タカシのはつゆめ

「好きだ」
 突然聞こえてきた言葉に、足を止めた。何、改まって。罰ゲームか何か、言いつけられたの。ドッと焦り始める心臓を無視して、なんでもないふうに振り返った。
「本当に、好きなんだ」
 声の主は、思った以上に近いところにいる。腕を伸ばせば届く距離、よりも、近い。身長差もあって、しっかりと後ろに首を倒さないと目が合わないくらいだ。まさかの近さに、言おうとした言葉は飲み込んでしまった。
「あいしてる」
 そうこうしているうちに、腰に腕を添えられる。
 必然的に、体の前面は隙間なくくっついた。白地のトレーナーに、顎が触れる。風が吹くのに合わせて、いつものカーディガンの袖がはたはたと揺れた。
 あれ、どうしてこの男は、カーディガンしか羽織っていないのだろう。筋肉質なわりに、ドラケンは寒がりだ。冬場になると、キレイめな見た目でありながら機能性も高いコートを必ず着ているし、ネックウォーマーをつけることだって多い。なのに、今日のドラケンは薄着だった。
 絶対に寒いだろ。だからオレを湯たんぽにしようと抱き寄せたのか? どうだろう、確かにドラケンの鼻先は赤くなっている。頬だって、そう。けれど、寒さによる赤色には、思えなかった。
 怪訝に見やると、切れ長の瞳と視線が合う。鋭いはずのソコは、なぜか甘く蕩けた。
「ぎゅってしたいし」
 やがて、もう一方の腕も、背に回る。
 ぽつりと呟いたあと、ドラケンはオレの肩に顔を埋めた。擦り寄る動きに合わせて、首筋に前髪が擦れる。……触れているのは、毛先だけじゃない。ちゅ、むちゅ、吸い付くような熱も、首の薄い皮膚にもたらされた。
「へ」
 おい、ばか、こんな人前で何をしているんだ。ぎゅうぎゅうにくっついてくるドラケンを引き剥がそうと胸に手をつくが、大きな体はびくともしない。それどころか、こちらにかかる体重が増していく。重たい。このままじゃ、立っていられない。
 混乱を極めているうちに、我が身は後ろへと傾いていった。
「ぎゅうって、されたい」
 もすん。体が、ふかふかの布団に、包まれる。
 え、布団?
 いつの間にか閉じていた瞼を持ち上げると、見覚えのある天井が視界に入った。この板、あの染み、そのくすみ。全部、知っている。去年からアトリエ用に借りているアパートだ。ここ三か月は、課題に追われているのもあって、このアトリエで寝起きしている。昨日だって、成人式用に仕立てたスーツの最終調整で泊まり込んだくらい。
 おかしい。さっきまで神社にいたはずだ。それに、アトリエにこんなふかふかの布団、あったろうか。あった気もするし、なかった気もする。あれ、どっちだったっけ?
「それにね」
 押し寄せてくる疑問が、たちまち霧散する。
 耳元に、熱が集まった。ちょっと掠れた、ドラケンの声が響いたせいだ。たった四文字の音に、すべての意識が引き寄せられる。
 口を半開きにしたまま固まっていると、乗っかっていた体重がのっそりと遠ざかった。上体を、浮かせたらしい。距離ができた分、男の顔がよく見える。切れ長の目が、きゅう、細められた。よく大口を開けて笑う唇は、にんまりと弧を描く。
 ドラケンって、こんな笑い方をするヤツだったっけ。どうだろう、イタズラを思いついた時にニヤリと悪い顔をするのは知っている。今浮かべている顔は、それに似ている。けれど、あくまで似ている、だ。あっちはガキっぽいのに、こっちはやけに大人びて見える。ええと、そうだな、具体的に言うと、こいつの生家で働くお姉さんたちが、客を誘い込むときの、笑み。
 突然匂い立った官能に、頭が揺れた。顔の真ん中に、血が集まってくる。なんだか、鼻血が出てきそう。思ったそばから、鼻の下がたらりと濡れた。
 ふ、曲線を作った唇から吐息が漏れる。ほとんど同時に、ドラケンの手が伸びてきた。
「ン」
 荒れた指先が、肌を、擦る。鼻の下ではない、口の端だ。親指の腹は、薄皮一枚だけに触れるようにして、下唇へと移動していった。何の変哲もない、男の唇である。人並みのスキンケアこそしているが、とりたてて保湿をしているわけではない。擦れるたびに、ささくれ立った薄皮の感触がした。気持ち良いものではない。面白みだって、ない。
 なのに、ドラケンの目は、愉快と言わんばかりに熱を持つ。
「キスだって、したい」
 低い声が、甘く蕩けた。
 蠱惑的な笑みが、迫ってくる。咄嗟に目を瞑ると、指で擦られたソコを塞がれた。弾力が、押し寄せてくる。見た目以上に、そいつの唇は柔らかかった。それに、熱い。指で撫でられている時は、熱いとも冷たいとも思わなかったのに、唇はやたらと熱を持っていた。おかげで、こっちの顔までカッカと火照り出す。熱すぎて、頭がクラクラしてきた。
 いや、これは呼吸を止めているせいだろうか。息、息をしない、と。
 鼻をヒクンと震わすと、重なっていた唇がもったりと離れていった。
「三ツ谷が、許してくれるんなら」
 色を孕んだ声を出しながら、ドラケンは思わせぶりに舌なめずりをする。薄く唾液を纏ったソコは、淫靡な艶を放った。
 見ているだけで、背筋に不埒な痺れが走る。つい、太腿を擦り合わせてしまった。
「その先、だって、」
 目敏く気付いたのか、ドラケンの手がオレの足を捕まえる。流暢な手付きで、剥き出しの右脚が担がれた。
 あれ、服が、ない。咄嗟に自分の体を見下ろすと、下着すらも身につけていなかった。……それは、ドラケンも、同じ。ふかふかの布団の上で、文字通り肌を重ねている。
「ん」
 ドラケンの声が、意味深に掠れた。
「っふ、」
 吐き出される音は、艶っぽい情欲を含んでいる。
「っく、はぁ、あ」
 体を揺さぶられるのに合わせて、息が乱れていった。絶頂が近いのかもしれない。
 悩ましげに眉を寄せたドラケンは、ついにオレのナカで果てた。

「は?」
 ぎくりと体が強張った。そのくせ、口からは、はっ、はっ、と荒れた息が漏れる。この板、あの染み、そのくすみ。これでもかと見開いた両目は、確かにアトリエの天井を捉えていた。
 まずは息を整えようと、大きく空気を吸い込む。暖房をケチった室内は、目を覚ますには都合が良いくらいに冷えていた。深呼吸を二、三度しさえすれば、すっかり意識は覚醒する。
「夢、か、夢……、いやそりゃそうだろ」
 理解が追い付くと、ほのかな安堵が訪れる。寝袋を広げただけの硬い寝床の上で、ぐっと背を伸ばした。肩も、背中も、みしみしと悲鳴を上げる。夢の中の布団は、ふかふかだったな。アトリエにも、ちゃんとした布団を用意しようか。でも、そうしたら家に帰らなくなってしまいそう。それも、なんだかな。
 指先にまで血を巡らせたところで、体を起こした。ブランケットの下にある足は、ひとまず胡坐を掻かせる。
「……」
 何の気なしに、掛けてあるスーツを眺めた。一つは、自分用。もう一つは、夢で見た、あの男に頼まれて仕立てたもの。試着は、先月にもう済んでいる。ぴたっとしているのに動かしやすい、と腕をぐるぐる回していたっけ。あいつの体格の良さを生かした、色っぽいシルエットになったと思う。
「えっろかったなあ」
 それはそれとして、肌を惜しげなく晒すあいつには、壮絶な色気があった。
 いや、あれは夢だ。オレの妄想の産物である。第一、あの体が脱いで色気がないわけがない。ドラケン、めちゃくちゃいいカラダしてるもん。採寸しているときだって、惚れ惚れしてしまったくらい。
 あの逞しい体に組み敷かれて、さらに暴かれたら、自分はどうなってしまうのだろう。
「いや、いやいやいや、」
 落ち着け、オレは何を考えているんだ。ドラケンに抱かれるだって? ないだろ、そんなの。絶対に、ない。
 でも、興味がないかと聞かれると、―― 嘘になる。
「ってか、今日、あいつ来る日、だよな」
 もう一度首を振って、不埒な思考を払いのける。どことなく下腹が重い気もするが、自身は反応していない。していない、よな。念のためブランケットの中に手を突っ込んだ。……ウン、大丈夫。立っては、いない。
 ひとまず、準備をしなくては。仮の寝床を片付けるべく、立ち上がる。
「……うぅ、どんな顔すりゃいいんだよ、クソ」
 頭にこびりついた夢の景色に気を取られつつ、寝床に使った布達を拾い上げた。

 オレと同じか、それ以上に落ち着きのなかったドラケンと、うっかり一線を越えたのは、また別の話。