やぶんおそくに

 飲み会が、長引いた。もとい、商店街の老中たちが、なかなか解放してくれなかった。どうして年寄りってのは話が長いんだ。これって偏見? いや、同じタイミングで店を出た同僚だって「話が長ぇ」とぼやいていた。少なくとも、うちの商店街のお偉いさんたちは、話が長い。
 唯一の救いは、飲み会をした居酒屋が家から徒歩圏内にあることだろうか。どんなに遅くなったって、歩いて帰れてしまう。一つため息を吐いて、逆方向のイヌピーと別れた。
「さ、っむ」
 ぶるり、勝手に身体が震えてしまう。これでも、大分暖かくなった方だ。どんなに息を吐いたって、視界は白く濁らない。急ぐようにして、踵をコンクリートに引っかけた。カッツン、コッツン、ブーツの靴底が音を立てる。こういう歩き方をするから、踵だけすり減るのだ。実際、今履いているのだって、そろそろ買い替え時。靴屋のジンさんとこ行かねえと。今日もあの人の話は長かったが、靴を選ぶセンスは悪くない。俺のサイズでもバチッとキマる靴、いつだって見繕ってくれる。
 長話をぶった切って、近々行きますんで、くらい、言っておけば良かったろうか。
 あれこれ思考を巡らせたところで、肌寒いことに変わりはない。今日は、近道をして帰るか。見えてきた路地を、さっそく曲がった。視界には、人っ子一人映らない。普段は、治安の悪そうな連中がたむろしているのに。ちょっと身構えていたが、これなら、誰にも絡まれることなく帰れそう。内心ほくそえんでから、街灯が点滅する路地へ踏み込んだ。
「ぁッ」
「……ん?」
 ふと、耳に上ずった声が飛び込んでくる。カッツン、また踵をコンクリートに打ち付けかけて、静かに下ろした。続く一歩も、極力音が鳴らないよう、そっと地面に触れさせる。
「っぁ、ア……、ッぁン」
 その裏返った声は、確かに裏通りに響いていた。足音を潜めたせいで、よくわかる。
 嬌声が聞こえたら、物音を立てない。ヘルスで身に付けた習慣が、つい蘇ってしまった。もう、隠れる必要なないというのに。これまた静かに息を吐きつつ、なんとなく首の裏を掻いた。
 どちらか、と考えるまでもなく、隠れるべきなのは青姦に励んでいる連中の方。ああいや、今見えんのは夜空だから、青姦ではなく夜姦か? 下らないことを考えながら、そっとため息を吐いた。春の暖かさに浮かれる変質者に、よもやこんな夜更けに遭遇するとは。こんなことなら、喧嘩を売られる方がマシだった気にもなってくる。
「ったく……」
 ほら、人が通るぞ。今に見つかっちまうぞ。
 そんな念を込めながら、わざとらしく靴底をコンクリートに引っかけた。
「ぅ、ぁっ、ねぇ、ちょっと、……っぁ、あッ」
 カッツン、コッツン、路地に響く足音は、連中にも届いたらしい。喘ぎがか細くなりだした。しかし、肌を打つ音は、未だ鳴っている。それどころか、激しさを増しているように思えるのは気のせいだろうか。見つかる前に、イッちまおうって魂胆か? 情緒がねえなあ、そこは一旦止まって、音が立たないように奥を捏ねるところだろ。……自分も大概、酔いが回っている。青姦に励む連中の事を考えたって、苛々するだけだというのに。何度目かわからないため息を吐きながら、すぐそばに迫った脇道をねめつけた。
「~~ッ!」
「あ?」
 その、時だ。
 睨んだ路地から、大柄な男が飛び出してくる。ぶつかりかけて、咄嗟に身を退いた。向こうも、「あっ」と思ったらしい、一歩二歩とたたらを踏む。……そいつの顔面は、錆びれた街灯の元でもわかるくらいに、真っ赤に染まっていた。ちょっと鼻水が垂れている。ズボンはそれらしく引っかかっているものの、ベルトは外れているし、前は寛げたまま。パンツのチェックが、隙間から見えた。
 テメェか、非常識は。ギロリと睨みつければ、小さな悲鳴と共に、男は踵を返す。三歩走ったところで早速躓いたが、どうにか転ぶのだけは堪え、どたばたと逃げ去っていった。
「うん?」
 待て。なぜ、あいつは、一人なんだ。ヤッていたなら、もう一人いるはず。オナってるだけだったとでもいうのか。そんなまさか、肌がぶつかる音、聞こえたろう? もう一人、いないとおかしい。
「……、」
 嫌な、予感がする。
 これは青姦ではなく、強姦現場だったのでは。レイプの第一発見者って、何すればいいんだ。警察を呼ぶ? その前に、救急車? ギュ、眉間に皺を寄せつつ、男が飛び出してきた細い路地を、そぉっと覗き込んだ。
 ―― あ、見なきゃ良かった。
「クッソが、ヤり逃げしやがって……」
 視線の先には、ぐったりと座り込む影が見える。推定、被害者M。AでもBでもなくMだ。なんならTでもいい。
 こういう状況の事を、なんと表現するんだっけ。後悔、先に立たず? 開いた口が塞がらない? 河童の川流れ? ……最後のやつは、たぶんなんか違う。
「あーもう、最悪だ」
 悪態を吐きながら、その影は壁に手ををつく。やがて、鈍い動きで立ち上がった。下には何も纏っていない。おかげで、生まれたての小鹿のように震えているのがよくわかる。日に焼けていない、白い脚だ。その内側を、液体らしきものが伝い落ちるのまで、見えてしまう。曲線、ではなく、直線的な脚の輪郭を、その汁がなぞった。
「は?」
 ぼっとりと、口から声がまろび出る。
 もし、今が昼間で、もう少し辺りが賑わっていたのなら、この声は俺だけのもので終わったことだろう。だが、生憎今は深夜である。草木も眠る丑三つ時、には早いが、世の中の大多数は布団に入る時間帯。
 つまるところ、俺の声を妨げるものなど、どこにもなかった。ほんの一、二メートルの距離なら、ぽーんと簡単に届いてしまう。
 視界の先にいる影にも、確かに、届いたらしい。
「えッ」
 ぴくんと肩が震えた。立ち上がったばかりのそいつが、ぱっとこちらを見る。必然的に、目が合った。視線も、重なる。ぐちゃりと絡まってしまい、逸らすに逸らせなかった。
 あーもう、最悪だ。ついさっき、聞こえたのと同じセリフが、頭に浮かぶ。ほとんど同時に、ヒク、頬の片方は引き攣った。
「う、っそ、ドラケ……、え?」
「うん、どーも」
「こ、ん、ばんは」
「ああ、そうだね。コンバンハ」
「わー、はは。アハハ、偶然だね、はは、」
 視線の先にいるそいつは、下肢を晒したまま乾いた笑い声を落とす。その度に、ふるふると体が揺れ、やがてパーカーが肩からずれ落ちる。下に着ているのは、だぼついたタンクトップのみ。春先の寒々しい空気の下に、生身の腕が晒された。
「……とりあえず、一個、確認いい?」
「ッス」
「強姦?」
「……ううん、合意の上」
「あ、そお」
「~~ッさいあく!」
 ついに、男は声を荒げる。合わせて、震えていた脚ががくんと折れた。叫んだ衝撃で、力が抜けたらしい。重力に逆らうことなく、その肢体は再び地面へ沈んでいく。
 どう見ても、何度見なおしても、瞬きをしてみても、―― へたり込んだのは、俺の良く知る三ツ谷隆という男だった。
「あのさあ、ンにしてんだよ、こんなとこで」
「……まあ、チョット」
「なにがちょっとだ、思いっきりヤッてたじゃねえか」
「ヴッ」
「外でしてんじゃねーよ、せめてホテル行けホテル」
「ぐぅっ」
 小言を吐きつけながら、足は地面に崩れた三ツ谷の方に向かっていく。大股だったのもあり、たったの四歩で真横に辿り着いてしまった。
 恨めしそうに俺を見上げる顔は、じんわりと火照っている。事後の倦怠感と、知り合いに見られた羞恥とが混じり合って、綺麗な頬紅になっていた。
 せめて、取り残されたのが、顔見知り程度の男だったら、知らんぷりもできたのに。三ツ谷となっちゃ、そうもいかない。何で男とヤッてるんだ。よりにもよって、外でヤる男を選ぶとは、どういう了見だ。下手すりゃ、公然猥褻で取っ捕まるぞ。
 次々と込み上げてくる説教を、ひとまずゴクンと呑み込んだ。その代わりに、蹲ったままの三ツ谷に、そっと手を差し伸べる。
「ん」
「え、なに」
「冷えるだろ、ンな格好で座ってたら。一旦立って、ちゃんと服着ろ」
「ァ、うん、ごめん、」
 ぶっきらぼうに小言を付け足すと、そいつの右手がおずおずと俺のソレに重なった。ちょん、指の、ほんの先っぽが、手の平に触れる。三つ数えるうちに、汗ばんだ五指はきゅうと俺の手に絡んだ。寒々しい姿の癖に、指先はやけに温かい。カッカと火照っているくらい。嫌でも、事後を意識させられた。
 本当に、どうして外でヤろうと思ったんだ。それも、見つかりそうになって、慌てて逃げだす男を相手にするなんて。見る目がないにもほどがある。外でしようと決めたのなら、相手と場所、あと時間を選べ。なに、選ぶどころじゃないぐらいに盛っていたって? 理性総動員しろよ、お前は得意だろ、そういう頭使うことも。
 溢れ返りそうな苛立ちに任せて、思いっきり三ツ谷の腕を引っ張った。
「うわッ!」
「あ?」
 脱力した体は、俺の力に従ってグッと浮く。そのまま、立ってくれれば良かったのだが、如何せん勢いがつきすぎた。薄着の胴体が、こちらに迫ってくる。……すぐに、三ツ谷の体は、俺の胸元にぶつかった。剥き出しの脚は、その場で縺れている。あ、支えてやらねえと、またすぐにへたり込んじまう。よろめいたキャストに手を貸すときのように、腕を三ツ谷の腰に回した。
 人差し指が、タンクトップの裾に触れる。しかし、中指の半分と、薬指は、汗ばんだ素肌を擦ってしまった。かろうじて腰回りにある肉に、じ、わり、指の腹が沈んでいく。
「ンぁ……ッ」
 路地は、艶めかしい声を取り戻した。
 腰を支えた手ばかりの手が、ぎくりと強張る。反射的に三ツ谷を見下ろせば、向こうも首を後ろに倒して俺を見上げていた。その口は、ぽっかりと間抜けに開いている。粘膜の赤色が、やけに目に焼き付いた。それから、いっそう赤みを増した、頬と、耳も、脳みそに刻み込まれてしまう。
「……なにいまの」
「だ、だって、イッたばっかだ、から、」
「つったって、ちょっと擦っただけだろ」
「ぅあ」
 今にも崩れそうな三ツ谷に、もう片方の腕も回す。抱えるようにして引き寄せれば、腕の中に収まった体はびくびくと震えた。ちょっと及び腰になっているからか、服の裾から臀部が覗く。胴体と同じように、平坦なソコはひく、ひくんと引き攣っていた。妄りがましく揺れているようにも見える。
 最悪、と言っていたわりに、この体はちゃっかり気持ちよくなれたらしい。
 へえ。ふぅん。そお。
「三ツ谷ってさあ」
「ぁ、ッうん……?」
「いつも、こんなことシてんの」
 わざと、打ち震える耳元に唇を寄せた。吐息過多に囁くと、三ツ谷の口から悩まし気なため息が零れた。
 下肢は今も剥き出しのまま。触れている腕だって、冷えてきた。こんな禅問答なんかしてないで、服を着せてやらないと。……わかっていても、両腕はガッチリと三ツ谷の腰を捉えて離さない。
「なあ?」
「ッん、ぁ……、ちが、むしゃくしゃ、したッ、から、ァ」
「ふ、むしゃくしゃした時は青姦してるんだ」
「普段はッ、しない、ちゃんとホテルまで、がまんしてる……」
「でも、今日は我慢できなかった、と」
「う」
 どうも口調が意地悪くなってしまう。こいつは無体を働かれたばかり。労わってやるのが、きっと正しい。しかし、快感の名残で体を引きつらせる様を目の当たりにしていると、理性的にはいられなかった。酒を飲んできたせいもあるのかもしれない。脳みその中が、暴力的な欲で満ちていく。
 正直、この体を、暴きたくて、仕方がない。
「そんなにいい男だったか、さっきの」
「だ、って、おっきかった、から」
「大きいって、アレが?」
「はぃ……」
 ゆるゆると仙骨の辺りを撫でてやると、三ツ谷の吐息に熱が籠った。目の錯覚だろうか、すぐそばの空気が白く淀んで見える。俺のことを見上げる瞳も、うっとりと蕩けだした。言葉にされなくたって「抱かれたい」って顔をしているとわかってしまう。俺はこの体を抱きたいし、三ツ谷は抱かれたい。需要と供給の一致ってやつだろ、もう。言いくるめて近場のホテルに引きずり込んでしまおうか。いや、わざわざラブホに行くより、俺の家に行った方が早い。
 酔いが回った頭は、すっかりその気になってしまった。あとは三ツ谷をウンと頷かせるだけ。未だ打ち震えている腰を、今度はまあるく撫でてやった。
「っはぁ、ン」
「……実際どうだったん。おなかいっぱいに、してもらえた?」
 どうせなら下腹を撫でてやりたい。けれど、ぎゅっと抱き込む力を緩めたくもなかった。いっそ、ぴったりと抱き寄せてしまえば良いのか。今も、三ツ谷が服を着ている範囲はくっついているが、もっと、しっかり、密着してしまえば、良い。そうしよう。
 汚れることなど気にも留めず、剥き出しの尻を引き寄せた。
「ちょっと、足りなかっ、た……」
 膨れたそれが、じわりと擦れる。今が夏場で、こっちも薄着だったら、濡れる感触もしたのかもしれない。
「じゃあ、サ」
 三ツ谷の瞳に残っている理性は、風前の灯火だ。一つ二つと穿ってしまえば、呆気なく消し飛んでしまうことだろう。早く屈してしまえ。
 にんまりと笑みを深めながら、グ、こちらの中心も押し付けた。
「これだとどお、足りそう?」
 はくん。傍にある唇が空気を食む。ぴたりと閉じたそこは、間もなく期待を飲み下した。ごくり、静かな路地に、喉の鳴る音が響く。
―― たり、そお」
 再び開いた唇は、胸焼けしそうなくらいに甘ったるかった。
「そりゃあいいや」
「~~ッあ、うそ、待って違う、今のやっぱナシ」
「違うってなんだよ、これじゃあ足りないって?」
「そうじゃなくッ! ……ドラケンは、そういうんじゃ、ないッ、から」
 決まりと言わんばかりに腰を叩くと、三ツ谷はハッと我を取り戻す。
 チ、もうちょっとだったのに。というか、俺とはそういうんじゃない、ってなんだよ。どこの馬の骨ともわからない奴とだってできたんだ、俺とできないワケ、ないだろ。噛みつきたくなる気持ちを抑えて、ぐるりと首を回した。ついでに辺りを見渡して、三ツ谷が脱ぎ捨てたと思われるデニムに目を付ける。アレ、穿かせて、落ちてるパーカーを羽織らせて、もう一度その気にさせれば俺の勝ち。わかった。
「俺は三ツ谷とだったら、イイけどな」
 手始めに、つま先でパーカーを掬い上げる。足癖が悪いのは三ツ谷の方だけれど、俺だって上品に生きてきたわけじゃない。ひょいと摘んで、剥き出しの肩に羽織らせた。腕を通すまでは、まあしなくてもいいことにしよう。
「絶対に無理って言うんなら、まあ諦めるけど」
 次はデニム。三ツ谷の腰骨の辺りを努めて淡々と叩いてから、そっと腕を離した。震えてはいるものの、すぐに崩れる様子はない。よし、小さく頷きつつ、投げ出されていた布地を拾い上げた。土埃を払って、穿きやすいように広げてやりながら、三ツ谷のすぐそばにしゃがみ込む。
「ほんとに、ナシでいいの?」
 あ、この角度、絶景だワ。
 透明な雫を垂らす切っ先に、ふ、細くて速い吐息をかけてやった。
「よ、」
 よ? まろび出た声に首を傾げると、三ツ谷の足が、右、左とズボンの布地を踏みつける。踏まれたんじゃ、穿かせらんねえんだけど。胡乱を視線に込めると、―― なぜか三ツ谷は、ぺちょりとしゃがみ込んだ。
「よろひく、おぇがいしましゅ……♡」
 語尾にハートがついて聞こえたのは、気のせいだろうか。
 ふむ、一つ頷いて、ろくに服を着る気のない体を布地ごと抱き上げた。