ふかふか

 俺にとってシーツとは、丸めて籠に放り込んでおけば、翌々日には綺麗になって返ってくるものだった。
「そっち側持って」
「お、おう」
「次、ココ持って」
 けれど、一般的には、違うらしい。
 確かに汚れたものを放り込む籠はある。けれど、そこに突っ込んで終わりではない。洗濯機で洗わないと綺麗にはならないし、さらにちゃんと干さないと乾いてもくれない。乾燥機能って、ついてるもんじゃねえの。前に尋ねた時、「ウチのボロでできるのは、洗いと濯ぎと脱水まで」と返されたっけ。ふぅんと頷いて、見せてもらった古めかしい縦式の洗濯機には、確かに三ツ谷のいう三つの機能しか書いていなかった。なんなら、脱水の途中で止まることもあるらしい。
「はい、今度はこのシーツ」
「ん」
 それでも、洗濯をしないわけには、いかない。
 よく晴れた今日は、洗濯日和。そう言って、三ツ谷はせっせと洗濯機を回し、ちゃきちゃきシーツの類を干していた。……そんな背中を見てしまったら、遊びに行こうぜと言うことなどできやしない。気付くと三ツ谷の家であれこれ家事を教わっていた。
 こいつと会ってから、こんなことばかりだ。自分の身長の半分すらない女の子と遊ぶ機会は増えたし、言われるままに鍋をかき混ぜることや、レタスを引きちぎることもしょっちゅう。ちなみに今日は、三ツ谷の妹のぬいぐるみを窓辺に並べるよう頼まれた。たまにしか洗えないから、せめて日には当てたい。よくわからないながらに並べたふわふわの物体は、午後になるとなぜか腹が膨らんでいた。どういう仕組みだよ、ちょっと怖いんだけど。「布団と一緒だよ」って言われてもさあ、俺にはさっぱりわかんないんだって。
 ―― そして今、乾いたシーツを、どうにかこうにか畳んでいた。いや、畳む作業をしているのは三ツ谷だ。俺は、言われた通りに端を持って、端と端を重ね合わせるのに手を貸しているだけである。にもかかわらず、三ツ谷は「助かる」とニコニコしていた。
 持たされている白いシーツからは、ふんわりと柔らかな匂いがする。洗濯日和にこの家へ来ると、いつも漂っている匂いだ。けど、クリーニングから戻って来たシーツからは、しない匂い。どちらも洗濯されていることに違いはない。なのに、異なる匂いがするのは、どうしてなんだろう。洗剤が違うからなのかな。
「ん、サンキュ」
「あ」
 ぼんやりしているうちに、持たされたシーツの端は三ツ谷の手の中に回収されてしまった。半分の大きさになったソレは、ぱたんぱたんと折り畳まれていく。どんどん、小さくなっていく、ソレ。けれど、自分が日頃見ているものより、ふんわりと厚みがあった。
 なんとなく、畳まれた表面に手を乗せてみる。白い布地は、まだほんのりと温かかった。クリーニングから返ってきたシーツは、いつだって冷たいのに。乾きたての洗濯物って、こんな感じなんだ。ああ、もしかしたら、乾きたてだから、柔い匂いがするのかもしれない。
 妙な感心を抱きつつ、同じように畳まれたタオルケットにも触れてみた。……シーツより、もっとあったかい。なんだこれ、面白いな。確かめるように、ぽすんぽすんと表面を叩いた。
「なにしてんの」
「……やわらけえなと、思って」
「そりゃ干したばっかりだからね」
「いい匂いもする」
「布団の方がもっとおひさまの匂いするよ」
「おひさま……?」
「うん」
 こくんと頷いた三ツ谷は、流れるように窓の外に向かっていった。ガラス越しに、布団を叩いているのが見える。
 俺も、何か手伝った方が、いいのかな。咄嗟に腰を浮かせたが、すぐに三ツ谷は室内に布団を放り込んできた。続け様に、もう一枚。勢いよく重なったソレらは、ぼふんと辺りに埃を立たせた。外からの日差しを浴びて、きらきらと細かな粒子が舞う。眺めているだけで、鼻がむずむずしてきた。咳払いも、したくなってくる。
「埃、やばくね?」
「そお? 一応叩いたんだけど。まあ、窓開けとけば大丈夫だろ」
「そういうもんなの」
「そういうもんだよ」
 おずおずと尋ねると、三ツ谷は布団を踏みつけるようにして室内に戻って来た。言葉の通り、窓は開けたままだ。ゆったりと風が室内に入って、埃の舞う空気をかき混ぜる。瞬きを三回もすれば、大分埃は見えなくなった。
「……布団、」
「うん?」
「分厚く、なったな」
「干したからね」
 膝立ちで近寄る間に、取り込んだ布団は三つ折りに畳まれる。合わせて二枚。普段は、三ツ谷の部屋に置いてある二枚だ。けれど、以前部屋で見たのより、ずっと分厚く見えた。本当に同じ布団なのか。そう思ってしまうくらいに、ふっくらとしている。
 ごくり、なんとなく唾を飲み下しつつ、手を伸ばした。
「おわ」
「うん?」
「すげえ、やわら、かい」
「ふかふかだろ」
「いい匂いも、する」
「うん。おひさまの匂いね」
「……太陽って、こういう匂いすんの?」
「え、どうだろう。わかんねーけど、おひさまの光に当てると、こういう匂いになるよ」
「おひさまの、ひかり」
「そう」
 ふかりと沈む感触が心地よくて、もう片方の手も押し付ける。日に当たって穏やかなぬくもりを含んだ布団は、近くにいるだけで感触に相応しい柔らかな匂いを漂わせた。干したばかりの、布団。物珍しさもあって、つい、何度も手を押し付けてしまう。
 思えば、自分が住んでいるあそこには、布団というものが存在しない。あるのはシーツと毛布だけだ。そもそも、俺は布団を使って寝たことが、何回あるのだろう。家じゃ、待機部屋の隅に毛布を重ねて寝起きしてる。そういえば、いい加減、俺の部屋を作るかと正道さんが言っていた。自分の部屋を貰えたら、布団で寝ることもできるのだろうか。どう、だろう。布団を干すところ、あの家にはない。
 この先も、自分は布団と疎遠らしい。そう思うと、いっそう目の前にあるふかふかが魅力的に見えてきた。
 手を押し付けただけで、こんなに気持ち良いんだ。顔を突っ伏したら、もっと気持ち良いのではないか。両腕でぎゅっとしがみついても、良い気がする。寝転がれたら、たぶん、おそらく、きっと、―― 最高だ。
 伸ばした両腕を、ぼすん、重なった布団に乗せた。
「昼寝でもしてく?」
「え」
「きもちーよ、干したての布団で寝るの」
 咄嗟に隣を見上げる。昼寝、だと。示された誘惑に、胸の内側がパッと華やいだ。顔にも、その期待は滲み出ていたのだろう。三ツ谷はよく妹に見せる笑みを俺に向けてから、畳んだばかりの布団を部屋に広げだす。同じく、畳みたてのシーツも広げて、布団に被せた。その度に、ふわりふわりとおひさまの匂いとやらが立ち込める。
 柔らかな香りを嗅いでいると、体のあちこちから力が抜けてきた。気付くと、尻はぺたんと床についてしまう。目の前には、ふかふかの布団。ぴしっと伸ばされたシーツで覆われていても、ふっくらとした見目のまま。
「ほら、どうぞ」
 三ツ谷の手が、ぽすん、敷かれた布団の中央を叩いた。
 どうぞ、って。顔を上げても、三ツ谷はにんまりとした顔を崩さない。視界の隅では、もう一度、器用に家事をこなす手が布団を叩いていた。
 干したばかり、取り込んだばかりの布団。ここで昼寝できたら、さぞ気持ちが良かろう。でも、これは三ツ谷の布団だ。三ツ谷の家の、布団だ。なのに、俺がいちばんに使って、良いのだろうか。じわり、華やいだ胸に、迷いが浮かぶ。かといって、ふかふかの上に横たわりたい欲も、なくなってはくれない。
 ぽすん。また、三ツ谷の手が、布団を叩いた。
「ぐ」
 ちょっとだけ。ほんの、少しだけ。数秒だけ、ならば。そう言い聞かせながら、体を布団へと倒していった。
「ッわ」
 隙無く洗われたシーツに、頬が擦れる。やわらかな香りは、一呼吸で全身に行き渡った。
「なに、その声」
「だ、って、うわ、わぁ、ワ」
 ちょっとだけ。そう誓ったフレーズは、どこへやら。ごろりと寝返りを打って、今度は背中を布団に預けた。自然なぬくもりが、体の下にある。寝転がったばかりなのに冷たくないのが不思議で、ぱたぱたと腕をはためかせた。その度に、布団の柔らかさを目の当たりにする。
「やわ、ら、かい」
「うん」
「いい、におい、する」
「そうだね」
「きもちいい……」
「っふふ」
「あー、やばい、なんだこれ、すげえ、よくねむれそう」
「いいよ、ほんとに寝ても。一時間くらいかな、妹の迎え行かなきゃだし」
 気を抜いたら、瞼を閉じてしまいそう。意識して目を開けていると、布団と同じくらい柔らかな顔をした三ツ谷に見下ろされた。その体は、布団の上に乗っている。が、寝転がる様子はない。取り込んでいたバスタオルを手繰り寄せて、慣れた風に畳み始めた。
「みつやは」
「え」
「ねないの」
「コレ畳んじゃわないと」
「おわったら、ねる?」
「どうしようかな。寝過ごしちゃったら困るし」
「けーたい、めざましにできるよ」
「え、そんな機能あるの?」
「ある」
 とろとろと意識が微睡んでいくのを感じながら、ケツ側のポケットに手を伸ばす。身を捩りながら取り出して、二つ折りのソレを開いた。与えられて日は浅いが、一通りの使い方は覚えている。カコカコと操作して、きっかり一時間後になるよう設定した。これで、よし。こくんと頷いたところで、未だタオルを畳んでいる三ツ谷を見上げ直した。
「めざましできた」
「そんな簡単にできるんだ」
「うん、ねよ」
「……洗濯、畳まないと、」
「ねるよりだいじ?」
「うん、大事」
「たたんだ、ら、ねる?」
「うーん、そうだね、そのときは昼寝しようかな」
「そぉ、か、ふ、ぁあ、」
 言葉を縫うように、口から大きなあくびが零れ落ちた。たっぷりと息を吸い込むと、ほんの少しだけ頭が冴えたような気になる。気になる、だけだ。すぐに意識は鈍くなってしまう。
 三ツ谷にはまだ、することがあるのに。のうのうと、隣で寝て良いもんか。頭の中で叱咤を打って、ぎゅっと眉間に皺を寄せた。が、意識はさっぱり、覚めてくれない。それどころか、瞼だって、下がり始めた。これじゃあ、視線を持ち上げていられない。間もなく、こてんと首から力が抜け、三ツ谷の手元しか見えなくなった。
 働き者の両手は、手際よく洗濯物を畳んでいく。タオルに、小さなハンカチ、靴下、Tシャツ、パンツにズボン。洗濯を畳むのだったら、俺もできる。先月教わったから、できる。俺も、手伝うよ。そしたら、三ツ谷もすぐ、昼寝、できる、よな。きっ、と。
「ふふ、」
 えいっと体を起き上がらせたいのに、我が身はピクリとも動かない。それどころか、視界も閉じてしまった。息を吸うと、柔らかな布団の匂いと、三ツ谷のちょっぴり甘い匂いがする。
 なんだろう、すごく、落ち着く。それに、気持ちが良い。
 干したての布団って、すげえなあ。
―― おやすみ、ドラケン」
 穏やかに頭を撫でられたところで、意識は眠りに落ちていった。

 それから一時間、弱。ぱちりと目を見開くと、真っ先に相棒の寝顔が飛び込んできた。文字通り目と鼻の先にある、ソレ。あまりに近さに驚いて、ぎくりと体が震える。
 ―― その瞬間、かさりと唇同士が擦れてしまったこと、いつ三ツ谷に告白するか、今日も迷っている。