キラキラ

ドの依頼は二つ返事で受けたがる隆の話


 タカシ・ミツヤのフルオーダースーツが欲しい。
 突如やって来たその男は、やけに神妙な顔をしてそう言った。
「……うん?」
「だから、タカシ・ミツヤのフルオーダースーツが欲しいんだって」
「そりゃあ、ええと、どうも」
 つい聞き返すと、ほとんど同じセリフが返ってくる。表情は未だにかしこまったままだ。膝の上に両肘を立て、口元の辺りで手を組んでいる。そういえばこれ、ぺーやんに迫られてる頃の安田さんが、しょっちゅうやっていたポーズだ。近頃は頭を抱えることも少なくなったのか、すっかり見かけなくなったな。
「で」
 ぽんと浴びせられた言葉に、明後日に向きかけた意識が戻ってくる。瞬きを一つして焦点を来客ソファに定め直せば、ちょうど灰谷は深く腰掛け直したところだった。長い脚は組んだだけで様になる。口元にはうっすらと笑みが乗り、両腕はゆったりと組まれた。わずかに首を傾けられると、色気を含んだ威圧感が伝わって来た。この笑み一つで、一体何人を動かせるのだろう。……少なくとも、自分は動いてやる気にはなれないが。
 で、なんだよ。続きを煽るようにして、こちらも首を傾けた。
「いくら用意すればいい」
「俺、そのオーダー受けるなんて言ってねえけど」
「受けろよ」
「悪いけど、初回注文はメールで問い合わせ貰ってから調整してんだ。いきなり言われても応えかねる」
「初回だあ? 俺の服作るの、初めてってわけじゃねーじゃん」
「あのなあ、それ特服の話してる? 何年前だと思ってんの。第一、サイズもあの頃とは変わってんだろ」
「俺の成長期、長かったからなァ。ちゃんと採寸し直せよ」
 盛大にため息を吐いて見せるが、灰谷が諦める気配はない。それどころか、受注確定したかのように言葉を重ねてくる。こうやって、言質をとる算段なのだろうか。いや、そこまでこいつは計算高く生きていない。狡賢さこそあれど、アレは天然だ。天然で今ほどの成功を収めるとは、運の良い男である。だから、この男はカリスマと呼ばれるのか。
 どうやって追い返そうか。あえて仰々しく額を抑えると、眉間の力みに気付かされた。ただでさえ、パソコンだタブレットだ、眼精疲労が著しいというのに、このいい加減な奴相手に眼輪筋を酷使したくない。親指を添えて、小さな円を描くようにして眉間を揉んだ。
「いくら駄々捏ねられたって、今は受けらんねえからな」
「……あンだよ、竜胆には仕立ててやった癖に」
「竜胆?」
 額を押さえたまま目線だけを持ち上げる。灰谷の姿勢はいっそう崩れ、両腕はソファの背もたれにかかっていた。組んでいた脚は、馬鹿みたいに開いている。その浅い座り方、今に腰にクるぞ。似た姿勢で考え事をする癖があった頃、まんまとぎっくり腰になった俺が言うのだから間違いない。忘れもしない、たった三キロの箱を持ち上げた瞬間、この腰に雷が落ちたっけ。
 傲慢なこの男が、ぎっくり腰で苦しみますように。
 脳内で細やかな呪いを念じながら、そいつの弟からの依頼を記憶の中から引っ張り出した。
「言っとくけど、竜胆は正規の手順で依頼寄越したぞ」
「ん? 待てよ、竜胆の受けてンなら、初回じゃなくね。竜胆のスーツが初回、次が俺」
「企業としての依頼だったらな。竜胆のは個人のオキャクサマ。蘭が一見さんであることに違いはない」
「チ、融通利かねなあ」
「生憎繁盛してるもんでね。昔馴染み程度の奴に利かしてやる融通なんかねえのさ」
 鼻であしらうと、灰谷はようやくぐにゃりと唇を歪める。眉の片方だけ持ち上がり、あからさまに拗ねた表情ができあがった。残念だが、その顔つきで落ちるのは恩や媚びを売りたい奴だけ。おとなしく諦めるんだな。
 冷めた目線を向け続けていると、のろりと灰谷の背筋が背もたれから離れる。偉そうに構えていた腕は、話を切り出した時のように組み直された。
 さあ、何を言う。何を言われたところで、こいつの我儘に付き合ってやる気はない。早々に心をへし折って、お引き取り頂こう。
 視線に込める温度をさらに冷ややかにして、ローテーブル挟んだ向かい側をねめつけた。
「どうしても?」
「どうしても」
「竜胆の倍出すって言っても」
「金の問題じゃねーんだよ」
「普段なかなか使えねえ高級な反物、選んで良いぜ」
「舐めてんのか、俺が使いたい布を用意してどうする。顧客がいちばん映える素材を選ぶのがプロだろ」
「いいねえ、そのプロ意識。余計に欲しくなった」
「……受けねえつってんだろ」
 低い声で吐き捨てると、灰谷はわざとらしく肩を竦める。本来の手順―― それこそ、竜胆が依頼してきたような―― では、時間がかかるのは明らか。けれど、そこまで待ちたくない。最短納期で、フルオーダースーツを手に入れたい。最短で・しかし安価にと迫ってくるクライアントモドキに比べれば、金に糸目を付けない分マシな方。それでも、イエスと頷くわけには、いかなかった。
 自分で言うのもなんだが、タカシ・ミツヤは、存外名が知れている。自分一人じゃ管理しきれないくらいに、仕事を貰えるようになったのだ。自分のキャパを超えて案件を抱え、ぶっ倒れたのは何年前だったろう。以来、俺の仕事は、優秀なマネージャーが管理してくれている。仮に、俺がイエスと言ったところで、彼女がノーといえばノー。
 今日、灰谷が持ち込んだ個人的な依頼が、ノーに分類されるのは想像に容易い。
「とにかくだ」
「あんだよ、いいじゃん、三倍出すぜ?」
「だから金の問題じゃねえんだって」
 声を荒げつつも、脳裏には「は?」とのたまう彼女が過る。今の自分を遥かに凌駕する、絶対零度の表情だ。「先生、何言ってるんですか、今抱えている案件のこと、お忘れで」。続け様に、刺々しい常套句が頭に浮かぶ。たちまち、背筋に寒気が走った。
「三ツ谷先生」
「ヒッ!」
「あ?」
 噂をすれば、影。とはよく言ったものだ。
 掛けられた声に、心臓がキュッと縮む。両肩は、跳ねるように持ち上がった。
「あー、ナニちゃんだっけ、妹ちゃん」
「……どうも、三ツ谷ルナです」
「そう、ルナちゃん! ねえ、ちょっとこの堅物なお兄ちゃんのこと、説得してくんない?」
「ッバカ野郎、説得されんのはテメェの方だ!」
「個人のオーダースーツくらい、どうにかなんだろ、なあ?」
 ならねえよ。何度も言ってるだろうが。急な依頼は、受けられないって。
 慌てて応接室の入り口を見やると、スンとまっさらな表情をした妹が目に入った。アルカイックスマイルを携えているものの、「さっさと話を切り上げろ」なんて副音声が滲んでいる。俺だって、追い出せるものなら追い出したいさ。襟首掴んで、えいって。けれど、自分も灰谷もいい歳をした大人である。猫の戯れみたいなやりとり、したくてもできない。
 もういっそ、ルナの口から一刀両断してもらった方が早いのではないか。つい、目線に縋るような色を込めてしまう。ティーンの頃は、妹に頼るなんて考えもしなかった。でも、今は違う。だって、ルナ、すげえ頼りになるんだもん。
 るな。情けないのは承知の上で、小さく口だけを動かした。
「……お話し中、申し訳ないんですが」
 そう、そうだ、その調子。キリッと顔を取り繕って、改めて灰谷を睨みつける。
―― 今、ドラケン君、来たんだけど」
「エッ」
「どうする? 忙しいなら、後で連絡するって言ってくれて」
 る。という、最後の音は、耳に届かなかった。
 跳ねるように、体はソファから立ち上がる。慌ただしく動かした足先からは、スリッパの片方がすっぽ抜けた。応接室を出る頃には、もう片方もつま先から消える。
「おい、どこ行くんだよ!」
 背後から、なにやら喧しい声がした。しかし、振り返る気にはなれない。構おうという意識だって、微塵も浮かんでこなかった。
 靴下になった足裏が、フローリングを踏みしめる。玄関までのほんの数メートル。その距離すわら、煩わしかった。早く早く、一秒すらも惜しい。逸る気持ちで、L字の突き当たりを曲がった。
 途端、体が、傾く。ブレーキを踏んだはずの左足が、よく磨かれた床板の上を、滑ったらしかった。あ、転ぶ。はくんと息を呑むと、未だ靴を履いたままの男が切れ長な目を見開かせる。スローになった世界で、作業着に包まれた腕がゆったりと伸びてきた。
「ッぶね」
「ぁ」
 鈍い衝撃に合わせて、男の体温が伝ってくる。ほのかに香る汗に、くらり、眩暈がした。
「ご、めん、ありがと」
「いいよ。つーか、もしかして、お客さん来てた? 奥から声したけど」
「ううん、全然、客でもなんでもない!」
「客だけどォ!?」
「あれ、蘭じゃん。なにしてんの」
「依頼しに来たに決まってんだろ、タカシ・ミツヤのフルオーダースーツ!」
 すぐそばにある体温から、離れなくては。そう思う一方で、まだ男の腕に抱かれていたくもある。脳内にある天秤は、欲と理性を行ったり来たり。……結局、欲に屈してしまい、指先をすぐそばにある作業着に引っかけてしまった。硬い布地越しに、逞しい胸板の熱が伝わってくる。
 ああ、ドラケンだ。龍宮寺、堅。俺が、最も憧れる生き様を送っている、男。惚れ惚れとしながら、じぃとそいつの輪郭を見上げた。息を吸うのに合わせて、顎の骨が動く。意外の厚みのある唇は、穏やかな声を舌に乗せた。
「へえ、グーゼン。俺もさ、実はちょっと、頼みたくって」
 タカシ・ミツヤの、オーダースーツ。
 にんまりとして言ったドラケンは、支えている俺の肩をトントンと叩いた。そろそろちゃんと立て、と言いたいのだろうか。砕けそうな腰に叱咤を打って、背筋を伸ばす。
 と、何故か、男の体重が迫って来た。肩にあったはずの手のひらは、脇腹近くまで移動してきている。首のすぐ横には肘の関節があった。肩を、組まれた、らしい。それも、かなり深い組み方。気付くと、きゅ、宙に浮いた自身の両手は、控えめな拳を作っていた。
「はんッ、残念だったな、初見はメールから問い合わせろってさ!」
「んん、やっぱり? サイトにそう書いてあったけど、俺の三ツ谷の仲だしさあ、融通利かしてもらえねえかなって思って」
「そう思うよなあ、それで俺も来たんだけど、コイツなんつったと思う? 昔馴染み程度に利かす融通はねえ、ってさ。ひどくね?」
 左耳には焦がれた声が、右耳には姦しい声が響く。どうしてこれほどの偏りがあるのだろう。自分の聴覚、全てを隣にいる自分の無二にだけ向けれたらいいのに。
 盗み見るように目を向けると、ちょうど向こうも俺を見たところだった。拳、二個分の先で、凛々しい眉尻がかすかに下がる。そっか、お前、忙しいんだな、無理にとは言わねえよ、また今度、頼ませてもらうワ。甘い声が、脳みそに直接流れ込んでくる。至近距離に声をかけられたからか、目が合ったことで俺の脳みそが幻聴を聞いたからか。男の体温で馬鹿になった頭じゃ、その判別すらつかない。
 はくん、どうにか空気を食むと、いよいよ肺はドラケンの匂いで満たされた。
「いいよ、」
「え」
「うける」
「……うける、って?」
「どらけんのすーつ、おれ、つくる」
 拙い声が、口からまろびでる。あれ、今、なんて言った? ドラケンのスーツを、作ると言った。作って良いのだろうか。作ってほしいと言い出したのはドラケン。作ったって、良いに決まっている。そうだ、作ろう。ドラケンのスーツ。今の体格に合った、この歳の龍宮寺堅が最も映えるスーツ。
 はく、ん。もう一つ空気を食めば、たちまちにして思考が冴えていった。
 いや、冴えてはいないのだ。そもそも、新規依頼を受けるのは、まずいのだから。
「納期は、いつまで、イメージは、用途……、ええと、カジュアル、それともフォーマル?」
 きっとこれは、酩酊に近い。それだけ、自分はこの男に入れ込んでいる。これは、仕事を手伝ってくれる妹だけが知る話だが、ウチのブランドの顔は、龍宮寺堅なのだ。俺の最初の作品を買い付けたこの男をモチーフに、毎年のコレクションを組み立てている。モチーフと言っても良いのかもしれない。
 ドラケンのスーツを作る。それは、もう自分の中の確定事項となった。背後から「おい、馬鹿、おいコラなんだテメエ、この、オイッ!」と罵倒が聞こえて来ようとも、関係ない。どんなのが、良いかな。ばくばくと高鳴りする心臓のおかげで、脳には充分な血液と酸素が届いている。今、インプットされている知識全てを動員して、傍らの男が最も映える要素を浮かべていった。
 描きとめ、なくては。溢れてくる閃きが、失せる前に、一刻も早く。
 ようやく、ドラケンの体温から、離れる決心がついた。
―― 三ツ谷先生」
「ッ!」
 ついたそばから、骨の髄が凍り付く。
「今抱えている案件のこと、お忘れで?」
 ギッ、捻った首が、軋む感触がした。まるで錆び付いた蝶番。あれほど滑らかに動いていた思考も、ぴったりとインスピレーションを止めてしまった。
「で、でも、ど、ドラケンの、だけは、そのッ、なんとか、つくりたい、デス」
「だめです」
「そこをなんとか」
「だめったらだめ」
「ルナ」
「駄目」
「る」
「お兄ちゃん、また倒れたいの。へえ、そお」
 灰谷の斜め後ろにいる影が、ゆったりと首を傾げる。その顔は、応接室で浮かべていた以上に冷え込んでいた。なぜか、ドラケンまでも唾を飲んでいる。ルナの顔を見ていない灰谷だって、きゅっと唇を噛んでいた。
「ごめん、ドラケン……」
 最早、そう言うしか、なかった。
 折角浮かんだ案が、頭の中で次々と萎れていく。枯れていく。なんてもったいないんだろう。それはそれと割り切って、別の仕事に活かせればいいのに。
 がっくりと肩を落としながら、よたよたとドラケンから距離を取る。ドラケンですらだめなのだ、灰谷の依頼だって、当然受けられない。さすがの灰谷も、理解したらしい。不憫そうな目をしながら「俺も、また今度にするワ」と俺の肩を叩いた。
「あ、ごめんなさい、変なトコ見せちゃって。今は立て込んでるけど、目途が立ったら優先してご対応いたしますので」
 もたもたとアトリエへ足を向けはじめると、ワントーン上がった妹の声がする。カチリと鳴ったのは、アルミ製の名刺ケースだろう。肩越しに振り返れば、ウチのブランドのカードを渡しているのが見えた。
「今後とも、ぜひタカシ・ミツヤをご贔屓に」
 彼女の顔には、隙の無い笑みが浮かんでいるのだろう。鼻を膨らませた灰谷の依頼は、次も断ろうかな。ドラケンの依頼は、いつなら受けてもいいのかな。デザインにばっかりかまけてないで、もうちょっと仕事の管理、自分でやってみようかな。
 すとんと自身のデスクにかけると、安田さんが何も言わずにマドレーヌを分けてくれた。