幼稚な懺悔が精一杯

三ツ谷が淫魔という設定


 こいつ、美味そうなところに住んでるな。
 これが、その男―― まあ、出会った当時は少年と呼ぶのが相応しいが―― の第一印象だった。
「……ぅう、」
 自分のか細い呻きなど、寝入っているそいつには届きはしない。まったく、野郎の膝の上で、よくもまあすやすやと眠れるものだ。こんなに硬いところに頭を預けるくらいなら、その辺にある座布団を二つに折った方が、ずっと心地良いだろうに。……そいつは、何故かオレの膝に、頭を預けている。
 いつも、そうだ。酒の入ったレジ袋片手にやってきて、「ちょっと付き合えよ」と人の家で酒盛りを始め、適度にアルコールが回ってきたところでこいつはオレの膝を枕に眠りだす。酒を持ってくるのも良い、宅飲みになるのも構わない。しかし、オレに膝枕を求める意味が、わからない。
「なんなんだよぉ」
 ぽつりと情けない声が漏れた。音のほとんどは口の中で融けるが、その意味の文字列は脳みそにこびりついている。なんなんだ。本当に、なんなんだ、こいつ。
 じ、と見下ろしたドラケンの口からは、くーかーと穏やかな寝息が立っていた。
「……ぅうぅ」
 そして、また、か細く呻いてしまう。この十数分、それを繰り返している。
 我慢ならないなら、一思いにその頭を膝から落としてしまえば良い。痛いと喚かれようと、何すんだと怒鳴られようと、寝るなら枕使えと突っぱねればいいだけのことだ。わかっている。
 だが、この体は、そうすることができない。
「……っふ、ゥ」
 鼻孔を掠める甘い匂いは、手で覆った程度じゃ阻めない。じんわりと走る痺れに下腹を押さえると、キュンとはらわたが疼いた。まったく、不便な体だ。
 この文明蔓延る現代に、―― 淫魔の血を引いて生きるなんて。
 母親曰く。異形の血を引く人間は、そこら中にいるらしい。ただ、当人が自覚しているとは限らないし、その素質が表出することも稀。彼女自身、夜の仕事をしていた時分に関わった人から聞いたという。食事を疎かにしても、精気さえ得ていればそれなりに生きられるのなら、淫魔の血を引いているのではないか、と。……どうして、そんな素養を引き継いでしまったのだろう。というか、表出するのが稀だというのなら、自分にも現れないで欲しかった。いや、まあ、妹二人が継がれるよりはずっとマシだと思うけど。
 ぐるぐると思いを馳せたところで、現実は変わらない。オレの膝の上で、ドラケンは寝息を立てている。いびきが聞こえることはなく、どこまでも、安らか。くそ、こっちは悶々としているってのに。ぐーすか眠りやがって。
「このやろお」
「フぐっ」
 恨めしさに鼻を抓むと、そいつの肩がびくんと震える。しかし、それだけ。ふごふごと僅かに呼吸を乱しはしたが、すぐに慣れてひゅーひゅーと歪な寝息が聞こえてきた。
 気持ち良さそうに、ドラケンは眠る。いつも、そう。何故か? 難しいことじゃない。オレが淫魔の素養を持っているからだ。
 厄介だよなあ、淫魔ってのは、実際の姿形はどうであれ、人間にとって都合良く魅力的に映る異形らしい。淫魔側が気に入った人間を相手にすると、特にその性質が強く出る。族やってたころの弟分に異様に懐かれているのも、中学時代の部活の知人に未だに慕われているのも、自分の人徳云々ではなくこの性質のせいじゃないかと疑っている。
 さらに言えば、こいつは昔からイイ匂いがする。たぶん、実家のせいだろう。ああいう風俗街は、妙な精気で満ちている。言うまでもなく、淫魔と相性が良いのだ。そんなところで育ったとなれば、こいつから美味そうな匂いがするのも、不思議じゃない。
「はぁ……」
 ため息を吐いたところで、状況は何一つ変わらない。
 どうせオレに惹かれてくれるなら、膝枕じゃなくて組み敷いてくれりゃあ良いのに。そしたら、こっちだってイタダキマスと貪れる。そりゃあ、この程度の酒量で酔っぱらう質じゃない。ドラケンも、オレも、めっぽう強いから。でも、酒を飲んでいた、ってのを免罪符にはできるだろ。仕方なかったなで済まそうよ、オレは済ますから。
 なんで、いつも、膝枕なんだ。セックスより、お膝の上でおねんねが良いっての? 何歳児だよ!
 次々と浮かぶ恨み言を飲み込んで、もう一度ため息を吐き出した。
「……」
 そいつの髪は、もう解かれている。そっと指を通すと気持ち良さそうにドラケンの頬は緩んだ。静かに触れた部分には、こいつのトレードマークたる龍の刺青がある。触ったことが知れたら、穏やかに怒られそう。オレのモンを好き勝手弄るんじゃねえって。こっちが思い出したように自らの龍を撫でても、ム、と唇を尖らせるくらいだ。バレたらまずい。でも、まあ、オレなんかの膝に頭を預けたこいつの自業自得。そういうことにしよう。
 ゆっくりと手を滑らせた。指先は、こめかみから頬へ移る。精悍な輪郭をなぞりながら顎に辿り着くと、ふくり、胸の奥で欲が首を擡げた。……引き寄せられるようにして、親指の、その腹が、男の唇に向かう。
「ぁ」
 やわく、下唇に触れた。乾いてる。荒れている。ちょっと、ささくれ立っている。触り心地の良いものでは、ない。
 なのに、離せない。表面に触れたまま、軽く引くと、唇の間の隙間が広くなった。口内の赤が、目に焼き付く。爪先に触れる吐息の熱は、瞬く間に全身に伝った。
 やばい、まずい。頭は警鐘を鳴らすが、体はそれを危険と判断しなかった。それどころか、号砲と勘違いする。
 いつの間にかそいつの頭を両手で包んでいた。ぐっと、上体を倒すようにして顔を寄せる。少しだけ抱き起こしてしまえば、簡単に鼻先はぶつかった。
「ん」
 そこまで辿り着いてしまえば、口付けるのも、容易い。
 荒れた唇に、自身のソレを押し付けた。触れるだけ、当てる、だけ。そんな自戒は、意味をなさない。だって、隙間ができている。すぅすぅと、吐息が零れている。どうして、その先に進まずにいられよう。誘惑に従って、舌を潜り込ませた。
「ん、」
 ああ、甘い。匂いに負けず劣らず、その男の口内は甘い。砂糖菓子を口の中に詰め込んだら、こんな甘さになるだろうか。いや、そんな乱暴な味じゃない。もっと、脳髄に響く甘さだ。繁忙期真っ只中に口へ放り込んだチョコレートとか、納期明けに景気よく流し込んだアルコールとか、そういう癖になる甘さ。中毒性がある、とは、きっとこういう快楽を指すのだろう。
 もっと、もっと、ほしい。欲はどんどん膨らんでいく。この甘さを享受したいと、腫れあがってしまう。
「ぁ、ぅん、ンッ」
 やんわりと舌を吸うと、痺れるような快感が駆け抜ける。触れているのは口なのに、どうも体の中心が疼いた。熱された吐息が混ざって、溢れた唾液が口の端を伝う。これ以上はまずいと舌を退こうにも、歯列を掠めた途端、理性が融けた。再び舌は絡んで、くちゅり、ぷちゅり、水音が響く。
 これで自分が、ただの人間だったなら。朽ちそうな恋心を抱えただけのヒトだったなら。キス一つしただけで、自制できたことだろう。なんなら、口付けることすら、堪えられたかもしれない。
 でも、自分はそうじゃない。
 人間でもあるけれど、異形でもある。それも、色欲に滅法弱い、淫魔だ。してしまったが最後、もう、止まれない。これだけで、満足などできやしない。足りない。満たされない。満たされ、たい。
 もっと、深く、濃く、精気を浴びたい。
「ん、ぢゅっ……」
 ようやく唇が離れる。代わりに、とろりとした銀糸が互いのソコを繋いだ。重力に従いながら、唾液の糸はぷつんと切れる。おかげで、男の荒れた唇が艶を纏った。
「ふ、ぅ……、んん」
「……は、はは、起きないんだ、オマエ」
 あんなにも長く唇を塞がれていたというのに、ドラケンは目を覚まさない。かつての副総長が、こんなにも鈍感になっているなんて。それとも、相手が自分だから? 淫魔・淫魔と言うけれど、夢魔と呼ばれることもあるんだっけ。夢を侵せるのなら、よく眠ったままでも、おかしくないのかもしれない。軽く聞いただけの生態じゃあ、それらしい推測は難しい。
 なんだっていいや、気持ちの良いことをするのに、都合が良ければ。
 丁寧に、抱えた頭を床に下ろした。ぽいと脱ぎ捨てた服を間に入れれば、枕代わりにはなろう。
 逞しい身体に跨って、一回だけ、深呼吸。もう、後戻りはできない。……違うな、したくない、だ。もう自分には、眼下にある体躯を暴くことしか考えられない。
 きっちりと絞められたベルトに手を掛けた。
「ごめんな、ドラケン」
 オマエの精気、飲ませてもらうワ。