あーそーぼ
三ツ谷が男と遊んでいる。
と、いうのは、正直なところ、何年も前から知っていた。
知ったきっかけはなんだったろう。東卍が解散して、バイク屋の開業だなんだとあれこれ走り回って、ちょっと疎遠になった時期のことだったはず。実家―― と言って良いのかはわからないが、「まあ実家ってことにすればいいじゃん?」とガキの頃にキャストの女に言われた―― でバイトした帰り道、ふらりとあの頭を見かけたのだ。しばらく見ないうちに、随分と髪が伸びたな。一瞬、誰かわからなかったくらい。……と、いうほどでもないか。ちょっと雰囲気は変わったけれど、三ツ谷とわかる程度。こんなところで何やってんだ。声を掛けようと、円山町の歪んだ空気を吸い込んだ。
『お待たせ』
『いえ、全然』
しかし、出そうとした声は喉元で引っかかる。ぽやっと立っていたそいつは、さも当然と言わんばかりに、スーツ姿の男と連れ立って歩きだした。
え、誰、そいつ。そのおっさん。いや、二十代っぽいから、おっさんて程でもないか。だと、しても。なんのために、三ツ谷はあの男とこんな場所を歩いているのだ。定時制に通いながらデザインの勉強してると言ってた、その関係だろうか。
半ば呆けながらその背中を見送る。それなりに距離があること、人通りが決して少なくはないこともあって、三ツ谷はオレに気付く様子はなかった。
でなきゃ、あんな嫋やかな顔、無防備に晒すもんか。
三ツ谷は、連れ立った男に媚びるような顔を見せていた。あの顔つきには心当たりがある。なんならさっき、実家で散々見た。客を相手するときの嬢たちと同じ。
ウリ? エンコー? つーか、オマエ、未成年じゃん。ついこの間まで、無免許暴走をしていたのを思うと、些細なことだろうか。……些細で済ますのもよろしくない、よな。
『あ』
困惑しているうちに、三ツ谷と男はあるバーの扉を潜る。おい、おいおい、そこ確か、アレなバーじゃね? ああいう店は、いつだって摘発とイタチごっこ。手を変え品を変え、ずるずるとこの界隈に佇んでいる。ということは、三ツ谷がマズい橋を渡っているというコト。カタギになったってのに、何をやってんだ、あいつは。いっそ無理やりにでも追いかけて、引っ張り出そうか。
『……』
待て、未成年、と言っても十八だ。おかげさまで自分も、児相のワーカーとの定期的な面接から解放された。……なら、何かやらかしても自己責任か?
腑に落ちないところはある。だが、かつてほどの親交がなくなっているのも事実。あいつのことだ、騙されているとは思えない。わかった上で、やっている。
『なら、いい、のか……?』
世間一般的には良いとは言い難いのかもしれない。しかし、自分がどうこうできるとも思えない。ぐるぐると頭を悩ませながら、ひとまず越したばかりの賃貸アパートの方に足を向けた。
翌日、一〇〇円セールのドーナツを手土産に三ツ谷家を訪ねると、出てきたのは綺麗なワンピースを着た上の妹。ルナは、三ツ谷然とした口調で「麦茶でいい? マッズいインスタントでいいならコーヒーもあるけど」と言った。ああいや、こいつも確かに三ツ谷なんだけどさ。妹だけの家に上がるのもな。そう躊躇っていたところで、三ツ谷がふらりと顔を出した。大きなあくびは、オレを見つけた途端、ぎゅうと飲み込まれる。
『ンッ……、どしたの、ドラケン。つか久々だね、なんかあった?』
その顔は、眠たそうなものの、昨晩の色はどこにも残っていない。
『……ミスドのセールやってたから、つい』
『んはは、なにそれ? でもありがと、マナすごい好きだからさ、喜ぶよ』
そして小さくはにかむと、緩慢な足取りで台所へと引っ込んでいく。
―― その襟足についた、赤い痕だけが、アレは正しく三ツ谷だったのだと訴えかけてきた。
あれから、もう何年?
なにかにつけて、三ツ谷が男と連れ立って歩くところを見かけるあまり、心配より先に慣れてしまった。相手の男は上背があるという以外に共通点はない。歳は近かったり、離れていたり。多くの場合、肩なり腰なりを抱かれているから、きっと三ツ谷が下なのだろうな、と思った。いかがわしいバーに入ったのを見たのは最初のうちだけ。近頃はラブホに入るところ、出てきたところを見かける方が多い。
遊ぶのは良いけど、ここ、実家からそんな離れてないだろ。妹たちに見つかっても知らねえぞ。いや、あいつらはまだこの界隈を歩くような歳じゃない。だから、気兼ねなくこの街で遊び呆けているのか? ……なんだっていいか、三ツ谷が良しとして、ああも遊んでいるというのなら。
限定出店のプリンを提げながら、今日もその横顔を遠目から眺める。そのホテル、結構高いとこじゃん。あと、女子会プランが異様に多いはず。この間、ルナが言ってたっけ。ラブホ女子会やってみた~い、って。今に、お兄ちゃんの遊び癖、バレるんじゃね? それとも、敏い妹たちのことだ、もう知っていたりして。どうせこのプリンはマナに頼まれたものだ、カマかけてみるか。……十八にも満たない女子中高生にしていい話題じゃねえワ。やめやめ。
小路に入ってくる軽ワゴンを見送ってから、ぱたり、踵を引きずるように踏み出した。
「えっ」
「あ」
その、瞬間。
はじめて、そういう男といるときの三ツ谷と、―― 目が合った。
「ッ!?」
熱を帯びていた顔が、一瞬にして凍りつく。顔だけでなく、足まで固まっていた。そのせいで、くんっと隣にいる男の腕が突っ張る。ホテルに入りそびれたソイツは、「どうしたの」とでも言ったのだろう。三ツ谷の目が一旦オレから離れ、そばにいる長身に向く。
こっちにとっては何度も見た光景だ、今更三ツ谷が誰と遊ぼうが「今日も遊んでんなあ」と思うだけ。
……だが、向こうにとってはそうもいかないらしい。
ルナの言葉を借りると、三ツ谷はオレの前ではぶりっ子をしている。無垢で可愛い顔を見せようとするのだ。性欲なんてありません、という雰囲気すら纏っている。それだけに、こんなところを見られたとなっては、さぞ気まずいことだろう。
さて、どうしたもんかな。慌てて立ち去ろうものなら、「避けました」と言っているも同然。そうされたときの三ツ谷のショックは想像に容易い。かといって、声をかけるのもいかがなものか。
わかんねーな、どうするのが正解?
むにゃり、困惑のあまり唇が波打った。
……ほとんど、同時に、三ツ谷の口ももにゃりと歪む。かろうじて見える右手が、ぎゅと、握り込まれた。
「んグゥッ!?」
「んん?」
気付くと、行きずりの男の体がくの字に折れていた。なんとなく、ボゴ、という鈍い音も聞こえたような、聞こえなかったような。目を見張っているうちに、その男はよた、と足を縺れさせてから蹲った。
おい、いま、オマエ、おい三ツ谷。オマエ、さあ。
「なんで殴った?」
「ちがう! これは!?」
「いや、違うも何もねえじゃん、すげえイイトコ入ったろ今」
「まっ、まだ入ってない、そんなッ……、そういうんじゃなくて!」
ワッと声を荒げた三ツ谷が、ぱたぱたとこちらに駆けてくる。オレじゃなく、そっちの男の心配してやれよ。いくら現役から退いてしばらく経つとはいえ、渋谷・原宿じゃあ随分と名の知れた『三ツ谷隆』のボディブローを食らったんだぞ。あの様子じゃ、鳩尾にキマったに違いない。下手したら、吐いてる。そっと視線を送るが、しっかり蹲っているせいで、本当に吐いているかどうかは確認できなかった。
あ、顔上げた。ウン、なんか口べとべとしてるっぽいけど、マジで吐くには至っていない。
「なっ、なんだよキミ! 彼氏いるんじゃないか!?」
「あ゛ぁ!? 彼氏なんて俗っぽいモンと一緒にしてんじゃねえよボケ!」
再起不能を回避する程度に、殴られた男には胆力があった。鳩尾を押さえながら、三ツ谷に恨み言を吐いている。対する三ツ谷は、なんというか、……元ヤン、表に出すぎ。すっかり、あの男と連れ立っていたときとは、まるで違う熱を纏っていた。オレにとっては懐かしくもあるが、物騒なことに変わりはない。近くを歩いていたカップルが逃げるように通り抜けていく。
「おい、とりあえず落ち着け、目立ってんぞ」
「ぅ、……ン」
「うん?」
ひとまず落ち着かせるか。そう思って声をかけると、ぱっと三ツ谷がオレの方を振り返る。その顔は、思ったような表情はしていない。どう見ても、元ヤン面じゃなかった。なんだか、きゅるっ、という効果音が聞こえてきそう。長い睫毛は上を向いて、健気に震えていた。三秒ばかりの上目遣いを経て、その瞼は控えめに伏せられる。大口を開けて凄んだ唇は、しおらしく小さくなっていた。
ルナの言葉は、大げさではないのかもしれない。こんな落差見せつけられたら、そりゃあ、ぶりっ子にも見える。
「あー、と……」
「……」
「……なんか、弁明、ある?」
あったところで、自分にとってはどうでもいい。そもそも、弁明してほしいとも思っていない。
しかし、三ツ谷の何か言いたくて仕方がない顔を見たら、そう口からまろび出ていた。
おかげで、俯いたばかりのソイツはすぐに顔を上げる。垂れた目は大きく見開かれ、やっぱり、きゅるんっと聞こえてきそうだった。それとなく腕が持ち上がり、控えめにオレの袖を掴む。
指先にきゅうと引っ張られる感覚が訪れる。
目の前にいる男は、とてもじゃないが、あのボディブローを繰りだした人間には見えなかった。
「ッさっきの、人とは、別に」
「……うん」
「なんでもなくって、えっと」
「あのさ、三ツ谷」
「っなに!」
「オレ、結構前からオマエが男遊びしてること」
「え」
「知ってるからさ」
「ぇ」
「そこの、えーと、……弁明? は、しなくて、いいよ」
「ェ」
スン、と、三ツ谷が黙り込んだ。背負っていた、やけにあざとい雰囲気も霧散する。エの形に小さく口を開けたまま、三ツ谷の顔からごっそりと表情が抜け落ちた。袖を掴んでいた手も、ぼたり、落ちる。
……三ツ谷は、心底、オレに知られたくなかったらしい。そうでなきゃ、こんな顔するもんか。黙って、あの男とのなんやかんやを聞いてやれば良かったろうか。こいつは頭も悪くない、弁明の範囲を指定しなければ、それなりに取り繕った理由を述べただろう。だが、それだと、三ツ谷の遊び癖を知っている自分には嘘臭く聞こえてしまう。
さて、絶望の淵に立ったかのような面のこいつを、どうフォローしよう。ム、と頭を巡らせてみるが、どうも良い案は浮かばない。
「そ、っか」
「ん?」
「知ってたん、だ」
「……まあ、ウン」
「そっかあ……」
三ツ谷の首は、どんどん下を向いていく。最終的にほとんど項垂れたせいで、旋毛がいつも以上によく見えた。
やけに凹むじゃねえの。ここまで項垂れられるのは想定外。そんなに知られたくなかったって? だったら、オレの庭みたいなところで遊ぶなよなあ。まあ、この数年間、一度も出会わなかったとなれば、慢心もするか。オマエが気付いていないだけで、こっちは何度も見てるんだけど。
こんなことなら、早いうちに「あの男、誰」とでも聞いてしまえば良かったか。……三ツ谷が知られたくないことに変わりはない、開き直ったコイツと絶縁でもされたら、流石に凹む。オレだって、凹む。
ぐる、と首を回しながら、もう一度、頭を巡らせた。腹を殴られた男はよたよたと去っていったが、三ツ谷が同じように立ち去る様子はない。ここで踵を返したら、逃げるようなもの、とでも考えているのだろう。似た者同士だよなあ、オレら。
一つ息を吐いてから、極力静かに、三ツ谷の頭、側面に触れた。
「この際だから、聞くけど」
「……ッス」
「ああいう男と遊ぶの、そんな楽しい?」
「う」
下手に慰めることはしない。後ろめたさでいっぱいのところに気遣われたって、罪悪感が増すだけ。
だから、一つだけ、そういうことをして、楽しいのか、だけ聞くことにした。そりゃあ、できることなら、なぜ男に抱かれるようになったのかとか、どうしてああいう男が良いのかとか、聞きたい。洗いざらい、問い詰めて吐かせたい。かといって、男遊びをするようになって経緯なんて、どうやったって長くなるに決まってる。こんなところで長話をする気にもなれなかった。
指が、長さのある髪を潜る。ぼんやりとネオンの光を映す淡い色は、見た目よりずっと細く思えた。地毛がそもそも茶色い奴だけど、この色を保つのはさぞ大変だろう。ぷつんと切れないだけ、良い方か。
たっぷりと柔い髪の感触を確かめてから、その下に潜んでいる龍に触れる。自分とすっかり対だから、晒されていなくてもおおよその位置はわかった。この辺りが頭で、首で、それから、尾。
耳を染めた頭が、こくん、小さく頷いた。
「……じゃあ、」
本当は、両手でこの小さな頭を抱えたい。けれど、片手には、土産を提げている。それも、こいつの妹あてのもの。無下にはできない。
仕方なく、片手だけで、三ツ谷の顔を上げさせた。青褪めていた顔は、耳と同じか、それ以上に真っ赤に色づいている。珍しく眉はハの字に垂れ、見開かれている目にはたっぷりと水が溜まっていた。微かに開いた唇からは、浅く息が吐きだされる。
ごめんなさい、とも、見限らないで、とも、言っている風に見えた。
安心しろよ、この程度で軽蔑なんて、してやれねえから。
「―― オレとも遊んでよ」
「へ」
ほとんど真上を向いたそいつの顔を、覆いかぶさるように覗き込む。ぱちんと瞼は瞬かれ、張り詰めていた涙がつうと零れた。けれど、流れたのはその一滴だけ。しとどに目元が濡れることはない。
「だから、オレは、どお? そこそこ都合のイイ男になれると思うんだけど」
「む、むり」
「……なんでだよ」
「ドラケンとは、無理、遊ぶ、とか、むり、できない」
「だから、なんで」
都合のイイ男になれる、というのは本心だ。でなきゃ、何年も男と遊び呆けるこいつのこと、放ってなんかおけない。なにやってんだって引き止める機会はいくらでもあった。けれど、それをせず、「三ツ谷が良しとしている」という一点のみを理由に、手出しせずに過ごしてきたのだ。今更、その放蕩癖を非難しようとは思わない。しいて難癖をつけるとすれば、上背のある男が良いというなら、オレでも良いだろ、というくらい。
……あれこれ言い訳を連ねるのはやめよう。放っておいたら、そのうち三ツ谷の熱を孕んだ目が、自分に向くのでは、と期待していたんだ。
まあ、この数年、ただ待っていたわけでもないのだが。
「みつや、」
「ぁ、だって、―― 本気に、なっちゃぅ」
人間、顔が火照ると、頭の方まで熱くなるらしい。指先に、ちりちりと熱が伝ってくる。
やっと答えた三ツ谷は、辱められたかのように震えていた。
「いいじゃん、それ」
「よ、よくないだろ、こんなビッチにマジになられたって……」
「……三ツ谷ってさあ、考えたことある?」
「ぇ、な、なに、を」
「オレが、どうしてオマエの妹のこと、懇意にしてるか」
するりと手を引きながら、にやりと口元を歪める。名残惜しいが顔も離し、三ツ谷に見えるように提げている箱を持ち上げた。高い飯屋には興味はないが、妹の影響でスイーツの有名店のことは詳しい。案の定、「あ、マナの」と零したから、何の箱かはわかったらしい。
「やっとさ、大事な大事なお兄ちゃん、譲ってもいいよって話がついたんだ」
だから、本気になってもらえるのなら願ったり叶ったり。
とりあえず今日は、プリンを届けるのを先にしよう。
真っ赤になってわなわなと口を震わせる三ツ谷の腰を抱いて、風俗街に背を向けた。