熱の上げ方

 寒い日は、嫌いだ。
 手がかじかむし、鼻先も痺れる。一番困るのは、曝け出しているこめかみが痛むこと。寒いところにいつまでもいると、折角の龍の辺りが赤らんでしまう。そんなダサいとこ、見せたくはない。だったら帽子を被れって? そういう問題じゃねえんだよ。
「さむ……」
 今日の飲み屋は店内禁煙。吸うとなれば、どうやったって店から出ないとならなかった。しかし、軒先の、それも端の方に設けられた喫煙スペースに、ヒーターなんてお優しいものは存在しない。
 凍える思いをしながら静かに酸素を取り込んだ。すぐに煙草の先が赤く燻ぶる。流れてくる煙は確かに心地いい。だが、兎にも角にも寒かった。ゆったりと吸いたいところだが、肩を怒らせてしまう。
 そんなに寒いんなら、早く中に戻ればいい。わかっちゃいるが、この一服を蔑ろにもしたくない。
 ほう、と吐き出した息は、紫煙混じりに空へと伸びていった。

「うわ、鼻真っ赤じゃん」
「……うるせーな」
 肺が満ち足りたところで中に戻ると、真っ先に三ツ谷に茶化された。その男の右手には取り箸、左手には黒いとんすい。飲み始めてからくつくつと音を立てていた鍋ができたところらしい。
「そうまでして吸いたいって大変だね」
「禁煙すっかな」
「何度目のチャレンジ? オレ、三回は聞いてる」
「……五回はめげてる」
「多いっつの」
 ケラケラ笑う声を聞きながら、三ツ谷の隣に腰を下ろす。さっきまでココに座っていた八戒は、千冬の隣で轟沈していた。おい、オマエの弟分、潰されてるぞ、いいのか。ちらりと三ツ谷に視線を戻すと「情けねえよなあ、あの程度で潰れてさあ」なんて溌剌に無情な言葉が返って来た。そうだ、こいつも相当なウワバミだったワ。
「あー、寒かった」
「これだけ寒いと雪降りそうだよね」
「予報じゃ夜中降るっつってなかったか」
「え、電車どうしよ」
「オレん家くればいいだろ」
「んん~、そうしよっかな」
 胡坐を掻きながら冷えた手指を擦り合わせる。それでも痺れるような感触が抜けなくて、もそもそと羽織っているカーディガンの袖を伸ばした。寒い。熱燗でも頼もうか。あるいは、それに代わる何か温かいもの。ぼんやりと考えながら、膝立ちしている三ツ谷を見上げる。手元の器からは、もうもうと湯気が立っていた。
「ん、ドラケンの分」
「……なにこれ、草?」
「セリ鍋だって」
「セリってなに」
「うーんと、……草?」
「草なんじゃん」
「草だけど。案外イケるよ」
「食ったことあんの」
「うん。出張で仙台行ったことあってサ。根っ子がウマい」
「草じゃなく?」
「草にもあるだろ、根っ子」
 袖からちょろりと指先を出し、とんすいを受け取る。器の中には、ざく切りの葱とたぶん鶏肉、にょろりと伸びた何かの根っ子が入っていた。これが、セリ。目線で問いかけると、三ツ谷は満足げに頷く。正直、ウマそうな見てくれはしていない。
 ここは林田組贔屓の飲み屋だ。劇的に不味いということはないだろう。それでも、不審に思ってしまう。元の席が離れているというのもあって、ニコニコとしながら三ツ谷は未使用の割り箸も差し出してくれた。受け取ったら最後、食わなくてはならない。寒いから、食うけどサ。受け取った割り箸に指を添える。すぐにパキリ、小気味のいい音が立った。けれど、窪みの通りには割れてはくれない。……まあいいか。小さく息を吹きかけてから、謎の草を食んだ。
「ん」
「どう」
「いけるかも」
「だろ?」
 思いのほか長さのあるソレを啜るように口に入れ、シャキシャキと噛み締める。香りはあるが、思ったほど強くない。ほんのりとした甘さを飲み込んで、今度は肉を口に放り込んだ。じゅわっと火傷しそうな熱が舌に乗る。はふ、息を吐きながら、慌ただしく噛み砕いた。ごくんと喉を過ぎると、熱が胃に辿り着く。冷えた体に、じゅわりと染みた。
 浅くよそわれた汁を飲みつつ、鍋に新たなセリを放り込んでいく三ツ谷を見やる。上に羽織っていたジャケットがない。襟のついたシャツは、ボタンを二つばかり外しており、鎖骨が覗いていた。両袖は、肘のところまで捲り上げている。寒く、ないのだろうか。疑問が浮かぶが、すぐに三ツ谷の代謝の良さを思い出す。そうだ、こいつ、オレより筋肉ないくせに、オレより体温高いんだった。平熱は三十七度で、三十八度に達してもケロッとした顔で働いていることもしばしば。妙なハイテンションを気味悪がったルナに、電話寄越されたことあったな。あのときは寝かしつけるのに苦労した。
 ただの雑草にしか見えない葉の部分を食んでいると、ようやく三ツ谷は腰を落ち着ける。それとなく、視線を下ろすと、根の部分と大ぶりな肉がとんすいの中に収まっていた。
「ウマいとこ総取りじゃん」
「そりゃオレが取り分けたからね。オイシイところはもらっとかないと」
「……ふぅん」
 ニ、と得意げに三ツ谷は得意げに笑う。その顔のままセリにかぶりつき、シャキシャキと楽しそうに噛みしめていた。
 覗く首筋は、ほんのりと汗ばんでいる。はふ、と上機嫌に漏れた吐息は、オレのそれよりずっと熱そうに見えた。実際、熱いのだろう。とんすいを置いて、ぱたぱたと襟元で仰いでいる。今は夏だったか? いや、とっくに過ぎ去って、冬本番が迫ってきている。
 本当に、あたたか、そう。
 自分に与えられた分を胃に収めたところで、そおっと腰を浮かせた。
「ん?」
「ああ、気にしねーで」
「いや、何、気にするから」
「まあまあ」
「まあまあじゃなく。えっ、座椅子にでもなるつもり? 全力で寄り掛かるよ」
 ずりずりと三ツ谷の背後に移動して、その身体を挟むように脚を伸ばす。後ろから抱える格好になると、三ツ谷は宣言通りに寄りかかってきた。意図的に体重をかけているのだろう。ずっしりとした圧が触れてくる。
「あー……」
 けれど、温かい。想像通りに、三ツ谷の背中はぽかぽかと温かかった。
 こりゃいいや。肩口に頭を埋めつつ、腹には両腕を回す。卓上コンロと向き合っていたからか、腹側の方はいっそう温かい。カーディガンで覆い隠しているより、この平らな腹を撫でた方が良さそうだ。広げた手のひらを、胃袋の辺りと下腹部とにそれぞれ押し付けた。
「や、マジで、なに、暑いンだけど」
「オレは寒い。オマエこんな体温高いんだな、あったけえ」
「なに馬鹿言ってんだよ、もう酔ったの」
「ビール二杯で酔うわけねえだろ」
「……素面ですることでもなくない?」
「だって寒い」
 かけられる体重をしっかりと受け止めて、ぎゅうと少しだけ腕に力を込める。隙間を埋めるようにくっつくと、さらに温かい気がした。すぐそばにある首筋なんか、本当にぬくい。ぺと、とこめかみをくっつけると、間髪入れずに「邪魔!」と叱られた。そのくせ、口は動いているし、喉も上下している。ちゃっかり飲み食いはしているらしかった。
「ったく、もお」
 仕方ないと言わんばかりのため息が聞こえてくる。まだコイツの妹たちが幼かった頃、振り回されながらも吐いていたため息とそっくりだ。じゃあ自分は今、幼子同然の扱いを受けている? もぞりと目の辺りだけ肩から浮かせた。斜め上方の眼前には、ほのかに赤らんだ横顔が見える。照れたせいの紅潮だったら、可愛げもあったのに。三ツ谷のコレは、酒を飲んだからだと自分は知っている。
 つまらない。三ツ谷が平然としているのが癪だ。こんな風に思うなんて、存外自分も酔っているのだろうか。いや、ビール二杯だぞ。……でもまあ、ちょっぴり理性が緩んでいるのかも。この澄まし顔を、どうにか崩してやりたい。子供じみた悪戯心が、むくむくと膨らんでいく。
 よし、決めた。
「へ?」
「ン」
 右手の指で、それとなく三ツ谷のシャツを引っ張り出す。そこまで裾は長くないらしい、すぐに端が現れた。インナーも合わせて引っ張ったから、ベルトの上にちらりと臍が見える。準備はOK。今に見てろ。
 ぱ、とオレに向けられた視線を受け止めつつ、右手を腹へと潜り込ませた。
 指先が、滑らか皮膚に乗る。ムダ毛は処理済み、どこもかしこもつるつるすべすべ。上気した肌に、ひたり、―― 未だ冷たい手の平を押し当てた。
「~~ゥギャッ!」
 腕の中で体が跳ねる。暴れ出すのを力づくて押さえ込んで、やっぱり冷たい左手も滑り込ませた。しっとりとした皮膚越しに、三ツ谷の高めの体温が伝ってくる。
 いやあ、人肌ってほんとあったけえな。
「つ、めたッ、おいっ、手!」
「あぁ~、すげえあったけえ」
「オレをッ! 湯たんぽにすンっ、わッ、うわうわうわドラケンッ!?」
 ギャンギャンと吠える声がした。身じろぎも徐々に大きくなってくる。両腕だけじゃ、そろそろ限界かもしれない。じゃあ使うしかないだろ、脚。投げ出していたそれらも利用して、三ツ谷の体を閉じ込めた。いっそう喚き声が上がるが構うものか。肩口に顔を埋め直しつつ、カッカと火照った体温を手に染み込ませた。
「総長~、副総長が弐番隊長にセクハラしてまーす」
「なにぃ? 一大事だな、ケンチンはチョーカイショブンの刑に処す!」
「わは、懲戒処分の刑ってなんだよ」
 遠くから野次が聞こえる。片目だけ持ち上げると、上座で出来上がったマイキーと一虎が肩を組んでいた。素面じゃあまり拝めない組み合わせ。間に場地がいないとは珍しい。つつつと狭い視界を動かすとその場地は千冬じゃない後輩を捕まえて神妙に何かを話していた。普段の口数は多くないのに、唇は止まることなく動き続けている。とっ捕まっているタケミっちが引いてるから、動物の習性でも熱弁しているのだろう。
 都合が、いいな。これだけ酔っ払いが揃っていたら、オレのこの奇行だって霞むに違いない。これ幸いと三ツ谷の胴体にぎゅぅうとしがみついた。
「ッ、ぅ、おい、懲戒処分だってよ!」
「厳粛に受け止めー、今後同様の事案が無いよー取り組んで参りまーす」
「誠意ゼロじゃんかッ」
 三ツ谷の悲鳴を聞き流し、熱を求めてもそもそと手の平を滑らせる。あばらの凹凸を掠めると、そばにある口が息を呑んだ。胸のすぐ下に手があるせいか、ばくばくと忙しなく鳴る鼓動がよくわかる。血が巡れば巡る程、体温は上がるんだったか。じゃあ、血を送り出す心臓の真上は、もっと温かいかもしれない。勝手な論理式を完成させ、手をさらに上へと伸ばした。
 心臓って、体の左にあるんだっけ。でも、心臓マッサージは真ん中でやるから、中央でも良いのか? 指先が、行方を定めて肌を離れる。真ん中、真ん中。
 指の腹が、ちり、ナニかを掠った。
「ッあン!」
 たちまち、辺りが静まり返る。
 正しくは、オレと、三ツ谷がしんと息を潜めた、だ。酔っ払いの喧騒は、ちゃんと今も続いているし、ジョッキや食器のぶつかる音もする。
 総長、三ツ谷クン満更でもなさそうですっ。じゃあチョーカイショブンの刑、撤回、許す! 上座の方からは、そんな声も飛んできた。
 抱き着く手足はそのまま、三ツ谷の顔をどうにか覗き込む。見やった先では、微かに喘いだ唇がきゅっと噛みしめられていた。相変わらず、頬は赤い。……加えて、目元もポッと色づいていた。
「三ツ谷」
「なにっ、つか、いい加減、離せって、」
「うん」
「うんじゃ、なくっ、……ッ?」
「ンン」
 三ツ谷の胸の中央は、ばくばくを通り越して工事現場にすら思える心音を鳴らしている。けど、それは、こっちも同じ。気付いた頃には、三ツ谷の肌と遜色ないくらいに、指先にまで熱が通っていた。あれほど寒かったのが嘘みたい。これ以上くっついていたら、汗が流れ落ちて来そう。さすがに、そこまで熱くはならないか? オレはならずに済むかもだけど、三ツ谷は、なあ。
 ベッドの上だと、年中汗だくになっちゃうし。
―― たっちゃった」
 耳元で、吐息多めに囁いた。再び三ツ谷の体はぎしりと固まる。それとなく腰を押し付けると、横顔はいっそう赤く染まった。長い睫毛は、上下する度にしっとりと濡れていく。高い体温に、滲む劣情。眺めていると、下心が満たされ始めた。とはいえ、完全な満足には至らない。満たしきるには、やっぱり、このカラダを抱かないと。もちろん、今みたいな、抱きかかえ方じゃない方の、抱き方で。
「っ、ばか、やろっ」
 ようやく開いた唇は、小さくしか動かない。オレを睨む目はとろんと潤んでいて、誘っているみたいだった。困ったな、今すぐにでも組み敷きたい。着ているもの全部引ん剥いて、肌を重ね合わせたい。
 情欲を渦巻かせながら、尖った唇を啄んだ。
「なあ、早めに抜けよーぜ」
「……だめ、このセリ鍋食べてから」
「食い意地張るなあ」
「いいだろ、オレは好きなの。この草と鴨」
「エ、これ鴨肉なの」
「気付かないで食ってたのかよ!」
 至近距離で、視線が絡む。軽口を叩いたせいか、匂い立っていた愛欲がほんのりと薄れてしまった。
 仕方ねえなあ。体も温まったことだし、鍋食い終わるまでは待つことにしよう。