ラッキーXXX
女体化
「あ、カレー食いたい」
他意はない。本当に。たまたまそのチェーン店の前を通ったから、ぽろっと、口から零れ出てしまっただけ。心底食べたいだとか、マイキーがよく言う我儘のような意味合いもない。夏だし、なんとなく、食べたい。どこかのコンビニに寄ってみようか。この時期なら、近所の弁当チェーンにもありそうだ。どうせ食うなら、美味いヤツが良い。晩飯どうすっかな。
ポケットの中に突っ込んでいる小銭を確かめながら、踵を潰した靴を引きずった。
「じゃあ、ウチくる?」
「え」
だから、そんな言葉をかけられるのは、想定外。強請ったつもりもない。誘ったわけでもない。不意打ちのようなソレに、ぴたりと足が止まった。
「今日、カレーの予定だし」
ば、と振り返ると、同じように歩みを止めたそいつが「どうする?」と首を傾けていた。広がり始めた身長差の分だけ低いところにある目に、じっと見つめられる。生温い風が吹き抜けるが、ソレで靡くような長い髪をこいつは持ち合わせていなかった。おかげで、三ツ谷の顔が、よく見える。長い睫毛はくるんと上を向いていた。柔らかそうな唇は、ほんのりと色づいている。自分とは、まったく違うカラダに育っているのは、一目瞭然。こいつと、喧嘩に明け暮れていられるのも、そう長くはない。ちょっと、寂しいような、ほっとする、ような。
ぱち、ぱち。何度か瞬きをしていると、三ツ谷は曖昧に笑って見せた。
「お花型のニンジンに当たっても、笑うなよ」
笑わねーよ。妹のために色々考えてんだろ。ほんと、オマエ、偉いよな。オレらとバカやりつつも、ちゃんと「お姉ちゃん」もやっててさ。
込み上げてきた言葉と、形の良い頭を撫で回したい衝動をぐっと堪え、「ウン、行く」とだけ返した。
その時は、こんなことになるなんて、思ってもみなかったんだ。
「あっ、やっぱりドラケンくんだ!」
「エッ」
古めかしいチャイムを恐る恐る鳴らすと、すぐに薄っぺらな玄関扉が開いた。
しかし、出てきたのは思っていたものとは違う。ずっと低いところから、ツインテールが顔を出した。家を間違えた? いや、でも、オレのこと、この子は知っている。面食らいながら、ぐるりと記憶を遡った。確かこっちは、三ツ谷の上の妹。名前は、ええと、そうだ。
「ルナ、ちゃん」
「うん? うん、ルナだよ」
「……お姉ちゃん、は、いる?」
努めて柔らかいトーンを意識したが、あれこれ悩んだせいか、絞り出した声はカタコトになってしまった。
だって、この小さい生き物と、どう会話をしたら良いのかわからない。扉の半分程しかない体を眺めているだけで冷汗が滲み出てきた。しゃがんで目線を合わせるべき? そもそも、オレの風体じゃあ目を合わせた方がビビられる?
ぐるぐると考え込んでいると、小さい唇がはきはきと動いた。
「お姉ちゃんはねえ、いまお風呂!」
「お、ふろ?」
そして、ぽーんと放物線を描くように言葉を浴びせられる。
おふろ。オフロ。お風呂? 単語を理解すると同時に、湯船に浸かっている三ツ谷の姿が脳裏を掠めた。そんなの、見たことはないというのに。普段から女の体を見させられているせいで、やけに生々しく想像できる。ああいや、でも、あいつは店の連中ほど大人の女ってカンジの体はしてない。だから、もっとあちこち平坦なはず。……浮かんだ妄想に修正を掛けようとして、内心で首を振った。止めよう。あいつのそういうトコ、考えちゃいけない気がする。
ぴたりと固まったオレを余所に、そいつの妹はくるくると口を動かしていく。
「ドラケンくん来るからって、先にマナのことお風呂いれないとって言ってた」
「……そっか」
「うん。マナね、途中で飽きてお風呂飛び出しちゃうからさあ」
「へ、へえ」
「タイヘンなんだよ、廊下もびしょびしょになって!」
いつもはルナと入ってるんだけど、ルナじゃマナのこと止めれなくて、あ、でもお姉ちゃんもたまに止められないんだ。
玄関先だというのに、その子はけろっとした顔で三ツ谷家の風呂事情を教えてくれる。折角考えるのを止めたあいつのハダカが再び頭の中に戻って来た。決定的なトコロが不鮮明なのは、自分の細やかな良心のおかげだろうか。
えっと、よく知りもしない男に、こういう話はしない方が良いよ、ルナちゃん。そう思いはすれども、どう説明すればこの子が納得するのか、オレにはさっぱりわからない。
ただ、まあ、一番下の妹がすっぽんぽんで駆け回るところを見られまいと、三ツ谷がこの時間に風呂に入っているということは、わかった。
どこかで時間を潰して来よう。それがいい。女の風呂は長いんだっけ? 何分くらい凌げば良いかな。一時間までかからないと良いけれど。勝手に逸りだす心臓に気付かないフリをして、どうにか口を動かした。
「……じゃあ、ウン、もう少ししてから、出直すワ」
「なんで?」
「えッ」
見慣れたタレ目とそっくりな双眸が、ぱちぱちと瞬く。てっきり、またねと言われるものだと思ったのに。ヒクッと頬が引き攣るのが、嫌でもわかった。オレより一回りも二回りも小さなそれに手を掴まれると、さらに顔が強張ってしまう。この子は、あいつの妹。怖がらせちゃいけない。睨みを効かせるなんて、もってのほか。かといって、この子を拗ねさせずに手を振りほどく方法も、思いつかなかった。あと十歳くらい年取ってたらなあ、嬢と同じようにあしらえるのに。
「待ってればいいじゃん」
「や、でも」
「ほら、はやくはやく」
「ワ、えッ、ちょっとルナちゃん……!」
「なあに?」
「……女の子の家に、断りなく上がるのはさあ、ダメだろ」
「ルナはいいよ?」
「んんん」
やんわりと断ってみても、その子が引く様子は全くない。小さな手はオレの手をぎゅっと掴んで、早く入れと言わんばかりに引っ張ってきた。あ、奥から子供の声がする。下の妹かな。一緒に聞こえてきた声は、三ツ谷だ。独特の響き方に、マジで風呂に入っているんだと実感させられる。
ばたん、と。あっけなく玄関扉は閉じた。だが、ルナちゃんが鍵を閉める素振りはない。開けっ放しで暮らしてるのか? 不用心、過ぎる。靴を踏みつけるようにして脱ぎながら、とりあえずと後ろ手で鍵のツマミを捻った。ガコンと錠のかかる音を聞くと、じわじわと緊張が込み上げてきた。悪いことは何一つしていない。女しかいない空間に一人放り投げられるのだって慣れている。なのに、罪悪感に襲われてしまう。
「お姉ちゃんもドラケン君いたらうれしいって。今日ずーっとキゲンイイもん!」
「そ、そうかなあ……?」
「うん。だからドラケン君、毎日ウチ来て良いよ」
のんきに鼻歌を歌い出すルナちゃんと見下ろしながら、絶対に違うと頭が警鐘を鳴らす。今日、三ツ谷の機嫌が良いのは、一発も食らわずに絡んできた連中をノしたからだ。オレがその場に着いた頃には、渋谷北中と思しき奴らが三ツ谷の足元に転がっていた。完全勝利、とピースサインした満面の笑みに、叱るべきか呆れるべきか褒めるべきか、思いあぐねたのはほんの数時間前のこと。
やっぱだめだよ、と小さく抵抗してみたところで、ルナちゃんは手を離してはくれない。導かれるままに、灯りのついた居間へと踏み入ってしまった。ふわりと漂うカレーの匂いを嗅ぎながら、座布団の上に座らせられる。低い座卓の上には、「こくご」と書かれた冊子が置いてあった。散らかった鉛筆を見るに、宿題でもしていたのだろう。壁の向こうから聞こえる三ツ谷たちの声にどぎまぎしながら、オレの隣にぺたっと座ったルナちゃんを見やった。
と、ようやくオレから手が離れる。流れるように、柔いその手は教科書を掴んだ。ぱらぱらと、冊子が捲られていく。そのうちに、ぴたり、はためいていたページが止まった。
「音読の宿題するね!」
「エッ」
「くじらぐも!」
戸惑うオレを余所に、その子はハキハキと教科書を読み上げる。幼い声は、つっかえることなく聞き覚えのある話を音にしていった。
しかし、それだけに集中できるほど、自分は鈍くもない。嫌でも耳に入るシャワーの音。目の前にいる女の子よりさらに幼い笑い声。嗅ぎ慣れた性の匂いはどこにもなく、あいつから漂うソレと似た匂いが立ち込めている。落ち着かない。お利口に座ってなどいられない。胡坐をかいた足の片方が、みっともなく貧乏ゆすりを始めそう。手の平に力を込めて、震えそうなそれを押さえた。
「……、ドラケン君、きいてる?」
「き、聞いてるよ」
「ほんとにぃ?」
ふと、音読をする口が止まる。慌てて隣のその子に焦点を定め直すと、あいつそっくりな据わった目付きをしていた。
「ちゃんと聞いてくれなきゃ、宿題にならないんだけど!」
「ゴ、ゴメンネ……」
不満をその通り口にするルナちゃんに、苦笑いを向ける。むっと口を尖らせる横顔も、三ツ谷そっくり。さすが姉妹。妙な感心を覚えているうちに、彼女は「ちゃんと聞いてね!」と念押しをしてから、宿題となるタイトルを再び読み上げた。
聞かせられる物語に耳を澄ましても、体に纏わりつく緊張はなくならない。むしろ、酷くなっている。落ち着け、マジで、落ち着け。三ツ谷本人に黙って家に上がったのは確かにマズいと思う。けれど、どうしようもない大罪を犯したわけじゃあないのだ。大丈夫、きっと大丈夫。仮に、店の連中みたいにマッパで出てきたとしても、「服着ろ、ばーか」と軽く返せる。ダイジョウブ。三ツ谷だって、オレに見られたってさあ、そんなキャーとかギャーとか、過剰な反応しないって。たぶん。
「コラッ、マナ!」
「ッ」
おもむろに、あいつの声が響く。
弾けるように、顔が廊下の方を向いた。音読の声も止まっている。ルナちゃんも、そっちに意識が向いたらしかった。わざとらしいため息が聞こえる。やれやれと言わんばかり。ませた吐息は、すぐに「ごはんの前に、宿題おわらせたいのに」と不満を乗せた。
ガラッと引き戸を開く音がしたかと思うと、高い笑い声と一緒に裸足の足音が聞こえた。走っているだろうソレは、みるみるこちらに近付いてくる。
間もなく、部屋の、入口に。
ぴょこんと、小さな、それは小さな体が現れた。
「あっ!」
幼児特有の、ふくふくとした体。その肌からは、ぽたぽたと雫が垂れていた。上気したその子供は、こちらに気付くなり顔を華やがせる。あいつによく似た顔が、ふにゃりと溶けるのは、素直にかわいいと思った。
でも、格好が、マズい。
ごめん、三ツ谷。オマエが隠そうとしてたすっぽんぽんのマナちゃん、見ちまった。
「待ちなさいって言ってン」
ひとまず手で目元を覆っておこうか。それとも、風呂場に戻るよう促せばいいだろうか。でも、三ツ谷の声がすぐそこからする。ちょっと待てば、このちびっこは回収されるに違いない。
目を細めているうちに、下の妹はちぎりパンのような腕をこちらに伸ばした。短い人差し指が、確かに、オレを指している。
「どらけんくんだあ!」
「ヘッ!?」
「あ?」
ギュッ、と。素足が廊下でブレーキをかける。瞬く間に、生白い脚が、視界に入り込んだ。
短い、髪。あ、三ツ谷だ。まだ濡れたままの毛先から、ぴちょんと雫が落ちる。たどるように目線を滑らせると、細い首と、くっきり浮き出た鎖骨が見えた。その下は、タオルに阻まれて見えない。が、そのバスタオルは体に巻き付いてはいなかった。オレよりずっと細い腕でもって、広げているだけ。それこそ、濡れたままの妹を、包もうと構えている格好。
ええと、なに、この状況。
バスタオルを持っただけの、―― 素っ裸の三ツ谷が、そこにいた。
「……」
「…………」
細めたはずの目が、勝手に開く。カッ開く。すっかり同じように、三ツ谷の双眸も見開かれていた。呼吸を忘れたかのように固まっているのも、お互い、一緒。けれど、妹二人の時間は止まっていない。ルナちゃんは呆れた声を零しているし、マナちゃんは風呂上りのせいか走ったせいか肩で息をしていた。
広げられたタオルは、まあまあ大きい。それでも、体のラインはわかった。妄想だった三ツ谷のカラダが、たちどころに修正されていく。見慣れた女体より、凸も凹も、ない。が、平坦とも、言えない。
女に、成りつつある、体だ。
「……ックシュ、ぅううおねえちゃん、ふいてえ、たおるぅ」
「ぇ」
そのうちに、マナちゃんが振り返る。小さな両手は、強請るように三ツ谷に伸びた。ふわふわの、大判のバスタオルを掴む。そうして、ぐ、引っ張った。
「ぁ」
はらりと、白が退く。
次に現れたのも、白。あ、いや、赤くなってきた。
つか、エ、ピンク。ワ、薄いけど、生えて、ル。
「ッァ、」
か細い喘ぎが、耳に届いた。
気付くと腰は浮いていて、足は居間の畳を蹴り飛ばす。羽織っていたカーディガンから腕を抜き、―― ぐるり、晒された裸体に巻きつけた。
「ど、らけ、」
「三ツ谷、」
「ぅ、ス」
馬鹿みたいに、心臓が騒ぐ。うるさすぎて、震えた三ツ谷の声がかき消されてしまいそうだった。湯上りというのを抜きにしても真っ赤に上気した体を、閉じ込めてしまいたい。掻き抱いて、オレのものにできたら、どれほど満たされるだろう。
ぐつぐつ滾る欲望を、必死に理性が踏みつける。
それは、今じゃない、と。
「ふく、きてきて、はやく」
絞り出しながら、その体を反転させた。推定風呂場の方に向かって肩を押すと、よた、よたり、赤く染まった足が歩き始めた。合わせて、待ってえとバスタオルを被った幼い体が追いかける。
しばらくして、その二人の背中は、小部屋に隠れた。引き戸が閉まる音まで、ちゃんと聞き届ける。
「~~ッ!」
今度こそ、両手で顔を覆った。がくんと膝は折れ、廊下と居間の間に体が崩れ落ちる。手も、顔も、どこもかしこも熱い。全身に、勢いよく血が巡っている。アソコも、ちょっと、熱かった。
「……ルナちゃん、オレ、帰るネ」
「え、だめ。まだ音読おわってない!」
「そこをなんとか……」
こんなことになるなんて。カレー食いたいと口走った時は、思いもしなかった。
結局、ルナちゃんを説得できないまま三ツ谷は出てくるし、冷静なコイツだったら「洗って返す」と言うはずなのにそのままカーディガンを渡されるし、何故かマナちゃんのイスになりながらカレーを食わされるし。
もうどうにでもなれ。開き直って、その日の夜、あのカラダをオカズに三回も抜いたがために、しばらく三ツ谷の顔をまともに見られなくなった。