銭湯の話
一緒に海に行ったことがある。
クソ暑い日に集まったとき、上を脱ぎ捨ててだらだらと過ごしたことも、何度か。
喧嘩の最中、カッとなったのか特攻服の前をはだけさせていたのだって、見たことがある。
だから、別にこいつの裸なんて、珍しいものではない。真新しいものでは、ない。そう思っていた。
「……」
なのに、目を離せない。
「……何だよ」
「なんだろうな」
「いや、オレに聞くなよ」
いつもの銭湯、いつもの時間。連れ立ってきた佐野と花垣、それから松野は、早々に風呂場に吸い込まれていった。おかげで、脱衣所には脱ぎ捨てられた衣服が散っている。カゴがあるのに使わない。盗まれたらどうする気だろう。……そもそも、ココらで名が知れてしまった族の服を盗むバカ、滅多にいないか。
ちらりと脳裏を別の思考を過るが、それも一瞬。すぐに隣に意識は引き寄せられる。
じ、と、龍宮寺は一点を見下ろしていた。
「あのさ、あんまじろじろ見んなよ」
「つい」
「ついで野郎の裸ガン見するってナニ……」
視線の先には、ちょうど上に着ていた服を脱いだ三ツ谷。の、胸元。丁寧に服を畳む奴だな、そう思って見やったが最後、目を離せなくなってしまった。
居心地悪そうにしながらも、三ツ谷はベルトに手を掛ける。幅にゆとりがあるのか、緩めるや否やストンとズボンは落ちていった。下に履いているのは黒のボクサー。これも、珍しいものじゃない。まじまじと、取り立てて見つめるものではない。
結局、龍宮寺の視線は、三ツ谷の胸元、その二つの突起に戻ってしまった。
「なあ」
「んー」
「それって」
「それ?」
ふわりと、腕が持ち上がる。人差し指が緩く伸びようと、三ツ谷はただ怪訝な顔をしながら首を傾げるだけだった。龍宮寺が、三ツ谷のナニを注視しているのかなんて、気付いてもいない。
長い指の、厚みのある爪先が、チリ、突起を掠めた。
「天然?」
「へ」
小さいものの、確かに丸い粒が爪に乗る。くにくにと下から持ち上げると、それに合わせて微かに動いた。
「オマエの乳首。すげーキレイな色してんじゃん」
「は、え? なに」
「こんな色だっけ?」
肌が白いのは知っていた。夏場の日中にトばしに行くと、必ず三ツ谷の首筋は真っ赤になる。ちょっとした火傷みたいなもん、なんてことない。というのが三ツ谷の談。とはいえ、じくじくと痛む分、殴られるより質が悪そうだと思った覚えがある。
そんな、白くて、赤くなりやすい肌に、薄紅がついているとは。これまで、何度も肌を見てきたはずだが、気付かなかった。
撫でていた人差し指を返し、爪でやんわりと押し潰す。ほとんど抵抗なく、そこは平らに潰れた。いや、肌に沈みこんだというほうが正しいだろうか。形を、感触を確かめるように、今度は親指でソコを撫でる。思いのほか、ふわりと、柔らかい。脂肪は乗っていなくても、柔らかいなんて。知らなかった。
「ッ変な触り方すんなよ!?」
「してねー」
「してんじゃんッ」
食い気味に三ツ谷は言い返すが、龍宮寺の手が止まる様子はない。ムッと顔を顰めようが、キッと凄んでみようが、パンッと手を叩いてみようが、それは変わらない。やけに真剣な顔をして、三ツ谷の胸元をまさぐり続ける。
一体、何の辱めを受けているのだろう。三ツ谷の中で困惑が羞恥に変わりかけるが、龍宮寺のスンとした真顔を見ていると身を捩ったほうが気恥ずかしいものに思えてしまう。なんなら、延々とこねくり回されているうちに、妙な形をしているのでは、という不安が過り始めた。そんなわけあるか。普通だ、普通。今まで誰に指摘されたこともない。
まさか、あえて誰もが指摘しなかった? そんな、馬鹿な。
はくり、一つ空気を食んでから、三ツ谷は喉を震わせた。
「なっ、なに、変なのコレ」
「変っつーか」
やがて、指先は突起をキュと摘まみ上げる。引っ張られるような動きに、は、と丸い息が零れた。合わせて俯いてしまったせいで、無骨な指に挟まれたソレが嫌でも目に入る。片方はほとんど平坦で、淡く血色を滲ませているだけ。なのに、抓まれているほうは赤みが増していた。そりゃあ、これだけ弄られたら、赤くもなる。擦れる痛みは、日焼けをしたときのそれにも似ていた。
じんわりと追い詰められている三ツ谷を知ってか知らずか、指先はいたずらに突起を捏ねる。
「うちの嬢共が見たらキレそう」
「ンでだよっ」
「クリームとか使ってピンクにしてるから」
「えっと……、乳首を?」
「そ、乳首を」
ぱっと三ツ谷が顔を上げると、ほぼ同時に龍宮寺は指を離した。ひりつくような痛みから、やっと解放される。……安堵も束の間、すぐに指先は乳首の周り、薄皮一枚を撫でるように触れてきた。赤らんだそこを労わるかのような動きに、ぞわりと腰のあたりが粟立つ。
「……なんで?」
「そのほうがウケが良いんだろ」
「どう、でも……、よくね?」
「はは、言ってやれよ。小一時間説教してもらえるぜ」
「それは勘弁だワ」
三ツ谷の息が上がっていることに、この男、気付いているのだろうか。おそらく、気付いていない。胸元を触るのに六割、軽口を叩くのに三割の頭を使ってしまっている。残り一割で他人の機微に気付けるほど、龍宮寺は敏くない。
「てか、さあ」
「ん?」
「いつまで、触ってん、だよ」
「あ」
指先から始まった手遊びは、いつの間にか、手の平全体を使っている。胸全体を撫でては乳輪だけを擽り、適度に筋肉の付いた胸部をやんわり揉んでは、ツンと尖った突起を抓む。
三ツ谷も三ツ谷だ。大人しく受け入れていないで、突っぱねてしまえば良いものを。そう言ってしまうのは、些か酷だろうか。何人も、理解の及ばない状況に陥ると、抵抗するという思考が抜け落ちる。
つまるところ、混乱しているうちは、龍宮寺にされるがまま。
よた、と、三ツ谷の体が揺れた。一歩退くように、脚がもたつく。腰が折れる。膝から、力、抜けていく。
「お、わ」
咄嗟に、支えようと龍宮寺の手が三ツ谷の体を這った。胸元に合った手は滑るように背中へ。もう一方の手は、腰に伸びる。硬くなった指先が、柔い皮膚を擦った。
「―― ぁッ、」
風呂場からは仲間のはしゃぐ声がする。クリアに聞こえないのは、扉一枚隔てているせいか、別のことに意識を取られているからか。
顔を上げると、やけに近いところにもう一方の顔がある。風呂に入ってすらいないのに、どちらも紅潮していた。熱を持った額なんて、ほとんどぶつかりそう。ああ、いや、ぶつかった。鼻先も、擦れてしまっている。
控えめに、三ツ谷の手が龍宮寺の肩に乗った。押し退けるのかとも思ったが、その手付きはむしろ、しがみついているようにも見える。実際、そうなのだろう。離してしまったら最後、その場で崩れて、座り込んでしまう。きゅ、と、三ツ谷の指先に力が入った。つられるようにして、龍宮寺の手も力む。
「……なあ」
「な、に」
「このあと、オレん家来ねえ?」
「ぇ」
掠れたような誘いは、三ツ谷の耳にしか届いていない。風呂場の歓声と、換気扇の音、だらだらと流れているAMラジオでかき消され、二人だけの音になっていた。
他の客がいない時間で良かった。一緒に来た奴らが、風呂場からまだ出てこなくて良かった。今日の番頭が、ほとんど居眠りをしているような爺さんで、良かった。
三ツ谷の、きっと滅多に晒さないだろう姿を見たのが、自分だけで良かった。
念を押すように、龍宮寺の厚みのある唇が震えた。
「いいだろ」
こくんと頷いたのを見届けてから、脱いだばかりの服をその体に纏わせた。