ケンのはつゆめ

「好きだ」
 聞こえてきた言葉に、足が止まる。ぐるん、勢いよく振り返ると、すぐに声の主と目が合った。長い睫毛が、すっかり上を向いている。とろんと垂れた眦は、普段よりも甘く潤んでいた。頬が、上気して見えるのだって、気のせいじゃない。
 罰ゲームか何かか?
 ハッと辺りを見渡してみるが、神社に人気はない。自分と三ツ谷、その二人しか見当たらなかった。
「本当に、好きなんだ」
 そうこうしているうちに、きゅ、胸元に熱が寄る。
 慌ただしく視線を戻せば、蕩けた顔をした三ツ谷が、縋りついてきたところだった。胸元を握り込む指先は赤い。この真冬に、カーディガンしか羽織っていないのだ、いくら暑がりの三ツ谷でも寒かろう。
 待て、どうして、それしか着ていないんだ? 確か年末に会った時、コートを新調した・年明けから着ようかなと言っていたはず。違和感が、胸の中で蜷局を撒く。
 やがて、ぺたり。三ツ谷が頬を寄せてきた。甘さを孕んだ所作に、浮かんでいた疑問を飲み込んでしまう。ぴったりくっついてくるのは、寒い、から、だろうか。いや、どうだろう。うっとりとした顔付きを見るに、別の理由があるように思えてくる。体の前面には三ツ谷の上体が寄り添っているし、太腿の辺りにも熱が触れていた。足も、絡んでいるらしい。
「あいしてる」
「ッ!」
 三ツ谷の頭は、胸元にある。にもかかわらず、耳のすぐ横から掠れた声が聞こえた。濡れた吐息まで耳介にかかる。奇妙な響きは、脳髄にまで染み渡った。
 そういえば、初めて酔っ払ったとき、こんな浮遊感を味わったっけ。ということは、オレは今、酔っ払っているのだろうか。……まさか、寝る前に酒を飲んだ覚えはない。
 寝る、前?
「ぎゅってしたいし」
 更なる違和感に意識を向けかけると、三ツ谷の腕が背中に回った。抱き着かれた。あの三ツ谷に、抱き着かれた、だと。
 不可思議を追求する気力は瞬く間に削がれてしまった。ゆっくりと三ツ谷の体重がこちらにかかる。それに合わせて、オレの体も傾きだした。
 後ろによろめくと、足が柔らかい何かに持っていかれる。泥とか、沼とか、綿とか、そういう、何かだ。これじゃあ、踏ん張れない。転んでしまう。後ろに倒れて、しまう。
 衝撃に備え、ギッと目を瞑りながら、三ツ谷の体を抱き込んだ。
「ぎゅうって、されたい」
 ぼふん、背中が、布団に包まれる。
 なぜ、布団?
 そぉっと瞼を持ち上げると、見慣れた天井が視界に入った。とはいえ、ここ二年程は拝んでいない天井だ。ファッションヘルスの、プレイルームの、あの天井。働き始めてからは、オレの部屋はプレイルームから倉庫に移っている。なんなら、成人を機に、一人暮らしを始めたところ。どうして、自分は、この部屋のベッドの上にいるんだ。第一、ここのベッドはもっと硬いはず。どうしてこんなに、ふわふわと柔らかいのだ。いや、そもそも、自分達は神社にいたはずだ。
 混乱するオレを余所に、三ツ谷がのっそりと上体を浮かせる。その顔には、相変わらず火照った笑みが乗っていた。一抹の恥じらいを携えながら、三ツ谷はこちらに両手を伸ばしてくる。三秒数えるうちに、赤く色づいた指先が頬に触れた。カーディガンから顔を出したそれらは、柔らかな手付きで俺の顔を包み込む。
「それにね」
 三ツ谷の唇が、とろとろと動く。その度に、濡れた赤色が垣間見えた。官能的な色気が匂い立つ。三ツ谷、って、こんなに色っぽい所作をするヤツだったっけ。いや、違う。猥談に巻き込まれたときのこいつは、大抵「ふーん」と涼し気な顔して躱すか、現実的過ぎる発言で野郎の夢をぶち壊してみせる方。だから、今浮かべているみたいな、艶やかな表情を、オレは知らない。
 こくん、口の中に溜まった唾を呑み込んだ。その間も、三ツ谷の口元から目を離せない。艶めかしさすらある赤色に、見入ってしまった。やがて、ドクン、心臓が跳ねる。頭には、血が集まってきた。
「キスだって、したい」
 甘い声がしたかと思うと、ふっくらとした感触が唇に降ってきた。ふに、むに、ぐにり。表面に熱が押し当てられる。何度か繰り返しているうちに、唇の角度が変わった。かぷり、甘く啄まれる。こっちの下唇を、やんわりと食まれた。濡れた熱感に、ぎくり、肩が震える。ハッ、動揺に煽られて、息を吸い込んだ。……たちまち、ねっとりと舌が割り入ってくる。然程長くはないソレが、オレの口内を丁寧に舐る。惹かれるまま、舌を、絡めた。苛烈なまぐわいではない。なのに、くちゅ、ぴちゃ、水音が響き渡った。
「ドラケンが、許してくれるん、なら、」
 たっぷりと体温を分け合ったところで、名残惜しそうに三ツ谷は顔を浮かせた。薄く唾液を纏ったソコは、ぽってりと腫れている。赤く熟れた色味を、まじまじと見るべきではない。だって、劣情を掻き毟られてしまう。
「その先、だって、」
 馬乗りになっている腰が、妄りにくねった。
 あれ、カーディガンが、ない。気付くと、三ツ谷の腕は剥き出しになっていた。それどころか、肩も、胸も、腹までも、剥き出しになっている。下腹の上で揺れるソコだって、何も纏ってはいなかった。
「あ」
 三ツ谷の声が、裏返る。
「あン」
 掠れたような悲鳴が、鼓膜に届いた。
「ッぁ、あ、アっ」
 嬌声と言うにふさわしいソレは、徐々に間隔を短くしていく。
 そして、一糸纏わぬ姿をした三ツ谷は、絶頂に合わせて仰け反った。

「は?」
 がくん、と、体が揺れた。口から零れる息は、やたらと荒い。カッ開いた両目は、正しく見慣れた、―― 安アパートの天井を映していた。
 静かな室内に、自分の呼吸音が響く。筋を軋ませながら、右、それから左と、部屋を確かめた。間違いなく、自分の、家だ。一人暮らしを始めて半年そこそこの、我が家。ヘルスのプレイルームでもなければ、神社の境内でも、ない。
「ゆめ、」
 これまで見ていた光景は、夢だったらしい。理解が追い付くと、どっと体の力が抜けた。寝そべったま顔を擦り、その勢いで髪を後ろに掻き上げる。
 道理で不可思議なことが続くわけだ。神社にいたかと思えばプレイルーム移動したし、プレイルームにはあり得ないほど柔らかなベッドがあった。その上、あの三ツ谷とセックスしてしまうなんて、あるはずがない。
「……」
 無機質な天井を、ぼぉっと、眺めた。
 それから、ぱたん、目を閉じる。なんとなく頭を抱えたまま、深呼吸。ゆっくり、たっぷりと、冬の冷たい空気を取り込んだ。これでもかというくらいまで肺を膨らましたら、細く、長く、吐き出していく。
 瞼の裏には、肢体を火照らす痴態が、浮かんだ。
「え、ろかった、な」
 そう、エロかった。
 胸は膨らんでもいないし、腰は括れてもいない。擦れていたアソコだって、柔らかくはなかったと、思う。なのに、驚くほどに、エロかった。卑猥に、見えた。
 自分は、男の体でも興奮できる質だったのだろうか。いや、どちらかというとアレは、あの男だったから煽られたのだと――
「ッ!」
 慌ただしく、布団を捲った。右手は、ずぼりとスエットのゴムを潜らせる。下着越しに触れたソコは、湿ってはいないものの、放置できないくらいに膨れあがっていた。
 この歳で夢精しなかったのは幸い。だが、無二の親友の痴態を妄想してこんな様になるのは、いかがなものか。
 ひとまず、処理をしなくては。罪悪感に打ちひしがれるのは、ブツをどうにかしてからにしよう。利き手で自身をまさぐりながら、貼り替えて間もないカレンダーをちらりと見やった。
「あー……」
 来る成人式のスーツを、あいつに仕立ててもらった。素人にオーダーメイドするって正気かよ。そう笑いながらも、あいつは快く引き受けてくれた。……そのスーツを取りに行く約束をしていたのは、いつだったか。
 ―― まさに今日、である。
「は、はは、どんな顔して会えってんだよ」
 頭を抱えたい衝動に駆られつつ、夢に見た三ツ谷をオカズに自身を慰めた。

 オレと同じか、それ以上に挙動不審だった三ツ谷と、うっかり一線を越えたのは、また別の話。