甘える話
一人暮らしを始めて、数か月。
ドラケンは、週末になる度、泊まりに来る。
「なに見てんの」
「え、なんだろ」
「見てねーのにテレビつけてんのかよ」
風呂から上がると、そいつはぼんやりと頬杖を突きながらテレビを見ていた。てっきり、面白い番組でもやっているのかと思ったが、よくよく見てみれば、夜のニュース番組。なんとなく流していただけらしい。
天板の上に乗ったリモコンを掴み、適当にチャンネルを替えてみる。だが、時間のせいか、どこもニュース番組か、ぱっとしないCMしか映らない。結局、最初のチャンネルに戻してしまった。かっちりとスーツを着込んだ男が、淡々とニュースを読み上げていく。あ、この色のネクタイ、良いな。好きかも。
「オマエさあ、髪くらい乾かせよ」
「えー?」
「ドライヤーあんだろ」
ドラケンに指摘された通り、まだ自分の髪は濡れている。毛先はしっとりとまとまり、肩にかけたタオルの上に垂れていた。
確かに、自然乾燥で済ますよりは丁寧に乾かした方が良いのだろう。
……わかってはいるが、わざわざドライヤーを持ち出すほどの長さでもない。
「めんどい」
「風邪引くぞ」
「あはは、何とかは風邪引かないって言うしサ、平気平気」
「パーじゃねんだから……」
「それパーに失礼だからな」
確かに、パーは細かいことを考えるのは得意としないけれど、それがイイとこでもあるじゃん。
軽く笑いながら、強引にドラケンの隣に腰を下ろした。炬燵の脚を挟んで隣、ではない。本当に隣だ。もふり、オレ作の綿入れを着た肩と擦れた。何枚を着込むのを良しとしない男に、無理やり押し付けたお手製のどてら。タンクトップ一枚でいられると、見てるこっちが寒くなる。そう言って渡した日は渋い顔をしていたが、いつの間にかオレの家で着るようになっていた。良いことだ。
「はー、あったか」
「……」
独り言のように呟くと、隣から視線が突き刺さる。
なぜ、ここに入った。目を合わせていないのに、ドラケンの言わんとすることが手に取るようにわかる。いつもなら、こんなことしないだろ。どういう風の吹き回しだ。誘ってんのか。いや、疲れてんのか。目は口ほどに物を言うとは、きっとこのこと。
頬を緩めながら、こつり、頭を預けた。
「……かわいいことするじゃん」
「ちょっとね、甘えたい気分になったから」
くすくすと内緒話をするようなトーンで言うと、腰に手を回される。今のところ、不埒な動きはない。風呂上がりの上気した体に、じんわりと愛おしい体温が伝ってくる。それが湯船に浸かっているときみたいに心地良かった。
恋人、っぽい。いや、恋人同士なんだから、「ぽい」なんて言葉は相応しくないのだけれど。
「そういう気分じゃなくても、してくれていいんだけど」
「それはなあ、オレがダメになっちゃうからしない」
「しねーのかよ」
「うん、しない」
こいつは、オレにわかりやすく甘えられるのが好きだ。面倒見の良い三ツ谷がオレにだけは甘えてくる、というのが堪らないらしい。物好きめ。
そうこうしているうちに、ぐっとドラケンに顔を覗き込まれた。にんまりと、笑った顔が、近付いてくる。キス、したいんだろうな。ウン、オレも、したいと思ったとこ。
ぱたんと瞼を閉じれば、柔らかく唇が沈んだ。
「ん、ふ」
「は、……な、口開けて」
「んん、だめ」
「なんで」
「……月曜までの課題、終わってない」
「はぁ?」
む、と口を尖らせると、ほとんどゼロ距離なのもあってツンと唇が擦れた。けれど、かぶりつかれることはない。はく、とドラケンが口を動かす感触だけ伝ってくる。
間もなく、はあ、と、ため息を吐かれた。
「おま、こんだけ誘っといて、マジかよ」
「いやー、がんばる前に充電したくてさあ」
一つ笑ってから、軽く唇を啄むと、複雑そうに顔を歪めてから、ちゅ、ちゅ、といくつものバードキスを返された。唇の真上はもちろん、口の端、頬、目元、額、鼻の頭。ついでにこめかみにも。きっとこの男、今晩はできると期待していたのだろう。ごめんって、期待させたのは謝る。でも、がんばるために、満たされたかったんだよ、こっちも。
ちゅっというリップ音と共に再び唇を啄まれたところで、やっとドラケンは顔を離した。静かに目を開けると、顔いっぱいに不服と書いてある。だから、ごめんって。
「それ、今晩でどうにかなんの」
「まあ、どうにかする」
「オレ、起きてたら、邪魔?」
「んん、邪魔ってこたないけど」
前にも、オレの課題が終わるまで待っていてもらったことはある。一回だけでなく、何回か。ざっと思い返したところで、ドラケンに邪魔をされた記憶はない。なんなら、欲しいタイミングでコーヒーを出してくれた。肌寒いなと思ったら、ん、と毛布を引っ張ってこられたこともある。甲斐甲斐しさに、擽ったくなったっけな。きっと今回も、そんなふうにして待っていてくれるのだろう。なら、邪魔ということはない。
ただ、なんというか。
「ほんとに甘えたくなっちまいそうだから、さ。先寝てて」
課題を放り投げて、この男に甘えかねない、というのが難点。
「……無理はすんなよ」
ぐにゃりと唇を歪めてから、ドラケンは渋々と言った様子で口を開いた。ある意味では自分の存在は邪魔になる、と、理解したのだろう。別に邪魔じゃないよ。オレの理性が揺らぐってだけで。ぐらぐら揺らぎながらも、なんやかんや課題をこなすだろうし。どうしても、というなら、あと、ドラケンが眠くないというのなら、起きていてくれたって構わない。
あれこれ浮かぶ蛇足をグッと飲み込んだ。
「ありがと、おやすみ」
のっそりと炬燵から出て行く片割れを見送って、もそもそと床に投げていたカバンからクロッキー帳を取り出した。
がり、と、鉛筆の芯が紙に引っかかる。他に、線を足すところは。ざっと見渡してから、さらに手を引いた。
飛び込んでくる画面を、ぐるりと見渡す。パターンはいくつか作った。布に落とし込むにあたって考えることはあるが、課題自体はラフスケッチまでで良い。終わった。と、思う。とはいえ、完璧な仕上がりとは言い難い。そりゃそうだ、まだ自分は学生で勉強している最中。なにより、デザインという領域に完璧が存在すると断言できるかも怪しい。
少なくとも、今の自分にとっての最善は出した。そういう、ことにしよう。
ほう、と息を吐くと同時に、右手から鉛筆が転がり落ちた。かろん、と炬燵の上を転がる。手の中が空になったのを良いことに、拳を作りながら天井に向かって伸ばした。やけに背中がみしみしする。炬燵で、しかも背中を丸めながら作業していたからだろう。いい加減、作業机を買うべきだろうか。いや、家にこういうものを持ち帰らなければ良いだけだ。折角、アトリエを借りているんだから、有効活用しないと。
思う反面、課題や仕事はアトリエで、と決めたら、あの狭苦しい部屋に住むことになりそう。考えものだな。
明後日なことを一通り考え終わってから、視線を時計に向けた。部屋の灯りは落としている。ついているのは、炬燵の上に引っ張ってきた、デスクライトのみ。おかげで、壁掛け時計は灰色に曇って見えた。それでも、まったく時間を読めないというわけでもない。
「……三時、半、過ぎか」
目を凝らすと、短針は三と四の間、それから長針は六を過ぎたところだった。三時三十三分。ぞろ目だ。景気が良い。良いのか? こんな時間まで起きていた時点で、良くはない。
課題を始めたときは、まだ日付は変わっていなかった。それを思うと、三時間以上炬燵にかじりついていたのか。そりゃあ、肩も凝る。腰も痛む。もう一度背伸びをして、固まった体に血を巡らせた。
「ふぁ、あ」
集中が切れたからか、ふつふつと眠気もやってくる。泡のように浮かんできたそれは、脳みそに貼り付いて意識を滲ませ始めた。炬燵に突っ込んでいる足もやけにぽかぽかする。このまま後ろに倒れたら、三秒で寝付いてしまいそう。そして、朝、あいつに怒られるのだ。髪乾かさねえどころか、炬燵で寝ただと、マジで風邪引いてねえだろうな、って。はは、目に見える。
「ふふ、ふ」
吐息だけで笑いながら、少し離れたところにある寝床を見やった。
引っ越し祝いに貰った、そこそこデカいベッド。パーちんが「夢だったんだろ、デカい布団で寝るの!」と、とびっきりの笑顔と一緒に贈ってくれたものだ。本当は、もうワンサイズ大きいのを選んでいたらしいが、ぺーやんが上手いコト丸め込んでくれたおかげでセミダブルになったというソレ。自分一人が寝るには、当然、不自由しない。今、そこに転がっている男も、「広くて良いな」と言っていたっけ。あの図体だと、そこまで広くなさそうなのにな。それまで使っていたモノがモノなだけに、上等に見えたらしい。
それはそうとして、あくまで、セミダブル。野郎二人が転がるには、当然、狭い。セミとはいえ、ダブルという冠がついているから、寝れないことはないけれど、まあ、狭い。凝った体を思うなら、客用布団を引っ張り出して敷くのが正解だろう。
押し入れに視線を移しながら、もそり、立ち上がった。炬燵の電源は、足で踏みつけるようにして消す。それと合わせて、スタンドライトの灯りを一番小さくした。炬燵敷きは二歩も歩くと終わってしまう。フローリングに触れると、火照っていた素足が瞬く間に冷めていく。
「うー……」
腕は、押し入れの方に伸びはしなかった。
代わりに、とすん、ベッドの端につく。右脚も乗せてしまえば、流れるように体は布団に吸い込まれていった。ああ、あったかい。無人だと酷なほど冷たいのだが、今日はとにかくぬくかった。週末は、いつも、この温度。この男のおかげで、居心地最高の空間になっている。
横向きに寝転がると、仰向けになったそいつの顔がよく見えた。微かに口が開いている。鼻で吸って、静かに唇の間から息を吐き出している。穏やかな寝息だ。聞いていると穏やかな気分になれる。なんてことない呼吸を聞いているだけで安心するなんて、自分も重症だ。いや、まあ、息が止まったこともあるからな、こいつ。息してるってだけで、安心しちまうのも、仕方がないんだワ。オレは、なんにもおかしくない。ないったら、ない。
はあ。何度かのため息を零してから、その肩に額をくっつけた。
「―― みつやぁ?」
「あ、悪い、起こし」
「かだい、おわった?」
「へ」
起こした。しまった。そう思うまでは、良かった。オレを呼ぶ声も寝ぼけていたのだ、普通に、申し訳ないと思ったくらい。
「……なぁ、なにコレ、ぉい」
「あしあったけぇ……」
「聞いてねえな?」
どっと熱が襲って来た。ぼす、と、顔がやたらと逞しい胸板に埋まる。どうにか首をひねると、すぐに甘ったるい顔が視界に入った。薄暗くてもわかるなんて、よっぽどだ。オマエ、ほんとオレのこと好きな。茶化さないと、やってらないくらい、そいつの顔は甘い。緩んでいる。威厳も、くそも、ない。
オレなんかのこと、抱きしめて、こんな幸せそうな面、しやがるなんて。
ふつり。睡魔と同じ音を立てながら、羞恥が込み上げてきた。
「おいッ」
「んー、ふふ、んん……」
寝ぼけてる、まだ寝ぼけている。これは確かだ。
でなきゃ、こんなぽやっと緩んだ顔、するもんか。確信犯なら、この男、端的に悪い顔をする。効果音をつけるならば、にんまり。ふにゃふにゃ、なんて文字が浮かんできそうな笑み、浮かべるわけがない。だから、寝ぼけているのだ。
寝ぼけて、人のことガッチリと抱き込むの、勘弁してくんねえかなあ。
「ドラケンッ……!」
抗議の声を上げつつも息を吸うと、いつもの自分の布団の匂いに加えて、その男の匂いもした。うちに泊まったということは、同じ石鹸を使っている。なのに、こんなにも、違う匂いがするなんて。微かに鼻を擽るだけなら「落ち着くなあ」で済ませられたのに、全身で包み込まれると、そんな悠長なことは言っていられない。
こちらが本気になれば、今のドラケンの腕は振りほどけるだろう。微睡んでいる今なら、苦労せずに抜け出せるはず。くすくすと聞こえていた笑みも静かになってきた。これは夢の世界に帰っていった? 抜け出すなら、やはり、今か。
どくどくと血液が全身に巡る音を聞きながら、溜まった唾液を飲み下した。顔はやたらと火照っている。逆上せたときのよう。実際、逆上せたようなものかもしれない。間違いなく、今の自分の顔は、リンゴのごとく赤く染まっていることだろう。
「……くそぉ」
つられて蕩けそうな表情筋を無理やり引き締めて、がっちりとした胸を押した。離れよう。離れたい。それからベッドを抜け出て、大人しく布団を敷こう。自分の精神の安寧のためにはそれがいい。
心に誓って、体を起こした。
「ぅ……?」
起こそうと、したのだ。
「……」
「……」
「……おい」
「……ぐぅ」
「起きてんだろ」
「ぐぅぐぅ」
「わざとらしい寝息立ててんじゃねえ」
いくら腕に力を込めたって、目の前の身体を押そうとしたって、びくともしない。
躊躇うことなく舌打ちをすると、すぐに喉で笑うような声が聞こえてきた。いつの間に起きたんだ。むにゃむにゃしてたろ、くすくす笑いも微睡で静かになってたろ。いい感じの寝息だって、立ててたじゃん。
なんとか肩から上を動かして、そいつの顔を改めて見上げた。下から見上げているような気分だが、横になっているのを思うと、お互いの頭があるのは同じ高さ。だのに、低さを味わっている。変に、ム、と腹の中が拗れた。
「おいってば、起きてんだろ」
「バレたかー」
「バレるだろ、逆に気付かないとかある?」
「三ツ谷がソッコーで寝こけたらあったんじゃね?」
声を潜めながら、ドラケンは器用にも片目だけ開けて見せた。寝ぼけていたときの緩さはない。代わりに、オレを見下ろしているときに浮かべる、やけに甘い顔をしていた。人のことを甘やかそうと、小首を傾げて見せる時の、あの、顔。普段の顔も十分男前だし、破壊力はある。だが、これはその比じゃない。見ていると、こっちの顔が破裂しそう。
「……離せよ、やっぱ、オレ、布団出すから」
「なんでだよ、いいだろココで」
「思ったより暑い」
「オレは寒い。……なあ、オレのワガママってコトでさ、ここまま寝ようぜ」
「……狭くね?」
「ぜんぜん」
「あ、そ」
灯りを、ぎりぎりまで落として良かった。不貞腐れているかのように取り繕った表情には気付かれても、カッカと頬を染めているのまではよく見えないだろうから。
呆れた素振りのポーズとしてため息を吐いた。仕方がない、コレは、ドラケンのワガママ。恋人の、これくらいのワガママ、聞くくらいの器量はなくちゃ。そう自分を納得させ、自分こそがこいつと一緒に寝たがっている、という気持ちを誤魔化していく。
名目上、開き直って、こっちからドラケンにくっついた。腕を回して、ぺたりと胸に頭を当てる。と、それとなく足先が絡みついてきた。剥き出しの甲を、さり、と撫でられる。これは、これで、なんか、恥ずい、かも。
「なあ」
「なに」
「もう一個、ワガママ言っていい?」
「……聞いてやろうじゃん」
「ちゅーしたい」
あれ、ドラケンまだ寝ぼけてんのかな。
舌足らずな発音の仕方に、バッと顔を上げた。
「は?」
「だめ?」
「だ……」
だめ、と、一蹴することができようか。できるものか。こんな甘ったるい顔したやつのオネガイを無碍にするほど、自分は薄情ではいられない。むしろ、贔屓しそうなくらいには入れ込んでいる。
かといって、このまま素直に唇を差し出すのも、癪。
布団の中で、もぞもぞと身を捩らせた。ベッドシーツに直接乗っていた頭を、枕の上まで移動させていく。オレのしようとしたことを察してか、抱きしめる腕は緩めてくれた。とはいえ、脱出できない程度に力は入ってたいたのだが。
数十秒を経て顔の位置を揃えると、それだけで鼻先が擦れた。ちょっと、冷たい。人に風邪引くだなんだと言っておきながら、この男こそ風邪を引きそうだ。そういえば、筋肉質だと風邪を引きやすいんだっけ? 体脂肪率はクソ低いから、実は免疫力、高くなかったりして。気を付けろよな。
「ん」
あれこれ念じながら、ぷちゅ、その鼻先に口付けた。
「……そっちかよ」
「……ふふ、うそうそ、ちゃんとするから」
「ん」
「ム」
拗ねた声色に、頬が緩んでしまう。情けない顔をしていることだろう。けれど、今は距離が近すぎる。こいつの目にだって、真っ当に入ってはいまい。
改めて、唇同士を重ね合わせた。たっぷりとお互いの熱を、柔らかさを確かめる。そのうちに、頭に手を添えられた。さりさりと、自然乾燥で軋んだ髪を梳かれる。さほど癖のない自身のそれは、されるままに流れていく。
「ぅ、ん」
「ん」
「ぁ」
息継ぎを挟むと、終えるより先に下唇を食まれた。形を確かめるように舌が這う。やわやわと、甘く歯が当たる。ああ、物足りなくなってきた。つい、舌を伸ばしてしまう。そいつの唇を、ちろり、舐めた。すると、自分のとは対照的に分厚いソレが、ぬるりと絡みついてくる。ねっとりと、互いの唾液が擦れて、混ざって、息と熱を分け合った。
真冬の静かな夜に、水の音が響く。息苦しさに身悶えてはベッドが軋む。頭から背中に降りてきた腕が、手の平が、くるりと楕円を描いた。
「ぅあっ」
「……なあ、三ツ谷」
まだなにか、あるんだろうか。そうなると、これで暫定ワガママは三つ目。
いい加減にしろと諫めても良い頃合い。しかし、そうする気にもなれなかった。
くるくると背を撫でられていると、ぞわりと肌が粟立つ。気持ちが悪い、とは、異なる風合い。かといって、心を穏やかにさせてくれる質のものでもない。心が騒ぐような、掻き立てられるような。
はは、今、かなり、―― 期待してる。
「なに」
キスに浸るために閉じていた目を、そっと開けた。
「シたい」
そして捉えた男の瞳には、ぼぉっと熱が灯っていた。
頷くより早く、背中を撫でていた手が部屋着を捲り上げる。布団の中にいるため、ひんやりとした空気には触れずに済んだ。代わりと言っちゃなんだが、思っていたよりもずっと熱い手の平が背中を這う。指先が、寝そべっているせいで露骨に浮き出ている骨の形をなぞった。あばらをそれぞれくすぐったり、背骨の一つ一つを摘まんだり。指の腹を使って柔らかく触れているかと思えば、爪先で引っかいてくる。
丁寧に触れられる感触に、とくとくと心拍数は上がり始める。手の平が上にやってくるほど、呼吸は荒くなっていった。だめだ、何かにしがみつきたい。そう思うと同時に、自分の腕をドラケンの肩に回すと、吐息で笑う気配がした。
「わらうなよ」
「あんまり可愛いから」
「はらたつな、ぁ、ム」
文句を言うと、あやすように唇を塞がれた。ちゅっと舌を強請られて、つい、差し出してしまう。瞬く間に絡めとられたソレは、つるつると擦れて気持ちが良かった。ドラケンの体温を如実に感じられるのも、悪くない。
「ん、ぅ」
「は、きもちよさそ」
「……うん」
「素直でよろしい」
「ぁ」
軽い問答が終わると、体をまさぐる手が加速し始めた。ちりっと肩甲骨を掠める。工具を触っているせいで、硬くなっている手指の皮膚が脇を通り、胸にまで辿り着いた。大きな手の平は、しっかりと胸に乗っている。野郎の平らな胸に触れたって、楽しいとは思えない。柔らかい脂肪はついていないのだから。あるものと言えば、運動不足で貧相に片足を突っ込みだした絶壁だけ。
「なあ」
「ん?」
「そんなとこ触って、たのしい?」
「楽しい」
「即答かよ……」
「オマエの体だからな」
「理由になってないって」
「なってる。三ツ谷だから、ぜーんぶさわりてーなーって思うの」
「……あ、そ」
なんだか、目を合わせていられなくなってきた。ぱたん、目を伏せると、こつ、額がぶつかる。それから、甘えるように擦りつけられた。どうしたというのだ。柄にもなく幼気な仕草に、すぐに瞼を持ち上げてしまう。程近いところで、目が、合った。視線が絡む。
ちゃんと、見てろ、と言われているような気がした。
「ぅ」
仕方なく、じっと瞳を見つめていると、胸にある手がのったりと動き始めた。
右手の、親指だろうか。その表面が、胸の、特に皮膚薄いところを撫でる。滑るように這って、引き返しながら撫でて、また滑っていって、―― く、突起に引っかかった。
「あっ……!」
びくりと体が震える。
ほとんど同時に、甘い声が舌に乗った。
「……乳首、イイ?」
「んな、こと、……ぅ」
「我慢すんなって」
「ひぅ、ンぁ、して、なぃってば……」
「はは、かたくなってきた、どう、気持ち良い?」
そんなの皆まで答えなくてもわかるだろうに。
重なった視線の先では、切れ長な瞳に蕩けた色が乗っている。ついでに、唇はぐにゃりと歪んで綺麗な弧を描いていた。面白い玩具を見つけた子供、に、しては、卑猥すぎる。それもそうか、そういうこと、しようとしてるんだから。
肌に触れる手は、撫でる、から、弄るにとってかわる。手始めに、親指と人差し指とで突起を抓まれた。そもそも、突起と言えるような大きさではなかったと思ったのが、いつの間に膨れてしまったのだろう。
くるくると乳輪をなぞられては、片側の乳首だけを引っ張られる。たまに中心に爪を立てられると、擽ったいような痺れが走った。
甘い心地よさが、降ってくる。……片側に、だけ。放っておかれている右側が、なんだか切なくなってきた。ぷくりと主張を始めてはいる気がしてならない。享楽と一緒に、羞恥心も沸き立ってくる。
「……泣くほどいーの?」
「は、ァなに、」
「目、うるうるしてる」
「ぅ、や、なんかじんじんして……」
「あー、強すぎたか? ならこっちはもうやめとくか」
「こっち?」
咄嗟に聞き返すと、しれっとした笑みを返された。その表情のまま、ドラケンは胸に触れていた手を、腹のほうへの移動させていく。相変わらず表面だけを擦る触り方で、とにかく擽ったい。アだのヒだと、色気のない悲鳴を上げてしまう。いや、それでもにんまりとした顔をしていたから、色なり艶なり、あるように思ってくれているのだろうか。自分じゃもう、なにも判断できない。
そうこうしているうちに、滑り落ちていた手の平は腰骨の上に辿り着いた。女性に比べたらろくな凹凸はない。しかし、骨の形を確かめるように撫でられると、実際よりも張り出しているかのような錯覚に陥る。
「あの、さ」
「ん」
「手付き、えろいよ」
「えろいことすんだから、そうもなるだろ」
「そ、っか」
「そ」
頷くのを見届けると、手先には明らかな劣情が乗った。するりと布地と肌の間に入り込み、長い指先が股関節の線をなぞっていく。じんわり、ゆっくり、確かに、中心に近付いてきた。
……あれ、オレ、なんか、もう。
「~~待った!」
「うぉ」
どん、と、ドラケンの肩を押した。その勢いで、ばっと体を起こす。
抱きしめる力そのものは緩んでいたらしい。オレの体を捉えいてた腕から、思いのほか簡単に抜け出すことができた。そいつの手はまだ軽く腰に触れているが、ウエストのゴムからは抜けている。布だけに、触れている状態。
……改めて、ドラケンを見下ろした。見下ろせて、しまった。
「っ」
なんだ、この体勢は。肩を押したというのもあって、ドラケンは仰向けになっている。で、自分はその両肩に手を置いて、突っ張っているところ。なんというか、オレが押し倒したみたい。あまりの落ち着かなさに、ぎゅっと両手をひっこめた。
「あー、……ヤだった?」
「いや、ヤっていうか、その、なんつーかな、」
「うん」
視線を合わせてもいられなくって、宙に浮かせた両手を握っては開き、また閉じては緩める。このあと、しようとしている行為に嫌悪感を抱いたわけじゃない。だって、付き合っているんだし、何回かは、経験しているし。今晩だって、したくない、なんては思っていない。なんなら、やりたいな、という方に頭は傾きつつある。
体の方なんて、期待で満ちていた。……そりゃあもう、ぐずぐずの、ぐしょぐしょに。
「……ぱんつのなか、やばい、かも」
「は?」
「なんか、女みたいに、ぐちゃぐちゃ、なって、ル」
言ってしまえば、先走りが、必要以上に溢れていた。布地がじっとりと肌にくっつくし、身じろぎをするとにちゃにちゃ粘着いた感触もする。キスして、擽られて、乳首を片方だけ捏ねられて、それだけこんなに濡れること、これまであったか? いや、ない。
いくらなんでも、期待しすぎだろ。ただでさえ胸中に居座っていた羞恥が、いっそう大きく膨れ上がる。
「……なんかさあ」
「ンだよっ」
「それ、言っちゃうのが、三ツ谷って感じする」
「はぁッ? だって、オレ一人善がってるみたいで、なんかッ、……キモく、ない?」
「んん? キモくないだろ、ふつーに」
「ほんとかよ」
「ほんとだって。つか、あー……」
気付くと、自身は正座の姿勢をとっていた。のっそりと起き上がったドラケンは緩く胡坐を掻いている。同じように足を崩せば良いのだろうが、どうも足は正座で固定されて動かなかった。押し退けた布団と毛布が、ベッドの端に追いやられて山になっている。なにもかも放り出して、あの山に突っ込めたら、どれほど楽だろう。
正座した足の上、服で覆われている上から、そっと両手を被せた。白状した通り、そこは既に反応している。完全に膨れているわけではないが、だからこそぐっしょりと湿っているのが解せなかった。いくらなんでも、感じすぎだろ。抱かれることを期待して、こんな風に濡れるなんて!
「三ツ谷ばっかり、ってわけじゃ、ないよ」
「え」
ふと、手が触れた。捕まった。ぎゅっと、片腕を引っ張られる。
その手を目で辿ってから、慌ててドラケンの顔を見やった。と、そこには、珍しく困ったような表情が浮かんでいる。
「オレも、今、こんななってる」
そして、とん。手が辿り着いた。胡坐を掻いている、その男の中心に。緩く開いた自分の手のひらが、中央に乗る。平の窪みには、しっかりと、膨らみが当たっていた。
なに、この、でかくて、かたいの。
そう思ったのも、コンマ一秒そこら。
「~~ッバキバキじゃん!」
「わかったろ、じゃ、もっとこっち」
「ワッ!?」
ぽかんとしている間はなかった。左手まで捕まって、強く引き寄せられてしまう。
座ったまま抱きしめられるのかと思ったが、ドラケンはどふりと後ろに倒れ込んだ。必然的に、こっちも前のめりになって、倒れる羽目に。思いっきり、ドラケンの胸に飛び込んでしまった。起き上がろうにも、腕が腰と背中に回っているせいで、叶わない。
互いの、腫れた部分が、ニチり、擦れた。
「すれ、てるんだ、けど」
「だな」
「……これからしたら、朝になっちゃわない?」
「へえ、朝までつきあってくれんの?」
「うぇっ、ぁ、や……、その、」
「ふ、冗談だって。まあ、でも、ンン~、一回はシよ」
「ッぇあ、うわっわっわっ!」
言い淀んでいる間に、腰に回った腕が不穏な動きを始める。ウエストのゴムの部分に、指が引っかかった。それから、ぐ、と下へと引っ張られていく。部屋着と、下着、二枚合わせて、下げられていく。
「ァ……」
ひやりと、尻が外気に触れた。しかし、当たるのは背面だけ。うつ伏せのような状態のため、後ろだけ脱げたのだ。前は、ぎりぎり引っかかっている。体の間に挟まっているせいもあるだろう。し、立ち上がったナニが引っかかっているせいも、ある。
ぐいぐいと、互いに押し付け合っているのも、きっと、理由になる。
「……すけべ、朝までする気、満々じゃん」
「男は誰だってスケベだろ」
そう言葉を交わしたところで、甘くも意地悪な顔をした男の手は、オレの体をまさぐり始めた。
未明に始めたセックスが終わったのは、ランチタイムに差し掛かる頃。互いの腹の音が、止め時の合図になった。