かぜのたより

風邪を引く隆と頼られたい堅


 三ツ谷は、秘密基地を持っている。
「っけほ、ンン」
「……風邪?」
「あ、ドラケン」
 別に秘密にはしているわけではないから、三ツ谷の根城、と言った方が正しいのかもしれない。
 東卍がアジトにしている倉庫の二つ隣。錆びた棚や廃材の奥に、ひっそりと構える小部屋がある。六人だった頃は、あっちのデカい倉庫じゃなく、こっちの小部屋をアジトにしようなんて話もあった。しかし、バイクを持ち込むとなると、この部屋はあまりにも入りにくいし、どうにか入れたとしても狭苦しくなってしまう。そういうわけで、あっちの広い倉庫を普段使っていたのだが、……いつの間にか、こっちの小部屋は三ツ谷の城と化していた。
 見つけたときは、煤けていたのに、今じゃすっかり綺麗になっている。この小部屋で、特服を仕立てたり、直したりしていると知っている奴は、東卍にどれだけいることだろう。ほとんど多くは、三ツ谷の学校か家でやっていると、思っているはず。もちろん、それも間違ってはいない。けれど、大事に作業したいものほど、三ツ谷はこの部屋でやっている。例えば、刺繍とか。
「なにしてんの」
「んー、場地に、刺繍ほつれたってぐずられちゃって」
 ほら、今日も刺繍だ。作業台に近付くと、黒い布地に金色の糸が縫い付けられているのが見える。迷いのない手付きで、糸は「壱」の文字を浮かび上がらせていた。
 そばにある丸椅子を引き寄せる。腰掛ければ、キンと尻が冷えた。立ち上ってくる冷えで、体が勝手に震えてしまう。咄嗟に肩を竦めていると、正面にいる三ツ谷がコンコンと咳き込んだ。
「……それさあ」
「うん」
「今日やんなきゃダメなやつ?」
「ダメってこたないけど、早めに直してやった方が良いだろ」
「つったって、ココ寒ぃじゃん。風邪引くぞ」
「寒い?」
 ちょうどキリのいいところだったのか、特服に向いていた視線が持ち上がる。視線が重なって、二秒、三秒。長さのある睫毛が、何度か上下に揺れた。
 寒い、よな。まさか、寒くないのか。きょとんとした顔をする三ツ谷を見ていると、不安になってくる。そういえば、こいつは寒さに滅法強い性分だった。雪が降るような寒波が押し寄せている日でも特服の前をはだけさせるし、俺がコートとマフラーに埋もれている時でもぺらぺらのカーディガン一枚で隣を歩く。なるほど、寒くないのか。
 いや、寒いだろ。さっきだって、咳をしていた、寒くないわけが、ない。
 怪訝に顔を顰めると、ようやく三ツ谷は頷いた。
「ああ、そっか、俺、電気毛布かけてっからさ」
「は」
「ドラケンも入る?」
 三ツ谷の手が、針と糸から離れる。流れるように膝に向かったソレは、ついっと厚手の布地を持ち上げた。
 電気、毛布。言われた単語を頭の中で繰り返す。併せて、座ったばかりの体は、丸椅子ごと三ツ谷の隣に移動していった。腰を落ち着け直すと、毛布の垂れていた部分を掛けられる。ぽすん、太腿に触れた布地は、三ツ谷の体温だけじゃ説明がつかないくらいに、温かかった。まるで、炬燵。腹から下がほこほこと温められるにつれ、肩の力も抜けていく。
「なあ」
「んー?」
「ここ、電気きてねえよな」
「うん。だから、キャンプ用の電源おいてる」
「……いつの間に」
「あれ、知らなかった? 去年かなあ、パーちんがタコ焼き食いてえってホットプレートと一緒に持ち込んでさあ」
「は、知らねえ、つーか呼ばれてねえ!」
「あ、やべ、これ三人の秘密だったんだ。言ったってこと、ぺーやんには内緒ね」
 しーっと立てられた人差し指は、間もなく部屋の隅の棚に向かう。ちなみに、ホットプレートはアレ。タコ焼き用も置いていってくれたから、材料さえあればいつでもタコパできるよ。そう付け足した三ツ谷の顔は、イタズラを思いついた悪ガキのようだった。内緒話を思わせるトーンで囁かれたのもあって、「次はドラケンと」と言われている気になってくる。膨らんだ不満は、あっという間に萎んでしまった。
 我が事ながら、チョロすぎる。それを悟られたくなくて、わざと唇を尖らせたまま頬杖をついた。
「拗ねんなよ、ん、っけほ」
「っ!」
 隣から、咳が、聞こえる。跳ねるように目を向ければ、俺から顔を背けるようにして三ツ谷は咳き込んでいた。この小部屋が、埃っぽいから、ではない。おそらく、風邪の引き始めだろう。
 いくら電気毛布があるからといって、この小部屋に長居するのは止めた方が良いのでは。風邪ってやつは、寒い時と、寝不足の時と、腹が減っている時とが重なると、どっと体に襲い掛かってくる。ここは寒いし、三ツ谷はいつだって寝不足だし、うっかり食い物の世間話をしてしまうくらいに腹も減っている。これじゃあ、風邪も引くだろ。
 コンコンと丸くなる背中を擦ってやりつつ、なんとなくポケットに手を突っ込んだ。
 かさ、り。指先に、小袋が引っかかる。ポケットに入ったばかりの手を、すぐに取り出した。小さな袋の表面には、大きくのど飴と書いてある。そういえば、今日家を出る際、「好きな味じゃなかったあ」と言って、嬢に押し付けられたんだった。色味から思うに、ミント系だろうか。
 ちら、と、咳の落ち着いた背中を見やった。
「三ツ谷」
「んー?」
「いる?」
「え、なに、のど飴じゃん、珍しい」
「店の奴に貰った。けど、俺いらねーから」
「薄荷味、嫌いだっけ?」
「あんま好きじゃねーし、飴自体そんな食わねえ」
「ふぅん。じゃあ、まあ、貰おっかな」
 差し出された手のひらに、ころんと包装ごと落とす。すぐに三ツ谷は封を開け、白くて丸いそれを口の中に放り込んだ。

 そんなことがあったのは、つい、先週のこと。
 なんとなく人の気配を感じて秘密基地を覗き込むと、案の定三ツ谷はそこにいた。この間とは違って、机の上に特服はない。広々とした作業台の上に、三ツ谷は突っ伏していた。様子見も兼ねてじぃと見つめていると、ズッと鼻を啜る音と、ンンッなんて咳払いが聞こえてくる。
 悪化、している。尋ねるまでもなく、それは明らかだった。
 なのに、ここにいるのはどうしてだろう。家に帰って、布団に入った方が、ずっと体は休められるだろうに。確かにここには毛布がある。それも、電気毛布だ。肩からすっぽりと体にかければ、さぞ温かいことだろう。かといって、こんなところで電気毛布に包まっていたって、良くならないのは確か。
 一つため息を吐いてから、起き上がる様子の無い三ツ谷に近付いた。一歩、二歩と足を進めるにつれて、荒いくせに弱弱しい呼吸が聞こえてくる。真横に立って見下ろしてみても、まだ三ツ谷は顔を持ち上げなかった。
 ここまで人の気配に鈍くなっているとは、よっぽどだな。もう一度ため息を吐いて、丸い頭に、手を伸ばした。
「……おい」
「ぅあッ!?」
 ぽすんと手を乗せた頭は、ほんのりと汗ばんでいる。跳ねるように起き上がった顔も、普段より赤らんでいた。まるで、喧嘩をしてきた直後のよう。明らかに熱が出ているという顔つきに、三度目のため息も込み上げてきた。
「なにやってんだよ、こんなとこで」
「……あー、昼寝?」
「ガッコーの保健室のがく寝れるんじゃね?」
「保健室は一時間しか寝かせてくれないから」
「なら家で寝たらいいだろ」
「んん」
 肩からずり落ちた毛布を掛け直してやる。……思ったより、温かくない。毛布の端から出ているコードをそっと追いかけると、電源に刺さっていなかった。電気毛布として使えよ。スイッチを入れたら、熱くなってしまったのだろうか。頭に乗せていた方の手を、こめかみを通るようにして滑らせる。手の平で輪郭を撫でてから、逆側の頬を手の甲で触れた。
「お前さあ、熱あんじゃねえの」
「うーん、そうかも」
「帰れよ」
「いやあ、まあ、そうなんだけど」
 三ツ谷の口から出る声は、どれもこれも鼻にかかっている。加えて、変に掠れていた。普段のハスキーっぽい響きとはまるで違う。
 眉間に皺を寄せると、三ツ谷は対照的にへらりと笑った。それから、こめかみの辺りを掻く代わりに、俺の手の甲に頬を寄せてくる。今日、手袋しなかったの、手ぇ冷たくなってるよ。かさかさとした小声が、怠そうに放たれる。俺を気遣っている場合じゃないだろうに。
「後ろ乗っけてってやるから、帰るぞ」
「えー」
「えーじゃねえ。こんな寒いとこで座ってたって、悪化するだけだろ」
「うーん、でも、妹にうつったら、おれ困るからさあ」
「はあ?」
 そっと二の腕を掴んだ。くっと緩く持ち上げてみる。しかし、動くのは腕だけ。当の三ツ谷は、舌足らずに喋りながら、頭をぐらぐら揺らしていた。
「その時はその時だろ」
「病院、おれが連れてかないとなんだよ」
「都合いいじゃん、ついでに診てもらって来いよ」
「しょーにかで?」
「十五までは小児科で良いって言うじゃん」
「んっふ、ドラケンって、しょーにかかかってんの」
「俺? 俺ぁ、いつも診てくれるフツーの内科のジィさん先生がいて……。あ、どうしようもなくて、昔夜間の救急に行ったことはある」
「へぇ」
 あれは一体、何で運ばれたんだったか。本当にガキの頃、学校にすら通っていない時の話だ。まあ、今も学校なんてろくに通ってはいないのだが。
 なんにせよ、ここまで風邪を拗らせたのなら、病院に行った方が良いのは確か。小児科でも内科でもいい、一回診てもらって、薬を貰って来るべきだ。処方箋で貰う薬はすごい。市販薬がすごくないわけではないが、処方薬の方が断然効く。あの店を管理しているだけあって、正道さんは風邪の類に敏感だ。キャストだろうと、俺だろうと、「まずい」と察知したら即座に保険証を持たせて医者に送り出す。今の三ツ谷は、絶対にそうされる状態だ。もういっそ、バイクに乗せた足で世話になってるジイさん先生のとこ連れてっちまおうか。きっと、それが良い。
 改めて、三ツ谷の腕を引いた。
「歩くのもしんどいなら支えてやっから」
「んん」
 のろり、ようやく三ツ谷が作業台に手を付く。丸椅子からは、腰が浮いた。ぼとり、肩にかかっていた毛布が、床に落ちる。その口から零れた吐息は、たっぷりの熱と湿度を含んでいた。刻一刻と、三ツ谷の体は怠さに蝕まれている。背負ってやった方が良いだろうか。……思うや否や、浮いたばかりの腰がぺちゃんと丸椅子に戻ってしまった。
「……かえっ、たら」
「あ?」
「おれ、がんばらねーとなんないんだよね」
 作業台の下では、両足とも投げ出されている。立ち上がろうとついていた両手も、いつの間にか机の上で脱力していた。背もたれの無い椅子の上、くらくらと三ツ谷の体が揺れている。このままじゃ、椅子から転がり落ちてしまう。咄嗟に背中に腕を伸ばし、肩を組むときのような格好で支えた。こっちは立ったままだし、三ツ谷の腕は組まれていない、どちらかというと、肩を抱く格好と言い表した方が相応しいのかもしれない。
「三ツ谷?」
「でも、今日、こんなだし、あんまがんばれなさそーで」
「……うん」
「サボりたいけど、ンン……、むかえ行くまでは、ちょっと、休けい」
 肩を、支える手に、ほんのりと力が籠った。そのわずかな力に従って、三ツ谷の体はこちらに重心を傾ける。すぐに、脇腹のあたりに、形のいい頭が沈み込んだ。いつの間にか瞼は閉じており、長さのある睫毛が影を作っている。息は、口でしかできないらしい。荒れた唇から、浅い呼吸音が聞こえた。
 頼れよ。という言葉は、声にする前に飲み下した。三ツ谷が一人で頑張るのは、家族のことだからだ。俺は三ツ谷の家族じゃないから、「頼る」っていう頭数に入れてはもらえない。これは逆も然りだ、あの店の中での揉め事に巻き込まれてストレスが溜まっていたとしても、俺は三ツ谷を頼ることはしない。できない。だって、三ツ谷には、無関係だから。
「……、」
 熱っぽい体を支えたまま、がりがりと頭を掻いた。
 頼ってくれない理由は、わかっている。ちゃんとわかってはいるが、―― なんだか、癪だ。
 尖ってしまう唇をなんとか真横に引き絞る。それから、眉間をぐりぐりと揉んで、皺を伸ばした。これで、どれだけ不満を隠せただろう。素面の三ツ谷にだったら「なにムッとしてんの」と言われる気がする。だが、今日の三ツ谷は絶不調。目を開けるのもやっとなくらい、風邪に侵されている。なら、まあ、誤魔化せるだろう。
 今日何度目かわからないため息を吐いてから、支える腕はそのまま、床に膝をついた。
「三ツ谷」
「んん……?」
「今日は帰ろう」
「……うん、そうだね」
「で、俺、ルナちゃんたちのこと、みとくからさ」
「うん?」
「三ツ谷は、ちゃんと休みなよ」
 閉じていた目が、もったりと開いていく。普段から垂れている眦は、いっそうとろんと下がって見えた。唇がうっすらと開いて、すぐに閉じる。同じように、瞼も緩慢な瞬きをした。
 俺は三ツ谷が家の中でどう暮らしているか、そこまで詳しくはない。だから、わからない部分は、妹二人に教えて貰おう。お兄ちゃん、普段何してる? って聞いたら、あの二人のことだ、くるくる話してくれるはず。
 頼ってくれとは言わない。まだ、言えない。
 でもいつか、言ってくれるようになったら、良いなと、思う。
「……いいの?」
「いいよ」
「でも、ドラケンも用事とか、」
「ないよ。今日はない。あってもないことにする。三ツ谷優先」
「おれゆうせん」
 拙い口調で呟いた三ツ谷は、しばらく口を半開きにしたまま固まった。瞬きすらも、鈍くなる。おかげで、涙の膜が厚くなりはじめた。いや、これは熱が出ているせいだろうか。目尻に滲んだそれを、努めて優しく、親指で拭ってやった。
「ドラケン」
「ん?」
 まずは右目。それから左目。順番に指を当てていると、三ツ谷の口から掠れた声が落ちる。鼻にかかったソレは、今くらい近い距離にいなかったら、聞き逃していたことだろう。
 一つ瞬きをして、焦点を定め直した。
―― ありがと」
 向けられた破顔に、ぎくりと腕が強張る。一拍遅れて、心臓が騒ぎ出した。この、焦燥感は、なんだ。いや、考えるのはあとだ。なんたって今日は、三ツ谷優先なんだから。
 どういたしましての代わりにこくんと頷き、くたびれている三ツ谷の体を背負った。