もどき

Dom/Subユニバース


 圧倒的な強さを目の当たりにすると、足が竦む。
 昔からそうだった。これは喧嘩慣れしていないせいだろうか。そう思って経験を重ねてみたものの、例えばマイキーとか、例えばドラケンとか、ああいう奴らの強烈な啖呵を耳にすると、まだ体は強張ってしまう。
 といっても、そうなるのは自分だけじゃない。一つ深呼吸して辺りを見渡せば、似たように凍りついている奴らはいた。自分が特別、ビビリというわけではないらしい。それに、少しだけ安堵する。でも、化け物級の強さを見るたびに緊張することにかわりはない。
 あーあ、小心者みたいで、やんなるね、ほんと。
 小さく息を吐いてから、背後の罵倒源を殴り飛ばした。振り向きざまに決めたフックで、その男の上体が崩れる。一秒と経たずに、ぐしゃりと地面に沈む音が聞こえた。大男だったのもあって、たちまち視界が開ける。正面にいるのは、あと一人、二人、三人、……六人か。ああ、いや、ドラケンが早速一人蹴とばしたから、五人だな。
 じゃあ、後ろ側は、どうだろう。あっちには場地とマイキーが居たと思う。くる、肩越しに見やれば、丁度マイキーの足先がゴロツキにめり込んだところだった。しかも、そのゴロツキの反対側には場地の右手拳が叩きつけられている。……再起不能にした傍から、二人はどっちが止めを刺したかで揉めだした。まだあっち側にも五人は残っているっていうのに。
「ッ舐めてんのか!」
 チンピラのご意見もご尤も。けど、今のあの二人に割って入るのは利口とは言い難い。心の中で合掌してから、そっちから目を逸らした。
 あれ、もう三人になってる。ほんの数メートル先にいるドラケンは、物足りないと言わんばかりに首を回していた。
「もっと骨のある奴いねえの?」
「~~ッ」
 自分の出番は、もうなさそうだ。顔を真っ赤にして激情した三人が、一遍にドラケンへと殴りかかる。どれも、これも、大ぶり。懐、ガラ空き。目を伏せて、すぐに瞼を持ち上げれば、流れるような三コンボが決まっていた。
「おい、こっち終わったぞ……、アイツらなにしてんの?」
「……たぶん、どっちがトドメ刺すかで揉めてる」
「馬鹿かよ」
「はは、否定はできない」
 すぐにドラケンが振り返る。視線は一瞬オレに止まって、間もなくその奥へと向かった。仲間割れのような小競り合いに、ため息まで聞こえてくる。懲りないよね、いつもいつも。このあとも、どっちが何人倒したと、ギャアギャア揉めるのだろう。
 ゆらりと、未だ喚き続ける二人に目を向ける。
「ッオイ!」
「ぇ」
 目を向けようと、した。
 しかし、視界に広がったのは、壁。
 パッと目線を持ち上げると、殴り飛ばしたはずの男がのっそりと立っていた。大柄な奴だ、もしかするとドラケンよりもでかい。頬の片方を腫らしながらも、両目はやけにギラついている。
 あ、キレてるワ、こいつ。思うと同時に、そいつの右腕が斜め上から降ってきた。
「クソ野郎がッ!」
 コンクリートブロックを構えた男に言われたくねえな。
 頭の片隅の、やけに冷めたところがぼんやりと考える。そんな余裕があるのだ、当然、この殴打を避けるのも容易いはず。……しかし、体が動かない。感覚がスローになっているという風でもなかった。本当に、動かない。どうして? いつもの自分だったら、不意打ちが効くと思ってんのかと立ち回れるのに。
 あ、マズい、当たる。鈍器が、すぐそばにまで、迫ってくる。
 やばい、かも。
 わかっているのに、がなった男のぎらついた瞳から、目を逸らせなかった。
「ぁ」
 ぽたりと口から音が漏れる。苛烈さを放つそいつに、何故か意識が惹かれた。視線どころか、体の自由まで奪われたかのような錯覚に陥る。殴られろ。そんな命令が、ひしひしと体に突き刺さった。それに付き従うことが、なによりも正しい。怪我をすることなど、些細なことに思えてしまった。
 当たる、くる、頭を打たれる。
 目を瞑る事すらできないまま、衝撃を待った。
「ッ三ツ谷!」
「ぁ、ぅ……、っ」
 そして体は横に吹っ飛ぶ。……なんてことはなく、目のスレスレのところをコンクリートブロックが通り過ぎていった。代わりに、襟元が苦しくなる。強張った体は、後ろ側に引き寄せられたらしかった。
「ぁギッ」
 男のひしゃげた声がする。コンクリートを構えたその手首には、誰かの足が叩きつけられている。顔面の方には、別の靴が刺さっていた。
 えっ。どうして? オレは殴られなきゃならなかったのに。
 平生じゃ考えられない思考が脳裏を掠める。殴られる道理なんてない。なのに、殴られなかったことへの罪悪感が腹の底からこみ上げてきた。胸の中はひたすらにざわついている。気持ち悪い。立っていられない。世界が、どんどん歪になっていった。
「おい、大丈夫か、三ツ谷ッ!?」
「エ、どったの三ツ谷」
「殴られたン?」
「いや、殴られてはねーはずなんだけど……」
 がくんと膝が折れると同時に、周りからあれこれ声をかけられる。まずドラケンだろ、マイキーだろ、それに場地。それぞれが誰の声か、判別はできるものの、どれも遠い。壁の向こうで喋っているみたいだ。鼓膜でも破れたのだろうか。だったらもっと、頭が痛くなるはず。そりゃあ、今も十分頭は痛い。痛いというか、気持ちが悪い。脳みそを、直接ぐちゃぐちゃと掻き乱されている気分。
「ッ、ぅ、~~っ」
 いよいよ、目の焦点が、合わなくなってきた。自分がしゃがんでいるのか、座っているのか、はてまた寝そべっているのか、まるでわからない。かろうじて支えに掴まれている右腕を残して、一切の感触が曖昧だった。
 殴られてもいないのに。でも殴られなくちゃならなかった。殴られなかったから、こんなに気持ち悪い? 混乱がぐつぐつと煮詰まっていく。
 なんか、吐き、そう。
「~~ぁああおい、こっちッ」
 膨れた頬を強引に掴まれた。
「こっち見ろ!」
「ぁ」
 むち、と顔が潰れる。勝手に尖った唇から、ぷしゅ、空気が抜けていった。
 目が回る世界に、ドラケンが入り込む。クラクラ揺れる頭でも「見ろ」と言われたのはわかった。むしろ、それしかわからなかった。見ろ。こっち、見ろ。言われた言葉が、脳みその中を駆け回る。殴られなくちゃという衝動が、見なきゃというソレに塗り替えられていった。
 ドラケンを、見る。見なきゃ。焦点を合わせようと、目元が力む。ぱちん、瞬きをすると、鬱陶しい涙の膜が幾何か薄くなった。ああ、これなら見れる。目の前の男のことを、ちゃんと見られる。
 鮮明になった視界で、確かに、切れ長の目を捉えた。
「そう、―― いいこ」
「ッぁ」
 ほとんど同時に、頬を撫でられる。囁かれた一声は、瞬く間に体の芯にまで到達した。
 息が詰まる。そのくせ、胸がぽかぽかと温かくなってきた。喧嘩で体を動かしたからだろうか。いや、暴れた時の高揚とは思えない。だって、そんな爽快感はない。
 体の底から溢れてくる、この多幸感は一体なんだ。半開きで固まった口から、涎が零れそうになる。咄嗟に口元を引き締めるものの、口内に溜まった唾液は上手く飲み下すことができなかった。
 とろとろ、引っ切り無しにあふれ出る情緒に、眩暈すら覚える。
「……三ツ谷?」
「ぁ、う、んっ」
 自然と体は傾いていた。とんっと傍にある体にもたれかかった。それでも、己の目はドラケンのことを見つめている。蕩けた視界の中央に、どうにかその男のことを収めていた。震える指先を、そいつのシャツに引っかける。こてんと肩から鎖骨にかけての辺りにこめかみを預けると、ふわりと男の匂いが漂ってきた。じわりと滲んだ汗で、香水の匂いが引き立つ。やけに心地の良いものに思えて、つい首筋に擦り寄ってしまう。
 あ、ココの匂い、強い。好き、かも。
「ンンっ、ん、ン……」
「み、みつやぁ、なあ、どした、なに」
 耳元に、甘い声が響く。いつの間にか後頭部には手を添えられており、背中にも腕を回されていた。抱きしめられているらしい。
「……ケンチン、なにしてんの」
「そんな三ツ谷やべーのか」
「ぅ、わかんねえけど、なんか、熱ありそうな、顔は、してた」
「あ、マジじゃん、耳真っ赤」
 熱? そういえば、体が熱いかもしれない。ぼやぼやと聞こえる声を聞きながら、傍から聞こえる鼓動に耳を澄ます。ドクドクと激しく脈打つ音は、聞いていたって落ち着くものではない。にもかかわらず、逸る心音が心地よかった。
「……とり、あえず、送ってくる」
「送り狼になんなよ」
「送り狼ってなんだ?」
「えぇ~、場地ってば知らねえのぉ?」
「知らねえから聞いてんだよ」
「つまんな、キーッてしろよ」
「あ?」
「あン?」
 おもむろに、背中に添えられていた手が腰に滑った。たったそれだけで、痺れるような快感が背筋を上ってくる。ン。鼻を抜けるような声が、勝手に漏れた。なんか、すごい、変な声。マイキーの家でみんなで見た、エロいビデオの音声みたい。男の自分も、こんな声出るんだ。ちょっと恥ずかしいかも。遠くからする掛け合いは止まないから、きっと場地やマイキーには聞かれていない。もし聞こえたとすれば、ドラケンにだけ。もたれかかっている体が、ビクッとしていた、聞こえていないということはないだろう。
 でもまあ、ドラケンだし。なら、いっか。
「三ツ谷、立てるか」
 甘い痺れはなかなか背骨を抜けていかない。じんわりとしたソレに浸っていると、とん、こめかみを突かれた。
 ドラケンの手は、大きい。出会った頃は大して変わらなかったのに、いつの間にかオレの顔を簡単に掴めるくらいの大きさになってしまった。だから、手の平は後頭部にあっても、指先はこめかみに届いてしまう。とんとん、ぼんやりとしていると、ノックするようにまたこめかみを叩かれた。
「ぅあ」
「……それとも、抱っこした方が、いい?」
「だっこ……」
 控えめに囁かれたそれは、ほんの少しだけからかいの色を孕んでいる。緩慢にドラケンの顔を見上げると、むにゃむにゃと唇が波打っていた。自分で言って、照れんなよ。もう、仕方ないなあ。シャツに引っかけていた指を、そぉっと緩めた。
「ん」
「エ」
「ぎゅぅって」
「ア、ハイ」
「ん、ふふ、ふ」
 かわりに、気怠い腕を首に回す。今自分にできる、目一杯の力で抱き着けば、たっぷり三秒してからドラケンも抱きしめ返してくれた。背中や腰に触れる手の平が心地いい。体の前面がぴったりとくっついたのもあって、向こうの心臓の音も伝ってきた。相変わらず忙しなく脈打っている。どっちが速いだろう、いい勝負していると思う。だんだん、どっちの心音かも判別できなくなってきた。このまま一つになれたらいいのに。夢見心地のふわふわとした意識が、さらに蕩けていく。
「……ケンチンなにしてんの」
「なに、してんだろ」
「つかドラケンも顔ヤバくね? 真っ赤じゃん」
「うるせー……」
 それらの音を、なんとなく聞いたのまでは覚えている。
 気付くと家の布団の上で、―― まだドラケンに抱きしめられていた。