写真の話
カシャリ。
寝息ばかりが聞こえる部屋の中で、シャッターを切る音が響く。折角、静かに準備したのに、そっと指を乗せたのに、……その機械音ははっきりと室内に広がった。
寝入っていた三ツ谷の眉間に皺ができる。ファインダー越しに、そのむくれた顔が見えた。いっそのこと、この面も撮ってしまうか。シャッターボタンに乗せたままにしていた指を、もう一度、ぐ、押し込んだ。
カシャ、リ。
再びシャッター音が鳴るのに合わせて、三ツ谷の瞼が持ち上がった。
「……とった?」
「撮った」
「ねてるとこ、とるなって、言った」
「うん、よく言ってるよな、オマエ」
「とるなよ」
「ヤダ」
「やだじゃねえ……」
寝起きのせいか、そいつの声は掠れているし、どこか拙い。自覚はあるようで、寝転がったまま、自身の喉を擦っていた。ンンッなんて咳払いも聞こえる。重そうな睫毛を携えた瞼は、緩慢に瞬いた。ぶすくれたその顔は、お世辞にも綺麗とは言えない。なのに、無性に愛おしかった。眺めているだけで、ぐにゃりとこちらの口元が緩んでしまう。
気付くと、またファインダーを覗き込んでいた。
「だあからあ!」
「そんなイヤ?」
「……だれだって、ねおきなんか、とられたくねえだろ」
なんで撮るかな。ぼやきながら、三ツ谷は体を起こす。右手でぐしぐしと目元を擦りながら、左手をこちらに伸ばしてきた。ぺちょ、と、レンズが手の平で覆われる。仕方なくカメラを下ろすと、やっと三ツ谷は満足そうに息を吐いた。
「そういうもん?」
「そーいうもん」
「でも、オマエん家にあるじゃん、毛布片手にぐずぐずしてるマナの写真」
「そりゃ、子供の頃なら思い出になるかもしれないけどさあ」
大人がベッドの上でぐずぐずしている写真なんて、見たところ何になる、というのが三ツ谷の言い分。
ふぅん。並べられる抗議を聞き流して、撮ったばかりの写真をモニターに映し出す。薄く唇を開けて、穏やかに眠る顔が、そこにあった。笑えるような面白さはない。けれど、安心しきったその寝顔は、自分にだけ許されたもの。そう思うと、ふわりと胸があたたかくなってくる。
かちかちとボタンを操作すると、昨晩撮った写真が表示される。風呂上がり、ソファの上で寝落ちている三ツ谷。髪は濡れたままで、目の下には隈もできている。酷い面、してたなあ。なんせ、こっちが撮ったのに気付かないくらい、疲れた様子だった。
ちら、と顔を上げて盗み見ると、乾かさなかったその髪は、あちこちに向かって跳ねている。けれど、隈はいくらか薄くなっていた。血色も、マシになったように見えた。
「おい、にやにやしてんじゃねえ、聞け」
「聞いてる聞いてる」
「ぜったい聞いてないじゃん……」
まったくもってそのとおり、オレのこと、よくわかっている。胡座をかいた脚の上にカメラを置き、ぴよぴよ跳ねる髪に指を通した。癖が強くて、手櫛を通しただけでは直りそうもない。これで今日仕事だったら、オレと言葉遊びなんかしていないで、慌ただしく洗面台に走っていたことだろう。
そう、仕事、だったら。
今日、こいつは休み。オレの方も定休日。お互いの休みが重なるの、いつぶりだろう。少なくとも、ひと月そこらの話じゃない。
髪を梳かしていた手は、だんだん撫でるだけの手付きに変わっていく。龍の眠る辺りに触れれば、向こうから手に擦り寄ってきてくれた。……こういう仕草も、できれば撮りたい。スマホを使えばいいのかな。でも、わざわざ充電器のところにまで出向くのも面倒。悶々としながら指を潜らせ、推定龍の首を擽った。
「……三ツ谷、ちょっとそのままの顔してて」
「……だめ、すっごい情けない顔してるもん」
「そう? 可愛いよ」
「オマエの言う可愛いは、オレにとっては情けないだからね」
「……撮っちゃ、だめ?」
「だめ」
こっそりとカメラに伸ばしていた右手が、三ツ谷の手に叩かれる。だめだよ、だめだからね。グリップこそ掴んだものの、三ツ谷は構えることを許してはくれない。念押しするように、手の甲からぺちぺちと幼気な音が聞こえてきた。
「逆にさあ」
「んー?」
「なんでそんな撮りたいの、面白いんもんじゃないだろ、オレのボケた顔なんて、さ、ぁふ、ン」
手慰みにオレの手を叩く指先を絡め取る。と、柔い力で握り返された。ちゃんと目が覚めていたら、恥ずかしがってすぐに振りほどかれるのに。まだまだ三ツ谷は眠たいらしい。その証拠と言わんばかりに、そいつは小さく欠伸を零す。瞬きにすら、時間をかけるようになってきた。握っている手は、ぽかぽかと温かい。こっくり、と、ぴよぴよした頭が船を漕いだ。
「そんなの、」
こんな、隙だらけの顔。
気を許してくれている顔。
撮るなっていうのか? なんて酷な。
「―― 好きだからに決まってんじゃん」
ぽとり、と、絡んでいた手が布団に落ちる。たっぷり三秒経ってから、垂れていた頭が持ち上がった。眠そうな目が、何度か瞬かれる。そのうちに、頬が色づいてきた。
いつまで経っても、こいつはオレの好意に慣れてくれない。セックスを覚えるのは早かった。キスは、今でこそ平気だけど、しばらく緊張されていたな。で、「好き」とか「愛してる」って言葉には、まだ身構えられる。いつか、当然と聞き入れてくれる日は来るだろうか。そのとき見返すためにも、この顔、撮っておきたい。
「愛しい男の色んな顔、褪せずに覚えておくには写真がいちばんだろ?」
そっとカメラを掲げて見せると、三ツ谷は小さく唇を噛んだ。
簡単に好きって言うな、愛しいって言うな。あと、ソレを写真を撮りたい理由にするな。見開かれた目が、雄弁に語り掛けてくる。なんだよ、好きだから撮りたい。理由としては十分じゃん。ああ、オレにこんなこと言われたら、断れないからイヤなのか。
ほんと、可愛いよ、オマエ。
掲げたカメラを、しれっと構える。ファインダー越しに、真っ赤に火照った顔が見えた。ア。噛みしめていた唇が解ける。眉はすっかりハの字を描いていた。世間一般には、この顔つきは情けないと表されるのだろう。けど、オレにはそうは見えない。
そして、今日三度目の、シャッターを切った。
「~~また勝手に撮る!」
「はは、だって可愛いから」
可愛いって言うな。ぎゃんっと吠えるそいつを余所に、撮ったばかりの一枚を確かめる。
やっぱり、三ツ谷は愛おしい顔をしていた。