一八五〇ミリと思い変えて「可愛い」ということにする。俺にとっては、可愛い男なのである。
「ん」
 甘い匂いを、すうと一つ吸い込んだ。
「……ンン」
 腕の中の熱が、身じろぎをする。柔らかな髪の毛が、首筋に擦れた。傷みの少ないソレは、いくら擦れても痒くならない。幼い頃の妹も、こんな髪質をしていたっけ。懐かしさと愛おしさが同時に滲んできて、つい口元が緩んだ。
「ン゛」
 きゅっと小柄な体を引き寄せると、今度は呻くような声がした。苦しかったのだろうか。いや、窮屈な思いをさせるほど、強く抱きしめてはいない。額が汗ばんできたのを思うに、暑いのかもしれない。こっちは、あたたかくて心地良いのだけれど。腕を、緩めてやるべきか、このままぎゅっとしていようか。……これは、夢だ。夢の中なんだから、俺の好きにしたって、良いに決まっている。胸の中で一つ頷いて、腕の力を緩めずに、そばの額に口付けた。
「ンンン゛……?」
 眼下にある瞼が、ひくりと震える。一秒、二秒、そして三秒と目を瞑ったまま瞬きをしたそこは、じゅわりと縁を滲ませた。細い睫毛が、徐々に上を向いていく。起きるかな、そう思ったところで、子供の瞼はもたりと閉じた。そこからさらに、四秒、五秒。眉間にぎゅうと皺が寄る。六秒を数えたところで、しょぼしょぼと瞼は持ち上がっていった。
 結果、寝起き独特の、むすっとした顔つきが、完成する。
 この顔、見た事ある。何度も、ある。ふふ、今のあいつ、そっくり。
「ん、」
「ふふ、うん?」
「んん、ねえ、タカコちゃんは?」
「……エ、」
 ぽとり、高い声が呟いた。
 タカコちゃん、とは。残念ながら、ここにいるのはタカシ君だ。惜しい。いや、そういうことではない。タカコちゃん、とは。
 頭の中に、疑問符が浮かぶ。一つ二つ、三つ、次々と浮かんで来るクエスチョンマークは、あっという間に脳内をいっぱいにした。おかげで、子供の問いに何一つ、返事ができない。できるのなんて、ぽかんと口を開けて、目を瞠ることくらい。
 視界の先では、子供の丸みを帯びた手が、ぐしぐしと目元を擦っていた。やがてもう片方の手は、俺の胸をどすんと押す。子供の体温がふっと遠ざかり、そいつは広いベッドの上にちょこんと座り込んだ。あ、寝癖。頭の後ろの柔らかそうな髪が、くちゃくちゃになっている。ほとんど無意識に、自分の体も起き上がり、その髪を手で梳いていた。
「うん? ここどこ、ねえアヤちゃんは?」
「あやちゃん……?」
「じゃあ、エミちゃん」
「えっと、」
「マリエちゃん、んん……、アカリちゃんでもいいよ」
「うーん、と」
「ええ、わかんねえのぉ。じゃあ、マサくんは?」
 子供は俺の手を払い退けることなく、こてんと首を傾げる。幼さ故の小ぶりな唇は、ツンと尖った。この顔は、今のあいつは、しない。どちらかというと、拗ねるとあいつは真顔になる。へえ、ガキの頃は、わかりやすく表情豊かだったんだなあ。まあ、これは夢で、ぽつぽつと喋るこの姿は俺の妄想に過ぎないのだろうけれど。
 癖のない髪は、すぐにほろりと解れてなだらかになる。もう、梳いてやる必要はない。
 それはそれとして、指先に絡む感触は、なんだか心地よかった。もう少し、触れていたい。滲んだ欲は、子供の形の良い頭をくるりと撫でる。嫌がる様子は、相変わらず見せなかった。
「……ねえねえ」
「うん?」
 ほんのりと拙さの混じった喋り方は、庇護欲を煽られる。暑いと嫌がられるのを承知で、もう一度ぎゅうと抱きしめてしまおうか。頭を撫でていた手は、どこか流暢に子供の肩に向かう。とん、触れた骨はまだ小さく、筋肉の厚さはさっぱりない。腕はまだ全体的に柔らかさを帯びており、袖から覗く指だって、細く・小さく・丸っこく感じられた。
 ドラケンにも、こんな頃があったなんて。眺めれば眺めるほど、今の完成されたカラダとの違いを見つけてしまう。このサイズだったら、どんな服が似合うだろう。今のあいつには全否定されそうな愛らしいイメージのものでも、この年頃なら言いくるめて着てもらうこともできそうだ。
 頭の中から疑問符は去り、代わりに次々とデザイン案が浮かんでくる。どうせ夢の中なんだから、思い描いた服にポンッと着替えてくれたらいいのに。不便な、夢だなあ。
「あんたさあ」
 頭を撫でている腕の向こうで、小さな唇が、にやりと笑う。
―― ユーカイハン?」
 ぽろっと飛び出た声には、口元同様に含みがあった。
 エッ。聞き返すより先に、子供は何故か得意げに腕を組んだ。ふふんと鼻で笑う素振りまでして見せる。
「ざんねんだけど、おれ、おやいねえから。ユーカイしても、みのしろ金、セーキューできねえよ」
「あ、あぇ」
「テンチョーは、オマエのことなんか、きっとあいてにもしない。マサくんも、なぁんもしねぇだろうな。チカコちゃんがいたらカノーセーあったけど、もういなくなっちゃったし」
「いや、えっと」
「どーする? このまま、まいご見つけましたってコーバンつれてったほうが、やす上がりかもよ」
 発せられる言葉は、どうもませている。幼い高さで、舌足らずだというのに、妙な現実味を帯びていた。そのせいか、頭がサッと冷める。冷や水を掛けられたかのようだ。ついでに目も覚め、背中を伝う嫌な汗にも気付かされる。
 夢だと思ったが、これは、もしかして。いや、でも、そんなわけがない。ありえないだろうが。隣に寝ていたはずの愛おしい男が、見た目は子供・頭脳は大人の名探偵ばりに縮むだなんて、そんな非現実的なことが起こるわけが――
「三ツ谷ぁ、朝飯できたけど」
「エッ!?」
 背後から、扉の開く音がした。それと同時に、聞き慣れた男の声がする。
 咄嗟に振り返れば、ドアを押し開けたばかりのドラケンが立っていた。寝室とリビングとの境に立って、切れ長な目をぱちぱちと瞬かせている。
「え、なにそのガキ」
 胡乱な声と共に、その首が傾げられた。
 動きに合わせて、両サイドに引き出している前髪がゆらりと垂れる。後ろ髪は、緩く纏めているらしい。おかげで、側頭部が覗いている。そいつと俺にとって、十余年の付き合いになる龍の刺青だって、よく見えた。
「か、」
「え」
 傍らにある身体が、ぴくんと震える。ハッと向き直れば、ベッドの上にぺたんと座った姿勢のまま、子供は目を見開いていた。しまった。もう一度ドラケンの方を振り返る。あの、見てくれだ。いきなり見たら、誰だってビビるに決まっている。どうする、どうするのが正解だ。子供の肩を抱く手に、変に力が入る。
「かっけぇ……!」
 かと思うと、子供はぴょんと跳ねた。ベッドのスプリングを使って、何度か体を揺らすと、小さな手をもすんと羽毛布団に押し付ける。
 エッ。今日、何度目かの驚嘆を零す頃には、子供はベッドの上に立ち上がっていた。大きめの、しかし、質の良さそうなスエットを着た背中は、トトトッと軽やかに部屋を駆ける。時間にして、およそ二秒。俺のよく知ったる一八五センチの前に、小さな体が立ち憚った。推定一二〇センチの体躯は、人見知りも萎縮も遠慮もなく、さらにぴょんと飛び跳ねる。
「ッなにそのあたま、すげェ! ドラゴン? かっけぇ!」
「うわッ、なん、ハァッ!?」
「ねえねえそれ見せて、みーせーてー」
 にゅっと伸びた幼い手は、ドラケンの肩にかかる。きちんと身構えてさえいれば、あの程度の重量、難なく受け止められたことだろう。……あくまで、身構えてさえいれば、だ。突然のことに、分厚い胴がぐらりと傾く。がくんと膝は折れ、床についた。それでもまだ、子供よりは大きいが、刺青を見せるにはちょうど良さそうな高さだ。
「かっけぇ……」
「ど、ドウモ……」
 子供の純粋すぎる感嘆が聞こえてくる。横顔は、憧れに満ちてすらいた。側頭部から首へと続く龍に、キラキラとした視線を向けている。
 頭に刺青が入っていたら、怖がるものでは。いや、刺青への偏見を持っていないのなら、怖いも怖くないもないのか。ドラケンらしいような、そうでもないような。
 待て、あの子供は、ドラケンなのか? ドラケンは、すぐそこにいる。無垢な子供に絡まれて、唖然としている男。それが、俺の知る龍宮寺堅だ。ならば、あの子供は一体。ドラケンの隠し子? まさか。隠し子がぽんとベッドに召喚されるなんて、どんなファンタジーだ。あの子供が、正しくドラケンの幼少期の姿だとしても、ファンタジーなのだが。
 俺は、まだ、夢を見ているのだろうか。なんてリアルな夢だ。酷く現実的に感じられるのに、起きている事象は限りなく非現実的。
 ……夢にせよ、現実にせよ。
「どらけんが、ふたり」
「あ?」
「うん?」
 ぽつりと呟くと、二人は同時に振り向いた。片や胡乱と困惑を混ぜた顔。片や、ただただぽかん・きょとんとした素直な顔。表情こそ違えど、瓜二つだ。眉の角度に、目尻の向き、瞳の黒さ、鼻や唇の形に至るまで、似通っている。
 ドラケンが、二人。俺がこの世界で最も憧れ、家族と並ぶくらい愛おしいと思っている男が、二つの姿になって、そこにいる。
 完成した大人と、未成熟な子供。見れば見るほど、思考はぐちゃぐちゃに乱れていく。
「親子、コーデ……」
 気付くと、この場に不釣り合いな言葉が飛び出していた。判断力を失った頭は、ポンッと浮かんだ単語に囚われる。濁流のように襲ってくるアイデアから、逃れる術はない。脳内で組み立てたデザインを、瞬き一つで二人の体に重ね合わせる。これはいい、あれはだめ、右は良い、左はだめ。閃きはやがて、何が何でも作らねばならないという義務感へ変容していく。
「親子コーデ、作らなきゃ」
「おいバカ待て、何言ってんだ、これどういう状況なんだよコラ」
「あれ、これペンじゃねえの? きえない」
「ッい、おい爪立てンな!」
「おやここーで」
「だから、三ツ谷、お前は何言って、ィでででで髪引っ張んな!」
 柔そうな手は、男の頭をぺたぺたと触っていた。それをしでかしたのが大人だったなら、ドラケンに蹴り飛ばされていただろうし、俺だって掴みかかっていたことだろう。
 けれど、そこにいるのは子供である。小学校に通うか通わないかくらいのサイズをした、推定りゅうぐうじけん・ななさい。ドラケン自身がどう感じているかはさておき、俺にとっては眼福の一言に尽きる。
 思えば、ドラケンは、昔から質の良い服を着ていた。そりゃあ、自分も貧乏なわりに、服はちゃんと買い与えられていた記憶がある。これは、俺の母親が、貧乏だろうが見た目で舐められてはいけない、という信条を持っていたから。だが、ドラケンは、どうだろう。あの家で過ごすにあたって、あからさまにみすぼらしい格好をしていたら、間違いなく浮いてしまうだろう。でも、それを加味したって、ブランド物が、多かった、ような。
 この子供の普段着に、タカシ・ミツヤの一着も加えたい。クローゼットにしまわれているどのブランド物よりも、この身体を映えさせる一着を、手ずから作りたい。
 動転した頭は、もうそれしか考えられなかった。
「任せて、服は俺が作るから……!」
「任せて、じゃねぇんだよ、このガキ、マジで何ッ!」
「すげー、つるつるだ! ハゲ?」
「ハゲじゃねえ!」
 よし、今日は布を買いに行こう。ドラケンを遊具にする子供を横目に、意気揚々と立ち上がった。