よわよわおてて

 ぎゅ、と。手を握られた。
「え」
 ぽたりと声を落とす頃には、その男の体温が伝ってくる。悔しいが、ドラケンの手の方がずっと大きい。おかげで自身のソレはすっかり覆われてしまった。
 なにか、したろうか。あるいは、傷でもこさえていたか。そういえば、パンフレットを取り寄せたときに紙で指先を切ったような。とはいえ、そんな些末な傷に、今更この男が反応するとも思えない。
 うらうらと視線を彷徨わせてから、ソファの座面に乗った左手を見下ろした。……やっぱり、自分の手は、ドラケンのに覆われて見えない。
「……なに」
「んー」
「んーじゃなく」
「うん」
「うんでもなくさ」
 尋ねてみるものの、ドラケンは上の空な返事をするのみ。ぎゅ、ぎゅむ、何かを確かめるようにオレの手を握っていた。
 じりじりと、暑くなってくる。冷房を効かせているおかげで忘れていた熱が、左手を中心に舞い戻ってきた。手を握る程度で恥ずかしがるような関係じゃあない。もっとすごいこと、いっぱい、してる。なのに、ソワソワしてしまう。羞恥心が煽られる一方。滲む汗が嫌でもそもそと右手で鼻の下を拭った。
「っ」
 甲を覆っていた手が、わずかに浮く。しかし、離れるまでいかない。指の腹が、かろうじて触れている。産毛を撫でるような手つきに、じゅわりともどかしさが走った。痺れるような、くすぐったいような。触るのなら、一思いに掴んでくれればいいのに、時折この男は、そういう手付きをする。なんでも、その方がオレがイイ反応するから。確信犯なんだよ、こいつ。ほんと質悪い。
「ぁ、のさあ、ドラケン」
「んん」
「ア」
 耐えているうちに、もう片方の手も伸びてきた。オレの左手の下に潜りこんで、やんわりと手首に絡んでくる。あ、固定、された。もう、簡単には逃げられない。わずかにだが、体が力む。……それを見落としてくれるほど、この男は鈍くない。まるで宥めるように、悪戯をしていた手に撫でられた。手の甲の筋、血管。付け根の関節。マッサージでも施すかのような手付きに、頭がクラクラしてくる。
 なに、なんだよ、これ。そんな丁寧に触って、何がしたいの。
「ねえっ、て、ばぁ」
「んん~」
 指の股に辿り着くと、今度は小指の根元をきゅうと抓まれた。親指と、人差し指。ちょっとだけ、中指も触れているだろうか。硬くなった皮膚で、くりくりと骨の太さでも確かめるように触れられる。爪先まで抜けると、今度は隣の指へ。薬指が終わると中指へ。じゃあ次は人差し指か、と思うと、また薬指に返ってくる。
 オレより、太くて、長い、ソレ。不器用そうな見目をしているけれど、繊細なコトだって得意だ。それは、機械いじりと言う意味でも、オレを弄ぶという意味でも。
「んん」
 柔くオレの薬指を抓んだまま、ドラケンはまた小さく唸る。首を傾けて、俯き気味になっているが、眉間に皺ができているのが見えた。胡乱な顔をしている。なのに、手付きは、優しい。付け根から第二関節の辺りの皮膚を、やたら丁寧に撫でてくる。
 いや、だんだん、優しいとか丁寧とかって域を超えてきた。この手付きは、知っている。確かに身に覚えがある。
 具体的には、昨日の夜。ベッドの上。間違いないなく、自分はこの手に追い詰められた。まざまざと昨晩の情事がよみがえってくる。咄嗟に息を詰めると、行き場を失った熱が体内で蜷局を巻いた。
 う、だめ、我慢できない。
「~~どらけんっ!」
「ん?」
 声を張り上げると、ようやくそいつは顔を上げた。合わせて、顰められていた顔がスンと凪ぐ。視線が重なり、一秒、二秒。三秒経つと同時に瞬きを一回。きょとんとした呆け顔になったドラケンは、器用に片眉だけ持ち上げて見せた。
「なんか、すげーえっろい顔になってっけど」
「誰のせいだよ!」
「え、オレ?」
「他にいないだろ」
「ああ、まあ、それもそうか」
「……で!?」
「うん?」
「惚けんじゃねえ、何がしたいんだよッ、このッ……、手!」
 カッカと顔が火照るのは、とりあえずイライラしているからということにする。憤った勢いのまま、繋がっている方の手をビッと指差した。
 涼し気な顔が恨めしい。煽られるのはいつもオレの方。どうやったら、この男を振り回せるのだろう。初対面で憧れて、幻滅できないまま十数年過ごしてしまったから、もう覆りようはない? だとしても、こう、一矢報いる方法、一つくらいあったって良いだろ。
 じと、と睨みつけてみても、そいつは「あぁ?」と生返事をするばかり。重なっていた視線は、容易く逸らされてしまった。切れ長の目が宙を泳いでいる。おい、なんでもないとこ見てんじゃねえ、こっち見ろ。
 睨みつけていれば、そろりと黒目が返ってきた。
「何号かなって」
「……ハ?」
「だから、指。薬指のサイズ」
 くに、と、その指を抓まれる。
 サイズ? ぱ、下を向けば、男の指先が左薬指の付け根を揉んでいるのが見えた。きゅうきゅうと、圧がかかっては緩む。それに合わせて、皮膚がむにゃむにゃ動いていた。
 薬指の、サイズ。
 そんなこと聞いてどうする。などと返したら、こいつはどんな反応をするだろう。やっぱいい、なんでもない、と諦めるか、懇切丁寧に何故知りたいか語ってくるか。最近のコイツを思うと後者だな。それで、オレが照れれば照れるだけ楽しそうなにやけ面を浮かべるんだ。
 口内に、勝手に唾が溜まる。だって、薬指って、ソウイウコトだろ。
 しれっと独断で買ってこられなかっただけ良い方か? 買い物行こ、と言って何も知らされずにジュエリーショップに連れて行かれるよりも、きっとマシ。
 こくんと唾を飲み下してから、そっと口を開いた。
「……わかんない」
「あれ、昔カモフラ用につけてたじゃん」
「何年前の話だよ……。つーか、アレ、なんとなく合うの買ったから、号数なんて覚えてない」
「そっかあ」
「ぅ」
 話の区切りがついたところで、再びドラケンはオレの指を弄りだした。表面だけ引っ掻いては、筋を柔く揉み、壊れ物を触るかのように撫でてくる。サイズを知りたいなら、紐を巻き付けて測ればいいだろうに、なんで触るかな。……ああ、オレが過剰に反応してみせるから? クソッ。
「んっ」
「……三ツ谷ってさあ」
「ッ、なに、ゥ」
「ほんと、手、弱いよな」
「ァ、ぇ」
 ふわり、掴まれていた手が浮く。ドラケンの両手で包まれた左手が、みるみるうちにそいつの元へと引き寄せられていった。手の平を捕まえていた方はそのまま、甲を這っていた方はするすると腕に上ってくる。今日は、半袖。つまり、生身。硬くなった指の腹が、さりさりと腕の柔い皮膚に擦れていく。
 あ、あっ、ア。口が勝手に空気を食む。ぱくぱく動く唇は、金魚のよう。火照った顔は、真っ赤に染まっているだろうから、そういう意味でも金魚らしいかもしれない。
「アッ、」
 そして、ふに、り。
 薬指の、付け根に、体温が触れた。柔らかく沈むソレは、この男の唇だ。表面は乾いているけれど、存外厚みがある。何度もその唇で啄まれたから、覚えてしまった。
「ふ、かぁわいい」
「……成人男性に用いる形容詞としては正しくないと思います」
「難しい言い方すんなよ」
「かわいいっていうな」
「そうそう、その方がカワイイ」
「だから、かわいいっていぅ、ァ」
 苦言を投げつけようと、そいつはどこ吹く風。なんなら、ちゅうっと指の付け根に口付けてきた。
 吸い付くような感触に、またもや情事の景色が呼び起こされる。何度も、吸い付かれた。昨日は後ろからしたから、背中や肩、項を啄まれたっけ。思い出しただけで、背筋が震える。鬱血痕を残された辺りが、無性に痒くなってきた。体の前側だったら掻きむしれるのに。背中だと、ただただ身を捩るしかできない。空いている右手を握り込みながら、そっと身じろぎをした。
「ほんと感度良すぎ」
「ンなこと、ない」
「あるんだって。もー、オレ結構心配してんだぜ」
「は、ぁ?」
 それとなく傾げられた頭を眺めていると、男の唇に三日月が浮かぶ。心配、という言葉を使ったわりに、楽しそう。いや、愉しそう。
 腹の奥底が、じくじくと熱に蝕まれていく。楽な姿勢で座っていたはずなのに、いつの間にか足を揃えていた。内腿なんか、ぴったりとくっついている。擦り合わせている、とも、いう。手を触られているだけだというのに、なんだか、上り詰めてしまいそう。さすがに、そこまで極めてはいない。大丈夫。たぶん、大丈夫。
 体を強張らせていると、もう一度、ドラケンはオレの薬指に唇を寄せた。今度は、音は、鳴らない。静かに、熱が触れた。
「その」
「ァ」
「くたくたになった蕩け顔、」
「ぅ」
「どこかしこで晒してんじゃないか、って」
「っ、」
「オレはとっても心配です」
 指に、吐息が当たった。一緒に吐き出された声が、じんわりと耳に届く。鼓膜が震えていたのは、そう長い時間ではない。なのに、やたらと余韻が尾を引いていた。
 オレの手に口付けたまま、目線だけを送られる。角度のせいか、上目遣いになって見えた。けれど、あざとさは感じられない。勝気な凛々しさ半分、色香過分な艶めかしさ半分。まずい、手の自由を奪われたまま、この瞳を見つめていたら、冗談抜きにトんでしまいそう。
 もういい、やめて、わかった。だから、せめて、手、離して、おねがい。
「どらけんっ!」
 意を決して声を荒げた。
「と、いうことで、サ。せめて、迂闊に手出されないよう、指輪で牽制したいなーと思うんだけど」
 どう? つけてみる気、ない?
 しかし、ドラケンはにっこりと朗らかにすら見える笑みを返してくる。ゆったりと指先から唇を離し、代わりに薬指の付け根をちょんちょんと抓まれた。ココ、指輪、つけて。そんな副音声が、聞こえてくる。
 左手、薬指、指輪。その意味を考えると、ふわふわと体が浮きそうになる。ちらっとドラケンを盗み見ると、依然として柔らかい笑みでオレのことを見つめていた。ウワッ、目が合う。ちょっと待って。まだ、心の準備ができていない。
「……どらけん、」
「うん?」
「たぶん、オレ、その指輪つけたらさ」
「うん」
 一つ、息を吸った。吸い込んだ分だけ、細く、時間をかけて吐き出す。肺がぺったりと潰れたところで、はくん、空気を食べた。
「指輪触るたびに蕩けた顔しちゃうけど、いいの?」
 小さく尋ねると、ぱちんとドラケンが目を瞬かせた。それは困る、って顔、するかな。独占欲強いし、しそうだな。
 こっそりムッとした顔を想像するオレを余所に、そいつはふむと考え込みだした。オレの薬指を柔く揉みながら、視線は明後日を向いている。ねえ、ちょっと、オレの指、触る必要ある? 考える時って、顎のあたりに手を添えるもんだろ。なんで、手慰みみたいにオレの指を揉むかな。擽ったい。……嘘、イケない気分に、なってしまいそう。
 それとなく、また、内腿を擦り合わせた。
「その度、オレを思い出してくれるなら」
「え」
「いいよ。めいっぱいエッチな顔しても」
「……ばか」
 捻りのない悪態は、にっと悪戯に笑った男には突き刺さりもしない。本当に、どうやったらこの男をやり込められるのだろう。ひとまず、じゅくじゅく疼く痺れを慰めてもらわなくては、気が済まない。
 意を決して、手を握り返し、勢いをつけて男の体に抱き着いた。