今日もおやすみ

 近頃の三ツ谷は、疲れが溜まると予告せずにオレの家にやってくる。晴れていようが、雨が降っていようが、夜遅かろうが、日が昇るより早かろうが、―― オレが起きてようが、寝てようが。
 とはいえ、文句があるわけではない。それこそ、こちらが寝ているときなんかは、渡してある合鍵で勝手に入ってくる。そして、すぐそばに座って、オレが起きるのをじっと待っているのだ。声を掛けてくれればいいのに。眠っているオレを見たって、何も楽しくはないだろう? だから、そういうときは起こしてくれと言っている。しかし、三ツ谷が眠りこけているオレを起こしたことは、一度もない。曰く、「ぐっすりだから、悪いと思って」と。そういう気遣い、しなくていいというのに。
 で、だ。
「わあ」
「……」
「すごい、やばい、ええ……、オレ天才じゃない?」
「……オマエがそう思うなら、そーなんじゃねえの」
「やっぱり?」
 今日の三ツ谷も、まあ、疲れている。
 伸びてきた前髪は、明らかに子供用と思しきキラキラとしたピンで留められている。おかげで、窪んだように見える目元だとか、黒く濁ったクマだとかがよく見えた。垂れた目は、その体に纏わりついているだろう眠気と疲れのせいで、いっそうとろんと下がっている。こちらを見ながら、ふにゃふにゃと笑う顔なんて、オレに甘やかされているときとすっかり同じだ。
 これまでと決定的に違うところといえば、オレの家にこいつがきたのではなく、オレが三ツ谷の家に呼ばれたことだろうか。ちょっと頼みたいことがあるんだ。そう言ってきた電話越しの声は、悪くない活舌をしていたと思う。しかし、家に着いて、玄関を入ると、この顔。まずい、と気付いた時にはもう遅く、とろとろの三ツ谷の「オネガイ」を拒むことはできなかった。
「なあ、ちょっと、うーんと、脚そろえて」
「脚?」
「うん、で、こう、しゅっと、えーと、斜めに」
 いまいち言葉の足りない三ツ谷の意図を汲み取りながら、組んでいた脚を解いた。ぴたりと脚を閉じて座るだけでも落ち着かないのに、さらに斜めに角度を付けると、変に脚が震えそうになる。普段使わない部分の筋肉を使っているからだろう。いやはや、女子アナウンサーなんかがやっているような座り方を、まさか自分がすることになろうとは。っていうか、すげえな、あの人たち。この姿勢、結構脚にクる。なんで澄ました顔でできるんだよ。ちょっと尊敬するわ。
「……こうか?」
「あーそう、そう! そうです! きれい!」
 無表情のまま朝の報道番組の司会者たちを称賛していると、三ツ谷はオレとは対照的にパッと顔を華やがせた。つけているヘアピンといい勝負のキラキラぶり。その表情のままパチパチ、ペチペチ、下手くそな拍手を送ってきた。ああ、本当にこの男、疲れている。
 ―― でなきゃ、自分のような大男に、こんなひらひらとしたワンピースを着せるものか。
「三ツ谷ぁー」
「なあにー」
「オレにコレ着せてそんな楽しい?」
「たのしい」
「ア、そお……」
 細やかな抗議は、満面の笑みの前であっけなく散っていった。
 これで写真を撮ろうとするなら、もっと抵抗のしようもあったのだが、三ツ谷がスマホを構える様子はない。ただ、オレに服を着せて、ニコニコと眺めているだけ。
 ため息を飲み込みながら、自身の袖を見やる。きっとこれは、レースというのだろう。しかし、龍らしき柄が見えるから、既製品ではないだろう。というか、オレたちのこめかみに刻まれている龍と同じ意匠だ。三ツ谷が仕立てたに違いない。さらに、着せられた服はオレの体の線に沿う形をしていた。こういう細身の服は、自分じゃあ滅多に選ばない。だから、とにかく窮屈。けれど、サイズが合ってないわけではないのだろう。もし、小さすぎるのであれば、三ツ谷がこんなにこやかな顔をするはずがない。
「はあ……オレほんとすごい、わかってる……」
「はいはい」
「いやあ~、ドラケンこと採寸しといて良かったぁ」
「うん?」
 採寸? 確かに、されたな。何度もされている。一番最初は、特服を作ってもらったとき。そのあとも、なにかと測られている。持っているフォーマルスーツは、どれも三ツ谷に仕立ててもらったくらい。……まさか、そのときのを活用して、コレもオレ用にと誂えたのか? 正気かよ?
 自画自賛を繰り返す三ツ谷は、オレの胡乱な視線には気付きもしない。
「……んふふ、ふふ」
「……」
 それどころか、酷く幸せそうに三ツ谷は笑った。次はどうしよっかな、なんて不穏な言葉も聞こえてくる。
 ふよふよと三ツ谷が向けた視線の先を追いかければ、こんもりとした布の山に辿り着いた。あそこは、三ツ谷の作業用台だったはず。はず、じゃないな。そこに見える白い箱はミシンだ。だから、三ツ谷の作業台で、間違いない。
 寝そべれるくらいに広いその台には、幾重にも布が積まれている。まさか、アレ全部、服? それを、オレに着せようと言うのか。いや、そんな馬鹿な。服になっていない布だってあるだろう。全部が服というわけがない。だって、三ツ谷だ。本気で仕立てたものを、皺になりそうな置き方をするわけがない。……よくよく見れば、布はどれも綺麗に畳まれている。変に皺にならないようにと、畳んだ上で、積んでいる?
 そんな、まさか。違うと言ってくれ。
「あー……」
 こいつが元気だったなら、着せ替え遊びにも付き合った。多少の文句は吐いたとしても、三ツ谷がこれでストレス発散できるならいいかと割り切って、アレコレ着脱を繰り返したことだろう。
 だが、どう見てもこいつは疲れている。歪な拍手をしながら、頭がぐらぐら揺れているのだ。首の据わっていない赤子のよう。見ていて不安になってくる。折角、ここは三ツ谷の自宅なのだ。一刻も早く、隣にある畳敷きの空間に布団を敷いて、この困憊した男を寝かしつけないと。
 思いはすれども、立ち上がろうとした途端、ムと三ツ谷は唇を尖らせる。ついこの間、似たような顔を見たな。
『お兄ちゃんの作った服、確かに可愛いんだけどさあ、もうあんな可愛いの、着れないよ。や、着ても良いけど、ガラじゃないし。せめてマナ用にしてくんないかなあ……。ほんと、こっちの歳、考えてほしい』
 そう、愚痴りにきたルナだ。話を聞くに、ルナが服を渡されたのは、疲れた三ツ谷がオレの家にやってくる直前のことで、たっぷり寝てから我を取り戻した三ツ谷は「やらかした!」と叫んでいたっけ。安心してくれ、お兄ちゃん、ちゃんと妹の歳も流行りもわかってるってよ。
 ……待てよ、妹に服を渡しにくくなったから、オレに矛先が向いたのか? だとしても、この短期間でこんなに仕立てられるものだろうか。三ツ谷の仕事の速さは知っているが、いくらなんでも多すぎる。
「なあ」
「あれ、飽きた? 次の着る?」
「一個、聞かせて」
「んん~?」
 どうにか姿勢を保ったまま尋ねるも、三ツ谷はふらふらと作業台に向かってしまう。筋の浮いた手は、機嫌良さそうに一番上にある布を広げた。ああ、服だ。風合いは違うが、やはり細身で、裾はひらひらとしている。そういう服を、オマエはオレに着せたいのね。素面のオレじゃあ、まず選ばないような形の服。そもそも、普段着にできるようなデザインではない。ランウェイを歩くのならば格好がつくのかもしれないが、それ以外に出番はなさそうだ。
 どうせ作ってくれるなら、デート行くときに着れるようなの作ってくれねえかなあ。三ツ谷が良いと思って一から十まで作った服着て出かけて、最後に脱がすところまで面倒を見てほしい。軽く酒を引っかけているときにでも、言ってみるか。そりゃあ、パリコレに出てそうな服を作る方がストレス発散になる、というのなら、強要はできないのだが。
「こういうの、いつから作ってた?」
 さらに二、三着広げていた三ツ谷の背中に投げかける。
 たちまち、のんびりと動いていた手がぴたりと止まった。腕を持ち上げているせいで、袖口から手首が覗く。そこが、骨の形そのままに見えるのは気のせいだろうか。元来、こいつは手首や足首がキュッと引き締まっている。気のせいで、あってほしい。約一か月ぶりに顔を合わせたから、ほっそりとして見えるということにしてほしい。……今度、腕時計でも贈ろうか。あれなら、留め具を一つ内側にしたとかしないとかで、痩せたかどうか判断できそうだし。
 座らせられているソファの背もたれに、腕を掛ける。ついでに、揃えていた脚も崩すと随分と楽になった。今、三ツ谷に振り返られたら、「きれいだったのに!」と拗ねられそう。いや、大分惚けているから、「その姿勢もイイ……」と言うかもしれない。未だに疲れ切ってるコイツの反応、読めねえんだよなあ。いつか、わかるようになる日がくるだろうか。そうなるまで、こいつはオレに気を許し続けてくれるだろうか。
 無感動な顔つきを保っていると、ようやく三ツ谷の体がこちらを向き始める。ちょうど胸に抱いているのは、真っ黒な布地だった。艶もなく、透け感もない。光を吸い込んだ平坦なソレの触り心地は、今着せられているひらひらよりは悪くなさそうに見えた。
―― 東卍の頃から」
 ゆったりとした笑みを浮かべた三ツ谷は、とろとろとした足取りでオレの傍に戻ってくる。ちょんちょん、と肩を触られると、崩した姿勢は正さずにはいられなかった。背筋を伸ばせば、ぺたりと確かめるように三ツ谷は布をオレの肩に当ててくる。盗み見たソレは、今着せられているものよりは落ち着いている。布そのものに重みがあるからだろうか。レースがない代わり、に金糸と銀糸で繊細な刺繍が施されている。日常的に着るものではないのは確かだ。
「特服作りはじめてからさあ、あれもこれも、って、なっちゃって」
「……ここまで溜め込む前に言えよ」
「だってさあ、まだ実家出てなかったし、アトリエもなかったし」
「理由になってねーぞ」
「なってるよ。オレ以外の誰にも見られたくなかったの」
「は」
「ああ、服じゃなくね。これ着たオマエのこと。オレだけで独り占めしたかった」
「……」
「こんなのよりも、普段着仕立てろよって思ってる? でもさ、それだとオレだけのとっておきじゃなくなっちゃう」
 いつもより緩い口調のまま、しれっと三ツ谷は言ってのける。それから、裾の方を確かめようとしたのか、オレの足元にしゃがみこんだ。旋毛がよく見える。髪の隙間からは、耳も見えた。そこが、赤くなっていたら、まだからかいようもあったのに。白い、まま。照れる余力がないくらいには、疲れてんのね、オマエ。
 吐き出したいため息を再び飲み込んで、べちんと右手で顔を覆った。触れた頬も、額も、目元も、妙に熱い。ゆっくりと深呼吸をしてみるものの、顔の熱さはなかなか引かない。それどころか、ぺたぺたと三ツ谷が確認がてら触れてくるたびに、温度が増していく。
 だって、三ツ谷がこんな素直に独占欲を露わにしてくれるなんて、思ってもみなかった。
「あー……」
「ん、良さそう、次これね」
 さっとオレに当てていた布を纏めると、まあ綺麗な顔をして差し出してくる。仕方なく受け取ると、妙にその布は指先に馴染んだ。触ったことがある気がする。とはいえ、三ツ谷ほど布に詳しくも思い入れもないから、パッ思い出すこともできない。
 もう今日は、諦めてこいつの着せ替え人形になってしまおうか。ぽやっとした熱視線は、向けられて悪い気はしない。しいて難点を挙げるとすれば、じりじりと煽られている心地になることだろうか。うっかり、こいつを押し倒さないようにだけ気を付ければ。
 ……着るように求められるのは、きっと一着二着じゃない。三ツ谷の気が済むまで付き合っていたら、夜が明けそうだ。
 だったら、そうだな。
「三ツ谷」
「なに、他のが良い?」
「違う、今日は、悪い、もう終わり」
「え、ヤダ」
「ヤダじゃない、今日は終わり。もう寝ろ」
「ええ~」
 今もしゃがんでいる三ツ谷の手を、服ごと捕まえる。それから、ぐっと体を引き揚げてやると、荒れた唇からは「ワッワッ」と驚嘆が飛び出した。
 半ば強引に膝の上に乗せてしまえば、三ツ谷の顔に困惑が浮かぶ。その両の頬には、「これじゃ、着替えらんねえだろ」と書いてあった。あのなあ、オレが言ったの、聞いてた? 今日はもう終わりって言ったろ。
「ちゃんと寝て、起きて、飯食って、頭冴えたら、オマエが満足するまで付き合うから」
「ほんと?」
「ほんとほんと。なってやろうじゃん、三ツ谷専用の着せ替え人形に」
 そう言いつつも、頭の中では、分別を取り戻した三ツ谷が厳選して、あの山から二、三着に絞ってくれることを期待している。ただ、頭が冴えてなお、全部を求められたら、……仕方がない、諦めよう。
「っふふ、」
 じっと三ツ谷を眺めていると、ほとんど吐息といって支障がない笑い声が聞こえてくる。続けて、こてんと肩口に額を乗せられた。その体勢のままくすくすと笑うものだから、首筋に毛先が擦れてくる。もし、襟ぐりの広い服だったら、かかる吐息にもくすぐったさを覚えていたことだろう。
「やくそくだからね」
 そんな笑いの末に、蕩けそうな声音が聞こえた。あ、と思った頃には、三ツ谷の体から力が抜ける。ソファから崩れ落ちないようその肢体を支えつつ、細くなった腰回りを確かめた。すり減ってる、よなあ。腕時計、マジで贈ろうかな。
 こいつの不摂生、どうにかならないものか。……なんて思うなら、もっと真摯に「体は大事にしてくれ」と言ってやるべきなのだろう。三ツ谷のことだ、オレにそういう態度を取られたら、改めてくれるに決まっている。
 なのに、いまいち向き合いきらないまま、ここまで来ている。なぜか? 難しい理由じゃない。
「……気分良いんだよなァ」
 ―― 三ツ谷に、手放しに甘えられるの。
 その蜜を吸いたいがために、オレはもうしばらく、こいつの不摂生癖を放っておくのだろう。