憧れの闊歩
女に囲まれているところを見るのは、これが初めてではない。
(まーた絡まれてやがる)
視線の先にいるそいつは、やたらと踵の高い靴を履いた女に挟まれている。完全に無視することはせず、かといって余所行き用の人当たりの良い笑みを浮かべるでもないあたり、顔見知りなのかもしれない。
ファッション系の専門学校に通っているせいか、三ツ谷は女の知り合いが多い。そんなの、今に始まったことでもないか。中学の頃は手芸部という女子の巣窟で部長をしていたし、高校のときも似たようなモン。家に帰れば、母親・妹・妹が待っている。
だから、今みたいに、女に囲まれている三ツ谷を見るのは、珍しいことではない。待ち合わせしている先で、女に絡まれているのを見かけるのだって、何度もあった。それこそ、両手の指の数より多く。
さて、今日はなんと声をかけようか。例えばモデルを頼むような仲ならば、彼女たちをビビらせないほうが良い。自分の外見の厳つさはよくわかっている。ある程度距離をとったまま、名前を呼ぶのが妥当か。
三ツ谷ぁ、待った?
そんなふうに、声を掛ければ良い。
声を張るべく、息を吸い込んだ。
「うーわ、めっちゃ毛先痛んでるじゃん」
「伸ばすんならちゃんとケアしなよ~」
「わかってるって」
女と、三ツ谷の声が、耳に届いた。雑踏をかき分けて、その輪の会話だけ妙にクリアに聞こえる。離れているはずなのに。これだけ周囲が騒がしかったら、聞こえるわけがないだろうに。それともこれは幻聴なのだろうか。あたかもそう喋っているように、脳みそが思い込ませているだけ?
息を吸いこんだ半開きの口のまま、固まってしまう。まるで、自分だけ時間が止まったみたいだ。そのくせ、目線の先にいる連中は止まることなく動いている。口はぱくぱく、目はぱちぱち。どいつもこいつも、長い睫毛を揺らしている。
女の指先が、三ツ谷の襟足を掬った。その白い指は、ブリーチとカラーを繰り返している毛先を遊ぶようにいじっている。もう一方の女の細い指は、少し高いところへ伸びていった。耳の上、側頭部。いわゆる、こめかみ。
淡い色に染まった髪の下には、確か、龍がいる。
気付くと体は動いていた。
「―― なあ」
女の手が触れる。オレの、手の、甲に触れる。
間に合った。わずかな安堵を噛みしめつつ、抱えるように触れた頭をオレのほうに引き寄せた。「ワッ」という驚嘆も聞こえるが構ってはいられない。
女二人の目が、三ツ谷を追いかけるようにこちらを向いた。
「コレ、オレのだから。触んないでくんね?」
思ったよりも、低い声が出た。だが、睨んではいない。凄んでもいない。タイミングよく暗くなった広告ディスプレイには、無表情なだけの自分が映っていたから間違いない。まあ、ごっそりと表情が抜け落ちた面だったから、人によっては威圧を感じるかもしれない。
ビビらせたろうか。悪いコト、した、か? 思考が頭を掠めるが、二対の瞳は、ぽかんとオレを見上げてくるだけ。怯えている色はしていない。しいて言えば、上向きの睫毛はよく見るとそれぞれオレンジ色とピンク色をしていた。カラフルなそれらは、眼球が乾ききる前に、ぱちん、上下する。
大丈夫そうだな。なら、さっさと三ツ谷を連れてここを離れよう。こめかみを覆っていた手のひらを、肩のほうへと滑らせた。
滑らせ、ようと、した。
「な、に、~~ッしてんだテメェ!」
「ぅグ、」
鳩尾に、衝撃。肩に届く前に、手は宙を踊った。胴は、くの字に曲がる。バランスを崩した体を支えるように、片足は一歩分、後ろに下がった。
「ってえな、何しやがる!?」
「こっちのセリフだこっちの! 突然引っ付いてくんじゃねーよ、ビビったろうが!?」
よろめきながら鳩尾を押さえると、肘打ちをかましてきた張本人にキッと睨まれる。こっちが身体を緩く折っているのもあって、目線の高さがほとんど同じになっていた。あまり見ることのない角度だ。正面から見ても、睫毛は長い。一つ賢くなった。
「ね、三ツ谷クン」
「その人、って……」
「あ? あ~、こいつは、」
あっという間にオレの腕の中から抜け出した三ツ谷は、今度は女二人に袖を引かれている。名前を呼ばれるくらいには親しいらしい。
きょとんとした顔をする二人は、オレの凄んだ声や三ツ谷の荒っぽい物言いを聞いてなお、動じる様子はない。慣れているのか、危機感に欠けるのか。
なんにせよ、肝が据わっている女だ。妙な感心を覚えていると、ようやく彼女らの顔つきが変わり始めた。強張る、の、ではなく、嬉々とした表情に。
なぜ、華やいだ顔をするんだ?
疑問が自分の顔に乗るより早く、明るい髪色のほうの女が口を大きく開いた。
「わかった、三ツ谷クンの彼氏だ!」
「「ハァ!?」」
荒い声が重なった。けれど、彼女は怯まない。ぴんと人差し指を立て、自信満々という目をしている。
どういうことだよ。咄嗟に三ツ谷に視線を移すが、向こうもこっちを同様に睨んできたところ。顔には「知るか」と大きく書いてあった。
「なんでそうなるんだよ!?」
「でもぉ、さっき「オレの」って言われてたじゃん」
「ってことは~、やっぱり彼氏だ!」
彼氏・彼氏と捲し立てるほうを援護射撃するようにもう一方は口を挟む。おかげで、軽い口調はヒートアップ。三ツ谷が「違う」と言ったところでまるで話は聞いてくれない。
なぜ、女は恋バナにこんなにもテンションを上げるのだろう。昔から疑問だった。や、オレらが下世話な話で盛り上がるのと近いものがあるのかもしれないが。今、自分が出来ることといえば、下手に口を挟まないこと。それくらいだ。
明後日を眺めながら、距離を取るべく、そっと一歩後ずさった。
「あの~、頭のそれって、タトゥーですかあ?」
と、柔らかく間延びした声を掛けられる。はっとして顔を向ければ、三ツ谷に絡んでいたうちの暗い髪色のほうがにんまりと微笑んでいた。
「そーだけど」
「ヤッバぁ、めっちゃイイですね、そのデザイン」
「ああ……、どうも」
初対面でこのスミに引かないとは。堅気じゃないのか。いや、刺青ではなくタトゥーという言い方をしたあたり、ファッションの一部として捉える質なだけかもしれない。
アンタが褒めたこれ、そこの男が小五ん時にデザインしたもんなんだぜ。そう教えたら、どんな反応をするだろう。……いや、やめとくか。そんな昔からの付き合いなのかと食いつかれる気がする。
三ツ谷と親しいというのなら、あまり無下にもできない。オレのせいで、こいつの交友関係を崩すなんて、もってのほか。曖昧に笑って見せると、いっそう彼女は笑みを深めた。
「ところで、彼氏さんってえ、」
「や、オレこいつの彼氏ってわけじゃ」
「モデルに興味ありません?」
「は?」
「ウチら今ぁ、学校の課題でモデル、探してるんです」
背が高い、歩き姿を見る限り腰の位置も高い、切れ長な目は迫力があるから写真映えもする。いつの間に観察したのか、オレの体躯の特徴をつらつら並べた彼女は、相変わらずの緩い話し方で衣装のコンセプトの説明を始めた。加えて、なぜ、オレをモデルにしたいかの理由まで添えてくる。
これは、本気で勧誘されていないか。穏やかな笑みを携えているが、目の奥はやけにギラついている。本気の目だ。
適当なところで話を切り合げちまおう。やる気がないのに、熱心に誘われても、時間の無駄だ。オレにとっても、彼女にとっても。
「あー、褒めてくれるのは嬉しんだけど、サ」
のらりくらりと躱すべく、口を開いた。ついでに、それとなく彼女から視線を逸らす。逸らした先には、ぎゃんぎゃんと言い合いをしている二人。の、男のほう。
息継ぎでちょうど空気を吸い込んだのだろう。半端に口を開いた三ツ谷と目があった。
「オレ、モデルすんのは」
「待った、ストップ、佐倉さんダメダメダメ!」
ナイ。と、言うのに被せるように、三ツ谷の言葉が飛んで来る。吸い込んだ息は、こちらに放つために使ったらしい。あまりの慌てように、三ツ谷と言い合いをしていたほうの女が目を丸くしている。
慌ただしくこっちに寄ってきた三ツ谷はオレとサクラサンとやらの間に入り込む。強引に割って入ったのもあって、三ツ谷の背中がオレにぶつかった。
「こいつはオレのだからダメ!」
「ハ」
オマエ、いま、なんつった。バッと下を見たところで、三ツ谷の旋毛しか見えない。彼氏じゃない主張していた直後でその言い方はヤバイんじゃねえの。一足遅れて、こちらに近寄ってきていた女も胡乱な顔をしている。
「やっぱ彼氏なんじゃん」
「あっいや、違う、そういう意味じゃなく、その、とっておきなんだよ。とにかく、オレが頼むとこだったからダメ、マジで勘弁して……」
少し早口に、かつ焦燥感を露わに三ツ谷は言うと、このとおり、と両手を合わせた。頭も下げたから、襟足からちらちらと項が覗く。
ちら、と視線を正面にいる二人に向けると、肩を竦めていた。頭を下げているこいつと違って、ちっとも深刻そうじゃない。これは、三ツ谷がからかわれていただけでは。世渡りの上手いこいつのことだ、何人に囲まれようとしれっと過ごしているものだと思っていたが、振り回されて苦労することもあるらしい。
ぽん、と、すぐそばにある頭を撫でた。
「……ごめんね、そういうコトだから、引き受けらんねーワ」
「んふふ、こちらこそ強引にすみません、でも、もしオッケーなときは連絡くださいね」
これ、ラインです。そう言って彼女は何やら文字が羅列した紙を差し出してくる。反射的に受け取ると、まさしくそれは名刺だった。学生のうちからこんなん持ち歩いてるのかよ。正直、連絡することはないだろう。おそらく家に帰って即ゴミ箱行き。必要以上に連絡先を増やす気にもならないし。
厚手の紙を弄んでいる間に、彼女らは去って行った。曰く、映画がそろそろ始まるから、と。からかわれるどころか、時間つぶしに使われたとは。
「……すげーな、あの子ら。ガッコーの知り合い?」
「……専門の同期」
改めて見下ろした三ツ谷は、どこか窶れて見える。もう一度、ぽん、と頭に手を乗せた。いつもなら、すぐに払いのけられるところ。だが、今は大人しく撫でられてくれる。
「なあ」
「ん?」
「オレに用って、そのモデルの話?」
「うん、ドラケンに頼みたくて」
「……八戒のが適任じゃね」
「スタジオ、何人かで使う都合、女子がすげー多いんだよ」
「あー」
それなら確かに八戒は向かない。とはいえ、交友関係の広い三ツ谷なら、適任者などいくらでも見つけられるのでは? なぜわざわざ、オレを選ぶのか。
髪をとかすように、指を潜らせた。痛んでいるが、柔らかい。引っかかることなく、するすると毛先まで辿り着いてしまう。その手を、肩に回した。
「わ」
合わせて体を傾ける。三ツ谷が潰れないように加減はしつつ、かといって逃げられるのも癪なので肩はがっしりと捕まえておいた。ゴ、と、鈍い音がして、互いのこめかみがぶつかる。
「オレって、オマエのとっておきなの」
「……そりゃ、そうだろ。オレのデザインを最初に買ったの、ドラケンなんだし」
「買ったっつーか、交換な」
「一緒だよ。売買も、物々交換も」
ふ、とこめかみに触れる感触がなくなったかと思うと、すぐにこつんとぶつけ直された。オレの左側頭部。三ツ谷の右側頭部。左右対称というだけの違いしかない龍が、そこにいる。
三ツ谷の腕を、最初に見出したのは、オレ。そう思うと、少し気分が良い。
「いーぜ、やってやるよモデル」
「っまじ? 助かる」
「髪どうすりゃいい? 下ろすとか、切るとか」
「そのままでいいよ。刺青見えるほうが良い」
「へー、いいんだ」
「うん。それ踏まえて服作ってるし」
さっきは、女が多いから、と言ってなかったか? この物言いじゃ、最初からオレを念頭にしていたみたいだ。過った違和感をそのまま顔に浮かべていると、ざりっとこめかみが擦れた。
ああ、そろそろ、近いと呆れられる頃か。肩を掴んだ手から、力を抜く。
「なあ」
「っ」
突然、近いところから、顔を覗き込まれた。鼻先がぶつかりそうだ。先ほど頭の位置をずらしたのは、離れろという意思表示ではなかったらしい。ぎゅ、と、背中側からは控えめに服を掴まれる感触がする。
「ドラケンこそ、なんなんだよ、「オレの」って言い方」
「……絡まれてんのかと思って。ああ言えば撒けるだろ」
「一理あるけど、他にあったろ」
確かに、最初は普通に声をかけようと思った。少し離れたところから、彼女らをビビらせないように配慮して、三ツ谷を呼ぶ。それなら、彼氏だなんだと、からかわれずに済んだろう。
だが、それだと、こいつは彼女たちに触られるのを許していた気がする。こめかみを、オレと同じ図柄が彫られたところを。その価値は、オレが最初に見出して、オレのものにしたのだ。無遠慮に、他人にまさぐられては、堪ったもんじゃない。
「これがオレのってのは、事実だし」
そう言いながら、組んでいた肩を解いて、側頭部、髪を潜ったところを撫でた。ここには龍がいる。三ツ谷の体に刻まれているが、オレの、龍。オレのだから、触るな。何も、間違ったことは言っていない。
「これまでも、これからも、オレのだ」
オレをとっておきと言ってくれるオマエなら、わかるだろ。
ほんの数センチの距離のまま、じっと睨み合う。お互いに引かない。目を逸らしたほうが負け。その不文律は、今もオレらの中に根付いている。
「……そんなんだから、彼氏って誤解されたんじゃん」
ぽそぽそと、三ツ谷の口が動く。拗ねた口調のせいで、幼さが漂ってくる。珍しい。睨み合いで、隙を見せるなんて、鈍ったもんだ。からかいたくなってくる。
あの、絡んできた彼女たちも、こんな気分だったのかもしれない。
ゴツ、と、今度は額同士をぶつけた。
「じゃあ、マジで彼氏になってやろーか」
「え」
ほら、喚けよ。なに馬鹿なこと言ってんだって、オレの胸倉掴むか、一発拳入れて「ほざけ」って叫んでみろよ。目を細めて、さらに煽りを入れる。
「ぇ」
しかし、三ツ谷からは、か細い声が発せられるだけ。予想した反応は、なかなか返ってこない。
代わりに、じわり、そいつの黒目がぼやけた。涙の膜が厚くなっていく。目元が赤らんできたのは、気のせいじゃない。重なっている額は、カッカと熱を集め始めた。
「あ、っと、三ツ谷?」
「~~ッオマエの! そういう! 顔ォ! 信じそうになるから禁止!」
「ぅ、え、ハッ?」
キンッと耳鳴りがする。あの距離で叫ばれたのだ、仕方あるまい。ついでに、ようやく体を突き飛ばされた。殴られる、ではなく、突き飛ばされる、だったのは想定外だが。二歩、三歩とよろめいてから、ぱ、と顔を上げる。視界の中央には、オレを突き飛ばした張本人が、映り込んだ。
なにその、真っ赤な、顔。
「あー、もう顔あっつ……」
手を団扇にして顔を仰いでいるが、三ツ谷の色づいた顔は、なかなか白く戻らない。さらりと垂れた髪の間から見える耳も、すっかり赤くなっていた。
冗談だ、なんて、言えようか。言えるわけがない。むしろ、そんな顔を向けられてみろ。―― 本気で口説きたくなるだろうが。
「三ツ谷」
「あんだよ」
「真面目な話、オレのこと、ちゃんと彼氏にする気ねえ?」
ニ、と口角を釣り上げる。その顔を三ツ谷に向けた途端、赤面の頬は引き攣った。足が、じり、コンクリートを擦る。これは、逃げるな。逃げられると、思うなよ。
逃げの姿勢に入った三ツ谷をひっ捕まえるべく、自慢の長い腕を目一杯伸ばした。