さいまつおみや
冬になると、あいつはいつもウチにやってくる。
コタツを求めて、やってくる。
けれど、流石に大晦日に現れたことは、これまでなかった。
「あ」
コンロの火を止めると同時に、歪な呼び鈴が響いた。今日はちゃんと鳴る日らしい。機嫌の悪い日は、二回、三回と押しても鈴が鳴らないこともあるというのに。
おかげで八戒は、すっかり呼び鈴を使わなくなってしまった。いつだって、大声でオレの名前を呼ぶ。
……ということは、今日の客は八戒じゃない。一体誰だろう、こんな年末に。持っていた揚げ箸を置いて、台所から廊下に顔を出した。
「ア」
視線の先には、ルナの後ろ姿が見える。ちょうどチェーンを開けるところだった。ああもう、誰が来たか、ちゃんと確かめてから開けろって言ってるのに。
指先をエプロンで拭いつつ、足を急がせた。こんな時間の客だ、変質者だったら困る。「ストップ」と声を掛けようと、口を開いた。
しかし、それより早く、玄関扉が開いてしまう。凍えるような空気が入り込み、足首にぞわりと鳥肌が立った。扉の向こうに見えた影が、やけに大柄だったせいも、あるかもしれない。
ゲ、マジで変質者? だったら、ヤバい―― 。
「―― ッケンタッキーだ!」
「けんたっきー!?」
焦ると同時に、妹の華やいだ声が響いた。踏み出した足も、ぴたりと止まる。ぽかんと口を開けているうちに、居間からもう一人も飛び出してきた。
視界では、ルナが腕を伸ばし、なにやらビニールを受け取っている。一体なんだろう、大きい。ルナの腕の中を、いっぱいにするだけの大きさだ。
「っさむ、」
大人一人が立っているとはいえ、扉は開け放たれたまま。寒々しい風が室内に吹き込み、……なぜかジャンクな香りまで運んできた。
「そんなに楽しみだったん?」
「だってお重だよ、お重、バーレルだって食べたことないのに!」
「ケンタッキー、ケンタッキーだあ!」
きゃらきゃら笑うマナの向こうからは、聞き馴染んだ声が聞こえる。ぱち、ぱち、瞬きをしているうちに、大きな影は我が家の敷居を跨いだ。ほんの少し、屈むようにして入ってくる。さらり、きらり、灯りに照らされて、肩ほどの金髪が輝くように揺れた。
「ありがとう、ドラケン君!」
「どーいたしまして」
穏やかな顔をして、そいつはルナの頭を撫でる。今のところ、妹に反抗期はやってきていない。だからか、照れくさそうにしながらそれを受け止めていた。すぐに、周りで飛び跳ねていたマナも、撫でろと言わんばかりにその男に引っ付き出す。大きな右手が一旦宙に浮き、やっぱり和やかに、マナの小さな頭をぽんぽんと撫でた。
オマエら、いつの間にそんなに仲良くなったの? 見せつけられた仲睦まじさに、先程とは異なる焦りが心を過る。
「どら、けん……?」
溢れた声は、思った以上に掠れてしまった。高い声で笑うマナにかき消されてしまう程の声量。
にもかかわらず、示し合わせたかのように、男が顔は上げた。切れ長の目と、確かに視線が重なる。
「よぉ」
たちまち、そいつの目元が、とろりと緩んだ。
「え、どういう、……え?」
「あれ、ルナちゃんから聞いてねえの」
「なにも……」
そっと二人を避けて、ドラケンは玄関に腰を下ろす。狭い空間で身を屈めながら、ブーツの紐を解き出した。寒かったのだろうか、トレードマークの刺青は髪で隠れている。肩のあたりで、毛先がちょろんと跳ねていた。早速、マナの手が伸びる。手が届くのが嬉しいらしい、上機嫌にマナは毛先で遊び始めた。手が塞がっていなかったら、ルナも三つ編みをしていたかもしれない。
そう、ルナの両手は、埋まっている。揚げた肉の匂いがする箱を、嬉しそうに抱えていた。ビニール袋越しには、紅白が透けて見える。
お重。確か、そう言っていた。
ケンタの、お重と、言っていた。
「おい、ルナ」
「わっ、怒った、逃げるよマナ」
「わあっ! お兄ちゃん怒った!」
思いの外、低い声が出る。それに肩を揺らした二人は、慌ただしく居間へと駆けていった。
追いかけようか。つま先が僅かに居間を向く。けれど、客人を置いていくわけにもいかない。足を踏み出すのは堪えて、まだ座っているドラケンに目を向けた。
後ろ髪に、歪な三つ編みが残っている。普段の結い上げられたものより、ずっと緩くふんわりとしたソレ。
つい、手が、伸びてしまった。天ぷらの香りの付いた指先が、金糸に絡む。一撫ですれば、雑な編み込みは容易く解れた。
「ごめん、あいつらになんか、言われた?」
「んー、この間、クリスマスにさ、ルナちゃんと偶然会って」
「クリスマス?」
「そ。で、ケンタッキー食べたことない・食べてみたい、って言ってたから」
「……買ってきてくれたの?」
「ほんとはクリスマスバーレルが食いたかったんだろうなあっては思ったんだけど、……喜んでもらえて良かったワ」
ニッと笑う横顔は、なんだか兄貴染みている。まるで、本当の兄妹みたいだ。……本当のお兄ちゃんは、ぽんとケンタッキーを買ってくることはない。この間のクリスマスは、一般的な唐揚げとスーパーのケーキで乗り切った。それを思うと、従兄弟のお兄ちゃんくらいがもっともらしい距離感かもしれない。サトシ君、元気かな。譲ってもらったインパルスは、今も現役だよ。
「ルナのやつ……」
しゃがんだまま項垂れると、勝手にため息までこぼれ落ちてきた。甘える先をよくわかっている。ドラケン、優しいもんな。美味しそうって言ったコンビニスイーツ、絶対お土産に持ってきてくれるもんな。
でも、このレベルの食い物を強請るなら、前もって言ってほしかった。気合入れて天ぷら揚げたのに、揚げ損じゃん。
「ふ、お兄ちゃんお疲れ?」
「別にそういうわけじゃ、」
「んん、じゃあ、晩飯もう作っちまった、とか」
「……まあ、はい」
「悪い、オレも言えば良かったな」
「や、ドラケンは悪くないよ。むしろ、飯でごねられずに済むからありがたいくらい……」
しおらしい声にパッと顔上げると、柔らかい目つきに絡め取られた。じゅわりと甘さが滲んでいて、もたれかかりたくなってしまう。壁を挟んだすぐそこに、妹がいるというのに。情けないところを、あいつらに見せたくはない。例え、ルナにはオレとドラケンの関係のこと、とっくに勘付かれているとしても、だ。
むずつくままに唇を波打たせてから、ぷるりと首を振った。引っ付くのも、甘えるのも、後。今は、我慢。
「てか、お金」
「いーってこれくらい」
「ダメだろ、金の切れ目が何とやらだって」
「オレ社会人、オマエ学生。だからいいの。それよりコタツ、今年も出してる?」
「出してる……、あッおい!」
仕切り直した途端、ドラケンは立ち上がった。脱いだブーツをちゃんと揃えてから、ひたひたと廊下を進み出す。
咄嗟に、男のコートの裾を掴んだ。くんっと布が突っ張り、ドラケンが肩越しに振り返ってくれる。身長一八五センチというまあ高いところから、穏やかな視線が降って来た。柔い瞳に、「なぁに」と書いてある。相変わらずの甘さに、口先から「なんでもない」と飛び出てしまいそう。なんでもなくなんか、ない。ないったら、ない。
「ねえ、ほんとに、おかね、いくらだった?」
「いいってば」
「でも」
よろりと立ち上がり、今度はドラケンの二の腕を掴んだ。金の話を大声でしたくない。声のトーンを落として、その代わりにグッと顔を寄せた。ついでに眉間に皺を作って、キッと睨んでみる。どんなに仲が良くたって、金のことはきっちりしとかないと。
三秒ばかり睨むと、向こうが一つ息を吐いた。顔が近い分、その吐息が唇を掠める。伝わってくるほのかな熱に、意識を引っ張られた。視線は、つい、男の唇に向いてしまう。
存外厚みのあるソコが、思わせぶりに開いた。
「三ツ谷、」
「ぁ」
三文字分だけ、口が動く。微かな隙間から、中の赤がうっすら覗いた。
「あんまりしつこいと、ちゅーしちゃうよ?」
「むっ」
魅入った隙を、見逃しては、貰えない。ふわり、唇が沈んだ。外を歩いてきたからか、なんだか冷たい。ああ、でも、すぐにこっちの熱が移り始めた。ふに、むに、何度か押し当てられているうちに、体温の境目があやふやになっていく。
二の腕を掴んでいたはずの手が、ぼたり、体の横に落ちた。たちまち、男の腕が腰に回る。当然のように、抱き寄せられた。
「っぁ、もぉ、なに、ごまかすなよ……」
「はは、もっとして欲しいって?」
「言ってな、ぁ、ム」
息継ぎのタイミングで悪態を吐こうにも、ドラケンが悪びれる様子はない。それどころか、再び口付けられてしまった。
さっきは触れるだけだったけれど、今度は舌まで入り込む。抵抗する間もなく、ねっとりと絡めとられてしまった。わざとらしい水音が立たないのが唯一の救いだろうか。ゆっくり、じんわり、それでいてたっぷりと、口内を犯された。
頭が、くらくらしてきた。酸素が回らなくなってきたのかもしれない。腰を抱いてもらっていなかったら、体も崩れていたことだろう。なんなら、今既に、男に体を預けてしまっている。
与えられるキスが、気持ち良い。心地、良い。このまま、耽って、蕩けさせられた、い。
「―― ねえ、はやくいただきますしよ!」
「っァ、」
「あ」
ちゅっ、と、リップ音が立つ。離れた互いの唇を、つぅと糸が繋いだ。とはいえ、束の間のことだ。一呼吸するうちに途切れ、とぷんとこちらの下唇に落ちてくる。
廊下に、二人分の呼吸が響いた。いや、響くと言うほど仰々しい音量はしていない。体を寄せ合っているから、よく聞こえる、と言うだけのこと。ついでに、重なっている胸からは、平常より早い心音が聞こえてきた。
う、あ、くそ、廊下で、なにをやっているんだ、オレは。
ぎ、ぎぎ、首を捻る。廊下と居間を隔てる戸口に目を向けた。そこに、妹の姿はない。畳の上を歩いている気配もなかった。おそらく、座ったまま声をあげたのだろう。見られては、いない、はず。
妹に、情けないところを見られたくない。そう思ったばかりだというのに、まんまと流されてしまった。あまりにもチョロすぎて、自分で自分が信じられない。
頭を抱えたい気持ちだけはどうにか堪えて、濡れた下唇をキュッと噛みしめた。それから、改めてドラケンをねめつける。
「で、お金は」
「……毎年世話になってるんだし、これくらい安いもんだって」
ねえ、はやくぅ。マナの急かす声を聞きながら、ドラケンは俺の腰を思わせぶりに撫でた。
安い、って、どれの話だよ。コタツに入れてもらっているのを指すのか、あの二人が寝静まってからの睦言を指すのか。どっちかというと、妹を懐柔して穏便にオレを掠めとろうという魂胆なのかもしれない。……そんな下心はなくて、ドラケンなりの純粋な厚意、というのがいちばん正しいのだろう。わかっていても、穿った見方をしてしまう。
「マナちゃんも呼んでるし、行こうぜ」
「……手、洗ってからね」
「ふ、あとうがいだろ」
「ン」
こっくりと頷くと、ようやくドラケンの体温が離れた。迷うことなく、その背は流しに向かう。一拍置いてからついていくと、早速手を洗っているのが見えた。大ぶりな手が、冷たい水に潜っている。石鹸を付けて、泡立てて、また、水の中へ。古めかしい作りの台所は、なにもかも低い。ドラケンにとっては、余計そうなのだろう。わずかに腰を屈めながら手を洗っているのが、どうも愛おしく見えてきた。
「どらけん」
「んー?」
ひたひたと近付き、わざとぴったりと体を寄せる。
「蕎麦も雑煮も食ってけよ」
「もちろん、―― そのつもり」
にんまりと笑ったドラケンは、ちゃんとうがいもこなしてから、いそいそとコタツに吸い込まれていった。
ケンタッキーと年越し蕎麦で満たされた妹たちが、まんまと早寝してくれたのは、僥倖と言えるだろう。