みつやの育乳日記
女体化
忘れられない言葉がある。
『かたくない』
なんの折だったか、柚葉がマナのことを抱きかかえたときだったと思う。妹は、ぎゅうと体に触れる柔らかな感触にたいそう驚いていた。かたくない、ふわふわ。そう言いながら、妹の手は柚葉の胸をたしたしと触る。
当然、妹の言うところのソレは太っている、なんて意味ではない。
『おっぱいがある、おかあさんみたい!』
その、文言通りである。
母親みたい、と言われたために、そのときの柚葉は微妙な顔をしていた。つんと唇を尖らせたのは、不貞腐れたというより、照れ隠し。そう? なんて返していたけれど、彼女が愛して病まない母親のことが浮かんだのだと思う。
『おねえちゃんとぜんぜんちがうね』
にこにこと、妹は言った。自分と手を繋いでいたほうの妹は、ハッとして「マナ!」と声を張り上げたが、当の本人はきょとんと首を傾げるだけ。……柚葉とは、別の理由で微妙な顔をしている自分には、気付いていなかったと、思う。
なんてことはない、当時、中学にあがってすぐの頃、自分におっぱいと呼べる代物がなかったというだけ。
ようやくこっちの強張った顔に気付いた柚葉が、「気にすんな」やら「三ツ谷のもちゃんと育つって」やら声をかけてきたが、正直、どう返事をすれば良いかわからなかった。
喧嘩もしていたし、顔に傷を作ることも多かった。胸に脂肪なんて、あるだけ邪魔。なにより、女と知られた瞬間にナメられる。それよりかは、男だと勘違いされるほうがマシ。
だから、これで良いのだ。胸がなくたって、困らない。気にしてなんか、ない。ないんだよ。ないんだってば。
そう腹の中で言い聞かせつつも、ぽつりと呟いてしまった。
『揉んだら大きくなるって、ほんとかな』
少女だった時分に呟いた言葉。大人になってからも、ふざけて言う・聞くことはあった。とはいえ、それは全て女同士での話。
女っ気が無い野郎の前で、言う台詞ではない。言ってはいけないとすら思う。心底、そう思う。
「ッ」
「……」
うっすらと目を開けると、数分前と変わらず、大きな手が自分の体を這っている。胡坐を掻いた男の脚の上に座らされ、後ろから腕を回されている体勢。ぎゅ、と抱きしめられている、と思えば良いのだろうか。だが、どうにもそんな甘さはない。もっと機械的。
その男、ドラケンこと龍宮寺堅の手付きは、まあ淡々としていた。
乳を揉まれているというのに、こんなにも虚しい気持ちになるなんて。知らなかった。知りたく、なかった。
貧乳だと妹につきつけられた時より、いくらか膨らんだものの、未だ細やかな大きさの胸。その胸を、すっぽりと覆ってしまえるくらいに、そいつの手は大きい。なんなら指が余っている。揉みごたえ、なさそうだな。揉まれている張本人だというのに、他人事のように眺めてしまう。
「……なあ、」
「んー」
「いつまで、そう、してんの」
「もうちょっと……」
指を丸めて、どうにか五指の腹を胸に沈める。しかし、端過ぎて、もとい、脂肪が乗ってなさすぎて、筋を押される感触しかしない。手の平には、まだそれらしい柔らかさが当たっていると思う。が、手のほうが大きいばかりに、ちゃんと柔らかいと思われているのか不安になってくる。
変に身体が緊張しているせいで、肩が痛くなってきた。ただでさえ、近頃は肩凝りに悩んでいるというのに。
「三ツ谷」
ふと、胸から手が離れた。気が済んだのだろうか。ほっと安堵の息が漏れるが、それも束の間。ドラケンのやたら大きな手は、胸の下を掴んだ。周というのが正しいだろうか。肋骨の上をがっしりと捉えられる。まさかの拘束に、びくっと肩を揺らしてしまう。
「ぅ、……ッス」
「オマエって」
さすがに、両手で胴を一周されることはない。だが、何かを確かめるように手が這うせいで、擽ったくなってくる。ぞわぞわとした感触を誤魔化すように身を捩ると、動くなと言わんばかりに手に力を込められた。
なに、なんなの。なんだっていうんだよ。
「……B?」
「Cだから!?」
咄嗟に声を張りあげてしまった。
この男め、何をしていたのかと思ったら、人の胸の大きさを測っていたとは。やめろよな、眠りこけてはいるが、すぐそこにオマエの同僚転がってるんだぞ。
本当に、何で自分はあんなことを口走ってしまったのやら。というか、こいつもこいつで何を思って「試してみるか」と言ったんだ。こんな細やかな胸。揉みたいか? 想定外だったせいで、既に色々な記憶が遠い。遠すぎて、貧乳と自覚させられた日のことを思い出してしまったほど。
再び意識が明後日に向きかけると、ドラケンの両手はしれっと胸部に戻ってきていた。ふにふにと、ブラの形に合わせながら手が動く。厚手のパッドが入っていることも、バレたに違いない。
「いや、Cはなくね? この中身にそんな体積あるとは思」
「あるの、あるったらある、Cあるから」
「……まあ、メーカーによってサイズ違うって言うしな」
「……なんでそういうこと知ってんの」
「オレがどこで育ったか知ってんだろ」
「グ」
それを言われると何も言い返せない。
幼い頃、それこそまだドラケンが自室と呼ばれる部屋を貰う前までは、たびたびこいつの家に遊びに行っていた。当初は〝少年〟だと思われていたのをよく覚えている。本当は〝少女〟だと知られた日には「こんなとこに来るんじゃねえ」と散々説教されたっけ。ついでに、ドラケン本人にも顔を真っ赤にして怒られた。言えよ、そしたらこんなトコ連れ込まなかったのにって。後にも先にも、羞恥で顔を真っ赤にしたドラケンを見たのは、あの一回きりだ。
この男の育ちを思い出していたら、胸を淡々と揉まれるのにも納得してきた。あれだけ豊満な体を日常的に見ていたら、こんな小さい塊に触れた程度、なんてことはないだろう。
手のひらは、今なお、ゆるゆると胸部を撫でている。だんだんと上に登ってきただろうか。指先は鎖骨のすぐ下に触れる。それ以上登られると、襟首から直に触れられてしまうから、勘弁してほしいのだが。
ドラケンに背中を預けながら見上げると、平然とした顔つきでこちらの胸元を見つめていた。
「つーかさ」
「ンだよ」
「張りすぎじゃね?」
「は? 張るほど胸ないけど、むしろ張ってほしいんだけど」
「そういう意味じゃねえよ、自虐すんな。この、あー、ナニ、大胸筋?」
「え」
手のひらが、胸から離れた。代わりに、指先が鎖骨の下にきゅっと乗る。わずかに力が入って、圧がかかった。筋が押される。抉、られて、いる?
ひゅ、と息が詰まった。
「いッッたぃ!?」
「はは、すげー溜まってる、これリンパ詰まってねえ?」
鎖骨の下に何かがいる。ごりごりと、不穏な感触が走った。骨? 違う。筋? それとも、おそらく違う。しいてわかることといえば、とにかく痛いということだけ。
「い、たぃってば」
「……」
「聞いてんの?」
「おー」
「あぃ、いッ、ァ、もうやだ、」
やめろとドラケンの手を掴んだ。しかし、その指先は抉るのを止めない。……これは、抉っているのだろうか。触れている手には、あまり力が入っていない。やんわりと撫でているようでもある。じゃあ、なぜこんなに痛いんだ。自分が、何をしたって言うのだ。
「ぁ、あっう、ンンッ」
「……」
「も、ほんと、いだ、ァ、う~」
「……ちょっと我慢な、あとできれば力抜け」
「う、うんん、んぅ」
襲ってくる痛みに呻いていると、今度は手のひらがデコルテに触れてくる。中央から、外側へ。じわ、じわ、と圧をかけながら何かが押し流されていく。痛い。苦しい。じんじんする。特に、脇と胸の境目を揉まれると鈍くて重い痛みが走る。まるで、筋肉痛の中、暴れ回ったときのよう。喧嘩した翌日に、妹の運動会に駆り出されたときはどうしようかと思った。アレに、匹敵する。
そんな苛烈な痛みでも、断続的に与えられているうちに慣れてくる。痛いは痛い。だが、耐えられないことはない。ちょっと気持ち良いかも? 荒くなった息も、やっと落ち着かせられそうだ。
意識的にゆっくりとした呼吸をしていると、ドラケンの眉間に皺が寄っているのに気付いた。痛めつけられているのはこっちだと言うのに、なぜそっちが苦しそうな顔をするんだ。
眺めているうちに、ふと、目があった。視線が絡む。ム、とそいつの唇が尖った。それから、一拍してから、手が胸元から離れていく。じんわりと、揉まれた熱だけが残った。
「……どお」
「なにが」
「肩とか」
「肩?」
起きてみろと肩を押され、仕方なくもたれていた体を起こす。さんざん虐められたのは胸であって、肩ではない。
違和感を抱えながら、く、と腕を伸ばした。
「……え、軽っ」
「ほんとは背中もやればいいんだけど」
「んっ」
つん、と肩甲骨を突かれる。噂に聞く肩甲骨剥がしとやらだろうか。近頃、やれデッサンだ、スケッチだ、机にかじりついて作業をすることが増えた。もちろん、縫製作業も肩にくる。
どんなに胸が細やかでも、肩は凝る。そう痛感する日々を送っていたところ。
「すご……、ちゃんとしたマッサージじゃん、昔やってたのってこういうの?」
「まァ、そう。久々にやったけどな。鈍ってなくて良かったワ」
とにかく痛かったが、アレで肩が軽くなるのなら耐える価値もある気がしてきた。というか、この手のマッサージをしれっとやってのける男の器用さに感心する。ガキんときも上手いって言われていたけれど、今も健在だったとは。
腕を伸ばして血を巡らせていると、それとなく腹に腕を回された。ついでに、背中にぬくもりが返ってくる。
「あと、胸のその辺ほぐすと、乳でかくなるらしーぞ」
「うっそ、マジ?」
「たぶん。うちの連中が言ってた」
バッと見上げると、ほど近いところにドラケンの顔がある。らしい、だとか、たぶん、だとか、不確かな言葉を用いてはいるが、あの彼女たちの話ならば信用もできる。
自分で、できるだろうか。デコルテに触れてくる手付きを、思い出そうとする。が、痛みが先に過ってしまった。鎖骨の下、痛い。胸の付け根、痛い。脇と胸の境目、とにかく痛い。痛みばかりで、この男がどういうふうに手を使っていたのか、さっぱり覚えていない。
これじゃあ、自分では再現、できない。
「……ドラケン」
「ん?」
「あのさ」
となれば、もう一度、やってもらうのみ。そこで覚えよう。
覚えられるだろうか。あの痛みを思うと、自分で自分に施すのは難しい気がする。慣れるまでは、やってもらうのが一番では? 頼んだら、応じてくれるだろうか。
貧相なので良ければ、好きなだけおっぱい揉んで良いから。……こういう感じで、言ってみるか。
「たまにでいいから、おっぱい揉みに来ない?」
「ハァ?」
こいつ、頭狂ったのか。見上げた顔にはそう書いてあった。はっきりと言葉にしないのは優しさからか、別の理由があるからか。まあ、どっちだっていい。コンプレックスになりつつあるコレが変わるのなら。
持ち上げるほどの体積の無い塊を見下ろしてから、どうにか下からグッと押し上げて見せた。すると、胡乱な顔から盛大なため息が落ちてくる。合わせて、自分の手ごと、ドラケンのソレに包まれた。
「いーけど、」
「え?」
低い、掠れたような声で囁かれた。耳元がジンッと熱くなる。咄嗟に肩越しに振り返ると、その男は珍しく目元を赤く染めていた。揉んでいる最中は、そんな素振り、見せなかったのに。なぜ、今そんな顔をする。はくんと空気を飲むと、存外厚みのある唇がゆっくりと開いた。
「―― 覚悟しとけよ」
解される、痛みに、だろうか。いや、これは。これ、は。
ふつりと、そいつの熱が移ってきた。
◆◇◆◇
『揉んだら大きくなるって、ほんとかな』
そう言った三ツ谷は、間違いなく酔っていた。酔っぱらっていたと思う。でなきゃ、こんな台詞言うものか。女同士の戯れならまだしも、野郎二人と飲んでいるときに、言うわけがない。
しかし、あの日の三ツ谷は確かにそう言った。なんなら、小ぶりなソコに手を当てながら。下から、ぐ、ぐ、と押し上げて見せる手付きは、今でもはっきりと思い出せる。
この女、たわわな乳房にしか男は欲情しないとでも思っているのではないか。オマエのソレで十分オレは立つぞ。どうやったら、その手を止める。いっそ押し倒してしまおうか。ぐるぐると不埒なことを考えているうちに、視線はその手元に向いてしまう。
押し上げられる、二つの、膨らみ。そこをぎゅ、と掴めたら。いや、掴むほどの大きさはなさそうだ。包むとか、覆うが相応しい。触りたい。揉みしだきたい。浮かんでくる欲を、どうにか理性が蹴り飛ばす。酔っていることに、甘えるな、と。
『試しにさ、ちょっと揉んでみてくんない?』
『ハ』
良いのかよ。良くねえだろ。つか、オマエ、相当酔ってるだろ。
胸を差し出すようにしながら言われたせいで、天井を仰ぎ見てしまった。なにがちょっとだ。仮に〝揉んで大きくなる〟というのが本当だったとしても、ここで揉んですぐに大きくなるわけないだろうが。
なにより、付き合ってもいない男にそういうこと言うんじゃねえ。相手がオレで良かったな! 隣でぐーすか寝入ってるほうの男にソレを言ったら、間違いなく食われてたぞオマエ。
とはいえ、だ。
オレも所詮、ただの男。好いた相手に胸を揉んで欲しいと言われて、断れるほど屈強な良心は持ち合わせていなかった。
『じゃあ……』
遠慮なく。飲んでいた缶ビールをテーブルに置き、利き手をソコに伸ばす。カーブに合わせて手を当てると、布越しにふんわりと柔らかな感触がした。温かい、ふわふわとしている。一度触れてしまえば、もう箍は外れたも同然で、吸い込まれるようにもう一方の手も伸びていく。双丘をそれぞれの手に閉じ込めると、三ツ谷の口から、ほぉっとため息が零れた。
『……ちゃんと、揉めよ』
しかし、続けて出てきたのは存外棘のある口調。ぎゅ、とオレの手首を掴み、ぐにゃりと胸部に手を押し付ける。たちまち、手の平に酷く幸せな熱が襲ってきた。やっぱり、柔らかい。小さくはあるが、ちゃんと弾力がある。手が、沈んで、いる。シャツ越しの部分は鮮明に、ブラジャーで覆われている部分はそれなりに、生々しい感触が伝ってきた。やけにふかふかとしている部分もあるから、そこはパッドが入っているんだろう、とかも、わかってしまうほど。
いや、だから、こいつは何をしているんだ。
ひゅ、と息を呑んだ。
『あ、向き合ってると揉みにくい?』
目の当たりにした変な積極性にフリーズしていると、今度は膝立ちになる。それから、ぐるりと背中を向けながら胡坐を掻いたオレの膝の上に腰を下ろした。
……腰を、下ろした、だと。必然的に、臀部の感触が膝にやってくる。流れるように、華奢な体はオレにもたれかかり、改めて両手を胸に連れていかれた。
なあ、オレは誘われてんのか。誘われてんだよな。これで、そのへんの女だったら、据え膳食わぬはなんとやら、ということで押し倒すところだが、相手は三ツ谷。ガキの頃から知っているというのもあって、何かと距離は近くなりがち。酒が入っているのなら、下心ナシにこういうことをやってのけたって、おかしくはない。
ぴったりと両手を胸部に添えたまま、ぎしりと体を強張らせる。下手に動いたら、理性が擦り切れそうだ。本当に、相手がオレで良かったな。
ぐつぐつと煮える欲をどうにか殴り飛ばしていると、三ツ谷の頭がこてんとオレの肩にぶつかった。ハ、と視線を向ければ、とろんとした目がこちらを見上げている。ああクソ、今に犯すぞ。しねえけど!
『やさしく、してね』
まったく同じ言葉を、今日も浴びせられている。
ただ、あの日と違って、三ツ谷の顔には羞恥が帯びていた。恥ずかしいのに、揉ませんのかよ。というか、なんで素面だってのにオレに乳を揉めと強請れるんだ。付き合ってもいないんだぞ。彼氏でもない男に、そういうこと、頼むんじゃねえ。
「あのなあ……」
深くため息を吐きながら、額を押さえた。
酔った拍子に、乳を揉ませてもらってから、早いもので数か月。あれから何度か「揉んで」と頼まれている。その度、正気を疑うし、丁寧に確認してやっているが、三ツ谷の意志は変わらない。そうして今日も、三ツ谷はオレに強請りにやってきた。「揉んで」と言いに、やって、きた。
まあ、正しくは、乳を揉め、ではなく、その周辺にマッサージを施してくれ、ということなのだが、恋人でもない男にデリケートな部分を預けているのにかわりはない。きちんと整体を学んだわけでもない奴に、好きにさせんなよ。あまりにも男として意識されていなくて、頭を抱えたくなってくる。
「や、ほら、おっぱいも揉んでいいから」
「そういうこと軽々しく言うんじゃねー」
「……言わないって、ドラケンにしか」
「オレに言ってたら意味ねえだろうが」
「だから、ドラケンにしか言わないから良いの」
「良くねえだろ」
「良いったら良いの、ね?」
今日こそは止めさせようと思ったのだが、三ツ谷の細い指に手首を掴まれた。きゅ、と握られながら上目遣いに見つめられると、どうも蔑ろにできない。これが惚れた弱みか。……いや、三ツ谷ぐらいの女なら、初対面であろうとそれなりに絆せる気がする。特に胸を揉むようになってから、妙な色気を持ち始めた。多少は胸が大きくなっているのだろうか。それとも、心境の変化があったのか。
……誰でもない、オレの手で三ツ谷が色っぽくなったと思えば悪い気はしないが、誰彼構わずあの色気を放っているのは癪だ。オレに対してだけ、危機感が欠如しているというのなら、百歩譲ってやれなくもない。が、実のところ、どうなのだろう。
「オマエさあ、ほんとにこういうこと、他の野郎としてねえだろうな」
「だから、してないって、ドラケンにだけ」
「つか、オレにもさせんなよ……」
「え、そしたら誰に頼めばいいの」
「危機感持てって話だよ」
「ドラケン相手に危機感とか、いる?」
「はぁあ!?」
「うわ、声でっか……」
大きくもなる。張り上げたくなるに、決まっている。
この女、本当にオレを男と認識しているのか? 男だとは思っていても、そういう、性的な関係を持つ相手としては捉えられていない気がする。マジで、一遍、その身体押し倒してしまおうか。
あれこれ文句と説教を吐こうと口を開くが、きょと、と首を傾げられると良い言葉が出てこない。こういうとき、ちゃんと勉強しときゃ良かったと、身に染みる。
はくんと空気だけ飲み込んで、結局ため息として吐き出した。
「いるだろ……」
「や、いらないって」
「なんでそう言い切れんだよ」
「そりゃあ、……覚悟しろ、って言われたのに、いつもデコルテマッサージして終わりってなったら、さあ」
危機感持ちようがなくない? 皆まで言いはしなかったが、三ツ谷の顔にはそう書いてあった。
それを指摘されると、ぐっと我慢していた自分が悪い気がしてくる。お互い様か、付き合ってもない男に胸を触らせる三ツ谷も三ツ谷だし、役得と思う節もあって一線を超えない程度に毎回体を弄るオレもオレ。
「なあ」
「ん?」
額に手を当てながら、髪をぐしゃりと掴んだ。きちっと結んだ髪の間に、指が入り込む。その分、ひっつめていた髪が緩んだ。そのままかき上げるように手を滑らせて、ゴムを取る。ぱさついた毛先が首筋に擦れた。
一つ、深呼吸をする。悶々とした思考をリセットして、改めて三ツ谷に目を向けた。
「手、出したら、危機感持ってくれんの」
「え」
「や、あんま持たれても、ちょっと、アレだけど……」
うわ、クソ、日和った。付け足した台詞は、我ながらナイ。蛇足だ。だが、声にした以上、もう戻ってこない。なかったことには、ならない。
危機感は、持ってほしい。それはそれとして、オレには気を許してほしい。
勝手だよな、情けないとも思う。口走ってしまったことに後悔が過るのに引っ張られて、口元が歪んでいった。
対して、言われた三ツ谷は相変わらずきょとんとしている。薄めの唇が僅かに開いて固まった。そこを割り開いたら、どんなに良いだろう。指を捻じ込んでも良いし、口付けてもい。……自分が、こんなにむっつりだったなんて、知りたくなかった。
「え?」
間の抜けた音がした。唇を動かさずに、三ツ谷は先ほどと同じ声を発する。さっきと違うのは、目を見開いていることだろうか。気怠そうな瞼が持ち上がり、ぱっちりと開いた。惚ける顔も、可愛い。なんだこいつ。
「……え、」
さらにまた、同じ音。今度は、大分か細かったが。震えていたようにも思える。目元はなんだか色づいてきた。オレに〝そう〟見られていると気付いたのだろうか。微かにあった唇の隙間が、ぴったりと埋まる。内側に巻き込むようにして、引き結ばれた。
引かれた、か?
だったら、オレの手を振り払っているはず。今だ、三ツ谷の手はオレの指先を握っている。それとなく手首を返して、華奢な指先を握り返す。……まだ、振り払われない。じゃあ、指を絡ませたら? するりと五指をそれぞれ組ませてみるが、三ツ谷は払いのける素振りを見せない。
なら、今度は。指を組んだまま、さり、と皮膚の表面だけを、くすぐるように引っ掻いた。
「―― 手、だして、くれんの」
「は?」
相変わらず、三ツ谷の声はか細い。しかし、喜色が滲みだしていた。目元だけだった紅は、じわじわと顔中に広がっていく。元が白いから、赤く染まるのがよくわかった。
「……オレ、今まで据え膳してた?」
尋ねるや否や、ひゅ、と、三ツ谷の喉が鳴る。ついでに、ボンッとその顔が火を噴いた。唇はわなわなと震えている。その度に、奥に潜む赤がちらついた。
手は、組んだまま、空いているほうの手を三ツ谷の肩に乗せる。とん、と軽く押すと、簡単にその体は倒れた。ソファの上、クッションを下敷きにしながら、横たわる。
顔は、青くならない。むしろ、期待されていると見て間違いない。
気が急くまま、紅潮したソコに顔を寄せた。
「ま、待って、」
「だめ?」
「だ、め、っていうか、」
「うん」
鼻先がぶつかりそうなくらいの距離で、待ったを掛けられた。無視してかぶりついても良かったのだが、こいつの意志を無視したくはない。ちゃんと「良いよ」と言われたうえで、したい。なんてオレの理性は強靭なんだろう。自画自賛したくなってくる。
「す、するの?」
「……嫌か?」
「ぅ」
じ、と文字通り眼前にいるそいつを見下ろすと、熱が滲みだした瞳が泳いだ。逃げ道を探しているらしい。だが、完全に逃げたいと思っているかは甚だ疑問だ。強引に進めてしまっても、きっと悪くはない。これまでの会話を踏まえたら、さっさと手を出してしまえば良かった気もするし。
ごつ、と、額を重ねた。唇には呼気がかかる。もう、塞いじまおうかな。さり、と、薄皮一枚を掠めるように振れた。
「い、いま、」
「おう」
言わんとしていることは、「今からするの」か「今じゃなきゃだめ」か。どちらでもいい。オレとしては、今、もう、したいから。何を言われても絆せるように、くるくると頭が回る。
「……ブラのサイズ、あってない、から」
おい、今なんつった。
「新しいの、買ってからが、いい」
だから、今、なんと。
ぴたりと動きを止めると、おずおずと三ツ谷はオレの体を押した。視線は未だ、逸らされたまま。
「なあ」
「な、なに」
「合ってねーとこ見たい」
「なんで!?」
「どっち? 緩いのか」
「や、最近、なんかちょっとキツくて、収まりが悪いっていうか……」
「アー……、見たいワ、すげー見たい」
しみじみと言えば、かちんと三ツ谷は固まった。それからたっぷり三秒数えたところで、茹蛸かというくらいに真っ赤になった三ツ谷がオレの下で暴れ始める。やだ、ダメ、また今度、明日でもいいから、今日はやめとこ。慌てすぎて、ちょっと声が震えている。
「まあ、落ち着けって」
「や、ちょっとほんと、バカ、服捲んなッ」
「捲んなきゃ見えねーだろ」
「見るなよッ」
「見せろよ」
「~~なんでそんな見たいわけ!?」
「そりゃオマエ、」
そっと繋いでいた手を解いてシャツの裾に手を掛けると、即座に手を掴まれた。爪こそ立てられないが、ぎりっと強い力で握られる。女にしては、握力はあるほう。おかげで、手が軋む感触がする。痛いといえば、痛い。かといって、殴られるときほどの痛みではない。可愛いなとあやせるくらい。
強引に手を捻って三ツ谷の手を握り込んだ。指を絡めようかと思ったが、今回は掴むだけでやめておく。痛いと思われない塩梅で、ぎゅう、熱を握った。
「好きだから。全部見たい。見せてほしい」
「ぅえ」
「オレ、おかしいこと言ってる?」
「……おか、しくない、です」
消え入りそうな声をきちんと拾ってから、ひとまず服の上から胸を撫でた。
◆◇◆◇
『なんか痩せた?』
久々に会った下の妹に、開口一番にそう言われた。独立したての慌ただしさもどうにか乗り越えて、仕事が軌道に乗り始めた頃。ぱ、と腹周りを触ってみるが、いつも触れている自分の体だ。痩せたという実感はない。
『そう?』
『……痩せたっていうか、やつれてるじゃん。骨浮いてそう』
『あ、そう、そう思ったの!』
『え』
首を傾げていると、もう一人の妹が奥から出てきた。エプロンをして、片手にはしゃもじ。呆れたと言わんばかりの顔をして、こちらを値踏みするような視線を向けてきた。
やつれてる。骨、浮いてそう。
その言葉につられて、今度は脇腹の辺りを触ってみる。……硬い。柔らかさがない。なんなら、薄手のニット越しでもわかるくらいに、体のラインがあばらの形で凸凹としていた。
『アー……』
痩せたという実感はない。が、確かにあばらが浮いてきたというのは、知っていた。毎日風呂で姿見を見るたびに思っていたのだ。ちょっと不摂生したな、今の仕事が一段落したら、美味しいモノ食べに行こう。そんなことを思って、もう何ヶ月? まさか、人に指摘されるほどになっているとは。
『あのさあ、ドラケン君、心配してたよ』
『え、ドラケン?』
『この間、スーパーで会ったの。お姉ちゃん元気? って聞いたら、すっごい微妙な顔してたんだから』
ム、と口を尖らせて、ルナは腰に手を当てる。迫力には欠けるが、思うところがあるのは伝わってきた。曖昧に笑って見せるが、妹が誤魔化されてくる様子はない。
それはそうとして、スーパーの、おそらく総菜売り場で遭遇したであろう二人を思うと、少し笑えてくる。美人に目が無いだけあって、自分の見た目を整えることにも熱心な妹と、あの厳つい風貌の男。そんな二人がワッと話し出したとなったら、さぞ周囲はギョッとしたことだろう。ついでに、この妹のことだ、揚げ物ばかり籠に放り込むあいつに苦言の一つや二つ、ぶつけていても不思議じゃない。
『あの日の二人すごかったよ。ごはんのあと、ずっとお姉ちゃんの話してんだもん』
『え、あいつココ来たの』
『だって、揚げ物ばっかり籠に入れてるんだもん。料理できるんだから、自炊すればいいのに……。っていうか、さっさと同棲なり結婚なりしてさあ、お互いの面倒見合えば?』
『なんか、話、飛躍してない?』
『してない』
その日のことを思い出したのか、マナはくふくふと笑い続ける。対照的に、ルナは呆れた顔そのままにずけずけと強気なことを浴びせてくる。同棲は、まだしも、結婚、だと。早い早い。入籍する知人も増えてはきたが、自分がそうするかは別問題。あっちの仕事は軌道に乗っているが、こっちはまだなのだ。自立も半ばな状況で、結婚なんてしたくない。
そりゃあ、歳も歳だ。考えたことがないと言ったら、嘘になるのだが。
唇を震わせる一方で、言い返せずにいると、おもむろに下の妹がハッと何かを閃いた顔をした。ルナと揃ってマナを見やると、すぐにニヤリと悪い顔をする。この顔、見たことがある。あいつがいたずらを思いついた時の顔だ。変なとこ、影響されやがって。
『結婚したらさ』
またおっぱい、おっきくなるといいね。
「って、言われた」
どふんとソファに背中を預け、手慰みにクッションを抱きしめた。ベッドを兼ねているのもあって、背もたれは深く沈む込む。膝もすっかりソファに乗ってしまって、つま先は浮いていた。おそらく、抱えているクッションは枕代わり。すんと嗅ぐと、ドラケンがつけている香水の匂いがする。
「ませたなあ、あいつら」
「まあ、高校生なんてほとんど大人でしょ」
「そらそーだ」
ペットボトル片手に近付いてきたそいつは、長い脚でソファを跨ぐ。
てっきり隣に座る物だと思ったら、強引に背後に割り込んできた。自分がクッションを抱くように、そいつはこの貧相な体に腕を回す。すん、と、耳の裏まで嗅がれた。そこまで、自分と同じことをしなくたって。……いや、こいつのことだ、無意識にやっているに違いない。無意識で同じことをする、とは。一緒に過ごしてきた時間が長いのだ、それだけ影響していたっておかしくはない。が、こうも同じだと、むず痒くなってくる。
そいつの手の位置は、下腹の上。不埒な動きをする様子はない。ふつふつと煮え始めた欲を持て余してしまいそう。いい加減、こっちにも下心があると理解してほしい。オマエの鋼の理性はすごいけど、それが憎いときだってあるのだ。
あーあ、今日はナシか。しても良かったのに。
そっと唇を尖らせつつ、手をクッションから男の手に移動した。
「てかさあ」
「んー?」
「そんなあからさまに小さくなった?」
「なにが」
「おっぱい」
「……あー、」
なにが「あー」だ。心当たりがある、という口調に、体が力む。肩は怒ってしまって、背後から吐息で笑う音がした。あわせてこめかみに擦り寄られる。拗ねるなよ。そんな声が聞こえて来そうだった。別に、拗ねてなんかない。小さくなったかもな、という自覚はあったのだ。
ただ、誰かに指摘されるほどだとは、思わなかっただけで。
「確かにちょ~っとブラ合わないかもなあって、思ってはいたけど」
「うん」
「そんなに、服の上からでもわかるほど萎んだ? 萎んでなくね?」
「んー、どうだろうなー」
「どうなの、ほら、触って、確かめて!」
「うお」
ぐ、と触れるだけだった手を掴んだ。勢いをつけて、その両手を胸元に引き上げる。;ささやかな膨らみ、二つにそれぞれ乗せた。いや、当てた、だ。正直、乗せるというような体積がない。そもそも、こいつの手が大きすぎるのだ。全盛期ですら、すっぽりと包まれてしまっていたくらい。……こんなにも大きかったら、多少萎んだところで、わかりっこないのでは? じ、と胸元を見下ろすと、長い指先がやんわりと胸を揉んだ。
「これ、Bあんの?」
「そ、れは、あるだろ、たぶん」
「ふぅん?」
「え、うそ、ない? ないの、これ」
「知らね。こういうサイズはオマエのしか触ったことねーし」
じゃあデカいのはあるのか、という疑問は飲み込んだ。この男の生い立ちを思うと、あの家に住んでいた頃にからかいがてら触らされていたのだろう。家を出てからは浮いた話は聞かない。なんなら、自分と付き合い始めてしまったくらいだ。浮気を甲斐性と言う性分でもない。ここ数年、自分しか知らないのなら、それで良い。充分だ。
体から力を抜き、ドラケンに体重を預けた。その間も、指先は胸をやわやわと揉む。胸、というか、胸の付け根だ。そこにあるのは筋肉。慣れた痛みが、じんわりと広がった。
「また揉んでもらったらさ、大きくなるかなあ」
「それ以前にカロリー足りてねえだろ。ちゃんと食ってんの」
「それ、ドラケンに言われたくねえ」
「なんでだよ」
「ルナに聞いた。こっちが忙しくしてる間、揚げ物ばっか食ってたって?」
「ヴ」
もう良い歳なんだから、バランスの良い食生活をしてくれ。この男のことだ、著しく体型が崩れるような真似はしないだろう。それでも、偏った食事で体を壊してほしくない。と、皆まで口にできたら、どれほど良かったろう。栄養剤やらゼリー飲料で納期までの修羅場を過ごしていた我が身を思うと、口を噤んでしまう。
お互い、世話焼きな性格だ。妹の言う通り、一緒に暮らしてしまったほうが、滞りがないのかもしれない。その一方で、気を遣い過ぎて疲れるのでは? なんて心配も過る。自分は良い。こいつのことを考えられるなら、疲れるの枠には入らないから。だが、ドラケンはどうだろう。ストレスに、なりたくない。
それぞれで暮らして、会いたいな、というときに会う。きっと、これくらいの距離感が、ちょうど良いのだ。
「……やっぱりさあ」
そんな、ちょうど良さを、求めるのなら。
「おっきいほうが、いい?」
あるものは、あったほうが、良い気がする。
見上げながら尋ねると、表情一つ崩さずに、そいつは首を傾げた。
「こだわりはねーよ」
「でも、大は小を兼ねるって言うし」
「どっちにしろ、三ツ谷は三ツ谷だ」
あ、口が、緩んだ。そう思うと同時に、胸に触れていた手の一方が、こちらの顎に添えられた。くん、と真上を向かされる。あわせて、凛とした顔立ちが迫ってきた。ふに、り。額に柔らかな感触が乗る。
「―― オマエの心臓が動いてさえくれれば、どっちだって」
それも、そうだね。
唇が離れた瞬間、そいつの顔はぐしゃりと歪んだ。一瞬ではあったけれど、見逃せるほどの些末さもない。死んだら終わり。熱を確かめられなくなるし、触れるのだって当然そう。
目を伏せると、もう一度、今度こそ唇に熱が降ってきた。手の平は、くるりと胸の中央を撫でる。その下にあるのは、とくとくと動く心臓。大丈夫、ちゃんと生きてるよ。不意打ちで死ぬ予定もない。あと、たぶん、頭を殴られても死ににくい星の元に生まれたから、そこも安心してほしい。
「それに、」
ゆっくりと唇が離れると、ひやり、空気の冷たい感触がする。もう、暖房をケチってもいられない。いくら熱を分け合っても、寒いものは、寒い。わずかに身を縮ませると、そいつはいたずらに笑って見せた。
あ、この顔。さっき、見た。妹が浮かべていたのと、そっくり。
「ぶかぶかのブラつけてんの、ちょっと可愛いなって思う」
「馬鹿野郎」
「イテ」
胸元にある手の甲を抓ると、くすくすとそいつは笑う。さらには、服越しにブラの隙間へ指を引っかけてきた。悲しいことに、今つけているブラには、余裕がある。背中を預けているとはいえ、仰向けになっているわけではない。ストラップを調整し、ホックを一番内側にして、ありったけの肉を集めてなお、こう。
一般的にこれは、〝可愛い〟ではなく、〝みっともない〟と言う。
「なあ」
「んー」
「どんなのが好き?」
「なにが?」
「ブラのデザイン」
ムッと口を尖らせたまま尋ねると、そいつの目が僅かに見開かれた。傍目から見たら、細やかな変化に過ぎない。けれど、この男が表情を変えるのは、相当衝撃を受けているときだ。きっと、胸中は大荒れ。選ばせてくれんのか、とか、自分好みのを着せられるなんて最高じゃねーかとか、考えてるに違いない。あとは、そうだな。
「買い替えるんなら、パートナー好みのにしたいじゃん?」
「お、まえ、そういう、の」
他の奴に、そういうこと、言ってんじゃねえだろうな、とか。
「ドラケンにしか言わないよ」
「……たりめーだ」
先回りして言い放つと、そいつの唇がむにゃりと波打った。これで、付き合ってまだ日が浅い頃だったら、「本当かよ」と恨みがましい顔を向けられていたことだろう。でも、もうそんな時期は超えている。こんな誘うようなこと、ドラケンにしか言わない。
「なあ、」
「なに?」
「今日、いい?」
「ええ、ブラのサイズあってないからなあ」
「買い替えるまで待てっての?」
「んん、どうしよ……」
こっちの言うことなんて聞かずに、押し倒してくれたって良いのに。丁寧に伺いを立ててくるこの男の、なんと健気なこと。厳めしい見た目をしているのに、一つ一つの所作からは愛らしさが漂ってくる。まあ、妹や昔馴染みの連中に聞かれたら「ハア?」と訝しまれることだろう。良いんだよ、自分にとっては可愛いんだから。
可愛くて、格好良くて、憧れすら抱いた相手。いつか、一緒に暮らせる日は来るだろうか。籍を共にする日は来るだろうか。いつ来ても良いように、自分もしっかりしなくては。
考えている素振りを見せている間も、その男は耐えている。手を不埒に動かすでも、姿勢を変えるでもなく、じっと。こんなんだから、危機感なくなっちゃうんだよ。ああ、危機感持たれたら困るんだっけ?
ふ、と口元を綻ばせてから、背伸びをして、ちゅっとドラケンの唇に触れた。
「―― いいよ」
言うや否や、そいつに預けていた体はソファに組み敷かれた。
左手の薬指に嵌められた指輪に、悲鳴を上げてしまったのは、その翌朝のこと。